「お巡りさんが持っているのがいつの写真かわからないけど、ケイって昔からこの髪型だったんだよね? ……なら大丈夫かな。編むだけでも印象は変わるよね。
……ケイがそう言ったんだよ、覚えてる?」
「もちろん。覚えてるよ。……昔のアンタの髪型かぁ。ちょっとなんかさ、懐かしいね」
そう、初めてナオと会った時、確かに彼女は肩のあたりまでの短い尻尾のような真っ黒な三つ編みをしていたっけ。
あたしの前の席がナオだったので。あたしから見ると彼女の三つ編みは犬か何かの尻尾のように見えていて、揺れるのを見るたびにガッと掴んでやりたくなるような、そんな髪型だった。
「ケイってこうすれば結構マジメそうに見えるかも。眼鏡でもあればいいんだけど」
「あれ? あたし普段からマジメだけど?」
ナオが笑う。こんな状況だけれど、やっぱり彼女が側にいると楽しい。
大丈夫、大丈夫。何とかなる。何とでもなる。
編み終わるとナオは持っていたハンカチでその先端を縛って大きなリボンを作ってくれる。完成……けど、あまり似合っていないような気がするのは慣れていないからだろうか。
「どう、ケイ? ダ、ダメかな?」
「まぁ、パッと見でわからなければ大丈夫だよ。うん」
何だかんだでグダグダになっていた化粧を直すとともに、普段よりも少し明るめに変更。髪型と合わせて印象は大分変わるけれど、果たして……。
念のためにあたしはトイレで待つことにし、トランクの回収はナオに行ってもらった。
次の電車から降りてきた客が見えるとともにナオはロッカーへ行き、トランクを回収。トイレ前まで来たところであたしと合流。ゾロゾロと蠢く人の波にもまれるようにして、押し流されるようにして歩き出す。止まることなく、押し進めることなく、流れに乗る。
こればかりはさすがにドキドキだ。できるだけ警官の方を見ないようにして歩き進める。手に紙を持って巡回していた警官の前へ。……声はかけられない。……抜けた。よし。
ガラガラとトランクのローラーの音を立てながらついてくるナオを意識しつつ、あたしはほっとして……気が緩んでしまった。ナオの顔を見ようとして振り返り、思わず視線が彼女の後ろに行ってしまい、偶然こちらを見ていた警官と目が思いっきり合った。しかも悪いことにヤバッと思ったせいで、勢い良く顔をそらしたから逆に挙動不審な振る舞いとなってしまう。
逃げるように歩きながら一瞬鞄の中にある90TWOを意識するが、こんな人の多い所で銃撃戦なんてやったら被害者がどれだけ出るか。……それはできない。
「……ケイ、ケイ……」
ナオが小声で呼びかけてくる。あたしは無意識に早足になっていたらしい。ナオが押しているトランクのキャスターは速度に比例して音も大きくなるから余計に目立っていた。
「ご、ごめん」
そっと視線だけで後ろへ目をやる。警官が一人、手持ちの紙を見ながらこちらに向かってくる。だがあまり早くはない。確信をまだ持てていないからどうしようかな、という感じだ。
あたしたちは駅を出ようとするも、そこにさらに警官がいたのでやむなく方向転換。どこに向かっているかもわからず駅構内をウロウロと歩いてしまう。
ナオがついてきてるよ、と小声で教えてくれる。このまま歩いているといずれ声をかけられかねないと判断し、やむなく駐車場へ向かった。まだハマーの鍵はポケットの中にあるのだ。
ナオには悪いけれど、もう一度ドライブといこう。
「ちょっと、君」
挙動不審な動きをしていたせいか、ついに警官から声がかかってしまう。あたしたちは止まらず、振り返らず、歩み行く。
おい、と後ろから警官。先ほどの声色と違ってそれには訝しみの色が濃い。
いよいよ小走りになって追いかけてくる警官の靴音。あたしは辺りを見回す。構内のそれと違ってこの駐車場への連絡通路は人気がない。
歩く速度を落としナオを先に行かせる。彼女が追い抜く際背中をトンと押すと彼女も理解してくれたようで歩みを遅めることなく進んでいく。それを見ながら逆にあたしは立ち止まる。
おい、という言葉とともにあたしの肩に置かれる手。その温もりが制服を通して肌に届くより早く、あたしは振り向きざまにその手を払いのけ、がら空きになった警官のお腹に蹴りを入れる。彼はグホっと呻いて身を浮かせ、帽子を床に落としつつよろめいた。
その隙に鞄から90TWOを抜いて警官の頭に銃口を向けた。
「静かに、動かないで。手を床に。殺したくない」
「……よ、よせ、やめるんだ」
思ったより若い警官は銃など突きつけられたのが初めてなのか、いきなり震えてそんなことを言う。状況的にも精神的にも上に立ったあたしは90TWOを左手に持ち替えると、四つんばいのようになっている警官に近づいて頭に銃口を押しつけつつ、彼の腰に手を伸ばす。何だか妙に取り出しにくいホルスターから抜き出したのは黒い小柄なリボルバー。銃種は違うがナオのと同じ三八口径だろうか。グリップ部分に紐がついており、持ち去ることはできなさそうなのでサムピースを押し込んでシリンダーをスイングアウトしようとするが……アレ? ナオのSP101だと軽く押し込むだけでシリンダーのロックが外れたのだけれど、この銃はそうじゃないらしい。少し弄ってると前へ押し込むのだと知れた。シリンダーのロックが外れ、スイングアウト。リボルバーの銃口を上へ向けると、スルリと簡単に弾薬が床に落ちて金属音を立てた。あたしはそれを蹴散らす。
「動いたら……殺すから。動かないで」
あたしはリボルバーを投げ捨て、90TWOの銃口を向けたまま後ろへ下がる。警官が静かにリボルバーの方へ手を動かしたのを見て、トリガーを引いた。銃声、そして床に弾頭が喰い込みキュンっと甲高い音を立てる。警官は手を引っ込める。
あたしは銃口を警官から外し、走り出す。90TWOがホールドオープンしていた。換えのマガジンはトランクケースか鞄の中……というより鞄の中に押し込んだ革ジャンのポケットの中だ。やむを得ずスライドストップを解除し、銃を鞄に放り込んで走るのに専念。
