その後、昼食というには遅すぎる時間に食事をしてから、清の病室へ向かった。宮園へ返すはずのオーバーコートを忘れてきたうえ、自分も彼も上着を置きっぱなしにしていたのだ。

 それに清へ迷惑をかけた詫びもするべきだろう。宮園から逃げる際、廊下を走るなとの注意も聞こえたため、あの場から消えた自分たちのとばっちりを彼は一身に受けたはず。

 宮園は「あのクソジジイにする詫びなんてない」と言い張っていたが、そうはいかない。

 どうも彼は清から、ヘタレと認定されたことや、明日香へ自分以外の男をてがおうとしたことが尾を引いているようで、素直じゃない。

 おかげで病室では明日香一人がひたすら頭を下げて、宮園はそっぽを向いたまま何も喋らなかった。なんて大人げない。

 それでも恋人となった彼女の手はしっかりと握り締めているため、繋がった手をニヤニヤと笑う清が指摘するから、明日香は身の置き所がなかった。

 そこで不意に、宮園が何かを思いついた表情で話を変えた。

「そうだ祖父さん。遺言書だけどな、あれ変えずにそのままでいいぞ」

「いいのか?」

「ああ。俺と明日香が結婚すれば、明日香の持ち株は夫婦共有の財産になるようなものだろ。経営者が保有することに変わりはない」

「ふむ。それもそうだな」

 ……祖父と孫の会話を聞いていた明日香は唖然として固まってしまう。宮園は何を言っているのか。そして清は何をすんなり納得しているのか。

 二人を交互に見やって混乱していると、秘書の駒塚が気を利かせて声をかけてくれた。

「柾樹さん、そういう大事なことは、まずお相手に言うべきじゃないですか」

「ん?」

 その台詞にやっと、目を丸くして蒼い顔をしている明日香に気づいたらしい。彼は恋人の顔をまじまじと見て、ニコリと胡散臭いイケメンスマイルを浮かべる。

そうなっても全然おかしくないって話だよ。俺たちって、もういい歳だろ」

「え、あ、うん、まあ……」

 クックッと笑う宮園の一挙手一投足に振り回される自分が情けない。付き合い始めたばかりで何を言っているのかという想いと、いずれはそうなったらいいなと期待する、相反した想いが混じり合ってドキドキする。

 でもとりあえず反論してみた。

「だけど、やっぱり遺贈は放棄したい……私には分不相応なものだし」

「持っていて損はないと思うけど」

「そりゃそうだけど、あなたのお父さんに悪い印象を持たれたくないし、それに証券会社の営業も怖いし……」

「証券会社?」

 宮園が眉根を寄せて顔をのぞき込んできたため説明した。松原の嫌がらせと思われる、証券会社の営業マンによる執拗な訪問営業のことを。

 すると宮園と清が額を集めて対策を話し合い始めた。それは一日で終わらなかったため、結論は翌週の休みまで持ち越されることになる。

 次の土曜日、宮園と共に清の病室へ向かうと、遺言書の件についてだいたいあんの提示があった。

 曰く、株式の遺贈は撤回し、その代わりまとまった額の金銭と、某所にある土地と建物を受け取って欲しいと。さらに今すぐそこへ入居してもらいたいとのことだった。

 株式の遺贈がなくなったのは嬉しいが、代替案に明日香は首をひねる。

「まだその土地と建物を受け取っていないのに、私が住んでも大丈夫なのですか?」

「ああ。そこは私の家だから」

「え……ええぇ!」

 清の話によると、自宅には同居人である数匹の猫を残しており、通いの人間が餌と掃除をやっているが、やはり誰かが一緒に住んだ方が安心できると常々思っていたそうだ。そのため明日香へ、家を猫ごと渡したいと考えたらしい。これで証券会社の突撃もなくなる。

「明日香さんは以前、猫を飼っていたと話してくれただろう」

「はあ。私だけではなく、村全体で飼っていたようなものですが」

 田舎の集落なので玄関や勝手口に鍵をかけておらず、村に住み着いた野良猫は自由に家の中へ入り、住人が用意しておいた餌を食べたり、冬はコタツなどの暖かい場所を陣取ったりといった生活だった。

