
七村は先に部屋へ戻り、俺はクリスマスケーキを取りに一階のキッチンへ下りていく。
ヨルカも手伝いで一緒に来てくれた。
「紅茶も淹れるね。お湯は私が沸かすから」
ヨルカは我が家に泊まった時に夕飯を作ってくれたから、やかんの場所も覚えていた。
俺も人数分のお皿とフォーク、切り分ける用の包丁を準備しながらも、ついヨルカの方に目を奪われてしまう。
「キッチンでテキパキとしていると頼もしいな」
「お湯を沸かしているだけじゃない」
「一緒に暮らしたら、こんな感じなのかなって考えるだけで楽しいよ」
お湯が沸くのを待ちながら、俺達はキッチンで雑談をする。
「──。サンタクロースはクリスマスにだけ来るからありがたみがあるのよ」
「結婚したらヨルカは毎日いてくれるだろう?」
「むしろ希墨は、毎日帰ってきてくれないとダメだからね」
「? そんなの当然だろう」
将来どんな仕事に就くのかわからないが、愛する家族の待つ家には一刻も早く帰りたい。
「うちの家ではそれが当然じゃなかったのよ」
ヨルカは無感情に漏らす。
「そりゃ、ご両親がアメリカで働いていると毎日帰宅するのは難しいな」
両親不在であることが有坂家の日常だった。
「日本にいた頃からパパは仕事で遅いし、先に帰ってくるママもかなり大変そうなのは小さいながらによく覚えているわ。あぁ、親って子どもと遊ぶ時間を作るのも一苦労なんだって」
「ずいぶんと賢い子どもだったんだな」
「からかっている?」
「まさか。ヨルカは、もっと甘えたかったのか?」
「どうだろう? それが当たり前だったし、希墨に言われたように昔のわたしは『自分の欲がわからない』子だったから」
一年生の頃、美術準備室で油絵が崩れてきた日の放課後、確かにそんな話をした。あれを機にヨルカが心を開いてくれるようになったと思う。まぁその前に蹴られそうになってパンツも見てしまった。色んな意味で鮮烈だった。
「昔の分までお父さんと話してあげれば?」
やましい気持ちが沸き起こる前に、俺は真面目な話題に引き戻す。
「嫌よ」
昨日の今日で喧嘩が収まるほど、軽いものではないらしい。
「ヨルカもそんな反抗期の女の子みたいな反応を親にするんだな」
「その分、希墨に甘えて心のバランスをとるの」
おそらく彼女の口から無意識に出た、心のバランスという言葉。
単純に恋人とのスキンシップは基本的に誰でも楽しいものだ。
それに加えて、両親と物理的に離れて暮らしている反動で、身近で親しい存在である俺と触れ合うことで精神的な安心を得ているのだろう。
「──それって、やっぱりさびしかったんじゃないの?」
俺の指摘にヨルカはキョトンとした顔になる。
ほんとうに不意打ちだったらしく、彼女はしばらく固まっていた。
本人は今の生活に慣れて割り切ったつもりでも、心の底では両親を恋しいと思っている方が自然である。
有坂ヨルカはまだ十七歳の女の子なのだ。
普段は会えない親を恋しがることは別に幼いわけではない。
「ヨルカ。いい機会だから教えてくれないか。ご両親とは、いつから離れて暮らすようになったんだ?」
俺は有坂家の歴史を知りたかった。
「パパとママがアメリカで仕事をするようになったのは、わたしが小学四年生くらいの時かな」
「十歳くらいか。ずいぶん早いな」
「そっか、ちょうど今の映ちゃんと同い年くらいなんだ」
ヨルカはふと感慨に耽るように呟く。
彼女にとっては大昔の出来事であるかのように、実感の薄い反応だった。
「ふたりの年齢を考えれば、家族全員でアメリカに行く方がふつうじゃないか?」
当時小学四年生のヨルカと中学二年生のアリアさんというまだ幼い娘達だけを日本に置いていくには早すぎるように思えた。
