10章 『聖女ではない私に出来る事』


 私は2年前まで光魔法を操り『聖女』などと呼ばれていました。

 だからこそ確信しています。

 薬学で体力を回復させる事が出来ても、呪いを自ら打ち破る事は不可能である事を。

 ネクロノミコンの吸精を受けて眠らされている村人は総勢23人、私の魔力と生命力を駆使すれば、何とか全員の呪いを受け入れる事は出来るはず。

 聖女として役に立たない私が皆さんを救う手立ては、それしかないのですから。

 自らの犠牲で人々を救う。

 それはまさに自分如きが望むべくも無い聖職者として最高のしゆうえんです。

 大元の魔導書さえ始末すれば呪いは全て消えますが、それは現実的ではありません。

 呪いの元になった本体、魔導書がいつまでも村にあるワケが無いのですから。

『なんとしても、サキュバスさんに呪術転写を施して頂かなくては……』

 そうなのです。それが最良の選択のはずなのです……なのに。

 あの人は、ジンさんは私の行いを『愚か』と切り捨てました。

 最初は意味が分からなかった。

 でも、その言葉の意味を理解できない程、私も愚かにはなれませんでした。

 いえ、ジンさんに言わせれば〝この決断をする事こそ〟愚かなのでしょうね。

 聖女として力を失ってから……もしかすると光魔法を行使するようになってから初めての事だったのかもしれません。

 私を『聖女』としてではなく、『マリーベル』として見てくれた人は……。

 自分が周囲に与える印象すら利用して露悪的に振る舞い、聖女としての価値の無くなった私を助けてくれた、態度とは裏腹に温かい心を持つ不思議な人。

 あの人は自身に起こった特殊な状況にもかかわらず、自分の事を顧ずに私の事を優先的に考えていてくれました。

 森の中でも、村に入った時も、坑道内で気を失った時でさえ……。

 そんな私が、守ろうとしているあの人に向かって自身を犠牲にする事を口にした。それは彼に対する侮辱にもつながるのでしょう。

 そう思うと感謝と後悔が湧き上がり、どうしようもなく胸が締め付けられます。

「でも、私に残された救済の方法は……もうコレしか」

 私は魔術専用の特殊な染料で魔法陣を自身の体に描きます。

 最初は入り口になる所、丁度心臓の上辺りへ闇魔法特有の魔法陣を……。

「これで呪術転写は可能になるはず……私一人の犠牲で大勢の人々が救われる……」

 コレが聖女と名乗った自分の役目、未練など無い、無いはず……なのに。

「ジンさん…………ごめんなさい……」

「早まるな、マリー!!

 突然部屋の扉が勢い良く開かれ、昨夜は帰ってこなかったジンさんの声が聞こえました。



 昨日は完全にケンカ別れだったから少々気まずい思いもあったが、ユメの『大丈夫大丈夫』という適当なアドバイスに乗っかる感じで教会の一室の前まで来た。

 しかしノックする事すら躊躇ためらっている俺だったが、聞こえて来た彼女のつぶやきに焦った。

「ジンさん…………ごめんなさい……」

「早まるな、マリー!!

 自己犠牲で人を助けようという彼女が、今まさに決定的な何かをやろうとしている!

 俺は慌てて部屋の扉を勢い良く蹴り開けた。

 そして目にしたのは……目を丸くして驚く、姿見の前で染料で体に何かを描いている〝全裸〟のマリーのあられもない姿。

 姿見の角度のせいで、体の正面は見えない……しかし透き通るような肌色、れいな後姿は完全に目に焼きついてしまった。

「あ…………

「あ…………

 思考停止、数秒間顔だけこちらに向けたマリーとそのまま見つめ合う格好になってしまったが、徐々に全身を真っ赤にした瞬間、彼女は聞いた事も無い大絶叫を上げた。

「キャアアアアアアアア!!

「すみませんでしたああああああ!!


 数十分後、俺は異世界初の土下座を敢行していた。

「さすが私のご主人様。現実で軽々とサキユバスの淫夢を超えてくるとは……」

 そしてさっきからユメはしきりに感心したようにうなっている。

 サキュバスとしての感性かもしれんが、感心するところじゃないだろう。

 どうやらマリーは呪術転写に必要な魔法陣を体に描いていた最中だったらしい。

 チラリと様子をうかがうと、真っ赤になりつつも複雑な顔を浮かべるマリーと目が合った。

「本当に……申し訳ない! この償いは必ず」

「も、もういいですからお顔を上げて下さい……私は気にしてませんから」

 いや、いくら天然なマリーでもそれはないだろう。

 本当なら怒りたいのに俺に対して怒るに怒れないような。

 ……何と言うか、俺以上に昨夜の事を気にしていた様子がヒシヒシと感じられるな。

「あの……ジンさん、昨夜は……その」

 思ったとおり彼女も彼女で罪悪感に潰される思いだったようで、真っ先にしようとしているのは謝罪のようだ。

 方向性は違うけど同じ思いを彼女もしていた事が、少しだけうれしくなる。

 でも俺は彼女の謝罪の言葉を聞こうとせず、何でもない事の様に、昨日の事など何も無かったように食事に誘う気楽さで言い放つ。

「教会前広場に置いたゴミ、マリーが処分してくれよ。俺じゃどうしようもないからな」

「え? ジンさん、あの……」

 それしか言わずに教会前の広場にマリーを誘導すると、彼女は広場のど真ん中にポツンと放置されている一冊の本を目にしてきようがくのあまり立ち尽くした。

「こ、これは……まさか……まさか!?

