「ヨルちゃん、迎むかえにきたよ」

 ヨルカがゆっくりと顔を上げると、目の前には姉のアリアが立っていた。

 昭和の時代から続く年季の入った喫きつ茶さ店てんのクラシカルな店内では、有あり坂さか姉し妹まいが揃そろうとその美しさに何事かと客達がわずかに浮うき足あし立だつ。

 ヨルカひとりで外の飲食店に入るのが苦手な理由がまさにこれだ。

 東京の繁はん華か街でふたりがうっかり街中のカフェに入ろうものなら、好こう奇きの視線に晒さらされつつナンパ目的で声をかけられることも多い。姉のアリアが一緒なら代わりに対応してくれるが、普ふ段だんはひとりで外食することは滅めつ多たになかった。

 店内の視線を一いつ瞬しゆんで奪うばい去さるも地元の常連である中高年ばかりで、すぐに元の弛し緩かんした空気に戻もどる。

 都内では落ち着いてティータイムも過ごせない中、この店はヨルカひとりでも穏おだやかに時間を過ごすことができた。

「宿に戻もどらないとダメ? このまま先に家に帰ってもいいかな」

「ひとりで戻りづらいから、私を呼んだんでしょう?」

 親への説得に失敗したヨルカは、衝しよう動どう的に旅館を飛び出して駅前の喫きつ茶さ店てんに逃にげこんだ。

 希き墨すみに電話をした後、少し落ち着いたヨルカは、居場所だけは伝えておこうと姉には現在地を連れん絡らくしておいた。

「ごめんね。せっかく寛くつろいでいたのに」

「温泉でのんびりするのも飽あきてきたから、ちょうどいいわよ。うー寒い。途と中ちゆうで雪が降ってきたから今夜は雪見酒でも楽しめそうね」

 アリアはヨルカの前に座り、テーブルの上のメニューにさっと目を通す。

「すみません、ホットコーヒーひとつお願いします。ヨルちゃんもなにかお代わりいる?」

「コーヒー飲みすぎたから大だい丈じよう夫ぶ」

「そう。甘いものは?」

「食べた、いっぱい」

「そう」

「……パパやママはなにか言ってた?」

「特には。気分転てん換かんに今日は外で夕飯でも食べようってくらいかな。心配してたよ」

「怒おこってなかった?」

「ヨルちゃんの頑かたくなさに、戸と惑まどってはいるんじゃない」

 アリアの答え方は曖あい昧まいだ。それがヨルカを不安にさせる。

 いつものように慰なぐさめることもアドバイスも、今回ばかりはなかった。

 姉は憧あこがれであり、目標だった。

 そんな彼女の真ま似ねをすれば、自分も間ま違ちがえることはない。

 昔のヨルカは姉を完かん璧ぺきと信じて、それを再現しようと努力してきた。

 やがて姉もまた自分と同じく必ずしも完かん璧ぺきではないと気づき、むしろ自分の純じゆん粋すい無む垢くな憧あこがれが姉を追おい詰つめていたことも遅おそまきながら理解した。

 昨年の夏には、ふたりではじめて本気の姉し妹まい喧げん嘩かもして、お互たがいの本音をぶつけ合った。

 譲ゆずれないもののためにヨルカは戦うことを覚えた。

 それでも両親を納なつ得とくさせることができず、手て詰づまりになっている。

 自分なりに言葉を尽つくしても手応えが感じられず、もうどうすればいいのかわからない。

 それで思わず希き墨すみに電話をしてしまった。

『信じて待っていて』と遊園地で啖たん呵かを切ったのに、この有り様である。

 もしも瀬せ名な希き墨すみに簡単には会えない距きよ離りになってしまったらどうなるだろうか?

 それは地じ獄ごくに等しい。

 ずっと孤こ独どくを貫つらぬいていたはずの自分が、すっかり変わってしまった。

 ──彼のいない世界を想像するだけで恐こわくなる。

 文化祭までの準備期間でさえ、彼とデートどころか話す時間が減るだけで苦痛だったのだ。

 叶かのうミメイ宅で募つのっていたさびしさが爆ばく発はつしてしまった夜を思い出してヨルカは顔が熱くなる。

 こんなにも彼を必要としていることをあらためて自覚させられた。

 はしたないと恥はじる一方、もっと深く触ふれ合あいたいとも思う。

 その悩なやましい葛かつ藤とうは日に日に強くなる。

 クリスマス・パーティー以来、希き墨すみには一度も会えていない。

 たかだか一週間足らずで、こんなにも弱くなってしまう自分に愕がく然ぜんとする。

 これが数か月単位になればきっと耐たえられない。

 その不在に慣れてしまったら、自分はどうなってしまうのか。

 手元の指輪を我知らずに見つめる。

 これを身につけているだけで、希き墨すみを感じられて安心できた。

「ねぇ、お姉ちゃん。大おお晦日みそかに会った時の希き墨すみは元気にしていた?」

「ヨルちゃんのこと、ずっと心配してたよ」

「……希き墨すみに、会いたいッ」

 ヨルカの声に涙なみだの気配が滲にじむ。歯を食いしばり、表情を歪ゆがめながらも泣くことを必死に耐たえていた。泣けば、悔くやしさや敗北感にぜんぶ吞のまれそうになってしまう。

