3章 『そんなに酔わせて、どうなさるつもりです?』


 それは学校の教室、いつも通りの風景。

 楽しそうに話していたのに俺が教室に入った途端に慌てて視線を逸らす同級生たち。

 いつもの事、今更気にしてもどうしようもない。

 そんな事を考えていると、不意に背中にフニャッとした感触の何かが抱き付いて来た。

『おはようございます。ジンさん』

 慌てて振り返ってみると制服姿にメガネを掛けたマリーがいて、輝くようなあの笑顔を俺に向けてくれている。

『ジンさん今日も眠そうですね。目の下にクマがありますよ?』

 俺にくっついて目の下を親指でなぞるマリーに周囲が少々ザワ付き、何やら生暖かい視線と〝またやってるよ〟と、いつもなら見る事の無かった風景。

 それは〝俺が夢見た〟普通の学生に対する反応。

 昨日は海外ドラマをまとめて見ていて夜更かししてしまった事を言いつつ座ると、マリーは怒ったようにほおを膨らませた。

『もう! そんな事を言って授業中寝ちゃったらどうするんですか……そうだ』

 そして当然のようにクラスメイトと会話する、まるで自分ではないような自分。

『ジンさん、夜更かししないように私が電話してあげます』

 女子から夜に電話!? 俺が慌てて断ろうとしてもマリーは聞いてくれない。

『ダメです、何故か貴方の事を放って置けないんです。ついでにアドレスも……』

 そう言うと、マリーは勝手に俺のガクランの〝内ポケット〟に手を突っ込んで来た。

『あれ? こっちじゃないですね。お尻のポケットでしょうか?』

 うおい!? そうすると今度は正面から俺の後ろのポケットをまさぐり始める。

 俺の携帯を勝手に捜しているようだが、そうなると当然彼女は椅子に座っている俺に抱き付く格好になり、当然ながら彼女の凶悪な『柔軟兵器』が押し付けられるワケで……。

 あらがいがたい感触。意志に反して、両手が彼女を抱き締めようとした時……目が覚めた。


 昨晩見た夢……思い返してみて、俺は最高に恥ずかしくなった。

「やべえ……なんで夢のマリーは制服で、しかもメガネだったんだ? 俺ってそういう趣味だったか?」

 ちなみに俺の寝床は聖堂のベンチ、マリーには教会にあった居住空間のベッドを〝使わせて〟いる。『私だけがベッドを使うなんて』とごねていたけどな。

 この教会は2年前のあの日、滞在していた修道士がいなくなってから全く手入れをされていなかったらしく、聖堂はホコリが溜まりれきが散乱している。

 それでも、朝日が差し込む時間の聖堂は厳粛な雰囲気を感じてしまう。

 来た時にはホラー映画のような気味悪さを感じたのに、我ながら現金なものだ。

 俺は何となく聖堂を眺めながら、昨夜見てしまった夢の恥ずかしさを誤魔化すように〝今の気分〟で右手に武器召喚の魔力を集中してみる。

 昨晩から何度となく練習しても、毎回違う物がランダムで出て来た武器召喚だが……右手に握られていたのはたけぼうきだった。

 ……コレを持って中庭の掃除をしていた時には、そこを通らなければ部活に行けないテニス部の連中が涙目で震えていたな。

 俺に『すみません、通らせていただけませんか?』と言った部長は今やテニス部の英雄として祭り上げられているとか……まあいいや。

「初めて今の気分にマッチした物が出てきたな」

 厳粛な雰囲気の聖堂を目にして『掃除がしたい』と思ったら出てきたのがコレ。

「……せつかくだから使うか」

 まだマリーも起きて来ないし、気分転換には良さそうだ。

 そう思いさっさっと床を掃いて行くと出るわ出るわ、すなぼこり、枯れ葉、崩れた壁の瓦礫に虫の死骸に……とりあえずチリ取りは無いから俺は入り口に全部まとめて外に掃き出すように全体をおおざつに掃いて行く。

 あまり広くはない聖堂、少々の時間で床のゴミを掃き出すと、さっきも感じた厳粛さが一段上がったような気がしてくる。

「ふむ、床がちゃんと見えるだけでも違うな」

「おはようございます。ジンさん」

「うお!?

 俺が聖堂を眺めて自己満足に浸っていると、いつからいたのかマリーが夢と同じような非常に良い笑顔で立っていた。

 しかし昨夜とは違って、今は名前は知らないが修道女特有のあのフードをかぶっていない。

 長い艶やかな黒髪は寝起きで少し乱れているのに、彼女の美貌により映えて見える。

 早朝乱れ髪のマリー。なんだろう、物凄く得した気分だ。

「あ、ああおはようさん。良く寝れたか?」

「はい、おかげさまで……あの、本当にベッドじゃなくて良かったんですか?」

「……俺は元々布団派でな、ベッドはあまり好みじゃねーんだよ」

「布団? 床で寝るのが普通なんですか?」

 コレは半分本当で半分ウソ。

 ベッドは二つあって数は足りていたけど、本音を言えばこんな隙だらけの美少女と同じ部屋で安眠できる程俺は図太くないからだ。

「でも、本当に大丈夫なんですか? まだ寒い季節ではありませんが、聖堂でお一人で休むのは寒いと思いますけど」

 しかしマリーは違うようで何の前触れもなく、ヒョイと俺の眼前まで迫って来て……途端に昨晩見た恥ずかしすぎる夢がフラッシュバックしてしまう。

「う!?