駐車場に進入し、ハマーの所まで走る。
「ナオ、早く乗って!」
「鍵はケイが!」
あぁそうか、とあたしはスカートのポケットから鍵を取り出し、ロックを解除。ワイパーの下に挟んでおいた〝ごめんね〟の紙を抜き去るとあたしは運転席へ滑り込んでエンジンをかける。ナオはトランクともども後部座席へ。
そこへ先ほどの警官が銃を手に走り込んでくる。抵抗するな、と足を震えさせながら言う。
「ナオ、伏せてて!」
あたしはアクセルを踏んで車を出す。警官が発砲。運転席側のサイドミラーが砕け散るが、あたしは止めずにそのまま車を走らせ、出口に向かった。
「ケイ、どうするの?」
ナオは助手席にやってくると、あたしが置いた鞄からSP101を手にした。
「とりあえず落ち着ける場所まで行こう」
本日二度目となる料金所の停車バーの破壊を行いつつ車道へ出る。するとどこからかサイレン。バックミラーを見ればそこにはパトカーが一台。あの警官、仲間に連絡を入れたか。無線機を壊しておくべきだった。迂闊だった。
「ナオ、銃の準備。一応ガスマスクとコート装着で」
そこの黒いハマー停まりなさい、とのパトカーからの警告。だが無論、無視。
あたしは前を走っていた乗用車に警告する意味合いで獣の叫び声のようなクラクションを鳴らしてアクセルを踏み込んだ。脇にどいてくれたのでどんどん速度を上げていく。駅前なので交通量は多いが、皆こちらが近づくと脇へと逃げ始めてくれる。
「ケイ、いつでもいいよ」
コート、マスクを身につけ、そしてストック、サプレッサーなしのタカミライフルを手にしたナオが言う。
「よし、やっちゃえ!」
ナオは後ろへ移り、後部座席を倒す。そしてやたらと広い荷台から観音開きのバックドアを開ける。バックミラーでは確認できないが追尾してきたパトカーの乗員はどんな顔をしているのか、簡単に想像がついた。
きっと、驚きのそれ。
ナオはラゲッジで腰を低くして構え、そして撃つ。サプレッサーなしのライフルの銃声が、エンジン音など風の音としか思えないほどに激しく響く。
ナオは反動を押さえきれずに銃口を上に向けつつ、尻餅をついた。
バックミラーの中でパトカーの右前輪がバースト。ゴムが千切れ、ホイールがアスファルトに触れて火花を散らし、スリップ。後続の一般車がこれに突っ込んで派手にクラッシュ。
「うっひゃぁ。ストックなしだと反動凄いよ。手が痛い」
ナオはグリップを握っていた右手を振った。あたしは笑って少し速度を落とす。
彼女はバックドアを閉めるとどこに向かってるの? と訊いてくるけれど、正直あたしが訊きたい。とりあえず逃げるのを先決としてしまったから目的地なんてあるわけもなかった。
今のも含めてあまり大きな通りにいると目立ってしまうのだけれど、脇道に入るとこの車体とあたしの腕でまともに走れるのか自信がないし……。道路上の青い看板を見るとこのまま行けばあたしたちの街へ戻るようだ。
「一旦街へ戻ろうか。土地勘もあるんだし、山道とかで車降りてさ、バスにでも乗ろうよ」
「安全運転でね。事故ったりして街まで戻れなかったら元も子もないよ」
なーにおー、とあたしは冗談交じりに怒ってみせるとナオはマスクをつけたまま笑った。
あたしは運転、ナオは追尾してくる車がないか後方監視に注意を払っているといつの間にやら渋滞に巻き込まれる。
ついてないな、こんな所で渋滞になるなんて……?
ブレーキをゆっくりと踏んで車体を止める。そして、あたしは目を見開いた。渋滞の先で数台のパトカーが道路上に横付けされ、検問が行われているのだ。
「うっそ、マズイ!」
当然こんな大型であるハマーの車体。辺りに無数の車があったって嫌でも目立つ。よく見れば検問している所から銃を抜いた警官が数名すでにこちらに向かって走ってきていた。
しかも悪いことに前後左右、一般車で囲まれてしまったためこちらは身動きが取れない。
あんだけ派手にやって見逃してくれるほど甘くはない、か。仕方ない。
あたしは助手席の鞄から90TWOを抜く。窓を開けて左手に握ったそれを走り寄ってくる警官に向けてトリガーを引く……が、弾が出ない。カチリと撃鉄が鳴っただけだ。
「アレ、何で!?」
思わず90TWOを見るあたし。あぁそうだ、そういえばさっき全弾撃ち尽くしたんだった。
弾薬は革ジャンのポケットの中だ。すぐには出せない。なら、無茶するしかない。あたしはギヤをリバースに切り替えるとともにフルアクセル。ウォンとエンジンが唸る。後ろに停車していた軽が悲鳴のようなクラクションを鳴らすが構わずバック。ガツンと衝撃、それでもなおアクセルを踏んで軽ごと後ろへ下がる。
「ケイ、無茶苦茶だよ!」
「しようがないじゃない!」
さらに鈍い衝撃。軽の後ろの車にまでぶつかった。さすがにもう下がらない。あたしはギヤをドライブへ。ハンドルを右へ切り、そして再びフルアクセル。停まれぇ! と警官が声を上げるが、排気音がそれを覆う。
ハマーは車線を外れて斜めに勢い良く進行、横合いの車の間を縫うように……というよりは狭い隙間にその横幅二メートル以上の巨体を力ずくでねじ込んでいく。メキメキと通常ではありえないような破壊音を上げて他の車を押しのける。
サイドウィンドウを開け、ナオは走ってきた警官の足下に向けてSP101を乱射。アスファルトの粉塵と警官の悲鳴が舞う。
中央分離帯へ辿り着き、その高さ数センチほどの段差をハマーは易々と乗り越え、植えられていた小さな木々をなぎ倒して反対車線へ。
Uターンしている余裕はない。あたしは対向車が迫る中、逆走を始める。
「ちょっとケイ!」
「大丈夫、この車体ならぶつかっても死なないって」
「相手の人が死んじゃうよぉ!」
グォングォンとエンジン音とともに速度を上げていく。あたしたちに迫ってくる車は皆車線を変えて避けてくれる。たぶん、いける。あたしはアクセルを踏む。
