食事を終えて、映えいがトイレと新しいドリンクを取りに席を立つ。

 ふたりになったタイミングを狙ねらって、俺は例の件をアリアさんに切り出した。

「ヨルカは『信じて待っていて』って言ってましたけど、アメリカ行きの話って実際どうなりそうですか?」

 俺は、余よ程ほど深刻そうな顔で訊たずねていたのだろう。

 アリアさんは澄すました顔で呟つぶやく。


「人生は愛を試ためすね」


「仰おつしやる通り」

 俺はアリアさんの言葉に、しみじみと頷うなずく。

「好きの気持ちだけで、ぜんぶ上う手まくいけば楽なのにさ」

「アリアさんでも、そんな風に思うんですね」

「誰だれにでもあるでしょう。家族への愛、恋こい人びとへの愛、友達への愛、色んな形の愛があり、嫌きらいになったわけでもないのに離はなれ離ばなれになってしまう。卒業、進学、就職、結けつ婚こん、死別とか数え切れないタイミングが人生には溢あふれている」

 その言葉は、ちょうどナーバスになっている俺には強く響ひびいた。

「で、今の状じよう況きようは?」

「可能性はまだフィフティ・フィフティかな。ヨルちゃんもまだパパと話していないから進展はなし。さすがに、温泉旅行で話し合うんじゃない」

「……アリアさん、なんか他ひ人と事ごとですね」

「私は今三年生でしょう。来年度には大学を卒業だもの。このタイミングで今さら海外に行く意味も理由も特にないし」

「確かに」

 言われてみればその通りだ。

 二十一歳で大学三年生であるアリアさんは、来年度には卒業する。就職活動なり、単位のこともあるだろうから、日本を離はなれるデメリットが明確にあった。

 ご両親も優ゆう秀しゆうな長ちよう姉しをわざわざ留年させてまでアメリカに連れていかないはずだ。

 反対にヨルカは十七歳。これから大学時代を丸々アメリカで過ごせる時間的余よ裕ゆうがある。

「だから今回は、ヨルちゃん自身がどうするかって問題なの」

「俺は、てっきりアリアさんがヨルカをフォローしてくれると思ってました」

 この頼たよりになる姉なら、妹のために一ひと肌はだ脱ぬいでくれると期待していた。

「……昔みたいになるのが恐こわいのよ。だから、私は口を出せない」

 アリアさんの表情が翳かげる。

 俺はこんな風に浮うかない顔のアリアさんをはじめて見た気がした。

「どういう意味ですか?」

「スミくんはさ、ヨルちゃんから家族が別々に暮らすようになった経けい緯いをどう聞いている?」

「アリアさんと話し合って、ご両親を送り出したと」

「ヨルちゃんはそんな風に覚えているんだ」

「え、違ちがうんですか?」

「事実だけ見れば、その通りよ。私とヨルちゃんで話して、パパとママをアメリカに行かせてあげようって結論にはなった」

「アリアさんの目から見たら、実際はどういう状じよう況きようだったんです? 親子が離はなれて暮らすことって一大事じゃないですか」

 その一連の回りくどい言い方が気になった。

 どうもヨルカの認にん識しきが、アリアさんとは微び妙みように異なっているようだ。

「私もパパやママと離はなれるのは、もちろんさびしかったよ。だけど日本には友達がいるし、現実的にアメリカでの生活は大変になるとは言われていた。その上で両親の足あし枷かせにもなりたくなかったんだ。やりたいことがあって、それができるチャンスに恵めぐまれたなら応おう援えんしたかった。それに、姉し妹まいだけで日本に残っても、私ならヨルちゃんの力になれる自信があった──いや、過信していたんだ」

 アリアさんは唇くちびるを歪ゆがめる。

「きっと、ヨルちゃんは私の意見に流されちゃったと思うのよ。あの頃ころ、十四歳の私と十歳のヨルちゃんでは、今以上に大きな差があった。まだまだ親に甘えたい年とし頃ごろなのに、あの子は自分のさびしさや不安を我が慢まんして、私に合わせてくれたんだよ」

