
二学期の終業式が終わり、短い冬休みに入る。
気づけばもう大晦日だ。
毎年のことながら、年の瀬は忙しなくて落ち着かない。
ヨルカとは毎日連絡こそ取り合っているが、帰国中の親御さんとの予定を優先しているので最近は顔を合わせていない。
学校で毎日のように会っていた恋人の顔を見れないのはさびしいが、普段会えない分できるだけ家族一緒の時間を過ごした方がいいと思う。
アメリカ行きの件について進展したという報告はまだない。
また、俺にとって落ち着かない理由がもうひとつある。
クリスマス・パーティーの夜のキッチンでのヨルカとの会話が尾を引いているのだ。
いよいよ大人の階段を上るかもしれない。
ヨルカの言葉や態度から、その予感はかつてないほど明確になりつつある。
おかげで頭の中がすっかりピンクだ。
期待と緊張が交互に訪れ、想像力が完全に誤作動している。よからぬ妄想が勝手に広がってしまい、気もそぞろ。
ここまでの情緒不安定はヨルカの告白の返事を待っていた春休み以来だ。
悩める俺は大掃除に没頭することにした。自分の部屋のみならず家中に手を伸ばして、汚れと共に自分の邪念ごと消し去ろうと努める。目につく汚れはもちろん、隠れた場所まで徹底的にだ。高いところのホコリを落とし、窓やガラスをピカピカに磨く。
「きすみくん、また変になってる。ヨルカちゃんのこと考えているの?」
映はもはや見慣れたとばかりに呆れていた。
「その通りだから放っておけ」
俺も取り繕わない。
「ママが買い出しに行ってきてだって。ついでにお昼も外で食べてきなさいって」
「俺は換気扇の掃除で忙しいんだ」
「もう綺麗になっているよ。さっきからずっと手が止まっているよ」
「……あぁ、ホントだ」
換気扇の羽根についた油汚れはすっかり落ちていた。
キッチンにいたせいで、意識はどうしようもなく十二月二十五日に引き戻されていた。
「あと、きすみくんがキッチンを空けてくれないと、おせち作れないんだって」
「それは一大事だな」
「うん。おせちのないお正月はさびしい」
映はシリアスな顔で同意する。
俺は手早く片づけをしてキッチンを明け渡すと、映と一緒に家を出た。
外に出るとお昼にも拘わらず、冷たい空気が頰を刺す。
鼻の奥がツンとして、吐く息が白く染まる。
ここ数日で、また一段と寒くなった。
俺は思わず肩を竦めて、ヨルカから貰ったマフラーを巻き直して口元を埋める。
となりを歩く映はコートに手袋、ニットキャップを被って全体的にモコモコしていた。
「ねぇねぇ雪降らないかなぁ。積もったら雪だるま作りたい!」
「これ以上寒いのはしんどいって」
妹の無邪気な希望に、思わずマジレスしてしまう俺。
だって絶対手伝わされるのが目に見えている。寒い中で楽しく雪遊びをできるお年頃はとっくに過ぎてしまったのだ。
「きすみくん、気合いが足りないよ」
気合いの問題なのか。雪遊びもずいぶんハードになったもんだ。
「じゃあ紗夕も呼ぼうぜ。近所だから来てくれるだろう」
こういう時は近くて便利な親しい後輩だ。巻きこめる相手は積極的に声をかけるに限る。
「賛成! 紗夕ちゃんがいれば、大きな雪だるまを作れるね!」
「どんだけデカくしたいんだよ」
「身長くらい。できれば、かまくらも」
「かまくらはさすがに難しいだろう。東京で雪を待つより豪雪地帯に行った方が確実だ」
「パパにお願いしてみる。スキーも滑りたいし」
はい、冬の間に家族でスキー旅行が決定だな。
娘のお願いには死ぬほど甘いのが父親である。
いや、瀬名家の場合はね。
住宅街を抜けて、見慣れた駅前に着く。
三十一日にも拘わらず人の数は多く、どこか忙しない。
俺は、この無闇に急かされる感じはなんとなく嫌いじゃなかった。
年内のやり残しにどう決着をつけるか、諦めて来年に後回しにするかという葛藤。
楽しいことがあっても年を越せばリセットされてしまいそうなわずかな寂寥。
逆に来年はきっと上手くだろうという淡い期待。
