エピソード2 自称普通の女の子、人里へと降り立つ
迷宮を出て地上へ。
そこに広がる深い森を目の当たりにしたリスティアは目をキラキラさせる。
「ふわぁ……本当に長い時間が経ってるんだね〜」
「この辺りの景色、千年前とは違うんですか?」
「うんうん。あたしが暮らしていた頃は、なにもない焼け野原だったんだよ?」
「……焼け野原。戦争でもあったんですか?」
「うぅん、そうじゃないよ。ただこの辺りにはドラゴンが生息してたからね」
「そう……なんですか」
ナナミが思い浮かべるドラゴンは、迷宮にいたような数メートル級。リスティアの言うドラゴンが、その十倍はあるだなんて予想もしなかったので、どういうことだろうと首を傾げる。
そんなナナミに気付いた様子もなく、リスティアは両手を広げ、木漏れ日を全身に浴び始めた。
「ん〜、穏やかな日差しが気持ちいいねぇ〜」
「そうですね……って、リスティア様!? 日の光を浴びて平気なんですか!?」
「平気じゃないよ。本当は、思わず踊り出しちゃいそうなほど喜んでるよ?」
リスティアは人差し指を唇に添え「内緒だよ?」と微笑んだ。この場には二人だけしかいなくて、誰に対して内緒なのか謎だけど、とにかくリスティアの仕草は可愛かった。
そんなリスティアに、ナナミは思わず見とれるが──
「いえいえいえ、そうではなくて。ヴァンパイアって、日光が弱点なんじゃ……?」
「うぅん。日光に当たってると、夜の半分くらいに身体能力が低下するだけで、別に弱点なんかじゃないよ?」
「……能力が半分になるのは、十分に弱点じゃないですか?」
凄くまっとうなことを言ったはずなのだけど、リスティアは「なんで?」と首を傾げる。
「なんでって……日光に当たってると、夜の半分しか力が出ないってことですよね?」
「うぅん、そんなことはないよ」
「……どう言うことですか?」
「だってあたし、普段は数%くらいの力しか使ってないもん」
「えええぇぇっ!?」
数%の力を込めた「えいっ!」で、ドラゴンを消し飛ばしたのかと驚愕する。
「だから、別に弱点というわけじゃないんだよ」
「ま、まぁ……それはそう、でしょうね」
数%の力しか使っていないのなら、身体能力の最大値が半分になってもなんの問題もない。
ましてや数%の「えいっ!」でドラゴンを消し炭に変えたことを考えれば、全力を出す必要のある日が来るとは思えない。リスティアが弱点と考えていないのも無理からぬことだろう。
「でも、日光が苦手なヴァンパイアがいるって話は聞いたことがあるよ。日光に当たると目に見えて弱体化したり、場合によっては灰になっちゃうんだって。珍しいよね」
「……珍しい。リスティア様と話していると、普通が分からなくなりそうです」
「あたしは、普通の女の子だよ?」
こてりと首を傾げる。漆黒の前髪が揺れ、その下に輝く紅い瞳が穏やかに細められた。
「……そうですね」
普通ってなんだっけ? なんてことをナナミは思ったのだけれど、リスティアは気付かない。ナナミが同意したため、「えへへ」と可愛らしく微笑んでいる。
「よーし、それじゃ、そろそろ街に向かおう〜」
「はい。案内しますね。ここから東の方角。……徒歩だと、三日くらいの距離です」
「は〜い」
元気よく頷き、リスティアは街のある方角へと歩き出した。
しばらく歩いていると、リスティアが先行を始めた。わりと深い森で歩きにくいはずなのに、ワンピース姿で苦もなく歩いている。
旅に慣れていて、なおかつリスティアの治癒魔法を受けてから身体が軽くなっている。そんなナナミの方が置いて行かれそうになって慌てるほどだった。
「リ、リスティア様──」
ちょっと待ってください──と、その言葉をナナミは寸前で飲み込んだ。案内役を買って出た自分が足手まといになるわけにはいかないと思ったからだ。
だけど次の瞬間、ナナミは別の意味で慌てることになる。
自分の足に絡んでいた茂みが、ナナミを避け始めたからだ。
なお、比喩表現ではない。文字通りの意味で、草や蔦がざわざわと動いて、ナナミの進行方向から退いていく。普通ではありえない怪奇現象だった。
もしかして、リスティア様がなにかしてくれたのかな? そんな風に考えて顔を上げると、少し前を歩くリスティアが肩越しにこちらの様子をうかがっていた。
「ナナミちゃん、大丈夫? 辛かったら、あたしを頼ってくれて良いからね」
優しく、天使のように微笑む。
「ありがとうございますっ!」
可愛くて優しい。やっぱりリスティア様は天使だよ! と、ナナミは思った。そして、もしこんな人が自分のお姉ちゃんならすっごく嬉しいのに──とも思う。
だけどナナミは、台座に刻まれていた文章と、リスティアのセリフを思い出す。
