江戸の花火大会、その第一回と言ってもよい今回の出来事。
花火の進化の過程をすっ飛ばしていきなり極上のものを出されたわけだが、とにかく見ていた民衆としては花火師の技術的な限界など知らないので、
「凄いぞ鍵屋!」
そういう評価で盛り上がりに盛り上がった。
翌日から日本橋横川町にある鍵屋の店には満員御礼の客がやってきて、在庫の小さな花火を買っていったり、中には弟子入りを志願する者もいたりした。
だが当の鍵屋喜多郎は胃のあたりを押さえながらそういった者を断り、店の家族や従業員にも、
「店を畳んで田舎に帰る」
などとこぼしていた。花火師の虚名があまりに大きく、期待に耐えられないのだ。
来年も頼むとか、うちの寺での祭りでも上げてくれとか、そう言われる度に顔が真っ青になって鼻血が垂れた。
あの花火を再現することは千両の金を積んで材料を集めても不可能だ。
そうこうしているとある日。鍵屋に役人がやってきて、登城するよう求めてきた。
喜多郎は胃の痛みで吐いた。
病人めいてふらつき、役人に連れて行かれる喜多郎。
脳が真っ白になりながらもひたすら平伏して待っていると、「上様の
「面を上げい、鍵屋喜多郎」
「へ、へへぇ……」
痛みを堪えたへつらいの笑みを浮かべる。口の中から血の味がした。
相当具合が悪そうだな、と誰が見てもわかる状態だったが、吉宗はここで話をやめても面倒なことになるので要件を伝えることを優先する。
「先の大花火、見事であった。褒めてつかわす。特に葵紋の花火は良かった。とはいえ、幕臣から『みだりに三つ葉葵を使わせるのはいかがなものか』という声もあってな。あの花火は年に一度、水神祭の花火大会で、鍵屋のみが使ってよいことにしよう」
「あ、ありがたく存じましてござりまする……」
頭を下げて、もはやなにがありがたいのか全くわからなかったがとりあえずそう返事をした。
「それにしても派手であったのう。どうだ、和泉守。岡崎はたしか花火が有名であったろう」
吉宗が側に控えさせた勝手掛老中、水野和泉守忠之へと問いかけた。彼は老中であり、三河岡崎藩の藩主も兼ねていた。
殆どを江戸の藩邸で過ごしているのであまり岡崎へは行っていないが、それでも名物である花火ぐらいは見たことがあった。
「花火といえば三河花火、と言いたい所でございますがさすがにあの花火には……鍵屋よ、相当量の火薬を用いたのではないか?」
「は、はは! な、何年も大きな花火がなかったもので、余らせていた在庫を全て使った次第で……今は店の火薬もすっからかんでございます!」
あくまで、花火で使い切ったということを主張してそう応えた。
とはいえ実際のところ盗まれた量の何倍もの規模で花火をやってしまったわけだが。
「まあよい。水神祭の大花火は来年も行えるように準備しておくがよい」
吉宗からのお声がけで、そのまま頷こうとしたが鍵屋はぎこちなく否定した。
「い、いえ! 実はわたくし、今回で火薬も花火への未練も全部出し切った……ので、店を畳んで田舎に帰ろうかと思っておりまして……」
「なんと」
意外そうに吉宗が言い、周りの幕臣らもざわついた。
なにせ将軍から直々に声を掛けられ、激励を受けるなどそうないこと。職人魂に火が点いて、今日という日を末代まで語り継ぐほど名誉な出来事であったはずだ。
江戸の町でも一目置かれる。だというのに田舎に引っ込むつもりであるのだ。
「いかんぞ、それは」
やや不機嫌そうに告げたのはまさに吉宗であった。鍵屋の胃が痙攣を起こして吐きそうになった。
「あのような花火作りの技……お主が在野に下れば諸藩が黙っておるまい。下手をすれば攫われ、製法を奪われかねん」
「ひっ」
なにせ、火薬さえあれば江戸城を遠くから吹き飛ばさんばかりの大爆発(火花で派手に見えるだけだが)を起こしたのだ。
一般庶民は凄い、綺麗、大迫力程度の感想だろうが、武士からすれば花火を武器に転用することを思いつく者もいたはずだ。
下手に他藩に渡るよりは殺せという幕臣の意見も出ないではなかった。
「幕府から認められた店として構えておく方が余計な問題も起こらぬ。それとも鉄砲方の
「ひえっ」
胃が捻転を起こしそうだった。ただでさえ彼には現状、天狗に比べればお遊び程度の火薬調合術しかないのにそれを武士に探られ、無い袖を振り回されては命が幾らあっても足りない。
彼は大いに、天狗へと頼んだことを後悔していたが、後戻りはできない。そしてもはや逃げることすら不可能な立場になっていた。
「こっ……これからも日本橋で、人々のために花火を売り、水神祭へと花火を奉納したく存じ上げます……!」
「そうか。励めよ」
とりあえず武士の家来になっては隠し立てもできない。鍵屋の選んだ道は現状維持だ。それ以外にないとも言える。
そして彼は心に誓うのであった。
(必死で研究して、あの天狗さまの半分でも再現して、『なんか今年の花火はイマイチだったな』ぐらいの反応で誤魔化せるぐらいの花火を開発するしかない……!)
こうして鍵屋喜多郎、いや鍵屋代々の主人が負った負債として。
彼らは花火の鬼と呼ばれるほどの意気込みで、日々を新たな花火の研究開発に費やしていくのであった。
幕府からの許可を得て、清国からの火薬調合品を手に入れることも許され、口の固い弟子らと共に取り憑かれたように花火を作る。
しかしながら技術、材料、予算には限界があり──
あれだけ頼って後悔した天狗に、頭を下げて大花火を代わりに打ち上げてもらうことが何年も続いたのであったが。火事で準備不可能な状況や、降雨などによって花火大会が中止になる度に両手を上げて喜んだ。
仕方がないことではある。いきなり花火の技術が二百年以上も進化するわけはないのだから。ただ、完成形を見せられたが故に幕末頃には既に鍵屋だけで色とりどりの花火を打ち上げ、外国人を驚かせたという。
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