こういう年末の落ち着かない空気感に浸りながらこの一年を思い返すのは、一種の精神的な大掃除なのかもしれない。
だが、来年はこうした情緒的な年末年始を送るのは難しいだろう。
自分の横を、受験生らしき他校の高校生がどこか張り詰めた表情で通り過ぎていく。足早に歩きながらも手元で開いた英単語帳に視線を落とす。
それは、来年の自分の姿だった。
受験生にとっては今は心身共に気の抜けない時期だ。
健康に気を遣いつつ、寸暇を惜しんで勉強に明け暮れているのだろう。
その背中に心の中でエールを送る。
「さて、映。お昼にはなにを食べたい? お腹の空き具合は?」
「ペコペコ!」
となりを歩く妹も、年末の空気に浮き足立っている。いつも以上に元気がいい。
「母さんから予算は多めに貰っているから、遠慮しなくていいぞ」
さぁ好きなものを言え、と俺が促す。
「ラーメン!」
「今日の夕飯は年越しそばだから麵が続くぞ」
「じゃあフライドチキン!」
「クリスマスにたらふく食べたばかりじゃん」
「きすみくん否定しすぎ~~」
「あくまで意見を言ったまでだ」
「そんな風に冷たいと、ヨルカちゃんに嫌われちゃうよぉ」
映は生意気なことを言ってくる。
「小学生が知った口を利くな。あと、俺はヨルカとラブラブだ」
「きすみくん、ヨルカちゃんのことばっかり」
「そりゃ妹より恋人だろう」
「ひどい!」
ガーンとショックを受けた顔で、映は恨みがましそうに見上げてくる。
「どうせ映も何年か経てば俺を鬱陶しく感じるんだから、この機会にいっそ兄離れしてくれ」
「映はきすみくんのこと好きだもん!」
「はいはい、ありがとう」
「お礼はいいから、やさしくして!」
そう言って、映は俺の腕にしがみついてくる。
「体重をかけるな! 重い! 肩が外れる!」
往来でもお構いなしに映は俺の腕にぶら下がろうとしてきた。
「映、そんなに重くないもん」
ぐらりと身体が傾き、身動きがとれなくなる。映の尻が道路につきそうになっても離れようとしないから困ったものだ。
「わかったから! とにかくメシを食べに行くぞ」と映を腕から振り払う。
「ならきすみくんがお店を決めてよ」
「あ~~、中華でも食うか?」
「ラーメンと大差ないじゃん!」
「酢豚とかチンジャオロースとか、定食で色々選べるだろう」
「ご飯の気分じゃない」
「パスタとかは?」
「それも、麵ッ!」
「なら、そこのカフェでサンドイッチやホットドッグ」
「パンは朝ごはんに食べたよぉ~~」
「おまえだってぜんぶ否定してるだろう」
映は俺のあらゆる提案を次々に却下してきた。
狙っているのか、と思うくらいに同じことをそっくりそのままやり返される。
大晦日で休みのお店もあるにしても、駅前にはチェーン店から定番まで選択肢は揃っていた。
だが、食欲が迷子だ。
俺は今、なにを食べたいのか。今年最後の昼食でもあるから、あまり妥協したくない。
「ねぇ、もっとアイディア出して?」
映は当然のように要求してくる。
「……おまえさ、将来誰かとデートする時には要望を具体的に伝えてやれよな」
「どうして?」
「他人は、おまえの欲しいものを簡単に当てられないからだ」
妹には代案を出さず否定しかしない七面倒くさい女にはなってほしくない。
デート中に食事の場所が中々決まらないと焦るし、空腹時なら機嫌だって悪くなる。
その点、ヨルカとは最初から気が合っていたのか、店選びで揉めたことがない。
お腹が空いたら、目についたところで適当に入っても楽しく食事してきた。
そういう意味でも俺とヨルカは相性がよかったのだろう。
付き合うようになって、それをさらに実感した。
「だって、きすみくんなら当ててくれるもの」
あれだけ文句を言う割に、この妹の俺に対する全幅の信頼は揺るぎない。
「──。それは俺がお兄ちゃんだから、例外」
俺より七つも年下の妹だから、生まれた瞬間から知っている。
