けれど、そんなリスティアの態度に、ゲオルグ院長は狂気以外のなにかを感じ取ったようで、「俺達をどうするつもりだ?」と問いかけてきた。
「どうする……って、うぅん。それはこっちのセリフだよ。あたしの部屋に入ってきて、なにをするつもりだったの?」
「そ、それは……」
「噂の方は半信半疑だったんだけど……マリアに、なにか、したよね? うぅん、なにか、してるよね?」
「あいつが話したのか!?」
「その反応……やっぱりゲオルグ院長の──うぅん、ゲオルグ院長達の仕業だったんだね。いったい、どんな非道を、働いたの?」
「そ、それは……」
「それは?」
「──くらいやがれ!」
不意に、ゲオルグ院長が右腕を閃かせた。小さな魔導具を投げたらしいと思った瞬間、その魔導具が凄まじい光を放ち、部屋を真っ白に染める。
「くははっ、油断したな! 魔法使いと言えど、目が見えなければなにも出来まい! 俺を侮ったこと、後悔するまで泣かせてやる!」
ゲオルグ院長はいやらしい笑みを浮かべると、腰に隠し持っていたナイフを引き抜く。そうして側面に回り込むと、リスティアに躍りかかってくる。
それを普通に目視していたリスティアは、ナイフの切っ先を指で挟んで止めた。
「なんだとっ!? なぜ俺の攻撃に反応出来る!?」
「なぜって……普通に見えてるからだよ?」
「馬鹿なっ! 閃光をまともに食らったはずだ!」
「閃光を喰らったくらいで、どうしてあたしの目が見えなくなると思ったの?」
急に明るくなってびっくりしたけど、それで目が見えなくなったりはしないよね? と、リスティアは不思議そうに小首を傾げる。
「お、お前は本当に何者なんだ?」
「さっきも言ったけど、あたしは普通の女の子だよ?」
「お前みたいな普通の女がいてたまるかっ!」
「むぅ……普通の女の子なのに」
またもや普通じゃない宣言をされたばかりか、ナイフでお気に入りのキャミソールまで切り裂かれそうになったリスティアは、思わず指で挟んでいたナイフを圧壊させてしまった。
砕けた破片が飛び散り、ゲオルグ院長の頬を切り裂く。
「お、お、お……お前みたいな普通の女がいてたまるか──っ!」
魂からの叫びだった。この状況でそんなツッコミが出来るなんて、わりと余裕がありそうだが、実際は恐怖が限界を振り切ってしまっただけである。
そうして動揺するゲオルグ院長を、リスティアは引きずり倒した。
「ちくしょうっ! 俺をどうするつもりだ!?」
「それは……貴方がなにをしたか聞いてから決めるよ。……マリアになにをしたの?」
「お、俺が素直に話すと思うのか?」
「もちろん、話すと思ってるよ」
リスティアは瞳を細め──吸血鬼が持つ、魅了の力を使った。
その直後、ゲオルグ院長の瞳から理性の光が消えていく。
「さぁ、みんなになにをしたのか……洗いざらい話して」
「俺がしたのは……」
下僕と化したゲオルグ院長の口から紡がれたのは、おぞましい行為の数々。マリアは他の子を護るために、その被害を一身に受け止めていたようだ。
けれど、非道な行為はそれだけじゃない。孤児院にいる子供達が、マリアを除いて十二歳以下なのは、その年齢を境に強制的に〝卒業〟させられていたから。
ゲオルグ院長は孤児院を隠れ蓑に、非合法の奴隷を斡旋していたのだ。
一緒にいる男も仲間で、他にも色々と罪を犯していたようだ。それらの話を聞き出したリスティアは、怒りで我を失いそうになる。
だけど、ガウェインを殺したときのナナミの反応を思い出して冷静さを取り戻し、ゲオルグ院長にかけていた魅了を解除する。
ほどなく、ゲオルグ院長が我に返った。自分がなにか得体の分からない能力に操られ、自分の罪を洗いざらい吐いたことを理解し、その顔を引きつらせる。
「た、たのむ、助けてくれ! もうお前には逆らわない。この孤児院はお前にくれてやる」
「え、孤児院をくれるの?」
予想外の申し出に、リスティアは思わずまばたきをした。
「ああ、お前が院長を名乗って好きにすれば良い。それに、俺はお前達には二度と関わらないと誓う。だから、見逃してくれ!」
「二度と悪さもしない?」
「しない、約束する」
「それが本当なら、あたしは貴方を殺さないよ」
「本当か!?」
ゲオルグ院長の問いかけに、リスティアはこくりと頷く。
それは子供達の幸せを考えて出した結論だ。リスティアが子供達のためにするべきなのは、ゲオルグ院長を殺すことではなく、安心して暮らせる場所の確保だと思ったからだ。
だからリスティアは、ゲオルグ院長と交渉。
孤児院を譲り受けることを条件に、反省して二度と悪事を働かないのなら、命だけは助けるという契約を交わした。
そんなわけで、リスティアはゲオルグとともに院長の部屋に行き、孤児院の権利書をもらい受け、更に院長の座を譲り受ける委任状を書いてもらった。
「これで、孤児院は間違いなくお前のものだ。だから、お前も約束を守れよ!」
「うん、契約だからね。あたしはその契約を絶対に破らない。ただし……そっちが契約を破るつもりなら、死んでもらうよ?」
「ああ、もちろんだ、約束する!」
「……聞いたよ。それで……本心は?」
再び魅了の力を使い、その本心を曝け出せと命じた。
「はっ、口から出任せに決まってるだろ。あんなに楽しいことを止められるか。それに、お前にも必ず復讐してやる」
「……だよね。貴方が心を入れ替えてなくて安心したよ。子供達のためを思って取り引きしたけど、あたしは貴方を許せなかったから」
「なに……を?──っ、い、いまのは、その、誤解だ!」
魅了から解放されたゲオルグ院長が慌てふためくが、リスティアは紅い瞳を爛々と輝かせ、攻撃系の魔法を起動した。
「やめろっ!……って、なんだ? なにも起きないじゃないか。ははっ、脅かすなよ……っと」
恐怖から一転、安堵の表情を浮かべたゲオルグ院長は尻餅をついた。
「なんだ? 急にバランスが……って、足の先が、なんだこれはっ! どうなっている!?」
ゲオルグ院長の足先が、光の粒子となって消え始めている。それに気付いたゲオルグ院長が悲鳴じみた声を上げる。
「手足の先から徐々に消滅させ、最後は魂すらも消滅させる攻撃魔法だよ。死ぬまで……十分ってところかな。そのあいだに、今までのおこないを反省してから死んでね」
リスティアは委任状と権利書をアイテムボックスにしまい、クルリと身をひるがえした。そうして部屋の外へ出ようとすると、ゲオルグ院長が情けない声を上げる。
「ま、待て、待ってくれ! 俺はちゃんと孤児院をやったのに、約束が違うだろ!?」
「なにを言ってるの? 反省して二度と悪事を働かないのなら、ゲオルグ院長を殺さないって契約、あたしはちゃんと守ったでしょ?」
ゲオルグ院長との契約は、孤児院をもらう代わりに、ゲオルグ院長が反省して二度と悪事を働かないのなら、その命だけは奪わないというもの。
ゲオルグ院長が契約を守るのなら、契約どおりに命は奪わず、街の役人に突き出すつもりだったのだけど……契約を破ったのはゲオルグ院長だ。
リスティアに譲歩する理由はこれっぽっちもない。
「貴方が契約を破ったら殺すって言うのは、契約のうちだよ」
「そん、な……ま、待ってくれ! 俺が悪かった。今度こそ心を入れ替える! だから、頼む、助けてくれ!」
「……マリアが懇願したとき、どうせ貴方は笑ってたんでしょ? 大丈夫。外に声は聞こえないようにしておくから、好きなだけ叫べば良いよ」
リスティアは冷たい声で言い放ち、院長室の扉をパタンと閉めた。ついでに、しばらくは扉が開かないように魔法をかけておく。
「……さて、残りは一人だね」
リスティアは自分の部屋に戻ると、気絶している男を強制的に目覚めさせ──ゲオルグと同じ尋問を繰り返した。その男の身体、そして魂すらも残さず消滅する、その瞬間まで。
── 2 ──
「あぁ……気が重いわね」
質素なベッドで目を覚ましたマリアは、低い天井を見上げて深いため息を吐いた。
昨夜は、マリアに課せられていた奉仕活動のある夜だった。にもかかわらず、昨夜はその悪夢が訪れることはなかった。
