「おはよう、ナオ」

「ん……。アレ? ケイ、起きてたの?」

 今さっきね、と言ってあたしは頭に巻いていたタオルをほどいて、ドライヤーをかける。

「あ、ひょっとして起きるの待っててくれた?」

 ん〜、とあたしはあいまいに相づちを打ちつつ長い黒髪を乾かすと、続いて簡単な化粧で顔を整える。鏡の中にママ似の端正な顔。切れ長の目に、とがったあごさききつすいの日本人のはずなのに妙に白い肌。ニッと笑顔を作ると、人のそれより少しばかり尖ったが顔を出す。

 人によく言われるように、どことはなしにきつねに見える。笑ってさらに目を細めると、本当にそう見えた。

「お湯沸かしておくよ」

 目覚めの良いナオは、ダブつくあたしのパジャマを引きずるようにしてベッドから降りると、浄水器の水をやかんに入れて火にかけてくれる。そして二人分のレギュラーコーヒーと、どん兵衛きつねうどんをはしと一緒にテーブルに並べてくれる。毎度の流れなのでナオもぎわがいい。

「ケイさぁ、そういえば昨日終わってから、チェンバーから弾抜いたっけ? 確か抜いていないような気がするんだけど」

「あ、いっけなぃ」

 あたしはさっさと化粧を終わらせると、押し入れの中から昨日使ったハンドガンを取り出す。黒いセミオートマチックハンドガン。『銃』といういかつい感じというよりは、『ガン』というカタカナの方がしっくりくるような、近未来的なデザインのベレッタ90TWO。映画とかでよく見る、M92Fとかいうベレッタの銃のバリエーションの一つなんだとか。遠目に見ると大まかなデザインはどちらも一緒の黒い銃。けど細かな所でデザインが妙に近未来的というか、SFチックになっていた。

 スライドの右横にその名が刻まれているんだけど、どう見ても日本人には〝90TWO〟の〝90〟の部分がカタカナの〝ワロ〟に見える。

 撃てばレーザーでも出そうなガン。けれど、吐き出す弾は一七発の9ミリパラベラム9  パ  ラ

 あたしはマガジンを抜いて、スライドを引き、チェンバー内の弾薬を抜く。

 以前メンテナンスしようとして暴発させ、壁に穴をあけてからは部屋に置く時は必ずチェンバーから弾を抜くことにしていたのだけれど……昨晩は雨に濡れて寒かったし、何より初めて近距離戦をやった興奮がなかなか醒めなくって……。今後は注意しないと。

「ライフルの方も、かな。……あ、やっぱり」

 そう言ってナオはかばんにしまっておいたバレルのついてない、あたしの黒いタカミライフルのチェンバーから308ウィンチェスターのからやつきようを抜き取ってくれた。あたしはともかく、パジャマ姿の小柄な女の子であるナオがライフル弾の薬莢を指先に持つ姿はシュールに面白く、少し笑うと彼女は不思議そうな顔で首をかしげていた。

 こんな彼女だが、狙撃という一面だけ取ってみれば、あたしよりも彼女の方に軍配が上がるというのだから世の中わからないものだ。

 ピーっとやかんが鳴ってお湯が沸いたのを教えてくれる。あたしたちはそれぞれ銃をしまい、お湯をコーヒーとカップめんに注いでからテーブルについた。

 向かいに座るナオは、ミルクをたっぷりいれたコーヒーで胃を暖めると「くっはー」と、まるで風呂上がりのビールを飲んだ時のような声を出す。

 そして五分後、あたしたちはカップめんのふたをあける。ここ東日本では売っていない、通販で買った西日本仕様のこんのどん兵衛は、なまじなコンビニ弁当とかよりも好きだ。

「いっただきまぁす」

 厚いおげを箸で突っついて今一度汁にひたし、それから大きくかぶりつく。

 変わらない朝、いつもの朝食。

 人を殺した次の日でも関係なく、今はおいしくいただける。


     ○


1520

 では見てみましょう、とモニターの中で男が言うと映像はVTRへと切り替わった。映画のダイジェストのように映像が流れていく。

すべての始まりは二カ月も前に起こったじゆう試験場での強奪事件にまでさかのぼる。

 この試験場は自衛手段として銃器、主に個人での拳銃所有が合法化された直後に立ち上げられた国内ガンメーカーたかしやが所有する製品テスト用の施設である。

 四名の強奪犯は試作されていた狙撃銃二丁、試験場にいた社員及び警備員が所有していたハンドガン七丁、及び高倍率スコープ、減音器サウンドサプレツサー、競技用の特別精密に作られたライフル用弾薬約二〇〇発を奪取、会社所有の運搬用トラックで逃走した。

 これに対し警察は特別捜査本部を設置し、奪われた銃器、特に狙撃銃による社会的危険性の高さから、異例の最初期の段階からの大規模捜査員投入を決定した。詳細な人数までは明かされていないが、一部報道によればこの段階においてすでに数百人規模であったとされている。

 その後警察、強奪犯共に沈黙を守り続け約一カ月。

 さめの中、工場跡地にて行われようとしていた強奪犯と国内密売グループとの売買の現場に警察が強制介入、多数の死傷者を出す激しい銃撃戦が繰り広げられた結果、密売グループを制圧。しかし強奪犯四名はこれを脱出し、事前に敷かれていた包囲網を銃器を持ったまま車にて突破。しかし翌日、犯人の車は先の現場より約七〇キロ離れた山道にて発見され、強奪犯三名も車中で死亡しているのを確認された。警察の銃撃を受けた傷が原因と見られているが、しかしそんな中にあって全ての銃器と共に強奪犯一名がこつぜんと姿を消していたのだ。

 それから二週間後、ついに恐れていたことが現実となる。立番をしていたくちなしてつ巡査がけいを狙撃され死亡。貫通した弾頭は交番の壁にて停止、この弾頭に刻まれたライフルマークを調べたところ強奪された狙撃銃によるものと判明した。

 これを受け、警察官狙撃事件として鷹見社銃器試験場強奪事件とは別に新たな特別捜査本部をこの地区に設置するも、そんな警察をあざ笑うかのように、その後同市内の無職男性、高校生、教師と狙撃事件は続き、昨夜の繁華街での男性射殺に至るまでの計五人が死亡、そして現場に駆けつけた捜査員でさえも狙撃銃のじきとなる事態だ。

 しかし消えていた狙撃銃が今になって現れたのか? そして何故今回の狙撃事件は起こったのか? これらの疑問について警察の見解としては犯人は強奪事件の生き残りであり、仲間を殺されたことによる警察、ひいては社会全体に対する復讐目的ではないか、としているが犯人の詳細、そしてその真意はいまだ不明のままである。

 また奪われた銃器に関しては軽量化等による携帯に重点を置いた設計であり有効射程距離は約九〇〇メートル、奪われたスコープを適正に装備した状態であるのなら数時間程度の練習で素人しろうとでも二〇〇〜三〇〇メートル先のまとに容易に当てることができるであろう、とする情報しか公開せず、それ以上のスペックや外観などは試作型であり、社の利益に影響するとしてとくとしていることからもわかるように、鷹見社の危険物たる銃器の製造メーカーにとってあまりに無自覚かつ無責任なそのスタンスが世間の不安をより一層かき立てている。

 またこれら一連の事件を受けて日本各地で銃器所有自由化てつぱいデモの――』

 もとかわはテレビを消した。自分がどう報道されるのか気になったので見ていたに過ぎず、デモ等には一切興味はなかったし、事件の詳細な情報はテレビの中よりも頭の中にあった。

 何か考えようとすると〝狙撃〟〝死亡〟の言葉が頭の中を駆け巡り、撃ち抜かれた左二の腕を少し刺激する。未だ残るすい越しのじわりとした痛み。

 窓の外の青々とした空を見上げつつ思う。銃器を持ち去ったのは強奪犯の生き残りかもしれないが、一連の狙撃事件は別の人間がやっている、と。自分の聞いた女の声、小柄なあまがつ……それだけでもそう思う根拠にはなる。だが、本当にそう思うべきは狙撃そのものがす必要性だ。今の番組以外でもマスコミはあれこれと人々が興味を引くような予想を見せて番組を盛り上げているが、間違っても何らかの及び社会に対する復讐行為等ではない。

 何らかの理由があって、目標を選んだ上での狙撃だ。そうじゃなければみずからの居場所を特定されかねないほどに近隣で事件を繰り返し行う理由、そしてわざわざ面倒としか思えない目標を選ぶ理由がなかった。彼、いや、彼女らの狙いは何だろう。

「元川、入るぞ」

 その声に元川は思考を中断する。

 妙に広い個室病室の、大きなスライドドアをノックなしで入ってきたのは、しわくちゃのシャツとスーツを着た男だった。元川の先輩刑事、なかけんろう

「疲れた顔してるねぇ、本部の連中に絞られたか?」

「本部だけでなく、同僚たちにもやられましたよ。目が覚めてから今さっきまでひっきりなしでした。俺、今後事情聴取する時は優しくできそうです」

「初めての目撃者なんだ、仕方ないさ。いい勉強だったと思うんだな」

 彼は笑い、元川がまだ寝ている間に誰かが持ってきた見舞いのフルーツバスケットからバナナを取る。皮をき、もっちゃもっちゃとしやくしながら窓の外を眺めた。

「いい眺めだなここは。今度望遠鏡でも持ってこよう。風のイタズラをおがめるかもしれねぇ」

「中学生かどっかの変態みたいなこと言わんでください」

 元川に用意された病室は近隣で一番大きな総合病院の、その五階、角部屋だった。すぐ近くに喫煙室があるのにくわえ、東側と南側にそれぞれ窓がある上等な個室だ。東側の窓から見える、これからの夏を待つ、北の山から続く手つかずの若い緑茂る森の光景はなかなかに良かったし、緩やかな丘の上に建つおかげもあって、眺めの良い南側の窓からは数百メートル先の高校やその向こうに走る線路や駅、住宅街がよく見えた。

「そうは言うが、この病院の南病棟は人気があるらしいぞ。体が落ちついたら歩き回ってみろよ。売店にゃ売ってないが窓際に寝るじいさんたちに双眼鏡は必需品だそうだ」

 元川は首を伸ばして外を見やる。ちょうど下校時間なのか、青い空の下、校庭には制服に身を包んだ若者たちの姿、屋上にも男女数名の姿が見えた。中谷の言葉を信じるなら爺さんたちは今頃必死にレンズをのぞいている頃合いか。

