俺は自分に言い聞かせながらも、YouTubeを開いてOBSも起動する。マイクの音量やキャプチャのズレなどを最低限確認すると、『早く起きた月曜日は』というタイトルで配信を始めた。

「おーっすお前ら! 今日は早く起きすぎたから学校いく前に配信してみたわけだけど……」

 視聴者がまだ集まっていなくても、常に喋しやべりつづけること。それが配信を伸ばす上での一つのコツだ。

 しばらく雑談をしていると、こんな時間だというのに思ったよりも視聴者は集まって、開始数分で三〇〇人を超える。

「おいおい、お前らこんな時間なのに集まりいいなぁ!? 早起きか?」

 するとコメントで『いや、むしろ夜更かしだろみんな』『Vの民の社不率なめるな』みたいなコメントが流れてきて、俺は苦笑した。

「ははは! お前らホントに終わってるなあ。それじゃどっちが多いかアンケ取るか! えー、『早起きした』『ずっと起きてる』……と」

 俺は慣れた手つきでアンケート機能を使用すると、それをリスナーたちに表示させた。

「ハイじゃあ締め切り~……って、ずっと起きてる82%!? 今日月曜だぞ? ニート率高すぎて草も生えん!」

 けどこういうスラムみたいな空間が居心地いいんだよな。現実と違って。

 俺はそこから数十分コメントと戯たわむれると、

「じゃ、俺はお前らと違って学校があるから。行ってきまーす」

 くっくっくと笑いながら、あえて雑に言ってやった。

「それじゃ──グッバイ世界!」

 お決まりの挨あい拶さつをすると、再びコメントのリアクションを確認して満足しつつ、俺は配信を切る。そして、無駄にくるくるとチェアを回してから勢いよく飛び降りると、はあ、とため息をついた。


 二年前にピンクに染めた髪をぐしゃぐしゃにかきながら部屋を出て、リビングに行く。今日母親はいないらしく、家には俺一人だ。絵画教室を併設している俺の家のダイニング脇わきの棚には、生徒が描いたイラストや彫刻、画材などがずらりと並んでいて、初めて来た人は落ち着かないだろう。テーブルの上にはラップをかけられた朝ご飯と千円札が置いてあって、俺は思わず舌打ちをしてしまった。

「スパチャで買えるって言ってるだろ……」

 声に情けなさが混じったのを自覚しながら、俺は椅子いすに座り、両手を合わせる。

「いただきます」


 食べ終わった俺は食器を流しに持っていき洗い物をすると、リビングのソファに座って、テレビをつけた。

 とはいってもなにか見たいものがあるわけではなく、朝の家に無音でいるのがなんとなく居心地が悪かっただけだ。俺はテレビの音をBGMにしながら、最近はまっているソシャゲを始めた。

 画面の中でロボットがモンスターを殴る。ひたすらにレベルを上げて攻撃力を高めれば高めるほど勝率が上がるという単純な世界観とゲーム性が逆に俺好みで、俺はここ最近、配信でもらったスパチャの一部をここにつぎ込んでいた。

「──っ! 油断した」

 やられても何度もプレイして、ライフがなくなると躊ちゆう躇ちよなく課金する。ソファでいろいろ姿勢を変え、服がめくれてへそやくびれが露あらわになっても俺一人だから気にしない。無駄に成長した胸のせいで肩が凝って仕方ないけど、もうそれは慣れるしかなかった。


 数時間が経過した。

 ソファに座ったままつけっぱなしになっていたテレビを見ると、平日お昼の情報番組が始まっていて、左上に映っている時計は十二時過ぎを示している。

 ……腹減ったな。

 立ち上がって冷蔵庫を開けると、そこにはお酒や調味料ばかりで食料はない。ならばと確認した自分の部屋の蓋ふた付つきバスケットには、チロルチョコが二つあるだけだった。

「……はあ」

 俺はやむなくチロルチョコを一つ取って口に入れると、黒マスクとキャップを着用する。黒地に蛍光色のデザインが施してあるパーカを部屋着の上から着ると、眉まゆをひそめながら外に出かけた。