グァンと鈍い金属音を上げて検問していた場所からパトカーが一台中央分離帯を踏破してあたしたちの行く手を阻んだ。向こうも頑張る。
「ケイ避けて!」
「ゴメン、無理!」
「やる前から諦めないでよぉ!」
パトカーは道路を塞ぐようにして横付けしたまま停止。ドライバー席には警官の姿。このまま直進したらさすがに警官の身が危ないか。
「ったく、もう!」
あたしはハンドルを右へ切る、が、この車幅じゃ完全にはかわせない。速度は五〇キロ近い状態でパトカーのフロントに斜めに衝突。
かなりの衝撃が車体を震わせる。ナオがラゲッジを転げ回る。ハンドルが急激に左へと引っ張られ、タイヤが甲高く鳴く。リアウィンドウにヒビが走る。パトカーはコマのように回転しながら吹っ飛んだ。
ハンドル操作を取り戻し、さらにアクセルを踏む。こちらの速度が上がると正面から迫って来る車もかわすタイミングが遅くなってきた。このままではいずれぶつかるかも。
やむを得ず再び中央分離帯を乗り越えて通常車線へ戻ろうとするが、速度がついていたせいでジャンプ台にでも乗ったかのように車体が浮いた。着地の衝撃でナオが悲鳴を上げる。
「頭もうクラクラだよ〜! 安全運転でって言ったじゃん!」
「安全安全、ホラ、あたしたち無傷だよ!」
「……わたしたちはね……」
あれだけの衝撃を加えてもなおハマーはアクセルに従い速度を上げてくれる。どんどん検問から遠ざかるが……新たに二台のパトカーが喰らいついてくる。サイレンが迫る。加速は向こうのほうが上だ。
「まだ来る!? ナオ、お願い!」
彼女は外していたライフルのストックを接続。ボルトを操作。あ、と短く声を上げた。
「ゴメン弾切れ! 鞄を!」
あたしは助手席に置きっぱなしになっていた鞄を後ろへ放る。
ナオが弾込めしている間はあたしの腕だけで持たせるしかない、か。クソ、自信がないや。
パトカーが一台、ハマーの横を抜けていき、前へ出たところで助手席からリボルバーを手にした警官が腕を伸ばしてくる。あたしはハンドルを小刻みに切って車体を左右に振る。ナオが車内を左右に転がる。銃弾は車体を外れる。パン、パン、パンと一定間隔で五発撃ってくるが、スカンと金属音を立てたのは二発だけだ。しかもこうして普通に走っているのだから有効弾ではない。タイヤでも狙ったのだろうか。警官が車内に引っ込む。
バックミラーを見ると、後ろについていたパトカーの助手席から銃を持った腕が。今度は左右に振らずにフルブレーキ。耳を劈く鋭い音とともにハンドルに打ちつけられそうになる。運転席と助手席の間からナオが前部へ転がってくる。タイヤから白煙。迫るパトカーはハンドルを切るもかわしきれずにハマーのお尻に突っ込む。
後ろから押されるような衝撃に身を任せて再びアクセルを限界にまで踏む。ナオが後ろへ転がっていった。
バックミラーの中、後方のパトカーのボンネットは歪んで、砕け、車体は横転。パトランプが鮮血のように細かくアスファルトに散った。
あと一台。
「もう体中が痛いよぅ、ケイ〜」
「ごめん!」
ラゲッジのナオはそう言いながらも何とかマガジンに装弾し終えたようで、ライフルのボルトを引く。ナオは銃を手にしたまま何かを考えるように前を行くパトカーを眺め、そっとリアドアを開く。かなりの速度が出ているので彼女が手を離すと同時に風圧で勝手にバンっと閉じてしまった。
「ど、どうやって撃とう……?」
いくら細身で比較的全長が短いこのタカミライフルとはいえ窓から腕だけ出して撃つなんていうのは無茶だ。かといってハンドガンだとさっきの警官のように走りながらじゃまともに当てる自信なんてない。それにこちらは剥き出しだけど、パトカーはフェンダーでタイヤの大部分が覆われているから果たしてハンドガンの直撃だけで抜けるのかどうかわからない。
……どうする……?
「ナオ、助手席に来て。右側のフロントウィンドウ割っちゃおう。SP101!」
このハマーのフロントウィンドウは左右で分かれている。右側だけなら運転に支障はないはずだ。
ナオが手渡してくれる銀色のリボルバーをあたしは右手に握り、助手席側のウィンドウに向けて三発乱射。蜘蛛の巣状のヒビが走る。さらにもう二発放つが崩れ落ちはしない。
「あと、ナオ、できる!?」
「なんとかやってみる」
ナオは助手席へ移ると何故かシートベルト。
「何してんの?」
「もう転がるの嫌なの!」
ナオはあたしの手から空になったSP101を手に取るとそれで窓を叩き始めた。バラバラと細かな破片となって崩れていく。下の方に半円状に穴ができたところでSP101をしまい、彼女はそこからタカミライフルの銃口を出した。シートベルトのせいでまともに構えられないからか、銃身はダッシュボード上に置いての依託射撃だ。
前行くパトカーの助手席から腕が伸びる。
「ナオ撃てる!?」
「凄い、揺れ……。ケイ、距離取って、このスコープじゃ近すぎると狙えない」
あたしはアクセルから足を離す。パトカーの警官が銃を撃つ。ひび割れていた右側フロントウィンドウに新たに穴が空く。ナオのライフルにビビって直接狙ってきたな。
静かにブレーキ。パトカーとの間に距離ができる。ナオが先ほどの銃撃などなかったかのように静かな息を吐く。
ドン! っとその細身のライフルからとは思えない重厚な銃声。前行くパトカーの後ろ右タイヤが散る。先ほどと違い、火花を散らしてゆっくりと右側へとそれていった。あたしたちはその横を悠々と抜ける。
ナオが後ろを振り返り、後続がいないのを確認。
あたしたちは顔を見合わせ、ようやく、一息ついた。
街に着くとともにハマーは無人駐車場に乗り捨てた。またルーズリーフに〝ごめんね〟と書いてワイパーに挟む。車体はボコボコで、穴も空いて……今度こそ本当に許してくれないだろう。内装、駆動部はともかく、外装はもう総取っ替えしたほうが早そうな傷具合だ。
遅かれ早かれ警察は駆けつけてくるだろうからあたしたちは荷物をまとめ、ナオも普通の制服姿に戻り、急いでその場から離れる。