「症状は聞いているのか?」

「えぇ。全治三カ月だそうで。命があっただけでももうけもんだと課長に言われましたよ」

「SIGについてはどうだ、ラッキーマン」

 もちろん、と元川は笑った。あの雨の追走、女に初めて銃を向けた夜。

 小柄な雨合羽が放ったライフル弾は元川の左胸を直撃していた。通常なら即死もまぬかれない状況だったが、P90を構えていたことにより、左腕に押されたわきのショルダーホルスターがやや前面に押し出されていたことで九死に一生を得た。まず使うことのないSIG P230JPを念のためにホルスターに入れていたおのれのマメさをこんなに喜ばしいと思ったことはない。

 7・62ミリのライフル弾はSIGのグリップ部に直撃し、元川のあばらを砕いたものの、に到達することはなかった。破損したその銃を先ほど課長から見せてもらったが、まだ使えるパーツよりももはや使えないパーツの方が多そうな破損具合だった。

 中谷はそうか、と一言つぶやくとバナナの皮をゴミ箱に捨てて今度はリンゴを手に取る。

「ありゃ記念品ってことで引き取れよ。宝物になる。さて、そんじゃまぁ本題に入るか。良い知らせと悪い知らせがそれぞれ二つずつ、そしてよくわからん話が一つだ。どれから聞く?」

「気分が悪いので、良い知らせから」

「お前は一週間ほど入院だそうだ。それも面会謝絶で関係者以外には会うなとさ」

「そいつは……悪い知らせですね」

刑事おまえの負傷により、上はさらなる数の捜査員の動員を決定した。強奪事件をかんかつとする署の人間と合わせるとかなりの数だ。強奪事件の方はおいておくとして、狙撃事件の多くはこの街を中心に起きている。ここまでくると大量の捜査員を放ったローラー作戦も同義だ。……意味、わかるか?」

 さぁ? と元川が肩をすかしてみせると、中谷は手で磨いたリンゴにかじりつく。

「持ってきた情報がまずかったな。女と子供らしき雨合羽。これだ。たとえ銃器を持っていたとしても、女や子供相手に大の大人が専属だけで数百、末端も含めればスゲー数になるというのに何も手を打てていないんだ。マスコミに叩かれる前にけりをつけたいんだろう」

「しかし情報なんて俺とは関係なしにれるでしょう。それとも一部の刑事だけにそれを知らせて、他は未だに何も知らない、とか?」

 冗談で言ったつもりだったのだが中谷が何も言わずにリンゴを芯だけにしてしまったのを見て元川はため息をいた。そんなことをすれば警らに回る大勢の制服警官たちがどんなに気を配ってもあの二人を見逃してしまうだろう。これまでの元川同様、強奪されたライフルを女子供が持っていると想定した奴が果たして何人いただろうか。実益を伴わない安っぽい見栄だ。

「……もう一つの良い知らせだ。おまえが組まされていた刑事な、捜査から外された」

「それはそれは。ようやく良い知らせを聞けた」

「まぁ建前は失態を踏まえた上での上層部の判断ということになっているんだが、実際は単に奴もこの病院で今寝込んでいる」

「は?」

「アイツ、あのあと青い顔して現場に駆けつけてきたんだが……おれがぶんなぐって鼻の骨をへし折っちまった。おかげで始末書を書かされた上に一週間のきんしんだよ。本部連中との空気が悪くなるから出てくるな、とさ。これ、悪い知らせの一つな」

「現場って……ひとのある所でケンカゴ タとかやめてくださいよ」

 そう言いつつ元川は笑った。きっと中谷は全部わかったうえで自分のためにこぶしを振り上げてくれたのだ。そういう人だ。彼が普段自分の相棒でいてくれることが素直にうれしく思えた。

「あと一つの悪い知らせは?」

「おまえが繁華街の外れで止めっぱなしにしていたオンボロのスカイラインな、アレ、車上荒らしにあってカーナビ持っていかれた。盗難届け出しとけ」

 そして本当に中谷のふところから姿を現す盗難届け。元川はかすかに頭痛を覚えつつもその紙を受け取った。

「……それで? よくわからん話っていうのは何です?」

「おまえがかつぎ込まれた直後、まぁつまり無理やり意識をかくせいさせられて犯人の話を聞き出した直後なんだが、またおかしな奴が特捜本部に出てきやがった。妙なコートに、えらく高そうなスーツを着込んだ色男だ。にせものみたいなれいな顔でずっと笑っていやがる。しかも課長も本部の偉い連中も何も言わねぇ」

「何です、そいつは」

「わからん。課長にいたが、何も言わずに禿はげあたまあぶらあせでテカらせていたよ。お偉いさんの坊ちゃんでも押しつけられたのかも」

 そいつは面倒だ、と相づちを打ちつつ元川も空っぽの胃に何か入れようとバスケットに手を伸ばし、なしを取る。ちょうどその時ノックの音。特に意識せずに元川は、どうぞと言って梨にかじりつき、そして現れた姿に思わず口を止めた。

 果たしてスライドドアを開けて現れたのは高そうなスーツに妙なコートをまとい、ヅラと化粧次第では女と見間違うほどのぼう、それをおおうは薄い眼鏡めがねと優しげな笑み。

 絶妙なまでのタイミングだった。

「失礼するよ元川君。たった今中谷君から紹介に預かったなかじまへいだ。よろしく」

 最悪だ、と元川は思う。面倒だ、と言った自分の言葉が聞かれたであろうことは確実だが、奴は笑っているのだ。普通笑わない。少し怒るか、せいぜい表情を抑えるものだ。だがコイツはそうではない。元川はそれが絶対的に立場が上の人間が下っ端の人間に対して見せるたぐいの笑顔なのだと判断した。ひどく優しげで、綺麗な笑顔ではあったが。

 本当にお偉いさんの息子あたりかもしれない。

 助けを求めるように中谷を見るが、彼は窓の方を向いたままブドウをつまんでいた。助けてくれる気はないらしい。

「悪いんだけど、例の狙撃犯について話を聞きたい。いいかな?」

 すでに本部刑事、所轄刑事それぞれに散々話した後で嫌気がさしていたが、元川には断るだけの勇気はなかった。

 中島と名乗った色男はコートのポケットに入れていた左手を抜くと、その親指で右の綺麗なまゆいた。笑顔のままに。


     ●


1530

 帰りのHRが終わったあたしとナオは、いつものように地下にある放送室へと向かう。途中階段で首を回すとポキポキと軽快な音が鳴った。

 昨夜寝たのが三時、起床が七時となるとさすがに一七の若さをもってしてもキツくて、最後の授業は机に突っ伏してばくすいしてしまった。体勢がおかしかったのか首がどうも……。

「ケイ、大丈夫?」

 そう言って彼女はぴょんぴょんと階段をスカートを揺らしながら軽やかに下りていく。

「しばらくすれば治ると思うけど。後でちょっとんでよ」

 オッケィ、と彼女は最後三段飛ばしで飛び降りる。広がるスカートがまるで衝撃をおさえたように、ふわりと降り立った。

 地下には倉庫や水道管理、配電室などの部屋があるものの、放送室以外に生徒が入れる場所はなく、ゆえに放送部員以外はまず訪れることがないのでひどく静かで、少し空気がひんやりとしている。私たちのうわきの音が反響する。掃除をしている階上のざわめきが遠い。

 放送室の前に着いて、窓から中を見ると真っ暗で誰もいないようだ。とすれば……。私は扉の上につけられた今は不点灯の〝放送中〟のランプの上に指をわせ、かぎを取る。部員しか知らない鍵の置き場だった。

 中に入ってドア脇の電気のスイッチをオン。放送室が浮かび上がる。そこはまるで昔の漫画か何かに出てくる悪の組織が使う秘密基地のようだ。新旧様々な映像、音響機器がたなに整然と並び、また別の棚には現行メディアから8ミリフィルム、果ては使いもしないLPレコードまでギッチリと詰まっている。床を這う無数のコード、隣の防音のしっかりした収録室とリンクする机形の大型ミキサー。乾燥した空気に少しばかりのホコリが舞う。

 あたしは安物のパイプに腰掛ける。するとナオが後ろについて首回りを揉んでくれる。

 気持ちいい。けれど、もう少し強めにやってほしいかな。彼女の小さい手にこれ以上を求めるのは酷だろうか。

 隣の収録室はあたしたちの部屋から大きな窓で見ることができるけれど、今は向こうの電気が落ちているため暗く、ガラスにはあたしとナオが半透明に映る。一七〇近い長身かつ長いのあたしと、一五〇程度の身長とその顔からか〝幼さ〟というイメージの強いナオ。あたしが椅子に座っていることを踏まえてもはっきりとその差が見て取れた。

「アーィ、どうも」

 びした声で入ってきたのは、その声そのままのどことなく間延びした顔の男、放送局局長、三年のやまだ。彼はかばんからバサリと何枚かのプリントをあたしに渡してくる。見れば〝春大会に向けたドキュメント番組『人工神経による再生医術』制作に関する今後の予定一覧〟とタイトルが書かれており、めくってみると作業工程がすべて列記されている。そして撮影の部分にはすでに〝済〟の文字。

「アレ、いつ撮影したの?」

「ここ一週間、学校が終わり次第研究所に詰めて撮影してた。内部へ入る許可は家族のオレぐらいしか取れそうになかったんで、一人でやっておいた。構成は一通りやってあるから、きつねとクリオネは終了ぎわの時だけ頼む。たぬきは今BGMを選ぶのに演劇部の方に交渉中。一年どもはとりあえず技術継承と、流れを理解させる感じで行こうかと」

 相変わらずのスタンドプレーぶりだ。頭が良いからなのか、単に親が医大の教授だからなのか、高校の放送コンクールにしては大き過ぎるテーマに加え、相談もなしに撮影を始める行動力。変に「皆の意見を尊重して……」とか言わない分、楽といえば楽なんだけど。