 外に出るのって、何日ぶりだっけな。



 俺はコンビニでさくさくぱんだ、ねるねるねるね、ヤンヤンつけボーなどのお菓子を大量にかごに入れる。マリトッツォみたいな流行りのスイーツが目に入ったので舌打ちした。

「一万八三五円です」

「スマペイで」

 アプリを起動して電子通貨で支払う。スマホの画面に映った残高は、まだ二十数万ほどあった。

「ありがとうございましたー」

 お菓子だらけの大量の荷物を持ってコンビニを出ると、俺は前を見てビクッと肩を震わせてしまう。

 帰り道のほうから、同じ高校の制服を着た集団が歩いてきていたのだ。

「え……?」

 俺は咄とつ嗟さに駐車場の車の陰に隠れつつ、携帯で時間を見るが、まだ十二時半だ。じゃあ、なんで生徒がここにいるんだ。今日って午前中授業とかなのか? わからない。けれど、もし同じクラスの生徒だとしたら。見つかるわけにはいかなかった。

「なんで……」

 キャップを深く被かぶり、目を合わせないように歩く。

 距離が詰まり、すれ違う。そのとき額と鼻の頭には、じっとりと脂汗をかいていた。


「……ふう」

 そして無事部屋に戻ってきた俺は再びゲーミングチェアに座り、まひるから届いた動画用の素材を確認する。イラストと歌とピアノ伴奏と歌詞。そのビットレートなどを確認しつつ、俺は動画制作を開始した。

 やがて夕方。蒲かば焼やきさん太郎を食べながら配信画面を開き、俺はOBSで配信を開始する。

「みんなただいま! 聞いてくれよー! 今日学校で面白いことがあってさぁ……」

 こうして俺はまた、配信に噓うそをのせる。

 このことをまだ、まひるすら知らない。

「いつもの」

 私と花か音のちゃんが立つバーで、めいちゃんが優雅に注文している。

「いや、来店二回目だよね?」

 私が突っ込むけれど、花音ちゃんは当然みたいにめいちゃんにドリンクを出した。

「はい、トマトジュース」

「~~っ! 流石さすがののたん、ファンサのプロ……!」

 なんかもう勝手にやっててほしいな。そう思いながら私は適当に雑談をする。

「キウイちゃん、文化祭来てくれるかなあ」

「え、来ないの? 幼おさな馴な染じみなんでしょ?」

「そうなんだけど……高校入ってから一回も会えてなくて」

「え、ってことは二年もですか?」

 めいちゃんが驚く。

「うん。私は会いたいんだけど、キウイちゃん、忙しくなったみたいでさ。……去年の文化祭も結局お互い行けなくて」

「ふうん。ヨルのダンス、見てほしいんだけどなあ」

「こら」

 からかうように言う花か音のちゃんに、私はツッコミを入れる。

「二日目なんだっけ?」

「うん」

 花音ちゃんの質問に私が頷うなずくと、花音ちゃんは思い出したように質問を重ねた。

「てかさ、劇でやる天の岩戸……って話? なんで踊ることになるの?」

「えーと……なんか、太陽の神様が……どうとか」

 私が曖あい昧まいな説明をすると、めいちゃんが静かに語り出した。

「……太陽の神様のアマテラスさまが、ひょんなきっかけから、岩の洞どう窟くつに引きこもってしまうんです」

 驚いてめいちゃんを見る。

「詳しいんだ?」

「昔読んだので……こんな感じです」

 めいちゃんがスマホで検索した画像を見せながら、語り聞かせるみたいに教えてくれる。

「太陽の神様が引きこもると、世界から太陽がなくなってしまうので、困ります。だからほかの神様が岩の近くで楽しい演奏をして、変な踊りを踊って、アマテラスさまをおびき出すんです」

「あ、そうそう。先生がそんな話だって熱く語ってた」

「そしてまひるさんの演じるアマノウズメは──」

 言いながら、めいちゃんは三頭身くらいのコミカルな女性キャラクターが、全裸になっているイラストを私に突きつけてきた。

「胸などの大事なところをさらけ出して踊ります」

「私そんな役なの!?」


   ***


 それから十日くらい経って。今日は文化祭の一日目だ。

 うちのクラスの出し物はお化け屋敷だから、白いシーツを被かぶるだけというとても雑なお化けの格好をしながらも、私は自分の教室の前で受付をしている。

 すると、なんだか見覚えのある、かわいい制服が目に入った。

「すいませーん」

 目の前に現れた二人の他校の女子生徒。もちろん知らない人だったけれど、私はその制服にだけ、見覚えがあって。じっと見ていると──私は思い出した。

 制服がかわいいことで有名、と言われてめいちゃんに見せられた、キウイちゃんの高校の制服だ。ということはこの子たちはキウイちゃんと同じ、立たて北きた高校の生徒ということになる。

