その日、
テーブルについた彼の目の前に座しているのは、彼が今いる小さな島国、マーキス王国のツートップ、国王ロデリックと、その弟である
昨夜、フランシスから届けられた書簡には、「宰相私室にて
やや緊張しながら、
これまで、ロデリックとフランシスには数え切れないほど面会してきたが、彼らと三人きりの食事会はさすがに初めての経験である。
自分が、「ちょっと世界を越えてきただけの一般人」であることを改めて自覚すると、これは完全なる異常事態だ。
もはや緊張どころの騒ぎではない。
しかも、三人がいる部屋に料理を運んできたのは、メイドでも料理人でもなく、国王補佐官兼
(道理で、心配性のクリスさんなのに、今日の午餐会については何も言ってくれなかったはずだよ……!)
「クリスさん、どうして?」
「本日、実際に連中に提供されるものをお持ち致しました」
遊馬は、座ったまま鳥のように首を伸ばし、椀の中を
そこには、とても王族が食べる料理には見えない、いわゆる「ごった煮」らしきものが入っていた。
パンも、
(これが、午餐? ここの王族の人たち、確かに日頃の食卓は質素みたいだけど、これはいくら何でも。しかも、何だかこれ……)
遊馬は漂ってきた料理の
向かいにいるロデリックは平然としているが、フランシスはシャツの
皿を運んできたクリストファーも、
ロデリックとフランシスに次いで、遊馬の椀にも料理が盛りつけられ、クリストファーが手で
どうやら今日の「午餐会」は、この四人きりで
(何がどうなってるんだろう。っていうか、何、この臭い)
一同の顔から料理に視線を移した遊馬もまた、微妙な顔つきになった。
明らかに、椀になみなみと盛りつけられた料理が異臭の
遺伝子に刻みつけられた原始の危機感が目覚めるほどの、不快で不安な臭いだ。
ただ、幸か不幸か、元の世界で
最初こそ驚いたが、徐々に慣れて、目の前の料理を冷静に観察し始めた。
シチューのような煮込み料理であることは間違いない。
具材のほとんどは、見たところ赤っぽい豆と白っぽい豆で、あとは少しだけ肉片が交じっている状態である。
どうやらそのわずかばかりの肉片が、異臭を……
「うーん、これ、腎臓を角切りにしてありますね。あとは肺と小腸かな。腸の太さから見て、豚の内臓でしょうか」
遊馬の発言に、ロデリックは面白そうに数回、軽く拍手してみせた。
「さすが、医学を修めた者、鋭い見立てだ。この細切れの肉片から、そこまでの情報を読み取るとはな。
「はい。いつもの毒見役が、ぬかりなく」
「何と申しておった?」
「……陛下にお出ししてよいようなものではないと」
「有り体に申せ」
「飲み込むのにやや苦労した、と申しておりました」
「そうか。それは興味深い見解だな」
クリストファーの
一方のフランシスは、顰めっ面のままで兄を
「陛下、やはり試食は我々だけで。一国の王が、このようなものを食して体調を崩されることがあっては……」
だがロデリックは、いつもの
「何を申すか。いかなる立場の者であれ、我が国の民に違いはない。民が口にするものをわたしが口にできぬ法はなかろう」
「されど」
「よいのだ。アスマ、今日、そなたに来てもろうたのは他でもない。くだんの計画……何と申したか、そなたの世界の言葉で言うところの」
遊馬はピンと来て、軽く身を乗り出した。
「もしかして、『
「それよ。
ロデリックは珍しく、喜びの感情を隠すことなくそう言った。
嵐によって
そのための低コストな方策として、遊馬は、「城の地下牢に観光客を入れ、リアルな囚人体験を楽しんでもらう」というあまりにも