 とはいえあたしとナオは声を担当しているだけで、実質的な仕事をしないうえに顔を出すことも他の人より少ないから、たいして関係ないんだけど。

 なお、狐というのは当然あたしで、なんかいつもフワフワしているナオがクリオネ。それぞれ入部時に尾山が直観でつけた。ちなみに狸というのは……。

「局長、とりあず一〇枚ぐらいチョイスしてきたんで。あ、ケイ」

 扉を開けて入ってきたこの丸顔で、右の小鼻の横にアクセントのように一つの黒子ほくろ、残りの三年女子、これが狸ことみず

 それから一年生数名が入ってきて、尾山のプリントを読みつつ行動に移る。ダラダラ動きつつも、作業だけはきびきびと。そんな中にあって基本的に声しか担当しないあたしたちは割とこういう時はお客さん状態だ。作業に加わるのはたいてい仕上げの段階。

 しかもあたしたち二人とも去年の文化祭直前になってから、二年生もおらず人員が足りない、さらには部そのものがつぶれてしまいそうだからと清水に引き込まれたので立場は実質的に春に入ってきた一年生とさして差はなかったりする。

 CDをHDDにダビングしていた清水が例のプリントを手にしたままピタリと固まった。

「局長、土・日の作業が前提ですか……」

「そうしないと間に合わないからさー」

「私はすいせんだからいいとしても、局長はいいんですか? この次の週からテスト週間ですよ? 受験とか」

 清水がカレンダーとプリントを交互に見やった。

「いーのいーの。この時期まで来ちゃうともうテストの点とか俺の場合大して影響しないし。そもそも別に難しい所行くんじゃないから。締め切り的には来週の半ばまでできるけど、そうするとどうしても一年連中が参っちゃうからさ。それならラストは一気にやって作品そのものにも勢いをつけたほうがいいしさ、最後の大会だし、ちゃんとしたのを出しておきたいしね」

 ドキュメント作品にどうやって勢いをつけるのか想像がつかないけど、尾山が言うのならそうなのだろう。

「大学って、やっぱあの情報系のだっけ? もっと上ねらえたのに?」

 あたしが言うと彼は当然だろ、というふうにうなずいてみせた。

「別に、いい大学入るのが目的で勉強やってきたわけじゃないし、その先をえるとさ」

 尾山はテレビ局、それも報道系に行きたいらしく、そういう方面にコネのありそうな所に行くのだそうだ。姉妹校でマスコミ系の専門学校もあり、施設や技術も期待できるんだとか。

「狐とクリオネは同じ女子短大だっけ? おまえらはちゃんと勉強しておけよ。片方だけ受かるとか悲惨だから。特に狐は成績が微妙なんだろ。一応スケジュールに二人の仕事は早めに終わらせるようにしてあるから」

 確かにそう。あたしとナオは同じ食物栄養学科のある短大を志望校にしていて、微妙にあたしの成績がギリギリだったりする。二人とも大して行きたいわけじゃないんだけど自分が働くっていう感じもしないし、かといって無職でブラブラする気もなくって……とりあえず選んだ所だ。

 まぁ成績が悪いのは居眠りをチェックされたり、寝ぼけてる間に行われた抜き打ちテストなんかが足を引っ張っているだけだ。普段のテストの点数は問題ないので大丈夫だとは思う。

 その後何となく作業が忙しくなってきたものの、特にあたしたちにはやることもなかったので、生徒会から来た校内放送の依頼を一つこなしただけで、いつものように一足先に帰ることにした。元々緊急時の要員として入部し、一年生が入って安定した後もそのまませいで声の仕事をしているに過ぎない二人なのでみんなわかってくれている。

 校舎を出るとに広い校庭に風が舞う。校舎入り口から校門まで続くアスファルトの道。それ以外の場所は青々とした芝生が敷かれているだけで特別何もない。以前まで木々数本が植えられていたのだけれど去年台風が直撃した際に根こそぎ倒れ、撤去されてしまったので今や本当にただの広い庭だ。昼休みなんかに軽いスポーツをするのにはちょうど良かったりもするけど、正直何か欲しいところだ。

 校舎の裏側にあるグラウンドと野球場からクラブ活動をする威勢のいい声。カキンと金属バットがボールをたたく乾いた音。風に乗って聞こえてくる吹奏楽部のバラバラな管楽器のなまぬるい音。遠くから聞こえる自転車のベル。

 見上げるへきくう。はぐれ雲が遊び、数羽の小鳥が群れで飛び去っていく。すべてを見下ろし、ゆっくりと長くなる日は夏の訪れを無言のままに伝えてくる。

 夏。三年生はそろそろ受験勉強にエンジンをかけ始め、人によってはAOや推薦でそわそわし始める時期。就職希望の人は働き口を求めて着慣れた制服で行き慣れぬ街を歩く、そんな時期。

 それぞれが、それぞれの道を行くために、ずっと肩を並べていたクラスメイトたちがバラバラに動き始める季節。今までのように足並をそろえるのは終わり、自分は自分で、人は人なのだと知る。そんな季節がもうすぐやってくる。

 あたしは横に並んで歩くナオを見る。

「ねぇ、ナオ。昨日の場所、行ってみない? あと、ばあちゃんの所にもさ」

 彼女はうん、とうなずく。

 校門を出るとそこはゆるやかな坂。学校自体が傾斜のちゆうふくにあるのだ。周りは広く住宅街が囲み、坂を登れば大きな総合病院、降りれば駅。帰宅する学生の多くがそうするように、あたしたちも坂を下る。でも電車は使わずに一駅分向こうの街まで歩いた。ばあちゃんのお店に行く時はいつもこうやって体を使うのが二人のルール。

 線路沿いを二人肩を並べてしばらく歩き、繁華街へ。夜ともなれば輝かしいネオンの数々も昼間は粗大ゴミかのようににぶって見える。

 その場はあたしたちのような高校生、特に女子にはあまり好ましい場所ではないけれど、真っ昼間は不思議と敬遠したくなるような空気はない。大抵は夜に備えて店々のシャッターは閉まり、ゴミ出しの清掃業者がいるばかりだし。

「あ、あったあった」

 ナオの視線の先には〝立ち入り禁止・ KEEP OUT〟と書かれた黄色いテープで区切られた一角。制服警官を二名乗せたパトカー一台。きっと現場保持とかなんとか、そういうのをやっているのだろう。一晩も保持して一体何が出るのか、気になるところではあったけれど怪しまれるのも何なので、あたしたちはそれとなく視線を送りつつその一角を通り過ぎる。白いチョークで路面に描かれた人型があった。

 背中に視線を感じる。一瞬、ビクリとしてしまう。昨日あのくらやみの中で顔を見られたかもしれない、というほとんどありえない可能性に恐怖心がかすかにうずいたけれど、振り返って見ると警察官が車内からあたし、というよりもあたしの足あたりを見ているらしかった。

 制服を着ていてもしよせんは男だ。心が楽になると一瞬前の恐怖心がスリル的な面白さになって、楽しかった。あたしはわざと少しだけ短いスカートを揺らして歩いた。

 現場を通り過ぎるとナオが満面の笑みを向けてくる。あたしも笑顔で返す。最初の頃は現場に近づくのが怖かったけれど、でも、今や現場はあたしたちの作品展示場だ。きっとスプレーで落書きする人もこういう気分で現場を歩いたりするのだろう。

「いー感じだったね。でもさ、今度からは頭は狙わない方がいいと思うよ? アレ、遠目に見ても結構キツかったもん」

 ナオの言葉にあたしは頷く。

「ホントは胸を狙ったんだけどね。思ったより弾着が上にずれたの」

「上に弾着がずれるってわかってたのに? ダメだよ、ケイ〜。ちゃんと補正しなきゃ」

「っていうか、そういうんじゃなくて単に調整ミスだよ」

 昨日の夜を思い出す。

 雑居ビルの屋上。右ひざをつき、左膝を立ててその上に左ひじを寝かすように置いてその上に右手で握るライフルを置いた。覗くスコープ。夜とはいえ、明るいネオンに照らされた通りははっきりと、いや暗闇から明るい所を見ているので昼間以上にはっきりととらえられた。そして当初の予定通り、例の男をスコープの十字線レテイクルとらえ、呼吸を止め、トリガーを引いた。

 あの時はひとの多い場所での初の狙撃ということもあって緊張していた。それで距離を誤り、さらには雨だから多少落ちるかなと少し上を狙ったけど、さほど影響が出なかったというのもある。

「二〇〇メートル程度の射撃なんだから、計算式で考えずに感覚でできるじゃん」

「できる人はそういうことをサラっと言うけど、できない人には難しかったりするんだよ」

 えへへ、とナオは照れたように笑って耳元の金髪を指先でいじる。こういう顔をする時、彼女はいつも以上に幼く、そしてかわいく見えた。

 ナオがステップでも踏むように軽やかに足を進め、あたしたちは例の現場から数十メートルしか離れていないビル間に立つ小さなお店に辿たどり着く。古めかしい、けれど決して汚いとかボロイというふんのない、そんな昔ながらといったおもむきの木造店舗。靴底がこすりつけられたアスファルトと打ちっぱなしのコンクリート、けばけばしい看板に囲まれているせいかそこだけが異空間のよう。一〇代のあたしでさえ、懐かしさとあいしゆうを感じるのは何故だろう。

 細いこうじようの木材をじゆうおうに組み立てた引き戸を開け、〝いとま〟と書かれた紫のれんをくぐる。転がる鈴の音。迎えてくれるばあちゃんの優しい「いらっしゃい」。

 店舗は本当に質素な昔ながらのお店といったふうで、使い込まれた四人程度が座れるテーブルがたった二つとカウンターの四席しかない。今はそのどれもが空いていたので、あたしたちは一番奥のカウンターに座った。

 カウンター越しに腰の曲がった和服のばあちゃんが、再び「いらっしゃい」と言ってくれる。

 お茶を渡してくれる、人生を刻み込んだしわだらけのれいな手、あたしなんかよりも何倍も月日を重ねてきた人であるのに、かわいらしいと思ってしまう笑顔。そんなちょっとしたことにあたしたちもまた笑顔を誘われる。