 ふむ、たしかに生で見ると余計、そのかわいさが際立つね。

「二名入れますかー?」

「大丈夫ですよ。あそこから次の生徒が出てきたら入場できまーす。こちらでお待ちください」

「やったー」

 と、そこで会話が途切れる。まあ受付とお客さんだし、話さないといけないわけじゃないから気まずいってほどじゃないけれど、私は単純に気になったので、それを聞いてみたくなった。

「あのー……立北の子ですか?」

「そうですよ! えっと、私たちも二年です」

 私のクラスのプレートを見ながら言う。立北の二年。ってことは、キウイちゃんと同級生だ。

「あ! 二年なんですね! それじゃあ……渡わた瀬せさんって知ってます?」

 なんとなくの雑談のつもりで投げたその質問。

「えーと……渡瀬?」

「あれ……知らないですか? あ! ほら、生徒会長とかやってる元気な女の子!」

「えーと?」

 まだピンとこないようだ。クラスが違うなら仕方ないのかもしれないけれど、ここまで話して通じないのは、想定外だった。だって生徒会長でキウイちゃんほどの人気者となれば、他クラスにも名が知れ渡っていてもおかしくない。

 なんてことを考えていると、女の子はもっと衝撃的な言葉を吐いた。

「……生徒会長って、溝みぞ口ぐちさんだけど……」

「……え?」

 どういうことだろうか。二人の勘違いか、それとも生徒会長が複数人いたりするのか。私は混乱しながらも、いろいろな可能性が頭を巡った。

「あ! 渡瀬ってさ、渡瀬キウイじゃない?」

 女の子の言葉に、私はぱっと顔を上げる。

「そうです!」

 けれど、私はその次の言葉を聞いて、ぽーんと大きな穴のなかに、突き落とされてしまうのだった。

「ああ。──あの不登校の!」


   ***


 文化祭初日を終えて、その日の夜。

 今日も私は、キウイちゃんと作業通話をしていた。

 だけど、お昼に聞いてしまった話。あのあと何度も学校名と名前を確認したけれど、間違いないようだった。二人が私に噓うそを言う理由なんてどこにもないし、渡わた瀬せキウイという名前が同じ学校内で偶然被かぶるはずもない。

 だったら間違っているのは……私がキウイちゃんから聞いている話のほうなのだろう。

「今日は五人でファミレス行ったんだけどさあ、なんと会計が丁度七七七七円だったの! 奇跡だよな~」

「そうなんだ。……すごいね」

 上う手まく、笑えているだろうか。

 私の頭のなかには今日のお昼に聞いたことばかりがリフレインして、キウイちゃんの言葉がほとんど入ってこない。

「だろ~? しかもドリンクバー行ったときにさ……」

 私にはもう、わかってしまう。これが、作り話であるということが。

 これ以上聞いているのは、苦しいと思った。

「……あのさ」

「んー? どーした!」

 いつもの調子で聞き返してくるキウイちゃんの声が、なんだか少し遠く聞こえる。

「今日さ。文化祭の一日目で──キウイちゃんの同級生と偶然会ったんだよね」

 キウイちゃんの言葉が、ぴたりと止まった。

「……聞いたってこと?」

「……うん」

「あー……。そっか」

 気まずい沈黙が流れる。私はこういうときに空気をリカバリーするのは上手いほうだと思っていたけど、さすがにいま、なにを言うべきかはわからなかった。

「…………って、なんだよ」

 絞り出すような、キウイちゃんの声だ。

「え?」


「すごいね、って……なんだよっ!」


 キウイちゃんの声には少しずつ、怒気が混じりはじめる。

「え……」

「いま話聞きながら、すごいねって……! 噓つきって思いながら言ってたのかよ……!」

「違う、そうじゃなくて……」

 けれど、反論しきることができなかった。だって私は実際、キウイちゃんの話は噓うそなんだろうとわかりながらも、話を合わせて相あい槌づちを打っていた。

「そうじゃないなら……なんだよ」

「えっと……その」

 無言から、苛いら立だちが伝わってくる。

 ガリッとなにかをかみ砕くような音が、通話口から響いた。


「──そうやってすぐ、人に合わせやがってっ!」


 そうしてぶつり、と通話が切れてしまった。

 まひるに怒声を浴びせてしまってから数分後。

 俺はベッドに倒れ込んで、なにも考えられず横になっている。

 ずっと誤魔化しきれるはずもなかった。いつかは知られることだなんてわかっていた。だけど、その覚悟ができてたわけではなかった。

「はは……自業自得か」

 乾いた声が漏れる。

 噓をついたのは自分で、その理由もただ、幻滅されたくなかっただけだった。だから俺は、自分を責める以外になにもしようがなかった。

「っ」

 嫌な汗があふれて、手足が冷たい。なにかを失ってぽっかりと空いたような虚むなしさが、俺の息を苦しくさせた。逃げるように部屋のドアを開けると、自分が情けなくなって、なにかから追い立てられるように、家を飛び出してしまう。


