メイド服の丈をうんと短くしたようなデザインの水着に身を包んだリサは、数人の貴族から話しかけられ、困惑したように目を伏せている。

「これはわしが助けに行かねばならんようじゃのぅ」

 ひとしきり遠巻きにリサの水着姿を堪能し、小さく咳払いをしてリサへと近づく。

 人目を惹く赤の水着姿のシェンフゥに、人々の視線が瞬く間に集まった。

「ふふふ、ごめんあそばせ。この子は、わたくしのメイドなの。さっ、こっちにいらっしゃい」

「シェン——」

 さりげなく腰に手を回し、スキンシップを図るシェンフゥに、リサが困惑の表情を浮かべる。

「設定をお忘れかの?」

「うぅ……覚えてなさいよ……」

 そっと耳許で囁かれたリサが観念したように肩を落とす。

 シェンフゥはここぞとばかりに肌を密着させると、尻尾をふさふさと揺らしてデッキチェアへと戻った。

「……なんなのよ、この水着。あんなに注目されるなんて……目立ちまくりじゃないの」

「わしと一緒に更衣室を出ておれば、そうでもなかったと思うがの?」

 小声で訴えるリサに、シェンフゥが涼しげな声で答える。

「だって……恥ずかしくて……」

「なにを恥ずかしがることがある。わしの理想の美少女の、夢にまで見た水着姿じゃぞ! 拍手喝采、今夜は宴じゃ!」

「勝手に夢に見ないで……」

 だらしなく頬を緩めてじっとりと眺められ、リサはごく短いエプロン風のパレオを引き伸ばすように押さえながら、シェンフゥを睨んだ。

「大体、普通の水着でも恥ずかしいのに、なんなのよこれ」

「どこからどう見ても立派な水着メイドじゃ

 頬を膨らませ、不満を露わにするリサにシェンフゥが胸を張って断言する。

「そんなふざけたメイド、いるわけないでしょ」

「かっかっか、需要はあると思うがのぅ〜」

 機嫌良く笑いながら、シェンフゥがデッキチェアに腰を下ろす。

「どうして私がこんな目に……」

「今回の任務で、おぬしはわしに仕えるメイドという設定じゃろ? なら、それに相応しい水着を着てもらわんとなぁ」

 デッキチェアに長い脚を優雅に投げ出したシェンフゥは、新しく用意された飲み物を手に取り、一息に飲み干した。

「だ、だからってこの恰好はいくらなんでも——」

「仕方あるまい。今回の仕事は機関長殿、直々のオーダーなのじゃからな。おぬしも納得して引き受けたのじゃろう? 忘れたわけではあるまい?」

 正論を突きつけられ、反論しかけたリサは閉口する。

「素性を偽っての潜入捜査。シェンフゥは貴族の令嬢、私はその 御側付 おそばつき のメイド——。うー、それはそうなんだけど……」

 小声で任務の内容を繰り返し、苛立ったように頭を掻く。

「わしは似合っておると思うがな? かっかっか。アルバレックの奴、なかなか良い趣味をしておるわい 」

「そういう問題じゃない……。もうっ、後で覚えて——」

 言いかけたリサはそこでぐっと堪え、近づいてくる船員の気配をシェンフゥに目で伝えた。

「まあ、わたくしになにか御用かしら?」

 姿勢を正したシェンフゥが、船員に視線を送る。

 船員は恭しく礼をすると、歩調を速めて二人に寄り、銀のトレイに乗せた多機能通信魔導器機『エニグマ』を恭しく差し出した。

「シェンフゥ・エーデルワイス様。ストラヴァウリ伯爵と繋がっております」

「ありがとう」

 手のひらより少し大きい鈍色の通信魔導器を受け取ったシェンフゥは船員を下がらせ、開閉釦を押して送話器部分を耳に押し当てた。

 リサもさりげなく傍らに寄り、耳を澄ませたが、通信相手が聖拝機関の機関長アルバレック・ストラヴァウリであるということぐらいしか聞き取ることが出来なかった。

「ありがとうございます。ええ、伯爵のお陰で、無事にエーデルワイス家の子女らしく、素晴らしいバカンスを過ごせそうですわ。早くホシの顔が見たいものですわね。ロクは今のところ見ていませんわ……。ええ、ではごきげんよう」