 メニューを見ることもなくあたしはクリームあんみつを、ナオはクリームみつまめを注文。ばあちゃんがカウンターの中に入り、準備している間あたしは壁に掛けられた写真を見る。遑屋を写したモノクロ写真。お店の周りにはビルなんか一つもなくて、お店の前には和服の男性と女性そして小さな女の子。以前聞いたところだとその女の子がばあちゃんなのだという。

 お店に入る前はこの遑屋が浮いているようだったのに、この写真を見るたびに外のコンクリートのかたまりの方こそが異質なのだと思えた。

 そうこうしているうちに、ばあちゃんが注文の品を運んできてくれる。特に何も言わなくてもあたしのあんみつにはこしあんではなく粒あんを、そしてナオにはたっぷりのくろみつを持ってきてくれるづかいがうれしい。

 バニラビーンズの黒い小さな粒が入った少し硬めのバニラアイスをスプーンですくい上げ、口に入れる。濃厚な甘い香りが口内とこうを溶かす。でも主に舌が感じるのは冷たさとコク。さっぱりという以上に甘みはほとんどない。バニラビーンズそれ自体は甘くはないし、ここのはフルーツやあんと一緒に食べることを考慮して砂糖は極力おさえてあるのだという。あたしは多少見た目が悪くなるのは覚悟で、ボールのようにコロッと入っていたアイスを崩してフルーツにませ、さらに粒あんとも混ぜ合わせる。いつもの食べ方だった。

 そんなふうにしてあたしたちは甘味にしたつづみを打ち、ばあちゃんの昔話に耳を楽しませる。甘味がなくなったって、それから一時間以上もゆっくりとしてしまう不思議なお店だ。

 お店に少し派手な服装の女性が二人入ってくるのを見て、あたしたちはそろそろ帰ることにした。これからこのお店は夜に働く人たちが訪れる時間だ。まるで時報が鳴って家に帰ってくる子供のように続々とやってくるのだから、これ以上注文する気のないあたしたちが席を占領するのは迷惑になる。

 お会計を終えると、ばあちゃんはほおに手を当てた。

「最近は物騒だから、ぐに帰るんだよ。見たと思うけどちょっと行った所で事件があったばかりなんだから」

 その言葉に、テーブル席で上品にお茶を飲んでいた女性が顔を上げる。

「でもさぁ、死んだのってこの辺うろついてたスカウトでしょ? ビビって出てこなくなったら逆に治安良くなるかもしれないよ。特にそこのお二人みたいに若い子にとってはさ」

 あたしたちは笑った。確かに、そう。ばあちゃんの店にちょっと長居してしまうと本当にしつこいのがからんでくる。特に昨日殺したやつとか、マンションにまでついてきかねない勢いで、毎度毎度ひどかったし。

 お店を出ようとすると女性があたしのおしりを触り、そしてもう一人の女性がナオの頭をでる。就職に困ったらウチへおいでよぅ、と笑顔で言う。冗談交じりのスカウト。こういう手合いなら楽しかったりもする。人柄の差なのかもしれない。

 あたしたちは笑って受け流し、ばあちゃんに「ごちそうさま」を言って店を出る。すでに日は落ち、繁華街のネオンが光って一層空を黒くしていた。

「ね、ケイ。ここの裏側も見ていこーよ」

 ナオの言う裏側が一体何のことなのか、一瞬わからなかったもののそれが昨日、あたしを追いかけてきた私服警官をナオが倒した所だとしばらくしてからわかった。

 あたしは自分の所だけを見て満足していて、すっかりそっちまで頭が回っていなかった。ダメだな、あたし。

 ごめんね、と軽く謝ると彼女はきょとんとする。たまにナオの間の抜けた所が愛らしい。

 あたしたちは昨夜と同じようにビルの合間にあるけものみちのような所を通り、一本向こう側の路地へと抜けた。さっきまでのネオンが遠く感じるほどに暗い、冷めた通り。まばらな街灯、そしてひとのなさがそう思わせるのだろう。

「アレ? アレレ?」

 先を行っていたナオがクルクルと左右を見渡し、テトテトと辺りを走り回る。

「ないよ? 白線とか、黄色いテープとか」

「ありゃ? ない……ね。確かにそこの路地を抜けて、警察もそれを追ってきていたから、この辺にあるはずなんだけど」

 顔を見合わせたあたしたちののうに、もしや、という可能性が浮かぶ。

「え、でもでも、ちゃんと左胸に撃ち込んだよ? 立ち上がろうとしてたから、念のためにもう一発撃ったんだし。えぇー、絶対撃ち抜いたよー」

 ナオがそう言うのなら、そうなのだろう。二発目も撃ったというのなら、一発目をらった姿をスコープで確認しているということだろうし。確かにこの通りは暗いけど街灯がないわけではないので、多少距離があっても十分に見えたはずだ。

 ライフル弾となると確かけんじゆうだんのそれとは違い、おおぎような防弾装備でもなければ防ぎきれないはず。あたしが見た限りでは、普通のジャンパーを着込んでいたけれどその下に何か装備があるようには見えなかった。

 では、いったいどういうことだろう。たまたま重要臓器の間をったとか? ありえそうで、なさそう。でも、現場がこの状況だとすればきっと一命を取り留めた、ということなのかもしれない。別に殺す必要はない人だったので生きているなら、それはそれで喜ばしいことではあるけど。

「えぇー。絶対やったよー。ホントにホントにちゃんと当てたんだから」

「はいはい。ナオが言うなら信じるよ」

「うわっ、絶対信じてないじゃん! それぇ」

 ムキーと絵に描いたように彼女は怒る。本当は十分に信じてるんだけど、その様子が面白いので少しいやらしめにケタケタと笑ってみせると彼女はさらに怒る。そんな彼女に今度は普通に笑った。

「ねぇ、何してんの、こんな所で」

 とうとつに聞こえてきた男の声。あたしたちはビクリと驚き、あわてて辺りを見渡すと若いかそこらの男が三人、狭いビル間の闇から姿を現した。

 どう見てもたまたま通りかかったというふうじゃない。きっとあたしたちがこの通路に入り込むのを見ていてついてきたのだろう。

 高校の制服を着た二人が怪しい通路に入っていくとなると興味を引くものなのかもしれない。いや、そんなことを言っている場合じゃない。話を……聞かれた?

 なにさ、とあたしはあからさまなけんを顔に出して言ってやった。ナオがあたしの背中にさっと隠れる。

「うぉ、おっかねぇ。一瞬ですげーするね、君」

 そんな言葉とは裏腹に笑う三人。しやべっていた奴の後ろにいた一人が、ひまなら遊びにでも行かない? と誘ってくるがあたしたちは当然NO。まだ夜になりきれない空の下、男三人でたむろして女を誘うにはそれ相応の理由があるに決まっている。頭が悪いとか、足がくさいとか……いっぱい思いつくけど、長くなるので以下略。

 最初に話しかけてきた黒い革ジャンの男がどうもリーダー格らしく、あたしが何度も拒否を示しても、でもさ、とか、いやだからこそ、とか話の筋が通らない返答を繰り返し続ける。いい加減そのウザさにキレそうになってきた時、その時になってリーダー格の男の後ろにいた二人がいないことに気がついた。彼らはいつの間にやら左右に分かれ、あたしたちを微妙に取り囲むように立っていた。

 片方の男が、ナオの背中にそっと手を伸ばす。

 リーダー格と言い争っていたことでナオから少し離れていた自分のミスだ。あたしはやめろ、と大声を出そうと息を吸うも間に合わない。

 後頭部に目なんてついていないナオは不安気にあたしを見ていた。彼女の肩に男の手が置かれる。軽く抱き寄せられたかのようにナオの体が後ろへ下がり、その背が男に触れた。ナオの目がいっぱいに開いて、男の顔を見上げた。

 決して強く抱き寄せられたわけじゃない。軽く後ろに引かれ、後ろに一歩よろけた程度。あたしなら触るな、の一言で終わる。けれど、彼女は……ナオは、そうじゃない。

 彼女は男を見たまま膝を震わせ、大粒の涙をこぼす。くちびるがわなわなと震えて声にならない悲鳴を漏らす。それは声帯が震えずに、ただかすれるようにあふれた。

 あたしは持っていたかばんでナオの肩に置かれた手をはたき落とし、続いて男の顔面に全体重を乗せたこぶしを叩き込む。男はよろめき、しりもちをつき、押さえた鼻から血が噴き出した。

 ナオが糸の切れた操り人形みたいにアスファルトに落ちる。あたしは支えようとするが間に合わず、彼女の白い膝はアスファルトで傷ついた。

 鞄を投げ捨てたあたしはナオを前から抱き、落ち着かせようといっぱいに腕に力を入れる。ナオの呼吸の乱れ方がひどい。

「大丈夫、大丈夫だから、落ち着いて」

 ナオはただ、不調和で荒々しい呼吸を繰り返し、もなく涙を流し続けてあたしの黒髪を湿らせた。

 男たちは驚き、そしてあたしがぶん殴った奴が怒声を上げるといつせいに攻勢に出る。なにしやがる、と次々に怒鳴った。

 そして遠慮なんてものがこれっぽっちもない言葉をあたしたちに叩きつける。そいつ頭おかしいんじゃねぇのか、立てよ、ぶん殴ってやる――。

 あたしは見下ろしてくる男たちをにらみ上げる。

 さっきは不意をついたからうまく殴れたけれど、果たして次もうまくいくだろうか。くそぅ、90TWOがあれば二秒とかからずに全員に風穴空けてやれるのに。

 このまま何もせずに抱き合って震えているわけにはいかない。

 ナオを抱いていた腕を解き、一気に立ち上がるとあたしは一番殺気立っていた鼻血の男の脇腹めがけてりを放つ。が、簡単に受けられ、足をつかまれてしまう。一本立ちになったもう片方の足に、リーダー格の男が足払いをかけ、あたしはアスファルトに背をぶつけた。足は持たれたままだったのでスカートがめくれ上がる。何もしていない男が短く口笛を吹く。

 痛む背中もかまわず、鼻血男のかんめがけて靴先で突く。今度はモロに入って掴まれていた足が離れる。鼻血男が倒れるようにうずくまった。

 あたしはナオの手を取って逃げようとするのだが、ナオは立ち上がろうとはしない。いや、立ち上がれないのだ。そうこうしているうちに残りの二人が行く手をはばんでしまう。

 いつの間にやらリーダー格の手には刃渡り一〇センチほどのナイフ。股間を蹴り飛ばしてやった鼻血男が後ろからぶっ殺してやると怒気を込めて言う。安い台詞せりふだけれど、今の状況であたしに冷や汗をかかせるには十分な迫力だった。

