「当然アンケートと題目を取っている以上、これを直接的な逮捕のキッカケとすることはできず、裁判の際にはこちらも痛手を負いかねない。そのため特定した後は犯行を行おうとするまで尾行し〝偶然通りかかった際に犯行が見えたため〟現行犯もしくは未遂として逮捕するのを基本とする」
確かに無茶な内容だ。かなり強引で、そのくせ割とアバウトだ。まっとうな刑事がやるようなことではない。
「そこでおれたちにその尾行を行え、と」
「そうだ。犯人がほぼ特定されれば確実に君たちに逮捕のチャンスがやってくるだろう」
「詐称だらけの経歴に、滅茶苦茶な捜査、強引な逮捕劇。そして自分はその花もいらないときた……おまえは一体何なんだよ」
中谷の呻くような言葉に中島はフフンと鼻を鳴らし、そして淀みない静かな口調で言う。
警察さ、と。
刑事でなく、警察官でもなく、彼は短くそう言い切ったのだった。
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12:30
ウチの学校の校舎は結構古くて、何度も増改築を繰り返しているらしい。ついこの間、創立三〇周年だが四〇周年だかのお祝いをやっていたけれど、本当に綺麗なので一〇年目と言われても誰もおかしく思ったりしないだろう。
ただ所々に昔の名残があるから、勘のいい人は、おや? と思うかも知れない。例えば給食があった時代に使用されていた小さなオンボロの貨物運搬用のエレベーターだ。ただしこれは名残であるとともに現役でもある。
人間用ではないので当然中は真っ暗で、中に階を示すボタンがあるわけもないが、これにイタズラ好きな一年生が乗ってその後で大目玉を喰らうという年間スケジュールには記載されない春の恒例行事に利用されるとともに、昼時限定で設置される四階出張売店の貨物運搬用に活用されていた。
また校舎は細長い一の字型をしており、その端に体育館がくっついていることで、航空写真などからは不格好なLの字状となっているのが確認できる。そしてLの字の中央部には裏庭、それらを囲むようにグラウンドと野球場。そして反対側には無意味に広い校庭と正門。
周りに背の高い建物がないおかげで見晴らしはかなりいい。丘の上にある綺麗な病院や、その後ろにある山々から流れてくる風はかすかに緑の香りすらして素敵だ。だから、天気の良い日は出張売店でパンやお弁当を買って屋上で昼食を食べたいと思う生徒は多いのだけれど、四階は三年生の教室で占められているため一、二年生は遠慮しがちになる。
実際あたしも少し気が引けて三年になるまで屋上で昼食をとることはあまりなかった。とはいえ今年の春からは三年だ。何の気兼ねなく、今日もまたあたしたちは焼きそばパンを齧ることができるステイタスを味わっていた。
競争率が高い、屋上に並ぶベンチの一つを二人で占領できたことで話が弾む。内容はどうでもいいことばかりだけれど。
天気も良かったし、少しだけ吹いている風も心地よくて、それで……かかってきた電話を、相手が誰かなんて全く注意を払わず出てしまったのだった。
「はいは〜い」
『……ケイか?』
パパだ。あたしは自分の表情が凍りついたのがわかった。年末に帰ってこないのか、と電話が来た時以来の低い声。
横にいてピザトーストを齧っていたナオが、電話の相手に感づいたらしく、心配そうな目であたしを見てくる。
『学校から進学についての三者面談の手紙が来ているんだが……おまえ、どうするんだ?』
言葉はどこか突き放したようではあるけれど、口調そのものは至って優しい。不器用なパパ。仕事しかできない人。そんなんだからあんな女にいいように取りつかれちゃうんだよ。
「どうって……進学、するよ。女子短大に行くって去年言ったじゃん」
『そうだが……随分遠い土地じゃないか。そうそう家に帰ってこられなくなる』
今だって、同じだよ。あんな女がいる所に近寄りたくない。もうママの部屋もない。パパと会ったってお互い気まずくなるだけ。だから帰らない。……帰れない。
『今週の日曜、まとまった時間が取れそうなんだ。手紙にも、家族で話し合ってから、とあることだし、今後についてゆっくり話さないか?』
手紙にあったから、か。きっとパパは学校からの手紙に首を吊れとあったら本当に首を吊るのかもしれない。こうしろ、と言われたら従順に従う犬のような人だもの。だからこそ、偉くなれたんだ、とパパは以前言っていたっけ。
まだ一緒にお風呂に入る年頃の娘に言う言葉じゃない。ホント不器用で、そしてちょっとバカ。あの頃のあたしにはパパは凄く偉くて、凄く立派で、凄く格好良く思っていたんだから、そんなこと、話さないでほしかった。
『一度、帰ってこい。ケイ』
ナオが、残っていたピザトーストを胃に流し込み、口回りについた油をティッシュで拭うとグイッと身を寄せてくる。電話の音を聞こうとしているようだが、そんなことしても聞こえないだろう。あたしは大丈夫というふうに彼女の頭をポンポンと叩いた。
「もう、帰り道なんて忘れちゃった。お菓子の道標もきっと小鳥たちが食べちゃったよ」
魔女がいないのならお菓子の家の方がずっと幸せ。家にはいじわるな継母がいるんだもの。そうじゃない、パパ?