 宮園がその話を聞いたとき、「それは〝飼う〟とは言わない」と真顔でツッコんできたものである。

 まあそれはさておき、猫の飼育という点で明日香自身に問題はない。それよりも気になるのは──

「あの、宮園さんのご自宅ということは、宮園社長のご実家でもありますよね。そこへ他人の私が住むというのはちょっと……」

 ただでさえ会社の株をごっそり持って行く女だと思われているのに、これ以上、彼氏の父親に睨まれたくはない。だがそれは杞憂だった。

 功はまったく実家に思い入れがないそうで、いずれ相続したら売り払う予定だったらしい。なので大事な株式との交換ならば、大喜びで土地家屋を持って行けと告げたという。

 ──本当に宮園さんと社長の親子関係って冷えているんだな。柾樹さんとお祖父さんは結構仲がいいのに……

 とにかく、これでやっと相続問題が解決した。

 それでも今すぐ家に住んでほしいとの申し出には躊躇する。清の存命中に家を明け渡すということは、もう彼は退院することがないとわかっているのだろう。彼が以前、宮園に告げた『退院できるかもと担当医師に言われた』との台詞は、孫を引っかけるための嘘だと知っている。

 ひどく悩んだものの、猫をこれ以上は放っておきたくないとの清の願いと、これを拒んだら株の遺贈が復活するかもしれない不安から、転居することを決めた。

 そうしたら宮園が、広すぎる家に明日香を一人で置いておけないと、自分も一緒に暮らすと言い出したのだ。祖父の自宅に孫が住んでもなんらおかしくはないと主張する彼と、そのとおりだけど付き合い始めたばかりで同棲はおかしいと反論する明日香は、しばらくの間かなり揉めたものである。が、結局は話し合いの末、一緒に暮らすことを決めた。

 それというのも清の家は、なんと百八十坪の敷地に二階建て6LDKの建物で、広大な庭と大きな車庫まであり一人で住むには広すぎる。防犯の面でも不安だ。

 そしてお互いに仕事が忙しすぎて、クリスマスにも会えなかったことが決断の一因となった。週末も清のお見舞い帰りに仕事へ向かうことがあり、声しか聴けない日々が長かったのだ。

 一緒の家に住んでいれば、どれほど忙しくてすれ違っても、出勤前は相手と会うことができる。もしくは寝顔を見ることができる。触れることもできる。それも毎日。

 その甘い誘惑にあらがえなかった。

 ただ、宮園とは各自の部屋を分けることにしたので、同棲ではなく同居であると言い張っておく。

 かくして十二月二十九日。年末年始の休みへ入った初日に、急きょ引っ越しをする事態となった。本来なら自宅の大掃除をしているはずが、午前中の早い時刻からダウンジャケットを着込み、引っ越し先のやや荒廃した庭にたたずんでいる。

「寒い……」

 ぽつりと本音をこぼしてしまった瞬間、しまったと思ったがすでに遅し。業者の人間と話し合っていた地獄耳の恋人が、長い脚をせかせかと動かして近寄ってきた。

「だから言っただろ。コーヒーでも飲んでこいって」

 そう言いながらマフラーを外してこちらの首へグルグルと巻き付けてくる。申し訳ないと思いつつも彼の体温が移るそれはとても温かくて、素直に借りることにした。

 現在、清の自宅である一軒家にて、入居前の大掃除が行われている。だが明日香はいっさい手を出さず、庭先で突っ立っているだけだ。

 ハウスクリーニング業者が何人も入って、プロの手によって隅から隅まで綺麗にしてくれているから出番はない。では今まで住んでいたアパートの退去後の掃除をすればいいのだが、そちらも宮園が手配した業者が清掃している。引っ越し自体もすべて専門業者が箱詰めにして新居へ搬入し、荷解きまでしてくれる予定だ。さすがに下着類や貴重品などは自分で段ボール箱へ封印しておいたが、それ以外は本当にやることがない。

 これらにかかる費用はすべて宮園が支払った。いったい総額はいくらになるのだろう。暮れの繁忙期に大人数を動かすのだから、割増料金が加算されて、かなりぼったくられるはず。恐ろしくて訊くに訊けない。

 しかし楽と言えば超がつくほど楽である。さすがセレブ、己の労力を使わず金で解決できるなら、大金でもポンッと払う姿勢はあっぱれだ。地獄の沙汰も金次第、との言葉が身に染みる。