 俺が逃げていたもの。

 それはきっと、俺をつけ回してくる恥ずかしくてたまらない、黒い記憶だ。


 小学六年生の夏。勉強も運動もできた俺はまひるたちと同じ中学に行くことを選ばずに、中高一貫の進学校に行くことに決めた。早熟で発達の早かった俺は理解力や身体能力において周りよりも頭一つ以上抜けていたから、人とは違う選ばれた道に進むべきだと本気で思っていた。そして実際、俺は中学受験用の問題集を何周かしたくらいで、あっけなく名門である立たて北きた中学に受かってしまった。

 思えばきっとこれが、最初の選択ミスだったのだと思う。


 自分は才能があって、努力しなくてもなんでも出来る特別な存在で、なんてことを当たり前みたいに信じていたし、実際にそう思ってもおかしくないくらいの結果を出していた。母親たちが作る狭いコミュニティでは神童なんて呼ばれることだってあったし、それが全能感につながってなんにでも挑戦できて、しかもたいがい上う手まくいくものだから、余計に俺の自意識を肥大化させた。

 それが通用していた小学生のころはよかった。

 初めにおかしいなと思ったのは、中学一年生の春、入学式のあとのホームルームだった。


「本もと山やま侑ゆう子こです。テニス部に入ろうと思っています。よろしくお願いします!」

 生徒が名前の順に自己紹介をしていて、けれどみんなただ名前とよろしくの挨あい拶さつに、趣味やがんばろうと思っていることを一つ添えるくらいの、つまらない内容だった。俺はこういうときにどうすれば笑いを得られて、なにを言えば受け入れてもらえるかを知っていた。だからこうして自己紹介で退屈な言葉ばかり並べるクラスメイトたちを、これから自分に付き従うことになる、地味な人間たちとしか思えてなかった。

 だから。

 自分の番が来たとき、俺はガタンと勢いよく立ち上がり、こんなことを言ってしまったのだ。


「──どぉーもみなさん初めましてっ! 私の名前は渡わた瀬せキウイ! この世界の主人公! このクラスのこともガンガン盛り上げていくつもりだから、よろしくな!」


 浴びるはずだった歓迎と拍手と憧あこがれの眼まな差ざしは、どこからも湧わいてこなかった。

 代わりに浴びることになったのは、困惑と沈黙と奇異の目と、そして──疎外感だ。

「……はーい。元気があっていいな。それじゃあ次の人」

 おかしいな、そう思った。

 だけどこうしてスベることがいままでなかったわけじゃない。それがたまたま一発目に来てしまっただけだろう。初めての相手ばかりだし、一度くらいならそういうことがあってもおかしくない。これから少しずつ俺の面白さを──渡瀬キウイこそが最強だってことを、わかってもらえればいいしな。

 一回の失敗くらいじゃ砕けないくらいに積み上がっていた空虚な全能感は、俺の恥ずかしい歴史を、ことさらに積み上げていくことになる。



 同じ日の休み時間。これで人気者になること間違いなしだと思いながら、俺は秘蔵のヒーロー設定帳をみんなに見せている。

「ほら見てくれよこれ! エネルギーをスピンで増幅っ!」

 いつものように調子のいい声で、ノートの紙をパラパラとめくって、アニメのように見せる。家が絵画教室をやっていて、その生徒たちのなかで誰よりも上う手まかった俺の絵は、新しいクラスメイトたちにとっても刺激的なもののはずで。

 賞賛、羨せん望ぼう、嫉しつ妬と。

 そんなものを全身で浴びながらも、俺はこの学校でも最強になるはずだった。

 ──だけど。

「あはは……すごいね」

「へ、へえ……」

 そのリアクションに感情がこもっていないことは、全能感で冷静さを欠いている俺にもわかった。

「……あれ?」


 焦ったように翌日、俺は自分の最強フィギュアコレクションのなかでも一番派手で、レアで、大きなフィギュアを学校に持っていった。

「み、見てくれよ! これ」

 声から少しずつ、自信が失われていくのが自分でもわかった。これも受け入れられなかったらどうしよう、いや、そんなわけがない。自分に前向きな言葉を言い聞かせるけれど、言葉が少しずつ上滑りしていくのを、俺は感じている。

