二学期の終業式が終わり、短い冬休みに入る。

 気づけばもう大おお晦日みそかだ。

 毎年のことながら、年としの瀬せは忙せわしなくて落ち着かない。

 ヨルカとは毎日連れん絡らくこそ取り合っているが、帰国中の親おや御ごさんとの予定を優先しているので最近は顔を合わせていない。

 学校で毎日のように会っていた恋こい人びとの顔を見れないのはさびしいが、普ふ段だん会えない分できるだけ家族一いつ緒しよの時間を過ごした方がいいと思う。

 アメリカ行きの件について進展したという報告はまだない。

 また、俺にとって落ち着かない理由がもうひとつある。

 クリスマス・パーティーの夜のキッチンでのヨルカとの会話が尾おを引いているのだ。

 いよいよ大人の階段を上るかもしれない。

 ヨルカの言葉や態度から、その予感はかつてないほど明確になりつつある。

 おかげで頭の中がすっかりピンクだ。

 期待と緊きん張ちようが交こう互ごに訪おとずれ、想像力が完全に誤作動している。よからぬ妄もう想そうが勝手に広がってしまい、気もそぞろ。

 ここまでの情じよう緒ちよ不安定はヨルカの告白の返事を待っていた春休み以来だ。

 悩なやめる俺は大掃そう除じに没ぼつ頭とうすることにした。自分の部屋のみならず家中に手を伸のばして、汚よごれと共に自分の邪じや念ねんごと消し去ろうと努める。目につく汚よごれはもちろん、隠かくれた場所まで徹てつ底てい的てきにだ。高いところのホコリを落とし、窓やガラスをピカピカに磨みがく。