 さっきから何もしていない男があたしに手を伸ばし、馴れ馴れしく肩に手を置く。その手を払いたくても、あたしの視線の先にある街灯を照り返すナイフがそれを押さえ込んでいた。

「別に取っておうっていうわけじゃない。先に暴力振るったのはそっちなんだし、ちょっと謝ってもらうのが筋ってもんじゃない?」

「先にナオに手を出したのはそっちのくせに、偉そうに」

「手を出したっていっても何もしてないだろ。手を置いただけで、それだ。そいつどっかいかれてるんじゃねぇのか?」

 ナイフちらつかせて脅す連中とどっちがイかれているっていうんだ。

 ナオは……まだダメだ。あたしの手を掴み続けているものの、一向に立つ気配なく、ぺたりと座り込んだまま震えている。

 そうこうしていると鼻血男が文字通り立ち直り、顔を怒りに赤らめてナオを見下ろし……手を伸ばした。

「やめろ!」

 ナイフのことなど一気にあたしの頭から飛び去り、再び殴りつけようとしたけれど、二人の男に体を押さえられた。ナオがおびえた目で鼻血男を見上げる。彼女に伸ばされた手がえりもとを掴み上げた。

「やだよ、やだ、いや……お兄ちゃん、やめて」

 か細い、消え入りそうな声で哀願しながらナオは首を振る。

 何とかしなきゃと必死にあたしはもがく。けれど二人の男の腕力から逃れることができない。

「おに……? なんだ、コイツ、本当に頭どうかしてるんじゃないのか?」

 鼻血男は襟を引っ張ってナオを持ち上げるようにして立たせようとした。今にもビリっと音が聞こえそうなほどに引っ張り上げられる制服。

 あたしはまた、やめろ、と叫んだ。でも男たちはやめない。

「やるならあたしにしなよ! その娘は放してやってよ!」

 ありったけの勇気を振り絞ってそう言うけれど、あたしを掴む男たちは後でな、と一言で済ましてしまった。

 ナオは引っ張り上げられて力ずくで立たされるも、ついに襟元からかすかにピリっと破れる音が聞こえた。

「やめろって言ってるだろ!」

 その時、タッタッタッと誰かが駆けてくる足音。そして。

「おまえたち、何やってる!?

 男たちともどもあたしはその声の主を見る。あの殺害現場にいた制服警官の一人だった。

 男たちが舌打ちし、突き飛ばすようにナオから手を離すと素早くビル間へと逃げていく。

 倒れそうになるナオをあたしは抱きかかえた。

 警官があたしたちの所までやってくると一度逃げた男たちのほうを見やるものの、ナオの様子を見て立ち止まる。

「その子、どうしたの? 大丈夫? 救急車とか……」

「いえ、大丈夫です。もうすぐ、落ち着きます」

 ナオはあたしの肩にあごを乗せ、はっ、はっ、はっ、といまだ呼吸を乱れさせているものの、必死で自分を落ち着かせようとしている。あたしは彼女の金髪をでた。

「ちょっと怖がっただけなので、大丈夫です。ねぇ、ナオ」

 しばらくしてあたしは腕を解き、多少落ち着いた彼女の顔をハンカチでいてあげる。

 警官があれこれいてきたが全て適当に受け流しているとナオの心地も安定してきたようで、スンスン、と鼻を鳴らしてはいても涙はひとみを輝かせる程度に収まる。彼女はあたしの左手にそのきやしやな腕を巻きつけて体を寄せた。

 軽くお礼を言ってあたしたちは逃げるように警官から離れ、それから駅まで行って無言のまま電車に揺られた。もうナオも落ち着いている。横に座った彼女があたしの肩にもたれかかる。

「ね、ケイ」

「大丈夫。アイツらの顔、ちゃんと覚えているから」

「……ありがとう」

「いいよ、お互いさまでしょ」

「うん」

 それからの行動は早かった。駅に着くと真っ直ぐにあたしのマンションへ行き、服を着替える。あたしは黒革のパンツにジャケット、ニット帽。腰に90TWO。胸ポケットにロゼとジッポー。そして携帯灰皿。

 ナオはフードのついた薄手の黒コートを羽織る。彼女の脇に下げられたショルダーホルスターにはスタームルガーの三八口径リボルバー、SP101。銀色で、小型だけどズングリとした力強い感じのする銃。

 そしてあたしたちはそれぞれの狙撃銃を納めた鞄を開けて中身をチェック。あたしのは黒、ナオのは白のボルトアクション式ライフル。今は銃身バレル、二分割されたストックと、三つに分かれて鞄に納まっている。

 四つあるライフル用マガジンに7・62ミリライフル弾をそうてん。使うことはないだろうが念のためそれぞれが二つ、計一〇発を持つ。ハンドガンの方も満杯にまで弾込めして、準備完了。

 薄手の革手袋を装着し、ライフルを納めたずっしりとした鞄を肩に担ぎ上げる。銃自体は構えるとあまり重さを感じないのに、鞄で運ぶときは妙に重く感じる。一緒に鞄に詰め込んでいる小道具が重いのかな?

 あたしたちはとんぼ返りでまたあの繁華街を目指す。

 果たして仕事帰りの人々にじってホームへ降り立ち、再び繁華街へ。腰のガンを意識しつつ、ナオがピッタリとあたしの後ろについていることを確認して人込みを歩く。昨日の今日ということもあり、背筋を伸ばした警察官がポツリポツリと視界に入ってくるが、できるだけ気にしないようにした。こちらが気にすれば、向こうも気にする。

 ナオはあたしの左手をそっと掴んでくる。身長がそれなりに高いあたしはまだしも、ナオはこういう場所では完全に浮いてしまうので周りからの視線が痛いのだろう。

 すぐに昨日、射撃ポイントの第二候補として下見しておいた雑居ビルに移動。外壁にある非常用はしでナオを屋上へ上げる。以後の連絡は携帯電話だ。

 携帯に接続したヘッドセットを装着し、あたしは一人繁華街の通りを目標を探してねり歩きつつすれ違う人々の顔をチェック。

「どう、ナオ。なんか見える?」

『うんとね、警察の人がやっぱり多いかな。昨日は一人もいなかったのに今日は見える範囲に一人。さっきもう一人いたけどどっか行っちゃった』

 電話越しとはいえナオの声に沈んだ感じはない。あたしは少しほっとする。

「制服を着てない人もいるだろうから注意しなきゃね。さっきも言ったけど今回は二点からの射撃で位置の特定は難しいと思うけど、最悪、銃を捨てることも考えておくように」

 今まで狙撃直後に位置を特定されたことはなかったけれど、昨日は何故かあっという間に位置がバレてしまっていたのが少し頭をよぎった。きっとかんのいい人だったのだ、そう思うことにしてこの不安をナオには話さなかった。彼女をあまり不安にさせたくなかった。

『りょうかーい』

 それから三十分、あたしはナオと雑談しつつ繁華街を行ったり来たりを繰り返しているとついにアイツらを見つけた。ゲームセンターから出てくる三人の男。アホみたいに両方の鼻の穴にティッシュを詰め込んだ奴までいる……あたしがやった奴だろう。

 三人は少しいらった顔つきでどこかへと歩き出す。あたしは静かに、一定の距離をおいてそれを追跡。

「ナオ、見つけた」

『え? どこ、確認できないよ』

「あたしの姿も? 今ゲームセンターの前を過ぎ去ったトコ。……まだ?」

 そうこうしているうちに三人は何やらまた店舗の中へ。今度は牛丼屋だ。

『あ、今お店に入っていったのがそうかな?』

「そうそう、それ。三〇分も待てば出てくると思うから、そこで……決めよう。そこからの射撃、問題ない?」

『こっちは大丈夫。じやになるネオンもないし、距離は……えっと、ちょっと待ってね。……ケイが一七〇センチで四ミルちょいだから……えっと、だいたい四〇〇メートルぐらい。余裕で当たる距離だよ』

「あたしには微妙な距離かなぁ」

『えぇー、こんな距離でー?』

 うるさい、と怒ったふうに言うとナオが笑う。

『じゃケイ、気をつけて位置についてね。下見してないんだから逃走経路の確認を忘れずに』

 了解、とあたしも笑う。

 早速場を確認して、近すぎず遠すぎずの射撃ポイントを探す。ナオは笑っていたけれど、あたしだって当てるだけなら六〇〇ぐらいまでいける自信はある。問題は繁華街だから微妙に人が多く、目標以外の人間に被害を出さないだけの精密さが必要になることだ。そうなるとあたしの腕じゃ三〇〇あたりが確実な狙撃を約束できる距離だと思う。

 加えてナオとできるだけ射撃ポイントを離したほうが逃げる際にはいい。そうなるとおのずと場所は限られてくる。

 距離的な目安をつけて現場であちらこちらを見上げていると、良さそうな場所を見つけた。風俗か何かのお店が複数入った雑居ビル。その横に取り付けられている非常階段だ。試しに行ってみると一階の階段部分にはくさりで立ち入り禁止と書かれた札が下がっていた。

 ……これ、非常階段の意味ないんじゃない?