「なにそれ……怪獣?」

「渡わた瀬せさんって、趣味変わってるね」

 下腹部のあたりのどんよりとした不安感が、鈍い痛みに変わっていくのがわかった。


 そうして俺は放課後、好きなTikTokerだとか、ファッションだとか、美容法だとか、そんな噓うそくさい話題で盛り上がるクラスメイトたちがグループを作ってメンバーを固定化させていくなかで、どのグルーブにも馴な染じむことができないで。

 俯うつむきながら、一人で下校していた。


「どうしよう……変、だな?」



 その日の夜。

『ねーキウイちゃんどうしよう。私全然仲いい子いないクラスになっちゃってさ! いきなりデビュー大失敗しそうなんだけど~!」

「はは、そうか」

 電話でつながったまひるが、いつもみたいに、俺に甘えてくる。

 俺だけが唯一の支えみたいに、遠慮なく体重を預けてくる。

「なんでキウイちゃん違う学校行っちゃったのー! 私明日からどうしたら~!」

「まったく……相変わらずまひるは私がいないとダメだなあ」

「もう~そうなんだよ~」

 心地よかった。

 自分の存在と、価値がまるごと否定されたような一日を過ごして。

 けれどまだ自分のことを主人公だと思ってくれているまひるの言葉。誰かの最強ヒーローでいつづけられるこの場所が、全能感を保ったままでいられる関係性が、俺を満たしていった。

「ねえ! キウイちゃんはどうだった?」

 だから、まひるのその質問に──俺は。

「私はさ……」

 きっと本当の意味での『竜りゆうヶが崎さきノクス』は、この瞬間から始まったのだ。


「──もちろん余裕だったぞ! 早くも学校の人気者間違いなし!」


 作り笑顔は引きつっていて、冷えた汗が脇わき腹ばらをつたう。

 だけど、声だけはいつもみたいに明るく、かっこいいヒーローみたいに。

「おおー! やっぱり、キウイちゃんはすごいなあ」

 罪悪感もあった。自分に対する嫌悪感すら生まれた。

「おう! だって俺は、最強ヒーローだからな!」

 だけどそんな罪の意識は、強い言葉を繰り返していくうちに。

 治っていない傷に麻酔を打つように、緩やかに麻ま痺ひしていった。


 黒い記憶のなかから、現実に帰ってくる。

 俺はフードを被かぶって、俯うつむいて、相変わらず冷えた手のままで。夜の街を一人で徘はい徊かいしている。

 渋しぶ谷や。まひるが迷ったときにそうしていたように、俺も引き寄せられるようにこの場所に来ていた。


 ──「子供かよw」

 ──「痛すぎだよなぁ」


 嘲あざける声が、聞こえた気がした。

 煌きらびやかなブランドものを身につけた若者たちが、薄っぺらな笑い声を上げながら、街に流されている。げらげらと自分の居場所を主張するように響くその笑い声は、品のない、軽薄な響きを持っていて。つまらない、くだらない、一体お前らはどれだけ、自分の好きに本気に生きられてるんだ。


 ──「俺が主人公!」

 ──「いや、女が俺ってw」


 それは幻聴なのか、それともたまたま聞こえた声が、自分に突き刺さっただけなのか。思考と現実の境目が、わからなくなっていた。

 だけど、背筋を伸ばして大きな声で笑う群衆に対して、俺は体を縮こまらせてしまう。居心地が悪くて、悔しくて、情けなくて。いつもやっているスマホゲームを始めて、その世界に逃げ込んでしまう。こんなことなら初めから、外になんて出なければよかったのだ。

 ろくに前も見ずにソシャゲの画面を睨にらみつけて、超必殺技のボタンに親指を当てつけみたいに強く押し込むと、重課金で全身がギラギラに装飾されたヒーローロボットが、俺の代わりに道行くモブの敵キャラにミサイルを次々と撃ち込んで、画面を死体と瓦が礫れきの山に変えていく。ゲージがなくなったらすぐに課金して、俺は爪つめの先が白くなるくらいに強く、何度も何度も、親指を画面に押しつける。

