エピソード4 自称普通の女の子、孤児院で普通の食堂を経営する

孤児院の建て直しともなれば、半年は必要となる──と、マリアは思っていたのだけれど、結果的にはその三分の一程度の時間で終わってしまった。

リスティアが、大工達にあれこれ手を貸したからだ。

しかも、旧孤児院の撤去は文字通り一瞬、まばたきしているあいだに終わってしまった。懐かしくなったら、また取り出すからね──って、もはやなにがなんだか。

常識的に考えてありえないけれど、リスティアにとってはそれが普通。そんな非常識な現実に、マリア達は順応しつつあった。

ともあれ、孤児院の建て直しは完了。その日の夜、リスティアから食堂に集まるように言われ、マリアを初めとした子供達は食堂に集合する。

ただ、渡された服を着て集まるように──と言うことだったのだけれど、マリアが渡されたのは、スカート裾の短いメイド服だった。

この二ヶ月ほどで積み上がったリスティアに対する信頼があるので、着替えを拒否するなんてことはなかったけれど、マリアはどうしてメイド服なんだろうと首を傾げた。

「みんなお待たせ。……うん、着替え終わってるね」

お店のフロアに遅れてやって来たリスティア自身は、ゴシックドレスを身に纏っている。サラサラの黒髪もそのままで、なにやらお嬢様といった立ち姿。

マリアは同性ながらに、リスティアの立ち姿に見とれてしまった。

「マリア?」

「……え? な、なにかしら?」

いつの間にか、リスティアに顔を覗き込まれていて慌てる。

「その制服、なにか問題はないかな? って聞いたんだけど」

「あ、あぁ……大丈夫よ。とっても着心地が良いわ。でも……どうしてメイド服なの?」

マリアは首を傾げる。

ちなみに、マリア以外の女の子もメイド服で、男の子は執事服というチョイス。子供達は気に入っているようだけど……どうして食堂でそんな制服なのかと首を傾げる。

けれど──

「どうして……って、食堂と言えばメイドや執事でしょ?」

どうしてそんなことを聞くの? とでも言いたげな表情。

リスティアはお城暮らしだったので、食堂で働いていたのはメイドや執事という感覚。素で言っているのだが、リスティアの素性を知らないマリアには分からない。

「……まあ、どうせ私は厨房だし、かまわないけどね」

食堂をすると聞かされた時、マリアは焦っていた。相手が同性でも、急に触れられると反射的に払いのけてしまう。ましてや年上の異性なんて、近寄られるだけでも恐くなる。

とてもじゃないけれど、フロアでは働けないと思っていたからだ。

けれど、リスティアはその辺りの気持ちも考えてくれていたようで、マリアが厨房で働けるように、料理を教えてくれた。

色々なことで非常識だけど、凄く思いやりのある、優しいお姉ちゃん。それがリスティアに対する、マリアの評価だった。

もっとも、恩人で孤児院を管理する立場にあるリスティアを、お姉ちゃんだなんて呼べるはずもなく、本心を隠してリスティア院長と呼んでいる。

もしリスティアが知れば、そこはお姉ちゃんと呼ぼうよ! とマジ泣きするだろう。

「この食堂を作ったのには、いくつか目的があるの」

リスティアが切り出した途端、子供達は一斉に口を閉ざして注目する。この数ヶ月で、リスティアはすっかり子供達の信頼を勝ち取っていた。

自分はもっと長い時間が掛かったのに──と、マリアはほんのちょっぴりの嫉妬。そしてそれ以上に、自分を救ってくれたリスティアはこんなに凄いんだって誇らしい気持ちになる。

「まず一つ目は、みんなに働く経験をして欲しいということ」

リスティアが最初に切り出したのは、子供達の手に職をつけさせるというお話だった。他の子供達はピンときていないようだったけど、マリアにはその理由がよく分かった。

マリア自身もそうだけれど、孤児達はやがて巣立たなくてはいけない。そのときに一番困るのは、働き先が見つからないと言うこと。

でも、孤児院にいるあいだに経験を積めば、将来的に職を見つけやすくなるはずだ。

マリア達にとっては凄くありがたい話だけど──

孤児院は街の外れ、丘の上にぽつんと存在している。ただでさえ、黒い噂があった孤児院という理由で敬遠されそうなのに、人通りはないに等しい。

とてもじゃないけど、採算が取れるほどのお客さんが来るとは思えなかった。

もっとも、リスティアであれば、採算なんて取れなくても良いと言いそう──程度のことはマリアも予想している。けれど、客が来なければ、働く練習にもなりはしない。

それをどうするのか──とマリアが考えていると、リスティアはちょうどその話を始めた。

「フロアで働くみんなに、一つのルールを設けるね。それは、お店に来たお客さんを、お兄ちゃん、お姉ちゃんと呼ぶことだよ!」

リスティアが高らかに宣言する。

それを聞いた他の子供達は、ぽかんとした表情。だけど、マリアはその言葉を聞いた瞬間、さすがリスティア院長だと感心した。

なぜなら、奉仕活動を数多くさせられたマリアは、年上の男性が『お兄ちゃん』とか『お父さん』とか呼ばれると喜ぶことを経験で知っていたからだ。

孤児院の子供達は奉仕活動を目的とした奴隷候補として集められていたので、もともと磨けば光る素材が多かった。それに加え、リスティアの介入によって、子供達はこれでもかと磨かれている。やたらと美少女や美少年の集まる孤児院と化していた。