 丁寧で穏やかな口調でゆったりと話し、シェンフゥが通信魔導器を下ろす。

 点灯していた中心部の赤いランプが消えて通信の終了を知らせると同時に、先程の船員が戻り、銀のトレイに乗せて戻っていった。

「……なんの話だったの?」

「乗船の確認よ。過保護よね」

 遠ざかっていく船員の背を注意深く見つめながら、シェンフゥがいつもの口調で答える。

(用心しろってことね……)

 視線で察したリサは、船員の姿が船内へと戻ったことを見届け、改めて訊ねた。

「で、本当はなんの話だったの?」

偽装身分証 アレ が使えたかどうかの確認と、偵察の確認じゃな」

「ホシとかロクとかっていうのはなに? なんだか意味ありげだったけど」

「おお、ホシは犯人、ロクはまあ……死体じゃな。聖騎士団や軍警察の使う隠語じゃよ。潜入捜査の気分も上がるじゃろう?」

「またわけの——」

 言いかけたところで、水着姿の他の乗客が通りがかり、ぐっと唇を引き結ぶ。

 貴族の男たちはシェンフゥに微笑みかけ、シェンフゥもゆったりと手を振ってにこやかに応じた。

「……でも、なんであんたがエーデルワイス家を名乗ってるのよ」

 男たちが通り過ぎるのを待ち、声を潜めて問いかける。

 シェンフゥはしつこく振り返って手を振る貴族の男に手を振り返してやりながら、笑顔のまま長い溜息を吐いた。

「仕方ないじゃろ。セント・エリザベート号は最高級のクルージングサービスじゃ。船に乗るためには相応の身分が必要になる。なんといっても、選ばれた者しか乗れぬからのぅ」

 周囲を見るように促され、プールサイドに集まった乗客を観察する。

 プールサイドには水着姿の者や泳ぎを楽しむ者もいたが、大半はカジュアルなドレスワンピースや、麻の涼しげな素材のスーツを着た乗客が飲み物を片手に、トップデッキからの眺めと日光浴を楽しんでいる。

「故に貴族のお嬢様とメイドという設定ね……。耳にタコだわ。そもそも、なんで私がメイドなのよ。従者はあんたの方じゃない」

「わしの方が大人びて見えるじゃろう? 人間は見た目を重視する。おぬしは本物ではあるが、果たして見ず知らずの他人にどう説明する?」

 トップデッキには子供の姿は全くなく、集まっている乗客もそれなりの年齢と地位を窺わせる装いと振る舞いを見せている。

 シェンフゥの言わんとしていることを察し、リサは苦く唇を噛みしめた。

「子供だと思われて門前払いは避けたいってこと……」

「そこまでは言っておらぬ。だが、これはアルバレックの案じゃ。まあ、適材適所というやつじゃな」

「…………」

 シェンフゥの言葉を聞きながら、リサは数日前に聖拝機関の機関長、アルバレック・ストラヴァウリからの命令を思い返した——


       