「パパは今コンサルタントの会社を経営していて、アメリカ国内を飛び回るような仕事ばかりなの。向こうで家を借りても、毎日は帰れない生活になりそうだったのよ。言葉も通じない、見知らぬ土地に子どもを留守番させるよりは日本の方がまだ安心でしょう。パパとママもかなり悩んでいたけど、お姉ちゃんと話し合って『ふたりで行ってきなよ』って送り出したの」
「経緯には納得したけど、よく両親の背中を押せたな」
いくら四歳年上のアリアさんが優秀でも、当時はまだ中学生である。
姉妹で話し合ってその決断ができたのは大したものだ。
俺が十歳の頃は曖昧だが、映を見ていると親と離れて暮らすのは結構大変だと思う。
「パパとママはふたりともバリバリ働きたいタイプなのよ。ママは子育てのために仕事量をかなりセーブしていて、それは子どもながらに我慢していることはわかってたからね。娘達としてもママには、もっと活き活きとしてほしくて。それは今も昔も同じ気持ちよ」
「親孝行な娘だな」
家族は大切だが、その幸せや人生のやりがいをどこに見出すかは人それぞれ。
古い家族像が時代に合わないのは誰の目にも明らかだ。
家で事業をやっている家庭と、会社に勤めている家庭では物の考え方も変わってくる。
それは子ども達にも無意識下で影響が出てくるものだ。
「わたしが小さい頃からパパは出張が多くて、毎日顔を合わせてはいなかったから。今とそんなに変わらないし。なによりパパがアメリカでの仕事を本格化させるためには優秀なママの力が必要だった。だから、いい機会だと思ったのよ」
ヨルカとしても家族の一員として協力するのが当たり前という態度で話す。
「そっか。家に帰れば、必ず家族全員が揃っているってわけでもなかったんだな」
「パパとママが日本を離れる前から信頼できるお手伝いさんに来てもらっていたから、両親がアメリカにいる以外は生活環境が大きく変わるわけでもなかったし」
「そういう生活の下地が最初からあったわけね」
いきなり両親と子どもが別れて暮らすのは難易度が高いだろうが、有坂家では両親が日本で生活していた頃から既に今と近い環境ではあった。
「むしろ忙しいのに両親は入学式や卒業式、受験や進学とか色んな手続きが必要な時にはきちんとアメリカから帰国してくれたからね。わたしも、もっと力になりたいって思って家事を覚えたのよ」
「ヨルカ、偉い子だね」
幼き日の彼女を褒めたたえるように、俺はそっと頭を撫でてやる。
「別に、それが有坂家の当たり前だっただけよ」
「それでも我慢もあったんじゃないか?」
「生きていたら我慢はつきものでしょう。その分、甘えられる喜びも格別なの」
ヨルカはそっと抱きついてくる。
今日はみんなの前だから、こうしてイチャつくタイミングがなかった。
ミニスカサンタの薄着で密着されると破壊力抜群だ。
しかも両親不在とはいえ、実家で恋人とイチャつくのは背徳感がすごい。
非常にいけないことをしている気持ちになる。
「はぁー落ち着く」
ヨルカは心底幸せそうだった。
しばらく浸るように抱き合っていると、ミニスカサンタはあるおねだりをしてくる。
「……今夜は帰りたくない」
その一言だけで、心臓が超新星爆発したくらいドキドキした。
男が女の子から一度は言われてみたい台詞の上位に入るであろう。
落ち着け、瀬名希墨。
女の子が振り絞ってくれた勇気を無駄にするな。
彼女の望みを叶えるために脳内で必要なプロセスを洗い出す。
全員を帰した後、上手くヨルカだけを留まらせる。自室の後片づけも急いで済ませなければならない。その上でうちの家族をどう説得するか。いっそこっそり泊まらせるか?
どうすればスマートに事を運べるのか!?