そんな子供達──ましてやリスティアに、お兄ちゃんお姉ちゃんと呼ばれるのなら、街外れであろうと足を運ぶ客はいるはずだ。

ちなみに、マリアはお兄ちゃんと呼ぶように強制されたことがある。だからその辺りのあれこれは、マリアに辛い過去を思い起こさせる。

けれど、リスティアはマリアが厨房で働けるように取り計らってくれているし、もしなにかあったとしても、必ず護ってくれると信じられる。

ここ最近のあれこれで、リスティアに対する信頼が限界を突破していたマリアは、これもきっと私に対するリハビリで、私のことを考えてくれているんだと受け取った。

綺麗で優しくて、思いやりもあって、発想も豊か。

このリスティアお姉ちゃんにずっとついていきたいと、マリアは心から思う。

だから、マリアは精一杯の敬意を込めて「分かったわ、リスティア店長」と呼んだのだが──なぜか、リスティアはくずおれた。

◇◇◇

オープン初日。リスティアは食堂の控え室でしょんぼりしていた。

興味本位で来てくれたお客さんがちらほらいるとは言え、まだあまりお客さんが来ないことが理由──ではなく、子供達にお姉ちゃんと呼んでもらえなかったからだ。

まさか、お姉さんから院長先生。院長先生から店長に移行して、お姉ちゃんが遠ざかるとは夢にも思っていなかった。非常にしょんぼりな結果である。

もちろん、お客さんを、お兄ちゃんお姉ちゃんと呼ぶように言っただけで、自分もそう呼んでもらえるようになると考えていたわけではない。

ただ、練習でお姉ちゃんと呼んでもらって、それを足がかりに──なんて考えていたリスティアは、見事に出鼻を挫かれてしまったのだ。

はぁ……マリアはあたしのこと、お姉ちゃんみたいには思ってくれてないのかなぁ。あたしはみんなのこと、妹や弟みたいに思ってるんだけどなぁ。

お姉さんと呼ばれていた頃が懐かしいよ……と、リスティアは嘆いた。

もちろん、強制的にお姉ちゃんと呼ばせることは簡単だ。けれど、リスティアが望むのは、お姉ちゃんと呼ばれることではなく、お姉ちゃんと慕われること。

強制しては、その目的は叶えられない。

「リスティア店長、少し相談があるんだけど……もしかして疲れてる?」

控え室に顔を出したマリアが、そんな風に尋ねてきた。それを聞いたリスティアは、ささっと背筋を伸ばして微笑みを浮かべる。

「大丈夫だよ。それに、マリアの相談なら喜んで聞くよ」

「あ、ありがとう」

マリアは少し頬を赤らめた。リスティアのセリフと笑顔に魅せられているのは明らかなのだが、リスティアと話す相手は大抵こんな感じなので、リスティアは気付かない。

「それで、相談ってどんな内容?」

「実はお客さんから要望があって、メイドを指名できないかって」

「指名って……どういう意味?」

「ほら、テーブルごとに一人ついて、対応することになってるでしょ?」

「あぁ……そっか」

現在は順番に給仕をさせているので、客にどの子供がつくかは性別も含めてランダムだ。性別はもちろん、誰に給仕をしてもらいたいという要望もあるのだろう。

「対応できる範囲なら指名しても良いって伝えて。ただし、問題を起こすようなお客さんは、叩きだして良いからね」

「……ありがとう、リスティア店長」

マリアが喜んでくれて、あたしも嬉しいとリスティアは思ったのだけれど──

「じゃあ、最初のご指名よ、リスティア店長」

続けられた言葉は意味が分からなかった。

「えっと……どういうこと?」

「例の大工さん達が来てるんだけど、リスティア店長に給仕をしてもらいたいと」

「……あたし?」

「ええ、そうよ。もしそのつもりがなければ、断ってくるけど」

「ふみゅ……」

リスティアには姉がいたので、妹として振る舞うことはやぶさかじゃない。けれど、リスティアの目的はあくまで、子供達にお姉ちゃんと慕われること。

そのためにはどうするべきかを考えた。

その結果──リスティアは自らもメイドとして働くことにした。

今までのリスティアは店長。けれど、同じメイドになればみんなの先輩。つまりは、店長よりはお姉ちゃんに近そうだと思ったからだ。

「良いよ。それじゃ、すぐに着替えてくるねっ」

「分かったわ、少し待つように伝えておくわね」

クルリと身をひるがえし、マリアが控え室から退室する。それを見届けると同時、リスティアはワンピースの両肩部分を手で摘まんで、ふわっと脱ぎ捨てた。

そうして可愛らしいブルーの下着姿になったリスティアは、アイテムボックスにワンピースを収納。代わりに食堂の制服であるメイド服を取り出す。

そして瑞々しい身体を、メイド服で包んでいく。

最後に髪を背中で無造作に束ねていたヒモをほどいて解き放つ。艶やかな黒髪は、ヒモの痕一つ残さず、サラサラと流れ落ちた。

「えへへ、念のために作っておいて正解だったね」

姿見の前でクルリと回って身だしなみをチェック。リスティアは柔らかに微笑んだ。その姿はまさしく天使と呼ぶにふさわしい姿だった。

リスティアは「うん、どこからどう見ても普通の女の子だね」とか呟いているが。


それからフロアへと顔を出し、まずはにっこりと微笑みを浮かべる。

そんなリスティアに気付いた子供やお客達が、可憐な立ち姿に目を奪われるが、リスティアは気にせず大工のウッド達がいる席へと向かった。

貴族のようにしずしずと──ではなく、軽やかな足取りでウッド達の前に。

「えへへ、お帰りなさい、お兄ちゃん〜」

メイド服に身を包むリスティアの天使スマイルは、見ていた者達を一瞬で虜にした。あまりに衝撃的だったのか、ウッド達は硬直している。

「ウッドお兄ちゃん、ご注文は決まったの?」

「う、あっ……っと、嬢ちゃん、俺はお兄ちゃんなんて歳じゃねぇ。出来れば他の呼び方にしてくれねぇか?」

「えっと……なら、ウッドお父さん?」

小首を傾げて問い返す。それを聞いたウッドは身を震わせた。

「な、なんだこの、言いようのない感動は。俺もこんな娘が欲しかったっ!」

「ズルいぜ棟梁! リスティアちゃん、俺はお兄ちゃんって呼んでくれ!」

「はーい、お兄ちゃん」

「くあああああっ、最高かっ!」

ウッドに続き、二人目の大工も身もだえた。

「俺、今日から毎日、この店に通うから!」

「お兄ちゃん、ありがとう〜」

「やべぇ、俺もう、死んでも良い!」

続いて三人目──と、大工達は次々にリスティアの虜になっていった。

彼らはリスティアのファンになり、やがて自称普通の女の子を見守る会を発足。その勢力を大陸中に広めていくことになるのだが……まあそれは別の普通のお話。

「なにか、なにか俺に出来ることはないか!? なんでも言ってくれ!」

「それじゃ、注文してくれると嬉しいなぁ〜」

「「「──任せろ!」」」

という訳で、リスティアはウッド達の注文を受け、それを厨房にいるマリアに伝える。

「リスティア店長……もしかして、以前にもこういうお店をしてたの?」

「え? うぅん、初めてだけど?」

「そうなの? それにしては、妙に板についてるような……」

マリアが首を傾げるが、リスティアはほとんど素だったりする。

もちろん、お兄ちゃんと呼んでいるのは要望に応えているだけだけど、リスティアのまわりには今まで歳上の家族しかいなかった。

つまりは、マリア達に話すリスティアがお姉ちゃんぶっているのであって、先ほどのような話し方こそが、リスティアにとっての普通なのだ。

「それより、マリアの調子はどう? なにか、分からないこととかない?」

「ありがとう。手際はまだリスティア店長に敵わないけど、今のところ問題はないよ」

「そっか。マリアは筋が良かったもんね」

孤児院の建て直しをしている数ヶ月のあいだ、マリア達に料理の練習をさせた。

そんな中で、もとから孤児院の食卓を支えていたマリアは筋が良く、リスティアの持つレシピをどんどん吸収している。念のためにと訊いてみたのだけれど、杞憂だったようだ。

「もしなにかあったら、遠慮なく言ってくれて良いからね」

リスティアは微笑む。そうしてマリアが料理をする様子を眺めていると、フロアからリスティアを呼ぶ声が聞こえてきた。

「──リスティア店長、ご指名のお客さんだよ〜」

「はーい」

アヤネの呼びかけに答え、リスティアは早足でフロアへ。指示された方に向かうと、ボックス席に座る、ナナミとエインデベル、それにリックの姿があった。

「ベルお姉さん、ナナミちゃん、リックさん。みんな来てくれたんだね」

「いやいや、そうやないやろ?」

「……ふえ?」

いきなりダメ出しされて、リスティアはきょとんとした。

「このお店、客をお兄ちゃん、お姉ちゃんって呼ぶって聞いたで。だから、うちのことはベルお姉ちゃんって、呼んでや」

「ベルお姉ちゃん?」

「そうや、リスティアちゃんのお姉ちゃんやよ!」

いきなりエインデベルが飛び掛かってくる。それをリスティアはひょいっと回避した。

「ちょ、なんで避けるん!?

