「あふっ、ぁう、うぅ……」
苦しげな声が互いの隙間から漏れて、それに気づいた宮園が顎を引いた。ようやく唇が離れて肩で息をする明日香だったが、すぐに違う角度から貪られる。
鼻で息をしても追いつかないほどの荒々しさだった。口内で縮こまる明日香の舌が強引に引きずり出されて絡まり合う。人間の舌とはこんなにも熱くてこんなにも情熱的に動くのかと、未知の感覚に
宮園の脇部分のシャツをつかむ彼女は、その手を彼の背中に移してギュッと生地をつかんだ。その仕草に満足した彼がさらにいやらしく舌で
明日香の体を支えてくれる腕の、途方もない安心感が脱力を誘う。もうこのまま何もかも彼に委ねてしまいたいと、心と体がせつなく訴え始めた。
しかしそのとき、己の下腹部から馴染みのありすぎる感覚があふれ出て、甘い気持ちが一瞬にして掻き消える。
──これって……!
頭を背けてキスの途中で逃げ出した。
「明日香?」
「ごっ、ごめんなさい……」
情けない表情で謝る明日香に、当然だが宮園の眉根が寄る。
「……嫌なのか」
「違います。その……やっぱり、部屋に戻ります」
これ以上は進むことができない。彼の腕から逃げようと胸板を押せば、それ以上の力で抱き込まれる。
「ヤッ!」
悲鳴を上げて縮こまった瞬間、男の腕から力が抜けたような気がした。それでも逃げられず、胸元で両手を握り合わせて俯く。焦燥と羞恥で震えていると、涙が一滴、頬を伝い落ちた。そのきらめきを認めた宮園が息を呑む。
互いに微動だにできない息苦しい時間が流れた。それは数秒ほどのごく短いものだったが、両者ともにこのまま夜が明けるのではと思うぐらい、長くて苦しい時間だった。
やがて宮園が先に動き、俯く明日香の頭頂部にキスをした。
「すまない。調子にのった」
悔恨が滲む声に、明日香の心臓が絞られるような痛みをもつ。己の身勝手をようやく思い知って両脚が震えた。
彼女を解放した宮園が部屋の扉を大きく開ける。
「おやすみ。──明日の朝はどうか普通に接してくれ」
こんなときにまで気遣ってくれる男の優しさに、このままここへ留まりたいと声を張り上げたかった。しかしそれは出来ようもなくて急いで部屋から逃げ出した。
隣の自分の部屋に入るとユニットバスへ飛び込み下着を確認する。しかし。
「嘘……、だって、確かに……」
月の物の証は認められなかった。ただ、ショーツの船底に布地の色を濃くする染みが張り付いていただけ。
脳裏に〝濡れる〟との言葉が思い浮かんだ。しかし自分の身に起きたことが信じられなくて、冷たいユニットバスの床にへたり込む。
明日香は初体験の際、緊張しすぎたのか潤うことがなく、酷く痛い思いをした記憶がトラウマとなって、それ以降もまったく濡れなかった。
おかげで当時の彼氏から逃げまくり、いつの間にか自然消滅という苦い思い出となった。その後、ずっと恋人がいなかったのもあってセカンドバージン状態だ。
ゆえにたかがキスで濡れるということが信じられない。というか自分の体は正常だったのかと驚いてしまう。
相手に応えたいと心から望む気持ちによって体も変化することを、この
──相手があのひとだったから……
宮園の端正な顔を思い出して胸が熱くなる。だが同時に自分の勘違いで逃げ出した状況を理解して顔面蒼白となった。
あんな土壇場で理由も告げずに逃げるなんて最低だ。間違いなく彼は拒絶されたと誤解しただろう。宮園は気分を害していないだろうか。──しているだろうな。
あんなキスをしておきながら、「やっぱり止めます」なんて言う女と、どうしたら同じような雰囲気になれるというのか。自分が逆の立場なら完全に
「ううー……」
ノロノロと着替えて化粧を落とし、ベッドへ倒れ込んだ。温泉にも入らず枕を濡らしながら、遅い時刻まで悶々と悩み続けて眠れなかった。
§
あんなことをするつもりはなかった。
明日香を見送った宮園は床に尻もちをついて項垂れつつ、自責の念に駆られていた。
なかなか
自分は結局、心のどこかで、ガードが堅い女でも肌を合わせてしまえば、どうせ自分に落ちると安易に考えていたのだ。最低だ。
ひどく傷つけてしまったと後悔が胸中に押し寄せる。今日はあんなに楽しかったのに、最後の最後で馬鹿をやってすべてが台なしだ。
羞恥心が大きい彼女を人前でからかうのは、意地が悪いと思いつつも反応が面白くて、どうにも止められなかった。おかけで
それはつまり〝顔が良くて常に穏やかな紳士然とした御曹司〟を求めているわけではないと実感できたから。
自分の他愛ない行動にいちいち振り回される彼女を見ていると、心が癒されるようだった。本人にとっては不本意だろうけど、こちらの上っ面だけしか見ない馬鹿女どもとはまったく違って可愛かった。──とても愛しかった。
初めて会ったときは正直、自分をまったく男として意識しない彼女を可愛げのない女だと思っていた。でもまさか、あんなに可憐な一面があるなんて。
『柾樹さん』
たかが名を呼ばれただけなのに、恋人同士を装っているあの場だけの
「……くそっ」
床にしゃがみ込んだまま、両腕で頭を抱えた。頭髪を勢いよく掻き毟った。
ミイラ取りがミイラになった己が愚かしくて、でも彼女が相手なら全然構わないと、ミイラになっても嬉しいと思ったのに。
……たぶん、彼女はあの件にかかわっていない。間違いなく何も知らされていない。関係あるのは父親だと思う。もう亡くなっているから確かめようがないが。
こちらの都合に巻き込むべき人ではないと心の中ではわかっている。今さらながら激しく後悔した。
ああいうひたむきに懸命に生きている女性は、まともな男と一緒になって幸せになるべきだ。自分のような打算で近づく人間は相応しくない。
──でも、今日は本当に楽しかったんだ。
もっとこの時間を延ばしたいと、ずっとこうしていたいと思うほど。
何度でも名前を呼んで欲しかった。もっとキスをしたかった。あの柔らかい体をずっと抱き締めていたかった。……あんな性急に
この気持ちがなんなのかわからないほど、自分は初心でもないし鈍感でもない。
まさか互いに互いを誤解しているとは思わず、宮園もまたこの夜、なかなか眠りにつくことができなかった。