「なんてね。映ちゃんもいるし、ご両親も帰ってくるものね」
ヨルカは顔を上げて、こちらの顔を覗きこんでくる。
もちろん、ヨルカの言うことは正しい。
俺も後先考えないで押し切るほどアホでもない。
頭ではわかっていても、俺の内側では羞恥心と劣情が愚かな泥仕合をしていた。
「ほーら、そんな顔をしないで。サンタクロースは次のプレゼントを配りに行くものでしょう?」
「トナカイがいなきゃ難しいだろう。今晩はこのまま休むべきじゃないかな」
強がりを口走ってみる。
友達の集まるパーティーの最中で、聖夜の奇跡が起きる確率が低いのはわかっていた。
が、ホッとしたような残念なような複雑な心境である。
だってサンタクロースのコスプレをしたヨルカは死ぬほどかわいいんだぞ。
美少女にミニスカサンタなんて最強の組み合わせすぎる。
「希墨のエッチ……、ねぇポケットになんか入っている? ふとももに当たるんだけど」
ヨルカは、俺の着ぐるみに手を伸ばす。
「小さな、箱かな?」
「──ッ!?」
ヤバい、七村から貰った例のブツが入れっぱなしだった。
「いや、別に大したものじゃないから」
「えー気になる。中身なに?」
「気にするなって」
「なーんか怪しいな。見せてよ」
ヨルカはいきなりポケットに手を入れてこようとする。
「ちょっ、大胆すぎません!」
俺は身体をよじって避けようとするが、ヨルカは逃がさないとばかりに抱きつく力を強めてくる。ダボダボの着ぐるみはポケットの口も大きいため、ヨルカの手が入ったら簡単に持ってかれる。
「後生だから勘弁してくれ!」
「そうやって抵抗されると余計に知りたくなるんだけど!」
ヨルカは強引に手を入れてこようとする。
「キッチンでふざけたらいけませんって学校で習わなかったのか?」
「恋人の隠し事が気になる場合は対象外!」
「そんな例外、初耳だよ!」
「いいから大人しくしなさい」
「俺は安全第一なだけだ!」
イチャつくようにふたりで密着しながらくるくると回っていた拍子に、例のブツがポロっとポケットから落ちる。
「あれってなに?」
ヨルカは曇りなき瞳で訊ねる。
オシャレなパッケージなので一見しただけでは、その小箱の正体がわからないようだ。
非常に答えづらい。
恋人同士、男と女だからこそ生々しい意味を帯びてしまう。
「ゴム」
黙秘していてもバレると踏んだ俺は、素直に答える。
「────!」
ヨルカは驚きと慌てるのを咄嗟に耐えた。
その反応から、名称とその使用目的についての知識はあるようだ。
ヨルカは逃げたり叫んだりすることはしなかった。
「それって、あの時につかうもの、だよね?」
「あぁ」
「なんでポケットにあるの?」
ヨルカは慎重な声で質問する。
「さっき七村と廊下に出た時に渡された。そのままキッチンに来たから隠すタイミングがなくて、ポケットに入れっぱなしだったんだ」
「そ、そうなんだ。じゃあ仕方ないね。まったく、七村くんには困っちゃうな」
ヨルカは露骨に安心した顔になった。
俺はおもむろに箱を拾い上げてから、なおも打ち明ける。
「だけど七村から貰わなくても、俺も自前で買ったんだ。ヨルカと、もしもの時のために」
自分の正直な欲望を口にするのは恥ずかしい。
「ずっと、我慢していたの?」
「ヨルカに嫌な思いをさせたくはないんだ。だから我慢というか、まぁタイミングを探していたのは確かだな」
この期に及んで言い訳をするだけ無駄だ。
俺はできるだけ自分の本心を言葉にしようと努力する。
「……今日ね、最低限のお泊りセットは持ってきているの」
今度は俺が驚く番だった。
「ほら、家ではお父さんと喧嘩中だし、パーティーが盛り上がったらそのままみんなで朝まで泊まったりすることもあるのかなって! 希墨の家には一度泊まったこともあるし。あくまで念のために、ね!」
ヨルカは早口でまくし立てた。
「ただ」と彼女は急に言葉を途切れさせる。