「メイドさんに触っちゃダメだよ〜」

「せやかて、うちとリスティアちゃんの仲やん!」

「それでもダメだよぅ。例外を認めちゃったら、他の子供達が困るから」

エインデベルに抱きつかれるリスティアを見て、メイドに抱きつく男が現れたら大変という意味。それを理解してくれたのだろう。

エインデベルは「そういうことならしゃあないね」と諦めてくれた。

「あ、でも、それやったら、このお店じゃないときやったらええか?」

つまりは、お店以外で抱きしめさせろと言う意味。リスティアは、小さく息を吐いた。

「もぅ、仕方ないなぁ。ベルお姉ちゃんだけ、と く べ つ だよ?」

人差し指を唇に当てて、イタズラっぽく微笑む。それを見たエインデベルは「うわぁ、うちなんか、目覚めそうやわ」と身もだえした。

リスティアはそんなエインデベルを放っておいて、リックに視線を向ける。

「えっと、リックさんも、お兄ちゃんって呼んだ方が良いのかな?」

「え? いや、俺は、別に……」

「くくっ、意地はっとらんで、素直に呼んでもらったら良いやん」

「う、うるさいな、母さん。俺はリックさんのままで良いんだよ。と言うことでリスティアさん、俺はいままでどおりで良いから」

「はーい、リックさん」

呼び方はいままでどおりだが、親しげな口調。リスティアの無垢な笑顔を向けられ、リックは思わず顔を赤らめた。

「それじゃ、みんな、ご注文は──って、ナナミちゃん、どうかしたの?」

なぜか、ナナミがふくれっ面になっていることに気付いて首を傾げた。

「リスティア様、今日は私もお客さんですよ」

「それは分かってるけど……え、もしかして、ナナミお姉ちゃんって呼ばれたいの?」

「……ダメですか?」

「ダメじゃないけど……」

ナナミに甘えるような視線を向けられて困惑する。

もちろん、リスティアはナナミをとても気に入っているので、姉妹のように振る舞うのはやぶさかじゃない。けれど、リスティアが目指すのはお姉ちゃんであって妹ではない。

そんなに、あたしって頼りないのかなぁとしょんぼりした。

だけどすぐに、ナナミちゃんが望んでるのならと気持ちを入れ替える。

「分かったよ、それじゃ……ナナミお姉ちゃん」

「ふわぁ……ありがとうござます、リスティア様!」

ナナミちゃんの話し方は変わらないんだ──と、リスティアは苦笑い。でも、ナナミちゃんが楽しそうだから良いかなぁとも思った。

「ところで、リスティアちゃん、この店のオススメは?」

「ん〜そうだね。定食も美味しいと思うけど……あたしのオススメはショートケーキかな」

「……ショートケーキ?」

三人とも、なにそれといった顔をする。

マリア達も知らなくて、そのときは孤児院育ちだからかな? なんてリスティアは思っていたのだけれど、エインデベル達まで知らないとなると話は変わる。

どうやら、この時代の人間は、お菓子の類いをあまり知らないようだ。

ただ、リスティアが手本として作ったケーキは、子供達に大人気だったのは確認済み。なので、リスティアは自信を持って、アイテムボックスからショートケーキを取り出して見せた。

「甘くて美味しいお菓子。これがショートケーキだよ。良かったら試食してみて」

三つのお皿に切り分けて、フォークを添えてみんなの前に並べる。

「へぇ……これがショートケーキなんやね」

生クリームを不思議そうにフォークでつつく。三人はちょっと躊躇していたのだけれど、やがて意を決したように口に放り込み──一斉に目を見開いた。

「なに、これ、凄く甘くて美味しいんやけど!?

