『それで、なにやら今日から全国のCDショップを回っていくんだって?』
『はい! 再始動なので、まずは初心に帰りたくて。デビューシングルが発売されたときにしたことを全部やっていくんです!』
わたしのスマートフォンから、
『って、大人の人に言われたんやね』
『ちょっとー!』
スマホのスピーカーから届くざらついた笑い声には、三つの聞き
忘れたい過去は振り返らないことにしていたはずなのに、こうして油断したところで不意に、わたしの心を揺さぶってくる。どうしよう、昨日まであんなに毎日が楽しかったはずなのに、暗くて後ろめたい気持ちがどばっと、あふれだしてきた。
『それでは最後に告知、メロちゃんお願いします!』
ぴくりと、私の肩が勝手に跳ねる。
『はーい! サンフラワードールズ再始動! ということで、来週水曜日にダブルA面シングルが発売されます! この曲はサンドーとしては二年ぶりの──』
「っ」
これ以上、聞いていたくない。
少し乱暴な気持ちでアプリを閉じると、わたしはそんな気持ちを押し流すように、家を飛び出した。

カフェバーのカフェタイムの営業終了後。内装をバータイムのものに切り替えると、私は
「あっ! 一万いったよ! やったね」
動画をアップして数日。私たちの初投稿作品の再生回数は、いまこの瞬間一万再生を超えた。
「……う────ん」
私はとりあえず喜んでいたのだけど、どうしてか花音ちゃんは不満げだった。
「……どうしたの?」
「いや、なんていうか……もっと評価されるべきっ!」
いつもの花音ちゃんって感じだったけど、私は思わず苦笑した。
「一本目で一万なら十分じゃない? ……いままでと比べたら」
「う……」
私が
「だけど、これじゃあ……」
納得いってない様子の花音ちゃんだ。けれどまあ、目標はフォロワー一〇万人だって言ってたもんね。そういうことならまだ足りないか。理想が高いのはいいことだろう。
なんてことを考えていると、カフェバーの扉が開く。
「ん? ──あ、めいちゃん」
現れたのはめいちゃんだ。私たちのバイト終わりに合わせて会議することになっている──のだけど。
「そ、それ大きい荷物だね?」
背中に巨大な布のケースみたいなものを背負っている。
「でぃーてぃーえむ? の練習をしてたんですけど、操作が……。ここいいですか?」
「あ、うん」
めいちゃんはうんしょ、とそれをテーブルの一つの上に置くと、ファスナーを開けて、なかから電子キーボードとタブレットを取り出した。
「えっと……トラック? を作ってみたんですけど、音の波が録音されるものになっちゃって、ロール? が表示されなくて……」
なにやらその世界の用語みたいな言葉を発しているめいちゃんを横目に、私は
「……ヨル、わかる?」
「完全に外国語を話されました」
「だよね」
「そ、そんな……」
めいちゃんが絶望している。
と、そこで。私の頭には、助っ人の顔が頭に浮かんでいた。
「しかたない……ここは通訳を頼むしか……」
こういうときに頼りになるのはやっぱり……機械に強いヒーローだよね。
数十分後。
『あーそう。それで音は鳴る?』
キウイちゃんとめいちゃんが、Discordで通話をしている。
「……鳴らないです。エラーが出ました」
『なんて書いてある?』
「えっと……サウンドドライバーがどうとか……どこかのネジが緩んでるんですかね?」
『そのドライバーじゃないんだよな……』
はあ、とため息の音が聞こえた。花音ちゃんと一緒にカウンターからその様子を
「あのさ、キウイちゃん!」
不意に花音ちゃんが、キウイちゃんに呼びかける。
『うん?』
「もしよかったら……こっちに直接来てくれたりしないかな? ほら、私まだ面と向かってお礼も言えてないし!」
『あー……それは……』
キウイちゃんは明らかに言葉を濁した。私は二人にキウイちゃんの
「あーその、えっと! キウイちゃん忙しいし、さすがに悪いかなーって!」
「ヨルはそーいうとこ遠慮しすぎなんだって!」
「花音ちゃんが遠慮しなさすぎなの。あと顔近い」
私は冷静に、花音ちゃんの顔をぐいと押した。
「私とヨルの仲だろ~!」
「どういう仲なのそれは」
「そりゃあ──」
『……じゃあさ』
花音ちゃんとの無駄なじゃれ合いに割り込むように、キウイちゃんの声が届く。
「うん?」
私が聞き返すと、
『……
「……へ?」
予想外の言葉に、私と花音ちゃんは顔を見合わせた。

あーあ、面倒くさい。なんでサンフラワードールズ不動のセンターのメロがこんなことしないといけないんだろう。CDショップの楽屋でピンモンの缶にストローをさして飲みながら、そんなことを私は考えてる。
「てゆうかー、いまの時代にCDショップ巡りとか、アナログすぎません? 世はリモートですよリモート!」
いまはメンバーとマネージャーしかいないから、せけんてーとか気にしないでずばずばーってこんなことを言っちゃう。そしたらマネージャーが
「うーん。けどこの企画……
「ええーっ、そうなんですか!?」
だったらメロ、ちょっと失言しちゃったかもしれない!