「あ! ほらお顔が真っ赤です。やっぱりお一人で聖堂で寝たからですよ! 明日からは同じ部屋で休みましょう」

「ブフッ!? お、お前、言ってる意味分かってんのか!?

「? 何がでしょう?」

 思わず噴き出してしまった俺にマリーはキョトンとした顔を向けて来る。

 い、いや彼女の言葉に他意は無い。俺の体調をおもんぱかって言ってくれているのは照れも恥じらいも無い真剣な顔を見れば一目瞭然なのだが……。

 い、いかん! 想像するとドツボにはまる気がする……心頭滅却、心頭滅却。

「そう言えば寒い時、冬山で遭難した時は人肌で……」

「ヤメロ……ソレイジョウイウナ……」

 想像しちゃうから止めてくれ! この天然シスターは!!

 俺が人肌で温め合う妄想を振り払うのに必死になっていると、マリーは聖堂内を見回して感心したように言った。

「それにしてもジンさん、自ら聖光教会のお掃除をしてくださるなんて……貴方が異国、いえ異界の方だっていうのが信じられないくらいですよ」

「ん~そ、そうか?」

「この世界には主に精霊に合わせた宗派が存在します。他宗教の信徒、または無神論者は精霊信仰の、特に教会などには否定的な事が多いのです」

 これはアレか、宗教観の違いって奴なのかな?

 そう言えば海外から見ると日本人の宗教観は異質だとか言ってたっけ?

「他宗教だの異界だのはよく分からんけど、俺の国では八百やおよろずの神って言って、万物全ての物には神が宿るって考え方があるんだよ」

「やおよろず?」

「ああ、土地でも木々や山、日用品や幸福にも不幸にも、病気にだって神はいるって……そして、もちろんこの教会にも」

 俺が見上げたのに合わせてマリーも教会の天井を見上げる。

「面白い考え方ですね。全てに神が……」

 宗教関係者は自らの宗教の教え以外は認めない、正直俺は勝手にそう思っていたけどマリーはむしろ興味津々のようだ。

 結局そういう感覚も人によるって事なんだろうな。

「では聖光教会にたとえれば、全てにシャイナ・ロウ様が宿っていらっしゃる……という事になるのでしょうか?」

「難しい事は分かんねーよ。そっち方面は詳しくねーんだ……ただ」

「ただ?」

「いつでも人間は何かに世話になって生きている。だから感謝する気持ちを忘れるなっていう教えかなって思ってるよ俺は……まあ師匠、じいさんからの受け売りだがな」

「感謝の気持ち……」

「この教会だって数日は世話になるんだ。少しでも礼はしたいかなってさ」

「……そう、ですね」

 俺がおどけて手を広げて見せるとマリーは鼻息を荒くふんふんとうなずく。

 すると、どこからか見つけて来た雑巾とバケツで教壇やら椅子やらを拭き始めた。

「おいおい、コレは俺が勝手にやっている事だし、八百万の神うんぬんはお前等の宗教観とは違うんじゃねーの?」

 ちょっとだけ意地悪くそんな事を言ってやると、マリーは悪戯いたずらっぽい笑顔を見せた。

「あら、ここはシャイナ・ロウ様をお祭りする教会です。信徒である私が感謝を込めてお掃除する事に問題は無いでしょう?」

「お、そう来るか」

 女の子と軽口をたたきながら放課後の掃除……俺は何だか感動してしまう。

 こんな普通に接してくれる娘……本気で妹以外には存在しなかったのだから。

 ……あんな夢を見てしまうのだって、仕方が無いよな。

 それからしばらく二人で黙々と教会の掃除を続けた。俺自身、異界転移などの非常時に何悠長な事をと思わなくはないけど。

「いた!?

 そうしていると水拭きをしていたマリーが急に小さな悲鳴を上げた。

 目を向けると太ももの辺りを擦っている姿、何かが当たったらしい。

「どうしたマリー」

「お前等が母ちゃんたちが言ってた余所よそものだな!」

「ここは俺たちの秘密基地だぞ、勝手に使うな!」

「そうだ、出てけ! 悪者め!!

 そう言っていきなり崩れた壁の向こうから小さな集団、数人の子供が顔をのぞかせた。

 多分、この村の子で間違いないだろう。

 秘密基地、ようするにここは大人の目を逃れて遊ぶ彼等の遊び場ってワケだな。

 小さな体で精一杯虚勢を張って主張する彼等の姿は、昨日の村人連中に比べれば微笑ほほえましい。

 さっきマリーに当てたのは一人が持っているパチンコのようで、弾が石ではなく木の実である辺りは好感が持てるな。

 そんな警戒心バリバリな子供たちに向かって、マリーは居住まいを正すとニッコリと、それは輝かんばかりの笑顔で子供たちに目線を合わせた。

 まるで信仰の対象、女神の如き笑顔で……昨日俺に見せたヤツとは違って、何と言うか『営業スマイル』に思えた。

「ごめんなさい、貴方たちの大切な場所を勝手に使ってしまって。でも私たちも困っているんです。少しの間だけ使わせてもらえませんか?」

 そう言うマリーと目を合わせた子供たちは、たちまち真っ赤になって硬直してしまった。

 イヤ~マリーさん、思春期前の純情なお子様たちにそのスマイルはヤバイぜ。

 しかしその中でリーダー格に見える、ちょっと体格の良い男の子は首を振ってもう一度マリーをにらけた。

「ダメだ! ここは俺たちの縄張りだ、大人は……」

 そこまで言ったところで男の子の言葉が止まった。

 威勢の良かった表情がドンドンと硬直してガタガタと歯の根が合わなくなってくる。

 ……俺の事を見つけた途端に。

 どうやら俺は今まで彼等の視界の外、彼等の目に今まで修道女のマリーしか映っていなかったらしく、リーダーの突然のひようへんに別の子たちも俺へと視線を移して……数人のお子様はそれだけで腰を抜かした……おいこら。

 足腰が立たない程震え、歯の根が合わないくらいにガチガチ歯を鳴らす子供たち。

「ま……ま、ぞく? ……いや、魔王?」

「え……魔王ですって!?