もちろん、決まった日に必ず奉仕活動があるとは限らない。けれどその逆、決まった日以外にもおこなわれることもあり、奉仕活動の予定がなくなることは滅多になかった。
その滅多にない一日が、リスティアが現れた日の夜に訪れた。つまり、あの天使のようなお姉さんの笑顔が、今日は曇っているかもしれないと言うこと。
何度か忠告してみたのだが、リスティアは聞き入れてくれなかった。
それ以上は、ゲオルグ院長に逆らう行為と取られかねず、他の子供達に危険が及ぶ。
それが直接的に警告できなかった理由──だけど、だからといって、マリアがリスティアが酷い目に遭うことを黙認したことに変わりはない。
その事実は、まだ十五歳のマリアの心を苛んでいた。
──せめて、水桶とタオルを持って行こう。マリアはそんな風に考える……けれど、それは、罪滅ぼしの気持ちだけではなかった。
もし、〝穢れた〟リスティアが孤児院を歩き回ったりしたら、マリアが必死に隠していた孤児院の闇が、他の子供達に知られてしまうかもしれない。
それに、他の子供達に秘密が漏れないように一人で抱え込んでいたマリアは孤独だった。けれど、自分と同じ苦痛を味わったリスティアとなら、痛みを分かち合えるかもしれない。
それらの理由により、水桶とタオルを持ってリスティアの部屋を訪れたマリアは──お姫様ベッドですやすやと眠る天使を目の当たりにした。
「……え、なに、どういうこと?」
心の底から混乱した。もちろん、リスティアが眠っていること自体は想定のうちだけれど、想像していたのは、意識を失って泥のように眠っているとか、そんな感じ。
よもや、なんの痕跡もないベッドで、すやすやと眠っているなんて思ってもみなかった。
そもそも、部屋からしておかしい。天井には豪華なシャンデリアが吊されており、部屋は暖かくて空気は澄んでいる。
しかも、床にはふわふわの絨毯が敷き詰められているし、窓にはレースのカーテンがかけられ、質素で硬かったはずのベッドは、まるでお姫様が眠るようなベッドに変わっている。
「……一体なにが起きてるの?」
ぽつりと呟く。それはマリアにとって、心からの疑問だった。
けれど──
「おはよう、マリア」
寝息を立てていたはずのリスティアに問い返され、マリアは飛び上がらんほどに驚いた。
「リ、リスティアお姉さん、起きてたの!?」
「うぅん。いま目が覚めたの」
「えっと……それはもしかして、私が起こしちゃったってこと?」
「そうだけど、気にしなくて良いよぉ。あたしは本来、数日くらい寝なくても平気だから」
よもや、言葉どおり睡眠をあまり必要としない──なんて想像もしなかったマリアは、リスティアが慰めてくれているのだと思って表情を曇らせた。
「本当に気にしてないよ。それに、あたしの心配をして、様子を見に来てくれたんだよね?」
「え、それは、もしかして……?」
昨夜、ゲオルグ院長がこの場に来たのかと、言外に問いかける。
「うん、来たよ。ゲオルグ院長ともう一人、屈強そうな見た目の男が」
「──っ」
マリアは思わず唇を噛んだ。
ゲオルグ院長も問題だが、もう一人の男の方は特に乱暴で、マリアは苦手としている。最初からそんな二人を相手にさせられた、リスティアの不幸を嘆いたのだ。
……あれ? でも、そうしたら、どうしてリスティアお姉さんは、こんなに平然としてるんだろ? もしかして、こう見えてすっごく経験豊富なのかしら?
「お姉さんってもしかして、そっちのお仕事の人なの?」
「あたしは普通の女の子だよ?」
「なら……どうして元気なの?」
「それは、マリアちゃんが思うようなことにはなってないからだよ」
「それは、一体どういう……」
ちなみに、マリアの十五歳とは思えない大人びた言動は、一種の自己防衛である。
自分はお姉ちゃんなのだから、他のみんなのために頑張らなくてはいけない。
そんな風に自分を騙し続けた結果、今のしゃべり方が定着してしまっただけ。中身がまだ子供のマリアは、リスティアの言葉に混乱を来していた。
だと言うのに──
「結論から言うとね。孤児院は今日から、あたしが管理することになったの」
リスティアは更に意味が分からないことを口にする。
「えっと、えっと……それはどういうこと、なの?」
「言葉どおりの意味だよ。ゲオルグ院長──元院長が、孤児院の院長という立場を、あたしに譲ってくれたの。だから、今日からここは、あたしの管理下にあるんだよぉ」
「……そう、なんだ」
混乱するマリアは、その事実だけを受け止めた。
次に、リスティアが院長であれば、今までのような非道はおこなわれないかもしれない。少なくとも、今よりはずっと快適になるだろうと安堵した。
そうして、それらを理解したマリアはホッと一息。
「……………………………………え、リスティアお姉さんが院長?」
ようやく、院長の座を譲り受けたという言葉自体が、意味不明である事実に気がついた。
そもそもマリアは、リスティアがひどい目に遭っていると予想してフォローしに来たのだ。
それがなぜ、リスティアが院長の座を譲り受けたという話になっているのか、まったくもって意味が分からない。
「ええっと、ごめん。よく分からないんだけど……リスティアお姉さんが院長になるの?」
「そうだよぉ。委任状も、ほら」
「たしかに、院長の字みたいだけど……いやいやいや、そうだよぉ──じゃなくて。一体なにがどうなったら、そんなことになるの!?」
「なにがどうなったら……相方の腕がなくなったら?」
「……はい?」
まさか本当に、腕を物理的に切り落としたなんて想像もしなかったマリアは、ゲオルグ院長の右腕だった男の弱みを握ったとか、そういう意味なのかなと考えた。
「とにかく、孤児院があたしのものになったのは事実だよ。引き継ぎで、誰かがなにか言ってくることもあるかもしれないけど、そのときはあたしが対処するから心配しないで」
「……本当に?」
「うん、本当の本当だよ」
その言葉が真実なのかどうかを確かめるため、マリアは部屋を飛び出し、隣にあるゲオルグ院長の部屋をノックした。
けれど──
「返事がないでしょ? その部屋はもう空室だよ」
追いかけてきたリスティアに言われるが、簡単に信じられるはずがない。だってマリアは、もう何年も、院長に苦しめられてきたのだから。
だから、マリアは思いきって部屋の中に飛び込む──が、部屋には誰もいない。
少し家具などが散らばっているだけだ。
「院長は……どこに行ったの?」
「ゲオルグ院長はいままでの罪を悔いて旅立ったよ」
「罪を悔いて旅立った……?」
あの院長が罪を悔いるなんて、とてもじゃないけど信じられない。けれど、ゲオルグ院長がこの時間、部屋にいないなんて普通では考えられない。
理由はともかく、旅立ったというのは事実なのかもしれない。──と、そこまで考え、マリアはようやく、リスティアの言葉が本当かもしれないと思い始めた。
「それじゃ……リスティアお姉さんが、ここの院長?」
「うん、そうだよ」
「じゃ、じゃあ……その、私が、今までさせられていた、その……奉仕活動は?」
「奉仕活動と言うのが、ゲオルグ院長に強要されてたことなら、もう二度とする必要はないよ。他の誰に言われても、そんなことはあたしが許さないから」
「で、でも、あたしが頑張らないと、他のみんなを食べさせるお金がないって……」
──お前が働かなければ、子供達の食事代を稼げない。そうなったら他の子供に働かせるか、他の子供を捨てるしかない。
そう脅されたから、マリアはゲオルグ院長の言いなりになっていたのだ。
そして経営状態が苦しいのは、院長が変わろうとも、変わることのない事実のはずだった。
けれど──
「大丈夫。たとえ今までがそうだとしても、あたしがなんとかしてあげるから」
天使のまばゆいばかりの微笑みが、マリアの闇を照らした。
「……本当の本当に、私はもうあんなことをしなくても良いの?」
「本当の本当の本当だよ」
リスティアが右腕を伸ばしてくる。それを見たマリアは、最初の時と同じように、リスティアの手を払いのけてしまった。
マリアは別にリスティアを嫌っているわけじゃない。ただ、夜な夜なおこなわれていたおぞましい行為を思い出し、反射的に手が動いてしまうのだ。