「きすみくん、また変になってる。ヨルカちゃんのこと考えているの?」

 映えいはもはや見慣れたとばかりに呆あきれていた。

「その通りだから放っておけ」

 俺も取とり繕つくろわない。

「ママが買い出しに行ってきてだって。ついでにお昼も外で食べてきなさいって」

「俺は換かん気き扇せんの掃そう除じで忙いそがしいんだ」

「もう綺き麗れいになっているよ。さっきからずっと手が止まっているよ」

「……あぁ、ホントだ」

 換かん気き扇せんの羽根についた油汚よごれはすっかり落ちていた。

 キッチンにいたせいで、意識はどうしようもなく十二月二十五日に引ひき戻もどされていた。

「あと、きすみくんがキッチンを空けてくれないと、おせち作れないんだって」

「それは一大事だな」

「うん。おせちのないお正月はさびしい」

 映えいはシリアスな顔で同意する。

 俺は手早く片づけをしてキッチンを明あけ渡わたすと、映えいと一いつ緒しよに家を出た。



 外に出るとお昼にも拘かかわらず、冷たい空気が頰ほおを刺さす。

 鼻の奥がツンとして、吐はく息が白く染まる。

 ここ数日で、また一段と寒くなった。

 俺は思わず肩かたを竦すくめて、ヨルカから貰もらったマフラーを巻き直して口元を埋うめる。

 となりを歩く映えいはコートに手て袋ぶくろ、ニットキャップを被かぶって全体的にモコモコしていた。

「ねぇねぇ雪降らないかなぁ。積もったら雪だるま作りたい!」

「これ以上寒いのはしんどいって」

 妹の無む邪じや気きな希望に、思わずマジレスしてしまう俺。

 だって絶対手伝わされるのが目に見えている。寒い中で楽しく雪遊びをできるお年とし頃ごろはとっくに過ぎてしまったのだ。

「きすみくん、気合いが足りないよ」

 気合いの問題なのか。雪遊びもずいぶんハードになったもんだ。

「じゃあ紗さ夕ゆも呼ぼうぜ。近所だから来てくれるだろう」

 こういう時は近くて便利な親しい後こう輩はいだ。巻きこめる相手は積極的に声をかけるに限る。

「賛成! 紗さ夕ゆちゃんがいれば、大きな雪だるまを作れるね!」

「どんだけデカくしたいんだよ」

「身長くらい。できれば、かまくらも」

「かまくらはさすがに難しいだろう。東京で雪を待つより豪ごう雪せつ地ち帯たいに行った方が確実だ」

「パパにお願いしてみる。スキーも滑すべりたいし」

 はい、冬の間に家族でスキー旅行が決定だな。

 娘むすめのお願いには死ぬほど甘いのが父親である。

 いや、瀬せ名な家の場合はね。

 住宅街を抜ぬけて、見慣れた駅前に着く。

 三十一日にも拘かかわらず人の数は多く、どこか忙せわしない。

 俺は、この無む闇やみに急せかされる感じはなんとなく嫌きらいじゃなかった。

 年内のやり残しにどう決着をつけるか、諦あきらめて来年に後回しにするかという葛かつ藤とう。

 楽しいことがあっても年を越こせばリセットされてしまいそうなわずかな寂せき寥りよう。

 逆に来年はきっと上手くだろうという淡あわい期待。

 こういう年末の落ち着かない空気感に浸ひたりながらこの一年を思い返すのは、一種の精神的な大掃そう除じなのかもしれない。

 だが、来年はこうした情じよう緒ちよ的な年末年始を送るのは難しいだろう。

 自分の横を、受験生らしき他校の高校生がどこか張はり詰つめた表情で通り過ぎていく。足早に歩きながらも手元で開いた英単語帳に視線を落とす。

 それは、来年の自分の姿だった。

 受験生にとっては今は心身共に気の抜ぬけない時期だ。

 健康に気を遣つかいつつ、寸すん暇かを惜おしんで勉強に明け暮れているのだろう。

 その背中に心の中でエールを送る。

「さて、映えい。お昼にはなにを食べたい? お腹なかの空き具合は?」

「ペコペコ!」

 となりを歩く妹も、年末の空気に浮うき足あし立だっている。いつも以上に元気がいい。

「母さんから予算は多めに貰もらっているから、遠えん慮りよしなくていいぞ」

 さぁ好きなものを言え、と俺が促うながす。

「ラーメン!」

「今日の夕飯は年とし越こしそばだから麵めんが続くぞ」

「じゃあフライドチキン!」

「クリスマスにたらふく食べたばかりじゃん」

「きすみくん否定しすぎ~~」

「あくまで意見を言ったまでだ」

「そんな風に冷たいと、ヨルカちゃんに嫌きらわれちゃうよぉ」

 映えいは生意気なことを言ってくる。

「小学生が知った口を利きくな。あと、俺はヨルカとラブラブだ」

「きすみくん、ヨルカちゃんのことばっかり」

「そりゃ妹より恋こい人びとだろう」

「ひどい!」

 ガーンとショックを受けた顔で、映えいは恨うらみがましそうに見上げてくる。

「どうせ映えいも何年か経たてば俺を鬱うつ陶とうしく感じるんだから、この機会にいっそ兄離ばなれしてくれ」

「映えいはきすみくんのこと好きだもん!」

「はいはい、ありがとう」

