根津甚八丸の願い『農作業の手伝い』
「うあ゙ああああ──!」
甚八丸が適当に投げたダーツはいかなる偶然か、見事に『願いを叶える権』へと的中をしてしまったので、思いもよらない結果に彼は悲鳴の叫びを上げた。
彼としては狙ったわけではない。そもそも、甚八丸とてそれなりに酔っ払っているから回転する的へと狙い通りに当てるなど不可能な状況であった。
軽く「できれば十両が欲しいなあ」とか思って雑に投げたのだが……どういうわけか一番面倒くさい、九子になんでもやらせることが可能な権利を得てしまったのである。
周囲にいた忍び連中が急に甚八丸へと襲いかかった。
「この──卑怯者がぁ!」
「なにが⁉」
涙ながらに忍び連中は甚八丸の乳首あたりを執拗に狙って絶縁状を飛ばしてくる。
「こんな卑劣漢とは思いませんでしたよ頭領! 絶縁状を叩きつけてやる!」
「喰らええええ!」
「なんで全員が絶縁状持参で宴会にやってきてんの⁉ しかも俺様の乳首に投げつけんじゃあぬええ!」
血の涙を流す忍び連中から次々に絶縁状を投げつけられてキレ返す甚八丸である。
「どうせ甚八丸さんが助平な要求を通すため、寿命を削るような集中力使って当てたんでしょ! 能力の無駄遣いして!」
「投げる前に八幡大菩薩に祈りを捧げているのを見たぞ!」
「制約と誓約で命中率を上げたんだ!」
「うるせー! 話をややこしくすんなああ!」
襲いかかりながら不満を叫んでくる手下たちを返り討ちにして怒鳴り返した。
そしてだんだん腹が立ってきた。
(だいたい、なんでえ! 面倒な褒美をつけやがって! 素直に百両とかにしとけ!)
現金百両だったら富くじを当てたように羨まれるだろうが、殺意までは向けられなかったはずだ。甚八丸としてそれぐらいの大金だったなら全員に酒でも奢って気前の良さを見せるのもやぶさかではない。
だが、九子がなんでも叶えてくれる、という一見自由な選択肢が罠なのだと甚八丸は見抜いていた。
この条件で堂々と「じゃあ百両くれ」などと頼めばまるで守銭奴みたいではないか。
九子から百両も小遣いを貰った細長くて物を縛るアレと呼ばれる風評は生涯消えることがなくなる。
かといって例で挙げたような、自宅に温泉を掘られても大騒動になることは目に見えている。他に天狗の能力でなにか便利なことができるかというと、具体的に思いつくほど彼らは九子の術に詳しくない。
それこそ石燕がやったみたいに、空を飛んで何処かへ旅行させてくれるぐらいだろう。贅沢な使い方としては。
或いは他の忍び連中が興奮して妄想している、助平な要求といえどもこの宴会の中だ。
下手に直接的に助平なことを頼めばまず間違いなく他の男たちから始末される。
となれば、他の童貞忍び連中が思うような、お手々を繋いでお茶をしばきに行きたいだとか、耳かきをして欲しいだとか、手料理をあーんして欲しいだのそういった程度の、周囲から殺されない願い事になる。
どちらにせよ、百両を賞金として用意するよりも遥かに安上がりだ。
(くっ! この性悪天狗め! 完全に裏まで読んでそう設定しやがったに違いねえ!)
甚八丸はこの機会に、どうにか日頃から自分を弄んでいる女天狗へ反撃できないものかと考えを巡らせた。すぐに裏切る周りの手下もムカつくが、そうさせているこの女にも原因がある。
単純に金や物、それに肩揉み一ヶ月分とかではない。周りから嫉妬も受けず、かといって九子も面倒臭がりつつ断れない程度の願いを……
パッと、甚八丸の脳内で良案が浮かんだ。
彼は悪い笑みを浮かべながらそれを思案し、そして丁度いいと判断する。
上手くこの機会を使えば大金や財産を得ることができるかもしれないが、そうでなくても甚八丸は収入も増えて身分も上がっているのだ。これ以上を望むよりは、今反撃しなければ永遠にやられっぱなしとなる気がする天狗への嫌がらせをする方がよい。
「よぉし! 思いついたぜ!」
「ほう、なんだ?」
「九子、てめえには今年一年……うちで田んぼの手伝いをして貰うぜ!」
「む? な、なんと……⁉」
「農作業だ、農作業! 泥まみれ汗まみれになってお百姓の気持ちを味わいやがれ! ゔぁーっはっはっは!」
言うまでもなく農作業は大変な仕事だ。特に甚八丸などは農地が広く、人を雇っているほどであった。幾らでも人手が欲しいぐらいだ。
「の、農作業か……ううむ」
九子もうめいた。まさかそんなことを願われるとは思ってもみなかった。
