8章 『私は……聖女じゃない』


 ロリサキュバスが泣き止んだ頃合で、俺たちはひとず教会へと戻る事になった。

 今度は急に消える事も無く彼女も一緒に戻る事になり、何故か現在は俺の手を握ってニコニコと横を歩いている。

 ……見る人が見たら本当に幼女を連れ去ろうとする怪しい男に見えないだろうか?

 マリーも付いてきてはいるが、さっきから後ろを黙りこくったままうつむきながら歩いている。どうかしたのか?

「なあ、お前が重ね掛けた眠りの効果で呪いの発現が遅くなったのは分かったけどよ、実際どのくらいの猶予があるんだ?」

 二人を伴い教会まで戻った俺はこの際気になった事を聞いておく事にする。何しろ遅効になったのみで呪いは未だに進行中なのだから。

「う~ん、生命活動を低下させる事で一先ず急速な死は無いけど、じわじわと生命力が削られているからね……最初の被害者を眠らせたのは2年前だから……」

 俺の質問に椅子に腰掛けたロリサキュバスは指折り数え、眉をしかめて言う。

「甘く見積もっても半年後には生命維持が不可能になるでしょうね」

「そうか……」

 起きていた場合急速に死に至らしめる呪いを2年半も先延ばしにしているのだから、このロリサキュバスは大したものなのだが、それでも期限はそんなに長くはない。

 一刻も早く原因を解決しなくては手後れになるか。

「私が……私さえ解呪が出来れば解決していたのに!」

 その時今まで一言も声を上げなかったマリーが突然言った。元々救う手立てを持っていたのに救えない自分を憎悪するように。

 しかし俺たちが驚いて振り向くと、マリーは唐突に顔を上げて言った。

「サキュバスさん。魔法陣の活性化を防ぐ為に眠らせていますけど、確か食事を取る事は出来ている、と聞き及びましたが?」

「ん? ああそうだよ。活性化してなくても魔法陣は少しずつ宿主の生命力を吸収していくし、何よりも食えなきゃ衰弱してしまうからね。眠りながらでも食事だけは取れるように魔法に細工してあるんだ」

 魔族って自分で明言しているワリに非常に芸が細かい。

「そうですか。さすがのご配慮です」

 そう言うマリーの顔は、真剣と言うよりは悲痛な決意に満ちているように見えた。

「どうする気なんだ?」

「……幸い経口摂取が可能なのですから、取り合えず栄養価の高い薬草を食事と一緒に投与して体力の回復を図ろうかと。体力さえ回復していれば呪いを打ち破る事につながるかもしれませんし」

 風邪を引いた時の対処法に似ている気もするけど、そもそも呪いって魔法的な原因に対してそんなの効果があるのか?

「その他も私の知る限り、出来る限りの対処をしてみようかと思っています。でも……それでもダメな時は……サキュバスさん」

「な、なに?」

 勢いに押されて引き気味のロリサキュバスにマリーは決意の瞳で言った。

「闇属性の貴方なら、闇魔法の呪術転写を使えますよね?」

「シスター……貴方、何させる気?」

「無論、私が受け取るつもりですよ」

 それを聴いた瞬間、ロリサキュバスはきようがくの表情で立ち上がった。

「バカ言わないで! アレがどんな物かは知っているでしょ!?

 さっきまでのお気楽モードを消して、立ち上がったロリサキュバスは激高していた。

「な、なんなんだよ、呪術転写って」

 内容が分からない俺にロリサキュバスは吐き捨てるように言った。

「他者にかけられた呪いを自分に向けさせる闇魔法の禁呪だよ!」

「は、はああ!?

 その瞬間、俺もロリサキュバスと同調した。つまりマリーは他者を助ける為に自らが犠牲になろう……そう言っているのだから。

「ふざけんな! そんな事をしたら自分がどうなると思っている! 他人が助かる為なら自分がどうなっても良いとかバカな事を考えてんのかよ!?