「呼べばいいじゃない? スミくんなら来てくれるでしょう」

「だけど、迷めい惑わくかけたくない」

「なら、今は私で我が慢まんしなさい」とアリアは俯うつむく妹の頭をやさしく撫なでる。

「ありがとう、お姉ちゃん」

「──私も最後まで付き合うわ」

 注文したコーヒーが運ばれてきて、会話はしばし途と切ぎれた。


◇◇◇


 瀬せ名な会かいの新春カラオケ大会は昼過ぎから始まり、終わった時には夕方五時を回っていた。

 カラオケ店を出ると、駅前はすっかり雪に覆おおわれていた。今も大おお粒つぶの雪が降り続いており、足元には数センチほど積もっている。

「わぁー雪だ!」

 映えいは雪に大はしゃぎしていた。

「電車動いているわよね」と朝あさ姫きは駅の方に視線を投げかける。

「いつもの駅前が違ちがって見えるね」とひなかはスマホで撮さつ影えいしていた。

「これ、まだまだ積もりそうですね」と紗さ夕ゆは足元の雪をサクサクと踏ふみ鳴ならす。

「綺き麗れい。ウチ、雪とか久しぶりに見た」とミメイは空を見上げる。

「雪ってなんか無む闇やみにテンション上がらねえ?」と竜りゆうはウズウズしていた。

「みんな、雪道では滑すべらないように気をつけるんだよ」と清きよ虎とらは注意喚かん起きする。

「ねぇねぇ、これから公園で雪遊びしない? 雪ダルマ作るの手伝って!」

 映えいが提案する。

「いいねぇ、妹ちゃん! ナイス提案だ! さすが瀬せ名なの妹!」

 竜りゆうがすぐに賛同する。

「レディーの要望には喜んでお供するよ」

 清きよ虎とらも迷わず同意した。

「面おも白しろそうだし、あたしも行く」

「ひなかが行くなら、ウチも行く!」

「メイメイ、手を怪け我がしないように気をつけて!」

 飛とび跳はねようとするミメイを、ひなかは慌あわてて止める。

「行くなら、うちの近所の公園は広いしどうですか? うちでカイロや軍手くらいなら貸せますよ。スコップもいりますかね?」

「紗さ夕ゆちゃんの意見に異議なし。じゃあ行きましょうか。……希き墨すみくんがいなくても妹さんが埋うめるんだから、さすが兄きよう妹だいね」

 朝あさ姫きの声かけで一同は駅前から再び住宅地へ戻もどっていく。

「ねぇ朝あさ姫きちゃん、なんでスミスミの行き先がヨルヨルのところだってわかったの?」

 移動中、ひなかがこっそり話しかける。

「……クリスマス・パーティーの後、ヨルカはうちに泊とまってね。その時に今ちょっと問題が起きているって打ち明けられて」

「問題?」

「もしかしたらヨルカ、アメリカに引ひっ越こすかもしれないんだって」

 朝あさ姫きはそっと耳打ちする。

「噓うそッ!?」

 ひなかは悲鳴のような驚おどろきの声を漏もらす。

「希き墨すみくんは、きっとその件で行ったんじゃないかな」

「スミスミ、なんとか食い止めてよ! お願い!」

 ひなかは祈いのるように雪の空を仰あおいだ。

「……ひなかちゃんは、これがチャンスとは思わないの?」

「朝あさ姫きちゃんこそ」

「もし離はなれ離ばなれになっても、今さら心の隙すき間まができるとは思えないんだよね」

「同感。ふたりはそういうレベルはとっくに超こえている」

「私達、つくづく手て強ごわい人に片かた想おもいしてたね」

「そういう一いち途ずなところが魅み力りよくだもの」

 朝あさ姫きはひなかと終わってしまった恋こいを振ふり返かえりながらも──どこかで番ばん狂くるわせが起こることを期待してしまう自分もいた。

 それは失しつ恋れんしたばかりの女の、ささやかな黒い願いだ。

 一いち途ずと信じていた特別な男が別の女に転がってしまう。そういうありふれた現実的な結末に堕だしてしまうことで、自分の溜りゆう飲いんを密ひそかに下げたい。自分の見る目がなかった、付き合わなくて正解だったと幻げん滅めつできれば──すぐに失しつ恋れんの痛みも消えるのかもしれない。

 同時に、憧あこがれもする。

 どんな犠ぎ牲せいを払はらい、泥どろ沼ぬまになっても好きな相手と結ばれるのなら構わないのではないか。

 そう、女のエゴが囁ささやく。

 冷静に見れば愚おろかな選せん択たくでも、自分が幸せなら十分。

 他人の都合や感情など無視して、自分の恋こいに酔よい痴しれればいい。

 そんな正気を失うほどの情熱的な恋こいにめぐり会えた人生も、きっと悪くないのだろう。

「……私は、恋れん愛あいに溺おぼれるにはとことん冷静すぎたな」

 朝あさ姫きは我が身みを振ふり返かえり、自じ嘲ちようした。

 瀬せ名な希き墨すみに振ふられた日を思い出し、胸むねの奥がチクリと痛む。

 恋れん愛あい体質ではない自分には、捨て身の恋れん愛あいなんて向いていないことはわかっていた。

「朝あさ姫きちゃん。あたしは、最後までスミスミとヨルヨルの恋こいを応おう援えんしたくなっちゃうな」

 ひなかは朝あさ姫きの手を取った。

「わかっているわ。私も嫉しつ妬とするより、不思議とふたりには期待しちゃう。だから瀬せ名な会かいっていう特等席に残っているんだと思う」

 結局のところ、支はせ倉くら朝あさ姫きの本心はヨルカが家に泊とまりに来た時に伝えた言葉がすべてだ。

「言えてる。振ふられたのに側そばにいるのって、ふたりの未来が気になるんだよね」

「ひなかちゃんの言う未来ってどこまで?」

「んー、とりあえずふたりの結けつ婚こん式しきくらいは出るつもり」

 ひなかが確定事じ項こうとして話すので、朝あさ姫きはあえて真逆の態度に出る。

「たかが高校生の恋れん愛あいで、本気で結けつ婚こんまでいけるかな?」

「そんなに、ふたりが心配なの?」

 ひなかは朝あさ姫きの皮肉が、本心の裏返しだとすぐに気づいた。

 あっさり見み透すかされて、朝あさ姫きも苦く笑しようするしかない。

「ふたりに限らず、人生経験のない若者が今抱いだいている感情がいつまで残っているのかなって。私達はこれからもたくさんの新しい刺し激げきや経験をして、感覚や考え方がどんどん変わっていくと思う」

「愛情も?」

「うん。十代の恋れん愛あいが、二十代とか結けつ婚こんが現実的になった頃ころまで保てるのかって心配。大学や社会人で新しい出会いがあれば、気持ちが移ろうことがあってもおかしくないわけじゃない。結局、愛情の強さや大きさってどこまで信用できるのかなって……」

