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19:00
「あの二人……今なら簡単に狙撃できるんじゃないのか」
元川は病室のテレビを見ながらそう呟いた。まるでドラマか何かのワンシーンのように抱き寄せ合って唇を重ねる二人は完全に動きを止めている。彼女らがすぐに動くとも思えなかったし、相手の背に回した手に持たれた銃は空を向いているから即座に反撃もできないだろう。
中島がノートパソコンをカタカタと器用に左手だけで叩きながら小さく鼻で笑う。
「仮に君が狙撃班を指揮できる立場にあったとして、彼女らを〝撃て〟と命じることができるのかい?」
「言ってみただけだ。モニター見ていて何かムカついて思ったんだよ」
何人もの人を殺し、中谷の車をぶっ壊しながら大立ち回りを演じ、人質を取って学校を占拠しているとは思えない二人の至福のさまに、元川は苛立ちを感じていたのだった。
元川はテレビから視線を外して中谷を見る。彼は先ほどからずっと双眼鏡を覗き続けていたが、病院からはちょうどヘリの機体が邪魔で二人は見えない。ヘリは警察の警告を無視して現場を跳び続けており、局には厳重な抗議が送られているのだろうが視聴率とのシーソーゲームで後者が勝っているのだろう。今頃ほくそ笑みながら謝罪文を用意しているのかもしれない。
「仮にあそこにいるのが僕や君たちのような男であっても警察は狙撃なんかしないさ」
元川は中島の言葉に、自分と中谷が屋上で口づけしているシーンを想像して吐き気がした。中谷も同じらしく双眼鏡を覗きながら、ゲェっと唸る。
テレビを見ると二人がしているさまは夜空にスポットライト等のシチュエーションからか、画だけで見れば流麗さすら感じられる。だが、仮にあの場に自分たちのような男がいたところで画にはならないだろうと元川は思う。飯時に見ようものならリモコンをモニターにぶつけた後テレビ局に殴り込みに行くかもしれない。
「状況が悪い。仮にすでに狙撃班が現場に到着していたとしてもポイントがないんだ。この辺りに学校と同じか、それ以上の高さの建物が比較的少ない上、同程度の高さを求めるならこの病院くらいにまでの距離を必要とする。だいたい直線で八○○。これでは狙撃は難しい」
「そうか? 腕と銃が良ければ一キロぐらい、何とかなるだろう」
「元川君、確かに弾を当てるだけなら、そう。競技や、軍における狙撃ならばそれでもいい。だけどね、これはそうじゃない。知らないのか?」
「何を?」
カタカタと何かを打ち続けていたキーボードから中島は手を離し、一息入れた。説明してくれるらしい。
「普通の刑事は意外と知らないものなのかな。まぁいいか。競技や戦場におけるそれでは一キロ以上離れた目標にぶち込める奴がいるように、確かに八○○程度を当てることは難しいことじゃない。いや、優秀な狙撃システムと腕を持った者が揃えば、だね。ただ法律という足かせをつけられ、衆人環視の中、人質のことを考える以上、狙撃の失敗は何があっても許されない、そんな警察活動時の状況下において初弾で決めるのは困難を極める。それとて当てるだけならまだ何とかなる。だが、確実に即死を条件とした射殺、もしくは武器を持った手だけなど、そういった部位にまで目標が狭まるとこの距離はかなりキツイ。しかも目標は意思を持って動くからね。警察における狙撃手の主な任務が監視であることもあって、普通のレンジは一〇〇メートル以下、無理をしても三〇〇メートルがせいぜいだ。
……ただ、一番の問題は別にある。日本警察はまず狙撃はしない。昔の話だが、シージャックした二〇歳の青年を狙撃、射殺した際、その姿をモロにカメラに収められていてかなり問題になり、狙撃手が殺人罪で訴えられる事態にまで陥っている。その後の狙撃に関しては死刑台のスイッチ同様、誰が殺したかわからないように複数人が同時に撃つようにしているが……これとて例は少ない。射殺のための狙撃という手段はほとんど最後の手段として認識されている。特にマスコミに囲まれている時は石橋を叩きすぎて壊してしまうくらいに慎重になる。