「他の誰よりも……貴方がそれを言いますか?」

 珍しい事にマリーが嫌みで返してきたが、さすがにそれは俺も容認できない。

「198人です……」

「あ?」

 相変わらず向こうを向いたまま表情を見せず、そう呟くマリーの声はとても小さい。しかし膨大な悔恨の念に満ちている。

「ジンさん……私は2年前までは教会内であらゆる光魔法を駆使していて、誰よりも優れた素質があった為に『聖女』とすら呼ばれていました」

 おそらく教会でその称号を与えられるのは相当な名誉のはず。だというのに彼女からは誇らしい感情は感じられない。

 むしろ忌むべき過去のような。

「当時私はうぬれていました。他の方が治せなかった病も、治癒できなかった大怪我も、私なら必ず治せる、私に治せない病は無い、自分さえいれば皆が幸せになれる、自分こそが『聖女』に相応しいなどと……」

「マリー……」

「しかし、そんな愚かな私に天罰が下ったのでしょう。2年前のあの日を境に私はほぼ全ての光魔法を失ってしまいました」

 拳を握り締め、肩を震わせ搾り出す声は過去の罪を告白するざんのようだ。

ひんの我が子を抱きかかえ、助けを求めるお母さんがいました。毒に侵され虫の息の友人を連れて来た冒険者がいました。死の呪いを受け、余命あと3日という恋人の為に遠路はるばる訪れた女性がいました……198人です」

 いつの間にかマリーの足元にしずくが落ちている。正面から見なくても彼女がどういう顔をしているのか、想像できない者はいないだろう。

「私は、そんな198人分の『助けて』に答える事が出来なかった。私が愚かだった為に、私が『聖女』などであった為に……」

 だから……か。

 最初に会った時から今まで、彼女の治療に対する姿勢が気になっていたのだ。

 治療する事が、まるで『しよくざい』であるかのような、常に思い詰めているかのような。

 そもそもこの世界の宗教形態はよく知らないけど、回復の魔法が使えないからと、全く逆の異端とさえ言われる薬草などの知識を、可能性があるならとアッサリ利用するなんて、教会関係で魔法に従事していた者からすると、普通ありえないだろう。

 そして光魔法が使えなくなった事で教会関係者ってだけでも白眼視されるのに人々の為に動き、更に奇異と取られても、叩かれても罵られても、それでも人々の為に己の身さえ犠牲にしようとしている。

 ハッキリ言って……彼女は物凄く危うい。

「ジンさん、私は人々の為にこの身を呈する自己犠牲あふれる聖女などではありません。ただただ、もう目の前で人が死ぬところを見たくないだけの……ただのエゴの塊、シスターの風上にも置けない勝手でワガママな小娘でしかないのです」

 自分は聖女ではない、だから気にする事はない、そう言いたいらしいな……でもな。

「だからよ……それがどうしたってんだ?」

「……え?」

 もういい加減限界だった。

 マリーの他人本位過ぎる、自分の事を犠牲とすら思わない考え方に。

「それだったら別の治療法なんか考えず、巡礼の旅なんかしないで教会にこもって人の生死に関わらなければ良かったんじゃないのか!?

 見たくないなら見えない所に逃げれば良かった。

 にもかかわらず彼女はこんな場所にいるのだ。

 たとえ自身はエゴだと思っていても、彼女が人の為に行動している事実は変わらない。

 マリーが聖女であろうがなかろうが、そんな事は関係ない!

「おい、一つ言っとくぞ。自分に存在価値が無いから他人の犠牲になっても良いとか、そんなバカな事を言うのは俺が許さねー!」

「バカな事ですって! 貴方に一体何が分か……」

 反論しようとしたマリーの言葉が、初めて〝俺の目を見て〟止まった。

 いつもとは違う、本当に怒りをたたえてにらみつける俺の目を見て。

 俺が本気でマリーの言葉に強烈に反対している事を知り、瞳が驚愕に見開かれ、そして顔を真っ赤にして泣きそうになりながらつぶやいた。

「貴方なら……分かってくれると……思ったのに」

 そう言うとマリーはそれ以上何も言わずに部屋から走り去ってしまった。

 後に残されたのは何とも気まずい空気、俺はとうとうやっちまったようだ。

 その瞬間、二つのためいきが重なった。

 一つは自分、もう一つは手を繫いだままのロリサキュバスなのだが、彼女は俺をとがめるようなジト目でポコンとももの辺りを叩いた。

 腿は痛くないのに心が痛い一撃だ。

「コラお兄ちゃん、言葉が足りなすぎ……あれじゃあシスターの生き方を否定しているようにも聞こえるよ。〝村人よりも俺にとってはお前の方が大事だ〟って言ってあげないと、お兄ちゃんが村人をどうでも良いと思っているって感じになるじゃない」