 本音を言えば、朝あさ姫き自身もその変化を恐こわがっていた。

 人生ではじめて本気の恋れん愛あい感情を抱いだき、その大きさにずっと振ふり回まわされた。

 なのに、いつかこの強い感情を忘れてしまうのかと思うと、人の感情はなんと儚はかなく脆もろいものなのだろう。悲しくなる。

「進級してクラスが変わるだけであっさり別れるカップルなんて、ふつうにいるもんね。飽あきっぽくて、新しいもの好きなのが若いってことなんじゃない?」

「達観しているね、ひなかちゃんは」

「あたしは、朝あさ姫きちゃんよりは先に自分の失しつ恋れんと向き合ってきたから」

 ひなかは朝あさ姫きより先に希き墨すみに告白して振ふられていた。

「もう立ち直れたの?」

「どうだろう。次の恋こいなんて想像もつかないし、いつか自分にとって運命の人に出会うことを期待した方がとりあえず気楽なんじゃない?」

「そもそもさ、希き墨すみくんとヨルカの方が例外なのよ」

 朝あさ姫きは愚ぐ痴ちるように切り出す。

「スミスミがよく言う『ふつうだ』って謙けん遜そんは的外れだよねぇ。むしろ超ちよう特別だし」

 ひなかも同意見だ。

 ただの、ふつうな男が、あの有あり坂さかヨルカと付き合えるわけがない。

 まして好意を寄せていた女の子達が集まっているグループが成立していること自体、奇き跡せきにも等しい。

「うん。ほんとうに特別なのは、実は希き墨すみくん」

 朝あさ姫きもひなかも、恋こいに恋こいする少女ではない。

 運命の人なんてものはしょせんフィクションの中の存在だという認にん識しきだ。

 それでも語りたくなるのは、瀬せ名な希き墨すみと有あり坂さかヨルカの両りよう想おもいに夢を見たくなるからだ。

「大たい概がいの人は勘かん違ちがいしているよね。スミスミがヨルヨルに選ばれたんじゃなくて、スミスミが選んだ女の子がヨルヨルだったっていうのが真実だよ」

 みんな、表面的にしか人間を見ていない。

 文化祭のステージでしかふたりを知らない生徒は、冴さえない瀬せ名な希き墨すみが美人の有あり坂さかヨルカに見み初そめられた格差カップルだと誤解している。

「だって恋れん愛あい相手としてのヨルカって美人だけど超ちようめんどくさいじゃない。非ラブコメ三原則とか、嫉しつ妬と深ぶかいにも程ほどがあるもの。ふつうならしんどくなって、すぐに音を上げるわよ」

 だが、実際は逆なのだ。

 誰だれとでも上う手まくやれるような隠かくれた魅み力りよくのある男が惚ほれたのが、有あり坂さかヨルカなのだ。

「それでもスミスミは、ヨルヨルしか目に入っていなかったんだよね」

 朝あさ姫きとひなかは、恋こいに破れた。

 自分達が選ばれなかった理由は、有あり坂さかヨルカの魅み力りよくに勝てなかったからではない。

 ふたりがお互たがいにとって特別だったからこそ、瀬せ名な希き墨すみは他の女の子に目移りすることなく一いち途ずであり続けたのだ。

「私は、恋れん愛あいは相あい性しようとタイミングだと思ってきたけど、そんな理り屈くつが通じない特別な恋れん愛あいも世の中には確かにあるのかもってやっぱり信じたくなるな」

「プロポーズの後にアメリカ行きの話なんて、トラブルってほんと予測がつかないよね」

 ひなかは、その問題を思い返して不安そうになる。

「結局のところ、運命の人に出会ったのが、たまたま高校時代だったからややこしくなっているだけなのよ」

 朝あさ姫きは神様の不ふ手て際ぎわに、悪態をつきたくなる。

 せめて大学生くらいのタイミングで会っていれば、瀬せ名な希き墨すみと有あり坂さかヨルカがこうして必要以上に苦しむこともないのだ。

 むしろタイミングが悪いにも拘かかわらず、結ばれていることに両りよう想おもいの強さを感じてしまう。

「大だい丈じよう夫ぶ。スミスミが最後の最後で強いのを、あたし達はずっと見てきたものね」

 ひなかはかつて恋こいをしていた相手を、最後まで応おう援えんすると決めていた。

「がんばれ、ヨルカ。あなたが希き墨すみくんの恋こい人びとなんだから」

 朝あさ姫きはかつての恋こい敵がたきに、心からのエールを送った。

 外野である彼女達は結末を見届けることしかできない。

 すべては移ろいゆく。

 時代も、環かん境きようも、人の感情も関係も。

 その中で変わらないでいられるのは並なみ大たい抵ていのことではない。

 高校生の恋れん愛あいが、ままならない現実を乗のり越こえられるのか。

 どうか、彼らの両りよう想おもいが最後の瞬しゆん間かんまで幸福な夢であり続けますように。


◇◇◇


 雪により遅ち延えんしながらも、電車はなんとか目指していた温泉地である修しゆ善ぜん寺じ駅えきに辿たどり着ついた。

 駅舎を出ると、雪を孕はらんだ白い風に晒さらされる。

 東京にいた時よりも二段階くらい寒い。

 身体からだの芯しんから凍こごえそうになりながら、雪で滑すべらないようにヨルカのいるであろう喫きつ茶さ店てんへと向かう。足元は雪が積もり、油断するとスニーカーの靴くつ底ぞこが滑すべりそうになるから歩みは慎しん重ちようになってしまう。