 あたしは周りをキョロリと見回して人の目と、監視カメラがないのを確認してからその鎖をくぐり抜ける。階段はびた鉄板と鉄格子だけで作られた質素なもので、きっと消防法とかなんかそんな感じのものに合わせて最低限のものを取り付けただけなのだろう。まともに使われてはいないようで、あたしには好都合だ。

 一階、二階、三階までは横のビルが邪魔になって射線が通らなかったけど、四階からは例の牛丼屋がかろうじて見える。五階まで昇ると隣の四階建てのビルと同じくらいの高さになり、余裕で射線が通った。あたしは五階と六階の間にある踊り場に腰をえる。

 鞄を開いてタカミライフルを組み立てる。スポンジシートにくるんでおいたスコープを取り付けたままのレシーバーにバレルをガッチリと接続。しかしまだ狙撃銃という感がない。何故ならばこのままでは、この銃にはライフルのくせにストックがないのだ。そこで分割されていたストックを接続する。きよくじゆうしようと呼ばれる昔ながらのストックとグリップが一体化したタイプのライフルでこの分解方式はちょっと珍しい、と思う。

 一分と経たずにやや細身ながら立派な狙撃銃が完成する。これに黒い筒状のサプレッサーを銃口に回して取り付けた。

 ニュースで見た限りだとこれは試作品らしい。やや短いバレルは細く、それに合わせるように他の部分も徹底的に締め上げられてぼうが一切ないスマートさだ。見方を変えると少し貧弱そうにも見えるけれど、あたしやナオが持つにはこれくらいがちょうど良い。重さも狙撃銃としてはかなり軽いと思う。

 あたしのみぞおちくらいの高さまである踊り場の手すりに厚手のタオルを敷き、その上に銃を置く。銃の支持は手すりに任せ、左手はそっと右肩に当たるストックを下から支えるようにわす。やや腰を落として構えた。

 スコープを覗く。丸く区切られた視界には十字の線。上下左右に五つのメモリ。その向こうには牛丼屋。店舗の前で携帯を耳にする若い男がいたので距離測定に使わせてもらう。

 周りを行く人々から見て少し身長が高そう。靴底の高さを含めて一八○センチと仮定、ミルというメモリの占有数は約五個。このスコープは十倍の固定倍率だから……えぇっと……。

 暗算はあきらめ、素直にあたしは携帯の電卓機能を使った。距離はだいたい三六〇メートルぐらい。まぁまぁ良い距離。

 今はすぐに計算して値をはじき出せるけれど、初めの頃はフィートとメートル、そしてミルのがいねんを誤って考えていて混乱したっけ。

 銃は大体三〇〇で狙い通りにヒットするよう調整してあるので、このままでも感覚で十数センチほど上へ微調整すれば当てられるだろう。

 前回、ナオが気にしていた高低差による誤差は目標までの距離を正確に測定し、適切にスコープを調整していた場合、撃ち上げ、撃ち下ろし、共に狙った場所よりも弾着が上に行くという点だ。山の中で練習していた時、それが何故なのかがわからなかったけれど、しばらくしてナオが重力影響の少なさによるものじゃないか、という仮説を出した。

 あの時彼女は直角三角形の図を書いてくれた。上の頂点に『射手』、そして斜辺の先に『目標』と付け足す。この図によれば斜辺の長さが目標と射手の距離となるものの、しかし実際に重力が影響するのは底辺の長さ分しかない、というのだ。正直、物理を選択せず、数学も得意ではないあたしにはなんのこっちゃ、という話。もちろん撃ち上げ、撃ち下ろしで減速度合いに影響を及ぼすからまた気持ちビミョーに変わるかもしれないとかなんとか。長々と説明してくれたけどあたしは途中から聞き流していた。

 ナオは結構気にしているようだったけど、せいぜい高さが一五メートル程度、目標までの距離が数百メートルとなると弾着誤差はゼロに近い。メモリと目算による距離測定なのでこっちの誤差の方がはるかに大きいだろうし、無視したっていいはずだった。

 しばらくスコープを覗いていたけれど腰が少しつらく、目がしぶしぶしてきたのでナオにコール。

「あのさ、交代交代で監視しよ。目が疲れるよ」

『あ、わたしもそれお願いしたかったよ。結構辛いよね。じゃ一〇分交代で、ケイは今のうちに休んでおいてよ』

「ありがと。じゃ一服する」

『あいあいー』

 そしてプチっと切れる電話。気遣いに甘えてあたしは銃を一度鞄の上に下ろし、ポケットからロゼを一本。右手だけ手袋を脱ぎ、シャキンと軽やかな金属音を鳴らしてジッポーライターのキャップを開く。回転ドラムを回してオイルを燃やし、ベタつく香りをき上げた。

 細く長いシャレたデザインのロゼにジッポーは見た目も香りもヘビーだとナオは笑うけれど、あたしはこの二つの組み合わせが好きだ。スレンダーとタフネスのアンバランスさがいい。

 手すりに腰を預ける。べにを宿らせた一本をゆっくりと吸い上げ、そして夜の浅い空へ向けて少ない煙を吐きつけた。

 あたしは初めての時以来トリガーを引く前には一本吸うようにしていたから、ナオもそれに気を遣ってくれたのだろう。ありがたい。

 タバコが短くなるにつれて、外界と自分とに距離が置かれる。タールやニコチンというよりもタバコを吸うという行為そのものがそうさせる。

 視界の中で静かに横たわる狙撃銃、タカミライフル。夜を切り取ったような真っ黒な銃。細く、スタイリッシュなボディが吐き出すのはやわはだにズシンとくる7・62ミリライフル弾。出逢った時からこいつが一番好き。スレンダーでもハードなそのアンバランスさがいい。

 ……一カ月前、傷だらけで路上に倒れていた男から買い取った四丁の銃のうちの一つだ。

 その男はギターケースを二つに、大きく重そうなバッグを持って倒れていたっけ。傷を負っていたけどそれ以上に荷が重すぎ、疲労で倒れていた。最初はおどしてきたものの、弱々しいそのさまに情けなくなったあたしとナオが食料と水をあげると簡単に心を開いて、自分からじようを話し始めるような人。

 悪い人じゃない。でも、犯罪者だった。

 彼は銃を強奪して、売っぱらって、そしてお金をもうけたかっただけだと言う。

 それを聞いていたあたしののうにあの女の顔、そして何より兄が夏期休暇でまた家に帰ってくるのだと言っていたナオの辛そうな顔が思い浮かんだ。

 あたしは商談を持ちかけた。殺したい奴がいるから売ってくれ、と。

 逃げるためにも今すぐ金銭を必要とした彼とは狙撃銃二丁のセット、ハンドガン二丁の各種セット、彼が逃走に必要な分を除いた弾薬全てに、狙撃銃の基本使用法とメンテナンスのレクチャーと、あたしの貯金の八割ほどで交渉が成立した。結構な大金だったけれど、国内で通常購入することを考えたらあまりにも安い買い物だったと後で知った。

 少なくともここ一カ月、この買い物を後悔したことはない。お金はパパから一方的に送られ続けていたし、殺したい奴は本当に殺したくてしようがなかったし……何より銃を撃つのは最高にスリリングで、楽しい。

 はいとく的な行為はいつだってゾクゾクする快感に変わる。タバコだって最初はそんな感じから吸い始めたんだし。……まぁ今は普通に煙が欲しくて吸ってるんだけど。

 フィルター近くまで吸って携帯灰皿に放り込む。交代までの時間にはもう少しあったものの二本目を吸わずに手すりから腰を離し、眼下の光景を眺めて気を休めた。

 まだ酔っぱらいが歩く時間には早く、路上はスムーズな人の流れ。サラリーマンに夜の女性。そのどちらでもない若者たち。店内から漏れ出すポップソング。屋根を打つ雨音のような無数の靴音。ノイジーなざわめき。幾人もの人、人、人……。

 彼らは知らない。ケイという人間、ナオという人間、あたしたちという狙撃手を。今自分たちは銃口を向けられたスコープの円の中をうごめまとにすぎないことを。

 今この瞬間にナオが……いや、あたしが銃を構えてトリガーを引けば、彼らが信じるまでもない当然の〝明日〟を奪い去ってしまえるという事実。スコープを覗く時、あたしとナオは誰よりも上位の存在となり、誰の手も届かない所から頭をかち割り、胸をつらぬなまりだまを叩きつけることができるという事実。それらは背徳にまみれてなお優越感を与えてくれる。

 これからのことへの期待と興奮で体の芯がうずく。

 かすかに口に残るメンソールの香り。綺麗とはいえない空気に乗る湿った生活臭。あたしは肩にかかる髪を後ろへ払い、右手に手袋をはめ直した。

 腕時計を見るとそろそろ一〇分。ナオへコール、交代の合図。あたしはグリップを握り、手すりにタオルを敷いて銃身を置き、構えた。

 それから数分後、次の交代が来るより先に目標が店舗から姿を現した。早速ナオにコール。

『あいっと。こっちでも確認。二人は外に出てるけど、一人がまだお店の中なのかな。じゃ、三人揃ったらどっちかが先に撃って、それを合図にもう片方も撃つっていう感じで』

「了解、じゃ、あたしが先に鼻血野郎をやるから……ナオは革ジャンをやっちゃって。残りの一人は手が空いた方ね」

『……うん、わかった。お願いね』

 最後だけ、彼女の声は重い感じがした。

 あたしは一度構えを解いてマガジンを本体に装填。再び構えて目標をスコープに捉え、ストックを肩に当てたまま、右手で銃身から右側へにゅーっと伸びている四センチほどのボルトハンドルという棒を握る。それを立て、真っ直ぐに後ろへ引き、そして押し戻す。カチャリと音がしてマガジンに収まっていた弾薬が本体の薬室チエンバーに移動。再びボルトハンドルを寝かせ、ロック。右手は再びグリップを握る。

 スコープの中では最後の一人が店から現れ、何やら三人が店の前で話していた。動かない。都合がいい。

 電話越しにナオの息づかいが聞こえてくる。ゆっくりとした、深呼吸のように落ち着いたいき。彼女はすでに準備ができているようだ。

 あたしの方も深呼吸を繰り返し……そして、止める。

 スコープの中の十字線、そのクロスポイントを鼻血野郎の顔、やや下方に合わせた。十数センチ下がることを考慮すればちょうど胸の辺りだ。

 かすかに震える十字線。上へ下へ、左へ右へ。しかしその震えもいつしか収まっていく。あたしの指が金属のトリガーを手袋越しに捉え、そっとそれを引く……引いて……アレ?