 彼の言うとおり、やることもないので近くの喫茶店で優雅にコーヒーでも飲んでいればいい。一部の壁はクロスの張替えもあるため、夕方までかかるのだから。

 でも庭に置かれたコンテナハウスが気になって気になって、とてもじゃないがここから離れることなどできない。

 なのでこちらを案じる宮園へペコリと頭を下げた。

「ごめん、猫たちが気になるからここにいるわ。それに二人で住む家なのに、柾樹さんだけ働かせて休んでいるのが嫌なの」

 すると宮園は心配が半分、喜びが半分といった表情になる。

「家のことはこれからゆっくりと決めていけばいいんだよ。でも、本当に我慢できなくなったら猫たちと一緒にいるといい」

「あ、それもそうだね」

 レンタルしたコンテナハウスの中には、猫たちのために石油ストーブが点けられている。あの中に入れば毛だらけになるが、寒さはしのげるだろう。

 宮園は明日香の頬にキスをしてから、業者の人と共に家の中へ入っていった。半年以上も家主が不在のその家は、猫が散らかしたのもあってかなり汚れているらしく、まだまだ掃除は終わりそうにない。

 明日香はそっとコンテナハウスに近寄って窓から中を覗いてみた。

 六匹もの猫たちは、掃除のためにここへ移されるときはさすがに暴れたものの、今ではおとなしくしている。ストーブの前でくつろいだり、毛布の中に埋まって眠ったりしている子がほとんどだ。

 その姿はとても愛らしく、自分の顔がだらしなくやに下がるのがわかる。皆、この近所で保護された元野良猫だそうだが、清が可愛がっていたおかげかとても人懐っこい。

 名前は、真っ白い染み一つない純白猫が、シロ。それに対して真っ黒い漆黒の猫が、クロ。クリーム色の体毛に黒いブチ模様がある猫は、ブッチー。灰色のしま模様の猫はサバネコと呼ばれることから、サバニャン。茶虎と呼ばれる茶色の虎模様猫は、チャトラン。黒と茶のまだら模様の猫はさびねこというらしく、サビー。

 ……安直なネーミングであるが、たいへん覚えやすいので、まあいい。

「早くおうちの中に戻れるといいね」

 窓越しに話しかけると、毛づくろいをしていたブッチーが不意に顔を上げて、ニャーンと鳴いた。


 清の家は築年数は古いものの、耐震補強がされているし、リフォームも済ませてあったため、内部は近代的な空間と化している。

 この日の夕刻、陽が沈みかけた頃になってようやく壁紙の張替えも完了し、猫を内部に移すことができた。コンテナハウスを回収してもらい、すべての業者が引き揚げていく。

 明かりが灯る屋内に足を踏み入れた明日香は歓声を上げた。

「うわあ、床暖房が入ってる!」

 フローリングの床をスリッパなしで歩いているのに、冷たいどころか快適だ。家全体も温かい。さっそくマフラーとダウンジャケットを脱いだ。

 これが夢の床暖房かと感動していると、背後から段ボール箱を持った宮園が声をかけてきた。

「これ、明日香の貴重品らしいけど、部屋に入れておくぞ」

「あ、そうそう。ありがとう」

 これだけは自分でしまわねばならない。宮園に続いて階段を上っていくと、後ろからサバニャンが尻尾を揺らしつつニャンニャンと付いてきた。可愛い。

 二階には二部屋とシャワールームとお手洗いがあり、そのうちの一部屋を自分の部屋にしている。前の住居より広いうえにウォークインクローゼットがついているため、そちらへワードローブを収納したら、部屋に置く家具はデスクと収納棚、ベッドだけになった。

 おかげで部屋がむちゃくちゃ広く使える。おまけにここも床暖房で温かく、さっそくサバニャンが床でゴロゴロし始めた。

「うはあぁ、引っ越し当日に何もしないって、本当にいいねぇ……」

 業者が、荷物を前住居にあった状態と同じように戻してくれるから、ベッドもすぐに使える。電気やガス、水道などの諸々の手続きも代行してくれた。これらは生活ライフサポートサービスというらしい。自分の荷物はすべて女性が扱ってくれたのも心憎い。

 目を輝かせて頬を染める明日香へ、宮園が微笑んだ。

「今月は目が回りそうなほど忙しかったからな。こういうときぐらい、楽をするべきだろ」

「うん、ありがとう柾樹さん!」

 実際、今日までヘロヘロに疲れる毎日だったため、自力で引っ越しをしろと言われても動けなかっただろう。

 浮かれながら窓の外を覗いてみる。大きなバルコニーがあり、隣の宮園の部屋と繋がっている。ちゃんと外履き用のサンダルが置いてあるため、出てみるべきかと思ったとき、背後からやんわりと抱き締められた。