 ちょうど店の前に着いたタイミングで扉とびらが開いた。

「うぅ~~寒い。ヨルちゃん、お店まで歩くのしんどいからタクシー拾ひろおう」

「うん……」

 寒さに震ふるえる有あり坂さか姉し妹まいは、こちらに気づかないまま俺の方に歩いてくる。

「ヨルカ」

 俺は正面から声をかけると、彼女達の足が止まる。

「……──、希き墨すみ?」

 幻まぼろしでも見ているかのように、俺の恋こい人びとは信じられないという顔で固まっていた。

「おう」

「なんで!? なんで希き墨すみがここにいるの?」

 ヨルカは慌あわてて、こちらに駆かけ寄よってくる。

「あぁ、バカ。雪なんだから走るなって!」

 案の定、足を滑すべらせて倒たおれそうになるのを俺はギリギリのところで受け止める。

「落ち着けって。正月早々怪け我がでもしたら大変だろう」

 来て早々、恋こい人びとに怪け我がでもされたら目も当てられない。己おのれの行動が裏目に出すぎて、大だい凶きようの恐おそろしさに震ふるえていただろう。

 そんなバッドな展開は絶対にさせん。

「大だい丈じよう夫ぶか? 足とか捻ひねってない?」

 俺はひやりとしながらも、腕うでの中にいるヨルカに怪け我ががないことを確かく認にんする。

「本物だ。希き墨すみが、ここにいる」

 ヨルカはしがみつくように背中に手を回して、全身で俺という存在を感じていた。

「本物に決まっているだろう。むしろヨルカが他の男に抱だきついてたら、俺は泣くぞ。マジで死にたくなる」

「そんなことするわけないでしょう!」

「わかっている」

「けど、どうしてここにいるの?」

 ヨルカは俺の冷えた手を取り、その存在を確かめる。

 ずっと室内にいた彼女の手が温かくて、ずっと触ふれていたかった。

「初はつ詣もうでに行ったらおみくじが大だい凶きようでさ、別の神社で引き直そうと思って」

 俺は適当な理由を答える。

「それで、こんな遅おそくに来たの?」

「アメリカほど遠くないさ」

「そりゃそうだけど……」

 ヨルカは嬉うれしいけれど、どこか複雑そうな表情だ。

 自分の電話で俺が来たということをわかっているから非常に申し訳なさそうに肩かたを落とす。

「ヨルカにしばらく会ってないから、俺もさびしくてな。あけましておめでとう」

「~~ぅ、わたし、だって、そうだよぉ。あけおめぇ」

 ヨルカはまた俺に抱だきつくと、そのまま子どもみたいに泣き出した。

 迷子が家族を見つけた時みたいに全身で声を上げる。

「泣くほど嬉うれしいのか?」

 俺は軽くヨルカの頭を撫なでる。

「当たり前でしょう! 希き墨すみ好き~~」

「俺も大好きだよ。雪の中でハグするのも乙おつなもんだな」

「わたしはいつでもしたい」

「俺だって。……お父さんと話したんだな。よくがんばった」

 まずは勇気を出した彼女を労ねぎらう。

 その言葉に、ヨルカは絞しぼり出だすように答える。

「……家族ってやっぱり難しいね。どうしていいか、わかんなくなる」

 ヨルカは耳元で吐と露ろする。

「そのために俺は来たんだ」

 視線の先ではアリアさんが立っていた。

「きみは、ヨルちゃんのことになると情熱的だよね」

「ご迷めい惑わくでしたかね?」

「ヨルちゃんのその反応が答えでしょう。さっきまでずーっと凹へこんでいたんだから」

「アリアさんに先越こされて、空から振ぶりかと思いましたよ」

「私のかわいい妹を嬉うれし泣なきさせられる男がよく言うよ」

「俺の専売特許なので」

「で、どうするの? 東京にこのまま連れて帰る? 私は止めないけど」

 アリアさんは端たん的てきに問うた。

 それもひとつの選せん択たく肢しとしてアリだろう。

「いえ、それは結論の先延ばしです。俺は、ご両親に一言ご挨あい拶さつしたいです」

 迷わずここに来た用件を告げる。

「そりゃ直接出向いてきた以上、当然だね」

 アリアさんは楽しげに笑う。

「希き墨すみ……いいの?」

 ヨルカは複雑な態度で俺の目を見上げる。

「覚かく悟ごは決めてきたからな」

 俺は強がってみせる。

「あ。スミくん、殴なぐり合あいとかNGだよ。一応は私達の親でもあるからさ」

「一いつ般ぱん的に殴なぐられるのは、娘むすめの彼かれ氏しの方だと思いますけど」

「さすがにパパも手は出さないでしょう、多分」

 アリアさんは苦く笑しようする。

「お姉ちゃん! いくらパパでも、それはないよね? ね!?」

 姉の曖あい昧まいな反応に、ヨルカも不安そうな声を上げる。

「わっかんないよ。パパ、なんだかんだ言っても私達のこと超大好きじゃない。私だって恋こい人びとを紹しよう介かいしたことはないんだから、どんな反応をするかなんて想像もつかないし」

 仲のいい美人姉し妹まいはふたりで騒さわぐ。

 それでもヨルカは俺から決して離はなれない。

 すると、雪の中で俺達の近くに一台のクルマが横づけされた。

 そのクルマには見覚えがあった。確か文化祭の時にアリアさんが運転してきたものだ。

 左ハンドルのため運転席は路上側に面している。

 その窓が下りると、ひとりの男性の顔が現れた。

「…………、ヨルカ。そっちの彼は?」

 挨あい拶さつも抜ぬきに質問してくる。

 男性の落ち着きある声には動どう揺ようの色は見られない。それが俺にはひどく無機質に聞こえた。夜で車内だから、年ねん齢れい相応の皺しわが刻まれた顔からは感情が上う手まく読めない。

