翌日のことである。
六科の亡妻、お六の墓は助屋からそう遠くない西岸寺にあった。
店の前に盆で休業する旨の張り紙と、定休日のお知らせを貼ってから六科にお房、お雪に九子の四人は墓参りへと足を向けた。
「うう、なんか若干みんなで留守にすると不安なの……泥棒が入らないかしら」
お房が店を振り返りながらそう懸念を口にした。半年前までは泥棒なんて考えもしないぐらいの店だったのが、年に百両稼ぐと改めて自覚したら途端に心配が浮かぶようになったのだ。
「真っ昼間から盗人も入らぬだろう。仮にも長屋の表店なのだから。一応、店番は雨次に頼んでおったし」
店の木戸は閉めているものの勝手に入る者が居ないとも限らないため、同じ長屋の雨次に任せていた。彼も今日の予定は瓦版の古いものを読んで記事作成の勉強をするだけで、自室で読もうが店で読もうが同じだから承諾された。
元々彼は書痴気味なところがあり、文章を読めるならなんでも嬉しそうであった。
「うーん……それでも気がかりなの。そうだ、九子。余ったお店のお金、温泉宿の蔵で預かってくれないかしら?」
「ふうむ……」
九子がその提案を受け入れるか思案した。
利点と欠点がそれぞれ考えられる。助屋のような長屋では蔵など建てられないため、たしかに防犯上の危険があるだろう。鍵付きの箪笥ぐらいは用意できるが、破壊して持ち出すこともそう難しくはない。
それにもし長屋が火事で焼かれでもしたら一気に財産を失うかもしれない。江戸の町は毎月どこかで火事が起こっているのだ。
勿論九子がいればできる限りは助屋への災害を防ぐつもりではあるが、彼女が店から離れていることも近頃では珍しくない。さすがに江戸を出てどこかへ旅行している間に燃えてしまったらどうしようもない。
その点、温泉宿の九郎助屋に建てた蔵ならば保管にも便利だろう。蔵の中には吉原から遊女らが持ち出した、普段遣いしない衣装や貴重品も保管しているし、お遊や雨次に渡した礼金の一部も保管している。
だが問題点として、九郎助屋に金が集まれば集まるほどそこが盗賊に狙われる危険性があった。
厳重な鍵をつけていても無駄である。店の者に刃物を突きつけて脅し、開け方を聞けばよいのだから。
「蔵と宿を守るための用心棒が必要かもしれんのう……」
そうすると腕利きで信用ができる相手でなくてはならないのだが、忍び連中には一つ問題があった。
九子はさっぱり彼らの個体識別ができないのだ。下手をすれば覆面を被って同じ格好をした盗賊から忍び込まれる危険性がある。
「タマを鍛えたら?」
「凄い発言に聞こえる」
「玉菊のことなの! 男の子なんだから鍛えたら強くならないかしら」
「華奢だからのう。前に男を張り飛ばしていたのは見たから才能はあるかもしれんが」
それに玉菊は宿の責任者として業務も行い、合間で甚八丸の石鹸づくりを事務方として手伝っている。それに加えて用心棒までやらせるのは少々過酷である。
「前にその話題を出したら『用心棒ってこのわっちの股についた棒の隠語でありんす~』とかほざきおったが」
「別にどうでもいいの」
「あのう、お店にも仕掛けた鳴子なんてどうでしょう」
お雪の提案に九子は頷く。
「そうだのう。宿の周りにもあの罠をあちこち仕掛けて……客が引っかからんようにせんといかんな。いざというときに従業員が集まって立てこもれる部屋も欲しいところだ」
とりあえずは鳴子罠に詳しい忍びの疾風に声を掛けてみようと九子は考えた。
九郎助屋の用心棒だと、複数人の忍び連中を交代ではなく固定で雇うことで成り代わりは防げるだろう。それに悪党から買収されない信頼と賃金も必要だ。
「複数用心棒を雇うと、また賃金が掛かるが……」
「いっそ知り合いのお金持ちから財産を預かって預かり賃を貰うとかどうかしら」
「甚八丸も預かって欲しそうにしておったのう」
蔵を建てるなど滅多にできることではないのだ。下手をしなくても、当時では木造の一軒家を建てるより金が掛かる。
だが預かり賃だけではどう考えても用心棒代が赤字になりそうだ。利益を出そうとすると預かった金を使って金貸しをしたり先物取引をしたりする必要も出てくるが……
金貸しや銀行の真似事まで始めるには人員も足りなすぎるので、とりあえず置いておくことにした。
「まあ、蔵の整理をして防犯も備えてから考えようかのう」
話していると西岸寺に到着したので霊園へと向かう。盆の時期であるため、あちこちから線香の仄かな香りが漂っている。
墓場を見回すと数人ほど墓参りに来ている者が見当たるが、やけに目立つ人影が佇んでいることにすぐ気づいた。
そこだけ色が切り抜かれたように、白い長髪に白い着物。帯などに残る赤色がやけにどぎつく見えてまるで血痕みたいに思えた。
雨次の母親、お歌夢がそこに立っていたのだ。
人外の雪女が真夏に現れたかに思える存在感であった。どこか神秘さすら感じる遠い眼差しで彼女は墓の一つを眺めている。
「あそこ……お母さんのお墓だけど」
「うむ」
つい小声になってお房と六科が確認しあう。ややあって、お歌夢は切なそうな表情を浮かべて墓に向かい語りかける。
「お六……お前と勝負をつけたかった……」
意味深長な言葉をぽつりと呟くと彼女は持っていた線香を一本、墓の前に刺した。