両親の子育ても手伝い、それこそオムツを代えて哺乳瓶でミルクを与え、遊び相手となり、今日までずっと世話をしてきた。
自慢じゃないが、映のことは大体わかっているつもりだ。
「じゃあデートは、きすみくんとするからいいよ」
妹はそんなことを言う。
俺は吹き出しそうになる。
なんやかんやと、俺も妹がかわいいのだ。だから大抵のわがままには付き合ってやれる。
まぁ、こうして振り回されているうちが華だ。
数年もすればこうして出歩くことも減るし、お兄ちゃんクサイとか言われ出すのだろう。
……想像しただけで腹立つな。
そうして店が決まらないまま駅前でウダウダしていると、あの人に出会った。
「あれ、スミくん。それに映ちゃんも」
俺達が声の方に振り返ると、目の覚めるような美人が立っていた。
「────ッ、アリアさん!?」
不意を突かれた俺は素っ頓狂な声を出してしまう。
心臓がドキリと跳ねて、緊張する。
俺の恋人の姉、有坂アリアがそこに立っていた。
「なによ、声を裏返しちゃって。そんなに驚かなくてもいいでしょう。失礼しちゃうな」
アリアさんは、いつもと変わらず気さくな態度で近づいてくる。
だが俺がなによりも驚かされたのは、アリアさんの激変ぶりだった。
「そ、その髪、一体どうしたんですか!?」
「気分転換にイメチェンしてみたの。どう似合う?」
アリアさんはあんなに長かった髪をバッサリと短く切っていた。
「アリアお姉ちゃん、こんにちは!」
映は嬉しそうにアリアさんに飛びつく。
「映ちゃん、久しぶりね」
恋人の姉と俺の妹は、まるで年の離れた親友同士のように気さくに挨拶を交わし合う。
ほんと、いつの間にそんな仲良くなったんだ。
「ショートもかわいいね!」
「ありがとう。こんな短くしたのは人生初だから落ち着かなくて。だけど映ちゃんが褒めてくれて一安心したよ」

ヨルカと同じ血を引く美しい姉は、俺が中学時代に通っていた学習塾で講師のアルバイトをしていた。アリアさんのスパルタ指導のおかげで、永聖に合格することができた。
いわば恩人である。
だが、アリアさんの大胆なイメージチェンジに呆然としてしまう。
俺にとってはかなり衝撃的だった。
それこそ恋人の姉だと知った時に匹敵する驚きだ。
「なによ、そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔して。スミくん、ジロジロ見すぎ」
「驚きすぎて、若干動揺しています」
俺の狼狽っぷりに、アリアさんは怪訝な顔になる。
「で、感想は? できれば褒め言葉だと嬉しいんだけど?」
「それはもちろんすごく素敵ですよ。ショートヘアもよく似合っています。今までのイメージとガラリと変えてきたから、一瞬別人かと思いましたよ」
「男子にお披露目はスミくんが初だよ。さすが、持っているねぇ」
「すごいタイミングだな」
しかも地元でアリアさんと会うとは思わなかった。
「フフフ。昨日は髪切ってから、紫鶴ちゃんの家で忘年会してそのまま泊まっていたの。今はその帰り」
「相変わらず仲がいいですね。それで大晦日にこんなところにいるんですね」
アリアさんも永聖高等学校の卒業生であり、在学中の担任が神崎先生だった。今は仲のよい友人として付き合いが続いている。
元担任から小学生の妹まで仲良くなれるアリアさんのコミュニケーション能力はすごい。
そういえば、映も人見知りせず相手の懐に入るのが上手いタイプだ。
……あれ、ふたりってちょっと似ているのか。
将来的に映がアリアさんみたいになるのは頼もしいけど、末恐ろしいな。
「毎年ふたりで忘年会していて、実家に帰りたがらない紫鶴ちゃんの愚痴を聞いてあげないと、あの人帰省できないのよ」
「神崎先生でも、そんな風にごねるんですね」
学校では一分の隙も無く、知的で冷静な佇まいの神崎紫鶴先生。
「紫鶴ちゃんって他人事には潔いけど、自分のことになると割とイジイジしがちだから。ま、今年は誰かさんのおかげで例年よりマシだったけど」