途中自動販売機でジュースを買って二人で乾杯。疲労感もあったけどそれ以上に満足感があった。充足感といった方がいいかもしれない。何て言うか凄く生きてるっていう感じがした。
警察をあんなふうになぎ払ったせいか自分たちが捕まるわけはない、なんていう確信に似た自信まで出てきた。ナオと一緒ならずっとこんなふうにやっていける、そんな気がした。
途中、タクシーを見つけたので止め、あたしたちは乗り込んだ。ナオが助手席にトランクを置いて、あたしの横に座る。
「どちらまで?」
「えっと……」
何となく荷物持って歩くのも疲れたなって思ったからタクシーを止めてみたものの、行く先を考えていなかった。あたしたちは顔を見合わせ、お互いのバカさ加減に笑い声を上げる。
運転手さんが「ガキの遊びに付き合っている暇はないんだぞ」とヤクザみたいな目で語る。銃口突きつけられるより怖いかもしれない。ナオが慌てて口を開く。
「と、とりあえず、学校まで。高校……高校をお願いします」
運転手さんが仕方がないといったふうにタクシーを出す。走り出してすぐパトカーとすれ違ったが、もちろん止められるようなことはなかった。
あたしたちは同時に大きな安堵のため息、思わず互いの顔を見合ってまた笑った。
料金メーターの下に取り付けられた時計を見るとそろそろ五時だ。
あたしは小さいナオの肩に寄りかかるように頭を預け、ナオもまたあたしの頭に顔を寄せた。どちらからともなく相手の手を握る。
たった四時間。久しぶりにパパと会って、あの女ともどもぶっ殺して、そして初めての銃撃戦やって、初めての運転をして、カーチェイスして……そして、初めてナオとのキス。
もう、いっぱいいっぱい。いろんなことがありすぎてこぼれ落ちてしまいそう。どこでもいいから一度ゆっくりと休みたい気分。このままナオの肩の上で眠ってしまいたい。
すぐに学校についてしまうとわかっていても、あたしは目を閉じる。
「着きましたよ」
無遠慮なドライバーの声。
ちぇ、もう少し気を遣って遠回りしてくれたっていいのに。
あたしたちはお金を払ってタクシーを降りる。とりあえず当初の予定とは大幅に変わってしまってはいるが……どうしよう。
「クリオネと……狐か?」
そう呼ばれ、見てみるとコンビニの袋を下げた制服の男。あたしたちをその名で呼ぶのは放送部員、それも呼び捨てとなると尾山しかいない。薄暗い空の下、彼はクシャクシャの髪と疲れた顔で立っていた。
「……なにしてんの、アンタ」
「いや、作業の途中でさ。今、だいたい終わって最後の仕上げやるために栄養剤と夕食を買ってきてたトコ。おまえらこそ何してんだよ、そんな荷物持って」
あたしたちは、と言ってみるものの説明のしようがなくて口ごもってしまう。
「まぁいいや。暇があるんなら放送室に寄ってけよ、画としてはほぼ見れるくらいにはできているから制作に関係していない人間の感想を聞いてみたい。よし、行こう」
割と自分のことになると押しの強い尾山だ。あたしたちはなんだかよくわからないうちに彼とともに校舎へ。いいのかな? というふうにナオが見てくる。
「うーん、まぁちょっと疲れてたし、ちょっと放送室で寝てこっかな」
「そうだね。そういえば毛布、先週、クリーニング出してたっけ?」
放送室には不思議なことに毛布、枕等の宿泊装備が整っていたりする。コンクール前とかだと泊まり込み作業になるのが恒例なので自然と常備されるようになったらしい。ただ……複数人が使うわけであまり女生徒が好んでかぶるようなものではない。
足を冷やさない程度にでも使おうかな。
……しかしながら、ほんのついさっきまで警察と戦っていた非日常から、急激にいつもの日常に戻ってきた。そのギャップになんだかさっきまでのは夢か何かのように感じられる。まるで遊園地から家に帰ってきた時みたい。
あたしを見上げるナオもまた、同じ感想らしい。顔がそう言っていた。
日曜の学校、それも夕方の五時となると本来普通の生徒は入れない。けれど玄関横にある守衛さんの所に行って正当な理由があれば入れてくれる。放送部は常連なので、尾山をはじめ、ほとんどの部員が顔パスだ。
蝶番が錆びて力を必要とするガラス戸を尾山がその逞しくない腕で押し開ける。
「ちわーす、帰ってきました」
そう言って中に入っていくと、強化ガラス越しに守衛さんと話す二人のスーツの男たちがいた。見知らぬ顔。だが、彼らが手にしていたあたしの顔が写った紙を見て、警察だと知れた。
彼らは入ってきたあたしたちに顔を向け、尾山、ナオ、そしてあたしへと順に視線をずらしていき、眉根を寄せる。
初老の守衛さんが、少しボケたような声で尾山の名を呼ぶ。
「確かぁ、海棠さんって子、君の所にいなかったっけ? あのホラ、身長の高い綺麗な子」
「海棠なら、こいつがそうですが」
ピッと親指であたしをさす、バカ尾山。あたしは自分の顔から血の気が引くのがわかった。ナオがあたしの肩から下がる鞄にそっと手を差し入れる。
警察……いや、物腰からして刑事というやつだろうか。まるでやり手のビジネスマンという風貌の男と、中小企業の冴えない営業みたいな男。二人は手にしていた紙とこちらの顔を交互に見やった。
非日常は、まだ、続いている。
「海棠、ケイか? 我々は警察の者なんだが……少し話を聞きたい。署に来てもらえるか?」
ケイ、とナオがあたしの名を小声で呟く。その声色は怯えや不安の類ではなく、いい? という確認のようなものだった。
見れば彼女の目は、あたしではなく刑事たちのほうをまるで狙撃する時に、スコープを覗くようにして見つめていた。恐らく鞄の中では差し入れた手に銃を握っているのだろう。
あたしたちはたいして広くもない守衛玄関の通路で、尾山を挟んでにらみ合う。銃を使えば強化ガラスの向こうにいる守衛さんはともかく、尾山が危ない。
一度あたしが外に連れていかれてから……そこでやるか……?