「今の明日香を見ていると、新しい住処を探索する猫みたいだ」

「だって私、この家の中がどうなっているか知らないもの。──ね、他の部屋も見たい」

「いいよ。おいで」

 宮園に手を引かれて彼の部屋としてある隣へ入る。そこも実に広く、マンションで見た家具が整然と置かれていた。

 なんか懐かしいなと思ったとき、背後でカチリと鍵をかける音が鳴った。振り向けば後ろ手で施錠した宮園が、口元に妖しげな笑みを浮かべている。

「えーっと、なんで、鍵?」

 宮園とこの家で暮らすことを決めたとき、清から部屋に鍵をかけた方がいいと言われた。理由は教えてくれなかったが、どちらでもよかったので宮園が互いの部屋に簡単な鍵を取り付けたらしい。

「祖父さんに教わったんだけど、この家の猫ってドアを簡単に開けるらしいんだよ」

 その言葉を肯定するかのように、ドアの外で猫がレバーハンドルに飛びついているのか、ガチャガチャと動かす音が聞こえてくる。もちろん鍵がかかっているので扉は開かず、哀しそうにニャオーンと鳴いている。

「サバニャンが泣いてる……」

「俺は明日香を啼かせたい」

 親父ギャグか! と思ったが言葉は飲み込んでおいた。なるほど、それで鍵をつけるべきなのかと納得する。

 じりじりと近づいてくる宮園は、やがて明日香を腕の中に閉じ込めるとコートのポケットから何かを取り出した。

「はい、これ」

「え。何?」

 顔の近くに差し出された長細い小さな箱にどうもくする。その形状からアクセサリーが入っていると察して、おそるおそる宮園を見上げた。

「クリスマスプレゼント?」

「もちろん」

 開けてみてよと言われて躊躇いながらもリボンを解くと、月をデザインした美しいネックレスがそこにあった。

「わっ、凄い!」

 幾粒もの青い宝石で濃淡を表現する、斬新かつ美麗なジュエリーだ。感嘆の声を上げて頬を染めつつ魅入ってしまう。

「うわあ……これって、アクアマリンだよね……」

「一番大きな石はね。その他はサファイアとダイヤモンド」

 ひぃ、と内心で呻った。

 宝飾品を見慣れた明日香から見ても、これほどの輝きとデザインのジュエリーなら、自分ではとても手を出せない価格だと察せられる。

 しかもアクアマリンは、三月生まれの自分の誕生石だ。これを用意してくれた宮園の気持ちが嬉しくもあり、申し訳なくもあった。

 実は先週にあったクリスマスは、自分の方が仕事を入れていたため彼と会わなかったのだ。

 クリスマスシーズンはホテルにとってかき入れどきである。少々宿泊代を吊り上げてもその時期だけは稼働率百パーセント。つまり満室。そしてレストランも予約で満席。猫の手も借りたいほどの忙しさだ。

 なのでホテル研修時に世話になった料飲統括マネージャーから、北川へ、明日香を借り受けたいとの申請が来た。その依頼は宮園と恋人になる以前のことで、手当もしっかり付くため了承の返事を出していた。

 まさか宮園が、自分とのクリスマスをそんなに楽しみにしていたとは思わなかったのだ。彼にクリスマスの予定を訊かれたとき、ホテルのヘルプに入ると答えた瞬間の彼の落胆は凄かった。本当に申し訳ない。

「……ごめんなさい。プレゼントまで用意してくれていたのね」

「まあ仕方ないよ。うちのホテルで働きますって言われたら、オーナーとしてはね……。先約が単に飲み会だったら、さらってでも連れ帰るんだけど」

「うん……」

「それにさ、仕事を放り出して俺を優先させる子なら、たぶん好きになっていないと思う。……だからこれでいいんだよ」

 そういえば彼は以前、男に依存する女は好きじゃないと、自分の隣に立って同じ道を一緒に歩いてくれる女性がいいと話していた。

 それでも少し寂しそうに宮園が笑うので、申し訳なさでしょうぜんとしてしまう。が、彼はすぐにしおらしい態度を捨ててニンマリと笑うではないか。

「でさ、家へ帰るのも寂しくて仕事をしていたんだけど、俺が恋人に振られたと思い込んだ女どもが次々と迫ってくるんだよねー」

「……」

 明日香が本社を訪れた際、宮園が起こしたエントランスロビーと社長室での顛末は、あっという間に社内へ広がったらしい。おかげで御曹司の恋人が開業準備室の女子社員であることは、本社で知らぬ者はいなかった。受付で所属と名前を名乗ったからバレるだろうなと覚悟していたが、コンプライアンス違反ではないかと激しく問いたい。それかプライバシーの侵害だ。