「その無茶振りしてきたのは他ならぬアリアさんでしょう」
七月上旬、突然学校にやってきたアリアさん。帰りがけの俺を連れて、お願いがあると頼まれたのが代理彼氏として神崎先生のご両親に会うことだった。
明らかに生徒のできる範疇を越えたお願い。
頼む方も頼む方だが、引き受けた俺も俺だ。
昔からアリアさんの指示には逆らえないところがある。
「きみは断らなかったじゃない」
「神崎先生に辞められたら俺も困りますから」
「担任のピンチを救えたのは、教え子としても名誉なことでしょう」
「通知表は大きく変わり映えしてませんでしたけどね」
とはいえ、二学期の期末テストの成績がよかったので多少はよくなっていた。
「紫鶴ちゃんは不正しないけど、心証は間違いなくアップしているよ」
「俺は文化祭では言いつけを守らず病院を抜け出した問題児だからなぁ」
「そこは私も共犯者だからノーコメント」
「アリアさん。あの時は、どうして来てくれたんですか?」
アリアさんがクルマを運転して、俺の入院していた病院まで迎えに来てくれたおかげで本番のステージに滑りこむことができた。
実は世話焼きな人だから、俺も頭が上がらない。
「私もずっとライブを楽しみにしてたからね」
「ご満足いただけましたか?」
「うん。あんなにギターが巧いなんて知らなかった」
「そりゃ、ぶっ倒れるくらいには夜遅くまで練習しましたからね」
家での自主練習の休憩中、文化祭実行委員の件で質問があるからとアリアさんに電話をかけたりもしていた。そうしたやりとりの中で俺の無理にも気づいていたから、アリアさんは病院までクルマで迎えに来てくれたのかもしれない。
病室のベッドで目覚めた時の、あの絶望感は二度と味わいたくない。
だからこそ絶妙なタイミングで現れてくれたアリアさんには感謝してもしきれなかった。
「──カッコよかったよ」
「……、どうもです」
アリアさんは真面目な顔で褒めるから俺も反応に困ってしまった。
会話が途切れ、どこか気まずい沈黙が訪れる。
適当な話題を探そうと足元に視線を彷徨わせると、足元がいつもと違うことに気づく。
「今日はタクシーじゃなくて電車で帰るんですか?」
アリアさんと言えば、移動は基本クルマのイメージだった。
ヒールの高い靴ではなく、わざわざ歩くのを想定してスニーカーを選んだのだろう。
今日のコーディネートも全体的にカジュアルだ。上質で落ち着いた色のマフラーを巻き、高級ブランドのコートを羽織る。下にはセーターとロングスカートというシンプルな服装。
着飾らないからこそ、本人の魅力が全面に押し出されている。
その佇まいはプライベートのモデルのような印象で、一般人とは一線を画す。
化粧もいつもより薄く、ヨルカとの顔立ちの近さをさらに実感する。
知っていたつもりだが、久しぶりに会うと恐ろしく美人だと再確認させられた。
「最近は歩くようにしているの」
「ダイエットでもはじめたんですか?」
「失敬な。私は、そんな必要ないくらい今もナイスバディよ」
「自分で言えちゃうんだから敵わないなぁ」
「疑うなら確認してみる?」
アリアさんはポケットに手を入れたままコートの前を開く。
ウエストのくびれを見ればスタイルのよさは一目瞭然。服装で誤魔化さないからこそ隠し切れない素材の魅力がよくわかる。
同時にその決めすぎない格好は、俺が塾で教わっていた頃を思い出させる。
あの頃のアリアさんは今と違ってぜんぜんオシャレじゃなかった。ファッションにも頓着がなく、化粧も面倒くさがって眼鏡にマスクで常に顔を隠していた。
アリアさんの素顔がこんなに美人とは、今以上にガキだった俺が気づくわけもない。
「ヨルカに殺されますってば」と俺は苦笑するしかない。
「ま、私の下着姿をもう見ているもんね。スミくんのエッチ」
「あれは事故でしょう!」
はじめて有坂家に訪れた時、ソファーで眠っていた下着姿のアリアさんが俺をヨルカと勘違いして押し倒した。中々に強烈な再会である。