 止めていた息を吐き出す。高めていた集中力が一気に逃げていく。

『ケイ、大丈夫?』

「ごめん、セイフティ外すの忘れてた」

 私はボルトハンドルの根本付近にある二段階式セイフティを右手の親指で前へ押し込み、解除。大きく深呼吸。逃がした集中力を再度宿らせ、目標を見る。

 スコープ越しのこの距離ではかろうじてそいつが鼻血野郎であることがわかる程度。表情まではよくわからない。人を殺すというその感覚が薄くて良い。きっとハンドガンだけだったらこんなにひんぱんに撃つことはなかっただろう。

 はぁー、と息を吐いて、そして浅く吸う。息を止める。頭の中でフォロースルーを意識しつつ、指先でトリガーを捉え、そして静かに引いた。

 バスン! とタイヤのパンク音にも似た発砲音とともにストックをはしる7・62ミリの衝撃。右肩を叩きつけられたような痛みを感じつつ、同時にある感覚があたしの手をおおう。

 直接相手に触れることのない攻撃なのに、しかも着弾前に当たったと感じる、物理法則を無視した不思議なごたえ。ゾクゾクくる快感。

 銃が震え、瞬時、スコープから目標の姿が消える。すぐさま構えを再構築、目標を確認と同時に止めていた呼吸を再開。

 鼻血野郎は予定通り、そして感じた通り、胸を押さえて崩れ落ちていく。周りの二人があっけに取られて微動だにできない。

 電話越しにナオの変わらないゆっくりとした吐息。はぁーと吐き出す息とともに、電話越しに銃声。鼻血野郎の横にいた、革ジャンの男の胸部に着弾、貫通。牛丼屋のウィンドウにヒビが走って鮮血で朱に染まる。

 電話越しに吐き続けるナオの吐息。彼女はあたしと違って息を止めないスタイルだが、射撃の瞬間でも一切乱れない彼女の呼吸は違和感を覚えるほど滑らかだった。

 まだ、誰の悲鳴も上がらない。短い間合い。

 あたしたちはすぐさまボルトハンドルを引く。キュピンと音を立ててからやつきようが宙を舞う。押し進めた際にマガジンから第二射の弾薬がチェンバーへ。グリップを握る。トリガーへ指を置く。覗くスコープの中で、残された一人が腰を抜かしたように地面に尻をつく。

 電話越しに聞こえるナオの息。共にあたしは息を吐き、そして吸う。息を止める。スコープ内のレティクルは男の胸を捉える。

 あたしたちは、トリガーを引く。

 銃声と衝撃。放たれる競技用高精密7・62ミリ弾。

 三六〇メートルの距離を音速を超えて目標に喰らいつく。胸に照準付けしたそれは下方へ落ち、男のかんを直撃。血が吹き出るより先にナオの放った弾頭が男の胸を貫く。二発の弾頭を喰らった男は体をひねらせ、盛大に飛沫しぶきを上げつつ倒れ、ちた。

 そしてこの時になってようやく上がる、周囲の人間たちの悲鳴。一斉に現場から逃げる人々。辺り一帯を埋め尽くすざわめき。

「よし!」

かんぺき! さ、逃げよ、ケイ』

 ここからはタイムアタックだ。あたしはすぐさま銃のストックを分解、サプレッサーとバレルを外す。そして機関部とくっつけたままのスコープは、急ぎつつもていねいにスポンジシートを巻き付けて鞄に収め、代わりにガスマスクを装着。逃走途中で人とそうぐうした際の備えだ。

 担ぎ上げた鞄を揺らしつつ、階段を駆け下りる。一階にかけられたチェーンを勢いで飛び越し、裏路地へと逃げ込んだ。昨日はモタモタとやったうえ、現場に走り込んできた私服警官を見ていたせいで追跡を受けたが、今日はいける。

『今下に降りたトコ。ケイは?』

「同じよ。とりあえず裏側を通って駅の方へ。あせってころばないでよ?」

『そんなミスはしませんよー』

 ひとのない薄暗く、狭い道を走り抜け、頃合いを見てマスクを鞄に収めて、人がいる通りに入り、そこからは落ち着いた様子で歩きだす。前を歩くナオを見つけ、あたしは少し足を速めて彼女の横に並んだ。

「ね、ケイ。今日も泊まっていっていい?」

「もちろん」

 人を殺して五分。こうようかんに胸を躍らせながら、あたしたちはスキップするようにしてマンションへと帰る。肩にかかる銃の重さは不思議と気にならなかった。


 明かりを消した薄暗い部屋であたしはピンクパールのフィルターをくわえる。

 換気扇のモーター音。ナオがくつろぐお風呂場の隙間から漏れるかすかな光とシャワーのまつ音。あたしは床にお尻をつけ、流し台に背を預け、タバコに火をける。

 ナオが熱いお風呂に入って高ぶった気を静めるように、あたしはタバコを吸う。ゆっくりと、時間をかけて。頭を空っぽにして。

 狙撃の刺激はたまらない。身が溶け出してしまいそうな感覚を与えてくれるし、高めたおのれの集中力が物理現象となってさくれつするさまは歓声を上げたくなるほどにエキサイティング。

 嫌いだった奴がいなくなるのも最高にスカっとして、首をめ上げていたロープを断ち切ったように呼吸が楽になる。

 そしてあの独特の手応えもたまらない。トリガーを引いた直後に感じる〝当たる〟という物理現象を超えた、形容しがたい不思議な感覚はこの体験以外では得られぬ快感だ。

 きようらくひととき

 ……でも、だからこそ、あたしたちは狙撃後にはそれまでの高揚感を断ち切るのだ。そうじゃないと本当に何の理由もない狙撃を行ってしまいかねない。ただの遊びとして、興奮を得るための作業としてしまいそう。

 なんせ一度それをやってしまっている。本当にどうでもいい狙撃を勢いに任せてやってしまったこと。あまり好きじゃないけれど殺すほどには憎んでもいなかった、どうでもいいというような同じ高校の生徒をやった後……一時間、二時間と時間がるに従い冷めゆく興奮と反比例してき起こる自分たちへの恐怖は体を震えさせた。

 崩れ落ちてしまいそうな体をナオと互いに抱き合って、一生けんめいに長い夜を越えたのは……辛い記憶だ。

 吐き出した煙が立ち上り、換気扇に吸い込まれていく。狙撃の快感が消え、興奮が静まっていく。今さっき殺した相手の顔も、どんな奴だったかの記憶も一緒に頭から消えていく。

 最初の時だけはこびりついたように頭に残り続けたけれど、一人、また一人と数を増すに従いみんな記憶の一番深い所に沈んでいった。もう殺した相手の顔をすぐには思い出せない。

 ハイな気分を捨て去り、一本を灰にして灰皿に落とす。落ち着いたあたしはハンガーに掛けておいたナオの制服と裁縫道具を手にとってキッチンの明かりの下で針に白糸を通す。あの時結構音がしたけれど、見てみると襟の縫い目が少し開いただけなので簡単に直せた。

「あ、直してくれたんだ、ありがとー」

 ダブつくパジャマ姿の体から湯気を上げるナオはニッコリと笑って制服をハンガーにかけ直すと、一本一本が細いせいか濡れてボリュームが少なく見える金髪にドライヤーをかける。

 ねぇ、ナオと声をかける。彼女はなにぃ? といつもの調子で応えた。

「今日は一緒に寝よっか」

「ん? うん、いいよ」

 そう言う彼女の小さな背を見ていると哀しくなる。一七のはずなのに、全然そんなふうには見えないナオ。まるで大人になることを拒絶しているかのような彼女の幼さにあたしは胸が締めつけられて仕方がなかった。

 もう、彼女を苦しめた彼女の兄はいない。それでもなお、過去の記憶は彼女をしばり続けている。小さな彼女の胸に刻まれた傷跡はいつになったら消えるのだろう。

 あたしがナオの兄を、そしてあたしに自らを母と呼べと言ってママの部屋を汚したあの女をナオがやる……彼女を傷つける者を倒し、伸ばされた手を払う、そういう約束をあたしたちは交わしていた。

 すでにあたしは約束を果たした。彼女の兄を殺した。でも、それで本当に約束を果たしたことになるのだろうか。

 以前、訊いた時彼女は笑いながら〝わたしのことよりもケイのことだよ、いつやる?〟なんて言ってくれた。あたしはそんな彼女の姿と、今すぐにでもやろうって言えない自分に苦笑するほかになかった。

 殺そうかと思うと、不思議とパパの顔が思い浮かんで決断できないでいた。

 でも、いつかは、必ずやる。今すぐにでもできるけれど……けれど、いつかだ。


     ○


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 なかに買ってきてもらったコンビニ弁当とインスタントしるは、病院食ばかりのもとかわにとって最高に美味だった。温めたせいで湿ったコロッケやエビフライがこんなにうまいと思ったことはない。実にぜいたくな昼食だ。

 まだ若い元川に栄養バランス重視で、そして消化のために柔らかめに作られた健康食は苦痛でしかなかった。

 アサリのカップ味噌汁も良い。昨夜に出たサラダの残りとおぼしきキャベツの千切りを利用した味噌汁とはうんでいの差だ。あれには絶望の味がした。

「とりあえずやることなかったから片っ端からあの男について調べてみた。なかじまへい、ありゃかなりきなくさいぞ」

 中谷は元川の病室が禁煙であるというのに窓を開けてマルボロに火をつけた。元川も喫煙室にひとの多い時間帯は同じことをやっていたので、そのことについては何も言う気はない。

「何が出ました? 警視総監の隠し子とか?」

 中谷は灰をコーヒーの缶に落として笑う。中身がまだ入っていたのか、かすかにシュッと音がした。

「そういうビックリネタじゃないが、面白ネタだ。アイツは今、本部の捜査課に所属、今事件により特捜本部へ出向いた刑事ってことになっているが、書面上だけだ」

「あんなどこぞの上物スーツを平然と着こなしている色男の刑事なんて映画か何かじゃあるまいしありえないと思っていましたよ。間違っても現場に出る人間にはいない」

「そうだな。何せおれも参加していたはずのヤマにも名前があったがあんな目立つ奴なんざいやしなかったもの。

 ……その少し前には警務課に所属……とあったが、恐らくこっちも張りぼてだ。いくつか調べても経歴は出ても実績が出てこない。それ以前に信じられないくらいポンポン簡単に所属を変えていやがる」

「……なるほど。確かにきな臭い」

「ただな、本当にきな臭いのはここからだ。知り合いに無理言って調べてもらったんだが……年代から考えると本来いるはずのこの地区、及び時期に警察学校にやつの名前がなかった。そして代わりに見つけたのが警視庁の組対五課だ。これにそれらしき奴がいたらしいことはわかった。これには名前はもちろん、実績もあり、さらには警視庁警察学校にも名前があった」