 その恋愛真っ只中の御曹司がクリスマスに遅くまで仕事をしていたら、当然だが期待する女性も出てくるだろう。そのことにまったく思い至らなかった自分が情けない。

 宮園を見上げると、わかりやすく〝嫉妬して欲しい〟との心の声が顔に書いてあった。……そりゃあ、こんなことを言われて気にならないはずはない。どのようにして女に迫られたのかと想像してしまい、腹立たしいうえに哀しい。

 彼が他の女にまったく興味を示さないからこその会話だとわかっていても、焦燥感で胸がじりじりと焼け焦げるようだった。

 頬を膨らませて不機嫌を表しつつ視線を逸らすと、宮園は嬉しそうに笑っている。

「もちろん誘いを全部断って帰ったよ。でも一人寝は寂しかった」

「……来年は、絶対に仕事を入れないから」

「そうしてくれ」

 ギュッと抱き締めてくる宮園が、明日香のショートボブの髪をくしゃくしゃにかき回す。これをやられると髪の毛が爆発したようになるから止めて欲しいのだが、彼は恋人の髪を撫でるのが好きらしく、ときどきこうしてくる。

 自分で乱れた髪を撫でつけていると、宮園がネックレスを取り出し、正面からこちらのうなじへ腕を伸ばして留め具をはめた。彼の腕に捕らわれる構図に胸が高鳴る。

 宮園は鎖骨の下で揺れる青いきらめきを見つめて目を細めた。

「うん、凄くいいね」

「私も見たい!」

 グッと顎を引いて下を向いても、ジュエリーは視界の底にチラリとしか映らない。

 鏡はないかと見回すと、宮園が壁へ近づいて引き戸をスライドする。驚いたことに天井まである大きなミラーパネルが出現した。

「こんなのがあるんだ……」

 自分と彼が横に並んでも全身が収まる巨大サイズなので、衣服とアクセサリーのバランスがよくわかる。鏡に映る左右反転した自分を見つめて感嘆の溜め息を吐いた。

「とても綺麗。素敵ね……。ありがとう柾樹さん。すっごく嬉しい」

 鏡越しに彼と目を合わせると、宮園は嬉しそうに微笑む。

「どういたしまして。よく似合っているよ」

「うん。ただ、服が……Vネックかシャツを合わせたいかも」

 首元で光る青色のグラデーションは肌を綺麗に見せてくれるので、もうちょっとデコルテが開いている服の方がよさそうだ。

 そんなことを考えつつ鏡に見入っていたら、宮園が背後から抱き締めてきた。しかもボートネックニットの裾から予告なく手を差し込んでくるため、甘い痺れがウエストにじくじくと滲む。

 乾いた男の唇がプラチナチェーンごと首筋に吸いついた。明日香の心拍数がどんどん上昇する。

 彼が背中に密着してくるから、すでに硬くなったモノの存在を否応なしに感じた。乳房を下からすくい上げる手のひらが悪戯っぽく蠢いて、官能を煽る動きにへたり込みそうになる。

「柾樹さん……」

 抗議の声を出しても宮園はものともしない。でも、鏡によって自分たちの痴態を見せつけられる羞恥に逃げ腰となる。離れようと足を前へ踏み出すが、もちろん彼もくっ付いてきた。彷徨う視線が正面の鏡へ向けられたとき、紅潮して瞳を潤ませる自分と、欲情を率直に表す宮園との絡み合いをバッチリ見てしまう。

 まるでアダルトビデオを見ているかのようだ。ものすごく恥ずかしくて正視できない。

 目を閉じて肌を這いまわる手のひらの熱に身をよじっていたら、いつの間にか鏡へ体を押し付けるほど追い詰められていた。冷たい鏡面と熱い宮園に挟まれてこれ以上は動けない。はりつけ状態になった明日香の耳元で彼が楽しそうに囁いた。

「俺としては服を合わせる必要はないと思うけどね。素肌にネックレスひとつで十分綺麗だよ、明日香」

 その途端、脳裏に卑猥な己の姿を思い浮かべて真っ赤になった。

「えっ、えっちなこと、言わないで……」

「へえ? 初めてのセックスで俺を押し倒して咥えたくせに?」

 ──うああああ! もうそれ言うの止めて!