 仕立てのいいジャケットにタートルネック、手首に巻かれた高級腕うで時ど計けい、そして年季の入った結けつ婚こん指輪。

 男性の硬質な視線は、俺とヨルカを現実に引ひき戻もどすには十分すぎた。

 俺とヨルカは路上で今もぴったりと抱だき合あったままであることに気づく。

 我に返った俺達はすぐに離はなれる。

「あら、もしかしてあなたが希き墨すみくん? いつも娘むすめがお世話になっています」

 さらに助手席に乗っていた女性が声をかけてくる。

 俺の名前と顔を知っている謎なぞの女性は、娘むすめと言った。

 つまり、このおふたりはヨルカの──。

「パパ、ママ!? えっと、これはその! 雪で寒くて、暖を取っていただけで!」

 ヨルカも超ちようテンパっており、回答が支し離り滅めつ裂れつだ。

 こちらから出向く前に、先方の方から来てしまった。

 問い/はじめて会う恋こい人びとの両親に、抱だき合あっているところを見られた気持ちを述べよ。

「……はじめまして。娘むすめさんとお付き合いしている、瀬せ名な希き墨すみと申します」

 答え/超ちよう気まずい。


◇◇◇


 さて、俺はそのまま有あり坂さか家と夕飯の席を共にすることになった。

 喫きつ茶さ店てんの前での初遭そう遇ぐう後、このまま夕食に行くから一いつ緒しよにとクルマに乗せられる。

『旅館のかしこまった夕飯より、こっちの方がいいだろう』というお父さんの意見で、昔から有あり坂さか家で行きつけという和風居酒屋へ向かった。

 店の大将はヨルカやアリアさんを小さな頃ころから知っているらしく、ふたりを見るなり綺き麗れいになったねぇとデレデレに眦まなじりを下げ、最さい後こう尾びについてきた謎なぞの人物である俺を見るなり目つきが鋭するどくなる。明らかに値ね踏ぶみされていた。飲食業とは思えぬ厳しい視線だ。

『旦だん那な。こちらの見慣れぬ坊ぼつちゃんは?』

『ヨルカの彼かれ氏しだ』

『へぇ! もう一いつ緒しよにご旅行ですか?』

『いや、わざわざ娘むすめに会いに来たから連れてきたんだ』

 座ざ敷しきに通されるまでの、店の大将とお父さんの短い会話だけで死にそう。

 もちろんヨルカのご両親に会うつもりで遠路足を運んだわけだが、ノータイムで夕飯の席に招かれるという急展開。

 ラスボス戦の前には、最後のセーブくらいさせてくれよッ!?

 いきなりシームレスに戦せん闘とうがはじまったぞ!

 そういう内心の動どう揺ようを見せぬように、平静を保つ。

 ここでご両親の俺に対する印象を損そこねれば、理想の未来が遠ざかりかねない。

「希き墨すみくん、遠えん慮りよしないでいっぱい食べてね。娘むすめの恋こい人びととの食事なんてはじめてだから、ママ楽しくなってきちゃった」

 乾かん杯ぱいを終えると、ヨルカのお母さんは満面の笑えみで料理を勧すすめてくる。

 長い黒くろ髪かみが印象的で、娘むすめ達の目の大きさや肌はだの白さは完全にお母さん譲ゆずり。娘むすめふたりを生んだとは思えない美しさと知的な面おも立だちをしている。いかにも仕事をバリバリこなしていますという快活さとパワフルさを感じさせた。

 その横では、ヨルカのお父さんが座る。

 先ほどから口数は少なくポーカーフェイスを保っているため、その胸中でなにを考えているのかを読み取れない。最初はどこか不ふ機き嫌げんな印象だったが、こうして灯ひの下で顔を見ると長年の疲つかれが抜ぬけきっていない、という様子だ。

 美お味いしそうな料理が運ばれてくるテーブルを挟はさんでご両親と対面する形で、ヨルカとアリアさんの間に俺は座らされていた。

「ママ。希き墨すみの分はわたしがよそうから大だい丈じよう夫ぶよ」

 俺のとなりに座るヨルカは、俺の分の取り皿を持つ。

「こんな面おも白しろい状じよう況きようでお酒が飲めないのが残念」

 アリアさんは帰りの運転を任されているため、俺達と同じくソフトドリンクを飲む。

「お正月から家族水入らずの時間にお邪じや魔まして申し訳ありません。また先ほどは、そのヨルカさんとの抱ほう擁ようは、彼女が倒たおれそうになったのを咄とつ嗟さに抱だきとめただけでして。普ふ段だんは節度あるお付き合いをしております」

