中山影兵衛の願い『独占』



「ちょいさアアアアア‼」

「あの必死さが若干キモいよな」

 九子があんまりといえばあんまりな感想を漏らしながら、気合を入れてダーツを投げる影兵衛を見ていた。

 さっきから達人ばかりだが影兵衛も言うまでもなく剣の達人略して剣達だ。こと、実戦経験という尺度では九子以外ではこの場の誰よりも上だろう。

 これまでに切った悪党は百を越え、ときには相手が無手だったならば、脇差しを投げ渡してやってから抵抗させて斬り殺すぐらい殺し合いに興じるのが趣味で、役人でなければ危険極まりない男だった。

 剣術のみでも悪党どころか腕利き揃いな火盗改内で右に出る者は居ない。更に逃げる相手を牽制するのに小柄(刀の整備やちょっとした物を切るための短刀)を投げつけることがあり、その腕前もかなりのものだった。

 ただそれは、当たることは当たるが精密さよりも威力を重視しており、体のどこかしらに当てれば衣服を貫通して骨にまで響くぐらいの強さで投げつけていた。

 そして今晩の宴。影兵衛は特に酒を遠慮していなかったので泥酔とまでは言わないが、かなり酔っている。

 狙っている願いを叶える権に当る確率など一%もなかっただろう。

 だが、

「マジか……当たった」

 当てた本人である影兵衛すら口を半開きにして目を疑ったが、見事に彼の投げたダーツは大当たりに的中していた。

「ええええ!」

「うわー! 当たっちゃいけなそうな人が取っちゃった!」

「影兵衛さん! お酒飲もうね! お酒!」

「酔い潰そうとすんじゃねェ!」

 周囲の男たちが騒ぎ出してどうにか有耶無耶にしようとしてきたのを怒鳴り散らす。

 なにせ影兵衛、暴力と助平と闘争心を持ち合わせた公儀の役人というこの世の終わりみたいな立ち位置なのだ。時代劇なら悪徳同心として成敗される立場である。

 そんな彼が九子になにを願うのか。

(直接的な助平なら止めるべきだろう……)

 晃之介が気合で酔いを醒まし、戦闘に備えた。

(お嫁とかで、九子氏が嫌がる内容ならどうにかしないと……)

 浅右衛門が目を細めると、彼の背後に漂う怨霊の類がうめき声を上げ、異様な冷気を放ちだした。

(乱闘になったら毒煙玉でも撒いてどうにかすっか……)

 甚八丸が制圧用の煙玉を入れているふんどしの中へ手を突っ込んだ。

 他の忍び連中も警戒して取り巻いているあたり、この集まりで尤も危険な人物だというのは共通認識のようだ。

 一方で影兵衛は向けられる敵意を涼しく受け止め、やや酩酊した思考を整えながら状況を咀嚼していく。

 願い、と聞いて彼の頭に咄嗟に浮かぶ『殺し合い』と『助平』だが、ちょっと待てよと欲望を口に出す前に思い至った。

(別に殺し合うならお願いしなくても切りかかりゃいいだけだしな。助平だってここでやらんでも機会の一つや二つあるだろ)

 お願いして正々堂々と勝負することはなにかあまり意欲が湧かない。勝負というのは互いに条件を平等にし、予め決め事をしてやるよりも突発的かつあらゆる手段を使って殺し合うのが最も楽しい。

 いずれ、「ここで九子に斬りかかると楽しめるだろうな」と思える瞬間がやってきたときにお楽しみは取っておきたい。助平を頼むのも自分で落とした方がいい。サシ飲みすることも結構あるので、そのうち雰囲気でいい感じになるかもしれないと思っていた。ちなみに九子からは影兵衛にまったく脈はないので男の淡い勘違い的願望であった。

 無茶な頼みをすればこの場にいる晃之介や浅右衛門が敵に回りそうなのは少し面白いかもしれないが、それだって後の機会で個別に殺し合いを仕掛けてもいいだろう。

 さてそうするとなにを頼むか。

(とすると別の頼みがいいか)

 九子が滅多に聞いてくれないこととなると仕事の手伝いを本気でやらせることも考えられる。昨今、夜鷹を斬り殺す辻斬りが増えているのでその囮捜査だとか。

(夜鷹姿の九子……ある!)