狙撃は初弾こそがものを言う。外そうものならそれによる犯人側の行動、及び外したということそのものによって、関係者全員がまるごと痛い目を見ることになるだろう。
さらにやっかいなのは押し寄せたマスコミ、そして犯人が現役の女子高生だという点だ。君らが子供を撃つことを否定したように誰もがそう思う。未成年の女子だ。しかも立て籠った場所が高校で、そして彼女らは何故か制服を着ている。知ってか知らずか、見れば嫌でも年齢を意識するその心理作用は絶大だ。間違ってもマスコミの視線の中で射殺しようものなら過去に例を見ないほどとんでもない大事になるだろう」
「そうだな。特にあれだけ堂々とカメラに映れば確実に脳裏に焼きつく。犯人というただの悪役ではなく、人間として」
元川の言葉を継ぐように、中谷が双眼鏡を外し、口を開く。
「さらにいえば歴史が証明するように美人と若さはいつの時代、どこの世界であってもカリスマ性を放つ。学校敷地周りの大騒ぎしている馬鹿どもが良い例だ。テレビを通してあんな馬鹿どもが今こうしている間にも増えているんだろう。ヘタをすれば警察が悪役になりかねない」
「いい読みだ、中谷君。上もそれを警戒して一刻も早くこの状況を打破したがっている。……状況が整い次第突入になる、と僕は見るね」
「おいおい、さっきと言っていることが……」
中谷は双眼鏡を中島に言葉とともに返す。
「海棠ケイ、梔ナオの個人情報が漏れ始めると今以上に状況が悪くなる。海棠ケイもそうだが、梔ナオのほうは警察にとって致命的だ。彼女の兄、梔鉄哉君は……何ともやっかいなことをしてくれたよ」
「クチナシテツヤ? ……確かそいつは狙撃事件の最初の被害者……アイツの兄貴か!?」
元川は驚きの声をあげたが……中谷に、今さらこいつは一体何を言っているんだ、という顔で返される。中島でさえ、いつも顔にはりつけていた微笑みが消え、驚きの顔をしていた。
気づいていなかったのは自分だけだったらしいとわかると、元川は言いようのない恥ずかしさが込み上げてきた。確かに珍しい名字ではあったが……。梔ナオに対して調査がぞんざいだったわけがようやく理解できた。
「あ〜、その何だ、元川は栄養が体に回るタイプなんだ。気にしないで続けてくれ」
フォローになっていない中谷のフォローを受けつつ、元川は頭を掻いた。
カタカタと中島がキーボードを叩き、そのモニターを見る。
「……で、だ。梔鉄哉巡査であったわけなんだけど、彼が……あ〜、時期的に見て警察学校の最初の頃か。その時に実の妹に対して性的な虐待をくわえている。梔ナオが中学三年の時だ」
今度は中谷ともども元川がまた驚く番だ。
「血の繋がった兄妹でか。しかも三年以上前、今であの姿なら当時は赤ん坊じゃないのか」
「中谷さん、それはさすがに……」
中島はカチャカチャとキーボードを叩くと、モニターの中に細かな文字で書かれた大量の文面が現れる。直接打ち込まれた文章ではなく、手書きの書面をスキャンした画像らしい。
「男だらけの寮生活、たまの休みで久しぶりに実家に帰ってきて思わず……ってところだろうね。口で言えば何とも簡単だが、今の状況も含めてその影響は計り知れないほどに大きい」
「そのパソコンに映ってるのは梔巡査の日記か何かか?」
「いや、児童相談所の記録と梔ナオを担当している心理カウンセラーの記録だ。後者は警察とはいえ見せていいものじゃないが、梔ナオを特定した際に少し強引に収集してきた。
これによれば……久々に帰省した彼女の兄が妹の寝ている部屋に……あ〜、以下略。帰省ごとに複数回繰り返された後、梔ナオに情緒不安定、極度の男性恐怖症、また男女問わず何者かに背中に触れられると強い発作を現すようになる。当院に通院するも状況から児童相談所に連絡する必要ありとして当人の了解を得た後に通告。だが……それでお終い」
「警察へは?」
「行っていない。というより、行けなかったんだろう。これによれば兄は深く反省し、被虐者である梔ナオ、及び両親も警察への通報を望まず兄の謝罪を受け入れたとあるが、恐らくは世間体を気にした両親に説得されたか、これ以上他人に話すこと自体を本人が拒否したか。どちらにせよ警察では当人か近親者の親告なくしては動きようもないだろうさ……ただ、仮にあったとしても、警察が身内の恥をきちんと取り合ったか、という点は疑問だけどね」