 タイミングを見図はかりつつ、俺はまず謝罪と弁解をする。

「スミくん、超ちようぎこちない。緊きん張ちようしているのもわかるけどリラックスしなって」

「わかっているなら茶化さないでくださいッ!」

 もはやアリアさんのいじりを受け流せる余よ裕ゆうはない。

「希き墨すみ、わかるわ。わたしも希き墨すみのご家族に会った時はそんな感じだったもの」

 ヨルカも俺に共感することで、少しでも寄より添そおうとしてくれたのだろう。

「もう彼かれ氏しくんの家族に会っているのか、ヨルカ」

 お父さんの反応にいちいち身構えてしまう。

 落ち着け、ただヨルカの発言を反復しているだけだ。必要以上に深読みすると余計に消しよう耗もうするぞと自分に言い聞かせる。

「うん。文化祭に来ていた時、ご挨あい拶さつさせてもらった。やさしいご両親とかわいい妹さんがいて、とっても仲良しなの」

 ヨルカは実に楽しげに瀬せ名な家のことを紹しよう介かいしてくれる。

「今は素す直なおに話してくれるな」

「……この状じよう況きようでわたしだけ黙だまっているわけにはいかないでしょう」

 お父さんは娘むすめと話せて嬉うれしそうで、当のヨルカは渋しぶ々しぶという顔をしていた。

 俺がいる手前、ヨルカの態度も軟なん化かしているようだ。

「これが文化祭のライブの後の写真でね、ここに写うつっているのが希き墨すみの妹さんなの」

 ヨルカは誤ご魔ま化かすように自分のスマホをご両親に手て渡わたす。

 俺の机にも飾かざっている写真だ。汗あせだくになりながらも達成感に満ちた表情が並ぶ。

「ライブの映像も見たわ。ヨルカちゃん楽しそうだし、希き墨すみくんもカッコよかった」

 ヨルカから聞いていた通り、お母さんは俺に親しげなのがすごくありがたい。

「あとプロポーズもね」

 お母さんはそう付け加えて、ニッコリと微ほほ笑えむ。

 その好意的な反応に安あん堵どした直後、お父さんが「若いな」とボソリと呟つぶやく。

 俺は、思わず飲みかけたコーラを吹ふき出だしそうになる。

 この緩かん急きゆう、すごく疲つかれる。

「わたしにとっては、人生最高の瞬しゆん間かんだったもの!」

 ヨルカはムキになって声を上げる。

 娘むすめに睨にらまれながらも、お父さんは静かに盃さかずきを傾かたむけていた。

 怒おこっているヨルカ相手に平然としていられるのだから、さすが親である。

「ほんと、いいライブだったんだよ。私も聞いてて思わず泣いちゃったもの」

 アリアさんが話を戻もどすように、さらりと言い添そえる。

「え、お姉ちゃん泣いていたの!?」

「初耳ですよ」

 アリアさんが泣くなんて、かなり意外だった。

「恥はずかしいから言うわけないでしょう。……やっぱりソフトドリンクだと物足りないわね」

「酔よって変なことされる心配がないから、俺は安心ですけどね」

「相手は選んでいるわ。紫し鶴づるちゃんやスミくんくらいよ」

 ウーロン茶を傾かたむけながら、アリアさんは堂々と言ってのける。

「希き墨すみくんは、アリアちゃんとも仲良しなのね?」

 お母さんの感想は俺にとってむず痒がゆい。どこまで行っても有あり坂さかアリアは頭の上がらない年上のお姉さんで、俺はフラットな関係とは認にん識しきしていない。

 気心が知れて頼たよりにしているが、仲良しという表現はどこか違ちがう気がした。

「アリアさんは恩人です。僕が中学の時に通っていた塾じゆくで講師のアルバイトをされていたのでその頃ころからの付き合いなので」

 かしこまって、思わず一いち人にん称しようも俺から僕になってしまう。

「中々に劣れつ等とう生だったんだけど、ちゃーんと合格させました」

 アリアさんはドヤ顔でピースサイン。家族の場だとノリがいい反応をするのだな。

 いつも余よ裕ゆうのあるお姉さんだと思っていたから、娘むすめとしてのアリアさんを見るのはなんだから新しん鮮せんだった。

「じゃあヨルカちゃんより先にアリアちゃんと出会っていたの。ご縁えんがあるのね」

「おかげさまで」

 俺も自分のグラスに入ったコーラを一口含ふくむ。やっぱり喉のどの渇かわき方が尋じん常じようではない。

「それに、旅先まで会いにきてくれるなんて頼たのもしい彼かれ氏しさんね」

「もしかしてヨルカが呼びつけたんじゃないか? こんな雪の日に大変だっただろうに」

 ご両親は、正反対の感想を述べてくる。

「いえ、僕が勝手に来ました。ヨルカさんはなにも言っていません」

 ヨルカの名めい誉よのために、そこはきっちり主張する。

「希き墨すみくんは、すごくヨルカちゃん想おもいなのね」

 お母さんは俺の答えに満足げだ。

「まだ三が日も明けていないんだぞ。彼は高校生だし、ご家族も心配されているだろう」

 あ、しまった。家への連れん絡らくをすっかり忘れていた。

 タイミングを見計らって、トイレのついでに電話しておこう。

「それはもちろんそうですけど、女としては嬉うれしいものじゃない。ねぇヨルカちゃん?」

「うん」

 ヨルカは、お母さんの意見に満面の笑えみで同意する。

 少なくともお母さんの反応を見る限り、俺の件でヨルカが家族内で孤こ立りつしていないことがわかって安心した。

 やはり問題は、お父さんだろう。

 ヨルカはお母さんやアリアさんと話してばかりで、お父さんの方をあまり見ない。

 お父さんはあまり口を開かない代わりに、お酒のペースは速い。

 俺もとりあえず料理に手をつける。あ、めっちゃ美う味まい!



 美お味いしい料理を堪たん能のうするうちに俺の緊きん張ちようもほぐれてきた。

 神かん崎ざき先生の代理彼かれ氏しで似たシチュエーションを経験したのも幸いした。

 どんな経験が役に立つのか、わからんものだ。

 ご両親もお酒が進むにつれて段々と口数が増えてきた。

 もはや俺の存在などお構いなしに、おふたりの会話はエスカレートしていった。

「私は学生結けつ婚こんだろうが、ふたりの愛が本物なら許しちゃうわ! だって理解ある母親よ!」

 お母さんは酔よって赤くなった顔で言い放つ。

「えぇ!? いいの! やった、ママは話が分かるなぁ。好き!」

 ヨルカは待ってましたとばかりにテンションを爆ばく上げした。

 ちょっと前から気づいていたのだが、ヨルカってお母さん相手だとめちゃくちゃ喋しやべるんだよな。さっきも俺がクリスマス・プレゼントで上げた指輪を自じ慢まんして、お母さんと一いつ緒しよになって盛り上がっていた。

 人間、家族といる時とそれ以外では別人になるものだ。

「ほら、君がそうやって無む闇やみに甘やかすから……」

「いいじゃないですか。希き墨すみくん、いい子ですもの。私にはわかります! もう私の息むす子こ同然です!」

 嬉うれしいことを言ってくださるものだ。

「そうだ、そうだ!」

 すかさずヨルカも同調した。

「君達似た者母娘おやこは、どうしてそう結論を急ぎたがるんだ」

 お父さんは日本酒の入ったお猪ちよ口こを呷あおってから忠告する。

「ヨルカちゃんのことだから一いち途ずな人を選んだに決まっているけど、放っておいて変な虫が湧わいてきたら心配でしょう!」

 そんな悠ゆう長ちような態度でどうするのと、お母さんは責める。

「他の相手に靡なびくかどうかは彼自身の問題だ」

「スミくんは真面目だから大だい丈じよう夫ぶよ」

 アリアさんは、ふいにフォローしてくれた。

「アリアがそこまで言うなら、そうなんだろう」

 お父さんは、あっさり聞き入れる。

 これが長女の発言力なのか、はたまたアリアさんの信しん頼らい感なのか。

 その姉し妹まいでの反応の違ちがいに、横でヨルカが恨うらめしそうにお父さんの方を見ていた。

「恥はずかしながら、アリアさんがヨルカのお姉さんと気づいたのは去年の夏に再会した時がはじめてで。名字も一いつ緒しよなのに結びつかないなんて、いやー僕も鈍にぶいですよね」

