第六話 湖中の死闘

「さて、一件落着じゃな」

 ギルマンに向けた銃口を下ろしたシェンフゥが、スリットを捲り上げて太腿のベルトに魔導砲を戻す。

 その仕草に咄嗟に顔を反らしたリサは、バーカウンターの奥で横倒しになったままもぞもぞと動いている貴族の男の姿を見留め、安堵の息を吐いた。

「……『大事な証人』も捕まえたし、後は聖騎士団に通信を入れて、乗客を保護してもらうだけね」

 人間の姿をしているとはいえ、貴族の男は既に魔族に乗っ取られている。

 リサとしては魔族というだけで、直ぐにでも息の根を止めたい相手ではあったが、努めて冷静に言い聞かせながら、魔導散弾砲を腰のベルトに収めた。

「左様、ミッションコンプリートじゃ」

 手のひらでドレスの裾を整えたシェンフゥが、リサの頭をくしゃりと撫でる。

「もうっ、子供扱いしないで」

 慰められているような気がしてその手を軽口を叩きながら振り解くと、異様な水音が微かに耳に届いた。

「……なに、この音……」

 次第に大きくなる音は、二人の背後から響いている。

 みちみち、びちゃびちゃと気味の悪い音を立てているのは、他ならぬギルマンの死骸で、その身体はぐねぐねと別の生き物のように膨らんで動き始めた。

「な……っ!」

「こやつ、まだ生きておる……!」

 シェンフゥが放った狐火が、轟、と音を立ててギルマンに襲いかかる。

 絶命したはずのギルマンは、瞬く間に炎に包まれて火だるまとなり、ぐねぐねと奇妙に動きながらプールへ転落した。

「……なに!?」

 プールサイドに駆け寄った二人は、ごぼごぼと音を立てる気泡で泡立つ水面に息を呑む。

「————!」

「いかん、伏せるのじゃ」

 なにかを察してシェンフゥがリサをその場に押し倒す、甲高い咆吼を上げ、何者かがギルマンの皮を破って現れた。

「……いたたた……」

 背中から勢いよく打ち付けられたリサの目に、体長2mほどの 小竜 ドラゴネット に似た魔族の姿が映し出される。

「しまった、あのウナギが本体か!?」

「ウナギって……」

 叫ぶシェンフゥに突っ込む間に、本来の姿を現したギルマンがプールへと勢いよく戻り、水柱を上げる。

「おっと」

 跳ね飛ぶ水の塊を氷狐の盾で防いだシェンフゥは、リサの鎖骨に口付けると、素早く防御の姿勢を取った。

「まあ、ウナギにしては大きいかのぅ。竜種の魔族というところか。ギルマンめ……。本物の船長に寄生しておったとは……」

 氷の盾を構えるシェンフゥの後ろで、大きく息を吐いて背の衝撃を流しながら、リサも立ち上がる。

「……寄生型……本体……」

 シェンフゥの言葉を呟きながら、リサはあの客室係の女性と貴族の男が抱き合って口付けていた様子を鮮明に思い出していた。

「あれはキスなんかじゃない、あれは——」

 ——『寄生』していたのだ……。

「なんて巧妙で、なんて卑劣な……」

 その事実に気づき、歯がみする。

 音を立てて歯が鳴るのを、さらに奥歯を噛みしめて耐えたが、湧き上がる怒りは叫びとなってリサの喉を震わせた。

「逃がすかぁああっ!」

 水中に向けて魔導散弾砲を連射する。

  氷晶弾 ひょうしょうだん が水面を凍らせたが、それはギルマンの本体には届かず、大きく しな った長い尾が、氷を割り、プールサイドの二人の脚を薙ぐように払った。

「わしの氷狐も効かぬ。あの鱗はかなり手強いぞ」

 シェンフゥが鋭い氷柱状の氷狐を無数に飛ばすが、それらも全て弾かれ、水面やプールサイドにばらばらと散らばっている。

「攻撃の隙を突くしかないわね」

 デッキチェアを蹴り上げるようにして積み上げながら、リサが声を上げる。

「なにを始めるつもりじゃ?」

「決まってるじゃない、水の中から引き摺り出すのよ」

 救命用のロープを素早く束ねて輪を作り、デッキチェアを積み上げた足場からリサが水中を見据える。

「はっ、ウナギの一本釣りか。投網みたいなものかの」

 シェンフゥが感心したように呟き、リサと共にロープを持つ。

もり 、作れる?」

「もちろんじゃ——。たらららん

 リサの要望にシェンフゥは、いつもの調子で笑い、ロープに手を かざ すと、その先端に鋭い返しのついた銛が具現した。

「……さあ、来なさい」

 銛を構えたリサが、ギルマンの次の攻撃を待つ。

 ギルマンは水中を素早く回転しながら二人の様子を窺っていたが、埒が開かないと判断したのか、プールを飛び出し二人の足場に尾鰭で斬撃を浴びせた。

「……っ、やっと来たわね!」

 薙ぎ払われたデッキチェアの上を巧みに移動し、リサがギルマンの尾に銛を突き立てる。