 唇を嚙かむと、じんわりと鉄っぽい味が、口の中に広がった。


「生きづらい、生きづらい、生きづらいっ!」


 90520。

 120642。

 6246273。

 9902184。

 15662998。

 99999999。

 99999999。

 全力で駆け上がるみたいにダメージがインフレしていって、俺がスパチャで貰もらったお金は、歪ゆがんだ世界をぶっ壊すための破壊兵器へと変わっていった。


「私は……っ、私はなんにも変わってない……っ!」


 俺はただ、ヒーローでありたかった。

 かっこよくて、背が高くて、ガタイがよくて、力が強くて、みんなから頼られて。

 肝心なところで助けにやってきて、名前も言わないで立ち去るような、理想のヒーローに。

 そんな夢を昔からずっと、ブレないで、持ちつづけているだけなんだ。


「勝手に変わったのはみんなのくせに──っ!」


 怒りとお金で、世界を破壊していく。数十万円あった電子マネー残高が、みるみる減っていく。世界があっという間に、瓦が礫れきに変わっていった。

 全部を、本当に全部を壊したかった。

「っ!」

 不意に、勢いよく人にぶつかる。俺はその場に倒れて、座り込んでしまった。

「す、すいません」

「いってえ……どこ見て──」

 迷惑そうな声の主は二十代くらいの金髪の男で、けれどその態度は、なめるように俺の体を見た途端に一変した。

「……って、かわいいじゃん。一人?」

 心の底から、嫌悪が沸いた。

 世の醜い横っ面を、ぶん殴ってやりたかった。

「──そういう目で見んなっ!」

 感情むき出しで叫んで手を払い、俺は駆け出す。

「くそ……っ、くそ!!」

 惨みじめだった、悔しかった、なのにどうしようもなかった。

 俺はただ、ヒーローになりたかった。ただそれだけだった。

 なのに。

 背が低くて、童顔で、色白で、胸が無駄に大きくて、腰がくびれて、太ももが肉感的で。

 きっとあの男に組み伏せられたら抵抗できないくらいに、力が弱くて。


 こういう体に生まれたというただそれだけで、あんな中身のない男に一目でナメられて、薄っぺらな欲望をぶつけられて。


 こんなものが──俺のなりたかった自分であるわけがないんだ。


「──あああああぁぁぁぁあああぁぁっ!!」


 お前が間違ってるんだって、何度も言われた。ひねくれ者だねって、くすくす笑われた。ふざけんな。お前らが周りに迎合して、信念を曲げて、自分を騙だまして生きてるだけだろうが。俺は昔からずっと、生まれてこの方一度たりとも、ひねくれてなんかいない。俺の根っこは絶対に、小学校のあの頃から一つだって、変わってないんだ。

 男女関係なく遊んで、壮大な夢を語って。俺たちの平穏を荒らす敵が現れたら、みんなを率いて戦って、居場所を守って。勝利を祝いながら、無茶して転んで怪け我がしたことを、勲章みたいに讃たたえ合って。

 みんなで安いアイスを買って一緒に食べながら、暮れてきた夕陽を眺めて、一日が終わることを寂しがる。

 それのなにが変なんだ。

 それのどこが、ひねくれてるんだ。

 自分に噓うそをついてるのは、絶対に俺じゃない。

 世界で俺だけが純粋で、お前らが全員ひねくれてるだけだ。


 俺は世界に対して噓をつきつづけているけど──

 自分にだけは絶対に、噓をついてない。


「間違ってんのは……っ、お前らの方だろうがッ!!」


 叫び声は夜空に消える。引きこもって運動不足の体はあっという間に音をあげて、乾いた空気が締めつけた喉のどからは、きぃきぃと喘ぜん息そくのような音が鳴った。そんな状態で叫んだもんだから、俺の体は情けないことに貧血を起こしてしまって、ふらふらと近くの壁に体重を預けるしかなくなってしまう。