ケージの中で眠っていた理由をちゃんと聞くことは出来なかったけど、リスティアはどうやら妹を探しているらしい。
それはつまり、リスティアには生き別れ──もしくは死に別れの妹がいると言うこと。軽々しく『お姉ちゃんって呼んでも良いですか?』なんて、言えるはずがない。
もちろん、完全に誤解──と言うか、もし尋ねていたら、リスティアは飛び跳ねながら喜んで頷いたのだが、それを知り得ないナナミは、そんな風に考えた。
不幸なすれ違いの始まりである。
ともあれ、ナナミとリスティアは通常ではありえない速度で森を進んだ。けれど、徒歩で三日の距離を、午後から歩き始めて抜けるのはさすがに無理。森のさなかで日が沈み始めた。
そしてちょうどその頃、ナナミは重大なことを思い出した。
「リスティア様、すみません。食料が残ってないのを忘れていました」
迷宮で予定外の日数を食ったことに加え、魔物から逃げるのに荷物を軽くしたりで、食料は残っていない。
自分は我慢できるけど、リスティア様に我慢なんてさせられないと慌てるけど──
「ん、夕食? そうだね、そろそろ夕食にしようか──っと」
リスティアが右手を振るうと、目の前が空き地に変わった。
「……はい?」
その超常現象に、ナナミは呆然となった。目の前にあった草木を消滅させ、瞬時に空き地を作り出す。そんな魔法は聞いたこともなかったからだ。
なにより、リスティアは魔法陣を描いていない。
普通、魔法を使うには、詠唱とともに魔法陣を描く必要があるのだが……自分の使える最高の魔法から、二つ下の階位くらいまでは、詠唱や魔法陣を省略できると言われている。
リスティアは第四階位のアイテムボックスを、魔法陣を省略して使っているので、少なくとも第六階位までは使えるだろうと予想していた。
だけど、さきほどの魔法は無詠唱で、明らかに第四階位を超えている。
もしかしたらリスティア様は、真祖の一族が姿を消す前に到達したと伝えられている、第七階位まで使えるのかもしれない──と、ナナミは思った。
「アイテムボックス、オープン──だよぉ〜」
ナナミが驚いているあいだに、リスティアは間延びした声でアイテムボックスを使用。先ほど出来た空き地に小さなお家をぽんと置いた。
「な、ななな、なんですか、そのお家は!」
「ふえ? あんまり大きいと、たくさん森を壊しちゃうから、小さめにしたんだけど……もしかして、大きいお家の方が良かった?」
「いえ、そうではなくて……はあ、もう良いです」
アイテムボックスの収容量は本人の魔力や魔法の熟練度に比例したと伝えられている。
そして、ナナミが伝え聞く最大収納量は、人が抱えられる程度の木箱くらい。常識的に考えて、家が出てくるだけでありえない。
なのに、大きいお家の方が良かったかと聞くと言うことは、他にも家が入っている可能性があるんだけど……考えたら負けなんだろうなぁと、ナナミは遠い目をした。
「それじゃ、中に入ろう〜」
可愛らしく言い放ち、迷わず部屋の中へと入っていく。そんなリスティアの後に恐る恐る続く。
「お、おじゃましま〜す。……ふわぁ」
部屋の中を見て、ナナミは思わず息を呑んだ。可愛らしくもシンプルな装飾で彩られた部屋には、大きなベッドとテーブルが置かれている。
「台所はないんだけど、奥にはシャワーとトイレがあるよ」
「シャワー……ですか?」
「うん。お湯で身体を洗えるよ〜」
「えぇぇっ」
平民は桶に汲んだ水で身体を清めるのが普通で、水浴びは贅沢。貴族であれば、お風呂に入ることは可能だが、森のキャンプでお湯を使って身体を洗うなんて聞いたこともない。
本当に規格外なんだなぁと、ナナミは感嘆と、ちょっぴり呆れの入ったため息を吐いた。
「あ、でも、お家があっても、食料がないんです。そのへんで少し探してくるので、ここで待っててもらっても良いですか?……と言うか、リスティア様ってなにを食べるんですか?」
「なにって……普通の料理だけど?」
「血は必要ないんですか? もし必要なら、その……私の血を飲みます?」
なお、眷属になる場合は血を吸われるのではなく、吸血鬼の血を飲む必要がある。なのでこの場合は、純粋に食料を提供するという意味である。
最初の頃のナナミなら絶対にそんなことは言わなかったが、この短い時間でリスティアが心優しい天使だと実感。
今や、リスティアになら血を飲まれても良いと思うほどに心酔していた。
「ありがとう、でも、大丈夫だよ」
「……そう、なんですか?」
「うん。人の生き血を飲めば、数日は身体能力が倍くらいに上昇するらしいんだけどね」
「……らしい、ですか?」
ナナミが首を傾げる。
「うん。さっきも言ったけど、あたしは数%の力しか使わないから」