「それじゃあ私なんかが及びもつかない、
さらりさらりと十数枚を書き終えたところで、パワレコの店長さんが楽屋に戻ってきた。
「おおーっ! サンドーの生サイン!」
「
ぱちんってスイッチを切り替えて、私はワントーン、いやスリートーンくらい高くて
「めちゃくちゃ感激です~! 発売当日、店長権限で猛プッシュしちゃいますね!」
「ありがとぉございまぁす♡」
わざとらしいくらいに鼻に掛かった声は普段からちゃんと女の子と関わりのある若い子からしたらウザかったり
「それから……もし良かったら、あれも」
マネージャーさんが、店長に目配せしながら入り口を指す。うちの会社の営業が、私たちのかわいいかわいい等身大パネルを運んできた。
「おお……なかなかのサイズですね。置き場所あるかな……」
「難しそうですかね?」
営業さんが困り
「……あ、すみません……
それだけで場の空気にぴりっと緊張が走って、私の胸はどきっと高鳴った。
「はい……はい。いえ、もしかしたら置き場所がないかもとのことで……」
「ああーっ! そうだ! そういえば告知モニターの横が、空いてたなー!」
店長さんは電話に向けて、わざとらしく大声で言った。あはは、おもしろーい。でもでもメロもわかるよ、雪音ピを怒らせたくないもんね。店長の声は雪音ピに届いたみたいで、マネージャーさんが電話口から聞こえる雪音ピの返答に耳を傾ける。
「……『それは正面のモニター横のことですか?』……とのことです」
「い、いや、その……」店長さんは観念したみたいに。「……空けておきます」
さっすが雪音ピ! 圧力をかけるのが

私は
「推しの家……。推しっ、推し、推しの家……」
「そんないいもんじゃないよ……ボロアパートに、お姉ちゃんと二人暮らしだし」
「お、お姉さまがいるんですか!? はわわわわ……」
花音ちゃんがフォローするように言った一言に余計緊張を増しためいちゃんを横目に、私は花音ちゃんに確認する。
「お邪魔していいの?」
「ま、仕事でほとんど家帰ってこないし……」
「そっか。あ、キウイちゃん」
会話していたら、改札からキウイちゃんがやってくるのが見えた。黒マスクにフードを
到着すると、まずは勢いよく花音ちゃんが
「はじめまして!