「苦々しいな」
中谷の言葉に中島は全くだ、とでも言うように肩をすかした。
「当人が話してしまったことを強く後悔し、それに関連して精神状態が非常に乱れ、必死に懇願してきたことから忘れるという約束をし、それによって彼女の信用を得たとある。……当人には記録を処分したと言っても、こっそり残しておくのが普通だろうに随分真面目な奴だな。
とにかくこの後、つまり本人が警察への親告を拒否した後も発作の症状は治まらず、高校入学直後、クラスで後ろの席に座っていた女生徒に抱きつかれてショック症状で意識を失い医療機関に運ばれている。このことからも兄の謝罪を受け入れて万事解決したとは思いづらいね。
今は二週間に一度カウンセラーのもとへ通っているようだが、ここ二年ほどは快方に向かっており、内向的だった性格も一件以前の明るさを取り戻しつつあるとともに、特定の男性であるなら握手程度はできるようにもなってきた……だ、そうだ」
中島の言った、警察の諸事情とやらもそれを聞いて理解できた。人物を特定してしまえば表沙汰にならないまでもマスコミには名が知れ、そこから過去を洗われる。
元川と中谷は深いため息、それから懐からタバコを取り出し火をつけた。紫煙が舞う。中島が微妙に嫌そうな顔をしたのを見て元川は試しにすすめてみるものの、案の定彼は遠慮した。
中谷が窓の外、きっと彼女らを目を細めて眺め、一句詠むように言う。
「男の人生において女子供は獲得すべき目標であり……」
その言葉を中島が継ぐ。
「……ゆえに、彼女らは被害者であり続ける」
「故事を知っているな」
「僕のは歴史だよ」
元川にはまったく智の及ばない会話であったが、その語感からして海外のものだろうと当たりをつけた。
「この資料、僕がたった数日で手に入れたんだ。マスコミが大金を積めば簡単に流出させる馬鹿が出てくる。そうなれば間違いなく一斉に警察叩きが始まるだろう。彼女は、彼女らは哀れな被害者として同情を浴び、あっという間に悲劇のヒロインだ。
何故、どうして、何々とは思わなかったのか、予想することはできなかったのか、事前に、そもそも、誰が判断を、責任は、それでも警察か……この種の言葉が記者会見場で硝煙弾雨として降り注ぎ、その結果はじき出されるのは〝自己の怠慢を加害者の責任として擦りつけた暴力執行の税金浪費組織〟としての報道の数々だろう。彼らにとって僕たちを批判するのは流行ファッションの紹介をするよりも慣れ親しんでいる。
公的機関に苦言や批判を浴びせれば、さも不正に立ち向かっているかのようで高尚に見えるから向こうはノリノリさ。他者への一辺倒な批判は、自己の優位を誇示する上で最も簡単で幼稚な行為だが、彼らがその恥を知ることはない。それが仕事だからね」
中谷が一際濃い煙を吐き出す。そんな様子を中島は細めた目で眺めていた。
「梔鉄哉という人間を警察官として交番に勤務させ続けた等の失態への批判は甘んじて受けるが、それで彼女らの罪が消えるわけじゃないことを忘れてはいけない。彼女らが行ったのは紛れもない重罪である殺人であり、たとえ被害者がどのような人物であったとしても、法で生きる保証がなされている以上は決して殺してはならない。
彼女らは禁忌を破った。そしてこれほど大事にしたことによる社会影響を考慮するならば、責任能力皆無として処罰対象から外されることなく……その罪に相応しい刑罰を受ける形でこの事件を終結させなくてはならない。幾分、見せしめの意味合いを含めてね」
「もしそうでなければここまでではないにせよ、同様の事件が多発する恐れがある、か。……嫌な世の中だ」
「だからこそ、僕たちがいるのさ」
果たして中島の言う〝僕たち〟が誰をさしているのだろうか。おそらく中谷も元川と同様の疑問を持ったことであろうが、それ以上訊くことはなかった。
鈍い振動音を発し、中島の携帯が震えた。彼は、失礼と口にしてから電話に出た。
元川と中谷はただ無言で窓から学校を見やると、ヘリが高度を上げて現場から遠ざかっていく。テレビを見るとどうやら二人が屋内へと入ってしまったらしい。