「……そう言うなよ。アイツのやろうとする事に大反対なのは事実だしよ」

 あーあ、異世界で、いや日本においても存在しなかった俺の事を怖がらない初めての娘だったのに……とうとう嫌われちまったか。

「あのシスターのお姉ちゃん……相当危ういね」

「ああ、正直ここまでヤバイとは思ってなかったけどよ」

 俺は今までマリーの事を、たまにネガティブになるが、回復治療の魔法が無くなっても独自の治療法を学習し利用する芯の強い女性だと思っていたのだが。

 実際の彼女は過去聖女として助けを求める人たちを救えなかった事がトラウマになって心が折れかかっているようだ。

 自分の身を犠牲にしても良いと思える程に。

 もしも次、彼女が救う事の出来ない命、死を目の当たりにしてしまったら……。

 でも、だからと言ってマリーを犠牲にする方法なんて容認は出来ない。

 たとえ彼女に否定されて嫌われても、心が罪悪感でズタズタに張り裂けそうでも。

 あー……ヤバイ、考える程にとてつもない喪失感と罪悪感が……さすがにしばらく立ち直れそうにない……。

 意図せずに崩れ落ちて膝を付きうなれる俺の頭をロリサキュバスがポンポンとでてくれた。少し……救われる。

「なあ、お前マリーの言ってた呪術転写はやれるのか?」

「その気は無いから安心して。私は喜びと快楽のエネルギーが大好きなサキュバスよ?」

 俺の質問にロリサキュバスは半眼になった。どうやら俺が言いたい事も何もかも分かった上で答えてくれたらしい。

 中々に空気の読めるお子様である。

「呪いを解く方法、なんてあるのか? マリーは本人の体力回復でどうこう言ってたけど」

「ん? 本人の魔術耐性が高ければ可能性はあるけど……残念ながら今呪われている村人たちはみんな望み薄ね。となると方法は2つしか無い」

 ロリサキュバスはチョキを突き出して見せた。

「一つは相反する光魔法で解呪を行い呪いを打ち消す方法、でもこれは今現在使用することが出来ない」

 指を一本降ろして眉をひそめるロリサキュバス。

「もう一つは?」

「呪いの元になっている魔導書自体を破壊する事ね。大元さえ消えれば掛かった呪いは全て消滅する」

 その言葉を聞いて俺は立ち上がった。身体的意味でも精神的な意味でも。

「あるのか、そんな簡単な方法が!? それならマリーが犠牲にならずに村人たちが救われるんだな!?

 村が救われマリーが犠牲にならずに、そしてもう一度あの娘の笑顔が見れるかもしれない、そんな王道的なハッピーエンドなら否定する要素なんてあるワケがない。

「いや、でも呪いの魔導書がどこにあるのか分からないとどうにもならないのよ? 世界のどこにいたって魔導書の呪いは効果があるから、近くにあるとは限らない。どこをどう捜せって言うの?」

 俺が喜色満面なのが気に食わなかったのか、ロリサキュバスは顔をしかめてたしなめてきた。

「ましてネクロノミコンの呪いは魔法陣を触媒にして吸収した生命エネルギーを術者へと送り続ける。たとえ大陸を挟んでも効果は続き死ぬまで消えない。そして術者を探知する事すら難しいのに」