 いつになく暗い声で、まるで悪いのは自分であるような発言をする。

「アリアさん、それは違ちがいますよ」

「え?」

「ヨルカは、アリアさんを大好きだからこそ同じ結論を選べたんです。親と離はなれる不安より、姉と一いつ緒しよにいられる安心感があるからご両親を応おう援えんできたんですよ」

 有あり坂さか姉し妹まいの揺ゆるぎない信しん頼らい関係を、俺はよく知っている。

「そうだと、いいけど……」

 アリアさんがいつになく自信なさげだ。

 その理由に、俺はすぐに思い至る。

「もしかしてヨルカが、アリアさんの真ま似ねをするようになったのはご両親がアメリカに行った後からですか?」

「きみは、ほんとうにヨルちゃんのことをよくわかっているね」

 アリアさんは頷うなずく。

「アリアさんが、そんな弱気になるなんてヨルカの件しか思い当たらないので」

「姉し妹まいふたりとも心の内を把は握あくされているって、ちょっと恐こわいんだけど」

 アリアさんは無理に笑った。その笑え顔がおはまだぎこちない。

「悪用するつもりはないからご安心を」

「私達を手玉にとっている時点で、きみは悪い男だよ」

「心外だな」

 こんな美人姉し妹まいを俺が支配できるわけがない。

 見たいのは明るい表情だけだ。暗い表情になってほしくないし、させたくない。

「私は力になるどころかアドバイスを求めてくるあの子に、『私の真ま似ねはもうやめて』と遠ざけてしまった。ヨルちゃんの真まっ直すぐさが、あの頃ころの私には想像以上に重かったのよ」

 アリアさんは長いまつ毛を伏ふせながら話を続けた。

 この人はなんでも人並み以上にできるのに、できなかったことを長く引きずる。

 アリアさんなりに理想の姉たらんと人知れず背せ伸のびをしてきたところもあったのだろう。

 俺は遅おそまきながらにやっと気づく。

「誰だれも、他人と同じにはなれませんよ。たとえ仲良しの姉し妹まいであっても」

 もともとコミュニケーションに苦手意識のあったヨルカ。

 社交的で明るいアリアさんに憧あこがれた昔のヨルカは、姉の振ふる舞まいを真ま似ねしようとしていた。

 姉し妹まいで能力こそ変わりないが、ヨルカとアリアさんでは気質が大きく違ちがう。

 そのギャップによるストレスを抱かかえたヨルカは、大好きな姉にアドバイスを求め続けた。

 だが、当時のアリアさんは、妹の憧あこがれや期待に応えきれなかった。

 それは、どちらが具体的に悪いというものではない。

 誰だれもが大人と子どもの狭はざ間まで苦しむ。

「でもヨルちゃんは私の真ま似ねをやめてくれた代わりに、他人とのコミュニケーションまで諦あきらめちゃったんだよ。やっぱり、責任は感じちゃうって」

 ヨルカは、他人とのコミュニケーションを拒きよ絶ぜつすることで精神の安定を得た。

 極きよく端たんな転てん換かんに思えるが、自分の気質に逆らわないのはむしろ正しい選せん択たくだ。

 下手に我が慢まんを続けるより、いっそ諦あきらめた方が楽になれることもある。

 それでも姉が大好きなところだけは揺ゆるがないのがヨルカらしい。

 永えい聖せいで俺とはじめて出会った頃ころのヨルカがまさにその真まっ只ただ中なかだった。

 俺が嫉しつ妬としてしまうほど、この姉し妹まいの絆きずなは強い。

「アリアさんが責任を感じることじゃありません。最終的に了りよう承しようしたのは他ならぬご両親じゃないですか。ご両親はその頃ころのヨルカをどう認にん識しきしてたんです?」

 そんな娘むすめ達をご両親はどう捉とらえていたのか?

