録山晃之介の願い『弟子入り』



 録山晃之介は江戸でも珍しいぐらい武芸全般を修めている。

 俗に『武芸十八般』という言葉がある通り、江戸の初期頃では武士の心構えとして十八種類(小分類すればまだ多いが)の武芸技能を学ぶべし、と言われた。

 剣術や槍術などの武器を用いる技から、水泳術や馬術といった運動技能、それに柔術だ。だが現実として、戦国の世でもないのにそんな使いもしない多種多様な技能を真面目に学ぶ武家は徐々に減っていき、中期頃にはほぼ居なくなっていた。

 精々が剣術や馬術。同心与力ならば捕縛術、柔術、十手術ぐらいであろう。そもそも平和な日常ではまともな武士になればなるほど、役人の如き仕事が日々を圧迫して鍛錬の時間も取れなくなるのだ。

 そんな中でクソ真面目に武芸全般を鍛えているのが晃之介の『六天流』であった。

 水泳術、馬術、隠形術は基本技能とし、それ以外を剣術(居合を含む)、短剣術(手裏剣、暗器、鎖鎌を含む)、槍術(薙刀を含む)、棒術(もじり、杖術を含む)、弓術(砲術を含む)、徒手空拳の六つに分類して武芸を学ぶ。

 どの武器を手にしても十全に戦うことができる、総合的な流派である。

 だが前述した通り今は戦もない世の中だ。どれか一つならまだしも、そんなに全部学んだ所で活かす場面などない。

 どこかの藩の武芸指南役という選択肢はあるかもしれないが、それだって剣の専門家、槍や弓の専門家といった者を雇うことが多い。

 一人で全部できる必要などないのだ。

 かといってちょっと裕福な町人などが軽い気持ちで学ぶには稽古内容が厳しすぎる。

 それ故か、まったく入門者が来ない寂れ道場であった。


 晃之介の時代錯誤な流派はともかく。

 彼の鍛錬によって培われた技量はまごうことなく一流であることは確かだ。

 それこそ大名に仕える指南役の武芸者と、相手の専門分野に挑んで勝負したところで勝利するだろう。器用貧乏ではなく万能選手の技術を持っている。

 彼は手裏剣や暗器を投擲する術にも長けており、披露することはあまりないが忍び連中よりも腕前は上であった。

 どんな武器を手にしても扱えるように、その流派の理念からしても初めて手にしたダーツでも問題はない。

 酩酊した意識も呼吸により丹田に生ずる内功である程度は浄化することができる。

 即ち、

(当てられる……!)

 と、晃之介は回る褒美の的を見ながら確信した。

 一番の褒美、願いを叶える権利。

 だが問題がある。それはなにを願うのかということだ。

 咄嗟に脳内へ『嫁』とか『胸』とかいった邪な単語が浮かんでくるが、振り払う。

(いくらなんでもそんな要求はないだろう……!)

 となると現実的に困っているのは金であった。

 しかしわざわざ願いを叶える話で大金を要求するのは余程の守銭奴に見られる。

 武芸者などという、武士とも言い難い身分ではあるものの彼にも小さなプライドがあった。(一応は浪人身分である)

 なにより金を要求したら九子が、なんとも形容できない慈愛の目つきで渡してくることが容易に想像できた。

 女に金を請求する男。

 そんな存在になりたくない。

それならばまだ、穏便に『十両』の部分へ当てた方が合法的に得られる。いやそれもちょっと、現金を渡されるのは嫌だ。米と味噌でいい。

 晃之介が妥協をしようと考えたのだが、ふと心配事が脳裏に浮かんだ。

(九子はあまりに無防備すぎるな……)

 こんな、どうとでも解釈される条件を褒美で出すこともそうだが、むしろ自分以外全員男しかいない飲み会を主催することがまず危機感があまりにもない。

 腕っぷしに自信があることは認める。腕力でいえば晃之介よりも上だ。一度だけ勝負をしたが、そういった勝負事に慣れているようにも見えた。

 彼女が九十歳ほどになる天狗だというのも、見た目にそぐわぬ技能から納得ができた。

 だがそれと男から助平に狙われて危ないのは別の話だ。

 九子には借りがある。金だけではなく、勝負に負けた事情もあって晃之介も特別視しているため、そんな相手が危なっかしいと心がざわついた。

 少なくとも、そう彼は考えている。

 ただ注意や助言、庇護をするにも相手は自分より年上で、金持ちで、勝負事にも強い。若い晃之介の言葉も軽く見られてしまうだろう。彼は九子の父や兄ではないのだから。

(父や兄……そうか!)