「ご、ごめんなさい。でも、その……私には触れない方が良いわ。私は、その……お姉さんと違って、穢れちゃってるから」
「……大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない。お姉さんは知らないかもしれないけど、私は──」
マリアは最後まで言うことが出来なかった。リスティアの細くてしなやかな指が、マリアの頭を優しく撫でつけたからだ。
そしてそれと同時、暖かい温もりがマリアの身体に染みこんでくる。
「……リスティアお姉さん?」
「ほーら、もう大丈夫。怪我も病気も、ぜんぶ、ぜぇんぶ、悪い痕跡はみんな消したから。だからもう、マリアちゃんは穢れてなんていないよ」
言葉の意味は分からない。だけど──理解させられた。ここ最近ずっと苛まれていた気怠さも、下半身にあったわずかな痛みも、全て消えてしまっていた。
まるで──いや、文字通り生まれ変わったかのような気分だった。
「……お姉さん、一体何者なの?」
「あたしは普通の女の子だよ?」
明らかな嘘。それは真実を打ち明けるつもりはないという意思表示だろう。だからマリアは、リスティアが普通の女の子を自称する、普通じゃない女の子だと理解する。
だけど、リスティアが何者でもかまわない。
少なくともマリアにとって、リスティアは自分を救ってくれた天使様だと涙を流す。
「あり、がとう。ありがとう、リスティアお姉さん」
マリアがポロポロと涙をこぼしていると、リスティアがそっと抱きしめてくれた。優しい温もりが、マリアの中に残っていた不安な気持ちを全て洗い流していく。
そうして、嫌な気持ちを全部吐き出して、マリアはようやく泣き止んだ。
「そ、それで、リスティアお姉さんはこれからどうするつもりなの?」
たくさん泣いて落ち着きを取り戻したマリアは、リスティアから身を離して問いかける。頬が少し赤いのは、先ほど泣いて恥ずかしかったからだ。
「孤児院の建て直しかなぁ……」
「孤児院の立て直し……それはたしかに必要よね」
マリアが奉仕活動をして回らなくてはいけないほどに貧窮している。そんな孤児院を上手く回すには、経済状況の立て直しが必要なのは明らか。
まさか、その状態で建物を建て直すなんて言うとは思わなかったマリアは完全に誤解した。
「建て直しについては、既に色々考えてあるの。あたしが手配するから心配しないで」
「……立て直す手段まで考えてあるの? この街の管理を貴族から任されている市長はケチで有名だから、資金援助なんてしてくれないと思うよ?」
「資金援助? うぅん、お金はこっちで用意するから大丈夫だよ」
「……本気で言ってるの?」
孤児院を立て直すには、資金をどこかから引っ張ってくる必要がある。
つまりは、立て直しに必要なのは、資金を引っ張ってくる手段そのもののはず──なのに、リスティアは、資金は最初から問題にしていないという。
まさか、子供達に私と同じような仕事をさせるつもりじゃないわよね?
奉仕活動をしなくて良いと言った。それがリスティアの本心だと思いたいけれど、それ以外の手段がどうやっても想像できない。
あまりにも楽観的なリスティアを前に、マリアは不安を覚えた。
「とにかく、建て直しの件は心配しなくて良いよ。それよりも、あたしは一つ、マリアに聞きたいことがあるの」
「……なにかしら?」
「貴方の身体は、あたしが完全にまっさらにした。それは紛れもない事実だよ。けど、貴方の心にはまだ、嫌な記憶が残っているでしょう?」
「……そう、ね」
ずいぶんと気持ちが軽くなったとは言え、そうやってほのめかされるだけで、奉仕活動の光景が思い浮かぶ。マリアは無意識に自分の身体を抱きしめた。
「マリアが望むなら、その記憶も全て消してあげるよ」
「……記憶を、消す?」
マリアは不思議そうにリスティアを見上げる。
「うん。魔法を使って、貴方の中にある嫌な記憶と、それにまつわる記憶を消去するの」
「……お姉さん、魔法使いなんだ?」
「うん、秘密だよ?」
イタズラっぽい微笑み。
天使の微笑みを見たマリアは、リスティアは正義の魔法使いなのかな? なんて思った。
だけど、もしこの場に魔法に携わる者がいたのなら、こう叫んだだろう。
他人の記憶を消すなどと、そんな悪魔じみた魔法があってたまるか! と。
しかし、実際にあるのだから、叫ぼうがなにをしようが、仕方ないのだが。……人間に扱える領域の魔法かどうかはともかく。
「お姉さんの魔法なら、私の嫌な記憶を消せるってこと?」
「嫌な記憶も消せる──っていう方が正しいかな。ちゃんと消すには、矛盾が生じないように多く消すことになるから、関連する他の想い出も消えてしまうと思う」
マリアには、そのデメリットを完全に理解することは出来なかった。
だけど、一つだけ理解する。
もしここで記憶を消されたら、リスティアに助けられたことも忘れてしまう──と。
「……記憶を消すのは、なしでお願い」
「良いの?」
「ええ。記憶が消えちゃったら、お姉さんに助けられたことも忘れちゃいそうでしょ?」
「……そうだね」
「なら、やっぱり、記憶は消さないで」
「マリア……」
自分への恩を忘れたくないと、マリアが言っていることに気付いたのだろう。リスティアがとてもとても嬉しそうな表情を浮かべる。
「か、勘違いしないでよ。私が記憶を消されたら、お姉さんが約束を守るか、確認する人がいなくなるでしょ? だから、私がお姉さんの側で、みんなを護ってるか見張るってだけだからね!」
照れ隠しに、つっけんどんに言ってしまう。
「うん。あたしは、これから孤児院をより良くしていくつもりだよ。だから、マリアも協力してくれると嬉しいな」
リスティアは微笑んで、無造作に手を差し出してきた。
白く細い、シミ一つない手を見て、マリアは考えを巡らす。
本音を言えば、朝起きたらリスティアが院長になっていたというのはよく分からないし、本当に大丈夫なのかという不安もある。
けれど、もしあと半年、ゲオルグが院長を続けていたら、マリアだけではなく他の女の子達も奉仕活動に駆り出されていたかもしれない。そうでなくても、何人もの子が確実に〝卒業〟させられていただろう。それをリスティアに救われたのは事実。
だから──
「私も協力するわ。これからよろしくね、リスティア院長」
精一杯の敬意を込めて、リスティアを〝院長〟と呼んだ。それは、リスティアを孤児院の院長と認め、これからずっとついていくという意思表示だったのだけれど──
なぜか、リスティアは床の上に突っ伏した。
── 3 ──
「しょんぼりだよ……」
リスティアはいつになくしょんぼりしていた。
孤児院の子供達に、お姉さんと呼ばれていた。それは年上のお姉さんという意味だったけれど、もっと頑張れば自分のお姉ちゃんと言う意味に昇格できると信じていた。
だと言うのに、頑張って孤児院を所有した結果、院長と呼ばれてしまったからだ。
しかも、マリアだけではなく、事情を知った孤児院の子供達全員から。
リスティアが子供達に慕われ、受け入れられている証拠なのだが、ただひたすらにお姉ちゃんと呼ばれたいリスティアに取ってはショックな結果だった。
という訳で、朝食後のリスティアは非常にしょんぼりしていた。
でも、いつまでも落ち込んではいられない。マリアに孤児院の建て直しを宣言したし、早急に計画を立てる必要がある。
だから──と、リスティアは孤児院の敷地を確認することにした。
やって来たのは、孤児院の裏手。
孤児院は街外れにあるせいか、敷地はかなり広い。
孤児院が二つ三つは建つだけの敷地面積があるのだけど……まったく手入れはされていなかったのだろう。雑草が生えて、荒れ放題となっている。
うぅん……建て替えてるあいだ、どこに住むか考えると、隣に建てた方が良いかな? そんな風に考えながら、目の前に広がる雑草を魔法で全て刈り取って一所に集めた。
リスティアの魔法をもってすれば一瞬で可能だ。それどころか、穴を掘ったり、木材を加工したり、家を建てるのだって不可能じゃない。
けれど、一人で家を建てるなんて、明らかに普通ではないと思われてしまう。