 おや? そう言って唇をむロリサキュバスだが、俺はそんな主張を彼女がしている事が少し意外だった。

「魔族を名乗っているワリに、お前〝人間の悪意〟には鈍感なんだな?」

「……どういう事よ? 確かに私等は性質上人の仲を取り持つ事が多いから、そっち方面は得意な感情じゃないけどさ」

 うーん、魔族・闇属性=悪みたいな構図こそ偏見なんだろうな。

 喜び、快感の感情を好むサキュバスたちは言うなれば甘党。

 この顔を持った事で必然的に人の悪意に敏感になってしまった俺とは違うようだ。

「この村で『眠り病』が起こったのは2年前だろ? でもそれからも継続的にサキュバス、つまりお前が原因とされる被害は続いていた。実際には呪いを食い止めていたワケだが」

「う、うんそうね」

「でもよ、何で〝サキュバス〟である必要があるんだよ。眠りを誘発する魔物は他にも沢山いるんだろ? 世間的に考えれば眠り続けるよりは〝泥沼の不倫劇が続出した〟とか〝性に溺れて政治機能が停止した〟とかの方がよっぽどらしいだろうに」

 実際のサキュバスは違うにしても、淫魔という世間的悪評を思えばそっちの方が相応しい悪事に思える。

「そりゃあ……この村に元々サキュバスの伝承があったからでしょ? 私が住み着いたのだって伝承があったからだし」

 腕組みして考え込むロリサキュバスに俺は自らの見解を語る。

「そう、引っかかったのはそこだ。暗黒百合ゆりを利用して、吟遊詩人をワザワザ雇ってまで村の伝承のサキュバスをおとしめたい理由って何だよ? さっきの話じゃネクロノミコンの呪いはどこにいても発動して死ぬまで消えないんだろ? 俺だったらお前が言った通り、犯行後はさっさと犯行現場を変えるぞ?」

「あ……」

 俺が言いたい事に気が付いたらしい。つぶやきと共に彼女の目にはあからさまなショックが浮かんでいた。

「俺は事件の裏にサキュバスへの、お前個人に対する嫌悪感や恨みの念を感じるんだがな」

「で、でも私なんてせいぜい夢に干渉するくらいしかしてないし出来ないよ? いきなり恨みとか言われても……」

「良縁を取り持つって事はそういうリスクがあるって事だろ? 特に恋愛の良縁は本人たちが良くても、他者には失恋やら絶縁やらを生み出す切掛にもなる。ひょっとすると犯人が恨んでいるのはサキュバスってより〝村の伝承そのもの〟なのかもな」

「むう

 納得行かないみたいだな、無理もないけど。

「そしてこの村のサキュバス伝承をしつように目のかたきに出来るのは、これまた長年その伝承と共に生きて来た者だろうな」

 村ではサキュバス伝承は、少なくとも2年前までおおむね好意的に『縁結びの土地神』として長年伝えられていた。

 だからこそ逆の意味で敵意を、恨みを持てるには同じように〝長年〟が必要だろう。

「ちょっと……じゃあこの呪いをかけたのは」

 ショックを隠し切れない表情でロリサキュバスが俺の言葉を止めた。

 気が付いた、というより気が付かないようにしていたのだと俺には思える。

 彼女は元々この村を気に入って、住み着いたサキュバスだ。疑いたくなかったというのは分からなくはないけど。

「地元の鉱夫たちも気が付かなかった暗黒百合の特性を知り得て薬効を利用し、決まった日時を指定して吟遊詩人を配備、更に討伐に来た冒険者やハンターたちの行動を制限・指定が出来る。そんなの……」

「長年村に住む村人、それも坑道を含む村全体を動かせるうわやくしかいないね」

 サキュバスは額を押さえて天を仰いだ。

「良い子たち……だったんだけどな~」

 彼女は昔から子供として村に溶け込んでいた存在。現在の村の上役とも子供時代に一緒に遊んだ事があるのだろうか?