 魔法が使えないとは言っても『光属性の魔力』を失ったワケではない。

 光の魔力を有する彼女には相反する『闇属性の魔力』もハッキリと見えているらしく、ソイツの名前を即座に言い当てた。

「魔導書ネクロノミコン!? ジンさん、一体コレをどこから!?

「ああ、何か昨日散歩していたら偶然見つけてな……」

 それがウソだという事は幾らなんでも分かるのだろうな。

 軽口をたたく俺を見据えたまま、マリーは瞳から大粒の涙をこぼし始める。

「なぜ、ですか……なぜ、私などの為に……こんな傷を負ってまで……」

 マリーの言葉で俺は自分の体に細かい傷をすうしよ負っていた事に気が付いた。どうやら全て交わしたつもりでも何回かはかすっていたらしい……うーんかっこ悪い。

「……泣くなよ、俺は大した事はしてねーんだから」

「でも……でも……聖女でも何でもない私なんかの為に……」

 俺の姿を目にして泣き止む様子の無いマリーに、ガラではないとは思いつつハンカチで零れる涙を拭いてやった。

 本当にガラじゃない……さっきから緊張で手が震えて、心臓がドキドキしっぱなしだ。

「単なる役割分担だよ。闇の魔導書の処分は俺にもサキュバスにも出来ねーんだから、最後の一仕事はお前にやってもらわねーとよ……それに」

 俺は昨日彼女に言えずにいた事を口にする。ユメに言われるまでもなく、マリーに伝えておかなくてはならない本音を。

「お前が何を言おうと、過去にどんな事があっても、俺にとってマリーベルってシスターはな、初めて俺の目を見て話してくれたスゲエ奴なんだよ」

「……え?」

 意味が分からないのかひたすら戸惑いの表情を浮かべるマリー。だが俺にとってコレだけは譲るつもりの無い真実。

 彼女は、マリーは恐れず、偏見も持たず、ただ俺の目を見てくれた初めてのひと

 日本でも異世界でも、今まで会う事の無かった存在だ。

 突然ワケの分からない世界に放り出された俺にとって、その事がどんなにうれしかったか、どんなに救われた事か。

「誰であっても、たとえお前であっても、『マリーベル』への侮辱はこの俺が絶対に許さねーからな」

!?

 それは俺にとって偽らざる本音。その事に関しては誰の意見も受け付ける気は無い。

 それが、本人であってもだ。

 マリーは俺の言葉にしばらくぼうぜんとしていたが、しばらくすると、柔らかく笑った。

「……分かり、ました。後は私が引き受けましょう」

「ああ、トリは任せた」

 マリーは広場に置かれた『ネクロノミコン』に向かうと、もう一度、俺に振り返った。

「ジンさん……」

「ん?」

 そうすると、マリーは俺の顔を正面から両手でつかんでコツンと自分の額を俺に当てた。

 それはシャイナ・ロウ教会の信者が行う『親愛』の証。

 心から信頼に値する人物にのみ行ういわゆる『祝福』の行為。

「……ありがとうございます」

 突然のスキンシップに呆然とする俺にマリーはニッコリと笑った。

 それは聖女としての笑顔とも『守りたい』と思った柔らかい笑顔とも何もかもが違う、まさに『誰にも見せたくない』笑顔。

 その瞬間、俺は彼女に何かを持って行かれた気がした。

 それが何なのか、形容する言葉は見つからないけど。


 マリーが地面に放置された呪いの魔導書を手に取ると、瞬間的に闇の魔力が黒い影となって襲い掛かって来た。

 しかしその光景に慌てる俺に対して、マリーは取り乱す事も無く全身から放たれた『光の魔力』で黒い影の全てをはじかえしてしまった。

「コレが、マリーの光属性の魔力……」

 光魔法が使えなくても彼女の持つ『光の魔力』は失われておらず、『邪悪な意思を持つ直接攻撃』は全て弾き返してしまうらしい。

 使い勝手の悪いバリアではあるが、その為にマリーは『呪いの道具』に対して100%の耐性を持っている事になり……ぶっちゃけ魔導書も単なる本と変わりがないんだとか。

「無駄ですよ『ネクロノミコン』、偉大なるシャイナ・ロウ様の加護を受けた我等信徒に邪悪な呪いなど」

 いつもとは違う、冷徹にも聞こえる声でマリーは魔導書にそう告げて、指先から彼女が現在唯一使えると言っていた光魔法『灯光球ライト・ボール』を生じさせた。

「本来呪いの浄化は高度な光魔法でなくては不可能です。しかし呪いを発生させる本体さえ押さえてしまえば、最下級の灯光球ライト・ボールであれど……」

 闇の魔力が干渉できない光の魔力保持者が扱う魔法はいわば〝浄化の光〟。

 マリーがそう言いながら光の球を魔導書に近づけると、常人では燃やす事すら出来ない闇の魔導書がアッサリちりと化して消滅して行く。

 瞬間、底冷えするような奇声が辺り一面に響き渡る。

『ギヤアアアアアアアア!! おのれおのれええええ!! 教会の犬があああああ!!

 そして叫びと共に一冊の本から発生したとは到底思えない光が立ちのぼり、同時に光の中にもんに満ちた禍々しい顔が浮かび上がった。

 それはロロイプールの村人を苦しめ続けたネクロノミコンの断末魔。

『口惜しいぞ!! もう少しで、もう少しでこの村から偽りの神を排除できたというのに!! シャイナ・ロウの聖女めええええええ!!

「……口を慎みなさい、私は聖女などではありません、ただのワガママな小娘です。さあ、お帰りなさい……貴方が帰るべき場所へ」

『グオアアアアアアア!!