なので、建て直しには大工を雇って建ててもらう。そのためには、エインデベルのツテでエンチャント品を売らなきゃいけないという結論に至った。
「あたしはちょっと出かけてくるから、子供達のことをお願いして良いかな?」
玄関先にマリアを呼び出し、留守中を頼んでおく。
なお、マリアは孤児達の中では一番年上で、今までもみんなの面倒を見ていたらしい。
前院長は一切そういう仕事をしなかったそうなので、必然的に面倒を見るしかなかったというのが正解かもしれないけれど。とにかく、マリアなら安心して任せられるとお願いした。
けれど、マリアはどうしてだか不安そうだ。
「……マリア、どうしたの?」
「えっと……昼食までには帰ってくるのよね?」
「うぅん、孤児院を建て直すための資金を調達しに出かけるから、お昼までに戻るのはちょっと難しいかなぁ。夕食までには戻ってくるつもりだけど」
「そう、なの?」
「うん。厨房に食材を置いておいたから、それでなにか作って食べておいてくれるかな?」
「それは……うん。分かったわ。だけど……その」
昨日働いたので、孤児院の一日の流れはだいたい理解している。
食事を子供達が作っていたのも知っているので、事前にアイテムボックスに入っていたお肉やら野菜やらを厨房に置いてきた。
それで問題ないはずなのだけど、マリアはやっぱり不安そうだ。
「本当にどうかしたの?」
「えっと……その、ゲオルグ院長が帰ってきたら、とか」
「そっか、そうだよね」
ゲオルグ院長は、魂も残さず輪廻の理から旅立った。けれど、マリアにはゲオルグ院長は旅立ったとしか教えていない。戻ってくるかもと不安がるのは当然だろう。
だから、どうしてあげるのが良いかなと考えていると、マリアがぎゅっとしがみついてきた。それはリスティアにとって初めての体験で、思いっきり動揺してしまう。
「マ、マリア!?」
「えっと……その、リスティア院長にも用事があるのは分かるけど、出来たら側にいてくれたら、その嬉しいかな……って」
リスティアにしがみついたまま、不安な胸の内を打ち明ける。
普段は大人びた言動が目立って、みんなのお姉ちゃんをしているのに、いまは自分の弱さを見せてくれる。そんなマリアが可愛くて仕方がない。
リスティアのハートは思いっきり打ち抜かれた。
マリアを妹にしたい。ナナミちゃんとはまた違った可愛さのあるマリアを妹にしたい──と強く思った瞬間、ナナミをお姫様抱っこしたときに感じたのと同じ衝動がリスティアを襲った。
ナナミのときは一瞬で分からなかったけれど……今のリスティアは、その衝動がなにか理解した。それは、本来はマリアに抱いてはいけない感情、食事としての吸血衝動だった。
──どう、して。今までこんな衝動に駆られることはなかったのに。
リスティアは唇を噛んで吸血衝動を抑え込み、マリアの身体をそっと引き剥がした。
「……リスティア院長?」
マリアが不安げな視線を向けてくる。
「う、うぅん、なんでもないよ」
リスティアは吸血衝動を振り払い、なんでもない風を装う。そうして、不安がっているマリアをどうすれば助けてあげられるかを必死に考えた。
「……えっと、そうだ。ちょっと待ってね」
アイテムボックスから素材をいくつか調達。歯を食いしばってエンチャントの魔法を使い、念話が可能なマジックアイテムを作り出した。
「え、あれ? いまなんか、なにもないところから色々と出てきたような?」
ゴシゴシと目を擦るマリアの手を取って、手の平に小さな髪飾りを乗せた。
「えっと……?」
「手に触れている人の考えてる内容をあたしに伝える魔導具だよ。マリアにあげるから、髪につけておくと良いよ。マリアが呼んでくれたら、あたしはいつだって駆けつけるから」
「……ありがとう」
マリアはそう言って苦笑いを浮かべる。
──ふふっ、人に想いを伝える道具なんて、おとぎ話でも聞いたことないわよ。でも、あたしが心配してるから、こうして安心させようとしてくれたのね。
やっぱり、リスティア院長は優しい。
髪飾りはマリアの手の内にあるので、考えていることがリスティアに伝わってくる。
今のリスティアにそれを指摘する余裕はないけれど、マリアが少し安心してくれたのは分かったので、ひとまずはそれで良しとする。
「それじゃ、行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」
マリアに見送られ、リスティアは孤児院に背を向ける。その直後、「ふえっ!? いつの間にか敷地の雑草が全部刈り取られてる!?」と、マリアの驚く思念が伝わってきた。
なので、リスティアは問い詰められる前にと逃げ去った。
そうしてやって来たのは、エインデベルの経営するお店。
「いらっしゃい……って、リスティアちゃんやない」
「こんにちは、ベルお姉さん」
店番をしていたエインデベルに微笑みかける。直後、奥からバタバタと足音が聞こえた。そうして飛び出してきたのはナナミだった。
「リスティア様、無事だったんですね!」
リスティアの顔を見るなり声を上げ、リスティアに飛び掛かってくる。リスティアはその小さな身体を受け止めた。
「こんにちは、ナナミちゃん。もしかして、心配させちゃった?」
「それはしますよ。孤児院は色々と悪評がありますし、そんなところに行ったきり、夜になっても帰ってこなかったんですから」
「そっか……心配してくれてありがとうね」
ナナミはリスティアが真祖であることを知っている。人間では到底太刀打ちできない最強の生物。それを理解した上で、リスティアのことを心配してくれた。
もし妹がいたらこんな感じなのかな──と、リスティアは幸せな気持ちになった。けれど、腕の中でリスティアを見つめるナナミがふくれっ面になっていく。
「リスティア様、心配したって言ってるのに、どうしてそんなに嬉しそうなんですか?」
「え、それはその……ごめんね?」
リスティアは謝罪するが、その顔はやっぱり微笑んでいて、ナナミはぷくぅと頬を膨らませて拗ねてしまう。それを見ていたエインデベルが笑い声を上げた。
「ナナミ。リスティアちゃんは、ナナミが心配してくれたのが嬉しくて笑ってるんよ」
「え……そうなんですか?」
ナナミが、リスティアの目を覗き込んでくる。
「うん、ナナミちゃんに心配されたのが嬉しくて……ごめんね」
リスティアは今度こそ申し訳なさそうな顔で謝罪する。
そしてお詫びとばかりに、アイテムボックスから素材を取り出し、マリアにプレゼントしたのと同じタイプの髪飾りを作り出した。
「触れて思えば、あたしに言葉が伝わるマジックアイテムだよ」
「え、ありがとうございます──って、リスティア様!?」
ナナミが慌ててエインデベルを盗み見る。
リスティアがエインデベルの前でエンチャント品を作り出したことを、ナナミは知らなかったので、またやらかしたと思って心配したのだ。
けれど、昨日も見ていたエインデベルは感心こそすれ、驚愕はしていなかった。
「はぁ……相変わらずとんでもない腕やね」
「相変わらずって……もしかしてお母さんも?」
「ん? あぁ、リスティアちゃんの魔法の腕なら知ってるよ」
「リスティア様……普通の女の子になるとか言ってませんでした?」
呆れた視線を向けられるが、リスティアは平然とその視線を受け止めた。
なぜなら──
「あのね、ナナミちゃん。最近は普通の女の子でも、エンチャントが出来るんだよ?」
「──って、ベルお母さんに言われたんですね?」
「……そうだけど?」
リスティアの返答に、ナナミはエインデベルを見る。そしてふいっとエインデベルが視線を逸らすのを見て、ナナミは天を仰いだ。
「……えっと、どうかしたの?」
「あの、ですね。良いですか? 心して聴いてください」
「う、うん」
「前にも言いましたけど、普通の女の子はエンチャントなんて出来ません」
「え、でも、ベルお姉さんが使えるって」
「──嘘です。リスティア様は、お母さんに騙されたんです」
「……え、そうなの?」
嘘だよねと視線を向けるが、エインデベルは視線を逸らしたまま。
リスティアは騙されたことを理解した。
「……むぅ、どうしてそんな嘘をついたんですか?」