「お礼はいいから、やさしくして!」

 そう言って、映えいは俺の腕うでにしがみついてくる。

「体重をかけるな! 重い! 肩かたが外れる!」

 往来でもお構いなしに映えいは俺の腕うでにぶら下がろうとしてきた。

「映えい、そんなに重くないもん」

 ぐらりと身体からだが傾かたむき、身動きがとれなくなる。映えいの尻しりが道路につきそうになっても離はなれようとしないから困ったものだ。

「わかったから! とにかくメシを食べに行くぞ」と映えいを腕うでから振ふり払はらう。

「ならきすみくんがお店を決めてよ」

「あ~~、中ちゆう華かでも食うか?」

「ラーメンと大差ないじゃん!」

「酢す豚ぶたとかチンジャオロースとか、定食で色々選べるだろう」

「ご飯の気分じゃない」

「パスタとかは?」

「それも、麵めんッ!」

「なら、そこのカフェでサンドイッチやホットドッグ」

「パンは朝ごはんに食べたよぉ~~」

「おまえだってぜんぶ否定してるだろう」

 映えいは俺のあらゆる提案を次々に却きやつ下かしてきた。

 狙ねらっているのか、と思うくらいに同じことをそっくりそのままやり返される。

 大おお晦日みそかで休みのお店もあるにしても、駅前にはチェーン店から定番まで選せん択たく肢しは揃そろっていた。

 だが、食欲が迷子だ。

 俺は今、なにを食べたいのか。今年最後の昼食でもあるから、あまり妥だ協きようしたくない。

「ねぇ、もっとアイディア出して?」

 映えいは当然のように要求してくる。

「……おまえさ、将来誰だれかとデートする時には要望を具体的に伝えてやれよな」

「どうして?」

「他人は、おまえの欲ほしいものを簡単に当てられないからだ」

 妹には代案を出さず否定しかしない七しち面めん倒どうくさい女にはなってほしくない。

 デート中に食事の場所が中々決まらないと焦あせるし、空腹時なら機き嫌げんだって悪くなる。

 その点、ヨルカとは最初から気が合っていたのか、店選びで揉もめたことがない。

 お腹なかが空いたら、目についたところで適当に入っても楽しく食事してきた。

 そういう意味でも俺とヨルカは相あい性しようがよかったのだろう。

 付き合うようになって、それをさらに実感した。

「だって、きすみくんなら当ててくれるもの」

 あれだけ文句を言う割に、この妹の俺に対する全ぜん幅ぷくの信しん頼らいは揺ゆるぎない。

「──。それは俺がお兄ちゃんだから、例外」

 俺より七つも年下の妹だから、生まれた瞬しゆん間かんから知っている。

 両親の子育ても手伝い、それこそオムツを代えて哺ほ乳にゆう瓶びんでミルクを与あたえ、遊び相手となり、今日までずっと世話をしてきた。

 自じ慢まんじゃないが、映えいのことは大体わかっているつもりだ。

「じゃあデートは、きすみくんとするからいいよ」

 妹はそんなことを言う。

 俺は吹ふき出だしそうになる。

 なんやかんやと、俺も妹がかわいいのだ。だから大たい抵ていのわがままには付き合ってやれる。

 まぁ、こうして振ふり回まわされているうちが華はなだ。

 数年もすればこうして出歩くことも減るし、お兄ちゃんクサイとか言われ出すのだろう。

 ……想像しただけで腹立つな。

 そうして店が決まらないまま駅前でウダウダしていると、あの人に出会った。

「あれ、スミくん。それに映えいちゃんも」

 俺達が声の方に振ふり返かえると、目の覚めるような美人が立っていた。

「────ッ、アリアさん!?」

 不意を突つかれた俺は素すっ頓とん狂きような声を出してしまう。

 心臓がドキリと跳はねて、緊きん張ちようする。

 俺の恋こい人びとの姉、有あり坂さかアリアがそこに立っていた。

「なによ、声を裏返しちゃって。そんなに驚おどろかなくてもいいでしょう。失礼しちゃうな」

 アリアさんは、いつもと変わらず気さくな態度で近づいてくる。

 だが俺がなによりも驚おどろかされたのは、アリアさんの激変ぶりだった。

「そ、その髪かみ、一体どうしたんですか!?」

「気分転てん換かんにイメチェンしてみたの。どう似合う?」

 アリアさんはあんなに長かった髪かみをバッサリと短く切っていた。


◇◇◇


「アリアお姉ちゃん、こんにちは!」

 映えいは嬉うれしそうにアリアさんに飛びつく。

「映えいちゃん、久しぶりね」

 恋こい人びとの姉と俺の妹は、まるで年の離はなれた親友同士のように気さくに挨あい拶さつを交かわし合う。

 ほんと、いつの間にそんな仲良くなったんだ。

「ショートもかわいいね!」

「ありがとう。こんな短くしたのは人生初だから落ち着かなくて。だけど映えいちゃんが褒ほめてくれて一安心したよ」

 ヨルカと同じ血を引く美しい姉は、俺が中学時代に通っていた学習塾じゆくで講師のアルバイトをしていた。アリアさんのスパルタ指導のおかげで、永えい聖せいに合格することができた。