「魔王が……ついにこの村に!!

 一人が口走った『魔王』の言葉がたちまち恐怖と一緒にでんして行く。

 まあ魔物や魔族がいる世界なら現実的に魔王がいてもおかしくはないけど……。

「う、うわああああああ! 魔王、魔王が来たあああああ!!

「逃げろ! 食われちまうぞ!!

「待ってえ! 置いてかないでえええ!!

「おがーちゃ~ん!!

 半狂乱になりながら動ける子はだつの如く、腰を抜かした子はいずりながら必死に逃げようとする。

 そんな中勇敢さを発揮して腰を抜かした女の子を助けようとするリーダー、だが逃げ切れないと判断すると、俺の前に立ち塞がり男前な事を言い出す。

「おいお前ら、ここはオイラに任せろ!」

 怖くて涙目になりながらも仲間を、子分を助けようとする姿に釣られて、逃げ出した奴等も戻って来て仲間を逃がそうと立ち塞がり出す。

「お前を見捨てるなんて出来るか!」

「俺たちは……仲間だろ!?

「来るなら来い! お、俺が相手になってやる!!

「お、お前等……」

 魔王から仲間を助けようと小さな子供たちの友情物語が目の前で繰り広げられ始める。

 その様は少年誌の一番盛り上がるワンシーンのようで…………とりあえず泣いても良いですか?

 ある程度こういう扱いには慣れていたつもりだけど、純情な子供たちのぐな敵意は来るものがある……。

「ジンさん、その……そんなに悲しい顔をしないで下さい。コラ~君たち! 失礼な事を言うんじゃありません。お顔が怖くてもジンさんは魔王じゃありませんよ!!

 フォローになってんだかなってないんだか……。


「はい、コレでもう大丈夫です」

 さっき魔王(俺)から逃げようとして膝を擦りむいた少年がマリーの治療を受けていた。

 至近距離で微笑みかけられて少年の顔が夕日よりも真っ赤に染まる。

「あ、ありがとう、お姉ちゃん……」

 そうしてしばらくするとマリーはすっかり子供たちと打ち解けて、一緒になって掃除を再開していた。

 リーダーや治療して貰った子なんて、よりマリーから褒めて貰おうと競い合って手伝い始めるのだから微笑ましい。

 まあ当然ながら俺は蚊帳の外、魔王に寄ってくる子なんているワケもなく黙々と掃除を進めるのみだ。

 コレばかりは自然の摂理と割り切るしかないのさ。

「人の和を乱す事はないしな」

「ねえねえ、お兄ちゃん」

 そんな事を考えていると裾が弱い力でクイクイと引っ張られた。

 視線を下に向けると、子供たちの中でも一番背が小さい、10歳くらいの女の子がつぶらな瞳で見上げていた。

 薄紫の髪がフワフワと揺れて、瞳はルビーのようにあかい。

 だぼっとしたワンピースは愛らしい顔立ちを際立たせ、少女にマッチしている。

 ただ、その姿は少女でありながら完成されているようにも思えて、他の子供たちに比べると随分と大人っぽくも見える。

「お兄ちゃんたちは何でこの村に来たの?」

 ものじせずに俺に話しかける女の子、チラリと他の子供たちに目を向けると明らかに女の子を心配するような、そして俺を敵視するような視線を向けて来る。

「父ちゃん、母ちゃん辺りには聞いてないのか?」

「うん、大人の人たちは女の人は可哀かわいそう、男は怖くて最低だから絶対に近寄るなって、捕まったらさらわれるって……」

「ああ、そうかい」

 的確な判断、だけど子供たちには逆に興味を持たせたんじゃないのか?

 自分たちの秘密基地に侵入した悪者……そんなの格好な冒険材料じゃねーか。

「でも、あのお姉ちゃんは〝顔に比べて怖くない〟って」

「それでフォローのつもりか」

 俺が一つ息を吐いて長椅子に腰掛けると、女の子は俺の膝の上に〝横向きに〟座って俺の顎を指で弄びながら「うふっ」と微笑を浮かべて、耳に吐息を吹きかけた。

「じゃあ、何しにこの村に来たの~?」

 ……俺は問答無用で少女の頭にげんこつを落とした。

「いたぁい!」

「そう言うのは10年はええぞ嬢ちゃん。年取ればやってもいいってワケじゃねーが……」

「ちえ~。八百屋のお姉ちゃんが男を手玉に取るにはって、教えてくれたんだけどな~」

 そう言いつつ今度は子供らしく真正面を向いてちょこんと座る。

 物怖じしない娘だな。

「旅の連れ、姉ちゃんの仲間とはぐれちまってな、この村で合流する約束になってんだよ」

 そこまで言うと女の子は座りながら足をパタパタさせる。

「ふうん……じゃあお兄ちゃんは奴隷商じゃなければ、サキュバスの退治に来た人ってワケでもないんだ」

「サキュバス退治? なんだそりゃ」

 俺がそう言うと少女は目を丸くして俺を見上げた。

「知らないの? この村で昔から伝わる魔族の伝説」

 そう言えばこの村には『眠り病』に関する何かがあるってマリーも言ってたな。詳しくは知らないようだったけど。

「サキュバス……なあ。本当にいるのかそんなの?」

 魔物が普通にのさばっている異世界で実際にいるかどうか俺には判断できないからな。存在の有無は現地の方に聞くしかない。

「サキュバスの事も知らないの?」

「あー何と言うか漠然としか……何かイイ事してくれる魔族ってくらいでよ」

 さすがに幼女相手に〝エロい事〟とは言い難い。

 しかし目の前の少女は俺の様子にニンマリとした笑顔を浮かべた。

 あ、コイツ分かってやがる。さっきも思ったけどみみどし!?