てっきりセキュリティ上の理由で
「無論、地下牢とはいえ城内に人を入れるのだ。警備には、念には念を入れねばならぬ。されど一方で、体験した者たちからよき評判が広まるよう、そなたがよく申す『楽しませる』こともまた
ロデリックの言葉に、遊馬は深く
「はい。地下牢での囚人体験は結構なホラー……ああ、ええと、恐怖でしょうけど、それだけだと『酷い目に
遊馬の視線は、湯気と共に悪臭を漂わせ続ける料理に落とされる。
「もしかして、地下牢で参加者に食事を提供しようと思ってらっしゃいます?」
ロデリックは我が意を得たりと頷く。
「
「なるほど!」
ようやく事情が
「僕も、この世界に来るなり
「歯はすり減ろうが、
「そうですね。温かいものが食べたいなって思ってたから、こういう煮込み自体は
するとクリストファーが、苦々しげな顔つきで口を挟んだ。
「温かいものなど、出るものか。囚人たちに配る頃には、氷のように冷えているぞ」
「あ、そうか。これで冷えてたら、百倍つらそう。……とにかく、現物を食べてみろってことですね? 食欲は湧きませんけど」
クリストファーは、他の二人にも聞こえるよう、低いがハッキリした声で告げた。
「俺とアスマは食いますが、お二方は、決してご無理をなさらず」
するとロデリックは、涼しげに
「なんの、わたしも一度は投獄された身、元囚人としては、懐かしき味であろう」
懐かしき味、というのは、ロデリック流の冗談である。
父王殺しの濡れ衣を着せられ、しばらく地下牢暮らしを
だが当時、ロデリックが囚われの身となる原因を作った当の本人であるフランシスは、ぐう、と変な
「あ……兄上がそう
兄を陛下と呼ぶことすら忘れて、フランシスは必死の
遊馬は
「もう責任は十分取ったじゃないですか。無理しないでください。確かに試食は必要なので……全員で、ちょっとだけ。ほんの一口だけいただきましょうよ。試食っていうか、味見の感じで」
一度は意気込んだフランシスも、遊馬の助け船にあからさまにホッとした顔をする。
「む、そうか? そう……だな。アスマがどうしてもと言うなら」
「どうしても、です! 僕たちはともかく、お二人がお
「それもそうだな。……されば」
「ほんの少し、食すことと致しましょう」
兄弟は仲良く、鷹匠師弟はおそるおそる、それぞれスプーンで煮込みを
「!?」
四人の目がカッと見開かれたのも、慌てて水の入ったゴブレットに手が伸びたのも、ほぼ同時だった。
ごくごくと水を飲んでから、最初に口を開いたのは、遊馬だった。
「これは……豆の味が
「実に正確な評価だな、アスマ。
常に冷静沈着、ポーカーフェイスのロデリックも、さすがに口元を歪め、また水を飲んだ。
フランシスは、長衣の隠しポケットから小さくて美しい
「罪を犯した者どもを、美食でもてなすわけにはゆくまい。されどこれは、あまりに酷いな。食は心身を養うもの、かようなものを食しておっては、償いの心も
砂糖菓子の甘さで冷静さを取り戻し、ようやく職務を思い出した弟を面白そうに見やり、ロデリックは自分も甘い菓子を無造作に口に放り込んで答えた。
「よう言うた。そなたの申すとおりだ。罪人どもに罰を与える必要はあろうが、わざとかような飯を与え、体力気力を
「かしこまりました。早急に」
クリストファーは
食器をトレイに集め、テーブルの上の
どうやら、この恐ろしい試食会は、「午餐会」の前菜だったらしい。
四人の前には、頭を取った魚のローストと、
魚の腹には、内臓を除いたあとに香草がたっぷり詰め込まれていて、その