「ただ、なに?」
「──今夜は帰りたくない、って気持ちはわたしもあるよ」
そこに帯びる響きはさっきとは別物だった。
秋に友人である叶ミメイの自宅でバンドの合宿をした時の危うい一夜を思い起こさせる。
あの瞬間、俺達は間違いなくお互いを求め合っていた。
自分の本能に従いたい。
激しい衝動が自分の腹の底で渦巻き、熱を持つ。
今すぐに彼女の唇を奪いたい。
俺はもう一度、ヨルカの腰元を抱き寄せて近づく。
ヨルカは抵抗しない。ぎこちなくも、俺に身を預けてくる。
このままでは止まれなくなってしまう。
最後の理性を頭から消し去ろうとして──
「パーティーで抜け出してイチャつくなんて、ベタベタの定番ね」
「スミスミとヨルヨル、空気がピンクだよ」
扉の方を見れば、呆れた表情を向ける朝姫さんと苦笑気味なみやちーが立っていた。
「中々帰ってこないと様子を見に来ればこれだもの。お邪魔だったかしら?」
ピィーと沸騰した音がヤカンから上がった。まるで警告音だ。
「わ、わ、わたし、みんなの分の紅茶を淹れるから、希墨はケーキを取り出して!」
ヨルカはパッと俺から離れて、慌てて作業に戻る。
俺の恋人は衣装だけでなく、耳まで真っ赤にしていた。
「……有坂さん、家に帰りたくないの?」
朝姫さんはからかうように訊ねた。
「ど、どこから聞いていたのよ!」
ヨルカは恥ずかしさで爆発しそうだった。
ケーキ一式を持って、四人で部屋に戻ってきた。
ちょうどテレビの音楽番組から、アイドル研究会の動画でも見た曲が流れてくる。
ビヨンド・ジ・アイドルの『七色クライマックス』。
当時ダブルセンターだった恵麻久良羽と立石蘭の息の合ったパフォーマンスで話題となり、今もよく耳にするロングヒットした曲だ。
「映、この曲を踊れるよ!」
我が妹は立ち上がって、メロディーに合わせて踊り出す。
驚くべきことに振り付けを完璧に覚えており、その見事なダンスにみんなは拍手を送った。
俺と違って、びっくりするくらい器用な妹である。
「歌ったり踊ったり演奏できると盛り上がるわね。文化祭もいいライブだったな」
朝姫さんがふいにこぼすと、みんなもうんうんとあの時の思い出に浸る。
裏方として際どいスケジュールを調整してくれた朝姫さんは間違いなく陰の功労者だ。
「妹さんは希墨くんのライブはどう思ったの?」
朝姫さんは、純粋な観客であった映の反応が気になるようだ。
「カッコよかったよ。けど……」
「けど、どうしたの?」
ヨルカが答えの続きを求める。
常に元気でハキハキした答え方をする映にしては珍しく歯切れが悪い。
「きすみくんが、きすみくんじゃないみたいだった」
映は不思議な感想を口にした。
ライブ直後に神崎先生やアリアさんと舞台袖に来てくれた時はあんなに喜んでいたのに。
その証拠に、あの時に舞台袖で撮った集合写真で映も満面の笑みを浮かべている。
俺もその写真を気に入っており、記念にプリントして机の前に飾っていた。
「そりゃ自分の兄貴が恥ずかしげもなくステージ上で愛を叫べば、妹ちゃんとしては違和感あるだろう」
七村はすかさず弄ってくる。
「えーああいうストレートなのって結構グッときません? 私、見ながらふつうに感動して泣いちゃいましたよ」
紗夕は思い出して、また泣きそうだった。
「バンドの鬼気迫る演奏で会場は総立ちだったし、ダメ押しで希墨くんのプロポーズで大盛り上がりからのアンコールは、永聖史上の伝説に残る文化祭になったでしょうね」
朝姫さんは満足げに総括する。
「母校に変な逸話が残らないといいけど……」
そういうのは柄じゃないから照れくさい。
「叶さんや花菱くんも今日のパーティーに来れればよかったのにね」
ヨルカは不在のバンドメンバーの名前を出して残念そうだった。
俺とヨルカ、みやちーに加えて叶ミメイと花菱清虎の五人で組んだバンドがリンクスである。
叶ミメイと花菱清虎も誘ったのだが、ふたりとも先約があり本日は欠席していた。
