茶屋で休憩もせずに行く二人の旅を、声掛けの飯盛女や休憩中の旅人は驚いてぎょっとした目で見ていた。

 見上げるような巨漢の虚無僧が、背中に妙な格好の女を載せてノシノシと飛脚よりも早い速度で進んでいくのだ。(飛脚の走る速度は諸説あるが、時速七~十キロメートルほどだった)

「なんだいありゃ?」

「妖怪か? いや、でかい坊さまだな……」

「なんだってあんなに急いでいるんだ?」

 などと訝しがられつつも、なにせ飛脚よりも早いのだからそこらの旅人が追っていけるわけもなく、謎を残していくのであった。

「暫くしたらお主のことが怪談になっておるかもしれんのう」

「ううう、嫌だなあ」

「というか江戸市中では夜な夜な歩く巨大な坊主の妖怪が噂になっておったぞ。最近はさすがに、お主の姿が知られたせいで噂も消えたが」

 そのような会話をしながら進んだ。

 なお後に街道で怪談となったのは、旅人の背中に乗って急がせる女の妖怪であった。


 次に二人が立ち止まったのは武蔵国とうきょう相模国かながわの境にある小仏こぼとけとうげであった。

 標高が高くなっている甲州道中の難所で、あまりにも急勾配だから現代になっても車道が整備されておらず迂回路が造られたほどだ。

 峠近くの駒木野に小仏関所が置かれ、そこは小さな街の区画みたいに仕切られている。周囲一~二町程を柵で囲み、関所の中には番士の住居が四つ、従者や足軽の長屋が一つ、作事小屋に小さな畑まである。

 関所の手前には小仏宿があって、夕方の暮れ六ツ(午後六時ごろ)には門が閉ざされるため、通れなくなった者を泊まらせる宿となっている。

「よおし、良いペースで関所までついたのう」

「ええと、ここで諏訪までの四分の一ぐらいでしたか……」

「うむ。今日中には大月あたりを目指そう。それで半分ぐらいだ」

 二人が関所に近づくと、その前に高札が立てられていた。

 顔を近づけて内容を確認しようとした。

「なになに……読みにくいのう。新六、読めるか?」

「はあ。ええと……


ひとつ 江戸より出る女・禅尼・比丘尼・髪切・乱心男女とも・小女・手負男女とも・囚人男女とも・首男女とも・死骸男女とも

右の通り相改め、御留守居方証文にて相通し候由、但し江戸へ入候節は相改めず候由

一 夜中一切相通さず候

一 江戸へ入り候鉄炮は、御老中方御証文にて相通す、数多く候えば、江戸の方より出候鉄炮も、御老中方御証文を以て相通し候、持筒の儀はその断に任せ、出入ともに相通し候由

但し一、二挺の鉄炮の儀、地頭知行へ遣し候分は、家来の手形にて相通し候由

一 かろきものの手形これなく候えば、三日留置き候上相通す』


 ……とありますね」

「なるほど、有名な『いり鉄砲てっぽう出女でおんな』というやつか。それにしても、首だろうが死骸だろうが女は出さないとは厳重なものだのう」

「ど、どうします? 僕、自分の通行手形は貰ってますけど九子さんの分はないですよ」

「よいよい。己れは飛んで関所の向こう側で待っておるから、さっさと通過して来い」

「堂々と破るなあ関所」

 九子はヒョイと背中から飛び降りると物陰に入り、透明化して飛んでいった。

 そして新六はゆっくりと関所の門へと向かう。西門と東門がそれぞれあり出入りを取り締まっている。

 ここで提出を求められるのが『往来手形』と呼ばれるものである。旅の目的、人数、名前などが示されており、例えば江戸の町人ならば町名主が発行し、署名がされた。武士でも藩主や家老といった者から手形を発行してもらう必要があった。

 ただし抜け道としては道中の宿場町にて『簡易手形』という手形も作って貰えるため、出発時に忘れていたり途中で落としたりした場合はそうしていた。また、地方を巡業する芸人や傀儡子くぐつしなどは定住所がないため手形を持たず、時には番士へ芸を披露することで身分職業を証明することもあった。