味付けは塩だけだが、新鮮な白身魚は、それだけで十分に
今度こそ、質素だが申し分ない食事を楽しみながら、フランシスはこう切り出した。
「試食しておいてよかった。さすがにあれを、囚人体験の客たちに出すわけにはゆかぬな」
遊馬も、それにはハッキリと同意した。
「あれは……さすがに大事なお客さんがお腹を壊してしまいますね。わざわざ囚人体験を楽しみたいお客さんは、皆さんセレブ……あ、いや、そこそこ上流階級やお金持ちの方たちでしょうし。もしかしたら、多少まずいものを食べてみたい、みたいな気持ちはあるかもですけど、さっきのは行き過ぎですよ」
ロデリックとフランシスは
「ですが、客人たちを囚人として
それには、フランシスがすぐに反論した。
「かといって、今我々が食しておるような、何の変哲もない質素な料理では、まったく面白みがあるまい」
「むむ、確かに。粗末すぎても贅沢でも、はたまた普通でも、囚人体験の客人にはふさわしくない……ということになりますな」
「そなたの申すとおりだ、フォークナー。これはいささか悩ましい問題であるな」
「まことに」
クリストファーとフランシスは、困り顔を見合わせる。
しかし、ロデリックは平然として、視線を遊馬に据えた。
「ゆえにそなたを呼んだのだ、アスマ」
手でむしった魚を手元に残しておいた雑穀パンに挟み、即席のサンドイッチをうまうまと
「はひ?」
思わず、口の中がまだいっぱいのまま返事をして、オイルで汚れた手で自分を指さす。
そんな無礼はいっさい
「さよう。かつて重要な宴席の
「ちょ……ちょっと待ってください」
クリストファーが差し出してくれたゴブレットを受け取ってワインの水割りを飲み、口の中のものを
「確かにこの世界に来てからは、何でも屋さんみたいになってはいますけど、僕、本来はしがない医学生ですからね! 医学についてはそこそこの知識がありますけど、その他はむしろ世間知らずっていうか、この世界の人たちに比べたら、生き抜くスキルも低いし」
「そなたの無知・不器用自慢を聞く気はないぞ、アスマ。実際に、そなたはこの世界で堂々と生き抜いておるし、わたしの命を救ってくれさえしたではないか。わたしが今、こうして王座にいられるのは、そなたの鋭い見立てで、父王の死因を明らかにしてくれたからこそであるぞ」
ロデリックは、遊馬が張ろうとした予防線を、いとも
「それとこれとは……」
「別、でもあるまい。こことはまったく違う世界を生きてきたそなたであればこそ、此度の、地下牢を罪人でもない者どもに楽しませるなどという斬新な思いつきができたに違いない。なれば、食についても、我等が目を
「無理、絶対無理です。僕、食には本来、かなりコンサバなんですよ」
「こん……さば?」
耳慣れない言葉に首を
「元の世界でも食通にはほど遠かったですし、あんまり流行の食べ物に飛びつくこともしなかったし……」
「されど、そなたの思いつきは、常に我等を驚かせ、面白がらせ、ときに困惑させる。そして結果として、我等の目を大きく開かせ、前へ進ませてくれるのだ、アスマ。此度も、その喜びをわたしに味わわせてはくれぬか」
このとおりだ、と、ロデリックはほんの一センチほど、顎を引いてみせる。
国王のその仕草は、一般人における「
実際、「王たる兄上に頭まで下げさせて断ろうものなら、即、殺す」くらいの視線が、宰相であり、今は兄大好き弟でもあるフランシスのいるほうからぐさぐさ突き刺さるのを感じる。
(この世界の人たちは、「議論の際は、相手を追い詰めてはいけません」って教わってないんだな!)