「ふわぁ、リスティア様、これ、凄く美味しいです!」

「俺も、こんなの食べたことないぞ!」

三者三様に目を輝かす。ほどなく、ナナミが「私、これを食べたいです」と口にしたのだが、エインデベルがそれに待ったをかけた。

「リスティアちゃん、これ……砂糖がかなり入ってるんと違うか?」

「そうだね。えっと……十個に切り分けてるから、一つ15グラムくらいかなぁ」

みんなが甘いのに慣れていないことを考慮して、若干甘さ控えめの数値──なのだが、エインデベルは思いっきり目をむいた。

「そ、そんなに入ってるんか。それやったら、むちゃくちゃ高いんと違うか?」

この時代の人間にとって、砂糖は貴族の贅沢品──とまでは行かないが、かなりの高級品であることには変わりない。15グラムと言われて驚くのも無理からぬことだった。

けれど──

「えっと……お値段はこれだけ、だよ」

リスティアが可愛らしく指を立てる。

「えっと……それは、銅貨か? さすがに銀貨とはいわへんよね?」

「うぅん、鉄貨だよ」

「「「──はぁっ!?」」」

エインデベルや、同席しているナナミやリック──だけではなく、耳をそばだてて聞いていた他の客も一斉に声を上げた。

リスティアが示したのはランチとほぼ同じ値段。とは言え、甘い物はかなりの贅沢品なので、普通に考えてありえないくらい安い。と言うかありえない。

「な、なんでそんな安い値段なんか、聞いてもええか?」

またなんや、非常識なことをしてるんと違う? みたいな目で見られる。

「それは、裏の畑で食材を自家栽培してるからだよ」

リスティアはきっぱりと言い切った。

「……栽培?」

「うん、自家栽培だよぅ」

比較的暖かい地方でも育てられるように品種改良したテンサイを、裏の畑に植えているのは事実──だけど、植えてすぐに砂糖になるわけじゃないし、量も足りるはずがない。

そういう名目で、アイテムボックスに大量にある在庫を使っているだけだ。

将来的にはちゃんと自給自足にするつもりだが、現時点では無理がある。周囲で話を聞いていた客も当然ながらそれに気づき、この食堂は普通じゃない──という認識を抱いた。

ともあれ、本来なら決して手が届かないようなお菓子を、安価に食することが出来る。客達がそんな幸運を逃すはずがなく、一斉にショートケーキの注文を始めた。

そして噂が噂を呼び、孤児院食堂は瞬く間に有名になっていく。

── 2 ──

緩やかなウェーブの掛かった金髪に、澄んだ蒼い瞳を持つ少女──シャーロット。

彼女は王都で開催されていたオークションの参加者であり、幸運にもグラート商会の支部がある街を領地に持つウォーレン伯爵家の一人娘でもあった。

だから、彼女はいち早く、リスティアの存在に気付くことが出来た。

ウォーレン伯爵家の領地に、アーティファクトを売りに出した少女がいると知ったシャーロットは、リスティアの噂を従者に調べさせることにした。

最初はちょっとした興味本位だった。

もし他にアーティファクトか、それに準ずるエンチャント品を所有しているのなら、それを見せてもらいたい。あわよくば売ってもらいたい。その程度の軽い気持ちだった。

──けれど、シャーロットのもとに届いた情報は全てが意味不明だった。


いわく、壊滅した調査隊の生き残りを救い、迷宮に巣くっていたドラゴンを消し飛ばした。

いわく、街に入る際、身分証を発行する手数料代わりにエンチャント品を手渡した。その品を受け取った門番の奥さんは重傷を負っていたのだが、次の朝には元気になっていた。

恐らくは、そのエンチャント品がアーティファクトだったと思われる。

いわく、街に入った翌日には孤児院におもむき、院長の座に納まった。黒い噂の絶えなかった前院長は行方不明で、始末されたと予想される。

このことから、市長とは繋がりがないと考えられる。また、大胆で手段を選ばない性格のようだが、子供達には非常に人気らしい。

いわく、孤児院を建て直すために、莫大な私財をなげうった。困っている子供を助けたいと、本人は言っているらしい。

オークションでブローチを売り払ったのは、この資金集めのためだと思われる。

いわく、孤児院を建て直す際、古い孤児院を敷地の隅っこに移動させた。また、百キロを超えるような建材を軽々と運んでいたらしい。

いわく、新しい孤児院には未知の技術が使用されている。部屋は常に快適な状況を保っており、水も蛇口なるものを捻ると取り出せるらしい。

いわく、孤児院でオープンした食堂には、砂糖をふんだんに使った至高のお菓子の数々が、ありえないほど安く、庶民の手に届く価格で売られている。

いわく、リスティアちゃんは、天使のような妹だった。次に来店するときも、絶対にリスティアちゃんを指名します。

などなど。他にも色々と書かれていたが、シャーロットにはいまいち理解できなかった。

「……というか、最後の感想はなんですの?」

噂を集めれば集めるほど意味が分からなくなる。報告書を読み終えたシャーロットは、どっと疲れたような顔をした。

ただ、もし仮に噂が半分でも本当であれば、ただ者ではない。リスティアがウォーレン伯爵領にとって毒となるか薬となるか、見極めなくてはいけない。

取り込むか……場合によっては、排除する可能性も出てくるだろう。

それを見極めるためにどうするべきか。逡巡したシャーロットは孤児院の食堂に目をつけた。リスティアも働いているそうなので、身分を偽って接触することは可能だろう。

シャーロットは手元のベルを鳴らし、リスティアのいる街へ行く旨をメイドに告げた。


そして数日後。平民に扮したシャーロットは孤児院の前へとやって来た。連れてきた護衛達には店の周辺を警戒するように指示を出し、食堂へと足を踏み入れる。

「これが、孤児院食堂……?」

店内を見回したシャーロットは、その内装に圧倒されていた。

壁一つ取ってみても意味が分からない。レンガや石、もしくは木張りが普通だが、ここの壁はなにやら、繊細な模様の描かれた布かなにか。

思わず手で触れると、ぷにっと弾力があった。

……なんだか不思議な素材ですわね。どういった理由で、こんな素材を使っているのかしら? ぶつかっても痛くない? それとも……断熱かしら。

為政者としての教育を受けているシャーロットは、部屋の環境などから分析をして、わりと正確な答えを導き出した。

そして、そんな技術と知識を持っているであろう、孤児院の管理者に舌を巻く。

本当に凄い。よく見ると、不思議なのは壁だけじゃないわ。なによ、あの窓の透明なガラス。あんなの、王城でも見たことがありませんわよ。

それに、この飾ってある壺はつるっとしていて光沢があって……うん、結構重いわね。いったいなにで出来ているのかしら?

ガラスはもちろん、調度品の一つ一つが実家にある芸術品よりも優れていることに気付き、シャーロットは呆然となった。

「これは……油断していると呑まれますわね」

「お帰りなさい、お姉ちゃん」

「──ひゃう!?

いきなり背後から声をかけられて、シャーロットをびくりと身をすくめた。その瞬間、手に持っていた壺を取り落としてしまう。

──ガシャンと、未知の材質で出来た芸術的な壺が砕け散ってしまった。

「あ、あぁ……なんて、なんてこと」

「あらら……大丈夫?」

「大丈夫じゃないですわ! わたくし、壺を割るなんて粗相を……っ。申し訳ありませんっ」

伯爵令嬢である自分ですら見惚れるほどの芸術品を割ってしまったと、シャーロットは顔を青ざめさせる。だけど──

「うぅん、壺の話じゃなくて。お姉ちゃんに怪我はない?」

まるで壺よりも怪我の有無の方が心配だとでも言いたげな声。不思議に思ったシャーロットは、その声の方に視線を向ける。

そこには自分と同い年くらいの──精錬されたデザインのメイド服を身に纏い、窓から差し込む光を浴びて漆黒の髪を輝かせている、まるで天使のような女の子が微笑んでいた。

「……どうしたの、ぽーっとして。やっぱりどこか怪我でもした?」

「あっ、す、すみません。怪我はしていませんわ。でも、壺を割ってしまいました。この壺は、なんとかして弁償させて頂きます!」

我に返ったシャーロットは、慌てて深々と頭を下げる。

「弁償なんてしなくて良いよ。すぐに自己修復するし」

「そうはいきません。どう見積もっても金貨数百枚は下らないはず……って、自己修復?」

それはいったい、どういうことかしら? なんて思ったシャーロットの視界の端っこ。壺の破片が散らばっていた辺りで、淡い光が発生する。

それを見たシャーロットはこの上なく驚いた。砕け散った壺が淡い光を放ちながら、元の姿に戻っていったからだ。とは言え、壺が再生する姿を見て、ありえないと思ったのではない。

その現象に心当たりがあったからこそ驚いたのだ。

「そんな、まさか……まさかこれはっ! 自己修復機能を施されたアーティファクト!?

神話の時代には、今よりも優れた芸術品が存在していたと言われている。そして、そんな芸術品の中には、自己修復機能をエンチャントされた作品が存在する。

神話の時代に実在した、真祖の末娘が作ったと言われるシリーズだ。彼女は自分の名が表に出ることを嫌ったのか、真祖の末娘が作ったとされる芸術品は全て無銘であった。

本来であれば、無銘であるがゆえに、誰が作ったかは分からない。けれど、真祖の末娘が作った芸術品には必ず、自己修復機能がエンチャントされているという。

よって、彼女の作った作品は、無銘シリーズと呼ばれている。

決して朽ちないがゆえに、数はそれなりにあるが、優れた芸術品であるがゆえにどれも国宝級の扱いをされていて、実際に目にするのはシャーロットも初めてだった。

どうして食堂の片隅にそんな代物が……と、シャーロットは戦慄するが──

「うぅん、あたしが趣味で作ったただの壺だよ」

「…………え?」

なにを言われたか意味が分からなかった。そして、混乱する頭を必死に働かせ、先ほどの自分の発言に対する答えだと気がついた。

そして──やっぱり意味が分からなかった。

趣味とは、専門ではなく、楽しむ目的でする事柄。つまりは、素人が作った壺と言うことになるのだけど……その美しい見た目は、間違いなく国宝級の芸術品。

そもそも、神話の時代にしか存在しないはずの、自己修復機能がエンチャントされている、紛れもないアーティファクトの芸術品。

なのに、趣味で作ったとはどういう意味なのか。それではまるで、無銘シリーズに匹敵する芸術品を、目の前の少女が趣味で作ったかのようではないか。

……なんて、そんなはずは、ありませんわよね。きっと、目の錯覚ですわ。

本当は、壺は少し珍しいだけのデザインで、今も粉々に砕け散ったままのはず──と、目をゴシゴシと擦って壺を見直すが、やはり完全に修復されている。

……お、おかしいですわね。どう見ても修復されていますわ。そして、どう見ても素晴らしい芸術品としか思えませんわ。

「どうかしたの、お姉ちゃん」

「いえ、その……割れたはずの壺が、元に戻っているような気がして……」

「え、それがどうかしたの?」

きょとんと問い返されてしまった。それはまるで、自己修復したのが事実で、当たり前であるかのような物言いだ。

「えっと……その、壺が自己修復したのは、事実、だと?」

「そうだけど?」

「そうだけど……って、そんな、普通はありえませんわ!」

シャーロットが耐えきれなくなって声を荒らげる。その瞬間、笑顔を浮かべていた少女が、初めて慌てたように見えた。

「そ、そうだよね。普通はありえないよね。でも安心して、これは魔法とかアーティファクトとか、そう言うのじゃなくて、ただの手品だから」

「手品……ですか?」

「うんうん、そうだよ?」

少女は無邪気に微笑んでいる。

本音を言えば、その少女がなにを言っているか、よく分からなかったけれど……少女が趣味で無銘シリーズと同等の品を作ったなんて非現実的な話よりはあり得ると思った。

だから──

「……手品なら仕方ありませんわね」

シャーロットは達観した面持ちで呟いた。


「ところで、お姉ちゃん」

「あの、さっきから気になっていたんですが、そのお姉ちゃんというのは……」

貴族は知り合った者の顔を忘れないように訓練を受ける。それで一度でも会った者は絶対に忘れない──とはならないが、これだけ可愛らしい少女であれば、絶対に忘れるはずがない。