元川は視線を学校敷地周辺に落とすと、先ほどよりも野次馬どもがさらに多くなっているような気がした。そんな中にものものしいコンテナトラックが、サイレンを鳴らさずにパトランプだけ回しているパトカーに囲まれて進入、先ほど現場本部が設置されているとテレビで言っていた学校からすぐのファストフード店前にて停車。特殊犯捜査班か銃器対策部隊だろう。
元川が窓枠に置かれていた双眼鏡を取ってさらによく見てみると、それぞれ装備こそ似ているが、服装が黒の部隊と濃い紫の部隊、その二種類が別々の荷台から降りてくる。どうやら両方が到着したらしい。
さらにけたたましい音を上げて病院の上空を飛び抜けて学校近辺へ飛んでいくヘリ。青の基本色に入るオレンジのライン。機体に取り付けられた大型ライトが学校を上空から照らす。警察の哨戒機だ。
ヘリも部隊も到着した。ということはそろそろ現状打破のために大きな動きがあるということなのだろうか。
「……はい、遂行します。では」
パチン、と二つ折りの携帯を閉じ、ポケットにしまう中島はふむ、と左手の親指で眉毛をこするように掻く。何か考えごとをしているように、床を見下ろしていた。
「なんだ?」
元川は訊いてみるが中島は無言のまま視線を床から天井へ上げ、そして窓の外を見る。目線は学校ではなく、現場本部の辺りだろうか。
彼はボソリと、確かイチカワ君か、と呟く。
「ちょっと面白くないことになっちゃったみたいだよ。やっぱり向こうもプロだね。一〇分ほど前、例のカウンセラーの助手に動きがあったらしい。マスコミと接触するが、これを見張っていたこちらの人間が各個職務質問の後、双方任意同行で署に連行。時間を稼いでいるが、もう予断を許せなくなった」
「その助手とやらが喋るのが随分と早いな。プライバシー保護の精神はどこに行ったんだ」
「お金は魅力的だよ。エサを前に、待てをされた犬がいつまでもヨダレを垂らしたまま待ち続けるわけにはいかないさ。
……さてと。ちょっと現場本部まで行ってくるよ。こうなると上は一秒でも早く解決したいらしい。もう悠長に説得ができなくなった。指揮権が僕に転がってきたんで、今まで現場指揮を執っていた人たちに顔を見せに行ってくる」
中谷はフィルター近くまで短くなったマルボロを、もはや元川の病室には標準装備となった灰皿に押しつけた。
「書面上では一介の刑事に過ぎないおまえに指揮権か。肩書きで生きている奴らが卒倒するぞ」
中島は短く、そして小さく笑い、病室を後にする。
それを見送った元川と中谷は無言のまま二本目に火をつけた。ここまで状況に流されてくると冗談の一つも思い浮かばなかった。
「アイツ、どうする気ですかね」
「この種の立て籠りなら通常は時間をかけて落とすが、状況とアイツの言動を合わせて考えるなら突入だろうな。早期解決と及び腰ならぬ姿勢は立派だが……日本的じゃねぇ」
中谷は煙を吐きつつ横目で学校を見やる。
「……降伏するなら今のうちだぞガキども。早くしないと怖いオッサンが大挙して押し寄せる。狙撃手は籠城戦を覚悟した時点で負けなんだぞ」
そんな中谷の言葉は、当然彼女らの耳に届くわけもなかった。
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19:20
尾山に作業が終了したと言われたあたしたちは一階の守衛室にまで降りる。
さして広くもない守衛室で狸と一年男子二人がせっせと配線作業を行っていた。彼らが弄っているのは校内外に十数カ所設置された監視カメラの画像受信部だ。
モニターが置かれている台の下に四つんばいになって頭を突っ込む狸のお尻に、熱い視線を送っていた一年坊主の頭を引っぱたきつつ、あたしは尾山を探すが……いない。
「アイツは?」
「局長なら放送室の方でモニターを設置しています」
一年坊主が言うや否や尾山がダンボールを抱えて守衛室に現れる。
「悪いな、ちゃっちゃとやっちまうから少し待っててよ」
背中に汗染みを作ったシャツ姿の尾山は誰よりもきびきびと動き、早口で指示を出し続ける。腰にはシザーズバッグ……ではなく、大工さんが腰に付けているような本格的な工具を大量に詰め込んだバッグを揺らし続ける。
