長屋を改造した分だけ広くなった店で、増えた店員たちも揃って賄いの昼飯を食べる。

 家族経営の九子お雪を含めた四人に加え、お遊と小唄に忍び連中が四人も来ていた。少女らは基本的に店番で、男たちは一人が力仕事とトラブル対応、一人が製麺や調理の補助、一人が出前や買い出し担当、一人は屋台で屋外販売をしている。

 これだけの人数を雇っても十二分に利益が出るぐらいの店になっていた。とはいえ、ほんの数ヶ月前までは閑古鳥が鳴いていた状態だったことがお房の記憶には新しいため、貧乏性は抜けていないのだが。

「ウナギ美味しいの! これ一切れで丼一杯いけるの! 晩御飯に残しておくの!」

 初めての食べ物だったが、お房にも好評だ。江戸の人々は基本的に白米が進む甘辛い味付けのものならば大抵好みである。

「そう高いもんではない。残さんでもまた作ってやるから……ああこれ、六科は毎回丼飯に醤油を掛けおって……高血圧で早死するぞ」

「むう」

「ほれ、お雪は飯粒が頬についておるから少し待て」

「美味しいですよう!」

「お雪さんが食べているウナギ混ぜ飯のお握りも美味しそうだな。父さんと母さんに買って持ち帰っていいだろうか、お姉さん」

「そうだのう。混ぜ飯にするとウナギは少なめで量が作れるから、店で出す用に仕込むか。ウナギの捌き方も六科に見せたから捌けるであろう」

「美味しいなー雨次。今度ウナギ取りに行くかー?」

「割りと簡単だったよな。草を詰めた竹筒を川に沈めておけば勝手に中に入って」

「おお、そうかそうか。取ってきたら幾らでも作ってやるぞ」

 ニコニコと笑みを浮かべて子供たちに言う九子を見て、忍びたちは感慨深く頷いた。

「九子姐さんってなんかこう……お母さんって感じだよな」

「九子お母さん……! ある……!」

「おぎゃあ!」

「あ、ずるい! お前だけやや子になろうとするなよ!」

 賑やかに言い合う男たちにも微笑ましいものを感じる九子であった。

 臨時の男手として雇っている彼らだが、ほとんどは善良で純心で真面目だ。一緒に働く子供相手に偉ぶることもない。実にありがたい人材たちだった。

(ふうむ、急速に店が儲かるようになったが、二号店を出すとなるとやはりこういう人材がまだ必要だのう)

 ある程度下ごしらえしておけば出せる料理とはいえ、この繁盛具合では料理人があと二人以上、接客として女も必要だ。片方の店だけ可愛い少女が接客してくれるとなれば客が異様に偏ることは間違いない。

(まずは交代で働かせる者の人数を増やし、二号店に分けても問題ないぐらいに仕事を覚えて貰うところからかのう。暫く店の混雑解消は……持ち帰りと路上席を出すか。町名主に賄賂を渡せば問題なく許可を貰えるだろう)