そこまで考えたシャーロットは、自分が平民に扮していることを思い出した。正体を偽る今の自分に、知り合いがいるはずがない。

「申し訳ないのだけれど、貴方とは初対面じゃないかしら?」

「そうだよ。あたしとお姉ちゃんは初対面だよ」

「……はい?」

なにを言って──と、喉元までこみ上げたセリフは、けれど寸前で飲み込んだ。報告書に書かれていた、意味不明だったあれこれを思い出したからだ。

「……もしかしてこのお店では、女性客をお姉ちゃんと呼ぶということかしら?」

「うん、そうだよ。女の人はお姉ちゃんで、男の人はお兄ちゃん。でも、他に希望があれば、呼び方や態度を変えることも出来るよ。例えば、私がお姉ちゃん役とか……」

どうかな? なんて微笑みかけられて、シャーロットは毒気を抜かれてしまう。

実際のところ、どちらが年上かは分からないが、店員を姉と呼ぶ理由はないので、今のままでかまいませんわと答えた。

「……しょんぼり」

「え、なんですか?」

「うぅん、なんでもないよ、お姉ちゃん。それじゃ、席に案内するね〜」

「──あ、ちょっと待ってください」

身をひるがえしたメイドを慌てて引き留める。足を止め、クルリと肩越しに振り返る。黒い髪をなびかせる少女の美しさに、シャーロットは思わず息を呑んだ。

「なぁに、お姉ちゃん」

「じ、実は、リスティアさんを指名したいんですけれど」

「えへへ、ご指名ありがとう、お姉ちゃん」

リスティアを指名したいという言葉に対し、目の前の少女が微笑む。

その意味は──

「もしかして、貴方がリスティアさん?」

「うん、そうだよぉ。……知らないで指名したの?」

「あ、えっと、それは、噂を聞きまして」

失敗したわねと、シャーロットは唇を噛む。これで、警戒されては元も子もない──と心配したのだけれど、リスティアは「そうなんだぁ」と微笑んだ。

「それじゃ、席に案内するね〜」

楽しげな足取りで先行するリスティアの後を、シャーロットは慌てて追いかけた。そうして案内された席に座ると、テーブルの上にメニューと水の入ったコップが差し出された。

それを見たシャーロットは、メニューに使用されている不思議な素材に驚き、とんでもなく高価そうなガラスのコップが無造作に置かれたことに驚愕。

そもそもリスティアが、さっきまで手ぶらだった事実に思い至って戦慄した。

「さっきから、なにが、どうなって……」

「お姉ちゃん、どうかしたの?」

「い、いえ、なんでもありませんわ。それより、なにかオススメはありますかしら?」

「そうだねぇ……ちゃんとした昼食とお菓子、どっちが希望かな?」

「そ、そうですわね。それではお菓子で」

「じゃあ、ダージリンのストレートと、バニラアイスなんてどうかなぁ」

「……バニラアイス、ですか? 聞いたことがありませんが……」

「冷たくてあまぁい、あたしの大好きなお菓子だよ」

「リスティアさんの……で、では、それをお願いいたしますわ」

「それじゃ、ダージリンのストレートと、バニラのアイスのご注文だね。すぐに持ってくるから、少しだけ待っててね」

微笑みを残して、厨房へと立ち去っていく。

リスティアを見送ったシャーロットは、ほうっと息を吐く。

伯爵家の一人娘として厳しく育てられたシャーロットに、いまのように親しく接してくれる相手はいないため、とても新鮮な気持ちになった。

そう言えば、わたくし、妹が欲しかったんですわよね……って、違います。今はそんなことを考えている場合ではなく、リスティアさんの人柄を知るのが先決ですわ。

そんな決意を新たにしたシャーロットだが──


「──あ、甘くて冷たい。あっさりとしているようで、それでいて濃厚な、まったりとした味わい。口の中で溶けていく至高の舌触り。これが、これがバニラアイス──っ!」

リスティアが持ってきたバニラアイスの虜になっていた。

「こんなっ、こんなに美味しいお菓子がこの世にあるだなんて。食べるのはもちろん、見たことも聞いたこともありませんわ!」

伯爵令嬢のシャーロットですら、これほどのお菓子は食べたことがない。もし王族がバニラアイスの存在を知れば、この店の料理人をなんとしても召し抱えようとするだろう。

つまり、このバニラアイスのレシピを独占することが出来れば、莫大な富を手に入れることだって不可能ではない。ウォーレン伯爵領を大きく発展させることが出来るだろう。

それほど衝撃的な美味しさだった。

「寡聞にも、わたくしはこのバニラアイスのことを知らなかったのですが、リスティアさんはいったいどこで、このレシピを手に入れたんですか?」

あくまで世間話──と言い張れるレベルで、さり気なく探りを入れる。

「あたしもよく知らないんだけど、ご先祖様が故郷から持ち込んだレシピなんだって」

「では、どこかの国には、このバニラアイスが普通に売られているんですわね」

もしそうであれば、その線で調べられるかもしれないと考えた。けれどそんなシャーロットの期待に反して、リスティアは無理じゃないかなぁと苦笑い。

「……どうしてですの?」

「ご先祖様の故郷は、この世界のどこにもないんだって、あたしはそう聞いてるよ」

「そう、でしたの……それは、申し訳ありません」

滅びた国──という意味だろう。そう読み取ったシャーロットは心からの謝罪を口にする。だけどそれと同時、次なる一手のために、必死に頭を回転させた。この国で知られていないお菓子のレシピで、知っているのはリスティアだけ。もしくはごく限られた人間だけ。

なんとしても、そのレシピが欲しい。

「でも、お姉ちゃん、どうしてそんなことを聞くの? もしかして、バニラアイスの作り方を知りたいって思ってる?」

「え、いえ、それは……」

まずい──と、シャーロットは焦る。

これは、慎重に慎重を期す案件だ。

こちらがなにを置いても欲しがっていると知られては、交換条件にどんな無理難題をふっかけられるか分かったものではない。ここはなんとかごまかさないと──と、思い詰めたシャーロットの眼前に、メニューと同じような、薄っぺらい素材が突きつけられた。

「な、なんですのこれは」

「それは、羊皮紙の代わりになる、紙って言うんだよ」

「紙、ですか……こんなに、薄くてつるつるの……素晴らしい技術ですわね」

「紙じゃなくて、そこに書いてある文字を見て欲しいなぁ」

「文字ですか? たしかに、なにか書いてあるようです──えぇっ!?

紙に書き込まれた文章に目を向けたシャーロットは息を呑んだ。最初の一行に書かれていたのが『美味しいバニラアイスの作り方』だったからだ。

「まさ、か……」

ありえないと思いながらも、シャーロットは紙に書かれたレシピに目を通す。その内容が事実かどうかはともかく、たしかにバニラアイスの作り方が書いてあった。

──どういうこと、かしら?

なにかの罠? それとも、わたくしを引き下がらすための、嘘のレシピかしら?……そうね。知らない材料が多くあるし、見ただけでは本物かどうか分からない。

レシピを教えたんだから、再現できないのはそちらが悪いと、言い逃れが目的な可能性も否定できないわね──と、シャーロットは考えた。

「お姉ちゃん、なにか分からないところはある?」

「え!? お、教えて……くださるんですの?」

「うん、いまはお店も混んでないし、大丈夫だよ?」

「で、では、このバニラエッセンスというのはなんですの?」

「それはバニラという植物の種子鞘をキュアリングして──」

リスティアが説明を始めるが、シャーロットにはまるで理解できなかった。

だから、これはやはりけむに巻くための方便で、実際にバニラアイスの作り方を教えるつもりはないのだと思ったのだけれど──

「あ、良かったら厨房で作ってるところを見る?」

「みみっ見せて、いいいっ、頂けるんですか!?

「うんうん。それに、必要ならバニラの苗も分けてあげるよ」

「えええええええええっ!?

まさに金のなる木を、なんの躊躇いもなく差し出す。

そこに、どんな思惑があるのか、どれだけ考えても想像できない。そして、実際に厨房に連れて行かれ、作り方を教えられてしまったので、ますますもって意味が分からない。

──これは夢? それともわたくしは、知らないあいだに悪魔かなにかと契約させられたんですの? もしかしてわたくし、ここから生きて出られないんでしょうか?