昔、親に注意されたことなどを
「わ……かりました。あんまり期待されると困りますけど、考えてはみます」
「おお、それでこそアスマだ。楽しみにしておるぞ」
ロデリックは満足げにそう言い、フランシスも、たちまち輝くような笑顔になる。
「そなたなら、囚人に与えるにふさわしい見てくれ、されど口に入れれば、富裕層の客人が食すにふさわしい食事を考えつくに相違ない」
ロデリックは、やや人の悪い笑みを浮かべてそう言った。遊馬は、盛大に迷惑そうな
「それ、ご自分で言っても、ハードル高いなって思いませんか? もう、僕を試しすぎですよ、皆さん」
しかし、いつも遊馬の味方になってくれるクリストファーですら、「とにかく引き受けろ」と言わんばかりの目配せをしてくるので、遊馬に逃げ場はない。
「はあ、もう。僕は
あまり意味のない念押しをして、遊馬は急に味がしなくなった、
その日から、日頃の細々した仕事を終えた夜の自由時間に、遊馬の「見た目囚人用、味は客人用」メニューの開発が始まった。
まさに、「言うは
医学生である遊馬は、「味」というのは、味覚だけでなく、
さらに、「美味しそう」と視覚が添える情報も、味を引き立てるための重要な要素だ。
その視覚情報をわざわざ「まずそう」にして期待値を下げ、しかし味覚と嗅覚では「美味しい」と感じさせなくてはいけない。
「これが、日本のグルメ料理番組で、豪華な食材を取っ替え引っ替えできるなら、まだ僕にだって、どうにかなるかもしれないけど」
遊馬は何十回目かのぼやきを口にして、溜め息をついた。
この十日ほど、毎夜、クリストファーの助力を受けつつ、彼はアイデア出しと試作を繰り返してきた。
フランシスからは料理番を通じ、あれこれと使用可能な食材が届けられる。
現代日本のように、ハウス
夏が過ぎると、どうしても限られた葉物野菜と、保存性の高い根菜、あとは干した野菜や
主菜用の肉や魚にも、制限がある。
小さな島国ゆえ、家畜の数はどうしても限られる。安定した品質の肉類を、長期にわたり客人に供給するのは難しい。比較的自由に使えるのは
島の近海で
「ほんと、好き放題言ってくれちゃって!」
「まあ、そう言うな」
今日も、干し茸を湯で戻しながら、思わず悪態をついてしまった遊馬を、クリストファーは困り顔で
「だって……! 条件が厳しすぎるんですよ。フランシスさんは自分で料理しないからわからないけど、料理番さんからは、『お客さんたちの分を、まとめて料理できる献立じゃないと駄目だよ。あと、前もって作っておけるようにしといておくれ。お出しする前に温めたり焼き上げたりすりゃいいだけってのがいいね』って、追加の条件が来てるし」
「それは道理だしな」
「ですよね。
冷静なクリストファーと話すうち、遊馬の
「試作のおかげで、ここしばらく、俺たちの夕飯は豪華だ。それだけでもありがたいと思わねばな」
「それは確かに。だけど、まずそうに見える美味しいものって、ほんとに難しいです」
「む……」
クリストファーも困り顔で、遊馬の隣に立ち、腕組みをした。
簡易で狭い台所に二人並ぶと、いくら遊馬が小柄でも、文字どおりのギチギチである。
調理台を照らすのが、
「そうだな。これまでお前が作ってきた料理は、どれも旨そうに見えてしまっていたからな。とても囚人が食うものには見えん」
「ですよねえ。お魚も貝も新鮮だから、焼いても煮ても普通に美味しそうなんですよ。はあ、どうしたらいいかなあ」
遊馬はまた
クリストファーはしばらく考え込み、そして重い口を開いた。
「俺は料理はからっきしだから、ろくな助言はできんが……。いっそ、お前が元の世界で食っていた料理というのはどうだ? 俺たちは食いつけていないから、旨そうに感じないかもしれんぞ」
遊馬は、
