大月宿から先に行くと甲州道中はまさに山中の谷沿いを進むといった道になっていく。
谷を流れる笹子川に沿って登っていく。その際に何箇所も川を跨いで行かねばならないため、正しく雨の日にこの道を歩くのは愚かな行いであった。
橋も掛けられていない、晴天の日ならば浅い川なのだが雨が降ると危険である。
「よっと。『精水符』と『氷結符』で氷の橋を作ってと……ほれ、さっさと渡れ」
「は、はい!」
九子が生み出した水を川の上でアーチ状に固定し、それを一瞬で凍結させて渡れるようにする。
恐る恐る新六が氷の橋に乗るが、彼の体重でも割れることはない。氷は低温になればなるほど硬さが増し、弾性もあるためだ。
「裸足じゃなくてよかったぁ……」
草鞋は少々氷に張り付いても表面の藁が剥がれて強くくっ付くことはなく、新六は安全に渡ることができた。
彼が渡ると『炎熱符』で氷の橋を融かした。自分が乗ってもびくともしない極低温の氷を容易く融かす火を見て、新六は驚きを口にする。
「今更ながら、九子さんって腕の良い魔法使いなんですねえ」
「うむ? いや己れはこの術符を使っておるだけでな。魔力とやらはからっきしなのだ」
「へえ……便利な魔道具だなあ。僕も使えますかね」
「試しに使ってみるかえ? そうだのう……では『起風符』あたりで」
九子が背中から降りて新六に風の術符を渡した。にわかに雨も弱まっているので、雨除けの術を解除しても大丈夫そうだったからだ。
新六が札を受け取り、魔法の発動を念じる。
彼は十数年前までは異世界ペナルカンドで暮らしており、更に三十年ほど前はエルフという魔法能力に長けた種族であった。それが呪いによってオークに変えられたことで、魔力が変質して魔法の能力は殆ど失われてしまった。
異世界ペナルカンドにおいて、オークは体がとにかく頑丈であり、粗食に耐え、長寿で知恵もあり、他種族と交わる繁殖力も持ち合わせた非常に優れた種族だ。
しかし魔法の才能だけは種族単位で壊滅的であった。一部の自己強化系しか使えないことが殆どだった。
そんな彼が、もしかしたら自分でも懐かしい魔法が使えるかも、と思って気合を入れて術符に念を込めてみた。
この術符は札に込められた魔力に干渉して現象を起こすため、本来ならば魔力などない地球人でも使えるのだ。まあ、魔法のイメージが掴めないと上手に発動できないため、訓練が必要ではあるが。
「ちんからほい!(エルフ族に伝わる伝統の風系統呪文)」