「いいでしょう! アタシがサキュバスの事を教えてあ・げ・る」

 大人っぽくお姉さんを気取ってのウインクであるものの、幼女がやったところで微笑ましくなってしまう。

「ああ、頼む」

 俺が頼むと少女は「フム」と得意気に胸を張って見せた。

「まずサキュバスってのは人の夢に取り付いて精気を奪う魔族ね。魅せられた夢がとっても〝イイ夢〟だと目覚めなくなるって言われているわ」

 イイ夢のくだりに妙な含みを感じるけど、その辺はあまり気にしないで置こう。

「昔からこの村は山奥の坑道で魔石を取って暮らしている人が多いんだけど、あんまり欲張って取りすぎちゃうと『坑道のサキュバス』に魅入られるってお話があるんだ」

「魅入られる」

 言葉からすると何やら穏やかではないような。

「坑道に行った人がある日突然眠っちゃって、起きなくなるんだ。それは魔石を独り占めしようとした人がサキュバスに魅入られたせいだって」

「眠ったまま目覚めないのはサキュバスが原因なのか?」

「だから分かんないってば。前までは目覚めなくなっても教会の〝目覚めの魔法〟で起きれて、サキュバスに目をつけられるくらいだから仕事を休めってくらいで済んでた事だけどね。今じゃサキュバスに魅入られたら最後、みたいにみんな言ってるし」

 眠ったまま目覚めないなら当然の反応だろう。

 ただ、俺は何故か微妙な表情を浮かべている少女の説明に引っかかった。

「なあ、さっきの説明じゃサキュバスって『眠り続けさせる』事は出来るみてえだけど、『眠らせる』事は出来るのか?」

「え!?

「お前が最初に言ったじゃないか、サキュバスはイイ夢を魅せて目覚めなくさせるんだってよ。でもそれは『睡眠の導入』には関係ねーだろ?」

「それって……どういう事なんです?」

 いつの間にかこっちの話に耳を傾けていたらしいマリーが話に入って来た。

「……不眠症の奴が飲む睡眠薬ってのがあるんだけどよ。寝付きが悪い奴と眠りが浅い奴で飲む薬は違うらしいからな」

「な、なるほど……勉強になりますね」

…………

 感心してメモを取るマリーに対して、少女は俺の話に目を丸くしていた。少し難しい、と言うかこの世界では珍妙な話だろうから仕方が無いか?

「サキュバスの能力に、眠らせる力があるとは聞いた事無いね。あくまで〝眠りから覚めなくする〟事がメインだし」

 聞いた事は無い……か。微妙な表情でそう言うと少女はうつむいてしまった。

「私が……光魔法さえ使えていれば、全て解決するのに」

 ポツリと漏らしたマリーの言葉は、どこまでも自分が悪いとでも言いたげであった。



「眠り病の調査をします!」

 お子様たちが帰った後、マリーは握り拳をしてそう宣言した。

「図らずも我々は眠り病で苦しむ村にいるのです! これはシャイナ・ロウ様のお導き、この村を救えという精霊の意思以外の何物でもないのです!!

 こじ付け感がハンパない。実際精霊が聞いたら『イヤイヤイヤ』と言われそうな……。

「調査って言っても、サキュバスが原因だってあの子たちも言ってたじゃないか」

「ええ、ですから事実確認の為にこれから村を回って情報収集を行おうかと思います」

「……ハイ?」

 何言ってんのこの娘。

「もう大分暗くなってしまいましたから、今から酒場などに行けば情報収集としてはベストなのではないかと」

 ……何となく、この娘の性格が分かって来た。

 優しくて気遣いが出来る良い娘には違いないが、大人しい見た目のワリに『頭より体が先に動くタイプ』だ。

 しかもやった後で後悔する事が多々あるのにもかかわらず、即新たなる厄介事に首を突っ込んで行く。なんとなく迷子中の護衛騎士の苦労がうかがえるな。

 この村をルートから回避した事でホッとしていただろうに。

「あのな、俺たちはあくまで数日の滞在を許可されただけであって、村人たちから何か依頼を受けたり頼まれたりしたワケじゃない」

「え、ええ……ですが」

「これで眠り病に陥っている村人を治療できる魔法やら特効薬やらがあるならいいだろうけど、これから調査するって言われて〝聖光教会〟のシスターに協力なんかしてくれるのか?」

