真祖の末娘であるリスティアは、つい先日まで吸血衝動と無縁だった。だから、他の同族がどうして吸血衝動に身を任せるのか、まるで理解できないでいた。
けれど、それは吸血衝動に襲われ、マリアの血を飲ませてもらうまでの話だ。
マリアの首筋に牙を突き立ててその血を口にした。その瞬間、理解してしまったのだ。大切な相手の血を飲むことが、ヴァンパイアにとってどれだけ甘美なことなのかを。
妹のように思っているマリアの血が、喉を通して自分の体内へと溶け込んでいく。そうして満たされるのは喉の乾き──ではなく、リスティアの心そのもの。
リスティアはあの多幸感をまた得たいという衝動に襲われていた。
そんな訳で、月が赤く染まったある日の夜。リスティアは夕食の片付けをしているマリアの元へ行き、その袖を掴んで「マリア……」と声を掛ける。
「リスティア院長、どうかしたの?」
「えっと、その……」
どうお願いすれば良いか分からなくて、リスティアはもじもじとする。
「もしかして……?」
「……うん。マリアが欲しくなっちゃった」
「そっか……分かった。それじゃ……今夜、リスティア院長の部屋に行くわね」
「……ありがとう、マリア」
少しはにかんで、リスティアは自分の部屋へと戻っていった。
◇◇◇
「──今夜、リスティア院長の部屋に行くわね」
マリアがリスティアに向かって小さな声で答える。アレンがその言葉を耳にしてしまったのはただの偶然だったけれど、心がどうしようもなくざわついた。
『──分かりました。今夜、部屋に行きます』
脳裏に浮かんだのは、眉を寄せてそんなことを言うマリアの姿。会話の相手は前院長であるゲオルグで、マリアは見ているだけで胸が苦しくなるような表情を浮かべていた。
幼いアレンには、それがどういったやりとりなのかは分からなかった。
いや、いまでも良くは分かっていない。
だけどそれでも、ゲオルグ院長がマリアになにかを強要しているのは分かった。
だからゲオルグ院長が嫌いで、その仲間に思えたリスティアのことも嫌っていた。
けれど、リスティアはゲオルグ院長を追い出し、自分達を救ってくれた恩人。自分が警戒していたのは杞憂で、リスティアは自分達の味方だと思うようになっていた。
だけど、だからこそ、先ほどのやりとりはアレンの心をざわめかせた。もしかしたら、リスティアはゲオルグ院長と同じなのかもしれない。そんな風に思ったからだ。
「いや、そんなはずない。リスティア院長は、みんなに優しくしてくれるし……」
リスティアとゲオルグ院長ではあまりに違いすぎる。きっとなにかの間違いだ。
そう思ったアレンは、ゲオルグ院長のときには恐くて出来なかった行動をとった。すなわち、夜の部屋でなにがおこなわれているか、それを確認するべく部屋の様子を見に行ったのだ。
そして──
「マリア、マリア……もう、我慢できないよ」
「ひゃっ……んっ。ぁ……ん。もぅ、リスティア院長ったら……そんなに焦らなくても平気よ」
夜が更けた頃、リスティアの部屋の扉の前、聞き耳を立てていたアレンは、リスティアとマリアの甘ったるい声を聞いてしまった。
もちろん、部屋の中でおこなわれているのはただの──と言って良いのかどうかは分からないけれど、吸血行為であり、会話から連想するような行為ではない。
けれど、アレンはその会話から、二人がなにかいけないことをしているのだと誤解した。
アレンの頭にカッと血が上る。
リスティアが、マリアになにかを強要している──と、そんな風に思ってしまったからだ。
それが事実なのか誤解なのか、確認しなくちゃいけない。そう思ったアレンは、ドアノブに手を掛けて、ドアを少しだけ開け──その隙間から部屋の様子をうかがう。
気付かれないようにと、扉を開けたのは最小限で、見えるのはわずかな範囲のみ。だけど、ちょうどその視界の中に、お姫様ベッドが入っていた。
そして──そのお姫様ベッドの上、リスティアに抱きしめられるマリアの横顔が見えた。
「ぁ……ぅ。……んっ。リスティア院長、ちょっと、激しすぎ、よ……っ」
マリアが身をよじり、リスティアをそっと押しのける。
やっぱり、リスティアがマリアになにかを強要していると、アレンは誤解を加速させる。
だけど──
「んんっ。ぁ……ん。リスティア院長、もう少し、ゆっくり。じゃないと、私……〜〜〜っ」
指を噛んで声を押し殺し、その身を震わせる。そんなマリアの顔に浮かんでいるのは、どこか嬉しそうな表情。少しも、嫌そうには見えない。
リスティアが強要しているのではなく、マリアが受け入れている。それを理解してしまった。
「……ん。ごめんね。なんだか歯止めが利かなくなっちゃって」
「リスティア院長ったら。……でも、私を求めてくれて嬉しいわ」
「マリア……えへへ。それじゃ、もう少しだけ、ダメ……かな?」
「もぅ……仕方ないわね。それじゃ、もう一回だけよ?」
「うん、ありがとう、マリア!」
リスティアがマリアに抱きつき、そのままベッドに押し倒してしまった。そうして二人はアレンの視界から消えてしまったけれど、マリアの甘い声とかすかな水音が響いてくる。
二人の行為を、正しく──いや、本当は根本的に違うのだけれど、大人がこの光景を見て想像するようなことを、アレンが想像できた訳ではない。
だけど、リスティアとマリアがただならぬ関係であることだけは理解できた。
孤児院で一番上の、優しくて綺麗なお姉ちゃん。そんなマリアに、アレンは好意を抱いていた。だから、その光景はあまりに衝撃的で──アレンはその場から逃げ出した。
──けれど、アレンはゲオルグ院長のときも最後まで立ち向かった。子供ながらにとても強い心の持ち主である──という訳で翌日。
「リスティア院長にマリアお姉ちゃんは渡さないからな!」
朝食の席で、アレンはリスティアに宣戦布告をおこなった。
マリアは驚きに目を見開き、子供達はきょとんとする。
そして、指を突きつけられたリスティアは、満面の笑みで微笑んだ。
「大丈夫だよ。あたしはみんなのことが大好きだから。誰かから誰かを取るなんてしない。みんな一緒に可愛がってあげるからね」
あたしは、みんなのお姉ちゃんなんだよ! と言う意味なのだが、昨日の光景からアレンが導き出した答えは違っていた。
だから──
「リ、リスティア院長の見境なし! 俺は籠絡されたりしないからなっ!」
アレンの誤解は更に加速していく。
そうして子供でしかなかったアレンは、マリアへの想いを自覚。
リスティアに負けないようにと己を磨き、やがては英雄と呼ばれるまで登り詰めるのだが……それはまた別の物語である。