そっぽを向いたままのエインデベルの横顔に問いかける。やがて視線と沈黙に耐えられなくなったのか、エインデベルがリスティアの方を見た。
「えっと……その、リスティアちゃんのエンチャントを見たくて」
「つまり、あたしがエンチャントを使えると見抜いて、カマを掛けたってことですか?」
「ま、まあ、有り体に言えば」
「そうですか……」
自分が騙されたことを知ってため息を吐いた。
「リスティアちゃん、ごめんやよ」
「リスティア様、私のお母さんがごめんなさい」
二人揃って頭を下げる。そんな二人に、リスティアはやんわりと首を横に振った。
「謝らないでください、悪いのはあたしだから」
「え、でも……」
「カマを掛けられたことを見抜けなかったのはあたしだから。それに、カマを掛けられるほどに見透かされてたってことですから。ベルお姉さんは悪くないです」
天使のような笑顔で、天使のように寛容な言葉を口にする。
「うくっ、なんや、この罪悪感は……うちが、うちが悪かった! せやから、そんな純真な目でうちを見んといて!」
豊かな胸を押さえて苦しみだした。
そんなエインデベルを見たリスティアは、思わず苦笑いを浮かべる。リスティアの姉もときどき、似たようなことをやっていたからだ。
「本当に、ベルお姉さんは悪くないですよ。ただ……」
「ただ?」
「次からは、正直に言ってくださいね。エンチャントくらい、ベルお姉さんにならいくらでもみせますから」
「え、ホンマに?」
エインデベルが急に真剣な眼差しを向けてくる。
「ホントです。ベルお姉さんはナナミちゃんの家族ですから」
「それは……信用しているナナミの家族やから、って意味なん?」
「そうですね。ナナミちゃんには正体を教えてますから」
「……正体?」
「ええ、あたしは──」
正体を明かすより早く、光の速さで飛び掛かってきたナナミに口を塞がれた。そして、お店の隅っこまで引っ張っていかれる。
「ストップです、リスティア様」
「……そうなの?」
「ええ、さすがにその事実を教えるのは、もう少し時間をおいてください」
「……まあ、ナナミちゃんがそう言うのなら」
別にあたしに拒否する理由はないよと、リスティアは素直に頷いた。そしてあらためて、エインデベルに向き直る。
「と言うことなので、あたしはごくごく普通の女の子です」
「……いや、まぁ……ええんやけどね」
ただ者ではなさそうだけど、ナナミを救った恩人であることは間違いない。そういう認識のエインデベルは、そのときになって教えてくれたら十分やよと言った。
「でも、エンチャントについては見せて欲しいなぁ」
「ええ、良いですよ〜」
「見せるだけやのうて、出来ればあれこれ教えてくれたら嬉しいんやけど……?」
エインデベルは欲求を抑えきれないのか、物欲しそうな視線を向けてくる。技術の独占なんて欠片も考えてないリスティアは、別にかまいませんよと頷いた。
「────ホンマに!?」
「ええ。ただ、今日はエンチャント品を売る件で来たので、出来ればそっちを先に処理してもらえると嬉しいです」
「あぁ、それならちょうど良かったわ。今日、在庫を引き取りに来るって連絡があったから、もうちょっとしたら来ると思うよ」
「あ、そうなんですね。お金が早急に必要だったのでそれは助かりました」
リスティアはホッと息を吐いて、柔らかな微笑みを浮かべた──のだが、エインデベルとナナミは微妙な表情を浮かべて顔を見合わせた。
「ナナミ、どう思う?」
「リスティア様は強いけど、ちょっと天然だから……」
「それは、心配やね」
なにやらひどいことを言われている気がすると、リスティアは可愛らしく唇を尖らせた。
「二人とも、なにか失礼なことを考えてません?」
「いや、そんなことはあらへんよ。ただ、リスティアちゃんが、孤児院の院長に騙されてるんやないかなぁと」
「……十分に酷い気がします。あたしが院長に騙されるなんてありえないですよ」
ひどく正論なのだが、事情を知らないエインデベル達は信じてくれない。
「そうは言うけど、急にお金が必要なんて、どう考えても孤児院がらみやろ?」
「……そうですけど」
「なら、孤児院を立て直すのにお金が必要とか、そういう話やない?」
「それもそうですけど……」
「更に言えば、院長が言い出して、リスティアちゃんがお金を出すって話やない?」
「ええ、まあ、そうですけど……あたしは騙されてませんよ?」
リスティアはそう言ってみたが、既に二人の視線は可哀想な娘を見る目に変わっていた。
「どうする、ナナミ。リスティアちゃんったら、完全に無自覚やよ?」
「私、ここまでリスティア様が天然だとは思いませんでした」
「ナナミちゃんまで、ひどいよぅ。あたし、そんな天然とかじゃないよ?」
リスティアはぷくぅと頬を膨らませる。
その愛らしい姿は、二人の保護欲をかき立てた。
「リスティアちゃんに自覚はないと思うけどな。院長に騙されてるよ、絶対」
「そんなことないですよぅ。どうしてあたしが、あたしを騙さなくちゃいけないんですか」
「リスティアちゃんがそう思いたい気持ちも分かるけど……ん? あたしが、あたしを? それって、どういう意味なん?」
エインデベルがぱちくりとリスティアを見る。
「どうしてもなにも、あたしが、孤児院の院長、なんだよ?」
「……………………はい?」
「だから、ね。昨夜、ゲオルグ前院長から、院長の座を譲り受けたんだよ」
「あぁ、そうなんや……って、はぁああああ!? なにそれ、どういうことなん!?」
「だから、あたしが院長だから、あたしが院長に騙されるはずがないって話だよ」
「いや、それは分かるけど、そうやのうて! なにがどうなったら、一晩でリスティアちゃんが院長の座を譲り受けたりするん!?」
意味が分からない目を白黒させるエインデベルの横で、ナナミが「やらかしましたね」とリスティアを見ている。
けれど、やらかしたつもりのないリスティアは、孤児院の院長が悪事を働いていたので、魂ごと消し飛ばして、旅立ったことにしたと打ち明けた。
「……それはまた、派手にやらかしたなぁ」
「やっぱりやらかしてましたね」
説明を聞き終えた二人の感想は変わらなかった。と言うか、確信されてしまった。
リスティアはまったくもって遺憾だった。
── 4 ──
「グラート様、エインデベルさんのお店に到着しました」
「うん、ありがとう。商談をしてくるから、ミスティはここで待っていてくれ」
最近、王都で頭角を現し始めたグラート商会の会長。グラートは秘書に馬車での待機を命じ、自らは馬車から降り立った。
そうして、エインデベルの店に入る前にと、自らの身だしなみを整える。
エインデベルのエンチャント品は王都でも評判で、彼女との取り引きはグラート商会にとってはなくてはならない商品だ。だから、気を遣うのは当然──とはグラート自身の言い分である。
もっとも、秘書のミスティに言わせれば、それは建前でしかない。なぜなら、グラートがエインデベルに惹かれているのは周知の事実であるからだ。
とにかく、グラートは気合いを入れ、エインデベルのお店へと足を運んだ。そうして店内に入ると、エインデベルとナナミの他に、見知らぬ少女がいることに気がついた。
先客なのだろう、エインデベルとなにかを話している。グラートはエインデベルの商売に邪魔をしないようにと、しばらく店の入り口で待機することにした。
けれど、手持ち無沙汰は免れない。
グラートはなんともなしに、会話を続ける三人に視線を向けた。
まずはエインデベル。ゆったりと広がる赤い髪に、知的な青い瞳。母性愛に満ちた彼女はいつにもまして、その表情が輝いている。
グラートはその美しさに、思わずため息を吐いた。
また、エインデベルが養子とした娘、ナナミも日に日に可愛くなっている。血は繋がっていなくとも、親子は似るというのだろう。数年後には、相当な美人になっているだろう。
だがもう一人、客であろう少女は、その中でもひときわ輝いていた。
美少女と言うほかに形容のしようがない、整った容姿の少女。全てのパーツが計算し尽くされたような美しさを持つ少女は、漆黒の髪を無造作に束ねている。