 旅行なり帰省で顔を会わせていれば、ご両親も娘むすめの変化に気づくだろう。

「日本で一いつ緒しよに暮らしていた頃ころより過保護になっていたわ。私もヨルちゃんの件はずっと相談していたから、両親も気にかけていた。だけど、ヨルちゃんは電話で話しても平気そうにするし、両親と顔を合わせれば嬉うれしいからふつうに元気なのよ」

「心配かけたくないからこそなんでしょうけど、ご両親は余計にヤキモキされていたんじゃないですか」

 今の俺がまさにそれだ。

 ヨルカは『信じて待っていて』と言って、俺に迷めい惑わくをかけまいとしていた。

 健けな気げでいじらしい子である。

「もちろん。パパもママも私達が大好きだもの。それこそ自分達だけでアメリカに行くのは身を切られるような思いだったって何度も言っているし、私達もそれをわかっている。たださ、愛情があるからこそ一筋縄ではいかないこともあるのよ」

 アリアさんは冷静に現状を分ぶん析せきする。

 好きな相手だからこそ素す直なおになれないこともあるのだろう。

「強すぎる愛情って厄やつ介かいですね」

 歯がゆくて辛つらい。

「ヨルちゃんとパパが揉もめているのも、あの頃ころのことが尾おを引いているからよ。子どもの言葉を、どこかで信じきれないみたい」

 ご両親も、アリアさんやヨルカを日本に置いていったのは苦く渋じゆうの決断だっただろう。

 それでも──

「大人は賢かしこい選せん択たくができるかもしれませんけど、それが正しい選せん択たくとは限りません!」

 俺は自分の立場を明確にした。

「それは、私も同意見だと信じたいな」

 アリアさんの表情がようやく緩ゆるむ。

 ちょうど、映えいがドリンクを持って戻もどってきた。


◇◇◇


 俺達も新しい飲み物をドリンクバーから持ってきて仕切り直し。

 映えいはデザートで追加注文した大きなパフェを、夢中で頰ほお張ばっていた。

「アリアさん、ご両親についてもう少し具体的に教えてくれませんか?」

 俺は、ヨルカのためにも有あり坂さか家についてもっと多面的に把は握あくしたかった。

「具体的って、働くのが好きで仕事ができる夫ふう婦ふ、今はお互たがいビジネスパートナー」

「もうちょっと、こう、人となりがわかるエピソードとかをお願いします」

「ふたりは外資系のコンサティング会社に就職した同期なの。ママは超ちよう優ゆう秀しゆうだけど一いつ匹ぴき狼おおかみタイプ、かたやパパは客観的に分ぶん析せきして人を動かすのが得意なタイプ。ふたりはお互たがいをライバル視していて、相手に勝とうと必死になって仕事に打ちこんでいたみたい」

「そこから、どう結けつ婚こんに至ったんです?」

 聞く限り、あまり相あい性しようがいいようには聞こえない。

「きっかけは、パパがアメリカへの赴ふ任にんが決まったこと。離はなれ離ばなれになってライバル視していたのが実際にはお互たがいを特別に意識していたとようやく気づいたの。そこから遠えん距きよ離り恋れん愛あいがはじまり、パパが帰国したタイミングで結けつ婚こん。私が生まれると、ママは人が変わったみたいに仕事より子育てに夢中になった。子どもを生んで人生観が変わったって言うくらいね」

「いざ家族が増えたら、そりゃ嬉うれしいもんですよね」

 俺も、映えいが生まれてはじめて家に来た日のことはよく覚えている。

 嬉うれしくて、照れくさくて、愛いとおしくて。

 妹ができて、自分がお兄ちゃんになることが妙みように誇ほこらしかった。

「そうしてヨルちゃんが大きくなった頃ころ、パパが積み上げた実績とアメリカ時代にできた人脈のおかげで独立。会社がどんどん忙いそがしくなり、ママも本格的に仕事に復帰した」