 いわば恩人である。

 だが、アリアさんの大だい胆たんなイメージチェンジに呆ぼう然ぜんとしてしまう。

 俺にとってはかなり衝しよう撃げき的だった。

 それこそ恋こい人びとの姉だと知った時に匹ひつ敵てきする驚おどろきだ。

「なによ、そんな鳩はとが豆まめ鉄でつ砲ぽうを食ったような顔して。スミくん、ジロジロ見すぎ」

「驚おどろきすぎて、若じやつ干かん動どう揺ようしています」

 俺の狼ろう狽ばいっぷりに、アリアさんは怪け訝げんな顔になる。

「で、感想は? できれば褒ほめ言葉だと嬉うれしいんだけど?」

「それはもちろんすごく素す敵てきですよ。ショートヘアもよく似合っています。今までのイメージとガラリと変えてきたから、一いつ瞬しゆん別人かと思いましたよ」

「男子にお披ひ露ろ目めはスミくんが初だよ。さすが、持っているねぇ」

「すごいタイミングだな」

 しかも地元でアリアさんと会うとは思わなかった。

「フフフ。昨日は髪かみ切きってから、紫し鶴づるちゃんの家で忘ぼう年ねん会かいしてそのまま泊とまっていたの。今はその帰り」

「相変わらず仲がいいですね。それで大おお晦日みそかにこんなところにいるんですね」

 アリアさんも永えい聖せい高等学校の卒業生であり、在学中の担任が神かん崎ざき先生だった。今は仲のよい友人として付き合いが続いている。

 元担任から小学生の妹まで仲良くなれるアリアさんのコミュニケーション能力はすごい。

 そういえば、映えいも人見知りせず相手の懐ふところに入るのが上う手まいタイプだ。

 ……あれ、ふたりってちょっと似ているのか。

 将来的に映えいがアリアさんみたいになるのは頼たのもしいけど、末すえ恐おそろしいな。

「毎年ふたりで忘ぼう年ねん会かいしていて、実家に帰りたがらない紫し鶴づるちゃんの愚ぐ痴ちを聞いてあげないと、あの人帰省できないのよ」

「神かん崎ざき先生でも、そんな風にごねるんですね」

 学校では一分の隙すきも無く、知的で冷静な佇たたずまいの神かん崎ざき紫し鶴づる先生。

「紫し鶴づるちゃんって他ひ人と事ごとには潔いさぎよいけど、自分のことになると割とイジイジしがちだから。ま、今年は誰だれかさんのおかげで例年よりマシだったけど」

「その無茶振ぶりしてきたのは他ならぬアリアさんでしょう」

 七月上旬、突とつ然ぜん学校にやってきたアリアさん。帰りがけの俺を連れて、お願いがあると頼たのまれたのが代理彼かれ氏しとして神かん崎ざき先生のご両親に会うことだった。

 明らかに生徒のできる範はん疇ちゆうを越こえたお願い。

 頼たのむ方も頼たのむ方だが、引き受けた俺も俺だ。

 昔からアリアさんの指示には逆らえないところがある。

「きみは断らなかったじゃない」

「神かん崎ざき先生に辞やめられたら俺も困りますから」

「担任のピンチを救えたのは、教え子としても名めい誉よなことでしょう」

「通知表は大きく変かわり映えしてませんでしたけどね」

 とはいえ、二学期の期末テストの成績がよかったので多少はよくなっていた。

「紫し鶴づるちゃんは不正しないけど、心証は間ま違ちがいなくアップしているよ」

「俺は文化祭では言いつけを守らず病院を抜ぬけ出だした問題児だからなぁ」

「そこは私も共犯者だからノーコメント」

「アリアさん。あの時は、どうして来てくれたんですか?」

 アリアさんがクルマを運転して、俺の入院していた病院まで迎むかえに来てくれたおかげで本番のステージに滑すべりこむことができた。

 実は世話焼きな人だから、俺も頭が上がらない。

「私もずっとライブを楽しみにしてたからね」

「ご満足いただけましたか?」

「うん。あんなにギターが巧うまいなんて知らなかった」

「そりゃ、ぶっ倒たおれるくらいには夜よる遅おそくまで練習しましたからね」

 家での自主練習の休きゆう憩けい中、文化祭実行委員の件で質問があるからとアリアさんに電話をかけたりもしていた。そうしたやりとりの中で俺の無理にも気づいていたから、アリアさんは病院までクルマで迎むかえに来てくれたのかもしれない。