 おそらく一生、蒸し返されては、からかわれるのだろう。宮園がアストンマーティンの件で、人の頭の中から記憶を取り出せないものかと嘆いた気持ちがよくわかる。

 調子に乗ったらしい彼の手が明日香の服の中でさらに泳ぎまわった。悩ましく身をくねらせる彼女の肌を堪能し、やがて手を背中へ移してブラジャーのホックを器用に外す。

「あれ?」

 意外そうな声に明日香が首をねじって背後を見上げる。なんと彼は手に持った青いブラジャーをまじまじと観察しているではないか。

「肩紐がないのに、よくずり落ちないな」

 反射的に小さな悲鳴を上げてしまった。

「ちょっ! 返して!」

 手を伸ばしたのに、宮園がブラを持った手を高く上げるので届かない。

「前、下着をもらっていいか訊いたじゃないか」

「いいとは言ってない! っていうか私の下着をなんに使うつもりなの!」

「聞きたい?」

「……」

 聞きたいようで聞きたくない。

 この超イケメン御曹司が、見た目とはかけ離れた悪辣な内面を持っているとわかっていても、そのすべてを知ってしまったら付いていけなくなるのではないかと恐れている。いくら好きな男でもすべてを知る必要はないと思うのだ。

 迷った末に首を左右に振ると、彼は実に楽しそうなあくどい笑みを浮かべている。その余裕が憎たらしい。

「と、とにかく、返して」

「じゃあ、服を脱いで」

 そう宮園は告げながら数歩後退し、さっさと自分の服を脱ぎ始めた。手にブラジャーを持ったまま。

 器用だな! 明日香は心の中で罵るものの、この場から逃げようとは思っていなかった。彼の愛撫で体に火が点いたのもあるし、恋人との触れ合いは久しぶりだから。

 初めて肌を合わせたあの日、清へ詫びを入れた後に彼の部屋へ泊まったが、実はあれ以来のおうだったりする。

 お互い仕事が忙しかったうえにクリスマスはすれ違った。もっと会いたかったけど、毎晩、電話越しに声を聞けたからそれで我慢していた。でも本音では触れ合いたくて、夜遅くてもいいから彼の部屋へ行きたいと、無茶なことを考えては一人寂しく夜を過ごした。

 モジモジしながらも宮園と共に衣服を脱いでいく。

 彼の体から布地が剥がれていくたびに、均整の取れた逞しい裸体が現れる。この体に抱かれるのかと思うだけで、どんどん体温が上昇して体の中から何かが生じた。それは下へ下へと垂れていく、彼を受け入れるために己の愛情を形にしたもの。これが何かなんてわかりきっている。もう間違えたりしない。

 だけど恥ずかしさに耐えられなくなってクルリと半回転をした。が、目の前には巨大鏡があるからやはり宮園が見える。これは直視するよりも盗み見をしているような背徳感にさいなまれるため、よけいに身の置き所がないうえに照れる。

 慌てて視線を床に落とし、衣服と下着をすべて脱いだ。それでも胸と秘部を隠して顔を上げられない。

「明日香、鏡を見て」

 毒のように甘い懇願の声が、鼓膜から脳髄へと侵食する。少し傲慢なくせに、おねだり成分を含むこの声に自分は弱い。絆されてしまうのだ。

「ううぅ……」

 躊躇いつつも視線を持ち上げると、自分ではなく寄り添っている彼の裸体が真っ先に目に入った。いつにもまして隆々といきり勃つ陽根が、彼女を求めて蜜を垂らしている。

 それをすべて舐め取りたいと思う自分は、宮園が表現した〝ヘンなスイッチ〟がすでに入っているのかもしれない。

「綺麗だ」

 陶然と呟く声に操られて己の裸体へ視線を移す。確かに、真っ白い肌の上で青色のグラデーションはとても美しく輝いていた。身じろぎするたびに様々なきらめきを放つのも悪くない……素っ裸じゃなければね!