「あ、なるほど! でも……僕が元の世界で食べていたもので、まずそうに見えて美味しそうなもの……? うーん、思い当たらないなあ。ごくありふれたものを食べてたから……ん?」
急に上擦った声を出した遊馬に、クリストファーは期待の
「何か思いついたか?」
「いえ、思いついたっていうか、思い出したっていうか。いっぺんだけ、もうドクターになった大学の先輩に、凄く豪華な食事に連れていってもらったことがあるんです」
「豪華……羊を丸ごと開きにして焼いたようなものか?」
「そっち方向じゃなくて」
いかにもこの世界の人間らしいクリストファーの言葉に、遊馬はクスッと笑って答えた。
「再構築っていうんですかね。そういうジャンルの料理らしいんですけど」
「さい、こう、ちく」
「再び組み立てる、って感じの意味です」
「どういうことだ?」
「豪華な料理って、色んな食材を合わせるじゃないですか」
「うむ」
「それを、いったん個々の素材に分けて、それぞれ違うやり方で料理して、また集合させる……。そうすると、同じ材料、同じメニューでも、全然違う感じの食べ物になる。そんな感じかな」
「……わからんな」
クリストファーは、盛んに首を
「たとえば、冬の間によく作る、芋と
「うむ」
「あれを、芋は
「面倒だな」
「まあまあ。そうしておいて、食べるときにすべてを合体させると……どうです? とろとろの葱、ほっくりのお芋、カリカリの塩漬け豚が合わさって、全部一緒に煮込むより美味しそうでしょ? 食感も面白いだろうし。再構築のよさって、たぶんそういうことだと思うんです」
暗がりの中で、腕組みをしたまま
「でしょ!」
「いや待て。しかし、想像するだに旨そうだぞ。それではいかんだろう」
クリストファーの指摘に、遊馬はガックリ肩を落とす。
「あああ……そうか。駄目だ。うーん、再構築なら、それぞれの要素を前もって仕込んでおけるから、大量に調理するときの方法としては最適だと思ったんだけど……。一見、まずそうにしなきゃいけないんでしたね。あ、ちょっと待ってください。ここにあるもので試してみようかな」
「む? 試すなら、手伝うぞ。何をすればいい?」
何かを思いついたらしき遊馬を、クリストファーは嬉しそうに見やる。
「そうですね、料理を盛りつけるものを……できたらお皿がいいんですけど。大きめの、ちょっと深さのある」
現代日本でよく見るカレー皿のサイズと深さを手で示す遊馬に、クリストファーは少し考えてから頷いた。
「それなら、
クリストファーはそう言って、予備の灯りに火を
おそらく、裏手の物置へ行ったのだろう。
「さてと。僕がご
先日の「試食会」で
「あそこまでまずそうにはできないけど、この世界の人にとっては、見慣れない、食欲をそそらない外見にすることならできるかも」
そう
「あったぞ!」
クリストファーが、首尾よく探し物を見つけて戻ってきたとき、遊馬はやはり暖炉の前で、料理の真っ最中だった。
クリストファーは鼻をうごめかせ、不思議そうな顔をしながら遊馬に近づいた。
「皿はこれでいいか?」
クリストファーが見せた無骨な木製の皿を見て、遊馬は笑顔で頷いた。
「ああ、いい感じです! ありがとうございます」
「お安いご用だ。そして……何か不思議にいい
「ふふ、そうですよね。僕がいた世界の、僕が育った国では、かなりお
そう言って、遊馬は
それもそのはず、鍋の底でふつふつと煮えている粘度の高そうな液体は、何ともファンシーな、パステル系の紫色をしていたのである。
「な、なんだそれは。食い物か?」
「
クリストファーは、薄気味悪そうに太い
「そんな色の食い物は、見たことがない。しかも、妙な粘り気があるようだな」
「せめて、とろみって言ってください。もうできますから、お皿を
「お……おう」
戸惑い顔のクリストファーが去ると、遊馬は早くも満足げなワクワク顔で、料理の仕上げに取りかかった……。
