「んぅっ……だ、だめりようすけ、そこはあせ、かいちゃってる、んっ、から」

 リサラ・レストールが押し殺した声でこうしてきた。確かに良介がれている背筋は、制服の上からでも分かるくらいに汗がみ出ていて、手の平をじっとりとらしている。

 だがそれは仕方ないことだった。

 二人は今、この夏のなかそう用具用のせまいロッカーに正面から身をり合わせるようにして入っているのだ。

 外の気温は三十度をゆうえているが、ロッカーの中は体感で四十度を上回るサウナ状態だ。なにより、相手の体温といきが自分を包み込む様で、止めどなく汗が流れてしまう。

「だ、だから、そんなに、んぅっ……だめ、背筋は汗が流れる、んっ……から」

 リサラの顔は耳まで紅潮してしまっている。

「いやでもさ、ほかの所をさわるとなるとさ」

 普段なら大喜びで、どこを触ろうか考えるが……今の良介には、そういった健全な青いよくぼうが全くない。

「あ、汗は触られたく……ないの」

 の鳴くような声だった。

「良介の、んっ、生きる力を早く回復させないと、あんっ、大変なことになっちゃうから、だから、んっ、お、おしりとか、触っていい、からぁ。ね、汗は……イヤなの」

 うるんだひとみで見つめられて良介は、シオシオにからびたたましいがドクンと脈打ち始めるのをはっきりと感じていた。


    ※   ※   ※


「キュール、食事中に本を読むのはやめなさいよ。ぎよう悪いわよ」

 朝ご飯のしよくたくで一級しにがみリサラが、しかめっつらを浮かべた。スレンダー過ぎる体を持つちょっとキツメな美しい少女だけに、険しい顔がよく似合う。

 そんなリサラの前に座りおこられたのは、キュール・ゼリアだ。リサラの年下の従妹いとこで、お人形のような愛らしさを持った、ついでに胸はリサラよりもかなり発育のいい美少女だ。が、性格はかなりねじ曲がっていて、黒い。

「あら、勉強熱心と言って欲しいところですわ。お姉様のせいで、死神学校に行けてないんですもの、教科書程度は読んでおかないと」

 本を閉じようともせずに、キュールが答えた。左手に本を持って、その内容に目を走らせながら、右手でトーストを口に運んでいる。

「行儀の前に、お前だけだぞまだ食べてるの」

 この場でゆいいつの人間にして、美などの形容は付かないぼんじんな加賀良介はそう言うと、食べ終わって空になった皿をリサラにわたした。本に目を走らせたままのキュールが、急にトーストを口の中に押し込んだ。

「もぐもぐ、むしゃむしゃ、もぐもがもぐ……ごくん。何か言いまして?」

 半ばごういんに飲み込み、平然と言い切る。

「無理矢理飲み込んでまんするなよな、行儀悪い。新しい服がパンくずだらけだぞ」

 つうの女の子っぽい服装のあちこちにパンくずが付いている。むなもとには、レタスの切れはしまでだ。

「言われてみれば新しい服よね。この私が、コンビニ下着でまんしてるのに、まさか買ったの?」

「そんなお金を持ち出しているなら、もっとごうな食事をしてますわよ。お姉様の制服と同じで、カエサルかられいりよくもらって生成したに決まってますわ。テレビで見た服ですけど、可愛かわいいでしょう」

 キュールがリサラの問いに答えて、あしもとそべっていたシェパード犬のカエサルをなでた。

「お前な、そーいう下らない理由で生きる力を吸い取るなよな。お前らが俺達から霊力を補給しないといけないのは知ってるけどさ、リサラに生きる力を吸い取られるたび俺なんか、なんつーか、何もかもがむなしくなるんだぞ。つらいんだぞ!」