 道の端に日傘を差して緋毛氈を敷いた席を用意し、そこでも食べられるようにすれば道行く人への宣伝にもなる。

 とにかく今は助屋の客数に店が追いついていないぐらいなので、店員を増やし客席を増やしそれで儲けが増えていく良い時期である。

 天ぷらのときは一過性の人気だったなら手を広げると損をすると警戒して大きく事業を広げなかったが、店を改装したのを契機に色々と手掛けても良い頃合いだった。

「そうだ。お母さんといえばお盆だからお母さんのお墓参りに行かないといけないの。忙しくてすっかり忘れていたの」

「うむ」

 お房が思い出した様子でそう言ったので六科も重々しく頷いた。数年前にフグ入りの雑煮を食べて毒が回った上に餅が喉に詰まり死去した亡妻、お六のことだ。

 九子がやってくる前に亡くなっているため面識はないのだが、彼女が改造しているこの助屋は元々お六の店であったようだ。夫とは違って料理の腕前は大層良かったという。

「そういえば盆だったのう。では、明日は店を休みにするか」

「うう……ちょっと勿体ない気がするの……休むと一日あたりの儲けが……」

 お房がちらりと、売上の管理を頼んだお遊へ視線を向ける。

 彼女はいつもどおりのボーっとした表情のまま言った。

「お給金とー材料費を引いてー儲けは昨日だと千五百五十文(三万千円)だったなー」

「ほー」

 と、店員たちの感心する吐息が一斉に聞こえた。自分たちの収入の約十倍だ。

 結構な大金である。

当初、九子がこの店にやってきた三ヶ月前では一家三人が余裕を持って生活するのに問題ないぐらいの稼ぎとして目標としたのが、純利益で一日五百文であった。

今はその三倍を特別でもない日に稼ぎ出すようになっていた。

「ということは十日働けば一万五千文(三十万円)、小判で三両の稼ぎ。一ヶ月に九両稼ぐとすれば年間百八両(千八十万円)の収入が得られることになるわけか」

「……」

「……」

「あれ? お主ら、どうかしたか?」

 九子が軽く計算して告げると雇っている者のみならず、お房や六科も箸を止めて固まっていた。

 年収が純利益で一千万の大台になった。しかも去年までは潰れかけていた店なのに。

 勿論、毎日の客入りは変わっていくから計画どおりになるわけではないのだが。

 庶民からすれば想像もできないような大金であったので固まってしまった。

 だいたい、下級の武士である同心の年収が──米相場によって変わるが──ざっと十両(百万円)ほど。小作ではない土地持ちの農民も現金ではないが年に十両ほどで家族全員を養い生活をしていると言われる。

 その十倍となればかなりのものだろう。

 更に現代と比較すると江戸時代には商売人が国に払う税はほとんどない。所得税も消費税も個人事業税も国民年金も国民健康保険料もなく、住民税らしきものは言ってみれば町人皆が払う町内会費みたいなものぐらいだ。(ただし特殊な株仲間の場合は冥加金という形で金を収めることはあった)

幕府が貧乏になって大商人が儲かり続けるはずである。

しかしながらお房たちもそれなりに儲かっているとは思っていたが、実際にこうして数字に出されると途方もない額に思えてきた。

「やややや、休んでいる場合じゃない気がしてきたの……!」

「逆だ、逆。考えてもみよ。十両あれば生活できると仮定して、一年働けば九年遊んで暮らせるようなものだ。逆にいえば働く時間を十分の一にしてもどうにかできる」

「つまり?」

「定休日を作って月に何度か店を休んでも平気ということだ」

「売上が落ちるの!」

 お房が金に目が眩んで産業革命時代の資本家めいたことを主張するが、九子が諭した。

「毎日毎日、朝からずっと働きっぱなしではくたびれるであろう。たまには休んで家族で神社や寺にでも遊びに行き、温泉宿で丸一日のんびり過ごすのもよい」

 特に六科などは一日たりとも休まずに仕事をしている。お房は時折、石燕から絵の勉強だと連れ出され、お雪も按摩の用事で店に居ないことはあるが、六科は朝早くから品物の仕入れをして、夜の片付けまで一日中板場に立っていた。

 体力はあるし、疲れが顔に出ない男なのだが。

(塩辛いものが好きだし、ある日突然脳溢血でぽっくりと逝かれても困る)