そんな着飾らない姿が、美しさと可愛らしさを調和させている。恐らくは貴族か王族のお忍び。少なくとも、平民の娘でないことだけは明らかだった。
……まあ、私はエインデベルさんの方が美しいと思いますが。
グラートはそんなことを考えながら、出直そうと決意する。高貴な者が相手であれば、後ろに控えているだけでも邪魔になるかもしれないと考えたからだ。
けれど、そんな気配を感じ取ったかのように、少女がこちらを見た。
「ベルお姉さん、お客さんみたいですよ」
「誰やの、いま良いところやのに──って、グラートさん!」
グラートを見たエインデベルが少しだけ頬を染めたのだが、そのセリフから『やはり、邪魔をしてしまったか』と落ち込んだグラートは気付かない。
「すみません、お邪魔してしまったようで。後日、出直してきます」
踵を返そうとするが、慌てたエインデベルが飛び出してきた。
「待った待った、ちょっとエンチャントの話にのめり込んでただけやから。グラートさんを邪魔なんて思ってないよ」
「気を遣ってませんか?」
「もちろんや。いつも足を運んでくれてありがとうな」
「いえ、他ならぬエインデベルさんのお店ですから」
「ふふ、お世辞でも嬉しいわぁ」
まんざらでもなさそうに照れる。
エインデベルがエンチャントのことになったら人が変わるのは知っている。どうやら、さっきのはそれが原因。自分が嫌われたわけではないと知り、グラートはホッと息を吐いた。
そしてすぐに、気持ちを入れ替え、商売人としての自分を前面に押し出した。
「エインデベルさん、今日の仕入れには面白い品があると聞きましたが?」
「それなんやけど、まずは彼女の紹介からするな。ナナミの恩人のリスティアちゃんや。面白い品っちゅうのは、彼女の持ち込んだものなんよ」
「ほう……」
なるほど。異彩を放つ少女がこの場にいたのは偶然ではなかったのか──と、グラートはあらためてリスティアに視線を向けた。
紅く澄んだ瞳が、グラートの視線をまっすぐに受け止める。こうして間近で見ると、ますますもってただ者ではないと思い知らされる。
これは、油断したらこっちが呑まれるぞと、グラートは気合いを入れ直した。
「初めまして、リスティア様。私は王都に店を構えるグラートと申します」
「初めまして、グラートさん。あたしは普通の女の子です」
リスティアは席を立ち、優雅にカーテシーをして見せた。それに対して、グラートは思わず吹き出しそうになったのを辛うじてこらえる。
普通の少女は、わざわざ自分が普通だと名乗ったりはしない。それなのに、少女は洗練された所作でカーテシーをしながら、わざわざ普通だと自称する。
そんなのは、自分がただ者ではないと叫んでいるも同然だ。
……いや、待て。この少女とて、そのようなことが分からないはずがない。もし、この少女がそれを理解した上で、あえて自分は普通だと名乗ったのだとしたら……
そうか、こちらの出方をうかがっているのか。
グラートがこの程度でリスティアを侮れば、商売をするにあたいしないと切り捨てるつもりなのだろう。それを理解したグラートは、リスティアが油断ならない商売相手だと認めた。
だから、グラートの選ぶ対応は一つ。相手の身分なんて関係なく、商売の相手として、誠意を持って対応することだけだ──と、自分を戒める。
「それではリスティア様、本日は商品を見せて頂けるとのことですが」
「はい、その通りです。本日はあたしの作った品を買い取っていただきたくて、ベルお姉さんに仲介をお願いしました」
「分かりました。まずは品を拝見したいので……ベルさん、席を借りてもよろしいですか?」
「もちろんやよ」
「では失礼して」
エインデベルの隣、リスティアと向かい合って腰掛ける。
グラートは隣にエインデベルがいることに若干の恥ずかしさを覚えたが、いまは商売中だとその浮ついた意識を閉め出した。
「買い取っていただきたいのは、あたしの作ったブローチです」
リスティアが、どこからともなくブローチを取り出した。それを見たグラートは、まさかアイテムボックスか──と一瞬だけ考える。
けれど、アイテムボックスを使える人間は現存していない。恐らくは手品の類い。グラートの意識をブローチから逸らす作戦だろう。
いま重要なのは、ブローチに対しての値踏みをおこなうこと。それを理解しているグラートは、すぐにブローチに意識を向け、思わずその美しさに息を呑む。
「……手に取ってみてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんです」
「では失礼して」
はやる気持ちを抑えつけ、手持ちの布を使ってブローチを手に取った。
左右で大きさの違うオープンハート。けれど、その大きさが違うのは、計算し尽くした上でのことなのだろう。アシンメトリーでありながらバランスを保っている。
なにより、その曲線が素晴らしい。歪み一つない、美しい曲線。ここまで綺麗な曲線を、グラートは見たことがなかった。
そして、中央に収められた石は……間違いなく魔石だ。虹色に輝くその魔石は、宝石としても申し分のないポテンシャルを秘めている。
更に言えば、その銀色の材質が気に掛かる。最初はシルバーだと思ったが、手に持ったときの重さがずいぶんと重い。
魔石があるので正確な重さを知ることは出来ないが、恐らくはシルバーの倍くらい──と、そこまで考え、材質がプラチナであることに思い至った。
端的に言って、素晴らしいブローチだった。だが、それゆえに、このような若い少女が作れる品とは思えない。そう考えたグラートはカマを掛けることにした。
「美しいデザインですね。素晴らしい腕のようだ」
「えへへ、ありがとうございます」
リスティアは柔らかな微笑みを浮かべた。
緊張なんて欠片も感じられず、余裕すら感じられる。
「しかし実に美しい。この金属はシルバーですか?」
「いいえ、それはプラチナです」
「プラチナですか?」
「ええ、銀と違って酸化しにくいんですよ。あと、他の金属を混ぜて硬くしてあります」
「……ほう、そうなんですか」
相づちを打ちつつ、グラートは舌を巻いていた。
グラートとてプラチナとシルバーの重さの違いや、特徴くらいは知っていたが、他の金属を混ぜて硬くするなどという知識は持ち合わせていなかったからだ。
もしそれが事実であれば、彫金師にとっても秘伝中の秘伝。
それを知っているリスティアが、彫金師として一流である可能性は高い。けれど、もし一流の彫金師であれば、秘伝をあっさりと口にするはずがない。
いったい自分が相手にしているのは何者なんだと困惑する。
「グラートさん。リスティアちゃんは、うちの目の前で作ってくれたんよ」
「ほぅ、そうだったんですか」
グラートは、付き合いの長いエインデベルが嘘を吐くとは考えていない。であれば、リスティアが作ったというのは事実。今のセリフは、困惑している自分に対する助け船だろう。
分からないことが多すぎるが、ともかく盗品の類いではなさそうだ。それさえ分かれば、ひとまず他のことは置いても大丈夫だろうと判断を下す。
けれど、その判断は少し遅かったようだ。
リスティアは、自分が疑われたことに気がついたのだろう。苦笑いを浮かべている。
「すみませんが、こちらも商売なので。商品の扱いには細心の注意が必要なんです」
「分かります。だから、気にしてませんよ」
心配するグラートをよそに、リスティアは柔らかな微笑みを浮かべた。
器の大きさを見せ付けることで、少女に一歩リードされてしまった。これ以上は失態を見せられないと、グラートは自分を戒める。
「それで……買い取ってもらえそうですか?」
「そうですね。金額の確定は材質の確認をさせて頂いた後になりますが、金貨で三十枚……いや、五十枚でいかがでしょう?」
金貨五十枚、立派な家が建てられる金額だ。
少し割高な買い取り金額であるが、硬くしたプラチナという謳い文句が、貴族の興味を惹くだろうと考えて高めに設定してある。
相手にとっても十分に満足のいく取り引きだと考えたのだが──
「ちょっと待ちぃな」
まさかの、エインデベルからの待ったが掛かった。