 更に女が旅をする場合は『女手形』という特別な手形も必要で、顔髪型に黒子の位置、背丈など間違いがないか調べられて、それがなければ通れなかった。

 とはいえ、滅多に関所で騒ぎを起こす者などいない。特に幕府の役人は素通りさせるのが普通だ。余程怪しい者でもなければ引き止められることもないのだが……

「と、と、と、止まれェー!」

「ええっ⁉ なにか僕に不審なところでも⁉」

「全身が不審なところだろう! 怪しさに包まれておる!」

 すぐさま関所番士に止められる新六であった。なにせ身の丈八尺、顔は編笠で隠している僧侶だ。近頃江戸では馴染んできたが、妖怪と言われた方が納得できる。

 ざわざわと番士の下につく足軽も寄ってきて、巨漢を取り囲むが彼は冷や汗を浮かべながら手を振って告げる。

「ちゃ、ちゃんと手形を持っていますからっ! はい、これです!」

「怪しい動きをしたぞァー!」

「取り出そうとしただけですって!」

 慌てて荷物から折りたたまれた紙を取り出して差し出す。確かに『小仏関所通行手形』と書かれたそれを、胡散臭いものを見るように番士が受け取って開く。

「なになに……此の者、江戸町温泉奉行 川村新六也。身丈八尺、顔つき不体裁にて被笠天下御免の許しあり。供養の巡礼にて諏訪まで関所通行を許可する。勝手掛老中 水野和泉守……⁉ こっ……この花押は……?」

 番士が背中に滝のような汗を掻いた。老中の署名だけでも心胆が冷えるというのに、隅にさり気なく書かれた花押は署名代わりのサインみたいなもので──徳川印と呼ばれる将軍の花押だと知っていた。

 つまり、この怪しさが爆発している巨漢は老中どころか将軍の許諾を得て関所を通過しに来たのである。

「ど、どうかお通りください!」

「いやいやそんな畏まらないでくださいよ! 別に僕が偉いわけじゃないんですから!」

 とはいえ将軍直々の命を受けて動く上に、詳しくは知らないが(最近できた役職なので)温泉奉行という役人なのだ。関所番とは格が違うと思ってしまうのも仕方がない。だいたい、藩主や幕府の命令を受けた連絡役はすぐさま通すのが関所の常である。

 周囲にいる通行人らも「ほへー」と驚きのような声を漏らす。注目されて居心地が悪そうに新六は関所を通過していった。西門の方も足軽が先んじて報告をし、番士から頭を下げられて小仏関所を越えた。

 暫く進むと噛み殺した笑い声が聞こえてきた。

「くっくっく。なんとも愉快だのう。怪しげなお主がまさか将軍の右腕とは思うまい。よっこらしょっと」

「全然右腕じゃないですから……ふう」

 姿を消して騒ぎを見ていたようで、九子がケラケラ笑いながら背中に乗ってきた。

「さ、今日の目標まであと半分だ。いざや進め、新六号!」

「頑張ります」

 再び合体フォームに入った二人は甲州道中を西へと進むのであった。


 小仏峠を越えて三里ほども歩けば相模国を抜け、甲斐国へと入る。

 甲斐の山深い土地を切り開いた道であり、小さな集落がそのまま宿場になった箇所以外は山道と変わらないような印象である。坂の上り下りも多くなり、旅人の足腰もつらいためこのあたりではこまめに宿を取る者も多い。

「新六や、大丈夫かえ?」

「ええ、なんとか……あっ!」

 ずるっと新六が足を滑らして転びかけ、背中に乗っていた九子も慌てて彼の頭に抱きついて落ちるのを堪えた。

「す、すいません。草鞋が破れたみたいで……」

「なんと。まあ、早足で十里以上歩けばそうもなるか」

 草鞋は旅の消耗品で、常に数足は持ち歩くものであった。新六の草鞋は特注品の大きさをしている。十三文(約三十センチメートル)を越えるものなど彼しか履かない。

 旅に不慣れな彼は予備も用意していなかったのだが……

「素足で歩くから平気です。足の皮が分厚いので」

「本当か? 我慢して怪我したら大変だぞ」

「本当ですよ。前にひしの実の上を歩いていても気づかなかったぐらいですから!」

「マキビシが効かぬレベルか……」

 新六は草鞋を脱いで裸足になり、地面を踏みしめて確かめる。

 彼の手や腹の皮膚ですら素人の振り回す刀では楽に切れぬ、なめした革鎧ほどもある強靭さを持っているのだ。況や足裏の皮はその巨体を支えるだけあって、象の足みたいに分厚く硬い。

「痛かったら言うのだぞ。少々小さいだろうがそこらの宿場に草鞋も売っておる」

「むしろ歩きやすいぐらいです」

 と、新六はひょいひょいと足取りも軽く進み始めた。本当に平気のようだと、九子も一安心する。

 


 夕暮れ時になって二人は特徴的な地点へと辿り着いた。

「おお、これが『猿橋さるはし』という橋だ。これを越えたあたりで今日は宿を取れば順調なぐらいだのう」

「立派な橋ですね」

 猿橋の掛かる桂川は両側が崖になっており、橋の長さは三十メートルほどだが橋桁がない独特の造りをしていた。