「えっと、
「……どうも。
小声で、遠慮がちに言う。花音ちゃんとめいちゃんともDiscordでは何度か
パーカの
けれど私は、あまり心配はしていなかった。
「──その髪色、めっちゃかわいい!」
花音ちゃんが明るく、
ほらね、って思った。なんかこういうところが花音ちゃんなんだよな。
「素敵です! 最近はこういうアイドルもいますもんね!」
花音ちゃんに続いて言っためいちゃんの言葉にもきっと
「……褒めてもなにも出ないぞ」
キウイちゃんはちょっと目を
「あはは。なにそれ。よろしくね」
「おう。……よろしく」
改めて言う
「けど……
めいちゃんのごもっともな疑問に、むしろ私が焦る。
「ああっ! ええっとそれは──」
「ごめん。
私の言い訳を遮って、キウイちゃんがさらりと言った。私は驚いて、はっとキウイちゃんの横顔を見る。
「……噓?」
花音ちゃんが、きょとんと首を
「……人気者とか生徒会長とか、全部強がりで。私いま、学校行ってないんだよね」
「え。じゃあまひるさんから聞いた話は……」
「全部、作り話。……ごめん」
気まずい沈黙が流れる。
そんなとき、花音ちゃんがふっと気を許したように笑った。
「──そっか」
そして、にかっと笑って、こんな言葉を続ける。
「じゃあ、一緒だねっ」
「え?」
思わぬ言葉に、キウイちゃんは戸惑っている。私も花音ちゃんがなにを言うのか、わかっていなかった。
「私もほとんど行ってないんだ、学校。まあうちの場合は芸能系の子が多い学校だから、そういう子も珍しくないんだけど!」
あっけらかんと放たれた言葉には、本音を打ち明けるような親密さがあって。
「そう……なんだ」
キウイちゃんはどこかあてられたように、花音ちゃんの顔を見ていた。
「つまり!
なんだそれ。どう考えてもめちゃくちゃなことを言っている。
けれど──なんだかすっごく、
キウイちゃんはぽかんとしたあと、
「……それ、バランス取れてるって言うか?」
数分後。私たちは
「お姉さん、稼げる仕事に興味とか……」
「ののたんはそういうことしません! 解釈不一致!」
「あはは! いいぞ~めい!」
前では最強のボディガードによってスカウトが撃退されたりしていて、キウイちゃんがそんな二人を「なんだあいつらは……」みたいな目で見ている。
「二人とも、悪い人じゃなさそうでしょ?」
「ええ?」
不意を打つように私がドヤ顔で言うと、キウイちゃんははあと息を吐いた。
「……ま、スカウトとかナンパよりはマシだな」
しゃあなしだぞ、って感じで笑うキウイちゃんだったけど、きっとキウイちゃんにしては珍しいくらいのスピードで、警戒を解いてくれている。
「あ」
歩いているとふと、私の視界にカップティラミスのお店が飛びこんでくる。
目にとまった理由は簡単。私が最近、気になっていたお店なのだ。
「ね、あそこ寄っていかない?」
「……カップティラミス?」
花音ちゃんが返事をする。
「おいしそうです! 結構並んでますね?」
めいちゃんは両手を顔の前で合わせて、素直に目を輝かせた。
「最近ゆこちが紹介してたからねえ。さすがフォロワー三五万……」
「ヨルはホントに流行り物が好きだね?」
花音ちゃんが呆れたみたいに笑う。
「う……だって
「いいじゃん。甘いものは大歓迎だぞ」
キウイちゃんは同意してくれるけど、花音ちゃんは子供をあやすように言う。
「ダーメ。今日は遊びに来たんじゃないんだから」
「それもそうですね……
「そっかあ……」
私がめちゃくちゃ後ろ髪を引かれているのを、「いくよー」って引きずられるみたいに花音ちゃんに引っ張っていかれた。

「いやぁ~! やっぱり
サンドーのメンバーとマネージャーさんと一緒に事務所の車に乗って、メロはすっごくご機嫌な気持ちになってる。雪音ピの名前を出した途端にあの表情、痛快だったなあ。
「メロちゃん、そろそろプロデューサーにピをつけて呼ぶのやめなさい?」
「えぇ~っなんで? だってプロデューサーってPでしょ? だったらピじゃん!」
マネージャーさんのよくわからない注意にメロは反論した。メロはなんにも間違ったこと言ってないもん。
「プロデューサーの意味で『ピ』って言う人、メロくらいだけどね?」
「けど名前出しただけであれって、やっぱすごいよ。
あかりも
雪音ピに対して失礼にならないようにと、等身大パネルだけじゃなく店内をずらっとサンドーの宣伝ポップであふれさせてくれた店長。半分脅迫なんじゃないかって思われるかもしれないけど、大人の世界にはこういう駆け引きも必要だってメロは知ってる。引きつった笑いで見送られちゃったけど、これで満足満足なのだ。
「うんうん。だから雪音ピについていけば、間違いなしなんだよ!」
「……だね。……これが売れなかったら私たち……さすがに詰みだし」
桃子が言う。そんなタイミングで高額バイトの求人広告の宣伝カーが隣を通ったもんだから、メロはちょっと不謹慎だけど笑っちゃった。
「……二年間、しんどかったね」
「うん。私なんて……二十歳になっちゃった」
あかりの言葉に、桃子がすっごい重たい実感と一緒に頷いた。メロはまだ十七歳だから平気だもーんって思うけど、十六歳と十七歳って全然違ったし、十七歳と十八歳って天と地くらい違うと思う。そう考えるとメロもあっという間に三十一歳、アイドルやってまーすかっこ泣き、みたいになってるのかもしれない。えっ怖い、時間よ止まれ!