「その時点で、アリアさんやヨルカにとっては問題なかったんですか?」

「もともと私達はふたりとも手のかからない子どもだったし、お手伝いさんとかも雇やとっていたからね。それにママがほんとうはもっと仕事したそうなのには気づいていたし」

「ヨルカも同じようなことを言ってましたよ」

 幼くも聡そう明めいな姉し妹まいは、親のやりたいことをちゃんと察していた。

「そうしてさらに仕事が軌き道どうに乗って、日本にいるよりアメリカにいる方が仕事をしやすいってことで、今の有あり坂さか家のライフスタイルになったの」

「新聞とか経済誌にも載のりそうな、輝かがやかしい経歴ですね」

 ………………うん、わかっていた。

 そんなことは最初からわかっていたんだろう。

 俺の恋こい人びとはとんでもなくお金持ちの家庭の子である。

 ヨルカの住んでいる高層マンションを見れば一いち目もく瞭りよう然ぜん。

 だけど、いざ具体的に聞いてしまうと正直ビビッてしまう。

「今度はスミくんが表情暗くなっているよ。大だい丈じよう夫ぶ?」

「今の話を聞いたら、そうなりますって」

「こうなるのがわかっていたから話したくなかったのに」

「俺もヨルカも人生の分かれ道に立たされているんですよ。嫌いやでも気になります」

「スミくんはさ、──背せ伸のびしすぎて苦しくないの?」

 アリアさんは見み透すかす。

「映えいもそう思う!」

 俺の代わりに、先に映えいが反応していた。

 タイミングよく追おい討うちをかけるなと、俺は横にいる妹を恨うらみがましく見る。

 俺はため息をひとつ落として、アリアさんと向き合う。

「……他人の隠かくしている本音を暴かないって俺と約束しましたよね」

 自分でもわかっている。

 理想を追い求めるのは、決して楽な生き方ではない。

「今のはただの気き遣づかい。だって、スミくん隠かくせてないもの。恋こい人びとと遠えん距きよ離り恋れん愛あいになるかもしれない不安、進路がハッキリしない焦あせり、ついでに、うちの親の話を聞いて超ちようビビッている」

 この人と話していると、意地が張れなくなってしまう。

 ぜんぶ筒つつ抜ぬけになり、自分の弱い部分が曝さらけ出だされそうで恐こわかった。

 しかも、これは心持ちの問題だ。

 仮に外部要因を誰だれかに解決してもらったところで、当人の考え方や感じ方が変わらなければ意味がない。

 今の俺は、有あり坂さか家との差に圧あつ倒とうされていた。

 こんな俺がヨルカの役に立てるなんて思い上がりじゃないのか?