 病室のベッドで目覚めた時の、あの絶望感は二度と味わいたくない。

 だからこそ絶ぜつ妙みようなタイミングで現れてくれたアリアさんには感謝してもしきれなかった。

「──カッコよかったよ」

「……、どうもです」

 アリアさんは真面目な顔で褒ほめるから俺も反応に困ってしまった。

 会話が途と切ぎれ、どこか気まずい沈ちん黙もくが訪おとずれる。

 適当な話題を探そうと足元に視線を彷徨さまよわせると、足元がいつもと違ちがうことに気づく。

「今日はタクシーじゃなくて電車で帰るんですか?」

 アリアさんと言えば、移動は基本クルマのイメージだった。

 ヒールの高い靴くつではなく、わざわざ歩くのを想定してスニーカーを選んだのだろう。

 今日のコーディネートも全体的にカジュアルだ。上質で落ち着いた色のマフラーを巻き、高級ブランドのコートを羽織る。下にはセーターとロングスカートというシンプルな服装。

 着き飾かざらないからこそ、本人の魅み力りよくが全面に押し出されている。

 その佇たたずまいはプライベートのモデルのような印象で、一いつ般ぱん人じんとは一線を画す。

 化け粧しようもいつもより薄うすく、ヨルカとの顔立ちの近さをさらに実感する。

 知っていたつもりだが、久しぶりに会うと恐おそろしく美人だと再確かく認にんさせられた。

「最近は歩くようにしているの」

「ダイエットでもはじめたんですか?」

「失敬な。私は、そんな必要ないくらい今もナイスバディよ」

「自分で言えちゃうんだから敵かなわないなぁ」

「疑うなら確かく認にんしてみる?」

 アリアさんはポケットに手を入れたままコートの前を開く。

 ウエストのくびれを見ればスタイルのよさは一いち目もく瞭りよう然ぜん。服装で誤ご魔ま化かさないからこそ隠かくし切れない素材の魅み力りよくがよくわかる。

 同時にその決めすぎない格好は、俺が塾じゆくで教わっていた頃ころを思い出させる。

 あの頃ころのアリアさんは今と違ちがってぜんぜんオシャレじゃなかった。ファッションにも頓とん着ちやくがなく、化け粧しようも面めん倒どうくさがって眼鏡にマスクで常に顔を隠かくしていた。