リスティアはただ単純に、シャーロットをお姉ちゃんと呼びながらも、内心ではお姉ちゃんぶって、あれこれ教えてくれているだけ。

──なんて予想できるはずもなく、シャーロットは混乱の境地に至っていた。

「あ、貴方はどうして、わたくしにレシピを教えてくださったのですか?」

生きてここから出られないかもしれない。そんな恐怖に押しつぶされそうになりながらも、必死の思いで尋ねた。

そして──

「あたしは、困ってる子がいたら助けたいって、そう思ってるだけだよ」

リスティアは紅い瞳を細めて微笑んだ。透明で優しくて、怯えるシャーロットを包み込むような、優しい表情だった。

「あな、たは、いったい……何者、なんですの?」

「あたし? あたしは普通の女の子だよ?」

「普通の女の子……ですか」

まったくもって笑えない冗談だ。

伯爵令嬢のシャーロットよりも優雅で、莫大な富を生み出す知識を知りながら、まるで執着がない。そして困っている子を放っておけないという慈愛に満ちた性格。

そんな普通の女の子がこの世界にいてたまるもんですかと、シャーロットは思った。

「リスティア店長、ちょっと来て〜」

「はーい。……えっと、ごめん、あたしちょっと行ってくるね。まだ見たければ、お姉ちゃんは好きに見てくれて良いよ。分からないことがあれば、マリアに聞いて良いからね」

リスティアはそう言って、フロアへと歩き去ってしまった。一時は死すら覚悟したというのに、あっさりと置き去りにされたシャーロットはぽかんとその後ろ姿を見送る。

「お姉さん──じゃなくて、お姉ちゃん。分からないことがあったら、私に聞いてね」

突然背後から声をかけられ、シャーロットはびくりと身をすくめる。そうして慌てて振り返ると、銀髪の髪にブルネットの肌の少女がいた。

見た目のわりに、やたらと妖艶な雰囲気を纏う少女だが、先ほどのリスティアと比べるとかなり普通のイメージで、シャーロットは少しだけ安心する。

「ええっと、貴方がマリアさん、ですか?」

「ええ、そうよ。それで……貴方は何者?」

いきなり核心を突かれて、シャーロットは目を見開いた。

「その反応、やっぱりなにかあるのね」

「……どうして、そう思われるのですか?」

露骨に動揺してしまった手前、あまりごまかしは利かない。シャーロットには、そんな風に聞き返すのが精一杯だった。

「……理由? そうね……なんとなく、かしら」

「なんとなくって……」

そんな曖昧な理由で、自分は引っかけられたのだろうかと困惑する。

「私ね、前の院長にお花を売らされていたの」

「お花、ですか? それって──まさかっ!?