「はぁ。一瞬でも身構えた自分がバカみたいですよ」
そう、アリアさんがいきなり目の前に現れて、俺はずいぶんと緊張していた。
「顔合わせたのは文化祭以来だもんね。あれから連絡もくれないし」
「たまたまですよ」
「よかった。なんか気まずい理由でもあるのかと思った」
アリアさんはニッコリと笑う。
やたらと圧の強い笑顔で俺は喉元で出かけていた言葉を再び吞みこむ。
本人がそう言うのなら、俺達の間で気まずい理由は存在しない。
「えぇ。これまで通り、なにも変わりません」
俺も緊張を解く。
「……ふたりとも、なんか変だよ?」
映が不思議そうに俺とアリアさんを見比べる。じーっと表情を観察して、なにかを読み解こうとしていた。
「そうだ! 立ち話も寒いから、ファミレスにでも入らない? 私がおごるからさ!」
「大晦日にいいんですか? 今日から家族で修善寺の温泉に旅行ですよね」
「お昼を食べるくらいの時間はあるよ」
アリアさんのおかげで、昼食の行く先がようやく決まった。
それ以上に、このタイミングでアリアさんと再会したのもなにかの縁や導きだ。
折角だから、有坂家のことについて詳しく話を聞きたかった。
近くのファミレスまで移動すると、上手いこと待たずに席につけた。
注文を済ませて、ドリンクバーの飲み物を飲みながら料理が来るのを待つ。
映はひとりでいくつも飲み物を一度に並べて、飲み比べしていた。
わかるよ、せっかくのドリンクバーなら色々飲みたいよな。
「それにしても、文化祭でプロポーズするなんて気が早いよね。婚姻届も出せない年齢でしょうに。次は、うちの両親へ挨拶するつもり?」
アリアさんはふと零す。
「必要とあらば今すぐにでも行きますよ」
「度胸あるぅ」
「どうせ遅かれ早かれの話ですし」
「高校生の恋は真っ直ぐすぎて、私にはちょっと重いなぁ」
アリアさんは眩しそうに目を細める。
いつも煙に巻く言い方で余裕のあるアリアさんだが、今日はそういう雰囲気がない。
俺もなんとなく、いつもの距離感がとりづらい。
髪を切って印象がガラリと変わったせいもあるのだろう。
それこそアリアさんとはヨルカよりも長い付き合いなのに、初対面の人と話しているような気分になってしまう。変な話である。
「アリアさんは、俺がヨルカの相手じゃ不服ですか?」
ただでさえ逆風が吹いているのに、さらに反対派が増えたら悲しい。
「あんまり早く妹を連れていかないでよ。私もまだ姉妹の時間を大切にしたいんだからさ」
アリアさんは姉らしい表情で、かわいらしいことを言う。
「心配しなくても、あのヨルカがアリアさんから離れるわけないでしょう。ふたりの仲に割って入れるほど、傲慢じゃありませんから」
「どうだろうね。むしろ、妹離れできていないのは私の方かも」
「またそうやって、意味深な言い方をする。アリアさんの悪い癖、治ってませんね」
「スミくん、私には厳しいよね」
美人が不満そうに、ジッとこちらを見据えてくる。
「アリアさんを警戒するのが癖になっているんですよ。スパルタ指導の弊害ですかね」
「きみが永聖に合格したいなんて言わなければ、もっと手を抜いていたわ」
「逆に居残りとかよく付き合ってくれましたよね。アルバイトなんて早く済ませて帰りたかったんじゃないですか?」
「んー案外そうでもなかったよ。別にバイト代目当てで塾講師していたわけじゃないし」
アリアさんは過去を思い返して、楽しげな表情を浮かべていた。
「物好きですね」
「そもそもパパとママが離れて暮らす娘達が心配だから、生活費と称して必要以上に渡してくるのよ。まぁ、ありがたい限りだけどね」
俺と映は思わず顔を見合わせる。
急にこちらが黙るから、アリアさんは不思議そうな表情を浮かべた。
「なに、なんか変なことあった?」
「アリアさんってご両親のことを、パパとママって呼ぶんだって。なんかかわいいですね」