 もう鏡の前で裸体を晒すのは限界だ。再び半回転して彼へ抱き付いた。

「ベッドがいいの。連れていって……」

 意図的に甘える声を出し、乳房を彼の肉体に押しつけながら首へ縋り付く。なんとなくだが宮園は、こうして自分から抱きつくと喜ぶきらいがあると思うのだ。……そしていろいろと誤魔化せる。

 一瞬、息を止めた彼は案の定、明日香の肢体をきつく抱き締めて勢いよく担ぎ上げると、足早にベッドへ突き進む。

 あまりにも勢いがありすぎて彼の肩が腹部へ入るから少し苦しい。でもベッドに下ろす動作はとても優しくて慎重だった。そして覆い被さってくる動作はとても性急だ。

 熱い唇で吐息を奪われるようなキスを受け止める。蠢く舌に翻弄されつつ、明日香も舌を差し出して彼を愛した。

 宮園のキスは優しい。ときには激しく貪られるけれど、それでも根底には相手を思いやる気持ちが含まれている。だから自分は彼とのキスがとても好きだ。

 繊細で濃密な舌の愛撫は、何もかもどうでもよくなってしまうほど思考を蕩けさせる。こんこんと流れ落ちてくる雫はほのかに甘い。美味しそうに飲み干すと、彼の毒が細胞まで侵食する幻覚が浮かんだ。彼専用の体に作り替えられるようで、倒錯した興奮を覚える。息をするのも忘れそうな口づけから解放されて互いに見つめ合った。

 熱っぽい眼差しで明日香を見やる彼は、嬉しそうな口調で呟く。

「明日香が俺のベッドにいるって、いいな」

「どうして?」

「同棲してるなーって実感するから」

 宮園は、明日香から別々の部屋で眠りたいとの主張を聞いたとき、引っ越しの際に彼女のベッドを捨ててやろうかと思ったと告白する。好きな女性と一緒に暮らすのに、寝室が別だなんて耐えられないと。

 気まずい想いを抱いた明日香は視線を逸らす。

「だって……、一つ屋根の下であなたと暮らせるなら、私は十分だもの」

「まあいいさ。いずれは毎日一緒に寝たいって言わせてやるから」

 淫靡な宣戦布告をした宮園が明日香を組み敷き、手のひらが瑞々しい肌の上を這い回る。脇に浮かび上がった肋骨を指先が形を確かめるようになぞった。

 触れるか触れないかの危うさで蠢く感触に、明日香の体温と感度がゆるゆると上がっていく。乳房を手で包む仕草は、まるで重量を量っているかのようで落ち着かない。でも、すでに勃ち上がった尖りを摘ままれると、もうそんなどうでもいいことは忘却の彼方へと沈められてしまう。

「あぁ……、はあ、ん……」

 艶めかしい喘ぎ声が男の興奮を煽ったのか、宮園が貪るように乳首へと吸いついた。傷がつかない程度に囓り、舌先で押し潰し、ねっとりと肌を味わっている。

 甘い悲鳴を上げ続ける明日香は胸と言わず全身を舐められ、指が触れていないところなどないほど嬲られる喜びに身悶えた。

 すべてを暴かれて、もう彼に隠すところなど何もない。快感と愛しさが混濁して全身へと行き渡り、下腹からいやらしい涙をこぼした。

 己を責めさいなむ彼の舌は、本来なら他人が触れることのない奥へと潜り込む。涙をこぼす秘められた場所へ、飽くことなく愛撫が加えられる。その雫を美味しそうにすすりながら。

「ああ! あっ、あぁん!」

 体が魚のように跳ね上がった。無意識に逃げようとする肉体を、力強い手が押さえつける。

 明日香は恥ずかしいのにあられもなく開脚して己を晒し、彼の舌と指を喜んでしゃぶりつつ下肢を震わせる。肉体を駆け抜ける大きなうねりは制御できなくて声も止まらない。腰が淫らに揺れる。

 宮園がイかせようとしているのを止めることができない。ただただ、啼きながら従順に彼の技巧に乱されて、一気に溜め込んだ疼きを爆発させた。

「ふあぁ……っ!」

 ビクビクと体を震わせていたら、しなやかでたくましい肉体が重なって抱き締められた。

「明日香」

 甘い甘い彼の声。大事にされているとわかる口調に、自分からキスを求めた。舌を絡ませて愛されることを求め、愛することを望む。それに応える口づけに胸が幸福で満たされる。