「局長、どう考えても放送室までコードが届きませんけど」
「有線で繋ぐ気はない。こっからトランスミッターで飛ばす」
「地下までは電波も届きませんって」
「受信部は階段のところに設置してきた。そこからは有線だ。細かいところは教授に任せろ」
教授とはとある一年生のあだ名だ。入局当初から誰よりも機械に関して知識があったので最初は博士と呼ばれていたのだが、眼鏡をかけていなかったことが原因で教授に格下げとなった男だ。
何となく彼らの作業風景を見ていると文化祭の前夜を思い出す。準備が全く間に合わなくて夜通しやって、時折内申点狙いで生徒会に入っている馬鹿たちと一戦交えたり……。
あの時も尾山はこんなふうに必死になっていたっけ。今はそうでもないけど、人に任せればいいのに自分で何でもかんでもやろうとして無駄にテンパっていた。
「よし、取れた」
ようやく台から顔を出した狸の手には数本のコード。尾山がすぐさまそれをトランスミッターに接続。それを台の下へ隠し、送信アンテナ部を拡張してそれとなくテーブルの上にポンと置いた。
出入り口に近い守衛室が仮に占拠された場合への対処なんだそうだ。モニター等の電源を落とすと傍目には何一つ動いていないようではあるが、実際には校内外に取り付けられている防犯カメラの映像が全て放送室へ送信されており、相手の動きが読める、という尾山の案だ。
彼は無線機を手に取る。
「尾山だ、放送室、聞こえるか? 映像が受信できるはずだ」
『……ぁい、聞こえ……ちゃん……れま……すよ』
地下にある放送室は毎度のことながら電波の調子がよろしくない。携帯なら問題なく繋がるのだけれど、全員の携帯電話はひっきりなしに関係者から電話がかかってくるので今は全員電源を落としていた。
よく聞こえなかったのか、尾山は今度は守衛室の内線を手に取る。これは有線なのでさすがに繋がる。
「……よし、あとで一応確認しに行くよ。ついでに放送室の無線機、どうにか繋がるようにしてくれと教授に言っといてくれ。……狐、呼んでおいて悪いんだけど、ちょっとオレ、電源いじくってくるわ」
「はいはい、おとなしく待ってますよ」
駆け足で去っていく尾山を見ていると、一体誰がこの立て籠りの主犯なのかわからなくなってくる。
狸が首を傾げてまじまじとあたしたちを見てくる。
「銃、見てもいい?」
もちろん、とあたしは手にしていた黒いタカミライフルを狸に渡し、彼女の制服についていた埃を払ってやる。
「結構軽いんだ」
「これは特別みたい。普通はもっと重いらしいよ」
ふーんと相づちを打って彼女は銃を構え、そして一年生にも持たせてやった。
「……ゴメンね、大変なことに巻き込んじゃって」
ナオが言うと、狸は微笑み、一年生たちは苦笑いをする。
「いやいいっていいって。気にしないで、割と楽しんでるから」
……結構無茶なこと言う娘だ。でもさ、と言うナオの口を人差し指でちょんっと押さえる。
「部長があんなにノリノリだし、私や一年生が嫌だ、帰るって言ったって、きっとやってたでしょ? なら、ね。のけ者になるより、内側で楽しんだ方がいいから」
踊らにゃ損、というわけだろうか。ひょっとしてこの娘……外の光景をまだ見ていないんじゃ……? ありえそう。実際の狸はどことはなしに間抜けのイメージがあるが、コイツにも言えることなのかもしれない。流れで取り返しのつかないところまで来てしまったという感じが漂う一年生たちのほうが状況を適切に理解しているような気がする。
プルル、と守衛室の内線が鳴る。あたしが取ると、尾山が放送室へ来てくれ、とだけ言ってブチっと切れた。あたしはため息一つ。一年生からタカミライフルを返してもらい、あたしとナオは放送室へ向かった。
そこは様変わりしていた。ただでさえ狭い放送室内は無数のモニターの数々、床を這う大量のコードに埋め尽くされていた。まるで漫画の中の司令部を無理やり小型化したような、そんな印象だ。