 現状の問題を幾つか同時に解決する願いの内容を思いつき、晃之介は物の試しにやってみることにした。

 問題があれば撤回すればよいのだ。

「はあ!」

 気合を入れて放擲した彼の一矢は、狙い通りに大当たりへと突き刺さった。



「九子への願いは──俺の弟子になることだ」

「なぬ? お主の道場の?」

 疑問の声に晃之介は頷き、表向きの理由を語った。

「ああ。なにせ俺の道場は未だに誰一人として門弟が居なくてな」

 彼の言葉に忍びの数人が顔を見合わせてげっそりと呟く。

「興味本位で行ってみたらあの先生の鍛錬ドチャクソ厳しいの……」

「おれ、三日は筋肉痛で動けなくなったよ……」

「お前らは何回か来たことがあるやつらか。また通ってもいいんだぞ」

「遠慮しておきます!」

 晃之介の噂は聞いていたので忍び連中もちょっと鍛錬を受けてみた者が居たようだ。

 常人どころか武士に比べても鍛えた肉体をしている彼らにとってもしんどいぐらいの鍛錬は、普通の者にすれば拷問に等しいだろう。

 幼少時からその拷問を受けている晃之介は特にキツイと思っていない。それが問題ではあるのだが。

「思うに……誰も弟子が居ないから余計に誰か入門しにくいんじゃないか」

「まあ確かに、飯時になっても誰一人客が入っておらん飯屋はちょっと入りづらいみたいなところはあるよな」

「九子が弟子ならお前の知り合いがくるかもしれないしな」

 それこそ忍び連中の者がまた通うようになる可能性もあった。一応は鍛えている彼らは鍛錬についていけさえすれば弟子候補になる。

 なにせ江戸の人間の中にはろくに走り方も知らないといった者も少なくないのだ。下忍程度とはいえ貴重な運動能力であった。

「それに九子は十分に入門する体力があるようだ」

「どこかのオッサンみたいに、走っただけでゲロは吐かんぐらいにはのう」

「うるせェーぞ!」

 影兵衛から文句が飛んできて笑い声が上がる。

 六天流は基礎として飛脚並の体力と軽業師のようなバランス感覚に鎧兜を身につけて泳げる程度の水練を必要としているため、ほとんどの入門希望者がそこで阻まれる。

 どう考えても入門者がいないのはハードルが高すぎるせいだ。それこそまともにこなせるのは精々が甚八丸ぐらいだ。

「うーむ。まあ、願いを叶えるわけだしのう。他の仕事もあるから、二日に一回通うぐらいでいいなら」

「よし! そうだな……延々と通わせるのも悪いから、一年を目処に考えるか。良ければ継続してくれ」

「わかった。では、よろしく頼むぞ晃之介……いや、師匠と呼ぶか」

 晃之介は満足そうに頷いた。

 入門者が居ないので、客寄せというか見栄で誰か一人でも入って欲しいことは本当だ。

 九子の能力が六天流を習得するに値するほど優れているのも本心だ。

 だが、隠した事情として──

(師匠であるなら弟子へ多少は注意しても問題はないだろう)

 そういう思惑があったのだ。

 師匠となれば父兄も同然。弟子の日頃の態度にも心持ちや気構えといった理由で、しゃんとさせる叱責をしてもよいはずだ。服装の乱れだとか人前での過剰な飲酒だとかその気のない男の肩を揉むだとか。

 更には九子に怪しからぬ男が近づいたとしてもそれを排除することもできる。弟子を守るのは師匠の義務だから当然だ。

 弟子の期間が終わったらどうするのかとかそういった穴が見受けられる作戦だったが晃之介もある程度酔っているので深く考えずにそう決めた。

 一方で九子は、さっと叶えられる願いではなく多少時間が掛かることで面倒とも思ったものの、

(長い人生、まともに武芸を習ってもいいかもしれんのう。やたらこっちに来て荒事に巻き込まれるし)