はっきり言って地味な仕事である。そして九子の持つ能力はあまり生かされることがない。怪力も、飛行も、炎や氷や雷もほとんど意味はない。渇水になれば水を出せるのは便利だろうが、そうでなければ水田の管理された水に足す意味はない。
それに九子は別に現代で農学校に通っていたわけでも、過去にタイムスリップして農業革命を起こすにはと日頃から調べていたわけでもなく、未来や異世界からやたら便利な作物の種を持ち込んでいることもない。米作りに画期的なアドバイスなどほとんどできないだろう。
かと言って、農業なんて大変面倒なことをやりたくないなどと拒否するのは農民への侮辱で信頼関係を損ねる。甚八丸や、ここに居る忍び連中とてそういったことをこれまで生業にしていたのだ。
断る理由は「しんどい」ということしかなく、そして今は甚八丸の願いを叶える約束になっている。
九子は諦めた様子で、渋々と頷いた。
「……わかった。では明日から手伝おうかのう」
「よぉーし! じゃあ七つ前(午前四時前)には俺様の家に来やがれ!」
「なぬ! そんな早くか⁉ 遅くまで酒盛りできんではないか!」
「農民の夏は朝早ぇんだよ!」
甚八丸の厳しい言い分に、忍び連中は「大変なことを頼むなあ」と、先程まで彼を裏切り者の敵だと思っていたことも忘れて微笑ましく見ていた。
むしろ農作業のことならば自分が九子に教えてあげられるかもしれない。そんな下心もあっただろう。農業などやったことのない晃之介などの武士たちも、
「自分で言い出したことなのだから、精々頑張れよ」
と、友人の苦労を冷やかすのみであった。
……こうして、甚八丸が叶えた願いはその場にいた皆から、ひとまずは受け入れられて笑い話になった。
小さな問題はその日、解散したあとで起こった。
「なんでてめえも俺様の家についてくるんだよ!」
「仕方あるまい。今から家に帰って早くに起きてお主のところまで行くなど面倒すぎるではないか……今晩は泊まらせろ」
「晴海がなんて言うか……」
「それぐらいは己れが口を利いてやる」
そういうことになり、九子は甚八丸の家へと夜中にやってきて、出迎えた晴海に要件を告げる。
「……」
「うん? こんなやつとの約束なんて破っても別に構わないと。いやあ、しかし己れがやると言ったことだからのう。邪魔になるかもしれんが、暫く頼むよ」
甚八丸一家が九子に受けた恩や利益は並々ならぬものがあるので、今更九子から特別に褒美を受けることはないと晴海は考えていた。
むしろ九子になにか恩返ししなくてはならないぐらいだ。返せるものといえば精々が夫や自分の労働力なのだが、よりにもよって夫はその九子の労働力を要求したと。
ギラリと刃物をチラつかせると甚八丸は露骨に怯えた。
「まあまあ。己れとて嫌というわけではない。皆の前で言ったのだから、義理を果たさねば己れの面子に関わる。長い人生、農業を手伝う経験があってもよい」
どうにか晴海を抑えて納得させる九子であった。
言われたときは確かに面倒だという感情が浮かんだが、案外やってみれば楽しいかもしれないと思う気持ちも湧いてきたことは嘘ではない。
九子は若い頃からアルバイトや転職の経験が豊富で、それなりになんでも仕事をこなせるが農業はやっていなかった。怪しい草を室内栽培したことはあるが。ここで経験を積めば今後の人生で役立つときがくるかもしれない。そう前向きに考えた。
助屋の方には伝言を頼んでいるので心配はいらない。自分が居ない分は人を雇えばいいのだから、少しの間は農業の手伝いを頑張ろうと考えた。
翌朝というよりまだ深夜に近い時間には九子は起こされた。昨晩は甚八丸が血迷ったらいけないとばかりに晴海が隣で寝ていたのだが、既に彼女は起床して準備をしている。
甚八丸が相変わらずの格好で筋肉を震わせながら言う。
「夏の朝は忙しいぞ! まずは朝露が草についているうちに草刈りだ!」
「朝飯はぁ~?」
「仕事終わってからだ!」
そう言って九子も鎌を渡されて外へ出ていった。
田畑の畦道は夏の日差しを浴びて、刈っても刈っても雑草が生い茂ってくる。
農家が皆、毎日草刈りに出ているのにすべてを刈り切る頃には最初に切ったあたりが伸びていることもざらだ。
涼しく、朝露が草に付着していると柔らかくなっているためこの時間に草刈りを始める。農家にとって草は厄介者であるだけではなく、牛馬の餌となるので重要な仕事だ。
「馬の餌にするのなら、焼いたり吹き飛ばしたり土地に毒を撒いて枯らすわけにもいかんのう……」
「オラッ! グチグチ言ってねえでやれ! ……なんか怖いこと言わなかった? ねえ」