 警視庁の組対五課、つまり組織犯罪対策部組織犯罪対策第五課といえばじゆう、薬物に関する総合的な対策、取り締まりを行う課である。また銃器所持合法化以降急激にその対応範囲を広げた課であり、現在実質的に組対が関与する攻撃的事件すべてにその手を広げる一大勢力ではあったが、間違ってもそう経歴を好き勝手に扱えたり、他の地区の本部へ人を異動させるだけの力はない。ならば、たとえ警視庁であってもとうきようという地区の一地方公務員集団であって東京都警察本部に過ぎず、元川たちが所属するしよかつを含めた他の道府県の人事に関与する権利を有していない。さらにいえば他の道府県に異動するためには一度退職し、再度その地方の試験を受けて警察学校からやり直さなくてはならず現場の人間に地域をまたがる転勤というものは基本的には存在しないのだ。

 弁当をい終えた元川は中谷にならってラークマイルドに火をつける。

「なるほど。なんだか急に嫌な感じの話になりましたね。俺たちなんかが興味本位で首を突っ込むと後で痛い目を見そうだ」

「まったくだ。おっかねぇ。いったいどの程度のお偉いさんが力を行使しているのか想像もつかん」

「しかもそれをバックアップするだけの人員もまた必要だ。偉いさんの坊ちゃんだからとかそういったレベルじゃなければ、間違っても個人でどうこうできるようなことじゃない。大がかりですね、かなり」

「ただ、何故経歴を残しているのかも気になる。警視庁での記録はもちろん、こっちの本部に来てからポンポン変わる所属……奴が何をしているのかは知らんが、書面に残るような仕事をしていないのであれば、配属先を変えずに出向いて仕事をしたって構わないはずだ。まるでわざと足跡を残してたどりやすくしているような気がしてならない。人を使ったにせよ、おれごときが一晩でここまでいけたんだぜ?」

「そうすることで何か利点がありますかね? 単に頭が悪いだけなのかもしれませんよ」

 元川は言いながらも、あの仮面のような笑顔を思い出して、それはないな、とわれながら思う。あれはやり手だ、間違いなく。

 中谷も同じ考えらしく、くわえたタバコを揺らして苦笑う。

「もしかしたら、奴が自分がどういう存在であるのかを証明するためなのかもしれないな。おれたちのように奴の経歴をあさる人間に対して無言の警告とともにその力をする目的でさ」

「なるほど。確かにまっとうな頭を持つ奴ならこの辺で手を引くでしょうね」

 中谷はすーっと大きく煙を吸い、そしてゆっくりと吐いた。

「しかしなんだな。こんな話をしていたらまたアイツがそこの扉を開けて入ってきたりしそうだな。お待たせ、とかあの顔で言っ――」

 ガラっと勢いよく病室の扉が開いて男が入ってくる。元川たちは驚き、そしてあっけに取られた。当然のように現れたのはその中島だ。

「いやなに、期待は裏切らないタイプなんでね、僕は」

 冗談みたいな状況に、元川は逆に笑いそうになるが、それを口にしていたタバコのフィルターをみしめて押しとどめた。

 コイツは一体なんだ、まさかずっと病室の近くで耳を立てていたわけではないだろうに。元川はふと盗聴器の可能性に思い至る。口止めされている例の件について何かしら設置されていることは十分に考えられた。

 今この瞬間にまでその考えに至らなかったことを悔いたものの……それだとしても中島がこうもタイミング良く入ってこられるはずもない。

 中谷をつけているのか? 元川は中谷を見る。彼は視線でそんなヘマはしねぇよ、と言ってくる。

 ドアをしっかりと閉めてから、中島は笑顔のままにしやべり出す。

「細かな説明ははぶこう。こんせつていねいに語ったところで君たちが信じなければ無駄なことであるし、何よりも君らは考えることができるだけの脳を持ち、調べることができるだけの体を持っている。何か疑問があるというのなら好奇心という猫殺しの毒に任せて行動すればいい」

あいにくと昔から拾いいとかして腹はきたえているんだ。猫用の毒じゃ死にはしねぇ。……下痢にはなるかもしれんが」

 中谷は軽口を叩いてみるも、中島は顔の表情をピクリともさせない。

「だと思ったよ。さ、本題に入ろう」

 彼は元川たちの前で、コートのポケットに両手を突っ込んだまま、壁に背を預けた。

「僕に協力してほしい」

 元川が眉根を寄せる。

「何だよ、協力ってのは」

「今回の狙撃犯を逮捕するために、さ」

「それなら特捜本部の人間を使うべきだろう。俺たちはにんと本部の人間殴ってきんしんちゆうの二人だぜ?」

「説明したらうなずいてくれるのかな?」

「命令なら」

 元川の言葉に中島はかすかに笑声をらした。

「書面上では本部の捜査第一課の刑事とはいえ、僕たちは同等の立場にいるわけだから命令なんてする気はないし、できない。……ただいちいち君たちの上司を通すのは面倒だからね。個人の同意ってことでお願いできないだろうか」

「何故、おれたちにそんなことを?」

 中谷はフィルターを缶の中に放り込みつつ言った。元川も半分ほど残っていたが、捨てた。

「状況をまず説明すると、元川君のおかげで犯人追及への糸口をつかめそうなんだ。今まで犯人につながる物的証拠はゼロに等しかったものの、君が現場に駆けつけ、体を張って犯人に発砲させたことでようやく、だ。つまり君の功労であるからこそ、相棒の中谷君ともども犯人逮捕の花を持ってもらおうかとね。……何より僕のじようを調べたのであれば面倒がなくていい」

 元川も、中谷も、何も言えなかった。かろうじて元川が、おまえの目的はなんだ、とくのが精一杯だ。

「馬鹿どもが開けてしまった幕を下ろしに来たのさ。

 多少無茶をしてでもこの事件をこれ以上引き延ばさずに解決せよ、という命令の下に派遣されている。まぁ、それ以上は秘密ってことでかんべん願おうかな」

「逮捕、できるのか?」

「あぁ。元川君のおかげさ。何度も言っているだろう? 君が撃たれたことで初めて犯人の遺留品が現場に残されたんだ。三つの指紋付きのからやつきようという決定打になりうる品。特に9ミリルガーの薬莢はなかなかいい状態だった。

 ただ雨で、しかも発砲前に付いた指紋だ。多少損傷していて、裁判ではこれだけでは確固たる証拠になり得ないだろうが、捜査の絞り込みにはほぼ確定段階にまで使えるだろう。二人分確認されており、一つは小柄な雨合羽という元川君の情報通り子供と思しきサイズだった。

 さらにニュースで見たと思うけど、昨夜に行われた犯行の際には初めて二丁のタカミライフルを一度の事件で使用し、また同様に計四発を放ち、二つの空薬莢を現場に残している。これらと、その前の薬莢を合わせて考えて犯行は全て二名で行っていると見てよく、君の情報の裏付けにもなった。今までは強盗犯の生き残りが一人で狙撃を続けているとされていたからね」

 話し続ける中島は、元川が怪我と引き替えに重要な参考物件を手に入れたとやけに強調していたが、それは単にに過ぎないのではないだろうか、とふと元川当人は疑問に思えて仕方がなかった。別に自分があの時現場に駆けつけなくとも、昨夜の事件で指紋付きの薬莢が手に入ったはずである。

「だが、その指紋をどうやって検証する? そもそもの犯人のめどがついていない以上どうしようもないぞ。前科者リストと照らし合わせておしまいじゃないか」

「僕がいなければね」

 中島は今までピクリとも動かさなかった微笑ほほえみにかすかに勝ち誇ったような色をにじませた。

「犯行がこの街を中心とした狭い領域で行われ続けていることから犯人の潜伏先は近辺だと、安直だが、そう見るのが通常だろう。また子供と思しき指紋を考慮すればこの辺り一帯の学校に通う人間を調べれば自ずと結果が出るはずだ」

「だからどうやって調べるつもりだといているんだ。学校経由で強制的にやろうものなら人権の侵害だと一斉に非難の雨が降る。それとも親を含めた一人一人に指紋採取の了解を取りに行くか? 土産みやげでも持参してか? 冗談じゃない」

 鼻で笑うように元川は言ったが、そこは、と中島は淡々と続ける。

「少しだけ無茶をする。選定した結果、該当すべき小中高等学校は二〇校程度、その中で物理的に7・62ミリライフルの立射が不可能であろう小学三年以下を除いた計八学年。

 これでもかなりの人数になるが、各学校を順に調べていけば途中でぶち当たるだろうから実質的にはそれほどでもないはずだ。まぁ、一斉にやるよりも時間は余計にかかるだろうがね。方法かい? 中身なんてどうでもいいアンケートを行う。わざと上に氏名記入欄を設けてね」

「だがそうすると資料配付の際に教師などの他の人間が触ることになるだろう。そうでなくてもその何百枚ものアンケート用紙から全ての指紋を採取するなんてとてつもない手間だぞ」

「普通はそうだ。だが、身長等の条件に合った人間に調査をあらかじめ絞ればそれほどでもないはずだ。何より小さい方には思い当たる人物がいることだし、実質的に探すのは女の方だけ。実はもう学校の目安はついているんだ。……そこだよ」

 彼は細いあごでクイっと窓の外の、数百メートル先にある高校を示す。

「被害者の二人がそこの生徒と教師、そして関係者が通っている。三流の週刊誌のような予想だが先の条件を当てはめるのなら結構しんぴようせいは高いと思う。ダメなら他の学校に手を伸ばせばいいだけだし、あえて最初にやってみる価値はある。……あの学校から条件に見合う女性は数十人程度。これなら何とかなるだろう」

「全員の写真でも見たのかい?」

「世の中マメな人がいてね。近隣の女子中高生をピックアップしているようなやからがいたんでちょっと協力してもらった。また殺された教師の所持していたパソコンの中には生徒の盗撮画像とともに大量の個人情報があって、その中に身体検査のデータもあって楽ができたよ」

「いい趣味だな」

 中谷の皮肉に、だからこそ教師になったんだろう、と中島は鼻で笑う。本当はそういったデータを調べ上げている中島に対しての言葉だと元川にはわかった。