 ヨルカが爆ばく発はつする前に、俺は自分の話を引き合いに出して会話の流れを逸そらす。

「鈍にぶいと言うより純じゆん粋すいに幼かっただけだろう。気にすることはない」

「恐きよう縮しゆくです」

「逆に女の子は早熟だから困る。こっちの言うことなんて聞きやしない」

 そう言いつつも、ヨルカやアリアさんを見つめる目はやさしかった。

「わかります。僕の妹が小学四年生なんですけど、口ばっかり達者で振ふり回まわされてばかりで」

「君の面めん倒どう見のよさは、妹さんで慣れているからか」

 納なつ得とくだ、とばかりに頷うなずく。

 お父さんはお酒の力もあり、最初に比べて饒じよう舌ぜつになっていた。

「希き墨すみくん。浮うわ気きはダメよ! 絶対にダメだからね!」

 お母さんもかなりお酒が回っていそうだった。

「大だい丈じよう夫ぶよ、ママ。希き墨すみにはきちんと非ラブコメ三原則を教えておいたから」

「当然。浮うわ気きは言語道断よ」

「他の子に対してラブコメみたいな真ま似ねも許さない!」

「ヨルカちゃん、ママの教えをちゃんと覚えていて偉えらいわ」

 お母さんは手を伸のばして、テーブル越ごしにヨルカを撫なでる。

 非ラブコメ三原則の教えはどうやら母親譲ゆずりらしい。

「君も大変だろう?」

 お父さんは同情するように、こちらに語りかけてきた。

「いえ、俺はヨルカ一筋ですから」

「……娘むすめの父親としては安心できるが、男としては疑問だ。そんな簡単にひとりに絞しぼるなんて、若い君はそれでいいのか?」

 俺が迷わず答えると、悪あく魔まのような質問を重ねてくる。

 からかうような軽口や唆そそのかすような邪じや気きはなく、むしろ気き遣づかうような言い方だった。

 俺はその問いかけに戸と惑まどってしまい、わずかな間が生じてしまう。

 その一いつ瞬しゆんを埋うめるように、有あり坂さか母娘おやこが一いつ斉せいに反応する。

「あなた、娘むすめの恋こい人びと相手に信じられない発言」

「うわ、パパ最低。さすがにないわ」

「なんでそんな酷ひどいこと言うの!」

 母と姉し妹まいのジェットストリームアタック!

 感情の大おお津つ波なみが怒ど濤とうのごとく押し寄せてくる。

 なんというか気の毒になるほどの一方的な言われようだった。

 俺がまともに口を挟はさめるような空気ではない。

「わかっただろう。うちの家族は女子だけですぐに結けつ託たくするんだ」

 三対一の圧あつ倒とう的てき劣れつ勢せいに、お父さんは悟さとり切った顔でこちらを見てきた。

「多数決じゃ敵かないませんよね」

 俺はそう言わずにはいられない。

 こんな美人三人に毎回責め立てられたら、いかにメンタルが強くてもしんどいだろう。年末年始に温泉で仕事の疲つかれを癒いやしたはずの中年男性には、拭ぬぐいきれない悲ひ哀あいや諦てい観かんが滲にじむ。

「希き墨すみはどっちの味方なのよ!」

 頭に血が上ったヨルカが吼ほえる。

「少なくとも敵じゃない。俺はあくまで許しをもらう立場だ」

 きっぱりと明言する。

「彼の方が、よっぽど冷静だ」

 ヨルカやアリアさんの言葉から想像していたイメージと比べて、実際のお父さんはずいぶんと穏やかな態度だった。俺は少々思おもい違ちがいをしていたのかもしれない。

 むしろ、俺の立場に配はい慮りよしてくれている。そんな風にさえ感じてしまった。

「いい機会だから、ハッキリさせる! わたしは日本に残る。アメリカなんか行かない。希き墨すみと遠えん距きよ離り恋れん愛あいなんて絶対に嫌いやッ! これまで通り、楽しく学生時代を送るの!」