「エインデベルさん……この金額ではご不満ですか?」
「不満も不満やよ。そんな金額では絶対に売られへん」
グラートはずっと、エインデベルと正直な商売を続けていたし、その鑑定眼に対しても評価を得ていると考えていた。
それがまさか、こんな風に強いダメ出しをされるとは思わなかったと驚く。
「……私は商人の矜持にかけて、適正な価格を示しているつもりですが」
「それは、芸術的な価値だけでの適正やろ?」
その言葉の意味を考えたのは一瞬、グラートは慌ててブローチに視線を戻した。ブローチの中心に輝くのは、美しい魔石。グラートの意識に電撃が走った。
魔石は、購入者が好きなエンチャントを施せるようにしてあるのだと思っていたのだが……
「もしや、この魔石にエンチャントを……?」
「そういうことや。そのブローチは、エンチャント品として査定したってな」
「なるほど。エインデベルさんとの合作でしたか。エインデベルさんのエンチャント品は人気ですから、たしかに価値は上昇しますね」
高品質の魔石を使えば効果は強くなるが、それと共に製作難易度も上がる。
よって、これほどの魔石にエンチャントを施せば、相当の技術と時間が必要になる。グラートが装飾品としてしか見なかったことに対し、エインデベルが怒るのも無理はないと反省した。
だから──
「このブローチにエンチャントしたのはあたしだよぉ」
リスティアがさも当たり前のように言い放ったので、グラートは困惑した。
先に説明したとおり、高価な魔石にエンチャントするにはかなりの技術を要する。
若い娘がエンチャント出来たことには驚きだが……残念ながら、これほどの装飾品を購入できる者なら、著名なエンチャント師に自身で依頼することだってできる。
つまり、下手なエンチャントを施したら、装飾品の価値は逆に下がってしまうということ。
エンチャント師が自分でエンチャントするのは当然だし、自分でエンチャントを施したいという気持ちも理解できるが、商品としては明らかに失敗だ。
それを理解したのだろう、ナナミが「リスティア様……」と、咎めるような顔をした。
そうだ、ちゃんと言ってやってくれ。私が言えば角が立つが、仲が良さそうに話しているナナミちゃんの口から伝えれば、ことは丸く収まるから。
そんな風に期待し、グラートは二人のやりとりを見守る。
「……え? もしかしてダメだった?」
「ダメというか、なんと言うか……」
「──いや、どうせ効果を調べたら分かることや。グラートさんは信用できる相手やから、正直に話して味方につけた方が良いよ」
エインデベルがそんな風に、リスティアの言葉を肯定する。けれど、そのやりとり自体が、グラートには予想外だった。
よく分からないが、下手なエンチャントをしたら価値が下がるかもしれないという説明をしてくれる者が、この場にいないことだけはたしかなようだ。
グラートはため息を一つ、自分の口で伝えることにした。
「このブローチに、リスティアさんがエンチャントをなさったんですか?」
「うん、そうだよぉ」
「そうですか。……その、最初に申し上げておきます。高価なアクセサリーを購入する方々は、自分の望むエンチャントを、自ら依頼することも少なくありません」
「あぁ……そうですよね」
「ですから、その……エンチャントの効果によっては、ブローチの価値が下がることもあると知っておいてください」
遠回しな発言が意味するのは、下手なエンチャントをしていたら価値が下がるということ。
お前のエンチャントではダメだと言っているにも等しく、リスティアの不興を買う可能性もあるが、どのみち査定価格で分かる話である。
だから今のうちにと、思い切って伝えたのだが──
「あぁそうですよね。相手の希望を聞いてからエンチャントした方が良かったですね。なんだったら、相手の希望のエンチャントに書き換えるようにしましょうか?」
リスティアにはどうやら伝わらなかったらしい。
と言うか、後からエンチャントを書き換えることなんて出来るはずがない。
これだけの魔石にエンチャントが出来るのなら、それなりの腕や知識はあるはずだが……その程度のことを知らないのはどういうことなんだろうと混乱した。
意思の疎通が出来ているようで、まるで出来ていない。
そんな自分達を見かねたのか、側で見ていたエインデベルが「リスティアちゃん、どんなエンチャントを施したのか、グラートさんに説明したって」と助け船を出した。
「あぁそうですね。エンチャントは、状態異常の無効化です」
「ほうっ! それならば需要がありますよ」
効果のほどは分からないが、方向性は悪くないとグラートは少しだけ安堵する。
貴族にしろ商人にしろ、お金を持っている人間は、常に毒物に警戒する必要があるので、どのような種類にしろ、状態異常を緩和するエンチャントであれば一定の評価を受ける。
「それで、どの種類の状態を緩和するエンチャントなんですか?」
「どの種類と言うか、あらゆる状態異常が対象です」
「……は? あらゆる? あらゆる状態異常を緩和すると言うんですか?」
「いえ、緩和ではなく、無効化です」
グラートは目をぱちくり。ほどなく「いやはや、冗談がお上手ですな」と笑った。
出力が一定であると仮定した場合、範囲を狭めるほどに効果は高くなる。その前提があるので、あらゆる状態異常が対象などと言う、ふわっとした範囲はありえない。
そして、範囲を限定したとしても、状態異常を無効化出来るほどの出力は得られない。
例えば、特定の毒物にまで限定したとしても、得られる効果は毒の緩和。弱い毒ならともかく、一般的な毒を無効化するなんて不可能だ。
つまりは、摂取した毒を半分まで抑えられれば高級品。もし一種類でも完全に無効化できるものがあるとすれば、それはアーティファクトでしかありえない。
あらゆる状態異常の無効化など、おとぎ話ですらありえないレベルなのだ。
けれど、エインデベルが「そう思うよなぁ」と苦笑いを浮かべているし、ナナミが「リスティア様、やらかしましたね?」と目を三角形にしている。
ここに来て、グラートもなにかがおかしいと気がついた。
そして、もしリスティアの言っていることが事実であれば、いままでの彼女達のやりとり全てにつじつまが合うという、ちょっとありえない想像に至る。
グラートは手元にあるブローチを二度見して、もう一度リスティアに視線を戻した。
「え、本当に全ての状態異常の無効化が込められているんですか?」
「はい、そうですよ」
「……………………………………か、鑑定させて頂いても?」
「良いですよぉ〜」
間延びしたリスティアの声を聞きながら、グラートは秘蔵のアーティファクト、エンチャント品を鑑定する水晶の魔導具を使った。
その瞬間──水晶の魔導具が砕け散ってしまった。
「──なっ!?」
「あ〜、そんな下級のじゃ無理ですよ。ちょっと待ってくださいね」
呆気にとられるグラートの目の前で、リスティアが虚空からなにやらクリスタルのような欠片を無数に取り出した。
そして──信じられないほどに緻密な魔法陣がリスティアの周囲に展開され、クリスタルのような欠片が、一つの透明な珠へと変化した。
「えへへ、あらゆるエンチャント品を鑑定する、鑑定の水晶だよぉ〜」
リスティアが無邪気に微笑む。
その艶やかな唇からこぼれる言葉は、グラートの耳に入ってこなかった。それほどまでに、目の前で起きた現象がありえなかったからだ。
「な、なな、なにを、なにをなさったんですか?」
「なにって、見ての通り、鑑定の水晶を作ったんだよ」
「作ったって、そんなあっさり……」
簡単なエンチャントで数時間。中には数ヶ月かかるような品もある。そして鑑定の水晶はアーティファクト。現代では決して作れない一品だ。
だから、ありえないと思いつつ、渡された水晶で手持ちのエンチャント品を鑑定してみる。
そこに表示されたのは、自分の知っている効果と──詳しい補足説明。先ほど壊れてしまった鑑定の水晶を超える内容に、思わずあんぐりと口を開いた。
「まさか……本物?」
いや、まさか、そんなはずは──と、他のエンチャント品も確認していくが、ことごとく正しい能力と、詳しい補足説明が為された。