 なにか一人で納得しそうになる影兵衛だが、本当にそれで良いのだろうかと考え直す。悪党に狙われやすい九子のことだ。一晩で犯人に狙われて返り討ちにし解決、願い事終了となる可能性が非常に高かった。

(九子の裸踊りを見てみてェ気はするが……恨まれそうだな)

 九子だけならまだしも噂が広まれば助屋の面々にも嫌われ、そうすると気軽に飯と酒を楽しみにいけなくなる。

(とすると意外と難しいな。願い事。チッ……)

 軽すぎたら損をするし、重すぎたらリスクがある。

金や物ではなく満足できて、他の者が羨み、優越感に浸れるような内容がよい。

 酩酊感故の考えの纏まらなさと、若干の疲れを感じながら影兵衛は固唾をのんで見守る男どもの顔を見回した。

 そしてすっかりダウンしている利悟を見て、ふと思いついた。

(……なるほど、こいつァありだな)

 影兵衛は悪い笑みを浮かべて、願いを決めた。こういうことはあまりグダグダ悩むのも自分の性分ではないと思ったので、一度そうと決意すればあとには悩まない。

「よォし、そんじゃァ九子!」

「おう」

「いつでも膝枕させろ。そんで拙者以外に膝枕禁止な」

「ええええ⁉」

 男たちが微妙に嫌なところを突かれたとばかりに不満の声を上げた。

 特に他人は膝枕禁止という要求が強い。

 他の者たちは自分ならなにを願うかと妄想までしていたが、他人に禁止させる発想はなかった。晃之介は弟子入りさせれば九子の無防備な接触へ説教できるとは思っていたが、そう強い規制ではない。

 影兵衛の願いは膝枕の独占権である。具体的には利悟が膝枕をされていたらやたらムカつくので全面的に禁止したのだが。

「ふーん、妙なことを願うのう。まあ、それぐらいでいいなら構わんが……」

 九子は首を傾げながら奇妙な願いを許可した。なにせ、別段誰に膝枕をする予定があるわけでもない。彼女の膝枕は上から伸し掛かる胸が邪魔だという理由でお房にも不評であった。

 影兵衛が頼むのならば胸を揉ませろとか吸わせろとか挟めとかそんな直接的な内容かと思って身構えしていたのだが、たかだか膝枕。ピンサロかと思ったらリフレぐらいの肩透かしであった。

 むしろ見た目が少女になっているとはいえ、九十になる爺の膝枕をねだるオッサンに哀れみすら感じた。

 というか酒の席だろうが、見た目年下の少女に膝枕を頼む中年がそもそもアレだ。

 欲望全開である利悟や玉菊ならわかりやすい変態なのだが、一見渋めの無頼漢めいた影兵衛がそんな女の子の膝枕を欲しがるとは。

「キモ……いや、なんでもない。じゃあ早速膝枕していくかのう?」

「酷ェこと口にしかけなかったか⁉ ええい、準備しやがれ!」

 男どもに見せびらかすには今が一番だと判断した影兵衛が要求するので、酒の席の余興気分で九子は座って呼んだ。

「ほれ」

「よォーし……よっこらしょいと!」

「うえ……髪が若干脂ぎっておる……中年の皮脂……」

「椿油だよ!」

 文句を言いながらも正座した九子の膝へと頭を乗せる影兵衛。案の定顔の上には胸があり、デカパイ太ももサンドイッチ伯爵である。

 酒で熱を持った頭にはひんやりとした胸の重みが気持ちよく、なんとも安心できる寝心地であった。

 影兵衛とて遊女屋で遊んだことは数知れず、膝枕に耳かきもされたことはあるのだが、不思議と九子のここが一番だと思えた。

(こいつ斬り殺すとこれ味わえなくなるのかよ……勿体ねェ)

 なんてことを考えるぐらいに、心地よかった。柔らかくて良い匂いがする。酔いに任せてこのまま眠ってしまいたい気分だった。

 しかし、だ。

 ちらりと影兵衛は男たちの様子を見ると。

 苦々しい顔の甚八丸。手拭いを噛み締めたり号泣したりする忍び連中。拳を握って耐えている晃之介。浮気現場を見た寝取られ男みたいに呆然としている浅右衛門。

 床に倒れていた利悟が朦朧とした目線を向けて、よろよろと手を伸ばす。

「う……ううう……そこは拙者の……膝枕……」

 苦しみながら求める声に、影兵衛は口の端を吊り上げて告げる。

「はい駄目ェ。今日からこの膝枕は拙者専用だから手前らは頼んでもできませェん。残念でしたァ。カハハハハッ!」

「ぐっ!」

「ぐううう……」

 男たちが悔しそうに呻く。それを楽しそうに影兵衛は見ていた。

 一方で膝枕をされている九子は、

(アホだのう……)

 と、微妙にその場の全員を蔑んでいたのであるが。