 アリアさんの素す顔がおがこんなに美人とは、今以上にガキだった俺が気づくわけもない。

「ヨルカに殺されますってば」と俺は苦く笑しようするしかない。

「ま、私の下着姿をもう見ているもんね。スミくんのエッチ」

「あれは事故でしょう!」

 はじめて有あり坂さか家に訪おとずれた時、ソファーで眠ねむっていた下着姿のアリアさんが俺をヨルカと勘かん違ちがいして押し倒した。中々に強きよう烈れつな再会である。

「はぁ。一いつ瞬しゆんでも身構えた自分がバカみたいですよ」

 そう、アリアさんがいきなり目の前に現れて、俺はずいぶんと緊きん張ちようしていた。

「顔合わせたのは文化祭以来だもんね。あれから連れん絡らくもくれないし」

「たまたまですよ」

「よかった。なんか気まずい理由でもあるのかと思った」

 アリアさんはニッコリと笑う。

 やたらと圧の強い笑え顔がおで俺は喉のど元もとで出かけていた言葉を再び吞のみこむ。

 本人がそう言うのなら、俺達の間で気まずい理由は存在しない。

「えぇ。これまで通り、なにも変わりません」

 俺も緊きん張ちようを解く。

「……ふたりとも、なんか変だよ?」

 映えいが不思議そうに俺とアリアさんを見比べる。じーっと表情を観察して、なにかを読み解こうとしていた。

「そうだ! 立ち話も寒いから、ファミレスにでも入らない? 私がおごるからさ!」

「大おお晦日みそかにいいんですか? 今日から家族で修しゆ善ぜん寺じの温泉に旅行ですよね」

「お昼を食べるくらいの時間はあるよ」

 アリアさんのおかげで、昼食の行く先がようやく決まった。

 それ以上に、このタイミングでアリアさんと再会したのもなにかの縁えんや導きだ。

 折角だから、有あり坂さか家のことについて詳くわしく話を聞きたかった。


◇◇◇


 近くのファミレスまで移動すると、上う手まいこと待たずに席につけた。

 注文を済ませて、ドリンクバーの飲み物を飲みながら料理が来るのを待つ。

 映えいはひとりでいくつも飲み物を一度に並べて、飲み比べしていた。

 わかるよ、せっかくのドリンクバーなら色々飲みたいよな。

「それにしても、文化祭でプロポーズするなんて気が早いよね。婚こん姻いん届も出せない年ねん齢れいでしょうに。次は、うちの両親へ挨あい拶さつするつもり?」

 アリアさんはふと零こぼす。

「必要とあらば今すぐにでも行きますよ」

「度胸あるぅ」

「どうせ遅おそかれ早はやかれの話ですし」

「高校生の恋こいは真まっ直すぐすぎて、私にはちょっと重いなぁ」

 アリアさんは眩まぶしそうに目を細める。

 いつも煙けむに巻まく言い方で余よ裕ゆうのあるアリアさんだが、今日はそういう雰ふん囲い気きがない。

 俺もなんとなく、いつもの距きよ離り感がとりづらい。

 髪かみを切って印象がガラリと変わったせいもあるのだろう。

 それこそアリアさんとはヨルカよりも長い付き合いなのに、初対面の人と話しているような気分になってしまう。変な話である。

「アリアさんは、俺がヨルカの相手じゃ不服ですか?」

 ただでさえ逆風が吹ふいているのに、さらに反対派が増えたら悲しい。

「あんまり早く妹を連れていかないでよ。私もまだ姉し妹まいの時間を大切にしたいんだからさ」

 アリアさんは姉らしい表情で、かわいらしいことを言う。

「心配しなくても、あのヨルカがアリアさんから離はなれるわけないでしょう。ふたりの仲に割って入れるほど、傲ごう慢まんじゃありませんから」

「どうだろうね。むしろ、妹離ばなれできていないのは私の方かも」

「またそうやって、意味深な言い方をする。アリアさんの悪い癖くせ、治ってませんね」

「スミくん、私には厳しいよね」

 美人が不満そうに、ジッとこちらを見み据すえてくる。

「アリアさんを警けい戒かいするのが癖くせになっているんですよ。スパルタ指導の弊へい害がいですかね」

「きみが永えい聖せいに合格したいなんて言わなければ、もっと手を抜ぬいていたわ」

「逆に居残りとかよく付き合ってくれましたよね。アルバイトなんて早く済ませて帰りたかったんじゃないですか?」

「んー案外そうでもなかったよ。別にバイト代目当てで塾じゆく講師していたわけじゃないし」

 アリアさんは過去を思い返して、楽しげな表情を浮うかべていた。

「物好きですね」

「そもそもパパとママが離はなれて暮らす娘むすめ達が心配だから、生活費と称しようして必要以上に渡わたしてくるのよ。まぁ、ありがたい限りだけどね」

 俺と映えいは思わず顔を見合わせる。

 急にこちらが黙だまるから、アリアさんは不思議そうな表情を浮うかべた。

「なに、なんか変なことあった?」

「アリアさんってご両親のことを、パパとママって呼ぶんだって。なんかかわいいですね」

「映えいもパパとママって呼ぶよー!」と、小学生が同調する。

「──ッ、昔の癖くせが抜ぬけないだけよ」

