それにしても、と新六は思う。
(霊的な力が満ちている湖だなあ。主の精霊とか居そう。怒らせないようにしないと)
諏訪湖は諏訪信仰の中心地であり、龍神がいるとか蛇神、蛙神がいるだとか、冬場になれば凍結して神が渡った跡が残るなどと様々な謂れのある霊地なのだ。
霊感を持つ新六からすれば勝手に精霊の住処に入ったようで居心地が悪い。地元の者などは漁をしたり、蜆を捕ったりと利用している湖ではあっても、彼らは氏子で新六は余所者だ。
やや緊張しながら髑髏の気配を探して暫く進むと、薄ぼんやりとした光りを放つものを見つけた。これも霊感がなければ光っては見えない、霊光によるものだ。
新六が近づき、湖底の泥をかき分けると石棺めいたものが出てきて、それを開けると頭蓋骨があったが、他の骨も一式揃っていた。石棺の中にはボロボロになった甲冑も入っている。
水中だったが、声を念じて語りかける。
(あのー、吉良さんでしょうか……?)
(我が名は武田信玄……眠りを妨げる者は何者だ……釜で茹で殺すぞ……)
(こわっ! す、すいません。骨違いでした。おやすみなさい。ごめんなさい)
新六は謝って骨を戻し、石棺の蓋を閉じておいた。知らない人の墓を漁ってしまって気まずい思いだった。もう一度、石棺の前で「南無阿弥陀仏」と念じておいた。
かの有名な武将は亡骸を諏訪湖に沈められた伝説があり(実際は寺に納められたとされるが、その遺骨が本物かどうかでまた議論が起きた)幾度も潜水調査が行われることになるのだが、新六は戦国時代の知識もないため気にしなかった。ちなみに信玄は風呂好きだったことで知られるが、釜茹で処刑も好んでいたとか。
気を取り直して次を探していると、泥に半ば埋まった髑髏を見つけた。
灯りで照らすと中に入っていたウナギが眼窩から逃げて行き、なんとも野ざらしというか水ざらしで寂しい骸骨に思えた。
新六が拾い上げても気づかない様子で、しくしくと啜り泣く声が聞こえた。
(……もし、吉良義周さんですか?)
新六が語りかけた。声は水を伝播して骨に伝わると、泣き声が止まって返事があった。
(……貴方は?)
(ええと、僕は川村新六と言いまして。吉良義央さんから、義周さんの墓が荒らされているから供養して欲しいと頼まれて来たんですが)
(父上から……心配を掛けてしまって不甲斐ない……)
(お骨を菩提寺の萬昌院へと持っていきますが、いいですか? そっちなら墓も荒らされないと思うので……)
(おお……どうか、お頼み申します……かたじけない、吉良家のためにそこまでして頂けるとは……)
骸骨から義周の涙が滲むような声が発せられた。
父(正確には祖父)の義央は忠臣赤穂浪士たちに討たれた、悪どくて情けない嫌われ者扱いで、後継ぎであった義周も襲撃現場に居ながらもやられた武士に在るまじき恥晒しとされた。
吉良家は親戚が多く、高禄旗本や大名、公家にも繋がりがあるのだが、彼らの殆どはその汚名に巻き込まれないために、死んだ二人を居なかったことのようにしてしまった。
故に彼の墓が荒らされても、誰も文句は言わない。そんな扱いになっていた。
それを見ず知らずの男が、亡霊となった父に頼まれて供養しにきてくれた。
ただその事実だけで、義周は救われた気がして髑髏に取り憑いていた亡霊は沈黙した。
(さてと……岸に上がるか)
新六は物言わぬようになった骸骨を抱えて岸に向かって泳いだ。
(うわ……なんか泳ぎが得意になった気がする……河童さんの加護だな)
スイスイと望むがままに水中移動できる。行く予定はないが、深海まで鯛を取り行くことになっても案外泳げるかもしれない。水圧の影響もあまり感じなかった。元々オークの肉体が頑強で、百メートルぐらいは楽に素潜りして帰ってこられる。
一旦ざぶんと水面から顔を出して岸の方向を確認する。ついでに、湖の上を浮いて酒を飲んでいる九子に呼びかけた。
「九子さーん。骸骨見つかりましたよー。帰りますよー」