「待って、ナオ。……外に出てから」
小声で言うと、すぐに彼女も尾山への危険が及ぶことを理解したようで、鞄を受け取りそっとあたしから離れた。あたしは刑事たちを睨みつける。
「よし、それじゃ駐車場に車を止めてある。ご同行願おう」
二人の刑事が近づき、一人があたしの肩に手を置く。触らないで、とその手を軽く払った。
あたしは一度ナオの顔を見る。彼女は小さく頷いた。あとは……タイミングだ。
あたしは刑事たちに両脇を固められるようにしてナオたちに背を向けて歩き出す。だがそんなあたしたちを尾山の待てよ、の声が止めた。あたしたちは顎を引いて狼のような目つきの彼を見る。
「アンタら本当に警察か? 手帳見せてくれよ、最近は物騒で警察だって言って女をどうこうする奴がいるって聞いたことがある。あんたらもそういうのじゃないのか?」
刑事の片方がメンドクサイというふうに警察手帳を出し、見せつけた。生意気なガキが、と一言呟く。尾山は開くように言い、刑事は舌打ちする。確認し終えると、続けてそっちは、ともう一人の刑事にも同様に手帳を求めた。
「なるほど、確かに本物みたいだ」
「わかってもらえて嬉しいよ。それじゃ、我々は……」
「で、どういった理由で狐……海棠を連れていくんだ? 任意同行なら彼女には拒否する権利があるはずだし、それ以前にその説明も怠っているように見えるんだが」
「ドラマの見過ぎだぞ、おまえは。……そうだ、任意同行だ。海棠ケイ、おまえには拒否することもこの場合―――」
刑事が言い終わる前にあたしはそれに被せるように、竹を割ったように返答をする。
「同行を拒否します」
刑事二人の顔が曇り、ただ署で話を聞くだけだと言うが、そこにあざ笑うような口調で尾山が声を被せる。
「任意同行はその名の通りに任意によって行われるものであり強制力は有し得ない。であるから当然任意同行と言っておきながら拒否した相手に対し〝説得〟〝説明〟という皮を被った事実上の圧力をかけ、任意を引き出そうとするのは違法の疑いが強く、間違っても警察官に向かって声を荒らげた、体が触れたというだけの些細なことを公務執行妨害としてこれを検挙、連行するという悪質な手段はまっとうな警察官ならば行うことはない……いや、行うことはありえない」
尾山は最後を強調する。刑事たちの瞳に敵愾心の色が広がり、それを尾山にぶつけた。
「なんだ、おまえは」
「独り言が趣味なんだ」
刑事は舌打ちし、もう一度あたしに任意同行を願ってきたが、あたしは当然これを拒否。
「その後ろの大きな荷物はなんだ? 見せてみろ」
「服や下着が入っています。ですから、殿方には見せたくありません」
「こういう場合は女性警察官が必要かな。そういえばさっき彼女の肩に手を伸ばしていたようだが、セクハラの類では? 両脇を体格の大きい男たちに囲まれておとなしくしていた女性に対して必要な行為とは思えない。……だが、警察という立場を利用して己の欲求を満足させようとする卑猥な人間がこんな所にいるわけもない、か」
二人の刑事は舌打ちを残し、渋々と守衛玄関から出ていくが……歩きながらすぐに携帯を取り出し、どこかに電話をかけ始めた。
「行くぞ、狐。話が聞きたい」
玄関で尾山は靴を脱ぎ、それを手に持って生徒玄関に向かう。上靴に履き替えて戻ってくると、何してる急げ、とあたしたちを急かした。
ボケッとしている守衛さんに頭を下げて、あたしたちは放送室へ。途中で髪を解いて、首を振る。肩にかかった髪を後ろ手で払った。
放送室には狸こと清水と、一年が五名。狭い室内でギュウギュウ詰めだ。尾山はコンビニの袋を棚においてあたしたちともども収録室へ入る。
「マイクはカット、ちょっと狐と話したいことがある。気にせずに作業を続けてくれ」
彼は言うが、当然そんなことを言われて、はいそうですか、というわけにはいかず、ガラス越しの視線があたしたちに突き刺さる。
尾山は収録室の椅子に腰掛ける。反響防止のための絨毯に靴底を沈めながら、あたしたちはテーブルの反対側、彼に対面するようにして座った。
「何となく予想はできる。悪い方だけどな。アイツらは所轄の刑事課と、本部の捜査課の刑事だ。本来これらが合わさって行動するとしたら捜査本部が置かれている場合でしかなく、この地域で展開する捜査本部は……現在あの連続狙撃事件関係しかない。間違っても万引きや援交等で動くような連中でもなければ組み合わせでもない。さらにアイツらは狐の顔写真を所持していたことを考えるなら……相当喰い込んだところにいるんだな」
あたしはナオと視線を交わす。さっき助けてもらった恩もあるし、事実を述べたとしてもこいつならいきなり「お巡りさ〜ん助けて〜」とか言って逃げるようなこともないだろう。あたしたちは頷いた。
「犯人なの、あたしたち。さっきあたしのパパを殺してきて今まで逃げ回ってた。パパ殺す時に警察の人たちに顔を見られたから……だから、それで出回っちゃったんだと思う」
尾山はまるで予期していたかのように「そうか」と短く呟いて、両手で顔を揉んだ。
「悪いんだが、一分でいい、考える時間をくれ」
あたしたちが頷くと彼は授業中に居眠りでもするかのようなスタイルで机に突っ伏す。そして微動だにせず、そろそろ一分かな、とあたしが思った瞬間にムクリと起き上がった。
「もう少し寝ておくんだったなぁ。寝不足で迎えたくなかった。……何故、どうして、どうやって……訊きたいことはいっぱいあるけど訊いている暇はないよな。その荷物からして逃げる気なんだろ? なら急いだほうがいい。連中電話を入れていたところを見ると恐らく学校を包囲する気だ。
偶発的なタイミングだったとはいえ、本来任意同行はあまり好ましい行いじゃない。特に重要事件の際に実行に移すのであれば相応の人員準備が望ましいとされている。さっきも言ったけど任意同行は強制力を持たないがゆえに拒否が選択された後にその人物の逃走及び追い詰められたとして自殺してしまう可能性を高める。
おまえは拒否を選択した。人員を集めてる真っ最中だろう。完成させられたら逃げられない」
「でも任意同行だったら、また拒否すれば……」
ナオは言うが、尾山は首を振る。
「クリオネはともかく、狐の顔写真を持っていたということは、そう遠くないうちに逮捕状が出される。たぶん、確証はあるものの証拠が出ずに請求できないか、出されるのを待っている状態だったんだろう。……たぶん前者だ。後者であるのならば緊急逮捕という手段を用いることができたはずだ」
尾山はじっと、ナオが傍らに置いておいたトランクケースと鞄を見る。
「……銃、入っているのか」
ナオが頷く。