 そう思うといたたまれない。

「貴方はいつから疑ってたの? 『眠り病』の元凶がサキュバス、私じゃないってさ」

「……サキュバスの村に残る伝承と、サキュバスの性質が思ってたのと違っていたのが気になって。決定的だったのは雇われの吟遊詩人だったけど」

 洞穴に住み着くサキュバスがいない事が証明されてしまえば、俺たちが洞穴に入った時に襲われた事も事前情報が無ければ出来ないって事になる。

「そう言えば、洞穴内で俺たちが気を失った時、外に連れ出し助けてくれたのはお前?」

「ん? ああその事ね。そうよ、貴方たちが洞穴に向かう後を付けたんだけど……真っ先に魔石の反応を貴方に見つかって焦ったわ」

 まるで俺が悪いかのように言う。やはりあの時マリーの光属性の白い光に紛れていた紫の光は見間違いではなかったらしい。

「ありがとうな。あそこで助けてもらえなきゃ俺たちが呪いの餌食だったろうし」

「まったくよ。ガッチリと抱き合っちゃってる2人を運ぶのに相当力を使っちゃったわ」

 どうやら俺たちを洞穴から外に運ぶ為に大人サイズに戻って奮闘していてくれたらしい。

 さっきのエネルギーの枯渇は俺たちにも責任があるようだ。

 そう考えると申し訳ないし、少し恥ずかしい。

「それで? これからお兄ちゃんはどうするの?」

 どうする……か。そうするも何も、俺ができる事、やれる事なんて決まっている。

「人の命を奪う呪いを〝使えてしまえる〟相手に話し合い、なんて通用すると思うか?」

 彼女は俺の言葉に含まれた意味をんでくれたようで、諦めた笑顔で両手を広げた。

「無理、でしょうね。〝使えてしまえる〟って事は殺意があるって事でしょう?」

 ここまで来てしまえば幾ら悪意に鈍感な彼女にも分かるらしい。

 そう、無理だろうな。

 理由なんて知った事じゃないが、少なくとも犯人は犯罪行為だと知った上で行っている。そんな奴に対して〝悪い事だから止めろ〟って言っても聞き入れるワケがない。

「マリーは……連れて行けないな」

 俺の予想が正しければ、この件に関しては平和的解決は望めないだろう。

 マリーだったら〝それでも話し合いを〟と主張するだろうが、今はそんな悠長な事を言っていられない。

 自身の命を賭して、なんて思い詰めている彼女がその場にいればどうなる事か。

 たとえこのサキュバスが呪術転写を拒んでも、自己犠牲に凝り固まっている今のマリーは何をするか分からない。

 下手をすれば他から呪術転写を使える闇属性の魔導師を連れて来る可能性だって。

「ねえ、お兄ちゃんは召喚士なんだよね?」

 俺が考え事をしているとロリサキュバスが、とっとこと俺の目の前に立った。

 何やらやたらと真面目な顔で。

「あ、ああそうらしいな。まだ自覚はあまり無いんだけどよ」

 不意に右手に魔力を集中させると、手の平に収まったのはレンチだった。

 その様を見たロリサキュバスはコクリと一つだけうなずいた。

「使えるのは武器召喚のみ? 何かと召喚獣契約はしてないのかな?」

「そう……らしいな。正直言うとその辺の召喚魔法? って奴の定義も良く分かんなくて」

 召喚魔法は他の魔法とは違い修行で上達するってものじゃなく、最初から使えるのは記憶を媒体にした武器召喚のみ。

 本来の召喚獣を呼び出すには契約しなくてはいけない。それはこの世界に来てからマリーに聞いた召喚士のルールだ。

「なら……私が貴方の初めてね」

「んあ?」

 そう言うと、10歳児にしか見えないロリサキュバスは手を差し出した。

 己の全てをリーダーに預けるダンスのパートナーのように。

「私と、魔族サキュバスと、召喚獣契約しませんか? 初めての相手がサキュバスだなんて、意味ありげだと思いません?」

「……づら通りなら、俺はヤバイ感じでロリコンになるけど?」

「大丈夫だよ。貴方の顔なら、せいぜい幼女誘拐くらいにしか見えないから」

 悪戯っぽく微笑んで見せる少女。

 そういう意味じゃない事は分かっていて、そっちも俺が分かっている事を前提にしてそんな事を言っている。

 何と言うか、幼女と言うより気心知れた近所の姉ちゃんと冗談話でもしている気分だ。

「その、契約って何かメリット、デメリットはあるのか?」

「メリットは当然私の能力を貴方が持てる事、正確には貴方が使うのではなく、貴方が私に使わせるって事だけどね。デメリットは~貴方の精神世界アストラルサイドを間借りする事になるから、少~しプライベートに私が介入する可能性がね?」

 にこやかに説明してくれるが、どうやら聞いた事を正確に把握してないようだ。

「そうじゃなくて、お前にとってのメリット、デメリットを聞いてるんだよ。良くわかんねーけど召喚士って召喚した者に戦わせるって事だろ? いわば俺の危険を肩代わりさせるって事じゃねーか……そんなの」

!!