「そ、それは……」

 言いよどむ彼女の口を正論で塞ぐ。

 非協力的なだけならまだ良い。しかし場合によっては村人、特に被害者家族のげきりんに触れる可能性もある。『お前等さえ魔法を使えれば』と。

 そしてたとえ八つ当たりだろうとも、このシスターは罵声も暴力も甘んじて受け入れそうな気がするのだ。

 今現在はマリーを〝売られた可哀想な身〟と曲解させる事で何とかなっているものの、下手をすればそれすら怪しくなってしまう。

「そんな事が目に見えているのに……」

 そこまで言うとマリーはシュンとして下を向いてしまった。

 少し言い過ぎたかとのぞき込むと、悲しげな瞳がろうそくの淡い光に揺れていて……。

「は、分かった。ただし俺も一緒に行くぞ」

「え?」

 突然真逆の意見を俺が言うと、マリーは目を丸くして顔を上げた。

「このまま黙っていれば一人でも調査に乗り出す気だろ?」

「う、うえ!? そ、そんな事は……」

 当てずっぽう半々、さすがに1日2日くらいで目を見て判断できる程の観察力は無いけどハッキリ言って彼女は分かりやすい。

 反応からしてビンゴだったようだ。

「どうせやらかすのなら最初から目の届く範囲にいた方が良さそうだ」

 俺がそう言うと、マリーは不満げにほおを膨らませた。

「む~おかしいですね。どうしてジンさんには私の考えが読まれてしまうのでしょうか?」

 ……この娘、あれで隠せているつもりなのか?



 さて、あまり散策する余裕は無かったから村の様子は見ていなかったけど、こうして落ち着いて見ると、それなりの規模を誇っているようだ。

 大きくはないが1~2軒商店があり、同じ並びに大衆食堂とあまり変わらないくらいの酒場があった。なんとなく日本で言う『角うち』を思い出すくらいの規模だが、それでも灯りが照らす店内からは酔っ払いのけんそうが聞こえてくる。

「どこの世界にも酒場と酔っ払いは健在か」

 そんな事を呟きつつ店内に入ると、かつぷくの良いおばちゃんの威勢の良い声が飛んで来た。

「いらっしゃい、カウンターが空いてるよ」

 俺とマリーは促されるままにカウンターの席に腰を下ろした。

 ちなみに現在マリーはいつもの修道服ではなく、普通の服で頭を出している。見るからに教会関係者の格好では村人たちの神経をさかでする気がしたので着替えさせたのだ。

 俺は俺で逆にマリーのフード付きマントを拝借して目深に被っている。

 初見で相手に恐怖を与えるのは最早デフォルトだからな。

「ご注文は? お二人さん」

 威勢の良いおかみさんにマリーは少々怯みながらも注文を伝える。

「本日のお勧めが何かあればそれを……あと」

 そこまで言うとマリーは銀貨を一枚おかみさんに渡した。

「この村の、何か変わった情報があれば教えて頂きたいのですが……眠り病などの」

「……アンタ旅人のたぐいかい?」

 その瞬間警戒したのか、おかみさんの目が少し細くなった。

「そんなところですが、村の方々にとって不都合な事まで聞くつもりはありません」

「ふむ、ちょっと待ちな……注文を持って来るからさ」

 そう言うとおかみさんは意味有りげな視線をこちらに送って、銀貨を握り締めた手を軽く上げて見せた。OKって事かな?

 情報収集にチップは必須って事らしい。

 俺が変な事に感心していると奥の方から、さっきのおかみさんとは違う若い娘が大皿に山盛りの真っ赤なパスタとスープとサラダを持って来た。

 見た目ナポリタンっぽいパスタの登場にマリーは取り皿を渡しながら笑う。

「ジンさん、まずは腹ごしらえをしましょう。旅の最中でこうした普通のご飯を食べられる日は貴重ですからね」

「……なるほど、確かにな」

 さすがは現役で旅人をしている者の言葉、説得力があるな。

 さっそく俺も彼女に倣ってパスタの山を崩して行く。

 うん、ナポリタンとは違うけどトマトベースのソースに辛味が効いていて中々美味いな、でもベーコンとたまねぎは分かるけど、辛味を出している赤いのは一体……唐辛子じゃないな。

「う~ん美味おいしいです。この辺ではカラカラだけが名産ですから辛味の使い方が上手です」

「カラカラ茸?」

「この赤い色の辛いのですよ。今くらいが旬で辛味も強いんですけど、その分使い方が難しい食材なんですよ」

 どうやらこっちの世界特有の食材なんだろうな。

 他にも『ミルクの味がする石』『ドラゴンの角』など、俺の常識では考えられないような食材を、パスタをほおりつつ教えてくれる。

 美味しそうに食べる様が可愛い。口の周りが汚れているし……。

 俺がそっとハンカチを渡してやると、マリーは真っ赤になって慌てて口元を拭いている。すると、さっきのおかみさんが登場して俺たちの隣にドカリと腰を下ろした。

「さ、何が聞きたいんだ? 旅人さん」

 そういうおかみさんの手には既にビールのような物が……商売中じゃないのか?