 見あげた視界の端に映ったのは、カラフルなクラゲの壁画だった。

「……はは」

 そっか。気がついたら俺も、ここにいるんだな。

 俺が初めてあいつに絵で負けた、記念すべき壁画。

 それでもまひると一緒にこの壁画の色を塗ったときの記憶は、いまでも鮮明に思い出せるくらいに、カラフルだった。

「あいつ、くっつき虫だったくせに」

 くすっと、笑みがこぼれる。

 ずっと俺についてきて、俺をヒーローだって心の底から信じてくれて、俺のことを最強だって、何度も何度も讃たたえてくれて。

 そんなあいつの隣が、いつでも心地よかった。


 俺はあいつに、噓うそばっかりついてきたけど。

 あいつの中にいる俺こそが、俺が本当になりたい俺の姿だったことを思うと──


 きっとまひるに対してだけは、誰よりも正直な自分として、接することができていたのだ。


 クラゲを背もたれにすると俺は地面に座り込み、ゆっくりと空を見上げる。

 見上げた空に浮かぶ月は、まん丸からは少しだけ、なにかが欠けていて。

 なんだかこの世界が息苦しい俺に似てるな、なんてことを思った。


「──私の最後の居場所、なくなっちゃったなぁ……」

「おねえちゃーん、なにして……って、懐かしい!」

「こら佳か歩ほ、人のスマホの画面を勝手に見るな」

 自宅のリビング。

 相変わらずプライバシー意識が低すぎる佳歩を小突くと、私は視線をスマホに戻す。

「キウイちゃん、面白かったよねー。また遊んでほしいなー」

 そこに表示されているのは、あのころ完成したばかりの壁画の前で、私がキウイちゃんと一緒に撮った一枚の写真だ。

 キウイちゃんとの通話が切れてから私はすぐにメッセージを送った。それから二時間くらい経ったけど、まだキウイちゃんとは連絡がとれていない。

 だけど私は怒っているわけでも、呆あきれているわけでもなかった。

「……いよぉーっし!」

「うわぁ!?」

 私が決意して突然立ち上がると、佳歩が驚いて尻しり餅もちをついた。


   ***


 翌日。文化祭二日目のお昼時。

「やっほーヨル! 来ちゃった!」

「お、おつかれさまですっ!」

 マスクをつけた花か音のちゃんと、いつもどおりの格好のめいちゃんが、うちの高校に遊びに来てくれた。……のだけれど。

「……ヨルって?」

 クラスメイトがきょとんとして言った声に、私はぞっとする。

「~~っ! ……花音ちゃん、ここでヨルって言うのやめて~っ」

 インターネットの活動名をリアルで堂々と言われるのは恥ずかしいって知らないのかな。私は小声で懸命に主張するが、花音ちゃんはまた普通の声量で、

「なんで? ヨルはヨルじゃん」

「ヨルはヨルだけどまひるでもあるの~っ」

 小声で叫ぶという矛盾した発声で異議を唱えながら、花音ちゃんを壁際にぐいぐい押し込んで誤魔化す。

「誰あれ?」「さあ。けどめちゃくちゃかわいいな」

 花音ちゃんたちのほうを見てクラスメイトが噂うわさしている。花音ちゃんはアイドル時代で慣れているのか気にしていない様子で、めいちゃんはなぜかすごく感心していた。

「さすがののたん……やっぱりマスクをも突き抜ける魅力が……」

「めいのことも言われてると思うけどね?」

「どういう意味ですか?」

 めいちゃんはきょとんと首を傾かしげる。めいちゃんって自分ではあんまり意識してないみたいだけど、背も高くて色が白くて、ちょっと日本人離れした目鼻立ちをしてて、正直花音ちゃんと同じくらい目立つもんね。う、それと比べて私は……。

「まひるの友達?」「っぽいよね」

 しかし花音ちゃん、マスクをつけているとはいえ、めちゃくちゃ目立ってるのは大丈夫なのだろうか。まあけどアイドル時代と服装も髪型も違ってて、マスクもしてるなら気付く人はそういないか。

「いよいよ本番だね」

「うん……不安しかない」

 私が素直に言うと、花音ちゃんがあははと笑う。

「ののたんと初めて一緒に見る演劇、楽しみです……!」

「楽しみなのそこなんだ……」

 めいちゃんは相変わらずだった。花音ちゃんはこういうオタクに慣れているのか、「そうだねー」とか言ってニコニコ対応している。プロだ。

「……あのさ、二人とも」

 私が切り出すと、二人の視線がこちらに向いた。

「ちょっと、頼みたいことがあって」

 言いながら私は、三脚とスマホを二人に渡した。



 一時間後の体育館。

 私は舞台袖そでで吹奏楽部のパフォーマンスを見ながら、決意を固めていた。

 これが終わったら私たちの演劇が始まる。

 金管楽器が最後の音を鳴らし、指揮者がお辞儀をすると、拍手が楽隊を賞賛する。

『吹奏楽部のみなさん、ありがとうございました』

「まひる、ふぁいと!」

「うん、ありがと」

 後半に通行人役として出演するチエピが私の肩を叩たたいて、私はそれに笑顔で答える。けれどチエピはたぶん、これから私がしようとしてることは知らない。ちらりと幕の隙すき間まから観客を確認してみると八割くらい人が入っていて、花か音のちゃんとめいちゃんは私が頼んだとおり──三脚にスマホをセットして、舞台を映してくれている。