 俺がそう言うとロリサキュバスはきようがくしたように目を見開いたが、やがて俺の手を取ってふんわりと笑う。

「契約後の自分じゃなく、契約した召喚獣を心配してくれる……か」

「何だって?」

「ううん、なんでもない。召喚獣契約をした者は術者の精神世界に本体を置き、そして術者の魔力によって肉体を具現化させる。平たく言えば貴方が命を落とさない限り召喚獣は術者の魔力を媒体に幾らでも復活できるんだ」

 あーなるほど。つまり倒されると石やカードに戻る……みたいな理屈と一緒なのか。

「それに私が今エネルギー不足なのはご存知の通り、でも精神世界に本体を置いて貴方から魔力がいただけるなら、私は常にフルパワーで力を発揮する事が出来る!」

 グッとちからこぶを作って見せる幼女だが、それに付いては自信が無いぞ。

「オイオイ……ろくに魔法も使えない俺に魔力なんかそんなに無いだろ? 早々に干からびるんじゃないのか?」

 この世界に訪れてから今まで使えたのは武器召喚のみ、あんなしょぼい魔法しか使えない俺に召喚獣を賄える魔力なんてあるワケが……。

「あれ? お兄ちゃん自分の魔力値を分かってなかったの? 普通冒険者は鑑定士アナライザーに見てもらうもんだけど」

「元より俺は冒険者じゃないからな、鑑定士アナライザーなんて会った事もないよ」

「私の感覚では一般の魔法使いが100とするなら、お兄ちゃんは……5000は軽くあるよ?」

「ご!?