 素肌が密着してじかに得られる肉感が心地いい。抱き締められると劣情とは真逆の安らぎがもたらされる。

 ふと、高鳴る心臓の音が重なったと明日香は思った。互いの拍動が同じリズムを刻んでいると。

 赤の他人なのに、今は家族よりも近くて愛しい人。その不思議な縁を心から喜ぶ。もう離れたくないと、もう離したくないと、互いが互いを求め、感情を昂らせて見つめ合う。

 好き、と明日香の濡れた唇から愛がこぼれた。宮園が小さく微笑み、俺の方がもっと好きだと言い返す。

 これほどの幸福がこの世にあるのかと初めて知った二人は、夢中になって唇を合わせ、相手の肌をまさぐり、心も重ね合わせ、互いの間にある空白を埋めようとする。

 やがて宮園が抱き締める手を彼女の内腿まで滑らせた。明日香の弱い部分を的確に刺激していく悪戯な指先に、彼女は皮膚を粟立たせて熱い息を吐く。

 その感覚は下腹の内側へと響き、一度弾けた疼きを再び堆積していく。身をよじる明日香の蜜口から卑猥な水音と、女の欲情する香りが放たれる。

 まるでその芳香に酔ったのか、宮園が性急な動きで自身に避妊具を着けると、愛しい女のナカへ強引に押し入った。

「んああぁあっ!」

「くぅ……っ」

 久しぶりに感じる彼の分身は前よりも大きく感じる。だからなのか貫いてくる彼は、すべてを収めてもすぐに動き出しはしない。でもその眉間に縦皺が寄っているのを見て、彼が感じ、耐えている劣情の大きさを悟る。なのにこちらの体を慮る気持ちがとても嬉しい。

 明日香は頭を起こして彼の耳朶へ唇を付けると、思いっきり甘えた声で「動いて」と誘った。凄まじい色気にあふれる、惚れた女からの誘惑に抗える男なんていないだろう。

 宮園が呻きながら腰を叩きつけてきた。隙間なく埋め尽くす肉塊が抜き差しする衝撃に、明日香は仰け反って嬌声を上げては男を締め付ける。強すぎる快楽に呼吸が乱れて窒息しそうだ。

 それでも好きな男と少しでも長く睦み合いたくて、必死に彼へ縋り付き熱い陽物を受け入れる。媚肉が男を愛撫しては引き絞り、そのたびに宮園から汗が滴り落ちた。互いの腰が官能的に揺れてピリピリとした悦楽が蓄積される。

 不意に明日香の快楽が弾けて、再び絶頂へと押し上げられた。淫らに痙攣する熱い秘筒が彼を絡め取り、急激に締め付ける。強烈な快感が溶け合う接合部から放たれた。

「ハッ、あすか……」

 呻きながら背筋を弓なりに反らす宮園だが、すぐに明日香の腰をつかんで己の腰を振り続ける。パンパンと肉のぶつかる音が二人の間に響き渡り、明日香の内部に肉欲と煩悩が溜め込まれていく。

「うぅん! ああっ、はあぁ……!」

 ナカを拡げる男根がブクリとさらに膨らんだ。深いところまで突かれて、肉襞を抉る摩擦の快感にのた打ち回る。それでも腰を固定されて逃げることは叶わず、再び熱量が飽和して悲鳴を上げた。

「あっ! イッ、ちゃ……ぅ」

 こちらは一度極まって下腹部の甘い痺れが止まらないのに、容赦ない突き上げで下肢が千切れるような恐れと、もっとつながっていたいという矛盾した欲望に悩まされる。

 悶える明日香を見下ろす宮園が、強烈な快感を遣り過ごして黒い笑みを浮かべた。

「……何度でもイかせてあげる」

 宣告通り、幾度も彼女を快楽責めにして思うままに嬲り続ける。宮園が激しく動くたびに、明日香は啼きに啼いて彼を締め付けた。陽根と接する内部が熱くてたまらない。もう自分の意思で動くことはできず、ただ本能が快楽を貪ろうと蠢くままに、宮園を愛撫する。

 だんだんと速くなる男の腰使いに、どうにも収まらない熱が剛直を包み込んだ。私のところへ堕ちてきてと切望する収縮が彼を苛む。

 宮園は乱れまくる明日香を愛しげに見つめながら、やがて限界に達し、彼女の秘部に腰を強く押し付けて気持ちよさそうに大量の精を放った。


 互いに呼吸が落ち着いて静かに身を寄せ合っていると、ふと顔を上げた宮園が驚きを滲ませる声をこぼした。

「雪が降ってる」

「あ、ホントだ」