「あぁ……力は必要ないってことなんですね。なら、吸血衝動とかってないんですか?」
吸血鬼と言うくらいなのだから、血を吸うのが当たり前。むしろ、血を吸わなければ吸血鬼と言えないだろうと思って尋ねる。
「思春期になったりしたら、衝動が起きたりするとはお母様から聞いてるんだけど……今のところ、そういったことはないんだよね」
「へぇ、そうなんですね。なら、もし血を吸いたくなったら言ってくださいね。私の血でよければ、いつでも飲んでくれてかまわないので」
「ありがとう。でも、もしそうなってもナナミちゃんの血は飲みたくないかなぁ」
「えっ、私の血って不味そうですか!?」
もしそうだったらちょっとショックかも──とナナミは思ったのだけれど、リスティアはそうじゃないよと苦笑いを浮かべた。
「吸血行為って、食事なんだよね。だから、ナナミちゃんを食料とは思いたくないから」
「……リスティア様」
大切だから──と言われたわけではないけれど、大切に思われているような気がして、ナナミは少し嬉しかった。
「とにかく、あたしの食事は普通の料理で大丈夫だよ」
「そうなんですね。それじゃ、動物かなにかを狩ってきますね」
そういって家から出ようとしたのだけれど、リスティアにちょっと待ってと引き留められた。
「ちゃんと出来たての料理があるから、心配しなくて平気だよ」
リスティアはふわりとテーブルクロスを広げ、その上にスープやお肉。それにサラダやパンと、手際よく並べていく。
湯気が上がっていて、どう見ても出来たてだが──アイテムボックスはただの倉庫であって、中の物の時間が止まるなど聞いたことも以下略。
さすがリスティア様だなぁ……と、ナナミは順応しつつあった。
「それじゃ、冷めないうちにいただこうか」
「私もいただいてよろしいんですか?」
「もちろんだよ〜。ほらほら、隣の席に座って?」
ナナミは勧められるがままに、リスティアの隣に座った。凄く距離が近くて、リスティアの綺麗な横顔がすぐ側にある。ナナミは思わず顔を赤らめた。
「それじゃ……いただきまーす」
「い、いただきます」
そうは言ったものの、テーブルの上にはスプーンやフォークがたくさん。平民であるナナミがカトラリーの作法なんて知っているはずもなく、あわあわと慌てふためいた。
「大丈夫だよ。あたしは、ナナミちゃんが一緒に食べてくれるだけで嬉しいから。作法なんて気にせず、食べてくれて良いんだよ」
「あ、ありがとうございます。それじゃ……んっ、美味しい!」
ナナミはお肉を一口。そのあまりの美味しさに目を丸くした。
「す、凄く美味しいです。こんなに美味しいお肉、食べたことないです!」
「えへっ、ありがとね」
リスティアは、凄く凄く嬉しそうに微笑んだ。
内心で『うわぁい、ナナミちゃんが褒めてくれたよ、嬉しいよ!』と大はしゃぎしていることまでは知り得ないが、リスティアが喜んでいるのはナナミにも分かった。
「もしかして、リスティア様が作ったんですか?」
「うん。そうだよ。いつか、妹に食べてもらおうと思ってたの」
「……妹。リスティア様には、妹がいるんですね」
気になっていたことを切り出してくれたので、これ幸いと尋ねる。
だけど──
「……うぅん、今はいないよ」
リスティアは寂しげに微笑む。
まさか、妹が欲しくて欲しくてたまらないリスティアが、妹が生まれる前から料理を作って、魔法で保存していた──なんて想像もしなかったナナミは思いっきり後悔した。
妹のために料理を作っていたけど、今はその妹がいないと寂しげに言う。それは、つまり、妹とは死に別れたという意味に他ならない──と思ったから。
命の恩人で、優しい。年上のはずなのに、どこか放っておけない。そんなリスティアを、ナナミは支えてあげたいと思う。
リスティア様……私じゃ、妹の代わりになれませんか?……なんて、ただの人間である私が、そんな厚かましいこといえないよね。
だけど、もしもリスティア様から妹になって欲しいと言ってくれたなら、そのときは……
ナナミは、リスティアの作った料理を食べながら、そんな想いを胸に秘めた。
◇◇◇
一方、ナナミと一緒に食事をしていたリスティアは感激していた。
年下の女の子と一緒に食事をするなんて初めてだったからだ。
両親や姉達としか食事をしたことがなかったリスティアは、いつも可愛い可愛いと愛を与えられる側で、愛を与える側になったことがなかった。
だから──お姉ちゃんになりたい、あたしも妹を可愛がってみたい! そんな興味ばかりが先行して、妹が出来たらどうしたいのかとか、具体的なことはなにも考えてなかった。
だけど──
「リスティア様、この料理、凄くすっごく美味しいですっ!」