「だとしたらなおまずい。おそらく学校を出ると同時に、今度は呼ばれてきているであろう女性警官がその中を漁って不法所持ってことで即逮捕だ。仮に女性警察官が間に合わないとしても、ほとんど公の状態での派手な尾行が始まる。尾行なんて言葉から連想される、隠れながらという感じじゃなく、本当に文字通りピッタリと、あえてわかるようにくっついてくるはずだ。逃走させる気をなくさせるように、そして実際に逃走しようとしても完全に押さえられるように、と。犯人を苛立たせてボロを出させる意味合いもある。
できることなら見つからずに脱出したいところだが……学校周囲は見晴らしがいいからなぁ。仮に脱出できたとして、この辺りは駅まで行かないとまず人込みもない」
ちょっと待って、とナオが声を上げる。
「……あのさ、わたしが言うのも何だけど、局長は怖いとか、思わない?」
彼は目を瞬かせ、あ〜、と彼らしい間の抜けた声を出した。
「そういう見方もあるか。いやなに……こういう言い方は悪いんだが……あ、キタ、って思った。たとえるなら何か台風が来た時の夜みたいな? ……興奮してるって感じかな。疲れててあまり大きくリアクション取れないだけで」
「……わかるよーなわからないよーなたとえをありがとう」
「怖いか怖くないか、って言われても自分に向けられていない銃に怯えるほど臆病者じゃないよ。……オレを殺す予定は?」
あたしたちは首を振る。だろ、と尾山はしてやったりの顔だ。
「こんなのは滅多にない。できればゆっくりと話を訊きたいけど無理だな、無理だよな、仕方ない。どうにかしてここを出る方法を考えよう。それも早急に。まず出入り口だが……」
基本的に校舎の出入り口は正面玄関、職員玄関、守衛玄関と三つあるものの、これらは基本的に同じ場所であり、扉が違うというだけだ。残りは中庭へ出る非常口、一度体育館にまで行けばそこからグラウンドに出ることもできる。
「屋上に指揮を執る者を配置、情報を狐に送り続けて隙をついて抜け出すというのがこの場合基本だな。あとはタクシーを呼び、これに乗って脱出……だが、結局は降りたと同時に向こうさんがやってくるだろうし、難しいな」
頭を捻り続ける尾山に、あたしはあのさ、と話しかける。
「どうして……そういうふうに助けてくれるの?」
目の前にシリアルキラーと評された狙撃犯二名がいるというのに、この男はまるで平然と……いや、むしろ普段よりも熱心に助言をしてくれている。
「正直、仲間だからとかそんなカッコイイこと言えるほどおまえらと付き合いが長いわけでも関係があるわけでもないが……ただ、なんか、こう……楽しい。ウォウって声を上げたいくらいだ」
あたしたちは二人揃って、はぁ? と声をあげた。だってそうじゃんおかしいじゃん、それ。
「なんか気分がこう、乗ってるんだよ。文化祭? あの前夜のノリみたいな感じでさ。うずうずする」
「……わけわかんない」
でも不思議とこの男には違和感はない。何か、あ、尾山ならやりそうだなって思える。あたしたちでなかったとしても殺人事件の犯人と遭遇したら同じようにするんじゃないかなって気がした。
マイク横のランプが点灯する。放送室からの呼び出しがある際の信号だ。ガラス越しに見るとそこには守衛さん……と、先ほどの刑事二人、そして女性警察官が二人。
「……早すぎる」
尾山が唸るように呟いた。ガラスの向こうで、先ほどの刑事が向こうのミキサーマイク前で勝ち誇ったように口を開く。マイクは椅子に座った状態でちょうど良い高さになっているため刑事は腰を曲げる。その際上着の隙間から銃のホルスターが見えた。
『ちょうど近くに交通課がいて楽ができたよ。そのお嬢ちゃんが持ってるデカイ荷物の中身を見せてくれないか』
ナオが身を寄せてきて、あたしは彼女の細い腰に腕を伸ばして抱き寄せる。視線を刑事に向けたまま、あたしは訊く。
「オレはここまでだな。事実を知った上で手を貸せば、オレも犯罪者になる」
「そっか。いろいろありがと、尾山」
「どうする気だ?」
「わかんない」
あたしは微笑んで言った。ここで銃撃戦を演じるわけにはいかないから、どうしよう。
「それじゃ、何か訊きたいことはあるか? 今ならまだ助言だけはできる」
「うーん。ナオ、なんかある?」
「えっと……何を訊いたらいいのかな?」
あたしたちは顔を見合わせるけど、お互いの顔に答えが書いてあるわけもない。一緒に首を捻った。
「それじゃ質問を変えよう。おまえたちは、これからどうしたいんだ?」
「ナオと一緒にいたい」
「ケイと一緒にいたい」
あたしたちの声がハモる。尾山がため息を吐いた。
「訊いておいて何だが、こうなると正直、脱出は難しいと思う。強硬手段しかない。だが相手は曲がりなりにもプロだ。オレとしては銃撃戦を演じるよりおとなしく捕まって裁判で勝負をした方がいい、と、まぁいい子ちゃんぶるが言っておく。特に狐、おまえの親父さんなら……あ〜、殺したんだったか。……何かすげーな。……あ〜、とにかくおまえの家のように金があるんなら相応の弁護人を付けられるはずだ。無罪は難しいだろうが……」
『おい、どうした、何を喋っている?』
放送室からの刑事の声。
どうなるのだろう。どうするのがいいのだろう。
捕まっても構わない、なんて思っていた時もあった。あの女だけならともかく、パパも一緒に殺すのなら生きていてもしようがないって。だからこそパパを殺すかもしれないと思った時は面と向かって喋り、そして必要ならばせめてあたしの手で……と、そうと決めていた。
でも今はそうじゃない。逃げたい。捕まりたくない。
ナオと離ればなれにはなりたくない。一秒でも、一瞬でも……長く一緒にいたい。
あたしはナオの顔を見る。不安気に輝く彼女の瞳にあたしは頷いた。
「尾山、時間を稼ぐのは……できる?」
「……今ある案じゃ……少し派手になるぞ」
「今までも十分派手にやってきたよ」
あたしの言葉に尾山は苦笑した。
○
18:50
元川は中谷とともに病院へと走っていた。
駐車場での一件の直後、目撃者として本部、所轄にまたもやじっくりと事情聴取されていたのだが、ある時を境に急にほったらかしにされたので、逃げるようにして近くの定食屋に入って、彼は先ほどまで丼飯を喰らっていた。
するとどうだろう、店内に置かれたテレビで病室の窓からいつも見えていた学校とともにあの海棠ケイと梔ナオが映っているのである。まるでライブのステージのように学校の屋上で、二人してそれぞれ黒と白の狙撃銃を手にして立っているのである。風にスカートと髪を揺らし、堂々たる面構えで、二人がそこにいたのだ。
もはや飯どころではない。だが丼の中の飯を残すことは元川のポリシーに反するがために、冷たいお茶を貰い、それをぶっかけて一気に胃に流し込んでから店を出た。
中島に電話すると、元川の病室にいるらしく、署に戻るよりも現場に近いそちらに向かう。