「おーう」
返事が来て、諏訪湖の中央付近から徳利片手にほろ酔い顔の九子が飛んできた。
「いやあ、中々湖の上で飲むのは乙なものだ。涼しいし景色もよい」
「そうですか。それは良かった」
「催したらすぐ小便もできるしのう」
「良くない⁉ 人が潜ってるのになにやってるんですか⁉」
「……はっはっは。冗談だ冗談。そんなに怒るな」
「微妙に溜めがあった……!」
新六は酷く嫌そうな顔をして岸まで戻り、帰りにまた温泉に入ってから宿に行くのであった。
翌朝。用事は済ませたから江戸に戻るのだが、まず新六は法華寺の住職に遺骨を持っていく報告へと向かい、九子はその間に江戸へと持って帰る土産物をそこらの店で買い漁ることにした。
住職に話したところ、骨を菩提寺に持っていくことは良いことだと肯定された。武士の墓が複数あることは珍しくなく、実際に吉良義央や吉良義周の墓は吉良家発足の地である西三河の華蔵寺にも造られている。
そして上諏訪宿の一里塚で九子と合流すると、彼女は上機嫌そうに手を振った。
「おーい新六や。これを土産に持って帰るぞ」
「多いですよ⁉」
九子の周りには鮒寿司を入れた桶、酒の入った角樽が数個、更には信州味噌まで樽ごと買ってきていた。
「こんだけ持ったら己れも飛べんからのう。はっはっは、新六が居て良かった」
名物の塩羊羹をむしゃむしゃと食べながら九子は呑気にそう言った。
まるで荷車で運ぶような量で、他の旅人がすれ違いざまに二度見していく。
「なに、さすがに荷物が増えたのだ。全部担げとは言わぬ。帰りは己れも持って歩く」
「別に九子さんが持たなくてもいいですよ。もうここまで重ければ誤差ですし……それに結構大変ですよ歩くの」
「任せておけ!」
「大丈夫かなあ……」
自信満々に九子は胸を叩き、酒樽を背負った。新六も落ちないように縄で荷物を背中に固定しておく。
「よし、江戸へ帰ろう」
「はい」
そして、やはり飛脚よりも早い小走りで街道を駆け出した巨漢と少女の二人組に、道行く人たちは驚きの眼差しを向けて見送るのであった……
数刻後。
「……新六、やっぱり背中に乗っていいかのう……」
「ほら……」
小休憩中に九子が弱音を吐いて新六の袖を引っ張った。
「足は痛いし、背中はグラグラするし、乳は揺れて邪魔だし……もうしんどい」
九子は底なしの体力と回復力を持ち合わせているし、怪力の持ち主だ。追い風を吹かせ周囲を冷やしといった条件は新六と同じなのだが。
傷の治りが早いとはいえ、肌はそこらの少女と変わらぬ強度だった。何時間も走り続ければ足裏の皮が剥けて痛みだした。放置していれば治るのだが、痛いものは痛い。
更に体重が軽いため、酒樽のような重たいものを背負うと重心が後ろに傾いて何度も転びかけた。
そしてサラシで固定すらしていない巨乳が走ると大きく上下に揺れて邪魔な上に、擦れてしまう。
短距離ならば問題ないが、荷物を担いで長距離を走り続けるには実に適していない肉体であった。というか丸一日走り続けても平気な新六がおかしいのだ。
「わかりました。ほら、荷物を僕の背中に縛ってから乗ってください」
なんでもなさそうに新六は地面に跪いてそう勧めた。途中から明らかに九子がしんどそうにしており心配していたのである。
バツが悪そうに九子は新六の背中に乗る。暫く休めば痛みや傷も治るが、走り続けるには難があった。
「すまんのう」
「いいんですよ! 九子さん、魔法で助けてくれていますし。僕、力持ちですから」
「お礼に今度おっぱいを揉ませてやろう」
「嫌ですよ! 自分を大事に!」
「真面目だのう」
そして九子は行きと同じく、帰りも殆どを新六に乗ることになった。
甲州道中ではやはり大荷物に少女まで乗せた巨漢が走り去る目撃情報による妖怪話があちこちで生まれ、後世まで語り継がれたという。
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