そしてまるで形見分けのように墓へと置かれた団子を手にして、親の仇みたいに荒々しく口に放り込む。
「お母さんと知り合いだったのかしら……」
「知らん。が、お六は妙な知り合いは多かった。喧嘩仲間もいたが」
六科もこの性格なので交友関係は少なく、妻の知り合いなど把握していなかった。
まさか関係者とは知らなかったと親子が言い合って見守る中、お歌夢はさっと踵を返して──すぐ隣の墓で立ち止まった。
そして墓に書かれた名前を確認して頷く。
「正兵衛……お前と勝負をつけたかった……」
そして線香をやってお供物のキュウリを取ってボリボリと食べ次の墓へ向かい、また名前を読む。
「ごん……お前だったのか……手袋を買ったのは……」
むしゃむしゃ。お供物のいつ置いたかわからない饅頭を頬張った。
「あやつ、適当なこと言いながらお供え泥棒しておるだけだぞ⁉」
「九子、やめさせて来てよ……お腹壊したらアレだし、罰当たりなの」
「ううむ、己れが連れてきてなんだが厄介な店子だのう」
仕方なさそうに九子が近づいていく。墓を次々と荒らして進む彼女は献花されていた菊の花すらむしゃむしゃ食べていた。
「これ、お歌夢さんや」
九子が話しかけると彼女はクワッと目を見開いて驚いた様子で見た。
「はっ⁉ あんたはお富さん⁉ 死んだはずじゃあ……」
「お釈迦さまでも気がつくめえ……ってそんな歌ではなくてな」
昔に聞いたことのある浪曲だったのでついノリそうになったが九子が話を戻す。
「ここでなにをしておるのだ? ……いや見た通りじゃないといいなあと思うが」
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、かずらにしようかと……」
「羅生門か──っておい! 自分の髪の毛をむしるでない!」
「な、なんだってー⁉ 江戸の地下に
「なにが見えておる⁉ 落ち着け!」
「あら? 貴女は雨次に眼鏡を買ってくださった方ではありませんか。ご機嫌よう」
「うわあ急に落ち着くなびっくりするから!」
スン、と叫んでいた表情から真顔に戻って、まるで初めて会ったかのように挨拶をしてくるお歌夢。
彼女は少々人格がブレているのだ。
「狐憑きなのかしら……」
と、お房がやや遠くで言うように、この時代ではそういったものだと思われるだろう。
にこやかな貴婦人といった優しい表情になったお歌夢が九子に語る。
「あの子、目が弱いなんて一言もあたくしに言わなかったものざまして。眼鏡が必要なんてとんと気づかず……母親失格ですわ」
「まあ雨次もちょいと口下手なところがあるからのう」
「ロッテンピッテンサッテン……きょえーっ!」
「ひっ」
「お詫びに貴女の未来を占って差し上げましたわ」
「あ、ああ。今のは占いの叫び的な?」
「いえ別に。単に叫びたかっただけでやんす」
「やんす⁉」
「あっあっあっ……正気が……失われる前に……貴女、神田明神の富くじを引いたら当たる未来が見えましたわ!」
「そ、そうか……」
「神田明神の富くじは昨日で販売が終わったの」
お房がぽつりと告げると、お歌夢の目がぐるりと白目を剥いてひっくり返った。
「じゃあ当たらないわ。きゃひっ! まてよ……なんで鎌倉末期や室町末期を幕末って呼ばないんだろう……」
「いや知らんが」
「思い……出した……! わちきの雨次が無職のヒモを目指しているなんて!」
「息子の将来を悲観するでない」
「そうそう。来月あたり、貴女の蔵に盗賊がやってくるから気をつけてね」
「いきなりなんだ⁉」
「ンン予知が来た! 次に来る順番は半丁半半丁半丁! 全賭けだあああ!」
「おい待て! 賭場に全財産を突っ込む気じゃなかろうな⁉」
妙な電波を受信して垂れ流しながら去っていくお歌夢であった。
お房が近づいてきて、お化けを見るような眼差しで見送り呟く。
「やっぱり狐憑きなのかしら」
「わからんが……」
「わちきは狐憑きではなく
「きゃっ⁉」
急に戻ってきてぐるぐると渦巻いた目をお房に近づけお歌夢はそう主張した。
「うし……?」
「牛……といえば……暴れん坊上様が外国から乳搾り用の牛を買って育てようとしてらっしゃるみたいだから、立候補すれば飼えるかもよ?」
「また話が飛んだのう……」
それだけ告げてお歌夢は「牛車の春画がでーるーぞーこいつはど偉い趣味でーしょー」などと奇妙な拍子で歌いながらどこかへ歩き去っていった。
びっくりして目をぱちくりさせていたお房に九子が訊く。
「牛に憑かれるってあるのかのう?」
「さあ……でも馬に取り憑かれた話は聞いたことがあるの。やっぱりおかしくなってしまうのだけれど」
「どちらにせよ難儀だのう。お歌夢自身も、雨次も」
九子はやや同情してそう言うのであった。会話を成立させることすら困難なのだからどうにも手の施しようがない。せめて親子が食っていけるようにしてやろうと思った。
四人はお六の墓を掃除しておく。お雪が見えないなりに、手探りで墓石を磨き、六科と九子は周囲の雑草を取り除く。お房が買ってきた花を飾り立てて、線香を立てた。
会ったことのない女の墓参りだが、三人が真剣に祈っているので九子も神妙な雰囲気になって手を合わせて冥福を祈る。
(お主の店を改造してしまっておるが、お房のためだからのう。見守っていておくれ)
ちらりと横を見ると三人もなにかしら、報告するように念じていた。