しばしの後。
遊馬とクリストファーは、いつも食事をするテーブルに差し向かいに着席していた。
それぞれの前には、荒々しい彫りではあるが、ディナープレートくらいのサイズの立派な皿が置かれている。
「さて、では、お夜食になっちゃいましたが、いただきましょう!」
遊馬は、いい笑顔でそう言い、両手を合わせた。一方のクリストファーのいかつい顔には、「不安」とでかでかと書いてある。
「ち、馳走に、なる。ならねば……ならんな?」
「当たり前でしょ! メニュー開発においては、僕ら、
「む……うむ」
「大丈夫です、たぶんまずくは……ない、と思います」
「そこは断言してくれ」
やはり浮かない顔ながら、クリストファーは覚悟を決めたらしく、スプーンを手にした。
それでも料理にすぐ手をつけることはせず、見慣れぬ虫を見るような目つきで、皿の上を見下ろす。
それもそのはず、皿の上にあるのは、料理と呼ぶには怪しげなものばかりだった。
まずは、先刻の紫色の粘り気のある煮込みのようなものが、皿の中央にたっぷり盛りつけられている。
そしてそれをぐるりと取り囲むように配置されているのは……。
バリバリに割れた、茶色い板きれのようなもの。
毒々しいピンク色の葉野菜のようなもの。
茹でてほぐしただけの白身魚に、やはり茹でたオレンジ色の貝の身、そして、黄色がかった
あとは、あれこれ根菜類を茹でて潰しただけの、白や黄色やオレンジが入り混じった奇妙なペースト。ヒョロヒョロした干し茸。
およそ食欲をそそらない、不気味な色と無骨な形状の取り合わせである。
「どうです? 囚人食って感じがしますか?」
スプーンを中途半端に持ち上げたまま動きを止めたクリストファーに、遊馬は
クリストファーは、あからさまに
「囚人に食わせるものとそっくり同じとは言えんが、少なくとも豪華なご馳走ではない。客人たちが、日常的に口にするものとも、到底思えん。そうだな。少なくとも、客人に振る舞うような料理では……ないな」
「なるほど、それで?」
実に
クリストファーは、気まずそうに
「そういう意味では、『贅沢でなく、普通すぎも粗末すぎもせず、珍奇であり、客人の好奇心を刺激する』料理ではある……と思う。それに、匂いは悪くない。味のほうは、食ってみないとわからんが」
「今のところ、合格ラインですね。じゃあ、食べてみてください」
遊馬にせかされ、クリストファーは再び困惑した様子で眉根を下げた。
「これは、どうやって食えばいいんだ? さっきお前は、再構築なんとかと言っていたな。料理を要素に分けると。確かにそういう気配はあるが……」
「はい。まずは、そのピンク色の野菜だけそのままにして、あとはぐっちゃぐちゃに混ぜちゃってください!」
「混ぜる……? そんな
「お上品な人たちほど、そういうマナー違反をやってみたくてもできない立場でしょ? 堂々とやれることに、ワクワクすると思うんですよ」
「な……なるほど。では、やってみよう」
いかにも
ゆっくりと
「む……! これは」
「どう? どうですか?」
身を乗り出して感想を待つ遊馬をまじまじと見て、クリストファーは信じられないといった顔つきで呻くように言った。
「旨い」
「マジで! やったー!」
遊馬は珍しく
クリストファーは、二口、三口とスプーンを忙しく口に運び、幾度も頷いた。
「本当に旨い。旨いが、食ったことのない味だ。これはいったい何だ、アスマ?」
問われて、遊馬はちょっと得意げに種明かしをした。
「これ、僕流の再構築フィッシュパイ、なんです」
「フィッシュパイ?」
「その名のとおり、魚のパイです。本当は、魚介のクリーム煮にマッシュポテトを分厚く載っけて、オーブンで焼くんですけど、少しアレンジしてみました」
そう言うと、遊馬はまだ手をつけていない自分の皿を指しつつ説明を始めた。