 そう思い直して前向きに受け入れた。

 彼女は昔、異世界に行ったばかりの頃に傭兵団へと入ってそこの者たちからある程度の戦場で生き残る術を教わった。

 その後、都市国家の騎士という名の公務員に就職してからも少々は訓練で武器を振り回したり人間を取り押さえたりする技を身に着けた程度で、まともに武芸は習得していない。

 格闘術を習っているのと習っていないのでは実戦でやりあった際に、同じ体格であろうとも大きな差が生まれる。空手やボクシング経験者に喧嘩しかしたことがないチンピラが勝とうとしても難しいのだ。九子が武芸者に勝てるのは身体能力を活かした奇襲を行うからだ。

 独り者として気楽に生きるか、共に過ごすのが魔女や魔王のような自分よりも遥かに強い者ならまだしも、江戸で暮らすならばいざというときに備えてもっと鍛えておくのも悪くはない。

 ついでにいえば、

(弟子から小遣いの金を貰う晃之介も見てみたい……)

 そんなやましい心も九子に芽生えていた。

 弟子で、見た目は少女な相手から小判を貰ってそれで生活するのだ。

 それを眺めるのはさぞ楽しかろう。

 二人の思惑が一致し、九子の弟子入りは決まったのであった。



 予定を合わせて九子が正式に入門することになった当日。

 九子は朝から戸塚村にある晃之介の道場へと入った。

「よく来たな」

 出迎える晃之介に、九子は気怠げな普段とは違って元気よく応える。

「はい! 師匠! これはお月謝です!」

「ん? あ、ああ。そういえばそう……だな?」

 九子が近づいてきて晃之介の手に金を握らせてくる。当然ながら指導を受けるのだから月謝を払う必要がある。晃之介の頼みで弟子入りしたので彼も失念していた。

 どこか菩薩めいた笑みを浮かべる九子にぎゅっと手を握られ──そこには一両小判が。

「高すぎる⁉ うちは月に一朱程度だぞ⁉」

「まあまあ。世の中にはそくしゅうというものがあるのだ。道場主初心者の師匠は知らんかもしれんがのう」

 言い聞かせるように告げる九子とて、入門前に店で準備をしていて石燕に聞いた手続きの情報だったのだが。

 束脩はいわば入門料金であった。とはいえ本来ならば物納が主流だ。墨だとか筆だとか、実用的で価値のある道具を師匠に渡す習慣があった。

「しかし……考えるに弟子一人から月謝を貰っても一朱(三百十二文、六千二百四十円)程度では生活できんだろう師匠……」

「うぐっ……こ、これでも相場よりは少し高くしていてな……」

「儲かりそうにないのう。道場主って」

 大勢の門下生がいること前提な価格であるためか、九子一人の礼金では厳しい。

 江戸で道場が幾らほど月謝を取っていたかは、決まった額はない。それに門下生の経済状況にもよって個人で違っていたともされる。

 『武士の家計簿』(新潮社)によれば加賀藩の藩士が通っていた道場で月謝が最低で銀二匁であった。これを百六十六文とすれば晃之介の道場は倍ぐらい取っているのだが。

 そんな調子で道場主は生活できるのかというと、さすがに道場収入だけでは厳しいものがある。潰れる道場も多かったが、安定して経営できるものは支援者がいた。藩や大身旗本が支援すれば門下生の数は増え、大商人や豪農が支援すれば金銭と食料問題が解決する。

 この道場の場合、晃之介は認めたがらないが支援しているのは九子になる。

「ほれ、道場の中を見るに物が増えたではないか。そういうのを用意するのにも金が必要だったろう。師匠や、貰っておくれ」

「う、うむう……」

 釈然としないのだが九子用の道具や道着を買い揃えて出費があったのは事実だ。本来、竹刀や木剣などは門下生が持参するが、この天狗は持っていなかろうと思って晃之介側が用意していた。