 そんな思いが通じたのか、おかみさんはジョッキをグッとあおると自嘲気味に笑った。

「ふう、飲まなきゃしやべれない事もあるからね」

 どうやら村人たちには辛く重い話なんだろう。退治して欲しい怪物の類のワリには寂しそうな印象を受ける。

「……その事を聞きたがるって事はこの村で眠り病が流行はやってるのは知っているね?」

「はい、うわさ程度ですが。元々村にあった事だけど2年前の光魔法消失から治療が行えず大事になってしまったとか……」

 おかみさんは長いためいきを吐き出すとポツポツと語り始める。

「眠り病は昔からこの村に住んでいるアタシらにとって、特別な物じゃなかった。むしろ戒めみたいなもんだったよ」

「戒め?」

「ああ……教会関係は嫌がりそうだけど、ロロイプールじゃ〝働き過ぎをいさめる神様のお仕置き〟みたいなもんだった」

「坑道で魔石の発掘を欲張りすぎると魅入られる、そう子供たちには聞いたのですが」

 マリーがそう言うとおかみさんがニカッと笑って見せた。

「子供たちに聞かせるにゃあ、ちっとばかり早い話もあるからねぇ~。危ない坑道に近寄るなって事を教訓を交えて話すのさ」

「子供には早い?」

「仕事仕事で頑張りすぎて嫁さんや恋人をないがしろにしていると突然眠りに落ちて目覚めなくなる。そして優し~く看病して貰って~ってな」

 ……あ、ああなるほどな、だから働きすぎの戒めなのか。

 仕事ばっかりしてないでしっかり奥さんを可愛がれと。

 ここまで聞いても意味を理解できていないようで、マリーは小首を傾げている。

 色々と大丈夫なんだろうか? この娘。

「でも、2年前から全てがおかしくなっちまった。光魔法が使用不能になって教会から修道士連中が逃げ出してからは、一度でも坑道で眠った連中は目を覚まさなくなった」

「それは、やはり光魔法で治癒できなくなったから……」

 おかみさんが溜息混じりに言うと、マリーの表情が一気に暗くなった。

 教会関係者として責任を感じているのだろうか? だが意外にもおかみさんは首を振ってマリーの言葉を否定する。

「子供等からそう聞いたのかい? まあ一部の偏屈たちは〝治療できなくなった教会の連中に責任がある〟なんて言ってるけど、アタシに言わせりゃそこは関係ないと思うよ」

「どうしてですか?」

「坑道は危険な仕事場だからね。光魔法の消失は死活問題だったから、鉱夫の連中も慎重に仕事をしていたけど……ある日突然坑道の奥から歌が聞こえるようになったらしい」

「歌?」

 何やら急に今までになかったワードが入って来た。

「ああ、れいな女の歌声で、その声に聞き入っているといつの間にか深い眠りに就いて二度と目を覚まさない」

 おかみさんはジョッキの残りを一気にあおった。

「どうやら光魔法の消失と同じタイミングでたちの悪い魔族が出現したらしいね。鉱夫たちの話じゃ眠りを誘うサキュバスの歌らしいけど」

「サキュバス……」

 ここに来てようやくサキュバスの話が出てマリーが思わずつぶやいた。

 あの幼女の話じゃ古くからの伝承で、村ではみんな知っている昔話と思っていたが?

「危険があっても鉱山は村の収入源だ。簡単に採掘を止める事も出来ず、その後も何人も坑道に入り、そして目覚めなくなってね……。この食堂だって全盛期の半分も客が来なくなっちまった」

「……ある程度は客がいるようだが?」

 俺の言葉におかみさんはことさら寂しそうに店内を見渡す。

「ほとんどが噂を聞き付けてサキュバス退治に来たハンターの連中だよ。そんな奴等だって『眠り病』にかかって起きなくなった輩は多いけどね」

 つまり今店内にいるのは、ほぼ余所よそものか。言われるといかつい連中が多いような気もする。

「まったく……早いところ始末してくれりゃあ良いのに、被害者が増えるばっかりで商売上がったりさ」

 苦々しくそう言うおかみさんの顔に浮かぶのは深い疲労。

 元凶になっている魔物『サキュバス』の討伐を心待ちにしているようにしか思えない。

「少し聞いたのですが、この村には昔から伝承があったのではないのですか? その、サキュバスの……」

 マリーが遠慮がちにそう聞くと、ジョッキを置いたおかみさんは溜息をいた。

「2年前まではね。それこそ笑い話みたいにサキュバスに休暇を貰った、なんて言う輩もいたもんだけど……サキュバスは元々この村に伝わる『縁結び』の伝承だったのさ」

 笑い話と言うおかみさんの顔は全く笑っていない。そんな様を見てマリーも自然と暗い表情で呟いた。

「悲しいですね……。一つの弊害で昨日までの隣人が敵として見られてしまうだなんて」

「さっきから余所者がうるせえな! 何の苦労も知らねえくせにグダグダグダグダと!」

 そう言って隣で立ち上がったのはスキンヘッドの大男。

 目は完全に血走り酔っ払っている事は明白、体格も大きく腕っ節には自信がありそうな、まさに鉱夫の典型に見える。

 そんな男におかみさんは怒鳴り付けた。

「ハリーその辺にしときな! 眠り病を何とかしなけりゃいけないのは分かってるだろ!? 解決してくれるのなら……」

「うるせえ! それで成功した奴が今までいたのか!? 結局どいつもこいつも金だけせびってトンズラするか、じゃなきゃぶんも眠り病にかかって終わりだろうが!!

 良く見るとその男には見覚えがあった。

 村に入る時、村長らと一緒に入村を阻んでいた村人の一人だ。

 相当酔っているのか足元はおぼつかずフラフラであるが、興奮は増す一方らしい。

「出て行け、役立たず共が!!

 スキンヘッドのハリーは勢いに任せて持っていたガラスのジョッキをあろう事かマリーに向かって投げつけた。

「きゃ!」

「危ない!!