『……ケイ……』
「どうしてさ、話すことなんて何もないじゃない。三者面談のほうは仕事が忙しくて行けないって、そう言えばそれでどうにでもなるから、だから……」
『私は、おまえが進学せずに家に帰ってきてほしいと思っている』
一瞬、パパが何を言い出したのか理解できなかった。驚きを通り越して唖然としてしまう。これなら今この瞬間に学校が爆発したほうがずっと簡単に受け止められるくらいに。
思わず手から食べかけの焼きそばパンを地面へ落としてしまう。麺が足下へ散らばった。
「……な、なに言ってるのさ、今さら」
『おまえもずっと一人でそっちにいたんじゃ寂しかっただろう。……こっちで、三人うまくやっていけないだろうか?』
ナオが、パンを落として空いたままになっていたあたしの手をそっと握ってくれる。あたしもまた彼女の手を握り返す。
「寂しくなんかなかったよ、全然。あたしにだって友だちがいるんだから」
『家に帰った時に誰もいないのは、辛くなかったか?』
「ママがいなくなってからずっと一人だったよ。あたしが家に帰った時にパパがいてくれたことなんて、どのくらいあった?」
電話からは、沈黙が聞こえた。
「言うのが三年遅いよ。ううん。もっと……もっと、全然遅すぎる」
自分で言っていて瞼の裏に涙が浮かんでくるのがわかる。まるで自分を攻撃しているみたいに胸が痛んだ。傍らにナオがいてくれなければ泣いてしまいそう。
「それに、絶対うまくなんてやっていけるわけないじゃん。あたし嫌いだよ、あの人。向こうも、あたしのことなんか大っ嫌いだよ」
『あの時は急ぎすぎたんだ。だが、高校が終われば時間はたっぷりある。ゆっくりと時間をかければわかり合えるはずだ。それに、あの時はまだおまえも子供だったんだ。今なら……』
「馬鹿にしないでよ! あたしがあの時子供だったから? じゃなにさ、大人のパパだったらアイツがママの部屋を滅茶苦茶にするのを笑って見ていられるの!? やめてって叫んでも無視し続ける人をただ馬鹿みたいに指くわえて眺めているのが大人だっていうの!?」
『……そうは言わないが、だが、他に方法はあっただろう。落ち着いて話し合うことだって』
「大嫌いな人間と作り笑顔で食卓を囲むことなんてできないよ、あたしには」
『とにかくそういうことを含めても、日曜に話そう。……そうだ、どうだ一緒に墓参りでも行こうじゃないか。私もおまえがいなくなってから行っていないんだ。久しぶりに行こう。それに大きくなったおまえを……』
「あたしは……毎年ママの命日にはお墓に行っていたよ。初めの年は朝から行って、暗くなるまでずっとずっといたのにパパは来なかったよね。会えるかな、って少しどこかで期待してたんだけど……。でも、忙しいから違う日に来ているのかもしれないって思ってた。……思うようにしてた。勘違いだったみたいだね」
『……すまない』
「何であたしに言うのさ。あたしに言ったって……今さら言ったって、何も変わらないよ」
『だがな、ケイ。人は離れていく。出会いの数だけ別れがあるんだ。もういない人を想い続けるのは辛い、そして想われる側にとっても辛いことじゃないか?』
「だ……だったらパパもあたしのことなんか放っておいてよ! もうパパとは離れたんだよ!?それに追い出したのはそっちでしょ!? だったら放っておけばいいじゃない! 辛いんでしょ!? だったら忘れちゃえば良かったじゃない!?」
『ケイ……もうおまえも子供じゃないんだ。聞き分けのないことを言うな』
「言われた通りハイハイ返事をするのが大人ならパパは凄く立派だね。あの女に貴方のお金が欲しいから結婚してって言われて、パパはハイって答えたんでしょ? 立派だよね、ホント。どうしたらそんなふうになっちゃえるのさ。どうして……そんなふうになっちゃったのさ……。昔は、もう少し、まともだったのにさ」
『とにかく一度ゆっくり話そう。日曜にこっちへ来られないなら私のほうから行ってもいい。……とりあえず一度かけ直す』
電話が切れる。携帯を持つ手がかすかに震え、ポタポタといつの間にか流れていた涙が顎先からスカートの上に落ちていた。
膝の上で携帯電話を握りしめ、俯くとますます涙が溢れてくる。悲しいわけじゃない。ただ、悔しさと憎さで……辛かった。そしてもう過去の人だと言われたママがかわいそうで仕方がなかった。たとえ嘘をついてでも、そうは言ってほしくなかった。
ママが元気だった時は、あたしがヤキモチやいちゃうくらいにベタベタしてたのに、それなのに……それなのにさ、そんなこと言うなんて、ひどいよ。ママがかわいそうだよ。
周りにどれだけ人がいようが関係なく、ボロボロ落ちていく涙。声を出してしまうのだけは無理やり押さえ込んで、あたしは泣き続けた。
ナオが何も訊かず、何も言わず、あたしをギュッと抱きしめてくれる。その力強さ、その温かさがあまりにも優しくて、また涙が出てくる。
ありがとうって言おうとするけど、まともな声にならない。ヒックヒックってなっちゃう。
でも、そんな言葉にでもナオは小さく頷いて、うん、うん、って言ってくれた。わかってるよって。そしてその小さな手であたしの髪を撫でてくれる。周りからあたしの泣き顔を隠すように、包み込むように。
もう、何もいらない。ママの想い出とナオさえいてくれればそれでいい。それだけでいい。
他の全てが、あたしには痛すぎる。