「いやいや欧おう米べいスタイルでいいんじゃないですか。それに女の子ですし」

「年上をからかって楽しい?」

「そりゃ楽しいに決まっているじゃないですか」

 俺は堂々と認める。

 昔は一方的にいじられていただけだから、ちょっとした仕返しだ。

「生意気ばかり言うと、きみの味方をやめるよ」

 と、こちらが油断していると、すかさず鋭するどいムチが飛んでくる。

「ごめんなさい。それだけは困ります」

 アリアさんを敵に回せば百害あって一利なし。

「真面目な話、高校で付き合ったカップルが結けつ婚こんする確率は、かなり低いと思うよ」

「恋れん愛あいに数字を持ちこまれたら、俺は最初から告白を諦あきらめていますよ」

「スミくんって、ヨルちゃんからOKを貰もらえる根こん拠きよがあったの?」

「まさか。校舎裏の桜の恋れん愛あい成じよう就じゆ効果を信じただけですよ」

 誰だれが言い始めたかもわからない。

 どの学校にもひとつはある告白スポット。

 永えい聖せい高等学校で語かたり継つがれるのは、校舎裏にある桜の木の下。

 俺もヨルカへの告白であやかったのだが、その発ほつ端たんはなんとアリアさんだった。

「私が告白を断った場所が、後こう輩はい達の告白スポットになるとか変なの。縁えん結むすび効果なんて欠片かけらもないはずなのに」

 当の本人は興味なさそうに乾かわいた笑いを浮うかべる。

 実態は、一度その場所に告白成功のイメージが定着すると同じように告白する人の数が増えて、その成功例が告白スポットとしての評判を高めたというカラクリだろう。

 誰だれも実数を計測していない以上、その成功率はいかほどのものか。

 人間は都合のいい解かい釈しやくをしたい生き物だ。

「ねぇねぇ、なんの話?」

 映えいが興味深そうに訊たずねる。

「永えい聖せいには告白スポットで有名な桜の木があるんだよ。俺もそこでヨルカに告白したんだ」

「告白に成功するなら桜の木より、きすみくんの方が絶対に上だよね!」

 俺が答えると、我が妹は独自の意見を述べる。

「お、映えいちゃん。気になることを言うね。具体的に、どうスミくんの方が上なの?」

 アリアさんも食いついてくる。

「桜の木の下だと、すぐに返事が貰もらえるわけじゃないんでしょう?」

 映えいは質問に対して、妙みような確認をしてきた。

「まぁ、桜の木の下は告白が成功しやすい場所ってだけで、返事のタイミングまで決まっているわけじゃないな」

 俺はあまりにも当たり前すぎることしか言えなかった。


「それなら、きすみくんがヨルカちゃんにプロポーズしたみたいに他の人も文化祭のステージで告白すれば、すぐに返事も貰もらえるかもね!」


 映えいは、閃ひらめいた! とばかりに表情を輝かがやかせていた。

「なるほど。告白の成功率に加えて、返事の速度が映えいちゃん的には大事なんだ」

 アリアさんは映えいの意図を即そく座ざに理解する。

 逆に俺は妹の思考の飛ひ躍やくに追いつけていない。

「なんで桜の木から文化祭のステージが出てくるんだ?」

「だって、ヨルカちゃんの返事を待っていた時のきすみくんってすごーく変だったんだもの。ちょっと恐こわかった」

 映えいはウゲーと顔をしわくちゃにした。

「要するにね、映えいちゃんはスミくんみたいに告白の返事待ちで悩なやめる人を減らしたいわけ。お兄ちゃん想おもいな妹がいて、スミくんは幸せ者だね」

 アリアさんが翻ほん訳やくして、俺はやっと妹の考えを摑つかんだ。

 告白の成功確率を上げること以上に、すぐに返事も貰もらえた点が映えいとしては重要らしい。

「……そんな妹のトラウマに残るくらい俺は不ふ審しんだったのか」

「返事はすぐに貰もらえる方が、みんなも嬉うれしいと思うの!」

 映えいはノータイムで頷うなずく。

 そりゃまぁ告白の返事を待つ時間は、天国と地じ獄ごくが交こう互ごにやってきて落ち着かない。人生で告白の経験がある人なら理解してもらえるだろう。

「ただ、それは俺とヨルカが両りよう想おもいだからであって」

 俺は妹の意見に補足を加える。

 別にステージ上で想おもいを打ち明ければ、即そく返事が貰もらえるというものではない。

 しかも俺が叫さけんだのは告白ではなくプロポーズ。

 交際ではなく、結けつ婚こんを求めた。まったく別次元の話である。

 しかもネタでも冗じよう談だんでもなく、本気も本気なのだ。

 ステージでプロポーズをしておいて、昔のようにヨルカに逃にげ出だされていたら俺は学校一の残念な男になっていただろう。

 〇を貰もらえて、ほんとうによかった。

「文化祭のイベントとしては結構面おも白しろいと思うよ。ステージ上でのガチ告白&スピード返答。真しん剣けんな人限定の待たせない恋れん愛あい。笑いも冷やかしもなし。いいね、どれだけのカップルが生まれるのか興味あるな」