六時を過ぎた病院はそろそろ夕食配膳の段であったが、皆数百メートル先で行われている事件に騒然としていた。
「中島!」
元川の部屋は照明が落とされ、薄暗い部屋は窓から入ってくる外からの街灯やまだ薄い月明かり、そして窓際に置かれた二台のノートパソコンのモニターが放つ明かりだけが光源だった。
「やぁ、遅かったね」
双眼鏡を手に、窓の前に当然のように立つ中島。うっすらと見える彼の顔は相変わらずの微笑だった。
「予想以上に面白くない状況だ。まさかこうなるとは思ってもみなかった。僕の仕事は君たちの失態とともに終了したとばかり思っていたんだけれど」
「どうなってるんだ、一体」
あの衝突をモロに受けていながらかすり傷一つなかった中谷はハァハァと息を荒らげたまま言った。
「君たちが逃した二人はその後派手なカーチェイスの末何故か学校に到着。偶然その場に彼女らを探していた特捜本部の刑事たちと遭遇し、任意同行を求められるもこれを拒否。その後荷物検査を行うために女性警察官を連れていったが、校内で部活動を行っていた彼女らも、所属する部活の部長を人質に取り、守衛ともども刑事らを校外へ追い出し立て籠った。中には二人の他に女生徒を含む七名の学生がいる。
そしてやっかいなことに、すでに現場を包囲しつつあった警察に対し、〝学校敷地内に何者かが侵入した場合、人質の身の安全は保証しない〟との文面を直接警察ではなく、マスコミ経由で送ってきた」
ババババ、と騒音を上げて病院の上空をヘリが飛んでいく。中島は窓からそれを見上げた。
「現場に到着したヘリで一番早かったのは警察ではなくテレビ局のものだったし、立て籠りを受けてそれに対する人員を最も早く現場へ派遣したのもテレビ局のクルーだった。これが面白くない」
「未成年だぞ、映していいのか?」
「いいわけないんだけど、限りなく黒に近いグレーという感じかな。少年法を適用しようにも犯人はいかなる人物であるかを警察は諸事情により断定していないから、あの姿なりで高校に立て籠っているものの、警察同様『まだわからない』とするスタンスを強引にこじつけて撮影しているようだ。報道協定を結ぶ事件内容ではないし、内情の説明義務が生まれるから、警察としてはそれはそれで痛いからね。かなり無茶だが、彼らも貪欲だよ」
「警察も見習ってもらいたいものだな。こちらのヘリはまだ到着していないようだし」
「というより、警察のヘリは今さっきようやく動き出したらしいよ。まったく、元川君の言うようにもっと仕事に貪欲になってもらいたいものだね。
なんせ立て籠りを知った上でも、まだ特殊班及び銃器対策部隊すらも上層部が揉めたせいで到着していない。今学校の敷地周囲を囲んでいるのは君たちの同僚、所轄の人間だ」
「どういうことだ?」
「警察側が完全に後手に回っている。要求をマスコミ経由にされたことで立て籠りが知れ渡り、世間という監視の目がついてしまった。早期解決のための強硬手段に出られないうえ、秘密裏に校舎に近づくこともできやしない。相手の火力や立て籠った状況から見て、なんとでもなった事態だったはずなのに、無理やり大事にされて時間を稼がれた」
中島は、見るかい、と双眼鏡を元川に渡してくる。元川がそのえらく高そうな双眼鏡を覗くと、状況は彼の予想以上に確かに大事になっているのだと知れた。
学校敷地の周囲は壁で囲まれているのだが、その周りに所狭しと人がわんさかいるのだ。そしてそれを管理しようとしているのが、機動捜査隊と制服警察官たちだ。しかも全員が校舎の外を向いて立っている。
「なんだありゃ。まるでアイドルのイベントじゃないか」
元川は中谷に双眼鏡を渡すと、彼もまた感嘆の声をあげた。
「いい表現だ。学校の周りにいる多くはマスコミでも警察でもない、ただの野次馬だ」
「狙撃犯だぞ。屋上からなら学校敷地周辺なんて完璧に射程範囲だ。正気か、連中」
「これまでの狙撃では乱射する、という行為が行われていないからね。割と安心しているんだろうさ。それに彼らが狙撃銃に関してその危険性をどの程度正確に認識できているのかも怪しいところだ。……ただ、それ以上に彼女らの効果だろうね」
「なんだ?」
「ちゃんと見たかい、あの海棠ケイと梔ナオを。二人ともそれでご飯が食べられるほど顔がよくできている。例の協力してもらった特殊な趣味な方々が言うには、地元のその種の人間にとっては割と有名な二人だったらしい」
どういう意味だ? と中谷は呟くが、元川には何とはなく理解できた気がする。
「だが、それにしたって何故ウチの連中は外を向いている? 無防備な背中を狙撃犯に向けているぞ、アイツら」
「さっきも言っただろう。彼女らの要求は〝学校敷地内に何者かが侵入した場合、人質の身の安全は保証しない〟。つまり、野次馬やマスコミが敷地内に踏み込むと人質に危険が及ぶ可能性がある。うまい言い方だ。〝警察が〟ではなく〝何者かが〟とすると、警察は万が一を考えて野次馬やマスコミの行動制限を行わなければならず、そちらに大量に人員を割く必要が出てくる。警察の動きを鈍らせるとともに、警察に守ってもらっているわけだ。あと、おまけで教えるとこの場に慌てて用意された盾は投石と拳銃弾くらいにしか対応していない。ライフル弾は簡単に貫通するからどのみち無意味だ」
人影が見えるな、と中谷が双眼鏡を覗きながら言う。元川も双眼鏡を借りて中谷の指示した場所を見てみる。学校はほぼ全ての明かりが落とされているため、はっきりとはしないが確かに窓越しに何やら忙しなく人影が動いているのが見えた。さらに東寄り、西寄りの窓では断続的に光るかすかな青い光までが確認できる。
「あれはね、どうも防火扉、もしくはそのロック部分を溶接しているらしい」
「なんだそりゃ」
「さっき現場から報告があった。階段の、一階を除く各階に設置されている防火扉を閉め、それに何か金属を当ててバーナーで溶接しているらしい。警察部隊の突入に備えてのバリケード代わりさ。海棠ケイ、梔ナオは屋上にいるから、誰か協力者か……もしくは誰かが脅されてやっているか」
「溶接したら当人らも動けなくなるんじゃないのか?」
「いや、大型の防火扉の場合避難者や消防隊の行動を制限させないために小型ドアが脇、もしくは扉そのものに内ドアとして設置、用意されている。それを活用すれば問題はないだろう」
「バリケードの意味がないだろう、それだと」
元川の言い分に、ヤレヤレと言った様子で中島はため息を吐く。
「……言ったろ、小型の扉だ。装備を付けた屈強な男たちにはやや狭い。当然そこを通る際には盾も寝かさないといけない上、一人ずつになる。扉の前で待たれていたら狙い撃ちだ。