『続いては、二年一組による演劇「現代版・天の岩戸」です。え? あ、これも? えー、脚本は村むら西にし先生です、では、どうぞ!』

 村西先生に著者をアピールするように頼まれた可か哀わい想そうな文化祭実行委員のアナウンスを聞きながら、私は覚悟を決めて、舞台に飛び出した。

 頭が痛い。

 目を覚ましたらお昼を過ぎていたなんてこと、俺にとっては珍しくないんだけど、今日はなんだかいつもよりも罪悪感があった。

 いままではこの時間、まひるのなかの理想の俺が、現実の俺の代わりに学校に行っている感覚があった。誰かの中で理想の自分が、ヒーローでいられている。そう思えたら、少しだけ学校に行っていない罪悪感が薄まった。

 けどいまはもう、まひるのなかでの俺も、学校に行っていない。そう思うと理想の自分がどこかに消えて、この世界に自分が嫌いな自分しかいなくなってしまったように思えて、たぶんそれがつらかった。

「……ん」

 ふと、スマホの通知に気がつく。

 届いていたのは、Discordのまひるからのメッセージだ。

「アドレス?」

 そこにはYouTubeライブのURLが貼り付けてあって、表示されたサムネの情報によると、どうやら非公開ライブになっているみたいだ。配信しているチャンネル元は──JELEEジエリーチャンネルだった。

「……なんだ?」

 気になったけれど、非公開ライブだから、視聴者を見るだけで俺が入ったことがバレてしまうかもしれない。けど、直接通話に出たりチャットをするよりはだいぶ気が楽で、まひるも結構、引きこもりのことを理解してるってことなのかな。

 俺は少しだけ気合いを入れると、そのアドレスを開いた。

 すると。


『そして、次に岩の前に出てきたのは、アマノウズメでした』


「……まひる?」

 ライブ映像には、体育館と思われるステージの上で踊る、まひるの姿が映し出されていた。


『でってこーい、でってこーい、るんりるらるー』


 まひるは全身を使ってコミカルな、なんかMPでも吸い取られそうな踊りを、必死に踊っていた。会場からは失笑混じりの笑い声が漏れていて、まひるってこういうの、一番苦手だったはずだよな。


『でってこーい、でってこーい、るんりるらるー』


 顔を赤面させながら、全身を大きく使って、大声で叫んで。

「なんだ、あいつ……」

 俺がぼそりとつぶやきながら、ふっと笑みが漏れてしまった。

 こんなものを俺に見せて、あいつはなにが──


『アマテラスさま!!』


 まひるが必死に踊りながら、カメラ越しにこちらをじっと見たような気がした。


『どうかその暗いところから、出てきてください!』


 まひると目が合ったような気持ちになって、胸が跳ねる。曖あい昧まいながら知っている天の岩戸の物語からいって、このセリフは実際に台本にあってもおかしくないものだったけれど、俺の現状を指摘する言葉にも思えて、聞き流すことができなかった。


『アマテラスさまが引きこもっていると、私の世界は!』


 まひるはステージを走り回って、息を切らしながら叫ぶ。

 踊れば踊るほど会場の笑いは大きくなって、その痛さが俺の心に刺さってくる。

 汗が飛んで、ドタドタとした情けない足音が響く。


『私の世界は! 暗いままなのですっ!!』


 唇を結ぶ。俺はきっと、心を動かされている。


『だから、アマノウズメは必死に踊りました。出てきてくれ、出てきてくれ、と。

 あなたは私たちの、太陽なのだ、と』


 他の生徒が語るナレーションをバックに、まひるはさらに激しく跳ねて踊る。


『ああっ!』


 足を縺もつれさせて転ぶ。それを合図に、まひるは文句なしの笑いものになる。

 だけど俺はもう、笑っていなかった。


『っ!』


 手をついて、衣装を乱しながら立ち上がったまひるは、再び笑われるためだけの舞いを踊りはじめた。

 汗で前髪が濡れて、情けなく額に張り付いて。まひるの表情はコミカルに、みっともないものになっていく。乱れた衣装は遠目に見たら半裸に見えそうですらあって、きっと多くの男子生徒の好奇の目を呼んでいるだろう。

 それが会場の笑いをさらに生んでいて、間違いなくそれは、物語には合っている。

 だけどやっぱり、人の目を気にして、浮かないように笑われないように生きてきたであろうまひるにとって、一番避けたいことのはずだった。


『アマテラスさま! あなたは──っ!』


 そして和太鼓のようなBGMが終わると、まひるは──

 俺が見ているこのカメラを、いや、ひょっとするとその向こうにいる俺を見て。

 こう叫んだ。


『──あなたは、私にとってのヒーローだから!』