「仕方ないよ。メイメイはご両親の出演するクリスマスライブを毎年見に行っているし、花菱くんはお家のパーティーなんだって。お医者さんは大変だよね」
答えたのは、みやちーだった。
飛び交っていた言葉が止まる。
「え? なんで急に黙るの?」
みやちーは不思議そうな顔で、他のみんなを見渡す。
「いや、みやちーは叶と仲がいいから欠席理由を知っているのはわかるけど、なんで花菱の事情まで知っているのかなって」
俺が代表して質問する。
幹事の俺は出欠確認し、瀬名会のグループラインで最終的な参加者を共有した。
が、不参加者の欠席理由までは伝えていない。
「廊下ですれ違った時にたまたま聞いただけだよ。ほら、花菱くんって勝手に喋るでしょう」
みやちーは何事もないとばかりに答える。
「ひなかちゃんって割と花菱くんに厳しくなかったっけ?」
「けど、文化祭以降、ふたりが話している場面を何度か見かけたかも」
ヨルカと朝姫さんが顔を見合わせる。
「あれあれ、宮内先輩と花菱先輩ってもしかして……恋の予感ッ!? 文化祭マジックが発動しちゃった的な!」
紗夕は興味津々という顔でテンションを上げていた。
「ないない。あんなキラキラ王子様系は、あたしのタイプじゃないし」
みやちーは、その可能性が微塵もないときっぱり否定する。
ケーキまで食べ終えると、さすがに満腹感で苦しい。
テレビもちょうどCMに入り、なんとなくまったりとした休憩タイムになる。
時計を見れば、気づけば夜の九時を過ぎていた。
「さて、ケーキを食べたからっておしまいモードに入るのはまだ早いぞ」
和やかな雰囲気に包まれたところで七村はどこからともなく数字の書かれた割りばしの束を取り出す。わざわざ事前に準備してきたらしい。
「みんな、王様ゲームしようぜ!!」
七村がノリノリで提案すると、
「嫌」「嫌よ」「嫌かな」「嫌です」「どんなゲーム?」「死ね」
ルールを知らない映以外、全員が拒絶する。
「おい、最後! 死ねは言いすぎだろう瀬名」
「アホぬかせ! 小学生もいる状況でなんつー提案をしている!」
「妹ちゃんだけ仲間外れはかわいそうだろう」
「なら映でも参加できるゲームを提案しろ」
「楽しいだろう、王様ゲーム」
「どうせエロいことしようとでも企んでいるくせに」
七村の魂胆くらいお見通しである。
「偏見だ! エロだけが王様ゲームじゃない。スリルとスキンシップで、パーティーをさらに盛り上げたいだけだ」
「おまえ、マジで我が家を出禁にするぞ」
俺は真顔で告げる。映が変な言葉でも覚えたら大変だ。
「幹事のパワハラ。横暴だ」
「常識的な判断と言え」
「シスコンめ。過保護すぎるぞ」
「兄から妹への教育的配慮だ」
俺も譲る気はない。
「いくら子どもだって思っていても、知らぬ間に成長して大人になっていくんだよ」
七村はなぜか訳知り顔だ。
「誰目線だよ」
「兄貴の親友ポジ」
「今、限りなく七村との友情が揺らぎつつあるぞ」
「……ほぅ、瀬名よ。俺様にそんな態度をとってもいいのか」
七村は引かない。むしろ不気味なほどに余裕があった。
「なにがだ?」
「俺がおまえにあげた例のブツ、この場でバラシてもいいのか?」
「──おまえ、まさかこのためかッ!?」
七村らしからぬ知略。
わざわざ俺を廊下に呼び出してコンドームを渡したのは王様ゲームをやるための罠だったらしい。ご苦労なことだ。
「さぁどうする。俺はどちらでも構わないぞ」
七村は、ヨルカにバレていることを知らないから脅迫材料として通じると思っている。
下手に却下すれば、俺がコンドームを持っていることを容赦なくバラしてくるだろう。
七村とはそういう男である。
他の女性陣からどんな反応をされるか想像もつかないし、そんな状況を妹に目撃されて兄の威厳が地に墜ちるのは避けたい。
なにより好奇心旺盛な妹が、コンドームに興味を持つのはまだ早いッ!