破るにしたってあの学校が設置している古いタイプの防火扉は重く、固い。階段部と各階廊下とを区切るように展開する観音開きのタイプなんだが、携帯できる破壊槌なんかのエントリーツールで果たして突破できるかどうか微妙なところだ。ガンガンやっている最中に、扉越しにライフルを撃たれたら貫通してくるかもしれないから怖くてやれないよ。かといってこんな場所で爆薬を使うわけにはいかないし、使える人材もすぐには用意できそうにないしね。
シンプルで子供じみた手法だが安価で楽で、そしてその割に効果的。だが扉は各階と階段を断絶する意味合いしかないから階の移動はできるはずだけど、面倒なことには変わりないね」
「階段はトラップが仕掛けやすいことに加え、上を取られると何かとやっかいだ。危ないな」
「まぁ用意していると見るのが普通だよね。……誰かが指揮でも執っているのかな?」
●
19:00
『尾山だ、溶接完了までもう少しかかるから、今しばらくそのままで頼む』
尾山からかかってきた無線を伸ばしたヘッドセットで受ける。こちらも返答するがそれ以上の反応はない。ホント、自己中心的というかなんというか。まぁ、彼らを巻き込んでしまったあたしたちが言うのも何だけど。
あたしはため息。そしてスカートの腰に巻いたピストルベルトの位置を直し、そこに下がる90TWOが収まるホルスターをポンと叩く。
手にしたタカミライフルには銃声を隠す必要がなくなったのでサプレッサーの代わりに銃口にはコンペンセイターだかフラッシュハイダーだかいうものを装着。バレルが短く、軽量なこのタカミライフルだと効果はそれなりにあるらしいのだが、あたしにはよくわからなかった。
「なんか、凄いことになってきたね」
ナオがあたしの横でそんなことを言う。脇につけるショルダーホルスターを制服の上からつけるとあまりに彼女に似合わなかったので、今SP101は校内の鞄の中だ。
屋上から見下ろす景色はまるで観客席、ここは舞台の上。そんなふうに見える。
敷地の外に群がる大勢の人々、警察。歓声のようなざわめき。中には大きなボードに『Shoot me!』と書いてシャツに照準線を書いている少し危ない方々までいらっしゃる始末。
「そうだね。でもさ……」
周囲一帯から刺すような好奇、畏怖、嫌悪の目。学校に閉じこもるあたしたちを取り囲む、守ろうとしているのか、ただ恐れているのか、それとも虎視眈々と消そうとしているのかわからない大勢の人々。
「そんなに、普段と変わらないよ」
普段目に見えていないものが、ただあからさまになっているだけ、そんなふうにあたしには感じられた。
ずっとあんな目で見られてきたような気がする。何も知らないくせに、何もわからないくせに、自分勝手に思いこんであたしたちを評価して……そんな目で見てくる人たち。あの女も含めて周りにいっぱいいたような気がする。
だから、今も普段とそんなには変わっていない。
変わったとすれば、あたしたちのほうだろう。
今あたしたちに向けられている、いっぱいの目。でもあたしたちはそれを今は見下ろしている。彼らよりも高い所から、彼らにとって決して手の届かぬ位置から。
そして、今のあたしたちには手よりも長い狙撃銃があった。交わることのない距離、位置、でもあたしたちだけは彼らを殺すことができる。彼らにはそれができない。
それはなんとも気分が良かった。たまらない優越感。
あたしたちの一挙一動に彼らはざわめき、動き、必死になる。手にした銃のグリップを握り直すために少し持ち上げたら一斉に声が上がる。まるで彼らは操り人形のよう。あたしたちの小さな動きで大きく動く。
不思議。たったこれだけのことでしかないのに、まるで世界を丸ごと手に入れたみたいな気分。今までは物陰や暗闇に紛れて身を潜ませ、そっと覗いたスコープの中の世界だけをあたしたちは支配していた。でも今はどうだろう。地上から向けられる大型照明やテレビ局のヘリが照射するスポットライトであたしたちは夜という闇から離れ、光の中で壮美に立っている。
逆に他はどうだろう。闇に塗り固められ、群がり蠢くさまは波間に、漂う小さく哀れな泡沫のよう。見渡す三六〇度の景色、群がる人々、空間を埋める空気でさえ今あたしたちは支配している。そんな気がして興奮とともに何故か下腹部がキュッとする変な感覚。
高揚した気分は吸い込む空気を甘くする。体を風船のように軽くする。ノリの良い音楽でもかかっていればステップを踏んでしまいそう。
けたたましい騒音を上げてヘリが一機近づいてくる。機体にはテレビ局の名前。サイドのドアを開け、キャビンからテレビカメラを構える人。屋上とほぼ同じ高度で、勢いをつければ飛び移れそうな距離にまで近づいてきた。警察が拡声器で何か叫びだす。
あたしとナオは風で髪をクシャクシャにされながらも、その彼らの無茶な取材方法に思わず笑ってしまう。あたしたちは彼らに手を振る。するとカメラマンの後ろにいた人も笑顔であたしたちに手を振ってくれた。
ふと、カメラに撮られているということを意識すると、何となくあたしのイタズラ心がムクムクと胸の中で大きくなる。
「ねぇ、ナオ」
なぁに? とあたしに顔を向けてくる彼女。
「キスしよっか?」
「へ?」
ナオは驚き、その後しばらくして照れるように俯く。そんな彼女に手を伸ばしたあたしはゆっくり抱き寄せ、俯いた顔を上げるのを待ってからキスをした。
あたしは周りに群がる人々に、カメラの向こう側にいる人々に、そして世界中の人々に、今の興奮を、楽しさを、幸せを見せつけてやりたくなったのだ。
ナオもまた、唇を通してあたしの考えが伝わったように背に腕を回してきてくれる。互いに抱き合い、互いに唇を奪い合い、そして互いを想いながら、あたしたちは自慢するように長いキスをする。
かすかに触れ合うナオの華奢な足、力を入れたら壊してしまいそうな腰、あたしの頬を撫でる柔らかな髪先、溶けてしまいそうな唇、彼女が纏う優しさの香り。その全てが大好きで、愛おしい。
こんなにも素敵な人と想いが通じ合っている、こうして彼女を抱きしめながらそう意識した瞬間、あたしは本当に世界を丸ごと手に入れた気がした。
幸せを感じれば、誰もが世界を征服できるものなのかもしれない。
離れる唇、漏れる湿った吐息、近すぎてぼやけてしまう相手の顔。何もかもが甘かった。
ナオは一度カメラ、そして周りを見渡すと真っ赤な顔で、えへへ、と照れ笑う。
「見られちゃった」
そんな彼女にあたしも笑ってしまう。
「そうだね、見られちゃったね」
ナオはあたしの肩に額を乗せて、猫が飼い主にマーキングするように顔をこする。
「ね、ケイ」
「ぅん?」
「……みんなにさ、もっと、見せたげよっか?」
あたしは笑い、そして、カメラの前で二度目のキスをした。