「あら、良介さんのはどーせエッチな心なんだから、いいじゃありませんか。世の中の女の子のために、お姉様にはもっと吸い取ってもらいたいくらいですわ」

 そのキュールの言葉に、良介はドンッと食卓をたたいて身を乗り出した。

もうそうくらいさせろよっ。手を出さない、良心的なスケベなんだからさ!」

 熱弁をるう。だって当然だ。教室から校庭を走る女子の体操着姿を見て鼻の下をばしたり、風の関係で生まれるパンチラスポットをいち早くあくしたり、制服しにけて見えるブラジャーのラインに夏を感じたりしている程度だ。えをのぞくことも、とうさつすることもない。日常の中で起きるぐうぜんの産物を、必死にかき集めているだけなのだ。

「そうだとも、俺は安心安全な良心的スケベなんだっ。だからもっと暖かい目で見てください!」

 立ち上がりうつたえる。が、リサラとキュールはもう良介のことなんて見ちゃいない。

「キュール、参考書だけじゃなくてアイテムまで取り寄せたの?」

 リサラはキュールが横に積んでいた書類を手に取って、

「よくこっちに持ち込めたわね」

 あきれ顔をかべる。

「ええ。死神界からコッソリと持ち込むルートは押さえてますから」

「何のアイテムだか知らないけど、注意して使うのよ。人間界だと正常作動しないものもあるし」

「はいはい、分かってますわよ」

 リサラの注意に、キュールが適当に相づちを打つ。いかにも適当そうに、だ。その様子にリサラは少しまゆをひそめつつも、はぁと軽くため息をいて話題を切り上げた。

「良介、学校に行く準備してて。私は片付けを五分で終えるから」

 そう言ってリサラは流しに向かった。

「準備っても終わってるしなぁ」

 に立てかけたかばんを見る。教科書の多くを学校に置きっぱなしの良介の鞄は、とても軽い。

「良介さん、ちょっとよろしい?」

 声をひそめてキュールが話しかけてくる。

「このじようざい、ミエルミンVなんですけど、服用すれば霊力が強いものがにん出来るようになるアイテムなんですの。一錠で一時間の効果で五錠あるんですけど、学校で使ってみてくれませんか。特異者がはっきりと見えるはずですから」

 特異者、一人でいつぱん人の千人万人の霊力を持つえいゆうともいうべき人間で、死神にとってはまさにすいぜんの的の存在だ。リサラもまた、レストール家での立場を確保するために、特異者をさがしに──非合法に──人間界に来ている。

「あのな。リサラに死神界のアイテムには注意しろって言われたばかりだろ」

「シーッ。声が大きいですわ。お姉様に気が付かれてしまいますわ」

 口に人差し指をあてたキュールが、チラリと流しを見る。

「キュールもそうですけど、早く特異者を捜し出したくはありませんの?」

 特異者が見つかるイコール、リサラが霊力補給を受けるべく良介の生きる力が存在する魂の奥底にぶっした《折れたけんグラム》をいて貰えるということだ。そうすれば、定期的に良介の生きる喜び、エッチな心を吸い取られないで済む。毎朝、しっかり元気な息子むすこさんを拝見できるし、虚しさの中で青春の終わりを感じないで済む。それは願ってもない、良介が待ち望んでいる日だ。

「でもよ、その錠剤、信用出来るのかよ」

「もちろんですわ。説明書に、どこでも使用可能って書いてありますもの」

 イマイチ信用出来ない理由と共に、キュールは錠剤を強引に良介の手ににぎらせたのだった。


    ※   ※   ※


「結局受け取っちまったけど、どうするよ、これ」

 授業開始前のざわついた朝の教室で良介は、手の平にのせた錠剤を見つめた。キュールを疑う心と特異者を見つけたい心がせめぎ合うこと、もう五分だ。

「ええい、ままよ!」

 意を決して、一錠を口にほうり込む。

「…………」

 特に何も変わらないと思ったしゆんかんだ。グラリと視界がゆがんだ。

「ぶわっ!?

 良介はあわてて鼻と口を押さえた。おどろきの声と鼻血が同時にき出そうだ。

はだかだらけだぞっ!)