これまで開店休業状態だったのでお房たちは定休日という概念がしっくりこないのだろう。

そもそも江戸時代では、店舗によって異なるが、盆と正月しか休まない店も少なくはなかった。

「それに休みがあると、店の大掃除や買い出しもしっかりできる。客の少ない合間にやっておるが、追いつかぬ部分もあろう」

「むむむ」

「考えてもみよ。フサ子と六科、お雪を休ませて他の者を三人雇って働かせたとしても、利益は一日千文で充分出るのだ。程々に休んでもよいではないか」

 実際のところは責任者として六科か九子のどちらかが店にいた方が良いのだが、数字上ではもはやオーナーとして、店を貸し出して稼げるぐらいだ。

「む、むう……最近、九子は全然働かないで店の片隅で飲んでいるか出かけていてけしからんって思っていたけど、これだけ稼いでいると……」

 お房がぶつぶつと呟く。どう考えてもこの店の好景気は九子が齎したものであるため、彼女があまり手伝わずに遊んでいることにも文句が言いづらい。

 そもそも九子は、ちょっと暇つぶしに仕事をするぐらいは楽しむ方なのだが、実年齢は九十前後の老人だ。

 十代の頃から四十ぐらいまで働き詰めで、それからあちこち旅にも出まくり、そのあとは魔女と国際手配犯として逃亡生活。十年ほど魔王城で休んでいたものの、今更この歳になって熱心に労働をするのは遠慮したいのだ。

 自分の興が乗ったときだけ仕事をして遊びながら暮らしたい。そんな余生である。

「よし、ではとりあえず盆と正月と……日曜が休みとするか」

「にちようー?」

 お遊が首を傾げた。九子は他の者に視線をやって訊いてみる。

「……そういえば全然使った覚えがないが、江戸って曜日がないのかえ?」

「ようび……?」

「おれ、日付も実は曖昧で……」

「うむ」

「お主らのう……」

 独身男の忍びはまだしも、店の主人である六科すら気にしていないのは問題だった。

伊勢暦いせごよみなら買ってるの」

 と、お房が棚に置いている暦表を持ってきた。これは今でいうカレンダーのようなもので、伊勢神宮の関係者が毎年日本全国に売り歩いて回っている。

 庶民でも買える値段から高級品まであるが中に記された暦の情報は同じだ。九子がそれを借りて見てみるが、

「曜日はこれにも書いておらんのう」

 皆が首を傾げる中で、雨次が眼鏡を指で正して説明しだした。

「それは京暦きょうごよみなどで使われる七曜の暦ですね。火曜・水曜・木曜・金曜・土曜・日曜・月曜に日を定めて吉兆の占いに用いるものですが……七曜まで書かれた暦はちょっと値段が高いもので、あまり一般に普及していません」

「おおー!」

 忍び連中が物知り少年に感心の声を上げた。これからは心の中で博士と呼ぼうとも思った。なにせ眼鏡だし。

 一応、七曜の概念は存在し、江戸で制作、販売された江戸暦にも記載されていたのだが、通常の暦が六文、七曜付き暦は百文と値段が大きく違い、認知度も低い。

 それこそ占いや卦を気にする者ぐらいしか買わないし、日曜だから休もうなどといった常識は存在しなかった。

平坦なる胸を張って小唄が言う。

「ふふん。雨次は新井先生の蔵書をわたしたちの中で一番読んでいるからな!」

「なんで根津ちゃんが自慢げー?」

 お遊が首を傾げるが、小唄としても自分の友達は偉いのだと言いたいのである。

 微笑ましい子供同士の連帯を見つつ九子は頷いた。

「まあ……どちらにせよ曜日では無理か。では適当に、九の付く日を休みにしよう」

 自分が九子だからという簡単な理由で彼女はそう提案した。

「毎月、九日、十九日、二十九日は定休日。あとは臨時休業も時折入れてよかろう」

 例えば江戸でも山王祭や神田祭といった大イベントがあるし、そういう日は客も祭りへ向かうためそれほど見込めない。ならば休んで家族で祭りに行った方が良い。

 この助屋は維持するだけならほとんど金の掛からない、借金もなければ賃貸も安い好物件の飲食店なのだ。当初はそれまでの儲からなさの反動でひたむきに働き続けていたが、あくせく三百六十日働く必要はない。程々に休んだ方が店も長続きするだろう。

 そういうことになり、次のお花が出す瓦版にも掲載しようと決めるのであった。



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