あとがき
この度は『小説 夜のクラゲは泳げない』第一巻をお読みいただきありがとうございます。原作となるアニメのシリーズ構成・脚本を担当し、本ノベライズの執筆も担当しております
さて、本小説はアニメが始まって一か月半後の五月二十日に発売ということで、順序としてはアニメを見たあとにこちらをお読みいただいている方が多いかと思いますが、お楽しみいただけたでしょうか。あの美麗な映像と演出、魂のこもった演技でできたアニメーションを文章だけで表現するとなると、非常に難しい部分もあったのですが、持てる力を尽くしたので、あの一流の映像に引けを取らないものが書けていればいいなと思っております。
四章までの内容ですと、特に一章と二章はアニメ本編と違うシーンが見られて驚いた方も多いのではないでしょうか。アニメというものは基本、脚本を書き上げて決定稿にしたあと、それをもとにコンテを作っていくのですが、ヨルクラの場合、
そして実はこのあとがきは三か月連続刊行のなかかなりギリギリで書いているので、そうしたアニメと小説の違いなど、説明しやすい制作裏話を解説する場所にしようかなと思っていますので、お付き合いいただけますと幸いです。
一章で最も驚かれた相違点はやはり、
ちなみにギターを持たせるという変更は単純に、ギターがあったほうが画として
また、ライブシーンが始まってからの流れの印象も大きく違っていたかもしれません。アニメでは花音の演奏をメインで映しながら、二人の運命が感じられる回想で展開していきましたが、脚本ではまひるの『置いてけぼりになってしまう』という感情線の上下を重視していました。本小説と同じように、歌う花音からぽつんと取り残されるまひるを描き、チエピ、キウイ、そしてまひる自身のセリフを回想しながら、観客に押しのけられて後ろに追いやられてしまう。そして「CDとか出たら買うね、絶対」という自分の言葉の回想に「違う。──本当は」とモノローグを入れたあと、それを反転させるように
これも同様に、心情を追ってセリフをつなげるのか、映像としてテンポよく気持ちいいものにしてからセリフにつなげるのか、という媒体の違いによる相違点が大きく出た場面だと思っていて、特にライブシーンとなるとアニメでは音楽と映像のシンクロなども重要になってきます。なので演出か心情か、アニメと小説両方で楽しむ意味が大いにあるシーンになっていたのではないでしょうか。
その他、小説にあった印象的なセリフがいくつかカットされていると感じたかもしれませんが、こちらの多くは尺の問題や、映像的なテンポを重視したものになっています。セリフ自体はよくても尺に入らない、もしくは重ねすぎるとダラダラしてしまう、というのは映像によくあることなので、このあたりは監督の『いいアイデアももったいないと思わずに切る』という鋭い直感が表れていたと思います。その結果、テンポの良い映像になっていたのではないでしょうか。
また、丸ごとアイデアが変わっているという意味では、花音がめいのことを
とりとめもなく解説をしてしまいましたが、こうして映像と小説の違いを考えることが、少しでも作品をより深く楽しむための補助線になっていれば幸いです。
……
ということで、それでは謝辞です。
本書を出版するにあたり尽力いただいた担当の
そして、読者の皆さん、アニメを見てくださる視聴者の皆さん。ありがとうございます。
また次巻もお付き合いいただければ幸いです。
屋久ユウキ