「映もパパとママって呼ぶよー!」と、小学生が同調する。
「──ッ、昔の癖が抜けないだけよ」
「いやいや欧米スタイルでいいんじゃないですか。それに女の子ですし」
「年上をからかって楽しい?」
「そりゃ楽しいに決まっているじゃないですか」
俺は堂々と認める。
昔は一方的にいじられていただけだから、ちょっとした仕返しだ。
「生意気ばかり言うと、きみの味方をやめるよ」
と、こちらが油断していると、すかさず鋭いムチが飛んでくる。
「ごめんなさい。それだけは困ります」
アリアさんを敵に回せば百害あって一利なし。
「真面目な話、高校で付き合ったカップルが結婚する確率は、かなり低いと思うよ」
「恋愛に数字を持ちこまれたら、俺は最初から告白を諦めていますよ」
「スミくんって、ヨルちゃんからOKを貰える根拠があったの?」
「まさか。校舎裏の桜の恋愛成就効果を信じただけですよ」
誰が言い始めたかもわからない。
どの学校にもひとつはある告白スポット。
永聖高等学校で語り継がれるのは、校舎裏にある桜の木の下。
俺もヨルカへの告白であやかったのだが、その発端はなんとアリアさんだった。
「私が告白を断った場所が、後輩達の告白スポットになるとか変なの。縁結び効果なんて欠片もないはずなのに」
当の本人は興味なさそうに乾いた笑いを浮かべる。
実態は、一度その場所に告白成功のイメージが定着すると同じように告白する人の数が増えて、その成功例が告白スポットとしての評判を高めたというカラクリだろう。
誰も実数を計測していない以上、その成功率はいかほどのものか。
人間は都合のいい解釈をしたい生き物だ。
「ねぇねぇ、なんの話?」
映が興味深そうに訊ねる。
「永聖には告白スポットで有名な桜の木があるんだよ。俺もそこでヨルカに告白したんだ」
「告白に成功するなら桜の木より、きすみくんの方が絶対に上だよね!」
俺が答えると、我が妹は独自の意見を述べる。
「お、映ちゃん。気になることを言うね。具体的に、どうスミくんの方が上なの?」
アリアさんも食いついてくる。
「桜の木の下だと、すぐに返事が貰えるわけじゃないんでしょう?」
映は質問に対して、妙な確認をしてきた。
「まぁ、桜の木の下は告白が成功しやすい場所ってだけで、返事のタイミングまで決まっているわけじゃないな」
俺はあまりにも当たり前すぎることしか言えなかった。
「それなら、きすみくんがヨルカちゃんにプロポーズしたみたいに他の人も文化祭のステージで告白すれば、すぐに返事も貰えるかもね!」
映は、閃いた! とばかりに表情を輝かせていた。
「なるほど。告白の成功率に加えて、返事の速度が映ちゃん的には大事なんだ」
アリアさんは映の意図を即座に理解する。
逆に俺は妹の思考の飛躍に追いつけていない。
「なんで桜の木から文化祭のステージが出てくるんだ?」
「だって、ヨルカちゃんの返事を待っていた時のきすみくんってすごーく変だったんだもの。ちょっと恐かった」
映はウゲーと顔をしわくちゃにした。
「要するにね、映ちゃんはスミくんみたいに告白の返事待ちで悩める人を減らしたいわけ。お兄ちゃん想いな妹がいて、スミくんは幸せ者だね」
アリアさんが翻訳して、俺はやっと妹の考えを摑んだ。
告白の成功確率を上げること以上に、すぐに返事も貰えた点が映としては重要らしい。
「……そんな妹のトラウマに残るくらい俺は不審だったのか」
「返事はすぐに貰える方が、みんなも嬉しいと思うの!」
映はノータイムで頷く。
そりゃまぁ告白の返事を待つ時間は、天国と地獄が交互にやってきて落ち着かない。人生で告白の経験がある人なら理解してもらえるだろう。
「ただ、それは俺とヨルカが両想いだからであって」
俺は妹の意見に補足を加える。
別にステージ上で想いを打ち明ければ、即返事が貰えるというものではない。
しかも俺が叫んだのは告白ではなくプロポーズ。