「……わかった。じゃあ、エロい命令は禁止。あくまでも常識的なパーティーゲームの範囲でのみ。これならどうだ?」
仕方なく嫌々ながら譲歩するという芝居を打つ。
俺が提案した限定条件付きでの王様ゲームならと、女性陣も許容した。
「ちっ、まぁ、そこで手を打ってやろう」
ということで、王様ゲームがはじまる。
「「「「「「「王様だーれーだ!」」」」」」」
みんなで一斉に割りばしを引く。
全員が手元の割りばしを確認しつつ、互いを見回す。
そして、王様が名乗りを上げる。
「映が王様だよ!」
我が妹ながら豪運である。
いきなり引き当てるのだから大したものだ。
俺と違って、映にはこういうスター性みたいなものが確かにあった。
「王様、ご命令を!」
七村がノリノリで促す。
「ヨルカちゃん! ちょっとだけ指輪貸して!」
数字ではなく、いきなり名指しだった。
「おい、映。番号で指名しろ。それはルール違反だぞ」
トップバッターがいきなりルールを破るな。この後がなし崩し的になりかねない。
「いいじゃない。別に構わないわよ」
ヨルカはそう言って、指輪を外して映に渡す。
「ありがとう。ヨルカちゃん!」
映は指輪を右の薬指に嵌める。
案の定、若干緩そうだ。
「…………、うん。ありがとう。これ返すね」
映はしばし指輪を嵌めた自分の指を見つめてから満足したようで、あっさりと外す。
「もういいの?」
わざわざ王様が命令したのに思いの外すぐに返却されて、ヨルカは不思議そうだった。
「うん。やっぱりヨルカちゃんがつけているのが一番似合うと思う。それにきすみくんが選んだものを失くしたら大変だから!」
「うん、この指輪は映ちゃんのお兄さんから貰った大切な宝物なんだ」
ヨルカは指輪を大切そうにつけ直す。
「おまえも、そういう気遣いができるようになったんだな」
「だって失くしたらヨルカちゃんもきすみくんも悲しいでしょう?」
映の大人な対応に、まだ子どもと思っていた妹のふとした成長を実感させられた。
割りばしを回収して、二巡目。
「「「「「「「王様だーれーだ!」」」」」」」
再び割りばしを引く。
「あ、俺か」
割りばしには王冠のマークがあった。
さて、どんな命令をすべきだろうか。
少し考えて、俺は自分が訊きたい質問をしてみた。
「みんなの将来の夢や、なりたい職業とか進路を聞かせてほしい」
「真面目か。青臭い質問しやがって」
七村は不満を隠さない。こいつ、王様になったら絶対に間接的にエロい命令するだろう。
「王様の命令は絶対。いいから七村から答えていけ」
「あぁ? 俺はプロのバスケットボール選手になるぞ」
先陣を切った七村は当然とばかりに宣言する。そこには微塵の迷いもない。
「七村はそうなるだろう」「七村くんらしいね」「むしろ七村くんからバスケを取り除いたら、女の敵だし」「ななむーならそれしかないよね」「才能は存分に活用すべきだと思います!」「七村くん、おっきいもんね」
その進路こそが正解だと全員が太鼓判を押す。
「私はアナウンサーを目指そうかなって、ちょっと考えてます」