 また勝手に気き後おくれして、弱気の虫が騒さわぐ。

「思春期の心を丸まる裸はだかにしないでくださいよ。死にそうになる」

 面と向かって指し摘てきされると、言いい逃のがれできない。

「じゃあ当たりってことね」

「そうですよ、悪いですか!」

「自分の観察眼が狂くるっていなくて安心した」

 口くち振ぶりに反して、アリアさんの顔はあまり愉ゆ快かいげではない。

 これまでならば相手の本音を読み解き、いつの間にかコントロールする巧たくみさがあった。

 だが、アリアさんの手のひらで転がされている感覚が以前ほどは感じない。

 手心を加えてくれているのか、単に調子でも悪いのか。

 アリアさんは自分のコーヒーを一口飲んで、青あお臭くさい小こ僧ぞうにアドバイスを送る。

「うちの親にあんまり身構える意味なんてないよ。ていうかタイプとしては、スミくんとパパはむしろ似ているくらいだし」

 アリアさんはいきなり突とつ拍ぴよう子しのない意見を述べる。

「一体どこに似ている要素があるんですか?」

 皮肉にしては冗じよう談だんがキツイ。

 慰なぐさめにしてはピントがズレている。

 いずれにしても俺の気が休まることはない。

「……スミくん」

 アリアさんは窘たしなめるように言葉を続ける。

「パパの経歴は歩んだ時間の結果よ。実績だけ比べたら十代の男の子が敵かなうわけないでしょう。なのに、どうして今のままで張り合おうとするのよ?」

「ぐっ」

 言われて、自分の思いこみに気づく。

「パパが仕事でやっていることは、これまでスミくんが周りの子にやってきたことと基本は変わらない。まず、話を聞く。相手の気持ちを汲くんで、代わりに言語化する。閉ざしていた心を開いてあげる。条件の調整、複雑な状じよう況きようを整理する、人手が足りないなら力を貸す。自分の持っている知識で筋道をつける。自分もチームの一員として、人のやらないことを代わりにやって全体をまとめる」

「クラス委員とコンサルタントでは雲うん泥でいの差さですよ」

「……そうやって囚とらわれているうちは、確かに難しいだろうね」

 アリアさんは独り言のように呟つぶやく。

 そこには、かすかな失望と苛いら立だちが滲にじんでいた気がした。

「きすみくん、顔が恐こわいよ」

 様子を窺うかがっていた映えいもパフェを食べる手を止めて、心配そうな顔になる。

「アリアお姉ちゃん、あんまりきすみくんをいじめないで!」

「映えい。別に俺はいじめられていないよ」と妹の頭にポンと手を置く。

「そうだよ、映えいちゃん。私がスミくんを大好きなのは知っているでしょう?」

 アリアさんは、意味深な視線を映えいに向けてきた。

 そう言うと、映えいはあっさり敵意を解く。

「けど、ここから逆転する方法なんて正直見当もつかないんですけど」

 いっそご両親の話を聞かず、無む謀ぼうであろうと勢い任せの方が楽だったかもしれない。

「何事も傾けい向こうと対策はあるものさ。あるいは滑り止めもね」

 アリアさんは、いつもの不敵な笑えみを浮うかべる。

「そんな、受験じゃないんですから」

 テストの合格点があるわけでもあるまいし。

「高校生のきみがヨルちゃんとの結けつ婚こんの許しをもらうのは無理でも、アメリカ行きを止められるくらいの説得材料は持っているよ」

「ほんとうですか?」

「親という存在が、子どもになにを与あたえたいのか。よーく考えてごらん」

 まるで昔の授業を受けていた時のように語りかけられる。

 つくづくアメとムチの使い分けが上う手まい人だ。

 こちらを凹へこませておいたまま放置せず、きちんと武器も授さずけてくれる。

 ヨルカのご両親が与あたえたいもの。

 そして今の俺が差し出せるもの。

 アメリカ行きを中止にできる説得材料とは一体なんだ?