考えうる最悪の可能性に気付き、シャーロットはマリアをまじまじと見た。そして、マリアが背丈に見合わぬ妖艶さを持ち合わせている事実をあらためて意識する。

「予想どおりだと思う。けど、いまは平気。リスティア院長に救われたから」

「ですが──」

シャーロットはなおも言いつのろうとするが、マリアに手で遮られてしまった。

「本当に平気よ。でも、それはリスティア院長が来てくれたから。だから、貴方が何者か識らないけど、もしリスティア院長になにかするつもりなら……」

決して許さない──と言わんばかりに見上げてくる。幼い少女から放たれる無言の圧力に、シャーロットはゴクリと生唾を飲み込んだ。

「……貴方の忠告、肝に銘じますわ」

「そう、だったら、私から言うことはないわ。あぁでも、厨房のことで、私になにか聞きたいことがあるなら答えるけど」

「いえ、今日は帰ります。リスティアさんには、また来ると伝えてください」

シャーロットは食事の代金を少し多めに支払い、食堂を後にする。

そうして考えるのは孤児院とリスティアのこと。どうするのがウォーレン伯爵家にとって、ひいては領民のためになるか。そんなことを考えながら、帰路についた。

── 3 ──

食堂がオープンしてから約一ヶ月が経過。口コミで一気に人気が広まり、店は繁盛を始めた。そんなある日の夕暮れ前。

リスティアは、厨房でマリアにクレープの作り方を教えていた。

「……えっと、こんな感じ?」

「うん、マリアは凄く筋が良いね」

「……褒めても、なにも出ないわよ」

ちょっと照れくさそうな顔で、つっけんどんなことを口にする。

そんなマリアが可愛くて、リスティアはニコニコとしていた。だけど、そんな至福の時間を、無粋な声が遮る。フロアの方から、男の威圧するような声が響いてきたのだ。

「ちょっと見てくるね」

「うん、やりすぎないようにね、リスティア店長」

「……はーい」

信用ないなぁ……と、しょんぼりしつつ、リスティアはフロアに向かう。ちょうどそこで、フロアの方から駆け込んできたミュウと出くわした。

ミュウはリスティアの姿を見つけると、だーっと駆け寄ってきた。

「ふえぇ……ぐすっ」

目元にうっすらと涙を溜め、リスティアにしがみついてくる。いつもはピコピコと揺れているイヌミミが、今はしょんぼりと項垂れていた。

「ミュウちゃん、どうしたの?」

「……ボク、ここにいちゃいけないの?」

「そんなことあるはずないよ」

「……ホントに?」

「うん、ホントのホントだよ。どうしてそんなことを聞くの?」

青みがかった髪を優しく撫でつけ、翡翠のような瞳を覗き込む。

「獣人族が人間の街にいるなんて汚らわしい。街から出て行けって言われたの」

ミュウは悲しそうな顔で呟いた。

「へぇ……そうなんだ。そんなことを言った人が、いるんだね」

刹那、原因不明の地揺れが街を襲ったが、それはともかく。リスティアは激情を押し殺し、「あたしはそんなことは言わないから、心配しなくて大丈夫だよ」とミュウを慰めた。

「……本当?」

「うん、あたしがミュウちゃんを追い出したりするはずないでしょ」

「……ありがとう、リスティア店長」

少しだけ安心してくれた。そんなミュウをマリアに預け、リスティアはミュウを泣かせた不届き者を確認するために、食堂のフロアへと向かう。

なぜか、たくさんいたはずのお客さんは一人もいない。

代わりに、二人の兵士を引き連れた、初老の男がいた。武術でもやっていそうながっしりとした体つきだが、着ている服はかなり上質そうだ。

もっとも、それはこの時代の人間基準の話だが。

「店長、あいつらがやって来て、他のお客さんを追い出しちゃったの」

リスティアに気付いたアヤネが駆け寄ってくる。

「そっか……アヤネはなにか酷いこととかされてない?」

「うん、私は大丈夫。ただ、ミュウちゃんが酷いことを言われたから、アレンが彼らに殴りかかろうとして……」

「あぁ……それで」

店の端っこ、アレンがリューク達に羽交い締めにされているのはそれかぁと納得した。

「アヤネはみんなを連れて、厨房で待機してて」

「でも……」

「大丈夫だよ。あたしが、ちゃんとみんなを護るから。みんなは奥で待ってて」

リスティアが微笑みかけると、それで安心してくれたのだろう。アヤネ達はわりと素直に、下がってくれた。それを見届け、リスティアは男達に視線を向ける。

「さて、あなた方は何者ですか? お客ではないようですけど」

「……メイド? 俺は孤児院の管理者を呼んでこいと言ったんだがな」

「あたしが孤児院の管理を引き継いだリスティアです」

「ほう、お前がリスティアか。噂通りの容姿だな」

「……それで、貴方は何者なんですか?」

「俺はこの街を統治しているジェインだ」

「そうですか。それでは、要件をうかがう前に、あたしから一つ聞いてもよろしいですか?」

リスティアは透明な笑顔を浮かべ、けれどそのうちには静かな怒りを秘めて問いかけた。その正体不明の圧力に、ジェインがゴクリと生唾を飲み込む。

「……なんだ、言ってみろ」

「さっき、うちの子が泣いてたんですが……貴方の仕業ですか?」

「──はっはあっ、あのガキ泣いたのかよ!」

笑い声を上げたのは、ジェインの後ろにいた兵士の一人だった。

「……貴方が、泣かせたのですか?」

「だと言ったらなんだ?」

「謝罪を要求します」

「はっ、お断りだね」

「……そうですか」

予想どおりの反応に、リスティアはどうするべきかなぁと考え込んだ。

ミュウに知られず、それどころか誰にも知られず、ミュウに暴言を吐いたことを後悔させるのは可能だけれど、それはリスティアの自己満足にしかならない。

また、リスティアの力があれば、ミュウに謝罪させるのも簡単だ。それどころか、謝らせてくださいと、泣きながら懇願させることだって簡単だ。

けど、そんなことをしても、ミュウの傷ついた心は癒えないだろう。

とは言え、二度と同じことを繰り返さないように、生まれてきたことを後悔させるくらいは必要かもしれない──と考えていると、「まぁ待て」とジェインが口を開いた。

「ゲイズ、ここは孤児院なのだから、獣人がいても不思議ではないだろう。むしろ、様々な種族がいてしかるべきだ。出て行けというのは間違っているぞ」

「──はっ、たしかにその通りです。申し訳ありませんでした!」

ゲイズと呼ばれた、ミュウに暴言を吐いたとおぼしき兵士が、あっさりと前言をひるがえして謝罪する。けど、その顔はニヤついている。形だけの謝罪であることは明らかだ。

そもそも、ジェインの言い方もなんとなく引っかかる。けど、これ以上追及しても、ミュウの喜ぶような結果にはならないだろうと思った。

「分かりました。同じことを繰り返さないというのなら、謝罪を受け入れます。ただし……次はありませんよ」

リスティアは爛々と輝く紅い瞳に殺気を込めて、ゲイズを静かに見つめた。

ドラゴンが逃げ出すほどの殺気をぶつけられたゲイズは息をすることも叶わず、大量の脂汗を流し始める。そして──十秒、二十秒と経過し、ゲイズの顔が紫色に染まり始めた頃、ようやくリスティアは殺気を引っ込めた。

恐怖から解放されたゲイズはその場にくずおれて、荒い呼吸を始める。

けれど、ほかの者は、どうして急に座り込んだんだ? と言った表情。張本人たるリスティアは知らないフリで「それで、あたしにどんなご用ですか?」と、ジェインに矛先を向けた。

「あ、あぁ、そうだったな。今日ここに来たのは他でもねぇ。孤児院やこの店の税が納められてない件について、だ」

「……税、ですか?」

税金という制度を知らなかったわけではない。

街に入る際に、身分証を作る手数料という名目で税を取り立てていることは理解していたし、この街に住むには税金が掛かることも知っていた。

けれど、孤児院は身寄りのない子供達を保護するための施設で、税は免除されている──と、エインデベルからは聞かされていたのだ。

「孤児院は税を支払わなくて良いのではないのですか?」

「それは、孤児院が貧乏だったときの話だ。いまはこのような立派な建物を建て、店も繁盛しているではないか」

「あぁ……それで、税が発生したということなんですね」

それがこの街のルールなら従おうと、リスティアは「おいくらなんですか?」と尋ねた。

「そうだな……毎年、金貨百枚だ」

それを聞いたリスティアは、このあいだオークションで売ったくらいのネックレスを一つ作って売れば、約百八十年分の税金。それならなんの問題もないね──と、ずれたことを考えた。

けれど、そんなリスティアの沈黙を見たジェインが「くくくっ」と喉で笑う。

「まあ、そう驚いた顔をするな。お前がどれほどの私財を持っているかは知らんが、さすがにそんな税を払えないであろうことは理解している」

「……えっと、そうですか?」

大金貨を百枚。金貨ではなく大金貨──十年分の税を、アイテムボックスから取り出そうとしていたリスティアは、税を払えるはずがないと言われて困ってしまう。

あげくは、ここで十年分を出したら、おじさんの面目を潰しちゃうかな? せめて、用意するのに数日くらいかけた方が良いかなぁ──なんて、気遣いまで始めた。

まあ、もしそうなっていたら、ジェインは狂喜乱舞して帰って行ったはずだけど。ジェインにとって不幸なことに、そうはならなかった。

初めから他の目的があったジェインが、金貨百枚の代案を持ちかけたからだ。

「孤児院が税を納める代わりに、娘達に奉仕活動をさせろ」

「……奉仕活動、ですか?」

その言葉の意味するところにリスティアが思い至った瞬間、大陸全土を地揺れが襲った。けれどその揺れは一度きりで、しかも全体的に小さくて、誰も気にしない程度だった。

リスティアは自制の利く女の子なのである。

「そうだ。前の院長、ゲオルグ院長は我が街のために、奉仕活動をする娘を斡旋してくれていたのだがな。あのバカが急にいなくなって困っていたのだ。お前がどういう事情で孤児院を引き継いだのかは知らんが、その仕事を引き継いでもらいたい」

よもや断ったりはしないだろうな──と、殺気を放ってくる。けれど、それは殺気と呼ぶのもおこがましい。リスティアにとってはただ不快なだけであった。

だから、どうするべきか迷う。

もちろん、マリア達を苦しめた一味を許すつもりはない。けれど、今のジェインは小動物がギャンギャンと吠えている程度でしかない。

そんな相手を殺しても良いのかどうか……と迷ったのだ。

ここで堂々と殺しちゃうのは……やっぱりダメだよね。ガウェインを殺したときのナナミちゃんの反応を思い返してみると……うん、絶対にダメだ。

だとすれば……手足を切り飛ばしておしおきくらいなら……うぅん、ゲオルグ前院長、すっごく怯えてたしなぁ。子供達も怯えちゃうかなぁ?

「はっ、強がってはいてもしょせんは小娘、恐怖に声も出なくなったのか?」

「……え、あたしのこと?」

「お前以外に誰がいる」

あたしは別に怯えてなんていないんだけどな? なんて思ったのだけれど、ジェインはリスティアが怯えたと思い込んでいるらしい。

実に楽しそうな表情を浮かべている。

「そうだな。更に代案を出してやろう。お前が孤児達の代わりに、奉仕活動にいそしむが良い。お前くらいの器量があれば、需要はいくらでもあるだろう」

「……どうしてあたしが、そんなことをしなきゃいけないの?」

「子供達が大切なんだろ? あまりぐだぐだ文句を言っていると、お前の大切な子供達が、腹を立てた俺の部下に襲われるかもしれないぞ?」

子供を部下に襲わせるという、明らかな脅しにリスティアは眉をひそめる。

「ふっ、そう不安そうな顔をするな。あくまで、お前が従わなかった場合の話だ。お前が従えば、全ては丸く収まる。お前だって、子供達が傷つく姿は見たくないだろう?」

「それは……」

たしかにその通りだ。

もし彼らが子供達を襲ったら、子供達は間違いなく反撃する。そして、加減を覚えていない子供達はきっと、原形をとどめないほどに彼らを潰してしまう。

もちろん、潰された直後なら、リスティアが生き返らせることが出来るけれど……それでも、やり過ぎた子供達の心に傷が残ってしまうだろう。

なんて恐ろしい脅しを仕掛けてくるんだろうと、リスティアは戦慄した。

子供達のことを考えるのなら、穏便に済ませるべきだ。

けど、自分が奉仕活動をするなんて、絶対にありえない。素直にお金を受け取ってくれたら良いんだけど、奉仕活動が本命ならそれも厳しそうだ。

かといって、他にはジェイン達を皆殺しにするくらいしか思いつかない。

でもそんなことをしたら、子供達に嫌われてしまうかもしれない。ここで、判断を間違えることは出来ない。ジェインの言うとおり、自分は境地に立たされている。

どうしたら良いんだろう……と、リスティアは必死に考えた。

たとえば、身体をじわじわと蝕む毒で殺せば、あたしがやったって分からないよね。それなら子供達に怖がられないかな?

