大花火大会が開かれる、その話はお花の瓦版もあってあっという間に広まった。勿論、天狗が花火を担当することは秘密であるが。

『江戸の良夜、温泉に入って花火見物』とまで記事で煽ったものだから温泉宿は予約で埋め尽くされ、せめて湯を手に入れようと湯の販売にも人が殺到した。

この混乱は予め新六に話を通していたことである程度は対処できた。新六は仕事が増えて大変そうだったが。

更に幕府が管理している通称『新六温泉』では新たな商売を九子の提案で始めた。

その名も『温泉船』。まさに屋形船の中央が湯船になっている川船で、温泉にどっぷり浸かりながら川に浮かぶことができるものだ。

新六が将軍にそういうことをして良いか、と許可を取りに行った所、

「なるほど……それは余自らが規範として最初に利用するべきだな」

 そう言ってニヤリと笑みを浮かべたのだが、

「いけません上様! 危のうございます!」

 即座に周りの者から止められ、吉宗はむしろムッとした。

「船が転覆したら危ないというのか? 余の水練がどれだけ達者か知らぬと見える。よろしい。明日は皆で水練の稽古へと向かうことにする。よいな」

「うっ、上様~⁉」

 ──他の将軍がどうだったかは不明なのだが、吉宗は若い頃に水練をしていた記録があり、泳ぎが達者で自信があるようだった。 

 そういうことになり、花火大会当日にお披露目となる温泉船は最初に将軍が利用することになった。その周りを船奉行の向井将監らが、万が一のことがないように煌々と松明で照らした船で取り囲んでいた。

 


 将軍が船で御遊覧なさるというので、当然ながら近くの川では他の船が規制されたのだが九子が鹿屋に予約した屋形船は大川の河口近く、このあたりは物流の船が常に行き来して簡単には規制することはできない場所だったため問題はなかった。

 二隻用意させた船を男用女用に分けて知人を呼び、ご馳走に酒も準備した。

 人数的に船へ乗れない者は九郎助屋へ招待し、そちらでも花火の鑑賞ができるようにした。関係者は九子が花火を上げるというので興味津々である。

「どうせなら新宿まで見えるデカいやつを打ち上げんとな」

 予定していた大川、両国橋か永代橋のあたりで花火を上げるのは、江戸城が邪魔で新宿からは見づらい。花火玉ではなく九子が術を使うこともあって人目を避けるため、佃島のあたりから打ち上げることにした。

 なにせ花火大会に合わせて両国界隈では水神祭が行われ、人がごった返して花火見物にやってきているのだ。橋が崩れるのではないかと心配になるほど集まっている中で、いかに暗いとはいえ術を使うところを見られてしまっては面倒である。

「火の粉が散らばって火事になった、とか言われたくないしのう」

「あのう、本当に大丈夫なんですか、天狗さま」

 舟に乗って打ち上げ地点までやってきた九子と鍵屋の主人、喜多郎はボソボソと話し合っていた。

 舟は屋形船風の屋根がついたもので、中が見られないように幕も張っていた。花火玉が濡れないように、という名目だが術を発動する九子が目立たないためでもある。

 不安そうにしている喜多郎に九子は胸を叩いて安心させる。

「大丈夫だ。己れはこう見えて花火を知らんではない。『さすがは鍵屋』と言われんばかりの立派な花火を打ち上げてやる」

「は、はあ……もはやこうなれば、天狗さまに頼る他はなく……どうかよろしくお願い致します」

「うむ。そろそろだのう」

 と、九子が呟くと西本願寺から夜五つ(午後八時)を告げる時鐘が鳴り響いた。

 その時間から打ち上げる手はずになっているのだ。

「よし、では行くぞ。まずはシンプルに……『菊』の花火と行くか」

 九子が『炎熱符』を手にして念じる。そうすると、チッチッチと火花が導火線のように空高くへと昇っていく。どこで爆発させるかも自由自在なのだが、こうして演出をすることも調整によって可能だ。

 江戸中の人々が真っ暗闇の夜空にあがる火の筋を見た。

 現代よりも遥かに暗い江戸の空。そこに一筋の橙色をした光が遥か高く、江戸城よりもずっと上へと昇っていく。

 そして、ドォンと天地を震わせるような音が鳴り──

 江戸の夜空に大輪の花が咲いた。

 球状に膨らんだ火花の輪は直径が三町(約三百三十メートル)にも及ぶだろうか。現代の十号玉、かなり大きなサイズに匹敵する規模だ。

 江戸中のどこからでも見られるほどの、人々が初めて見る巨大花火であった。

 あちこちで感嘆と悲鳴と興奮の叫びが上がり、泣き出したり漏らしたりする者も居た。それほどまでに驚くべき、この時代の世界で一番の規模の花火なのだ。

 一方、屋形船で見物していた九子の友人らは楽しみながらも、

「天狗のやることは派手だなあ」

 と、納得し楽しく盛り上がっている。あの天狗ならば術によってなにを起こしても不思議ではないと思っていた。

 また、真下から見上げていた鍵屋は白目を剥いていた。

「よぉし続けていくぞ」

 手応えを感じた九子が次々に花火を打ち上げる。

 続けて変化菊。大きく広がる花火なのは同じだが、これは広がるに連れて火花の色が様々に変化する。

 柳。上空で散らばった火花が燃えたままある程度まで落ち、垂れた柳のようになる。

 蜂。爆発した無数の火花がシュルシュルと空の上で動き回る。

 万雷。閃光めいた強い光を放つ花火を大量に打ち上げる。

 千輪。一つの大きな爆発のあと、小型の花火が何度も弾ける。