 どれだけ頭を悩なやませても、すぐには答えが出ない。

「ヒントその一。親の愛情を逆手に取れ」

「今度は格かく闘とう技ぎですか?」

「ある意味、父親との真しん剣けん勝負でしょう」

 アリアさんは興が乗ってきたように、元の調子を取とり戻もどしてきた。

 だが、俺はまだ答えに辿たどり着つかない。

「じゃあヒントその二。終業式の後に、スミくんとその話をしたって、昨夜紫し鶴づるちゃんから聞いたよ。だから、きみはもう答えを知っている」

「神かん崎ざき先生からッ!?」

 茶室での神かん崎ざき先生との会話を思い返す。

 しばしの無言を経て、俺はようやく答えに辿たどりついた。

 やがて俺の表情が変わったことに気づいたアリアさんは満足げに頷うなずく。

「さぁ、ふつうに囚とらわれるのはおしまいだ」


◇◇◇


 アリアさんを駅まで見送り、俺と映えいはスーパーで買い物をして帰宅した。

 部屋で一休みして、お風ふ呂ろを済ませていく。

 夕飯は家族四人がリビングに集まって年とし越こしそばを食べながら年末特番を見る。

 ちょうど映えいの好きなビヨンド・ジ・アイドルの出るタイミングで紅白歌合戦にチャンネルを変えた。

 そんな風に家族でのんびりと時間を過ごしているうちに、映えいはいつの間にかソファーで眠ねむっていた。風か邪ぜを引くといけないからと、俺が映えいを二階まで運ぶ。久しぶりに背負うと、あんなに小さかった妹の成長を嫌いやでも実感させられる。さすがに十歳の女の子を担かつぐのはしんどい。ベッドに寝ねかせて、一階に戻もどってテーブルの後片づけを手伝う。

 気づけば午前零れい時。

 年が明け、一月一日。

 両親と新年の挨あい拶さつを交かわして、俺もようやく部屋に戻もどる。

 瀬せ名な会かいのグループラインには、ひっきりなしにメッセージやスタンプが飛とび交かう。

 あけおめことよろ、と俺も返信。

 その流れで初はつ詣もうでを一いつ緒しよに行こうという話が上がる。全員の予定を確かく認にんして、一番人数が集まる一月二日に決まった。場所は、夏祭りにみんなで遊びに行った近所の神社。