「シェンフゥ!」

「おうよ!」

 鱗に阻まれ浅くしか突き刺さらない銛に、シェンフゥが素早く氷狐を飛ばして追撃する。

「はっ、やっぱり固いのぅ」

「でも、凍ってる。溶ける前にやるしかない!」

 救助用の滑車に取り付けたロープを巻き取りながらリサが叫ぶ。

 シェンフゥも加勢し、ロープは勢いよく巻き上げられ、銛を突き刺されたままのギルマンはプールの中で藻掻き、のたうち始めた。

「このまま弱ってくれるといいんだけど」

 ぴんと張られたロープとギルマンを見比べながら、リサが呟く。

 ギルマンは最初のうちこそ銛を引き抜こうと暴れ回っていたが、徐々に動きを変え、ぐるぐると水中を泳ぎ回り始めた。

「……おや!? ギルマンのようすが……」

「……なにを始める気かしら?」

 様子を見守る二人の視線の先で、ギルマンの身体が怪しく明滅を始める。

「なにあれ……?」

 明滅は次第に間隔を縮め、それがギルマンの全身に刻まれた模様であることを明らかにしていく。

「あれは高位の魔族が施した邪紋かのぉ……」

 赤く浮かび上がった邪紋に目を細め、シェンフゥが腕を組む。

「高位の魔族って?」

「悪魔か——大悪魔か、その辺りのレベルじゃろうて」

 シェンフゥの説明を聞きながら、ギルマンの変化を注視する。

 明滅する光は、はっきりとした赤い光へと変わり、禍々しい邪紋が水面に投影されて浮かび上がった。

「じゃあ、あの赤く光ってるのは?」

「ゲヘナを開放した合図と見てよいな。あのウナギとて、仮にも魔族じゃ。あと二回変身を残しておるのかも知れん」

「……それは困るわね。さっさと叩くわよ」

 魔導散弾砲と刀を構え、リサがプールサイドへと近づいたその刹那。

「————!!」

 鋭い咆吼を上げたギルマンが、渾身の力で湖へと跳躍した。

「逃げる気!? そうはいかないわよ」

 魔導散弾砲を撃ち込むが、空中でギルマンが巨大化し、固い鱗で弾く。

「な……っ!」

 目を見開いたリサを嘲笑うかのように、湖から大きく水柱が挙がり、飛沫がトップデッキに散った。

「……やはり、変身を残しておったか……」

「馬鹿なこと言ってないで、 華凛 かりん を呼ぶわよ」

 飛沫から逃れるように後退し、リサがシェンフゥの隣に並ぶ。

 シェンフゥはそれに表情を変えて頷き、宙を仰いだ。

「我、祓魔の一族が末裔 仙狐が告げる。汝の身は我が下に、我が運命はその右手に」

 シェンフゥが凛とした声で召喚詠唱を始める。

 その呼び声に応えるようにプールの水面が震動を始め、激しく波打ち始めた。

 エーテルに引き上げられるように、狐火に似た光がトップデッキの上空に五芒星を描く。

 五芒星の完成と共に、雷のような眩い閃光が走ったかと思うと、巨大な魔法陣が二人の真上に出現した。

「花園の守り手よ、我が呼び声に応えよ。汝の名は、華凛! 」

 次元門の妖術が召喚詠唱によって発動し、空気をびりびりと震わせる。

 ————!!

 乾いた音が連続して響き渡ったかと思うと、五芒星の中心に二つの穴が空き、精霊機華凛の腕が次元門をこじ開けるように伸びた。

「任せたぞ、ご主人!」

「ええ!」

 助走をつけて跳躍したリサが、華凛の腕を伝って機体の胴体部分の扉へと転がり込む。

 少しの間も惜しむように操縦槽の入力媒体である二つの水晶玉に手を添えたリサは、エーテルを送り込み、共鳴魔導炉を起動した。

「シェンフゥ! 乗って!」

 リサの合図で、シェンフゥが華凛の背中に飛び乗る。

「うおおおお、キタキタキター」

 互いに高め合ったエーテルが身体に満ちていくのを感じながら、シェンフゥが歓喜の声を上げる。

「例え無茶で無謀と嗤われようと、意地が支えの百合道!」

 そうして巨大化したシェンフゥは、目を見開き、仁王立ちで宙に向かって叫び始める。

「道が無ければこの手で創る! 明日の道はこの手で掴む!」

 狐火に似た色の光がシェンフゥの全身を包み込み、天狐の鎧が生成されていく。

 光は鎧として具現し、全身に装甲を纏ったシェンフゥは、鋭い爪を備えた 籠手 こて で覆われた手のひらを目の前に掲げ、力強く拳をに握り締めた。

「わしの愛が炎と燃える!」

 声に呼応し、シェンフゥの狐火が激しく燃え始める。

「超絶合体、 紅蓮 ぐれん シェンフゥ!!」

 さらに双剣『流紅蓮剣』を具現させたシェンフゥは、それを天高く掲げ、腰を低く落とすと、両腕に力を蓄えて咆吼した。

「わしを! わしらを! 誰だと思っていやがるっ!!!」