「……ってこら。暗い話はやめ。……被害者もいる事件なんだから」
マネージャーさんの配慮は間違いなく、ののかに殴られた私に向けられてる。
まあわかるけど。私はつまらないことを言うなあ、と思いながら、車の窓から外を眺めていた。
「被害者……ね」

「どうぞー」
私たちは
「お邪魔しまーす」
「お、おじゃましますっ!」
「うう……ティラミス……お邪魔します」
キウイちゃん、めいちゃんに続いて私がティラミスを引きずりながら部屋に入る。靴を脱ぐとクラゲの靴下が見えて、気付いた花音ちゃんがにやりと笑った。
「おお……下積み感満載だな……」
先頭で入っていったキウイちゃんが言う。玄関から奥に向かうと……なんというか、たしかに部屋は散らかっていて、下積みって言葉がしっくりくる。
狭めの二部屋にロフトがついた一人暮らし用のマンションって感じで、お姉ちゃんと二人暮らしだと聞いていたけど、となるとなかなか狭そうだ。どうやら普段花音ちゃんはロフトで生活しているらしく、ロフトの上には、やっとバイト代で買うことができたらしいマイクとオーディオインターフェース、音の反射を防ぐ防音材などがパソコンとともに配置されていて、そのすぐ近くに布団も敷いてある。秘密基地って感じだ。
下のフロアにはカップ
「……体壊すよ?」
私が正直に言うと、花音ちゃんは別に気にしない様子で。
「しょーがないでしょ、料理とか苦手だし」
めいちゃんは部屋の状況をどう
「と、とりあえず推しの部屋の空気を……」
「保存するな」
花音ちゃんがツッコむ。この部屋は解釈違いじゃなかったのだろうか。
一方キウイちゃんはすごく探るように色々と見回している。鋭い視線だ。
「あんまじろじろ見ないでね?」
「……すまん、なんでもない。えーと、DTMだったよな?」
「推し……っ、推しの部屋……!」
混乱のめいちゃん、まだ二人と打ち解けていないキウイちゃん。
なんというか正直……これから円滑に会議できそうな空気ではない。
「……ふむ」
状況を眺めながら思う。
ひょっとするとここは、普通の女子高生である私の出番かもしれない。
ぱちん、と手を打って音を鳴らすと、私に三人の注目が集まった。
「ね。それよりもまずはさ──」
***
それから小一時間後。
花音ちゃんの部屋の机の上にはピザが二枚に、お菓子やジュースとお茶がたくさん並ぶ。私の提案で四人で買い出しに出かけたのだ。
「
「だから遊びに来たわけじゃ……」
やや不満げな花音ちゃんだったけど、私はにっと
「いいの。集団作業っていうのはこういうのが大事なんだから」
私は珍しく自分の意見を強めに主張した。いつもふわふわクラゲ人間として生きてきた私だからこそ、こういう空気に関することには確信があるのだ。
「そ・れ・か・ら~、じゃーん」
私はご機嫌な調子を作って空気を暖めながら、傍らのビニール袋から『水族館チョコエッグ』と書かれた箱を四つ取り出した。開けるとランダムで海の生き物のミニフィギュアが出てくる、私の秘蔵っ子だ。
「はい、一人一つずつね」
「わあ! チョコエッグです!」
「お前、ホントに海の生き物好きだな」
「まあねっ」
めいちゃんとキウイちゃんも喜んでくれているようだ。
「もう、それ開けたら作業だからね?」
「あーっ!」
そして、チョコの中からフィギュアを取り出す。めいちゃんの指先には、半透明でなにやらもじゃもじゃした塊がある。
「これは……イソギンチャクですか?」
「あーイソギンチャクかぁ……ハズレだ」
私が言うと、めいちゃんはあらま、みたいな感じで口のあたりに手を添えた。
「これハズレとかあるのか?」
「そりゃ、イソギンチャクはハズレでしょ」