各モニターには防犯カメラの映像やテレビのニュース映像が映し出されていた。中にはあたしたちのさっきの屋上での行為を流している所も……。こうして第三者の視点から見ると何とも何とも……恥ずかしい。二人の一年生がそれとなくあたしたちを見てくると思わず顔が赤くなったのがわかる。ナオなどもう耐えきれずに俯いてあたしの後ろに隠れてしまっていた。
尾山が何やら指示を出した後、今度はハンディカメラを手にすると職員室でコーヒーでも、と言い出す。まるでゲームか何かのように一列になってぞろぞろと二階の職員室へ非常灯だけが灯る廊下を行く。
窓には中にワイヤーが入っているガラスがはまり、二階以上の階では転落防止用ということで手すりのように鉄パイプが一本窓枠に取り付けられているのだけれど、そのせいだろうか。今まで特に変だなとも思わなかったけれど、こうして外からの明かりが差し込む廊下を歩いていると少し不気味だ。妙に閉塞感がある。
二階の中央に位置する職員室へ着くと、ナオがちゃっちゃとコーヒーの用意。もちろんコーヒーといっても安物のインスタントに、水道水の電気ポット沸かしでしかないんだけれど。
準備ができたところで職員室横にある来客室に腰を落ち着けることにした。別にどこでも良かったんだけれど来客室は窓がなく外から覗かれることもないので、電気を堂々とつけることができる。
さてと、と尾山はあたしたちと対面したソファに腰掛けてカメラの準備を始めた。あたしはナオのタカミライフルともども壁に立てかけた。
「悪いんだけど、撮らせてもらう。一応の証言として……というよりは」
「わかってる。アンタたちは脅されて協力しているに過ぎない。これまでのことはあたしたちが指示したことで、アンタらはビビっておしっこちびりつつ協力させられた、でしょ?」
「うん、まぁそれもある。けど、俺の個人的な意味合いも含めて。何せこっちは覚悟してやってんだからさ。演劇部のバーナー勝手に使い切って防火扉の固定に防犯システムの勝手な改造。狸や一年生はオレが無理やりやらしているようなもんだから、せいぜい停学止まりだろうけれど、オレは退学になるかならないかでやってんだから何か記念にね」
言いつつ、彼はハンディカメラからチョロっとした頼りない短いアンテナを伸ばす。局費で購入したもので、撮影データを内部HDDに保存する機能の他に、無線LANによるネットワーク経由で動画を飛ばすことができるカメラだった。アレを伸ばしたということはHDDがいっぱいなのか、それとも放送室の面々に見せる意味合いで飛ばしているのかもしれない。さっき事件後局員に迷惑がかからないようにと脅迫している小芝居を撮った時は使わなかった。
「これか? カメラは押収される予定だからさ。こういうのは大丈夫なようにオレの家のサーバーにデータ飛ばすんだよ」
録画開始を示す赤ランプ点灯。尾山がカメラテストのつもりなのか、自分の顔を撮りつつ、日付やら時刻やらを述べ、そしてカメラをあたしたちのほうに向けてテーブルに置いた。
向けられたカメラに対して、とりあえずナオがVサイン。
「さて。じゃ、始めよう」
尾山がおそらくあらかじめ頭の中で用意していたであろう質問文が続く。先ほどの協力云々のくだりを経て、銃の入手からあたしたちが殺害した人間たちの名前を順に挙げていく。よくもまぁ当事者でもないのに覚えているなぁと感心してしまうような奴の記憶力。
あたしたちは特に隠す必要がないので最初のナオの兄に関してのみ回答を拒否し、それ以降に関してはどうして、どうやって殺したのかを淡々と答えていく。
途中でナオが紙コップのコーヒーに口をつけるも、とても残念な味だったのか、うぁと呻いてカップを置く。そんなのを見せられるとあたしは口をつける気にはならなかったが、尾山は大丈夫らしい。質問の合間にグビグビ飲んでいた。
最後にあたしのパパとあの女を殺した経緯について軽く述べて一応の質疑応答は終了した。心持ち全部というわけではなく、表面だけを軽く漁る程度の回答。それで十分のもあったし、全く足りないのもあったけれど、それ以上はナオと二人だけのものだから、言う気はなかった。何とはなしに尾山もそれに感づいている雰囲気もあったし。
ただそんなものであっても心の奥に閉じこめておいたものだから、なかなか思い出すのには時間がかかってしまった。どのくらい経っただろう?