「失礼します。 執行者リサ・エーデルワイス並びに、その契約精霊シェンフゥ、馳せ参じました」

 執務室に入るなり、万年筆が飛ばされる。

 リサとシェンフゥの間を擦り抜けた万年筆は通路の壁に深々と突き刺さった。

「遅ぇ! テメェ、オレを待たせるたぁどういう了見だ、リサ?」

 長い金糸のような髪を机に垂らし、頬杖を突いていたアルバレックが、万年筆を投げた手を下ろす。

 街での別任務から急ぎで駆けつけたリサは、咥え煙草の紫煙を吐き出しながら睨めつけてくるアルバレックに、むっとして言い返した。

「そんなこと言われたって別件で外にいたんだから、仕方ないじゃない」

「あぁ?」

 咥え煙草の端を噛み、不機嫌に揺らしながら、アルバレックが片眉を吊り上げる。

「機関長に向かって口答えするってか? 組織では、オレに対する返事は『イエスサー』しか要らねぇって言ってんだろ?」

 代行者に絶対服従を強いる機関の掟を思い出し、リサはぎゅっと両手を握りしめる。

「……申し訳ありません」

 アルバレックと目を合わせずに慇懃に呟くと、アルバレックは乱雑に煙草の火を揉み消して、机の上に脚を投げ出した。

「それでいい。では本題だ」

 引き出しを開いたアルバレックが、封書を投げ付ける。

 両手でそれを受け止めたリサは、ずっしりと重い封書の封を開き、書類の束を取り出した。

「これ、指令書?」

「ああ、仕事だ。魔族共の拠点が判明した。テメェら二人はリシュラムでの潜入調査に当たれ」

「魔族の拠——」

「リシュラムじゃと!?」

 シェンフゥが大仰な声が、リサの言葉を遮った。

「リシュラムといえば最高級リゾート地ではないか! やったぞ、ご主人! バカンスじゃ!」

「……ここ数ヶ月の報告では、リシュラム界隈での魔族の活動は挙がっていなかったはず。どういうことなの?」

 シェンフゥの場違いな喜びを無視してリサが訊ねる。

 アルバレックは靴底で 燐寸 マッチ を擦り、新しい煙草に火を点けると、深く吸い込んでから吐き出す紫煙と共に答えた。

「ナクラバルでの一件は覚えているな? あの事件でテメェらが殺したザルクとかいう領主。奴の足取りを洗ってみたところ、一年前にリシュラムに立ち寄っていたことが判明した」

「……それだけかの? 領主であれば、休暇でリゾートに行くこともあるじゃろう」

「馬鹿言え!」

 罵声と共にペン立てから三角定規が飛ばされ、勢い良く壁に突き刺さる。

 慣れた様子で かわ したシェンフゥは、眉ひとつ動かさずにアルバレックの次の言葉を待った。

「それだけじゃねぇに決まってるだろ。コイツは臭ぇなってことで、ここ数年で魔族化されたっていう貴族共の足取りを洗い直した。で、調査の結果、魔族化された貴族共、全員が、リシュラムでとあるサービスを利用していたことを突き止めた」

「サービス? それってどんな?」

「豪華客船セント・エリザベート号。いわゆる、クルージングサービスというやつだ。魔族化された有力者全員がそのサービスを受けている……となりゃあ、確実に魔族が関与しているのが丸わかりだろうが」

「しかし——」

 顎に手を当て言いかけたシェンフゥは、アルバレックの安楽椅子が微かに軋む音に反応してぴんと背筋を伸ばした。

「何度も言わせるな。それを調べさせるために、テメェらを呼んだに決まってんだろ」

「……イエスサー」

 リサが改まってその場に片膝をつき、恭しく頭を垂れる。

 アルバレックは机の上に投げ出した脚を戻し、引き出しから分厚い封筒を取り出すと、二人に投げ寄越した。

「ナイスキャッチじゃな」

 シェンフゥがさっと封筒を受け取り、すぐに中身を確認する。

 余程良いものを見たのか、尻尾がふさふさと動いた。

「任せたぞ。ついでに言っておくが、セント・エリザベート号には『選ばれた者』しか乗ることが出来ん。そこは金に物を言わせておいてやる」

「ほうほう。それは気前の良い話じゃ。お言葉に甘えて豪遊させてもらおうかのぅ」

 大事そうに封筒を抱きしめたシェンフゥが陽気な笑顔を浮かべている。

「やることやっときゃ、文句は言わん。が、任務優先だ」

 火の点いた煙草で指され、リサは険しい表情で頷いた。

「勿論、わかってるわ」

「……良い面構えになって来たじゃねぇか、リサ。今回の任務用に潜入装備を手配してある。偽装身分証はシェンフゥが持ってる方の封書の中だ。乗船したら、まずはトップデッキへ向かえ。それからカウンターに預けてある装備に着替えろ」

「……了解。それじゃあ、行ってくるわね」

 封筒を改めたシェンフゥが、中身を確認して頷くのを待ち、踵を返す。

「あぁ、頼んだぞ」

 アルバレックの声を背に、二人は執務室を後にし、その脚で保養地リシュラムの街へ向かい、豪華客船セント・エリザベート号に乗り込んだのだった。