 俺はロリサキュバスの衝撃発言に言葉を失った。

 マジか!? マジで俺にはそんな潤沢な魔力が秘められているってのか!? もしかして修行次第で手から炎を出したりとか、稲妻を落としたりとか……。

「ただ、残念だけどお兄ちゃんの魔力には属性が無いから通常の魔法は使えない。逆に言えば無属性だからこそ召喚獣と契約できる召喚士になれるんだけどね」

「それは喜ぶべき事なのか? 膨大な魔力を持っていても自分で魔法を使えないって事なんだろ? ちょいガッカリなんだが……」

 一瞬でも〝俺も魔法が使えるかも〟と期待してしまったじゃないか。

「あはは、だからこそその辺を私が肩代わりしようって言ってんのよ。ちなみに私は1日に貴方の魔力の50分の1程度で十分よ?」

 契約料1日分魔力100ってところか? まあ、力がもらえてデメリットが無いのなら……。

 俺は膝を折って少女と目線を合わせる。見た目がどうであっても、これから契約するって言うのなら相手に礼儀は尽くすべきだろう。

「契約って……何か儀式みたいなのは必要なのか? 祭壇とか魔法陣とか……」

「ううん、契約する獣が主を認めて、主が獣を認めて……名前を与えれば成立する」

「……そう言えば名前、聞いてなかったな。何となくサキュバスでくくってスルーしちゃってたけど」

 考えてみれば中々に失礼な話だ。国籍不明だからって外国人と一括りで呼ぶくらいに。

 オマケに心の中では更に〝ロリ〟を付けていたし。

 しかし彼女は気を悪くした様子も無く首を振る。

「魔族にとって名前、真名は特別な称号。それは他者から己の存在を認められたって証だからね。名を得るって事はある意味出世したって事になるかな?」

 特別な称号ってワリには俗っぽい表現だな。

 でも考えてみれば物語だろうがRPGだろうがモンスターは種族名で呼ばれてもそれぞれが名前を呼ばれる事はまれな気がする。

 存在を認められる……か。

 俺は一歩下がって彼女を正面から見据えた。フワフワな薄紫の髪に鮮やかなあかい瞳。

 幼い容姿だが、汚名を受けながらも村人の命を人知れず救おうとしていたサキュバス。

 彼女に相応しい名前は……。

 と、そこまで考えた瞬間、急に彼女の目の前に青白い光の魔法陣が現れた。

「お、おお?」

 それは複雑な模様が入り組んだ芸術的なデザインで、異世界の文字の為に読む事が出来ないのだが、中心の文字だけは俺にはハッキリと読む事が出来る。

 何故ならそれだけは俺の慣れ親しんだ文字、漢字なのだから。

「コレが……コレが私の、私だけの名前!?

 魔法陣というよりも中心の漢字で『梵字』のようにも思える光は、そのまま彼女を包み込み消失する。

 その瞬間、俺の内側でも何かがつながった感覚がした。同時に自分が彼女に与えた一文字も浮かび上がる。

「幸福な快楽を与える夢魔……そうだよな、お前の名前は『ユメ』しかあり得ないよな」

「ユメ……夢……それが私の名前?」

「気に入らないか? だったら別の名前でも良いけど?」

 名前を繰り返して全身を戦慄おののかせるサキュバスに少し不安になったのだが……突然彼女は全身から強烈なまばゆい光を放った。

 快活に、高らかに、全身で喜びを表現するかのように笑う。

「アハ、アハハ、アハハハハハハハ!!

「お、おおお!? 何だ? 一体どうしたんだよユメ!?

 驚きのあまり俺がそう呼ぶと彼女はより一層嬉しそうに笑う。

 そして幼女の体から一気に大人の妖艶な体に変化して行き、それだけではなくひたすらエロい下着のようだった衣装が黒と紫を基調にした戦闘服のように変わって行く。

 戦闘的でありながら扇情的で、それはもうエロカッコ良く……。

「何なの? 何なのこの真名の力は!? 貴方が与えてくれた不思議な文字が私の魔力と共鳴して更なる力を与えてくれる……凄い、凄いわ!」

 不思議な文字? それって彼女の名前を漢字で『夢』にしてしまった事だろうか?

「は……え? どういう事? 名前が漢字だとマズかったのか?」

 俺の疑問を他所に彼女の蝙蝠こうもり形の羽がブワリと広がり、全身を深い紫のオーラが包み込む。紅い瞳がこうこうと輝き笑うさまは物凄く悪魔的であるというのに、恐怖は感じない。

 それは悪魔的で邪悪に映るほどに美しい……そう思える。

「アハハ、とんでもないわ。貴方が付けてくれたこの『夢』という名前と文字、これは私にとって最高の相性よ!? 単なるサキュバスでしかない私がナイトメアにランクアップしてしまうくらいにね!」

「ラ、ランクアップ?」

 まさか漢字か? 異世界の魔族に日本人の俺が『真名』として漢字の名前を与えた事で何らかの相乗効果があったってのか?

 未だに戸惑いから戻れない俺だったが、一しきり笑い終わったサキュバス『夢』が俺の前にひざまずいた事で現実に引き戻された。

「さあ……この時より私は貴方あなたさまの忠実なる下僕です。何なりとご命令ください、山海であろうと地獄の底であろうと共に参りますゆえ……よろしくね、お兄ちゃん」

 仰々しい挨拶をしていたと思えば、最後にはウインクでそんな事を言う。

「ふー、じゃあ行きますかい。聖女の願いをぶっ潰す為にな……」

 日本では鬼、こっちでは魔王、結局俺は異世界でも『悪役』らしい。

 だったら魔王は魔王らしく、己の欲望のまま人々の安寧を願う聖女を否定してやる。

 恐怖を与え、暴力的に、アイツが最も嫌う方法で。

 しかし俺の意気込みとは裏腹に、ユメはニヤニヤしながら俺の首に腕を回して言う。

「とか何とか言っちゃって……本音はただお姉ちゃんと仲直りしたいだけでしょ?」

 …………そんな事……ねーよ。