「まあ……そうか?」
首を
「お……私はこれ、タコか?」
「タコ!? 当たりじゃん!」
「いやどういう基準?」
キウイちゃんはきょとんとしている。わからないのだろうか。丸くて赤くて吸盤もあるんだから、こんなの当たりだと相場が決まっている。
「いいなあ。ほら! 花音ちゃんは?」
「まったく……」
ぶつくさと言いながらも、花音ちゃんは私に流されてくれて、渡してあるチョコエッグを開封しはじめる。
「私は……おっ? タツノオトシゴじゃん! やったぁ!」
「ハズレだ……」
「わりと当たりっぽいのに!?」
たしかに強そうだし竜みたいだしかっこいいのはわかる。けど、だからといって当たりとは限らないのが海の生き物の奥が深いところである。
「いや、だからどういう基準?」
「わからないかぁ……」
きっと水族館に
「それじゃあ私は……。……あーっ!!」
「どうしたの?」
花音ちゃんが私の手元を
「これ! 見て!」
「え!」
思わずテンションが上がってしまった私だったけど、その理由は
「……クラゲじゃん!」
私の手に握られていたのは、プラスティックでできた半透明のクラゲのフィギュア。そりゃ
「ははは。さすが
「すごい! 運命です!」
キウイちゃんとめいちゃんも、楽しそうに祝福してくれた。
「ヨルは持ってるねえ。ちゃんと大事にしなよ?」
けど私は、そこで一つ思っていた。
私はクラゲのフィギュアを、花音ちゃんに差し出す。
「え?」
「
そしてぽん、と、花音ちゃんが開いた手のひらの上に、それを置いた。
「……あずけておきます」
「っ!」
花音ちゃんはちょっと照れたみたいに私から目を
「……あれ? 花音、顔赤くないか?」
「なんですか、まひるさん
「ち、ちがうって!」
そんなふうに騒いでいる三人を見て、これで少しはいい雰囲気になったかなって、私は安心していた。けどめいちゃんって、同担拒否系のオタクなんだね……。
***
数時間後。
「DTM、完全に理解しました……っ」
「ほんとかよ……」
私がロフトの上で花音ちゃんと作業していたら、下からなんかすごい言葉が聞こえてきた。私も詳しくないけど、たぶんDTMってそんな簡単に完全に理解できるものではないと思います。
「終わったー?」
「おう、こっちはなんとかなりそうだ」
「おっけー!」
キウイちゃんがいいと言うならいいんだろう。そんなわけで私も一緒に下に降りる。四人でまた机を囲むと、花音ちゃんがいつもの手帳を開いた。
「じゃ、今後の予定決めてこ!」
そして花音ちゃんは当たり前みたいに、こんなことを言った。
「目指すはフォロワー一〇万人! ということで次の曲は、来週の水曜日までに出したいって思ってます!」
「「え?」」
「……はあ?」
私とめいちゃんの声が
「だから……予定に間に合わせるために、これから数日は毎日集まりたいなって!」
「ま、毎日、ですか?」
あんなにイエスマンだっためいちゃんも、やや困惑している。
「えーっと、花音ちゃん。私……明後日から普通に、学校があるんだけど……」
「そうだけど! 合間時間とかで集まろうよ!」
「いや……えーと……」
私が言葉に迷っていると、その表情を察したのか、キウイちゃんは真顔で花音ちゃんを見た。
「あのさ。……そんなのどう考えても無理って、私でもわかるぞ」
オブラートに包まずハッキリと。
けれどたしかに、そのくらいの無茶を言っていると私も思った。
「う……。め、めいは!?」
「ののたん、ごめんなさい……私も週に三回レッスンがあるので……毎日は……」
たぶん、私たち三人が言っているのは真っ当で常識的な言葉だ。けれど花音ちゃんの表情は次第に焦っていき、どこか不機嫌すら