 ヨルカは訴うつたえた。

「彼がいると、いつも以上に強気だな」

「自分の人生かかっているんだもの。ムキになって当然でしょう!」

 親子喧げん嘩かが再びはじまろうとしていた。

 ヨルカは臨戦態勢とばかりにお父さんを睨にらむ。

 一方のお父さんは淡たん々たんとしていた。本心を伏ふせて、相手の出方を見ているようだ。

「よっぽど彼と付き合って、楽しい学生生活になったんだろうな」

「ええ。希き墨すみは運命の人よ」

「──恋れん愛あいだけが人生のすべてではないぞ」

 その指し摘てきは、ぐうの音も出ないほど正しい。

「パパがそうやって正論でやりこめようとするのにはうんざり!」

「話をすり替かえるな」

「好きな人と一いつ緒しよに生きるのが人生の幸せよ! 否定しないで!」

「人生を賭かけた判断をするには、自分が未熟であることを自覚しなさい」

 ヨルカの感情的な発言を、お父さんは理性的に受け流す。

「自分にとって大事なものはわかっているッ!!」

「今は特別でも、時間が経たてば自然と変わっていく。人間は飽あきる生き物だ」

 まるで若さゆえの勘かん違ちがいとばかりに、お父さんの言葉は非情だ。

「変わらないものだってあるでしょう!」

「運命の人なら、遠えん距きよ離り恋れん愛あいでも問題ないだろう」

 娘むすめの発言を拾って火の玉ストレートで切り返すと、ヨルカは表情を歪ゆがめた。

「い、一方的な都合でわたしの人生を変えようとしないで!」

「子どもの将来を想おもえばこそだ。海外経験はヨルカの将来にも必ず役立つ」

「わたしは、そんなの求めていない!」

「もっと人生を長い目で見て、備えなさい。たくさんの経験は無む駄だにならない」

「未来を見ているからこそ、希き墨すみしかいないの!」

「……そういう感情的な反応が子どもなんだ。だから大人になってほしいんだよ」

 ヨルカは昂たかぶり、お父さんは揺ゆるがない。

 その対照的な態度を見れば、相あい性しようが悪いのは誰だれの目にも明らか。

 長引く理由も、ヨルカが苦戦するのも当然だ。

 しかも、お父さんはかなり手心を加えているように見える。

 本気を出して、理り詰づめで畳たたみかけられてしまえば議論はとっくに終わっているだろう。

 ムキになっているヨルカはそれにすら気づいていない。

 アリアさんやお母さんの顔を見れば、またかという表情をして困っていた。

「大人になれば、認めてくれるの?」

「そうだな」

「じゃあ大人ってなによ」

「自分の行動に責任がとれることだ」

「わたしは、無責任なことはしていないわ」

「そうかな? 彼との話はヨルカからたくさん聞かせてもらったが、俺にはどうにもヨルカが彼を振ふり回まわしているようにしか思えてならない」

「どういう意味よ?」

「……、自覚がないのが子どもの証しよう拠こだ」

 お父さんはため息交じりに断ずる。その仕草は妙みように芝しば居いがかって見えた。

 それがヨルカの神経を逆さか撫なでした。

「なにも知らないくせにッ」

「だから教えてくれ。運命の人なんて曖あい昧まいな誇こ張ちようなどせず、誰だれでも納なつ得とくできるように」

「希き墨すみのなにが気に入らないの?」

「俺が聞きたいのは、ヨルカ自身の気持ちや考えだ。今は彼のことは関係ない」

 お父さんは逃にがさない。

 聞きたいことを聞き出すため、娘むすめが無意識に他の話題へすり替かえることを許さなかった。

 ヨルカは、ついに言葉に詰つまる。

 いつものように感情で押し切ることが実のお父さんには通じなかった。

 好きの気持ちだけでは説得材料に足りない。

 ──同時に俺は父と娘むすめの口論を聞きながら、どんどん違い和わ感かんを覚えていた。

 どうして部外者である俺を前に、わざわざ喧けん嘩かをはじめたのか?

 きっかけは、俺との会話でなされた悪あく魔まのような質問。

『そんな簡単にひとりに絞しぼるなんて、若い君はそれでいいのか?』

 お父さんのあの問いかけがなければ夕飯は和なごやかに終わっていた。

 この場であんな言い方をすれば、ヨルカが怒おこるのは火を見るよりも明らか。

 年とし頃ごろの娘むすめを持つ父親ならば、自分から嫌きらわれるような言葉を口にするだろうか?

 ヨルカのお父さんがそんな無神経な人には到とう底てい思えない。

 わかった上で、あえて娘むすめを怒おこらせた。

 まるで現状を俺にわからせるように。

 ヨルカの鋭するどい視線を物ともせず、お父さんは話を続ける。

「俺も男だ。惚ほれた弱みくらい知っている。男は本気で惚ほれた女のために、時にはバカみたいな無理を平気でする生き物だ。今日だってヨルカのために、彼は雪の中をここまで来た」

 お父さんは一いつ瞬しゆん、視線を俺に送る。

「わたしを想おもってのことよ。そのやさしさのなにがいけないのよ!」

「愛情さえあれば、すべてが許されるものではない」

 固い声で静かに𠮟しつ責せきする。

「──、パパがアメリカ行きなんて言い出さなければ、こんな風に喧けん嘩かをせずに済んだのよ。わたしはただ、希き墨すみとずっと一いつ緒しよにいたいだけなのに」

 ヨルカは必死に泣きそうになるのをこらえていた。

「世界は君の感情だけで回らない。そういう甘えた考え方が幼いんだ」

 ヨルカは大きく息を吸いこみ、なにかを叫さけぼうとしかける。

「ストップだ、ヨルカ! もうわかった!」

 俺は親子の会話に割って入った。

 有あり坂さか家の視線が、俺に集まる。

「……、希き墨すみ?」

「お父さんには、ヨルカがどれだけ俺のことを好きかは十分に伝わっている。むしろ伝わりすぎているくらいだ。だから──お父さんは安心できないんだよ」

 俺は、ヨルカを安心させるように彼女の瞳ひとみを見つめる。

 かわいそうに。手負いの獣けもののように恐きよう怖ふと不ふ審しんに染まった表情をしていた。それだけ不安なのだろう。自分の大好きをことごとく否定されて平気でいられるわけがない。

 だけど闇やみ雲くもな好きの感情だけでは、ご両親は納なつ得とくしない。否、できないのだ。


 ──その〝好き〟は人生を賭かけるに値あたいするか?


 家族を愛しているからこそ迂う闊かつな決断はできない。

 以前の俺はふつうという言葉に囚とらわれて、自分の真価を正しく認にん識しきできていなかった。

 ヨルカも今、同じ状態だ。

 ヨルカにとっては当たり前すぎる俺への好意が、どれだけ特別なのか。

 本人が上う手まく理解できていないから、それを言葉にして具体的に伝え切れないのだ。

 お父さんは先ほど言った。


『だから教えてくれ。運命の人なんて曖あい昧まいな誇こ張ちようなどせず、誰だれでも納なつ得とくできるように』


 ただの好きでは曖あい昧まいすぎる。

 要するに、その答えを娘むすめから聞きたいのだろう。

 誰だれかを想おもう特別な気持ちが、この先の人生を左右するとしても構わないのか。

 本来はそう簡単には言い切れない。

 だが、ヨルカはあまりにもあっさりと断言しすぎている。

 恋れん愛あいしか眼中にないと誤解されてもおかしくないような言動になっている。

 だから、お父さんは娘むすめのことだけを真しん剣けんに見み極きわめようとする。

 その証しよう拠こにヨルカのお父さんは、俺に対して否定的な言葉を浴びせることはしない。

 単純に、俺がヨルカの恋こい人びとに相応ふさわしくない、高校時代の恋こい人びとはいずれ別れると大人の論理で黙だまらせる方がはるかに容易たやすい。

 親の言うことを聞きなさいと有う無むを言わさず従わせることだってできるのだ。

 それなのに口論になろうとも、ヨルカとの話し合いを続ける。

 瀬せ名な希き墨すみがこの場にいられることが、この家族がヨルカの今後についてまだ決めかねている証しよう拠こだ。

 ならば俺達の両りよう想おもいが現実に負けるにはまだ早い。