……うぅん。

あたしは怖がられないかもしれないけど、苦しむ人達を見たら、子供達は怖がっちゃうかなぁ。

なら、精神だけを破壊するとか?

なんとかなりそうだけど……あ、そうだ! 一瞬で塵も残さず消し飛ばしちゃえば良いんだ。そうすれば「あれ、ジェインさん達、どこ行ったんだろう〜?」ってごまかせるよねっ!

うん。それならきっと大丈夫。そうしよう──なんて、リスティアがぶっ飛んだことを考えていると、入り口からドレスを纏った少女が現れた。

前回とは服装がずいぶんと違うけれど、ゆったりとしたウェーブの掛かった金髪に、穏やかなブルーの眼差しは間違いない。以前、リスティアを指名したお客さんだ。

「お姉ちゃん、ごめんなさい。今は立て込んでいて、孤児院食堂は閉店中なんだよ」

「そのようですわね。でも、わたくしも今日は、別件で来たので問題ありませんわ」

「……別件、なの? えっと……それじゃ、なんのご用でしょう?」

リスティアは店員としての妹モードを止めて、普通の口調へと戻した。その瞬間、シャーロットは少しだけ寂しそうな顔をした──ような気がした。

「用というのは他でもありませんわ。貴方とは本音でお話ししたいと思って」

「……本音、ですか? 貴方は、いったい……」

リスティアが小首を傾げると、少女はドレスの裾をちょんとつまんで、優雅にカーテシーをしてみせた。

「申し遅れました。わたくしはシャーロットと申します。この周辺を統治する、ウォーレン伯爵家の長女ですわ」

金色の少女──シャーロットが名乗った瞬間、なぜか空気が凍り付いた。けれど、リスティアは気にせず「そうだったんですね」と普通に応じた。

「と言うことは、シャーロット様も、孤児院の件でいらっしゃったんですか?」

「……あら、よくご存じですわね」

リスティアは落胆する。

シャーロットはかわいい系のナナミや、必死に背伸びしているマリアとも違う、綺麗で上品な女の子として、妹にしたいと強く思っていた。

だけど、そんなシャーロットがジェインと同類だったと思ったからだ。

けれど──

「リスティアさんが私財をなげうって、孤児院の建て直しをおこなった話は聞いています。足しになるかは分かりませんけれど、ここの市長に支援金を渡しておきました」

「支援金……ですか?」

予想とはまるで正反対の言葉に、リスティアは首をコテンと傾けた。

「ええ、毎月の支援金とは別に、建て替え費用としての支援金ですわ。金額はこちらの羊皮紙に書いてあるので、ご確認くださいませ」

その羊皮紙には、立て替えの支援金として、金貨三十枚。そして毎月の支援金として、金貨三枚と書き込まれていた。

それを見ていると、シャーロットが少しだけ顔を近づけて囁いてきた。

「実は……市長が横領をしているという噂があるんですの」

「横領、ですか?」

リスティアがオウム返しに聞き返すと、ガタガタッ! っと、ジェイン達が身じろぎをしたが、取りあえずスルー。シャーロットとの会話を続ける。

「ええ、横領です。ですが、なかなか証拠が掴めなくて困っているんです。もし、渡される支援金が記載された金額と違っていたら、わたくしに報告してくださいませんか?」

「報告すれば良いんですか?」

「ええ、証拠を押さえることが出来れば、その首をはねることも容易なので」

シャーロットはそこまで言って、「まあ、孤児院の管理者が貴方に代わった時点で、正しい金額を払ってるとは思いますけどね。じゃないと、すぐバレますし。さすがに、そこまで馬鹿とは思えませんし……」と自嘲気味に笑った。

それに対してリスティアも苦笑いを浮かべる。ここに来てようやく状況を理解したからだ。

「ここに書いてある毎月の支援金というのは、毎月支払われるんですよね? 一年に纏めて、とかではなく?」

「そのはずですけれど……まさか?」

「ええ。あたしが院長になってから数ヶ月、支援金をもらったことがありません」

「──なっ!?

想像もしていなかったのだろう。シャーロットは信じられないと目を見開いた。

「想像したよりも腐ってますわね。ただ、上手く追い詰めないと、リスティアさんが嘘をついていると逃れる可能性もあります。なんとか証拠を押さえたいところですが……」

シャーロットが独り言を呟きながら考え始めたそのとき、ジェイン達がなにやらこそこそと、店から帰ろうとしたので、リスティアは「お帰りですか?」と声をかけた。

その瞬間、ジェイン達は面白いほどに飛び上がった。

「──あら、そう言えばお客様がいらしていたんですわね。横から入るような真似をして申し訳ありません。どうぞ、先にお話をなさってください」

シャーロットが頭を下げ、ジェイン達にその場を譲ろうとする。

「い、いや、俺達の話はまた今度で良いからよ!」

まくし立てて帰ろうとするが、そんなことを許すリスティアではない。

「今度と言われましても。さっきも申し上げましたけれど、税の代わりに、子供達やあたしに、奉仕活動をさせるという件はお断りします」

「ひゃやおうっ!?

謎の悲鳴が上がった。

「……リスティアさん、なんのお話ですか?」

「じつは、そこにいる彼がジェインさん──市長だそうです」

「……え?」

シャーロットがきょとんと目を丸くし、ジェインがこの世の終わりのような顔をした。

「それで、毎年金貨百枚の税を支払うように求められたんです」

「──は? き、金貨百枚の税を、毎年、ですか?」

「ええ。それで、お金を支払う代わりに、あたしや女の子に奉仕活動をしろ、と」

「奉仕活動というのは……ま、まさかっ!」

「ええ、そういう意味、みたいです」

リスティアの説明を理解したのか、シャーロットの美しい顔が怒りに染まっていく。そしてそんなシャーロットとは正反対に、ジェインは真っ青に染まっていく。

シャーロットは、ジェインに視線を向けた。

「ふっ、ふふふっ、よりにもよって、我がウォーレン伯爵家が丁重にもてなそうとしている相手に、そのような振る舞い……どうやら、税を取り立てられるのは貴方の方ですわね」

「ひっ、ち、ちが、違います!」

「あら、なにが違うのかしら。貴方の首を税として納めてくださるのではないというのなら、その理由をぜひ、わたくしに分かりやすく教えてくださるかしら?」

シャーロットが、怒りに満ちた視線をジェインにぶつける。

「お、俺は……そう、滞っていた支援金の支払いをするために来たんだ!」

蛇に睨まれたカエルのように怯えていたジェインが、そんな風にまくし立てた。そして、大きな声を上げたことで恐怖から解き放たれたのだろう。勢いに任せてまくし立て始める。

「そもそも俺は、税金を支払えなんて一切言ってない! 税がどうとか脅されたとか、その娘が勘違いしているだけだ!」

「よくもまぁ、そのような嘘を並べ立てられるものですわね」

「う、嘘じゃない! 嘘だって言うなら、その娘の発言が事実だって証明してみろよ!」

「くっ、このっ、よくもぬけぬけとそのようなことを……っ」

シャーロットが悔しげな表情を浮かべた。

ん〜、普通の女の子の発言だけじゃ、証拠にはならないってことみたいだね。

そんな風に判断したリスティアはパチンと指を鳴らし、その場にいる全員の視線を自分に集めた。そうして目を合わせたジェインに、真祖の吸血鬼が持つ魅了の力を発動する。

「さぁ……貴方がここになにをしに来たのか、洗いざらい正直に話しなさい」

リスティアが紅い瞳を爛々と輝かせ、静かに命令を下す。