「けど、それじゃ予定に──」
「いや、予定予定ってさ」
キウイちゃんの声にも、
「それって勝手にそっちが立てたもんだろ? 大体なんで水曜日なんだよ?」
「それは……」
「は、早いに越したことないでしょ! こうしてる間にも時間は過ぎてくんだよ!?」
「あのなあ……私だって、配信したり自分の動画を編集したり、やることはいっぱいあるんだよ。学校があるまひるとめいは、余計無理だろ」
キウイちゃんはイライラを隠さず、
「えーと……次の月末とかじゃダメなの?」
私からフォローするように、横から現実的な提案をするけれど、
「だけど、間に合わせないと……」
語尾が弱々しくなって、視線も床に落ちる。なのに意見はまったく譲る様子を見せないのが、なんだかチグハグに見えた。
「だーかーら。何回それ言うんだって。間に合わせるってなににだよ?」
キウイちゃんが説き伏せるように言う。
「一人で立てた予定にか? それが来月末じゃいけない理由は? 根拠は? ソースは?」
「それは……」
「事情がないならみんなに合わせるべき。レスバトル全戦全勝の私と言い争っても無駄だぞ。いまのは完全に
半分興がのってきたくらいの勢いで畳みかけるキウイちゃんの言うことは、たしかに正論で。にもかかわらず花音ちゃんがこうも譲らないのは、一体どうしてなのか気になった。
「花音ちゃん。気持ちはわかるけど……足並み合わせないと。みんな
「っ!」
私が言うと、花音ちゃんは表情を
「……わかった。私……コンビニ行ってくる」
「え、ちょっと──」
私の制止も
「ののたん!」
「なんだアイツは……」
「わ、私言い過ぎた……?」
私がそわそわと言うと、キウイちゃんは貧乏揺すりしながら、
「別に。元々そういうやつなんじゃないのか? あんな事件起こすくらいだし」
「キウイちゃん、それは……」
私は
「……悪い」
さすがに言いすぎたと思ったのか、キウイちゃんは素直に謝った。
「……あの!」
不意に声をあげたのはめいちゃんだった。私たちは、めいちゃんのほうを見る。
「来週の水曜日……でしたよね?」
『サンフラワードールズ再始動! ということで、来週水曜日にダブルA面シングルが発売されます!』
めいちゃんに見せてもらったのは、数日前に放送されていたらしい、ネットTVの音楽番組のアーカイブだった。
「なるほど……な。……まあ、帰ってきたらゆっくり話そう。対抗心ってことなら私もわからなくは──」
キウイちゃんが納得したように声を漏らすと、不意に。
玄関のほうから、ドアが開く音がした。
「ののたん!?」
めいちゃんが声をあげて、玄関へと向いて立ち上がる。
けれど、近づいてくるドタバタとした足取りは、
「花音~! 担当のストーリーに
入ってきたのは、私たちの知らない、栗色の髪の毛で派手なルックスのお姉さんだった。
***
数分後。
「あの背景、絶対
「大丈夫ですって。きっと裏切ったわけじゃないと思いますよ」
「助けて……私をこの沼から……」
なにやら話を聞いていると、ハマっているホストクラブのホストが別のお客さんと旅行に行っているのをインスタのストーリーに上げていただとかなんとかで、TikTokで千回見たホス狂ってやつの愚痴を生で見れて感激~、みたいな気持ちになっている。とても不毛な時間だ。
お姉さんは、心から感動したようにキウイちゃんの手を両手で握った。
「ピンク少女……あんた最高にいい女だよ……」
「……はあ」
キウイちゃんも苦笑していた。
「……で。君たち……誰?」
「順序おかしくないですか!?」
私は思わず、ツッコんでしまっていた。私の役割ってもうこれなのかな?