 アリアさんはナイスアイディアと小さく拍はく手しゆをした。

「あとは、そういう真しん剣けんな人を絶対にいじったり笑わない空気つくりを先にしておくのが一番大事かな。告白した人の勇気をまずみんなで讃たたえ、失敗しても慰なぐさめ、成功すれば全員でお祝いする」

 小学生の一言から、企き画かくの骨子を秒で組み、さらに注意点まで洗い出す。その頭の回転速度には舌を巻く。

「アリアお姉ちゃんなら、どうやって準備する?」

 映えいはいつになく真しん剣けんな顔で質問する。

「んー私なら生徒会長していたし、自分で先にそういう空気になるように誘ゆう導どうしちゃうね」

 美人で賢かしこい、カリスマ生徒会長ならではの手段である。

「じゃあ映えいも生徒会長やる! 面白いことする!」

「うん。映えいちゃんならできるよ」

 ふたりはハイタッチを交かわす。

 アリアさんって映えいと妙みように波長が合うよなぁ。

「恋れん愛あい成じよう就じゆのご利り益やくと、効率を混同するとバチがあたりません?」

 ちょっとしたジェラシーから俺は野や暮ぼなことを言う。

「いいのよ。大事なのは結果以前に、告白のきっかけをくれることでしょう」

「そこは確かに、はい」

 恋こいする者が最初に欲ほしいのは告白する勇気なのだ。

 他ならぬ俺が否定できるわけもない。

「それにバッサリ振ふられた方が、次の恋れん愛あいにも進みやすいでしょう」

 振ふるのが大前提の発言であるあたり、この人もモテたのは疑うまでもない。

 よっぽど大量の告白を断ってきたのだろうな。

「そりゃ待たされる方からしても即そく答とうはありがたいですけど、返事をする側も悩なやむ時間くらいは欲ほしいんじゃないですか?」

 アリアさんと俺で、映えいのアイディアについて細かく議論していく。

「んー即そく答とうできない時点で、そこまで好きとは言えないんじゃない?」

 望のぞみ薄うす、とばかりにアリアさんはあっけらかんと答える。

 ドライだ。その感覚はあまりにも厳しい。

「返事をするって、答える側も好きを決めるってことじゃないですか。悩なやんだり、恥はずかしがってしまうのも当然でしょう」

 恋こいする十代男子は、どこかで女子との関係に可能性を感じていたいのだ。

 事実、ヨルカがその場で即そく答とうできなかったのは俺と両りよう想おもいであることが嬉うれしすぎて舞まい上あがってしまったからだ。

 そのせいで俺は春休みに苦しむ羽目になったわけだが、OKが貰もらえれば結果オーライだ。

「恋れん愛あいってつくづく面めん倒どうくさいなぁ」

 アリアさんはお手上げとばかりに、音を上げた。

「告白する側は大博ばく打ちをするんです。成功率を上げられるなら藁わらにも縋すがるし、告白スポットにだってあやかりますよ」

 俺は全国の恋こいする少年少女達を代表するように声を大にして主張した。

 恋れん愛あい経験を積めば、告白のハードルも下がるのだろう。

 先に無理だと察すれば、告白をすることもない。

 親しくしている中で相手の好意を確信し、わざわざ告白せずとも恋こい人びと関係に変わっていることもあるだろう。

 それでも好きな人に自分の想おもいを告げる尊さは、確かにある。

 期待と不安に振ふり回まわされながらも、勇気を出して自分の気持ちを伝える。

 告白という儀ぎ式しきを通じて自分の言葉にすることで、気持ちがより明確になるのだ。

「私、オカルトや験げん担かつぎは信じないタイプだからさ」


「それでも、言わなきゃはじまらないんですよ」


 それが瀬せ名な希き墨すみの基本的な行動原理だ。

「……そうだね。きみとはじめて会った時も、合格したいって私に宣言してたもんね」

 アリアさんは口元に手を添そえながら、小さく笑った。

 話が盛り上がり、肝かん心じんの有あり坂さか家に関する話は一向に進んでいないことに気づいた。