 残念ながらヨルカだけは旅行先なので、今回は欠席である。

 ラインのメッセージが一通り落ち着いた頃ころ、ヨルカから電話がかかってきた。

『わたしも、みんなで初はつ詣もうで行きたーい』

 開口一番、不満そうな声が聞こえてきた。

「ヨルカがみんなと行動したいって思ってくれることが、俺にはお年玉だよ」

 出会った頃ころの刺とげ々とげしかったヨルカは、記き憶おくの彼方かなたとなりつつある。

『なにそれ。あ、いきなりごめんね。今電話できる?』

「もちろん。ヨルカ、あけましておめでとう。今年もよろしく」

『あけましておめでとう。こちらこそ今年もよろしくお願いします』

「恋こい人びとになって、今度ははじめての年とし越こしだな」

『うん。去年は連れん絡らく先を交こう換かんしていなかったものね』

 電話の向こうから聞こえるヨルカの声は明るい。

 これは旅行先でも家族と上う手まくやれているのではなかろうか。

 いきなり愚ぐ痴ちを聞かされるような状じよう況きようではなさそうで、ひとまず安心した。

「そう言えば、昼間にアリアさんと会ったぞ」

『うん。お姉ちゃんから聞いた。映えいちゃんも一いつ緒しよだったんだってね』

「お昼ごちそうになったから、あらためてお礼を伝えておいて」

『了りよう解かい。お姉ちゃんも久しぶりに希き墨すみと話せて、楽しそうだったよ』

「あぁ。それに髪かみを切ったことにも驚おどろいた」

『わたしもビックリしちゃった。お姉ちゃんのショートヘアってはじめて見たけど、よく似合っていたよね。写真もいっぱい撮とっちゃった』

「浮うかれているなぁ。芸能人に会ったわけでもあるまいし」

『わたしにとっては同じようなものだから』

「……ヨルカはさ、昔のことでアリアさんを恨うらんだりしたことないのか?」

『ないよ。ただの一度も』

 過去になにがあろうとも、ヨルカの姉に対する信しん頼らいと尊敬は揺ゆるぎない。

「よかったら、そのことをアリアさんに直接伝えてあげてくれ」

 俺は昼間のささやかなお礼のつもりで、それとなく伝える。

 どうかアリアさんの後こう悔かいが少しでも軽くなりますように。

『──、わかった。伝えておく』

 ヨルカもそれでなにかを察したようだ。

「ところで、ヨルカこそお父さんとは話せたか?」

『…………』

「そこで黙だまられるとすげえ不安なんですけど」

『わかっている。この旅行中には、なんとか話すから』

「THE反はん抗こう期の娘むすめすぎるぞ」

『実際そうだもの。あーあーお姉ちゃんも説得に協力してくれればいいのにな』

「姉離ばなれの時期ってことだろう。がんばれ」

『うん。進展があったら報告するよ』

 いつの間にか真面目な空気になってしまったので、俺はライトな質問を投げかける。

「旅行はどう? 楽しいか?」

『うん。旅館は綺き麗れいだし、温泉は気持ちいいし、お料理も美お味いしくて満足よ』

「温泉旅館で年とし越こしなんていいもんだよな」

『ふたりで温泉旅行もいつか行きたいね』

 浴衣ゆかた姿のヨルカとしっぽり温泉なんて、もちろん行くに決まっている。

 同時にヨルカの不用意な一言のせいで、俺の中のピンクなスイッチが入ってしまう。

 湯気のように脳内に浮うかび上あがるセクシーなイメージを、俺は必死に搔かき消けす。

 正月早々から俺はなにを考えているのだ!

「あぁ。すごく楽しそうだ」

 下心を封ふうじて、紳しん士しであろうと努める。

『恋こい人びととのお泊とまり旅行なんて、ドキドキしちゃうね』

 俺の忍にん耐たい力をあざ笑うかのように、ヨルカは仄ほのめかすような返事をする。

 耳元で響ひびく恋こい人びとの声が妄もう想そうをかき立ててしまう。

 このリアルASMR、脳直で刺し激げきが強すぎなんですけど!

「…………」

『希き墨すみ? 急に黙だまってどうしたの?』

「ヨルカ、わざとか?」

『なにが?』

「思わせぶりなことを言われると、こっちも辛しん抱ぼうたまらなくなるぞ」

 俺の中の紳しん士しは立ち去り、獣けものがつい本音をこぼしてしまう。

『──。そうだよって言ったら、どうする?』

 なにこれ、焦じらしプレイですか!? いつからこんなエロい真ま似ねを覚えたの!

「少なくとも温泉旅行中は寝ね不ぶ足そくになるぞ」

『一体なにをするの?』

「そりゃもう男女のスキンシップですよ」

『マッサージとか?』

「内容は十八禁だけどな」

『希き墨すみのエッチ』

「除じよ夜やの鐘かねくらいじゃ俺の煩ぼん悩のうは消えそうにない」

『どうすれば、消えるの?』

 喉のどをゴクリと鳴らすも、言葉は突つっかかって出てこない。

 この電話越ごしだから交かわし合える他愛のない会話、生殺し感半はん端ぱない。

 怯ひるむな、瀬せ名な希き墨すみ。ここで足あし踏ぶみしてどうするのだ。

 言え、言うのだ。昼間に『言わなきゃはじまらない』と啖たん呵かを切ったばかりではないか。

「俺は、ヨルカと──」

『わたしと、なに?』

 大人の階段を上りたいのだ。

 君との関係をもっと先へ、もっと深く、もっと長く。

 ふいにカーテンを閉めそびれていた窓から、月明かりが差しこむ。

 日中は分厚い雲が覆おおっていたが、ちょうど晴れたのだろう。

 窓から見上げれば、月が白く光っていた。

「一いつ緒しよに月が見たい。今すごく綺き麗れいなんだ。そっちでも見えるか?」

 電話の向こうでヨルカが動く気配がした。

『うん、こっちも見えたよ。ほんとうだね』

「あぁ。月が綺き麗れいですね」

『その台詞せりふ、懐なつかしい。最初に連れん絡らく先を交こう換かんした時にメッセージでくれたよね』

 ヨルカは思い出しながら笑っているようだ。

「よく覚えているな」

『希き墨すみとの思い出は、ぜんぶ忘れたくないもの』

「俺もだ」

『これからも、もっとたくさん思い出を増やそうね』

「あの美しい月に誓ちかうよ」

 俺の大げさだけど本気の言葉に、大好きな恋こい人びとはまた楽しげに笑っていた。