 初めての本格的な弟子なので奮発したところもある。

 仕方なさ半分、申し訳なさ半分で小判を受け取る晃之介の絶妙な表情に九子は満足。

 弟子が師匠を養うというか、月謝を渡し内弟子ならば家事を担当するのも普通なのだが、どうも少女相手にやると雰囲気が違うようだ。

「とにかく、修行を始めよう。九子はまずその道着に着替えてくれ」

「師匠の汗臭い古着ではないかこれ? くんくん……」

「嗅ぐな! ちゃんと古着屋で買ってきたやつだ!」

 白道着に黒袴の質素な着衣を渡されて九子は手に取って広げた。女子用などはないため、大きさは。背丈が六尺もある晃之介の古着では九子にとって大きすぎる。

「どれどれ」

 九子はバサリと羽織っている着物と青白い衣を脱いで着替え始め「うおおお!」

 ……唐突に晃之介は壁に突進して頭からぶつかった。

「いきなりどうした」

「いきなり着替えるな!」

「師匠が着替えろと……」

「どこか、隠れて着替えてくれ! これは道場の掟だ!」

「そんな掟があるのかのう……」

 女子は隠れて着替えなくてはならない。まるで校則のようだ。仕方なく道場の隅に用意されていた、枕屏風で仕切られた中に入って道着を身につける。

 顔面をぶつけた晃之介は壁を睨みつけブツブツと呟く。

(こんなはしたない仕草も指導して矯正しなくては……! 俺以外の前で脱ぎだしたら大変なことになるぞ!) 

 無防備な弟子が悪鬼羅刹のごとき知人男性どもに襲われる姿を幻視して、晃之介の守らねばならない決意がメラメラと燃えるのであった。

「よーし、着替えたぞー」

 九子が道着姿になって現れる。いつもの胸元と太ももを出している格好からすれば幾分か真面目そうに見える。

 いっそいつもこの格好してくれないだろうか、無駄に扇情的にならずにと晃之介は密かに思いながらも頷いた。

「ではまず、下馴らしからだ」

「筆おろし?」

「下馴らし! 準備運動だ! これを担げ!」

「師匠のよく担いでおる木箱だな」

 背負紐のついた木箱は中に砂袋が入っていてずしりと重たい。

「俺のは十貫(三十七.五キログラム)入っているが、そんな重さだと九子は転ぶと起き上がれないかもしれんからな。三貫(十一.二五キログラム)ぐらいにしておいた」

「ほとんど己れの体重と同じぐらいだからのう。十貫だと」

 九子は大層な力持ちであり、百貫はありそうな岩を持ち上げることもできるのであるが、本人の体重は見た目相応だ。

 バランス感覚に優れているため、足を地面にガッシリとつけて持ち上げる物体の重さを上手に伝えることで担ぐことはできるのだが、どうしても重量差に振り回される。

「初日だしな。では、俺が前を走るからついてこい!」

「押忍!」

 草鞋をきつく結んで二人は準備運動の走り込みへと向かった。

 六天流は体力と筋力、それに平衡感覚が基本的に必要とされる。それを一気に鍛えるため、重りを担いだまま道なき山道や岩場など足元が悪いところを駆け抜ける。

 まるでパルクールのように崖や倒木を飛び越え駆け抜けていく。下手に目撃されればまさに天狗かなにかだと思われかねない。

 これが走り慣れていないものだと、転び、頭を打ち、ご臨終になってご家族の方から焼香される羽目になるだろう。 

 九子は元々バランス感覚に優れている。学生時代はプロレスに憧れてロープの上に飛び乗って空中殺法の真似事をしていたこともあった。また、体力も術符で常時回復していくので晃之介についていくことができる。

 だが、

「これ……普通の大人や子供だと厳しくないか?」

 走りながら九子がぼやくと晃之介の息も切れていない冷静な声が返ってきた。

「子供なら背負いものをやめてもいい。俺も小さい頃は背負わず走らされていた」

「そうかえ」

「確か五歳ぐらいから重りを背負わされたんだったか」

「子供すぎるだろ!」

 物心がつくかつかないかの頃合いから日々鍛錬漬けであった上に、比較対象が同じく流派を修めた父しかいなかったので、晃之介は少々常識離れしている。

 それでも彼は、普通について来られている九子を時折振り向いて確認し感心した。やはり彼女ならば問題なく下馴らし程度はこなせるようだと満足する。

 だが同時に気づいた。

(……いかん! 揺れが……人目を引く!)

 激しい動きをして走るものだから九子の胸が大きく上下に動いていた。

 あれでは忍び連中などには目に毒だ。違う。鍛錬の邪魔だと晃之介は思い直した。