 教室中の人間がっ裸だった。しかもごていねいに、机や椅子の背などの障害物がじやになっている時には、邪魔なものだけがけて裸が見えるのだ。

(な、なんだこれ……)

 授業開始ぎわのためにみんな椅子に座って前を向いているので、背中とお尻だけだが、はっきりと裸だと分かる。

 数秒ぼうぜんとその光景をながめてから、良介は慌てて顔を手でおおった。

(いやいや、やっぱり勝手に見るのは良心的スケベとしては……。それにだ、ただで裸を見るなんて、それはちがうんだ。おをのぞくドキドキ感も禁断感もない、努力無しの裸は男をらくさせる。人は障害があってこそ、果実を手にとっていいんだっ。へびからタダで貰ったリンゴは、アダムとイブを不幸にしたじゃないか。だから見ない。チキンなんじゃない、これは男の決意なんだ)

 とか思いつつも、指の間をかすかに開けてチラチラと見てしまう。ちなみに男子の裸は、脳内フィルターによって野菜にへんかん中だ。

(どう考えてもこれ、キュールに貰った錠剤のせいだよな)

 そう思い当たっても、強い霊力を視認出来るはずの錠剤が、どうしてとう薬になっているのかがさっぱり分からない。

 そうなやんでいる時だ、となりの席に座っているリサラが不思議そうに声をけてきた。

「どうかしたの、良介?」

「いやちょっと──」

 良介は反射的に振り返ってしまい、小首をかしげた。

「あれ?」

 キョトンとリサラを見る。

「なによ?」

「…………あれぇ」

 リサラがちゃんと服を着ている。いつも通りの姿だ。不思議な気持ちと残念な気持ちが、良介の中で入り交じる。

「何よ、私のことじっと見たりして」

 その問いには答えずに、良介はそっと周囲を見た。

「──っ」

 やっぱり裸だった。どうやらキュールに貰った錠剤の効果が切れた訳ではないらしい。リサラの制服だけが透視出来ていないのだ。

 問い、リサラの制服とほかの生徒達の制服のそう点。

 答え、霊力で生成しました。

「そうか、お前のって霊力で生み出した制服だもんな。霊力のかたまりってわけか」

「あのね、私がしにがみってのはないしよなのよ。そういうことを、口にしないでよ」

 リサラが声を潜めてこうしてきた。だが、そんなことは今はどうでもいい。

(キュールのろう、何が霊力が強いものが見えるようになるだよ。霊力がある存在だけを見せてるんじゃないか、コレっ。霊力ないのは服が透けちゃってるぞ。くそ、さっそく聞いた効果と違ってるし!)

 良介は心の中で毒づいて、ゴンッと机に額を打ち付けた。

 とにかく効果時間が一時間という言葉を信じて、授業を乗り切るしかない。ずっとねむりしてれば、裸を見て挙動しんになることも、目を血走らせることも、元気になられると困る所が元気になることもかい出来るはずだ。

(しかも一時間目は、期末テストもない死神けいやくに関する授業だ。聞いてなくても問題ない!)

 良介は授業開始のベルを聞きながら、そう固く決意した。

 だがしかし……世の中そうは甘くない。テストがないとはいえ、授業は授業なのだ。

「加賀良介くん、そこの居眠りしてる加賀良介くん」

 授業を担当するメルロー人生保障の死神マルベックに、いきなり名指しされてしまう。それでも良介は、名指しを無視して必死に机にしがみつく。何しろマルベックはバスト九十をほこきよにゆうなお姉様なのだ。そんな相手を正面から見てしまえば、それはもうおそろしいことになる。

「加賀良介くんっ、起きなさい!」

 どんどん声が近づいてくる。なかなか起きない良介にごうやして、机側まで歩いてきたのだ。

「起きなさい!」

 ポカンと教科書で頭を叩かれてしまう。それも二度も三度もだ。

「うう……」

 観念して良介は、じっと机を見つめながら立ち上がった。

「先生をちゃんと見なさい!」

「いや、そう言われても、これには海より深いわけが……」

「ああもう、シャキッとしなさいっ」

「はい!」