山田浅右衛門の願い『逢い引き』
山田浅右衛門は剣の達人と言える。幼少時から剣才を認められ、厳しく鍛錬を積み重ね若くして円熟の実力を持つ。
力強さ、振り筋の正確さ、体捌きのどれをとっても一流であるが、他の剣客よりも顕著に優れた能力といえば眼力であった。
それは動体視力であり、呼吸や筋肉などの微細な動きを見抜く才覚であり、そういった一瞬の視覚情報から瞬時に判断を行う力であった。
天性の眼力に加え、罪人の首を切り、その体を腑分けし続けてきたからだろうか。
彼は相手が服を着ていようとも全身の筋肉の動き、骨の連なり、内臓の脈動すら透けるように見て取れた。さすがに普段からそんな調子では気疲れしてしまうので、仕事や稽古で集中したときだが。
彼が精神を統一し、眼前の物事へ注意したとき、視界に動くものは雨の一粒一粒すら把握し、緩慢な遅さに見えてくる。
だから、ぐるぐると回る褒美の書かれた円板も浅右衛門からすればとてもゆっくり回って見えた。
別段、彼は大きな褒美などいらなかった。
そもそも彼は金持ちなので生活に困らず、名誉欲もほとんどない。穏やかで、樹木のような先生だと門弟に言われたこともある。うどの大木を最大限好意的に言ったのかもしれないが。
そんな彼が近頃、望外の喜びとしていることが、九子や助屋の人々、千駄ヶ谷の忍び連中などとの交流であった。
彼らは浅右衛門を首切り役人だからといって恐れもしなければ避けもしなかった。
生まれて初めて友達ができたのである。
幸せを知らなかった殺人機械が人の心に目覚めたように、彼の日々は充実していた。
だから望むべきことはむしろ、現状維持ですらあった。
例えばだが、九子と特別な関係になったとして。
それで彼女を慕う者たちから恨まれ、縁を切られればとても悲しいことだ。
今が幸せならそれでいいではないか。
浅右衛門はそう思って、ダーツが精々『肩揉み券』に当たるよう狙いを定めた。
そもそも彼は投擲など専門外。ある程度は当たるかもしれないが、的がゆっくりと見えるほど集中していたとしても大当たりなど刺さるはずもない。
だから、もしも。
なにかの偶然で──それに当たったのならば。
邪念が、よぎった。
「あ」
ぷすりとそれは、過剰なる願いへと届いてしまった。
最初、浅右衛門は辞退をした。『肩揉み券』でいいから、とそう言って。
だがそれは認められなかった。あろうことか、忍び連中が認めなかった。
「浅右衛門さんの辞退は俺らの夢の否定ですよ!」
「悪い前例ってやつになりますから!」
「程々に! 程々にいい感じのやつでお願いします!」
そう頼まれたのである。
なにせ記念すべき初お披露目の大賞品、天狗がなんでも願いを叶えてくる権利なのだ。
それをしょっぱい権利と交換しては、また同じような権利が出されたときに基準となってしまう。
下手をすれば紳士的に辞退することが正しいなどという同調圧力さえ生まれかねない。
かと言って過剰に助平な行為は謹んで欲しい。
そんな感じで忍び連中が涙目で頼み込み、集まった皆も頷いた。
そういうことになって浅右衛門はどうにか考えを巡らせる。
今でも彼は十分に幸せだ。
しかしそれは、これまでの人生と比較しての話である。
本当の幸せとはなんなのか。経験したことがないからわからない。
わからないが……
「そ、それなら……」
言い淀みながら発言する浅右衛門を皆が見守った。
「一緒に買い物に行って……どこかの茶店でお茶でも飲んで……帰って手料理とか作ってくれたらなあ……って、願いすぎ、だよね」
自信なさそうに告げた内容に、男たちは顔を見合わせる。
そして全員の視線が九子へと集まった。
彼女は内容を考えて認可を出す。
「ようは一日デートか。良いのではないか? それぐらい」
「許可ァー! 逢い引きの許可降りましたァー!」
「合格~!」
「よし、これぐらいは大丈夫なんだな!」
安堵した様子で忍び連中は盛り上がった。なるほど、嫉妬ぐらいはするが恨む程度ではなく、また自分たちも願わくはそれぐらいやりたい絶妙なラインであった。
確かに九子が誰かと逢い引きするのは強い寝取られ感を受けた。
しかし逆に、誰にでも可能性という希望もあるのだ。
それに浅右衛門ならば下手な抜け駆けはすまいという人格への信頼があった。これが利悟だったらデート中に邪魔をしていただろう。毒殺とかそういう形で。
「かぁー! 羨ましいなあ浅右衛門さん!」
「楽しんできてください!」
などと励まされて、浅右衛門は翌日に早速デートと言うことになった。