「この紫色のは、紫キャベツのクリームシチューです」
「紫キャベツは知っている。この紫は、その色か! しかし、くりいむ……しちゅう?」
「今日届いた食材の中に、牛乳があったので、少し使うことにしました。貝と魚と干し茸と野菜でスープを取って、具は取り除けて。そこに、牛乳とどっさりの紫キャベツを足して煮て、小麦粉を油で
「……なんと。この紫色の怪しい汁は、そんな手の込んだものだったのか」
「ふふ、実はそうなんです。あと、汁にとろみをつけると、料理を盛りつけやすいし、冷めにくくなります。熱々は囚人食っぽくないですけど、やっぱりお客さんには、それなりに温かい料理をお出ししたいですし」
「間違いない。そこまで考えていたのか。そして、この具材は……」
「
「この、
「そうそう。
「……紫ではなく、桃色をしているが?」
「そこは化学反応を活用しました!」
「かがく、はんのう」
さっきから初めて聞く言葉をオウム返しにしてばかりのクリストファーに、遊馬は少しだけ得意げに答えた。
「紫キャベツの紫はアントシアニン由来なので、アルカリを加えたら黄色に、酸を加えたらピンクに色が変化するんです。なので、さっと茹でてお酢と砂糖で味付けして、色を鮮やかなピンクに変えてみました。
「なる……ほど? いや、お前の言うことはさっぱりわからんが、酢と砂糖だけはわかる」
用心深く、ほんの少しを口に入れたクリストファーは、たちまち大きく頷く。
「うむ、これは馴染みの味だ。汁が濃厚だから、これで口の中がさっぱりするな」
「それも、狙いどおりだ! お酢の
遊馬の説明に、クリストファーは料理を頰張りながら、感心しきりで何度も首を振った。
「今度ばかりは無茶な命令だと思ったが、お前はまたしても立派にやりとげたな。これなら、国王陛下も宰相殿下もお喜びになるだろう。囚人体験を心待ちにしている人々もまた、驚きに目を瞠り、食って歓声を上げるに違いない」
クリストファーは常に実直で言葉を飾らないので、彼の賛辞には何の誇張も
遊馬は嬉しさで顔を上気させつつ、照れ隠しに眼鏡を僅かに押し上げた。
「これなら、だいたい安定して手に入る食材で大量に調理できるし、厨房のスタッフなら楽勝レシピだと思うので。驚いて、ちょっと怖がって、でも食べて喜んでもらえるメニューになったんなら、よかった!」
「俺の反応を見ていれば、そこは確実だとわかったろう。うむ、明日の朝、さっそくフランシス様にご報告申し上げて、試食の機会を設けていただこう」
「はいっ」
ようやく肩の重荷を半分下ろせた気分で、遊馬は自分の分にも手をつけようとする。
だが、クリストファーはふと真顔に戻って、「しかし……」と言った。
「え、どうしました? まだ、何か問題が?」
サッと不安げな表情になる遊馬に、クリストファーは真顔で言った。
「料理には、名前が必要だろう。これは何と名付ける?」
「ああ、そうか。再構築フィッシュパイ……じゃ、何のことかわかんないですよね」
「わからんだろうな。俺も、その再構築とやら、理解しきれてはいない」
「じゃあ……うーん、そうだなあ」
遊馬はしばらく考え、
「じゃあ、『特製囚人めし・お皿の上で作る魚介のパイ』でどうですか? ちょっと美味しそうな響きでしょ」
「なるほど。それならわかりやすいな。よし、それでご報告申し上げるとしよう。ところで」
「はい?」
「もう少し、料理の余分はあるか? やんごとなき方々に試食していただくものだ、今一度、味を確認しておきたいんだが」
もっともらしく言っているが、本音は「もっと食べたい」であることは、クリストファーの期待の眼差しを見れば火を見るよりも明らかだ。
「勿論! お皿、貸してください。盛りつけてきます」
遊馬も晴れ晴れとした顔で立ち上がり、クリストファーが差し出す皿を、両手を伸ばして受け取ったのだった……。