交際ではなく、結婚を求めた。まったく別次元の話である。
しかもネタでも冗談でもなく、本気も本気なのだ。
ステージでプロポーズをしておいて、昔のようにヨルカに逃げ出されていたら俺は学校一の残念な男になっていただろう。
〇を貰えて、ほんとうによかった。
「文化祭のイベントとしては結構面白いと思うよ。ステージ上でのガチ告白&スピード返答。真剣な人限定の待たせない恋愛。笑いも冷やかしもなし。いいね、どれだけのカップルが生まれるのか興味あるな」
アリアさんはナイスアイディアと小さく拍手をした。
「あとは、そういう真剣な人を絶対にいじったり笑わない空気つくりを先にしておくのが一番大事かな。告白した人の勇気をまずみんなで讃え、失敗しても慰め、成功すれば全員でお祝いする」
小学生の一言から、企画の骨子を秒で組み、さらに注意点まで洗い出す。その頭の回転速度には舌を巻く。
「アリアお姉ちゃんなら、どうやって準備する?」
映はいつになく真剣な顔で質問する。
「んー私なら生徒会長していたし、自分で先にそういう空気になるように誘導しちゃうね」
美人で賢い、カリスマ生徒会長ならではの手段である。
「じゃあ映も生徒会長やる! 面白いことする!」
「うん。映ちゃんならできるよ」
ふたりはハイタッチを交わす。
アリアさんって映と妙に波長が合うよなぁ。
「恋愛成就のご利益と、効率を混同するとバチがあたりません?」
ちょっとしたジェラシーから俺は野暮なことを言う。
「いいのよ。大事なのは結果以前に、告白のきっかけをくれることでしょう」
「そこは確かに、はい」
恋する者が最初に欲しいのは告白する勇気なのだ。
他ならぬ俺が否定できるわけもない。
「それにバッサリ振られた方が、次の恋愛にも進みやすいでしょう」
振るのが大前提の発言であるあたり、この人もモテたのは疑うまでもない。
よっぽど大量の告白を断ってきたのだろうな。
「そりゃ待たされる方からしても即答はありがたいですけど、返事をする側も悩む時間くらいは欲しいんじゃないですか?」
アリアさんと俺で、映のアイディアについて細かく議論していく。
「んー即答できない時点で、そこまで好きとは言えないんじゃない?」
望み薄、とばかりにアリアさんはあっけらかんと答える。
ドライだ。その感覚はあまりにも厳しい。
「返事をするって、答える側も好きを決めるってことじゃないですか。悩んだり、恥ずかしがってしまうのも当然でしょう」
恋する十代男子は、どこかで女子との関係に可能性を感じていたいのだ。
事実、ヨルカがその場で即答できなかったのは俺と両想いであることが嬉しすぎて舞い上がってしまったからだ。
そのせいで俺は春休みに苦しむ羽目になったわけだが、OKが貰えれば結果オーライだ。
「恋愛ってつくづく面倒くさいなぁ」
アリアさんはお手上げとばかりに、音を上げた。
「告白する側は大博打をするんです。成功率を上げられるなら藁にも縋るし、告白スポットにだってあやかりますよ」
俺は全国の恋する少年少女達を代表するように声を大にして主張した。
恋愛経験を積めば、告白のハードルも下がるのだろう。
先に無理だと察すれば、告白をすることもない。
親しくしている中で相手の好意を確信し、わざわざ告白せずとも恋人関係に変わっていることもあるだろう。
それでも好きな人に自分の想いを告げる尊さは、確かにある。
期待と不安に振り回されながらも、勇気を出して自分の気持ちを伝える。
告白という儀式を通じて自分の言葉にすることで、気持ちがより明確になるのだ。
「私、オカルトや験担ぎは信じないタイプだからさ」
「それでも、言わなきゃはじまらないんですよ」
それが瀬名希墨の基本的な行動原理だ。
「……そうだね。きみとはじめて会った時も、合格したいって私に宣言してたもんね」
アリアさんは口元に手を添えながら、小さく笑った。
話が盛り上がり、肝心の有坂家に関する話は一向に進んでいないことに気づいた。