当然ながら浅右衛門はそういった男女の付き合いなんて経験はないので、プランは一晩で九子が考えることにした。
なにせ本来は九子が接待する側なのだから当然だ。
浅右衛門は今日だけは首切りの仕事が舞い込んでこないように神棚へ願掛けをしてドギマギとしながら待っていると、九子が屋敷へ迎えに来た。
「浅右衛門やーい、遊びに行くぞ~」
「や。きょ、今日はよろしくお願いします」
「お堅いのう。折角だから賑やかなところへ行くぞ」
「わ」
九子は自然な動きで浅右衛門の手を取って近くの船着き場へ行き、船宿にて舟に乗って江戸一番の商業地である日本橋へと向かわせた。
「あの。船代とか、買い物とか、某が代金出すから」
「ん? いやお主を楽しませるための一日だろう」
「気が引けちゃう」
「あー、まあわからんでもない。では浅右衛門や、奢っておくれ」
自分が権利を行使して接待させているにも関わらず、浅右衛門は自分が金を出すという。九子とて元々は男なのだから、そういったデートで男側が支払いをする義務感はわからなくない。
これが晃之介とのデートだった場合は問答無用で九子も言いくるめて、散々遊び尽くすのを延々と九子が払って相手に罪悪感を抱かせる楽しみがあるのだが、浅右衛門にそうするのは彼に悪い。
だいたい浅右衛門とて、他人に奢るほど金持ちである。見栄で無理をしているわけではないから、九子は彼を立ててやることにした。
日本橋は街道の起点であり日本各地からの交易品が集まる町だ。魚市場も近くにあるためにここで買えないものはない。
浅右衛門はあまり日本橋にはやってこない。だが刀を取り扱う店には縁があり、時折寄る程度だ。江戸の中で刀の鑑定士として誰もが認めざるを得ないのが、試し切りの山田浅右衛門なのだ。
無名の作刀でも彼の持つ眼力を持って検められたら、刀身に歪みがないか、研ぎにむらがないか、鋼に
人の胴体を斬ることで刀に箔をつける仕事をしているが、実際のところ浅右衛門は手にとってまじまじと鑑定しただけで刀の良し悪しは九割ほど見抜く。
それはともかく、今日は刀関係ではなく楽しいデートなのだ。浅右衛門はどうしようかと悩んでいると、九子が手を引いて京都の煙管屋へと入った。
「あまり重たい土産はあとで買うとして、軽めのやつを見ていこうではないか。おい、ちょいと良いか」
気軽に九子が手代の者を呼んで商談に入る。
「面白い煙管はないかのう」
この頃、江戸では『飾り煙管』という変わった細工が施された煙管が流行っていた。
実用性より
「ありますとも! こちら、煙管の雁首と吸口の間を長い鎖で繋いだ『鎖煙管』でございます!」
「間が鎖だと吸えんだろこの煙管⁉」
「雁首を投げて使います」
「投げるな!」
「こちらは火皿に専用の花火を入れて爆発させる『煙管花火』でございます!」
「どうしてこの流れでそんなに自信満々に次のを出せるのだ⁉」
本当に変な煙管が出てきたので、九子が店員とああじゃないこうじゃないと言い合うのを浅右衛門は面白そうに見ていた。
煙管同士を繋いだヌンチャク風の双節煙管。かの柳生宗矩が使っていたとされるやたらと長い煙管。食べられる飴細工の煙管(蟻が集っていた)。どうみても下ネタを造形している煙管。
次々に並べられる煙管の中で、浅右衛門がふと気になってものを取ってみた。
「や。これは?」
「それですか? チッ。お目が低い。単なる夫婦煙管ですよ。つまらない品です」
「めっちゃ態度が悪い!」
浅右衛門が手にした、至って普通の銀煙管を見て顔をしかめて手代は吐き捨てた。
二本一組で羅宇の部分に片翼の鳥がそれぞれ意匠されている。比翼連理を意味しているようだ。
「……それ、欲しいのかえ?」
「うん」
「よし、ではこれを貰おうかのう」
「キエッ! そんなゴミを⁉」
九子の提案に露骨に渋面を浮かべる店員。なにが彼を突き動かすのか。
「ここの商品であろう……」
「うえええ……折角ならこの魔羅型煙管も一緒にどうです? ご立派ですよ?」
「要らん!」
何故か商品が売れたのに嫌そうな手代だったが、かなり安い金で良さそうな煙管が手に入った。二つセットなのもデートの思い出によいかもしれない。
外へ出て煙管を分け合い、九子は微笑んだ。
「まあ、デート記念によかろう」
「家宝にしよ」
「使えよ。そんな高いものではないのだから」
呆れながらも九子は夏の日差しに胸元をパタパタとする。彼女に仕草に、浅右衛門が周りを見回して、
「や。ちょっと待って」
と、近くにあった蛇の目傘を売っている店に入って、すぐに傘を持って出てきた。
「これ。日傘に」
「おお、気が利くのう」