
今年もまた文化祭がやってきた。
もう何年も見守ってきたが、この季節になると自然と思い出される出来事がある。
教師生活において、あれほど印象深いトラブルは他になかった。
逆境は成長の機会。
子どもと思っていた生徒が、教師の想定を超えていくことは珍しくない。
彼ら彼女らは時に大人の心配など無用とばかりに、あっという間に成長していく。
早朝の校内を歩きながら、神崎紫鶴は思わず感慨に耽ってしまう。
いつもは部活動の朝練に参加する生徒しかいない校舎も、文化祭当日ともなれば朝から賑やかである。どの教室も最後の準備に勤しんでいた。
「神崎先生、おはようございます!」
「おはようございます。廊下は走らないように」
廊下ですれ違う生徒と朝の挨拶を交わす。その浮かれている様は微笑ましい。どうか今年も事故や怪我がなく、楽しい文化祭になるようにと祈るばかりだ。
そうして紫鶴が訪れたのは、文化祭実行委員会の本部。
「やはりここにいましたか」
探していた生徒ひとりは、部屋のカーテンを閉め切った暗い室内でプロジェクターから映し出された過去の文化祭の記録映像を観ていた。
「生徒会長、ちょっといいですか?」
その生徒は食い入るように映像を見つめ、担任でもある紫鶴の来訪に気づいていない。
「メインステージの例の件で、確認したいことがあるのですが」
「紫鶴ちゃん、今いいところだからちょっと待って!」
永聖高等学校の生徒会長は砕けた調子で話しかけながらも、視線は正面の映像に釘づけだ。
いつものように無視して話を進めようとしたが、映像はクライマックスに差しかかる。
『ヨルカ! 大好きだ! 愛している! 俺と結婚してくれ─────────────ッ!!』
懐かしい。紫鶴にとっても忘れられない場面がまさにこれだ。
体育館に詰めかけた生徒達の前で、恋人にプロポーズをした男子生徒。
恋人である少女は顔を真っ赤にしながらも、胸元に手で小さな〇をつくる。
あまりにも眩しい青春の記録だった。
たとえ年月が流れても、その輝きが色褪せることはない。
あの瞬間に立ち会った者達にとってはなおのこと鮮烈な印象を焼きつけた。
「瀬名さん、また観ているんですか?」
口馴染みのある名前で呼びかける。
「紫鶴ちゃん、せっかく感動の余韻に浸っているんだから邪魔しないでよ」
生徒会長は不満げに、ようやくこちらの顔を見た。
「学校では神崎先生と呼びなさいと言っているでしょう」
紫鶴は注意をしつつ、部屋のカーテンを開けていく。朝の光が部屋に差しこむ。
「今はふたりだけだから許して。それに紫鶴ちゃんは紫鶴ちゃんじゃない」
その無邪気な態度ははじめて出会った時から変わらない。
「──お兄さんの映像を何度も見るなんて、相変わらず好きですね」
「これを観ると、がんばろうって気分が上がるんだもの」
「瀬名さんのお兄さんが卒業して、もう六年ですか。時が経つのは早いですね。映さん」
彼女の名前は、瀬名映。
かつての教え子・瀬名希墨の妹で、永聖高等学校史上二人目となる一年生で生徒会長になった逸材である。
成績優秀、スポーツ万能、物怖じしない明るい性格でコミュニケーション能力に長けた学校の人気者。
出会った頃の映はまだ小学四年生だった。もともと愛くるしい顔立ちに大人びた容姿をしていた彼女も今や高校二年生。美少女はさらに美しさと賢さに磨きをかけて成長していた。
新入生総代を務めた彼女は、入学前から生徒会長になることを希望していた。
一年生ながら生徒会長選に立候補すると、圧倒的な得票数で当選。
以降、彼女は伝説の生徒会長・有坂アリアを彷彿とさせるように、次々に新しい改革を打ち出して学校を盛り立てていった。
人気と実績により、高校二年生でも生徒会長に再選。
その二年間の集大成とも言うべきものが、文化祭のメインステージだった。
「今日はきすみくん達も来るから、紫鶴ちゃんも楽しみにしててね」
「……初耳なんですが」
紫鶴が部屋のカーテンをすべて開け終わったタイミングで、告げられた。
「サプライズってやつだよ。妹の晴れ舞台だから、ひなかちゃんとかみんな呼んでくれたんだ。私も会うのは久しぶりだからドキドキする」
予想通りの紫鶴の反応に、映は満面の笑みを浮かべた。
「そういう態度、ますますアリアの影響を感じるのですが」
ちょっとした恐怖にも似た苦笑がこぼれてしまう。
「映の師匠だもの。当然だよ。それに今回のフィナーレ企画〝花道で愛を叫べ〟だってアリアお姉ちゃんに任されたみたいなものだからね」
誇らしげに胸を張る。
「あまり悪い影響は受けすぎないでください。苦労するのは私なんですから」
紫鶴は教え子に釘を刺す。
「生徒の自主性や創造性に制限をかけちゃいけないってば。誰も挑戦しなくなっちゃうよ」
映はしたり顔で言い返す。
「そういう否定しづらい屁理屈と笑顔で押し切るところがアリアそっくり」
「まぁまぁ長い付き合いなんだから大目に見てよ。お願い紫鶴ちゃん」
映は、無邪気な笑顔でピースサインを送る。
「それで神崎先生、確認したいことってなんですか?」
かと思えば表情と態度を切り替え、真面目な生徒会長になる。
この子は天性の人たらしだと思う。
そういう硬軟自在の振れ幅の広さこそ、色んなタイプの人と仲良くなれる理由なのだろう。
その点は、兄妹そっくりである。
瀬名映発案のメインステージの目玉企画について簡単な打ち合わせを終えた頃、文化祭実行委員の生徒達が登校してきた。
「では、私はこれで。成功を祈っています」
「指導してくれた神崎先生が優秀だから大丈夫!」
「……、そういう言い方はお兄さんそっくりですよ」
「お手本が多いので。紫鶴ちゃん含めてね」
かわいらしいウインクを紫鶴に飛ばして、映は「おはよう」とやってきた生徒達を出迎えた。
人気者の生徒会長は、すぐに他の生徒達に囲まれる。
廊下に出ると、校内の活気は一気に増していた。
「彼はどんな反応をするんでしょうね」
紫鶴はクスリと笑みを浮かべた。