続いて答えたのは紗夕だった。
紗夕なら絶対向いていると、この場の全員が思っただろう。
彼女の持っているタレント性と実は努力家なところが合わされば、きっと上手くいく。
「私は医者を目指すから、医学部のある大学に進学する」
朝姫さんはあっさり答えてみせた。きっと家族の影響もあるのだろう。
お母さんも看護師で、最近再婚したお父さんもお医者さんである。
これまでは家族の負担にならないように、よい成績をとって推薦でいける一番いい大学しか選択肢に入っていない、という条件による選択だった。
だが、今は明確な彼女自身の意志を感じさせた。
「あたしは本気でデザインをがんばってみようかなって。文化祭でクラスの出し物でロゴとかチラシを作ったの楽しかったし、自分の性にも合っているみたい」
「ひなかちゃんのTシャツ、今は映が着ているよ!」
「え、映ちゃんが?」
「俺のクラスTシャツのデザインを気に入って、自分の服にしているんだ」と補足する。
せっかく記念に取っておこうと思ったのに、いつの間にか妹に奪われていた。
「映ちゃんにも気に入ってもらえたならよかったよ」
みやちーは控え目な反応だが、クラスメイト以外が自分のデザインを気に入ってくれることをかなり喜んでいるのだと思う。
次に質問に答えたのは、映だった。
そう言えば、映のなりたい職業や夢は聞いたことがない。
「映もみんなと同じ高校に行って、きすみくん達みたいに文化祭で面白いことする!」
我が妹は本気で永聖の生徒になりたいそうだ。
アリアさんの指導のおかげで俺も合格できたのだから、映も今のままなら実現しそうだ。
俺が十歳くらいの頃と比べて、妹の方がよっぽど優秀だった。
みんなが語る将来は割と具体的なことで少々驚いた。
まるでクリスマスツリーの飾りのように、それぞれが個性的な形で輝いて感じられた。
「で、瀬名は?」
俺が感心していると、七村が振ってきた。
「王様も答えないとダメ?」
「日本に王様って職業はねぇぞ」
要するに、さっさと答えろということだ。
自分の具体的な将来像を描けないからこそこの質問をしたのだ。
俺自身はまだ答えを持ち合わせていない。
「……俺はさ、みんなみたいに目指したい職業がまだなくて、この質問したんだ。今答えられるのは大学に通いながら就きたい仕事を見つけるくらいか」
「希墨くん。やりたい仕事は決まってなくても、理想くらいはあるんでしょう?」
朝姫さんは、俺が答えやすいように上手に質問をかみ砕いてくれた。
さすがはクラス委員の相棒である。気遣いがありがたい。
「あぁ、どうなりたいかだけはもう決まっている」
みんなの視線が俺に集まる。
このくらいでおどけるほど俺の覚悟は弱くない。
なんせ文化祭のステージでプロポーズをするような男だ。
「俺は楽しい家族を築いて、ヨルカを幸せにする」
自分のプロポーズの言葉に偽りはない。
「で、有坂ちゃんは?」
七村は間髪入れず、そのままヨルカへ繫げる。
すると、ヨルカはなにか躊躇う素振りを見せた。
ん。ん。ん? 待て。もしかして俺だけ先走りすぎたか?