リスティアとは初対面だし、エインデベルとて、グラートの持ち歩くエンチャント品を全て知っているわけではない。つまり、仕込みはありえない。
ここまで来ては、疑うことは出来ない。鑑定の水晶は本物だ。だとしたら──と、グラートは恐る恐るブローチを鑑定した。
そして、そこに表示されたのは──
あらゆる状態異常を無効化する能力に加え、自己修復機能が付与されている。所有者が即死レベルの猛毒に侵されようが即時に無効化し、ブローチは粉々にされようとも自己修復する。
普通の女の子が片手間に作ったブローチ。
「……はは、ははは」
どこから突っ込めば良いのか分からなくて、グラートは乾いた笑い声を上げた。
── 5 ──
エインデベルのお店の片隅。リスティアの持ち込んだブローチを前に、商人のグラートさんが愕然としている。どうやら、リスティアの施したエンチャントに驚いているようだ。
とは言え、エインデベルやナナミにエンチャントの講義をしたリスティアは、自分のエンチャント能力が普通よりはちょっぴり、ほんのちょっぴりだけ突出していることに気付き始めていた。
それでもブローチを売りに出そうとしたのは、孤児院のためにお金が必要だからだ。
という訳で、リスティアはグラートが驚きから立ち直るのを待ち、「そのブローチ、いくらくらいで買い取って頂けますか?」と促した。
「そ、そうですね……正直に申しますと、私ではとても買い取れません」
「……え?」
予想していなかった答えに戸惑う。
「誤解しないでください。このブローチに価値がないと言っているわけではありません。むしろ価値がありすぎて、私では適正な金額を出せないと言っているのです」
「それは、気にしなくてもかまいませんよ」
リスティアはとにかく、孤児院の建て直しに必要なお金が欲しいだけ。その足しになる程度の金額が得られれば問題ないと考えているのだが──グラートは首を横に振った。
「いいえ、私が動かせる程度の金額でこれを購入することは、私の矜持が許しません」
「そうですか……」
自分の作ったブローチをそこまで評価されたら、リスティアだって悪い気はしない。困るのは事実だけど、それでも買って欲しいとは言えなかった。
ただ、グラートの話はまだ終わっていなかった。
「──ですが、リスティア様のブローチを、私が代理で売ることなら可能です」
「えっと……それはどういうことでしょう?」
「王都で月に一度、オークションが開催されます。私が代理で販売を行い、手数料をいただくという形でいかがでしょう」
「月に一度のオークションですか……」
リスティアは王都がどこにあるのか知らないけれど、お金が入るまでそれなりの期間が掛かるだろうと考えて困った顔をした。
「失礼ですが、早急にお金が必要なのですか?」
「孤児院を建て直したいんです」
「それはまた……ご立派ですね」
「いえ、あたしは、子供達を助けたいだけですから。立派なんてことはないですよ」
リスティアはやんわりと否定するが、グラートは謙遜も美徳と受け取ったようで「まるで天使のようですな」などと感心している。
あたしは妹が欲しいだけの普通の女の子だから。ナナミちゃんも後ろで「天使のようじゃなくて、天使ですよ」とか言わなくて良いから。
──なんてことを思ったのだけど、妹が欲しいと自分から言い出さないと決めているリスティアは「あたしは普通の女の子なんだけどなぁ」と呟くにとどめた。
なぜか、笑って流されてしまったけれど。
「しかし、この街で孤児院というと……丘の上の孤児院のことですよね。あそこは、なにかと黒い噂があったはずですが?」
「ええっと──」
どこまで事情を話しても良いか迷う。けれど横からエインデベルが「グラートさんは信用できるから、全部話して大丈夫やよ」と教えてくれた。
なので、孤児院を管理する院長が悪事を働いていたこと。その悪事を暴き、孤児院の院長としての座を譲り受けたことを打ち明けた。
「孤児院を譲り受けた……ですか?」
「ですです。委任状を書いてもらいました。……そうだ。この委任状に問題ないか、見てもらってもかまいませんか?」
リスティアはアイテムボックスから委任状を取り出した。
「拝見しましょう」
委任状を受け取ったグラートが、その契約内容に視線を走らせる。そうして端から端まで確認を終えると、リスティアに視線を向けた。
「……この委任状には意図的な不備がありますな」
「え? それじゃ……孤児院はあたしの所有にならないんですか?」
もし孤児院を追い出されたら──どうしよう? 子供達を連れて、どこか空いている場所に引っ越し……それとも、街の外に孤児達の街を作ろうかな?
──なんて、斜め上なことを考えた。
なお、もしもリスティアが街の外に別の街なんて作っていたら、その街の素晴らしさに皆が移住を始めて、遠くない未来にこの街は滅んでいただろう。
だけど幸か不幸か、そうはならなかった、
「ご安心ください。孤児院をリスティア様の所有にすることは可能です」
グラートがそんな風に教えてくれたからだ。
「えっと……でも、不備があるんですよね?」
「この委任状には、譲った側の人間が半年以内に申請すると、譲渡が取り消されるという条文が盛り込まれています」
「あぁ……そういう」
ゲオルグ院長は孤児院を譲るつもりもなかったと言うこと。あの場を逃げおおせたら、リスティアが委任状を使ったあとに異議を申し立て、取り返すつもりだったのだ。
「なので、前任者が譲渡の取り消し申請を出来ないようにすれば問題がないわけですが……」
グラートが意味深な視線を向けてくる。ゲオルグ前院長をどうしたのかは話していないのだけれど……もしかしたら、もうこの世にいないことに気付いているのかもしれない。
やっぱり、この人は出来る商人さんなんだなぁ……なんて考えつつ「そういうことなら、問題なさそうです」と答えておいた。
「そうですか。では、もしよろしければ、こちらで処理しておきましょうか?」
「……良いんですか?」
リスティアは人間の法に明るくない。もし代わりにやってくれるのなら嬉しいけど、そこまでしてもらっても良いのだろうかと迷う。
「それに、私のお店の支部がこの街にもありますので、孤児院に必要なお金もうちの店で立て替えることにいたしましょう」
「それは嬉しいですけど……本当に良いんですか?」
「ええ、私の考える最低入札金額でも、孤児院の数十軒くらいは新しく建てることが可能ですから、前金だと思ってください」
「ありがとうございますっ!」
そんなこんなで詳細を煮詰めて契約は完了。その後、ナナミ達と少しおしゃべりをしてから、リスティアは孤児院へと帰還した。
「みんな、ただいま〜」
「あ、院長先生、お帰りなさい〜」
玄関で声を上げると、子供達が置くから飛び出してきて、そのままの勢いでリスティアに抱きついてきた。リスティアは思わずふらっとよろけてしまう。
物理的に押されたからではなく、可愛い年下の子供達に囲まれたからである。
「わわっ、院長先生、大丈夫?」
ボクっ子のミュウちゃんが心配そうに見上げてくる。
リスティアはしゃがんで「大丈夫だよ、心配してくれてありがとうね」と、ミュウちゃんのイヌミミがある頭を優しく撫でつけた。
「わふぅ……」
気持ちよさそうに目を細める。それを見た他の子供達が「僕も!」「私も!」と群がってくる。リスティアは幸せすぎて死んでしまいそうになった。
「こーらっ、貴方達。それくらいにしておかないと、リスティア院長が困っちゃうでしょ」
「「「はーい」」」
部屋の奥からやって来たマリアが惨状を見て一喝。子供達は少し名残惜しそうにしながらも、リスティアから離れてしまった。
それを見たリスティアはしょんぼり──せずに、ニコニコと微笑んだ。
マリアは可愛いなあ、焼き餅かな。えへへ。大丈夫だよ、マリアにも良い子良い子してあげるからね。なんて考えながらマリアの頭を優しく撫でつける。
とたん、マリアのブルネットの肌がほのかに紅くなった。
「リ、リスティア院長!?」
「ふふっ、紅くなっちゃって、可愛いなぁ」
「か、からかわないでよ」