「ということで、一緒に音楽グループをやってまして……」
私たちが身分を明かすと、お姉さんは
「てことはつまり、
お姉さんは声を弾ませながら、冷蔵庫から取り出して飲んでいるスト缶の縁を指でなぞる。黒を基調としたゴスっぽいネイルが目に付いて、やはりTikTokでよく見た
「ぷはぁっ! そうかそうか~、ついにあの子にも……。あ、私は
「い、いえ……実は色々ありまして……」
私は濁しながら答える。
「いろいろ?」
「……実はさっき、
キウイちゃんが言うと、
「へえ! あの子が喧嘩!」
なんでずっと嬉しそうなんだろうこの人は……。
「……あ、あの! お姉さま!」
「お姉さま?」
めいちゃんが緊張しながらあげた声に、美音さんはただでさえぐにゃぐにゃな声を、さらに疑問形でへにゃっと曲げた。
「わからないことがたくさんで……聞かせてくれませんか。私の知らない、ののたんのこと」
めいちゃんの言葉に、私もはっとする。
「……私も! ……私も花音ちゃんについて、知りたいです」
すると美音さんは、くすっと優しく
「あー……そっか。……君たちなんだ」
「え?」
そしてまた勢いよくお酒を胃に流し込む。なんかすでにすごい酔ってるっぽいけど大丈夫なのかな。
「ぷはあっ。ううん、こっちの話。普通なら内緒だけど、いいよ。ピンク少女に借りもあるしね」
得意げにキウイちゃんを見ながら言うけど、キウイちゃんは「はあ」って感じで取り合っていない。
「あの子って、元々自分でアイドルやりたいって言ったわけじゃないんだ」
「そう……なんですか?」
私は聞き返して、話の先を促す。
「うち、
「……そうは見えなかったな」
キウイちゃんが意外そうに言う。私も同じことを思った。だってなんというか、炎上で引退して、金髪に染めて
「えーと。ってことは、アイドルに応募したのがお母さん、とかですか?」
私が尋ねると、
「えーと、それもちょっと違ってね」
そんな話を、めいちゃんだけはじっと黙って聞いていた。
「サンフラワードールズのプロデューサー・
その人こそが、うちの母親なんだ」
「プロデューサー……」
言いながら私はキウイちゃんと視線を合わせるけど、めいちゃんはじっと
「だからあの子は誰よりもストイックだったし、実際結果も出してた。けど、そのせいかグループではちょっと、孤立しててね」
私はさっき、私たちと
「それで……あの事件があったでしょ」
「事件って……メンバーを殴った、っていう……」
私の言葉に美音さんは
「あの子がなんであんなことしたのかは知らないし、事情も聞いてない。けど、引退してから花音はお母さんとも口をきかなくなって、うちに転がり込んできて。ずっと沈んでたのよ。毎日部屋にこもって、外に出たかと思えばエナジーバーと炭酸ジュースを買ってくるだけで。あんた、いつかホントに死ぬよ、って」
そして、また別のことを思い出したように、くすっと笑った。
「けど、近頃はどんどん活き活きしていったっていうか、前向きになっていって──」
「前向きに?」
めいちゃんが尋ねると、美音さんは窓から見える月を眺める。
「私が酔っ払ってここで寝てたらね。あの子が
それもきっと、私たちが知らない
「で、どうしようって? って聞いたらね、言うわけ」
美音さんは照れくさそうに
「『私最近……毎日が楽しすぎる!』……って」
美音さんの言葉に、吸い込まれていた。
「……私も仕事ばっかりで、寂しくさせちゃってるからさ。そっか、花音にもやっと、そーいう人ができたんだなって思ってさ。まあ……男じゃないのが意外だったけど」
酔いでぽーっと赤くなった頰には、けれど大事な家族の幸せを祈る優しさが
「……やばい、語りすぎて頭痛くなってきた……」
「や、単純に飲みすぎじゃないですか?」
キウイちゃんが冷静に言う。
「ごめん、花音の友よ、そこの缶取ってもらえる?」