 そう思った瞬間、俺は意図せずに手にしていたバールで直撃コースだったジョッキをたたき落とした。床に叩きつけられたガラス製のジョッキが〝パン〟と粉々に砕け散る。

 武器召喚、たまには役に立つみたいだな。

 そう思っているとスキンヘッドの男、ハリーが目を丸くして俺を見ていた。

「お、お前……昨日の奴隷商の……」

 その言葉で今の動きでフードがめくれ上がってしまった事に気が付いた。

 あー……仕方がねーな。

 俺は努めて目付きをいやらしく、見下した悪人を意識してバールで自分の肩を叩いた。

「ヤレヤレ、酔いに任せて女に暴行を働き優越感に浸りたい……気持ちは俺にも分かるけどよ、売却前に傷でも付いたらどうしてくれるんだ?」

「な、なにを……あ、この娘は!」

 俺の正体を知った事でマリーも昨日の〝元聖女〟である事を思い出したようだ。

「なんなら買うかい? すでに元聖女とこの美貌の付加価値を大層気に入った王都の豪商が買い取る予定なんだが、2倍の料金を支払うと言うのなら……」

 俺がそう言うとハリーはゆでだこのように真っ赤だったスキンヘッドを、今度は血の気が引いた真っ青に変える。本気でたこの擬態のようだ。

「ご、豪商の買取額の……2倍!?

「ああ、この国でこの商売は色々とあるからな、高値でないとやってられない。こっちも命がけなんでね」

 当然全てがおおうそ、俺はその手の闇ルートの概要など知りようもない。

 しかし相手は勝手に想像してくれるはずだ。俺が知る以上の情報を元に様々な憶測を。

 奴隷制度を禁じる国で、裏取引されている元シスターを王都の豪商が買い取りに出すそれなりの値段、当然村人の稼ぎで何とかなる金額ではない。

 下手に傷でも付けたら〝そっちの方〟からどんな賠償額、もしくは報復を受けるのか分かったものではない。

 そう思われたのならマリーへ簡単に危害を加える事は出来ないだろうし、何より教会関係者の彼女が危険な目に遭うリスクを下げられるかもしれない。

 真実かどうか調べる術は今のところ誰にも無いのだからな。

 唯一の弊害と言えば……さっきまでどちらかと言えば友好的だったおかみさんの俺を見る目が一瞬にして軽蔑のまなしに変わった事くらいか。

 ま、それもいつもの事だ。

「どうする? 貰える物さえ貰えれば遠慮なくこの透き通るような美貌をいたぶる事もなぶる事も思いのままだぜ?」

「ば、ばかやろ……そんな金、払えるワケが……」

 そこまで言うとハリーは急にフラフラと足元がおぼつかなくなって、ついには床に座り込んでしまった。

 顔面は更にそうはくになって、気分が悪いようで口元を押さえてえずく。

「う、うげ……」

「……酔っ払って興奮していたのに一気に血の気が引いて逆流でも引き起こしたか?」

「えっと? つまりどういう事なんでしょう」

 俺が話を始めてから会話にほぼ付いてこれずキョトンとしていたマリーが、不思議そうに聞くので俺は端的に答えた。

「悪酔いしたって事」

「! 大変じゃないですか!?

 マリーはそう言うと慌てた様子で、手持ちのザックから用途が全く分からない乾燥した薬草を取り出して小鉢でつぶし始めた。

 粉状になった所で少量の水を加え、練る事で一粒の深緑色の丸薬が出来上がった。

 手早く、ものの5分もかからずにここまでの作業をこなしてしまう彼女の手際の良さに舌を巻く思いだ。

 マリーは出来上がった丸薬を手に、今さっき自分に暴行を働こうとしたハリーに駆け寄って膝を折った。

「ハリーさん……でしたね。さあ、コレを飲んでください」

「な、何だよこの気味の悪い玉コロは」

「良いから、気分が悪いのなら早く飲んでください!」

 マリーが差し出した毒々しいまでの深緑の物体に露骨に顔をしかめて見せるスキンヘッドだったが、彼女の気迫に押されて渋々丸薬を飲み下した。

 マリーは治療って事になると少々強引だな。

「うげ、苦え……なんだこりゃ?」

「体内の酒精を分解する薬草と、めいてい状態を緩和する薬草を飲んでいただきました」

「しゅせいの分解? そりゃ一体……ん?」

 そんな事を言っているうちにハリーの蒼白だった顔面に赤みが差して、徐々に普通の状態に戻って行く。

「気分の悪さが……落ち着いて来た?」

 ハリーは何故か自分の手とマリーの顔を交互に見ると、きようがくに目を見開いた。

「ま、さか……まさか『解毒クリア!? アンタは光魔法が使えるのか!?