地道に九子が鎌を持って中腰になり切っていく。さすがに慣れている甚八丸や晴海は九子の倍以上も早い。なお小唄は代わりに助屋へ泊まり込みの仕事に行っている。
草刈りのような単純作業になると天狗の強みはほとんどない。強いて言うならば有り余る体力ぐらいだが、農家の子供でもできる仕事だ。
「切れ味はよいのだが村雨なんぞ振り回したら危ないし……おっと」
「そうそう九子。言うの忘れてたけどよ。マムシに気をつけろよ。あいつら草むらに潜んでやがるからな。近づいたら独特の臭いがあるからそれで注意を──」
「噛まれた」
「うおおおおおーい⁉」
九子が太もものあたりをがっぷりとマムシにやられているのを見せて甚八丸は叫んだ。
言うまでもなく日本全国に生息する代表的な毒蛇である。その毒素はハブよりも強く特に夏場はマムシの繁殖期で気性が荒い。
有効的な治療方法は江戸時代当時では血清もないので漢方薬の材料となる植物ミゾカクシを搗いて塗るとかそういったものしかなく、現代に比べて田畑へ出入りする人も多かったため犠牲者数もかなりあったと思われる。
「晴海! 絞り出すぞ」
猛烈な勢いで飛びついてきた夫妻が、持っていた鎌でマムシの首を切ってから投げ捨て、甚八丸は太ももをギュッと絞り晴海が咬傷に口をつけて毒を血ごと吸い出した。
「あいだだだだ⁉」
「大人しくしやがれい!」
「ぢゅー……ぺっ」
「こそばゆい! っていうかお主ら落ち着け! 己れに……天狗にマムシの毒なんぞ効かんから!」
本来の天狗はどうか確証がないが、ともかく。
九子には酒による酩酊以外、毒という毒のほとんどは効果がないし、寄生虫も入らなければウイルスにも感染しない。一噛みされただけで全身の血液が凝固して死ぬ毒蛇に噛まれても平気だろうし、妙な蜘蛛に噛まれてスーパーパワーに目覚めることもない。
心配する二人を押しのけて、『快癒符』で軽く傷口を撫でると小さな傷跡は簡単に塞がって消えた。
「ふう。むしろお主らが噛まれたら早く言うのだぞ。己れの唾で毒を消せるかもしれんからのう」
「なんだかなあ。自分でやらせといてなんだが天狗の無駄遣いな気が……」
「ほれほれ。早く終わらせて朝飯にしよう」
何事もなかったかのように再開する九子に続いて、釈然としないものを感じながらも二人は仕事に励むのであった。
草刈りが終わる頃になると晴海は家に戻り、朝食の準備をするが九子と甚八丸はまだ農作業の続きだ。
今度は田んぼに入って雑草を引き抜く。小さな手鍬を渡され、泥の中に入っていく甚八丸を見て九子は感心した。
「あのふんどし一丁、それなりに理由があったのだのう。よし」
と、九子は羽織っている青白い衣を胸元までたくし上げてそこで縛り、水着のようなツーピースの格好になった。下はふんどし姿である。
「……なんだろう。妙~に助平な格好の気がするんだがよう」
甚八丸がしげしげとその姿の九子を眺めて述べる。
「いや別に問題なかろう。お主、一緒に湯屋に入って己れの裸も見ておるし」
「脱ぎかけには脱ぎかけの良さが──ぎゃひぃ! はい仕事やります!」
晴海が遠くからぶん投げた苦無が飛んで来て甚八丸の尻に刺さり、彼はいそいそと除草作業へ戻った。
田んぼの除草は単に雑草を抜くだけではなく、鍬を使って土をかき分け、中に空気を入れ、また栄養をかき混ぜ、更には踏みしめることで根の張りを良くする効果がある。
単に子供が田んぼに入って遊ぶだけでも生育が良くなるとさえ言われていた。有名な話では、とある富農は田んぼの中に銭を投げ込んでそれを奉公人に拾わせて与えたとされる。これは中に入った奉公人が銭を拾おうと土をかき分けるのが生育に良かったのだ。
二人が除草作業に励んでいると畦道を小走りで進む忍び連中が三人居た。なにやら掛け声のように歌いながら進んでいく。
『
『牛車と龍がギュッギュッギュー♪』
『こいつはど偉い趣味でーしょうー♪』
『母ちゃんたちには内緒だぞー♪』
やけに陽気なリズムの合唱であった。
「……ってあれ⁉ 九子姐さんが草取りしてる!」
三人は立ち止まってふんどし姿で腰を曲げて草取りに精を出している九子を指さした。
彼女は顔を上げて笑顔を返す。
「おお、今日から甚八丸の手伝いをしておってのう。お主らは?」
「じじじ、自分たちは食料調達班なので、これから魚市や野菜市で皆の食べるものを仕入れてこようかと……」
「そうか、そうか。頼んだぞ。ふー、よっこいしょ」
再び九子はかがんで仕事を再開する。三人組はまるで固定されたように顔を尻の方へ向けてゆっくりとゆっくりと進んでいった。