私は目を合わせてお願いされるけれど、
「もう飲まないほうがいいですって!」
「うるさい! 酒に勝てるのは酒だけ!」
そして自分でスト缶を取って飲みほして、隣の部屋の布団にダイブして寝てしまった。もうなんでもありだな。
「この姉にして、あの花音あり、って感じだな……」
空になったスト缶を手にとって、からからと軽く振りながらキウイちゃんが言う。
「うん。……けど」
花音ちゃんが出ていった外を見る。
いまの話を聞いて、やっとわかった。
対抗心とか、向上心とかもあったのかもしれないけれど。

また、やっちゃったな。
一人で
コンビニから菓子パンとお茶だけを買って出たわたしは、街ゆく人を眺める。そういえば今日は
一緒に買ったお茶で、パンが水分を持っていった口の中を潤す。十一月の新宿の空気は冷たくて、菓子パンも冷たくて、お茶も冷たくて。こんな調子なら飲み物くらいは温かいものを買えばよかったな、なんて思うけど、あとの祭りだった。
わたしはいつも、自分がこうしたいと思ったら暴走してしまいがちだ。周りから見たらわがままに見えるかもしれないそれも、自分のなかではきちんと理由があって、もっといいものを作ったり、目標に向かって進むためだったりするんだけど、全部の気持ちを共有するのはなかなか難しい。気付けばわたしだけがやり直しを希望していて、そのせいでレコーディングが滞る、なんてことも珍しくなかった。
それでもわたしには歌う理由があったから、前を向いてやってこれた。いや、ひょっとしたらそう、自分に言い聞かせていただけなのかな。
「……寒い」
無意味に街を歩きながら、思い出す。
わかり合える仲間を見つけたかもしれない、って思えた
わたしはずっと、そんなことばかりを繰り返している。
ホストやぴえんやスーツの社会人や派手な夜職のお姉さんたちがごっちゃになる繁華街。夜の新宿を、
そんなとき。
『すご~い! ほっかほか!』
──
「……え」
映し出されているのはサンフラワードールズが出演している中華まんのCMで、見知った三人が仲よさそうに笑顔を作っていた。肉まん、あんまん、ピザまんを二つに割って、カメラに向けている。
湯気の立ったそれらは、見るからに温かそうで、
──寂しく、なさそうで。
かつての仲間たちは三つを同時に
『美味しい~!』
声を合わせて、幸せな笑顔を弾けさせた。
かたや自分の手のなかにあるのは、冷えきった菓子パンと、味気ない緑茶だけだ。
「っ!」
三人の表情を見ると思い出す。
『あの──もう一回歌っていいですか?』
自分の歌に納得のいかなかったわたしが、誰に言われるでもなくリテイクを希望して。
『ね、あそこって、ゲームの挿入歌の、しかも二番のところだよね?』
『ほとんど誰も聞かないのにね』
『なーんか、ののかだけちょっと、温度感違うよね~』
メンバーに
だけどわたしは、こだわりつづけることを、やめられなかった。
だってわたしには、歌う理由があったから。
誰かのために歌うっていう、前に進む理由があったから。
黒髪
ほんとうは、そうじゃないのかもしれなかった。
「わたし──なんにも変わってないなあ」
わたしはきっと、あの頃のままだ。
わがままを言って困らせて。それはたぶん元をただしたら、自分のためだった。みんなに評価してほしくて、誰かにわたしを必要としてほしくて、だから間違ったわたしが記録として残るのが怖くて不安で、みんなとぶつかりつづけてきた。
歌のため、グループのためとか言いながら。
結局はぜんぶ、わたしの欲望のためだった。
「……あーあ。帰れなくなっちゃったな」
つぶやいて、気がつく。
そっか。
わたしにはいま──居場所がないんだ。
ポケットに手を突っ込んで歩きはじめると、指先になにか硬いものが当たる。
そこから出てきたのは、クラゲのおもちゃだった。
「あ……」
──『