 ハリーの一言で酒場の中が一気にザワ付いた。

 そりゃ2年前から使用不能になった魔法が使えるとか聞けばそうなるだろうけど。

 当のマリーは申し訳無さそうに首を振った。

「いいえ、コレは薬効であって魔法の類ではありません。今飲んでいただいた薬草が、貴方の体の治ろうとする働きを手助けしたに過ぎないんです」

 しかし淡々と説明するマリーを他所に、ハリーのオッサンは神々しい、まるで女神でもあがめるような表情を浮かべていた。

「いや……こんな事、魔法しかありえないだろ? 俺は……俺は聖女様になんて事を」

「私は聖女などではありません!」

 マリーは『聖女』の言葉を慌てて否定するが、落ち着いたハリーは申し訳無さそうにペコペコ頭を下げる。

「すまなかったなシスター。俺はこの村の魔石掘師、鉱夫なんだが、ここんとこ『眠り病』の件でろくに坑道に行けなくて気が立っててな」

 謝るスキンヘッドに今度はトレイがパカンと軽い音を立てて振り降ろされる。おかみさんの手によって。

「気が立っててもこんな可愛い……可哀想な娘に当たるんじゃないよ全く!」

「ちげえねえ……アンタらが『眠り病』の話をしていたもんだから、つい……な」

「……ダリー、まだ起きないのかい?」

 訳知りのおかみさんが心配そうにそう言うと、ハリーは暗い顔のままうなずいた。

「ダリーさんと言うのは……」

「弟だ。1年くらい前から起きなくなっちまってな」

「弟さんが……それは、心配ですね」

 マリーがそう言って悲しい表情をするとハリーは努めて明るい顔を作って立ち上がった。もう悪酔いはすっかり良くなったようだ。

「なに、どんな理由だってお嬢さんに当たって良い事はねーよ……本当にすまなかったな。その、シスター……」

「あ、私はマリーベルと申します」

 ハリーが言いよどんだ事でマリーはニッコリ笑って自己紹介をした。

「シスター・マリーベル……もう知ってるだろうが俺はハリー、村では一応顔役でもあるから、困った時は遠慮無く言ってくれ」

 呼び名にシスターを付けたのは光魔法が使えなくなった元シスターの奴隷、そういう印象だったマリーに対する彼なりの敬意のあかしなのだろう。

 そんなやり取りを客たちも察したようで、引っ張られるように酒場全体が和やかな雰囲気に変わって行く。

 気を良くしたハリー氏が別の卓を囲んで飲んでいる連中に向かって声を張り上げた。

「野郎共、聖女様へのびも兼ねて今日は俺のおごりだ! 遠慮なく飲んで食ってくれ!!

「おおおお! さすが鉱夫は剛気だな」

「ハリーさすがだぜ!!

「えええ!? ちょ、ちょっとハリーさん?」

「おーい、美味うまいのを山盛り持ってきてくれ! 聖女様のお口に合うような奴をな」

「ウチの亭主が作る料理にマズイもんは無いよ! 失礼だね」

 戸惑うマリーだったが、盛り上がる酔っ払い共に歓迎されて輪の中に入っていく。

 そしてドンドンと振舞われる酒や料理に恐縮しつつ、それでも幾らかは打ち解けだし、おかみさんや女性冒険者を中心に会話を楽しみ始めていた。

 これが本来の、マリーベルというシスターの力なんだろう。

 とりあえず、当面の心配は無さそうだな。

 俺はそう判断して、注目されていない事を確認してから酒場を後にした。

 だんらんの場に、人を物扱いするクズ野郎なんていてはいけないだろうからな。



 酒場から出た途端、酔っ払いたちのけんそうが無くなり一気に静かになる。

 静かに吹く風が冷たく心地良い。

 しかし店の前で少々夜風を楽しんでいると、唐突に店の裏手から初老の男が姿を現した。

「どちらへ行かれるのですかな? 奴隷を置いたままその場を離れるなど……奴隷商らしくないと思うのだが」

「……アンタは」

 そいつは最初村に来た時、俺たちを追い返そうとしていた村人たちの中心にいた。

「ロロイプール村長、ベンジャミンと申します。奴隷商の方……いや?」

 そこで言葉を切ると、村長は含みのある笑顔を浮かべた。

「女性の為に奴隷商に見られたい紳士の方、とお呼びする方が正しいですかな?」

「……チッ」

 思わず舌打ちが漏れた。

 どうやらコイツには俺が村に入る目的で身分を偽った事を気付かれたらしい。

「初見では顔と雰囲気に押し切られてしまいましたが……」

 ほっとけや。

「後々あのシスターを幾ら確認しても呪術による隷属の拘束は見当たりませんでした」

 それはまだマリーに聞いていなかったな。

 多分この世界には強制的に服従させたりする魔法や呪いがあるんだろう……むなくそ悪い。

「オマケに監視する仲間も伴っていないのにねやを別にする紳士振り……奴隷商とは到底言えない行いです」

 ……コイツ、いつから俺たちを監視していた?

 村長って立場から不審者への警戒を怠らないのは立派だけどよ。

 しかしここで俺の正体がばれると、仲間と合流するまでのマリーの滞在自体が難しくなりそうだ。

「……何の事だ?」

 最早無駄な気もするが、一応とぼけておく事にする。

 ここで俺が認めなければ一応疑惑の段階にとどめる事は出来るだろう。

 だがそんな俺の言葉に村長は両手を広げて見せた。

「いやいや、誤解しないで下さい。村に入る目的で貴方が身分を偽った事を今更糾弾するつもりはありません。むしろお願いがございまして……」

「願い……坑道の眠り病、サキュバスの討伐か?」

 この村の問題で依頼とくれば、それしかない。俺がそう言うと村長は満足げに頷いた。

「さすが察しが良い、その通りです。貴方がたには村にまんえんする眠り病の調査と解決の依頼をしたいのですよ」

「何で俺たちなんだよ。冒険者なら酒場にも一杯いたじゃねーか」

 俺が親指で、まだ小さく喧騒の聞こえる後ろの酒場を示すが、村長は首を振った。

「残念ながら下手な冒険者に坑道を見られるワケにはいかんのです。村の収入源の情報を他に流される危険が高いので……しかし貴方がたは片や神聖なシスターで、片や己を悪に仕立てても結果を出す男」

 ……嫌な言い方だ。

「買いかぶりだぜ? オッサン。その依頼は俺たちには荷が重いと思うんだが……」

 俺が遠回しに断ろうとすると、村長はニヤリと意地の悪い笑顔を浮かべた。

「……もしお受け頂けないのなら、それはそれで構いません。同じお話を自らに暴力を振るおうとした酔客でも介抱して下さる慈悲深い聖女様にしますので」

…………

 胸糞ワリー。