尾山はボリボリと頭を掻いた。
「なるほど、と言っていいのかわかんないけど、とりあえずはわかった」
「アレ、随分とカンタンだね。普通はもっと、その時何々とは思わなかったのか、とかそういうふうに訊いてくるんじゃないの?」
ナオがきょとんとして訊いた。
「いざこうしてやってみると難しいんだよなぁ。訊かなければ質問者としては無能の烙印。でもそれ以上を訊けば質問側の主観によって必ず意図が質問に交じる。例えば綺麗事を抜かすようで何だけど〝殺す他に手段がなかったのか〟という質問は批判の臭いが出る。相手に対して心理的な圧力をかけかねないし、質問者と回答者の間に壁も作る」
あたしは少し笑った。
「殺人なんだから批判してもいいと思うけどね」
「自分で言うなよ」
尾山も笑った。
「でも、ま、もし手段がなかったのか、と訊かれればたぶん、〝ないわけじゃなかった、でもそれしか選べなかった〟って言うかな。他にきっと、いくらでも手だてはあったんだと思う。今回のことだけじゃなく、いろんなことにおいてもきっといろんな手があるんだと、そう思う」
あたしはカップに手を伸ばし、さっきのナオの反応を忘れて思わずカップに口をつけてしまう。酸味と苦みだけの泥水が舌を刺激する。
顔に皺を作ってしまったあたしの代わりにナオが言葉を続けてくれた。
「でも、手だてがあるっていうのはやっぱり客観的な意味合いでさ、第三者が見ればそうであっても当人は、例えばわたしやケイにも選べるかとなると難しいと思う。誰かにはできることが必ずしも誰しもにできるわけじゃないように、同じ状況になったとしてもそれに対してどうするのか、どうできるのかは人それぞれだと思う。……うーん、何か言葉がまとまらないなぁ」
「誰かにはできることが必ずしも誰しもにできるわけじゃない、か。なるほど。教授に聞かせてやりたいな」
一瞬何のことかわからなかったがすぐに自転車のことだと思い至る。教授は今現在自転車に乗れないのだ。別に太りすぎてるとか足がペダルまで届かないとかそういうことじゃなしに、理由はまったくわからない。乗って数メートル程度ふらついて走った後、必ずこける。
「結局はさ、多数決なんだよ。もちろん法律とかもあるけれど、みんながおかしいって言えばそれはおかしなことだし、当然だといえばおかしなことだとわたしが思っても、きっと当然のことってなると思う。……そしておかしいのは自分の方なのかなって、そう思い始めるんだと思う」
あ、とあたしは胸の中で呟く。危うく声にも出そうになった。
「でもね。ケイがいてくれるからかな、今は自分に自信が持てる。俯いて生きていくか、相手を殺してでも生きていくかってなった時、わたしは後者を選んだ。みんなおかしいって思うかもしれないけど、少なくともわたしにはそれしかないって思った。今でもそう。そしてそれで良かったと思ってる。だって、今、幸せだもん」
あたしはそっと彼女の頭に手をやって胸に寄せ、その髪を撫でる。流れとはいえ、彼女が自らの傷を少し抉ったような気がして心配だった。
「……一旦休憩にしよう。もう三〇分だ」
尾山はカメラを手に取って立ち上がる。
「どこ行くの?」
「質問の内容について考えがてら、ちょっと校内を撮影してくるよ。なかなか撮れるものじゃない。こういうのは好きなんだ、オレ」
小さな子供がオモチャ屋に来た時のように楽しげに笑う尾山を見て、あたしは苦笑う。そして危ない橋を渡ってまで協力してくれる尾山に心のうちで感謝するとともに、その時、何となくアイツのことがわかったような気がした。
尾山、と呼びかけると部屋を出ていこうとした彼は、なんだ、と振り返る。