急に不安になってきたぞ。
この微妙な沈黙、すごく嫌な感じ。
ヤバい、自分の鼓動が激しくなってきた。
だが、俺の心配をよそに、ヨルカは俺を安心させる言葉を言ってくれた。
「わたしは、その、希墨のお嫁さん」
俺とヨルカは完璧で完全に両想いの恋人だ。
愛する恋人のド直球な希望に、不安は吹き飛び心は雲一つない青空のように晴れ渡る。
「はい、撤収」と朝姫さんがパンと手を叩く。
「お疲れさん。なんか瀬名のおかげですっかり冷めちまったな」「あたし、胸がいっぱいだよ」「きー先輩、ヨル先輩、惚気ごちそうさまでした!」「映はまだ食べられるよ!」とガサガサと一斉にテーブルの上を片づけようとする。
「みんな淡泊すぎるぞ。もっと祝福してくれてもいいだろう」
「さすがに甘すぎて胸焼けになるわ」
七村がマジで嫌そうな顔になる。
「あ? そんなの春に教室で恋人宣言した時からずっと変わんないだろう」
俺も俺で開き直る。
「そうなんだよねぇ。スミスミはずっとヨルヨル一筋だもん」
俺の恋をずっと見てきたみやちーは納得の表情。
「まさかあんな古典的な台詞を言っちゃう人が実在するなんて。ヨル先輩、尊敬します」
紗夕は驚愕しながら笑っている。
「わたし、そんな恥ずかしいこと言ったかな!?」
「言ったわよ、バカップル」
朝姫さんが容赦なくツッコむ。
「ヨルカちゃん、きすみくんとラブラブぅ~~」
映まで調子に乗って冷やかしてくる。
そうして楽しかったクリスマス・パーティーはお開きとなった。
「みんな、気をつけて帰って。ヨルカ、年末の旅行を楽しんで!」
「よいお年を! みんな、来年も遊んでね!」
希墨と映ちゃんに見送られて、わたし達は瀬名家を後にする。
もう夜の十時近くで、残りの片づけはふたりに任せた。
サンタの衣装から制服に急いで着替えたわたし達はご近所である紗夕ちゃんをお家に送った後、残りのメンバーで駅へと向かう。
七村くんという強力なボディーガードがいるから夜道も安心だ。
「じゃあヨルヨル、朝姫ちゃん。またね」
「有坂ちゃん、支倉ちゃん。新年会もしようぜ」
ひなかちゃんと七村くんはホームが反対方向なので、駅の改札を入ったところで別れた。
残ったのは、わたしと支倉さんのふたりだけだ。
普段みんなでいる時はあまり意識しないが、ふたりきりになると会話に困ってしまう。
思い返せばこの一年はずっと支倉さんと戦っていた気がする。
支倉朝姫は、わたしと同じように瀬名希墨という男の子に恋をしていた。
彼女は自分から希墨に告白できる勇気のある女の子だ。
もちろん希墨とわたしの両想いが揺らぐことはなかったけど、わたしにとって別格の存在感と脅威をずっと感じていた。
彼女はわたしと違って、愛想がよくお話が面白くて万事を器用にこなす人気者だった。
人との距離感の取り方がとても上手で、同性のわたしから見ても魅力的な女の子。なにより自分の気持ちをきちんと言葉にできることを尊敬してしまう。
彼女に対する複雑な感情は、憧れの裏返しでもあったのだと今ならわかる。
もしも希墨のことさえなければ、違った関係になれていたかもしれない。
だけど希墨と付き合えなければ、わたしはずっとひとりのままだっただろう。
誰ともろくに口を利かずに高校三年間を過ごして卒業していた。
そう考えると、不思議なものだ。
支倉朝姫という恋敵がいてくれたおかげでわたしは人とのコミュニケーションを取れるようになった。
彼女への強烈な対抗意識があったから成長できたと思う。
希墨やひなかちゃんと同じように、支倉朝姫はわたしにとって必要な存在だった。
「ねぇ、私達ってなんだかんだふたりきりで話すこと少なかったよね」
寒いホームで電車を待ちながら、ふととなりに並ぶ彼女が語りかけてきた。
「そうだね。文化祭の舞台袖でステージに立つ直前、支倉さんが背中を押してくれたおかげで助かったわ。今さらだけど、ありがとう」
「……ねぇ、家に帰りたくないって言ってただけど、希墨くん以外でも有効?」
「え?」
「有坂さんとは一度ゆっくり話したいなって思ってて。だから、これからうちに泊まりに来ない?」
彼女はやっぱりすごい。
わたしができないことをあっさり言ってのける。