新六の特技というか固有の能力に霊感能力を持っていた。
ある程度の霊的な存在を知覚することができるもので、幽霊だけではなく土地神、魑魅魍魎なども感じ取れて場合によっては対話が可能だった。
これは彼が異世界に居た頃から持っていた生まれつきの能力だ。
とはいえ、百万都市の江戸が死者の霊で溢れているかというとそんなことはなく、未練を残したか死んだことに気づいていない幽霊をたまに見かける程度だったのだが。たいていの死者の霊は現世に留まっても時間経過で消えていく。
しかし今月に入ってやけにそこらに霊の気配があるようだった。
部下の一人が咳払いをして、教える。
「今は盆の時期ですからな。あの世から祖先の霊が戻ってきておるのやもしれません」
「お盆……ああ、聞いたような……そうか、去年は城から出なかったしなあ」
新六は脳内で情報を整理して頷いた。
盆こと盂蘭盆は日本中で行われる年中行事で、祖霊供養を行うものだ。この月は彼岸から故人が帰ってきて、お供物を頂いたり、読経を受けて供養されたり、踊りで慰めたりされる。
仏教における死後の設定と矛盾していそうな行事なのだが、既に定着したものは仕方がない。
霊を見ることができる新六にとっては、祖霊が戻ってくる期間と言われれば納得がいった。彼岸やら浄土やら死後の世界がある、という話も聞いたことがあったのだ。
「新六殿は先祖の霊が見えるのですか?」
「そこまではっきりはしてないかなあ。実体を保っていない霊も多いし……」
彼の見た中では首切り役人の山田浅右衛門に取り憑いている幽霊群は、人のようなそうでないような形になった者たちが融合している風に見えて、かなり正気度を下げてくるため苦手だった。
「そういえば江戸城で御鈴廊下の外庭でのことなんだけれど、そこの庭石にずっと泣いている幽霊が居てねえ。見た目は火の玉みたいだったよ。供養していいか上様に聞いたら、お城に勤める僧侶の人たちから『そんなことがあるわけないだろ新参者め!』って怒られちゃった」
「ど、どうしたんですか」
若干怯えながら聞いてくる部下に、新六は若干哀しそうに言う。
「上様が面白がって、僕と僧侶の人たち数人をその庭石の横で一晩監視させたんだよね。そしたら案の定すすり泣きが聞こえだして、僧侶の人たちは泡を吹いて倒れて……今でも自宅療養中なんじゃなかったかな……可哀想に」
「怖い話せんでくださいよ!」
「幽霊の方はお経あげといたら消えたから……
江戸城、御鈴廊下の外庭では徳川綱吉の時代に小姓と奥女中が密会を行い、その庭石近くで手討ちにされた。
その後、時折件のような心霊現象が起こって『夜泣石』と呼ばれたという。
新六がそれを見つけて、般若心経を読むことで霊障は収まった。そうした実績で、正式な役目ではないが江戸城で幽霊が見られたとなると新六が呼ばれるようになった。
「へえ……幽霊に般若心経って効果あるんですねえ」
「このお経自体には除霊の効果はないんだけど、ああいうのってちゃんと供養してあげる姿勢が大事なんだよね。いやまあ、僧侶なのは見た目だけな僕が唱えるのも気が引けるけれども。でもお釈迦さんの言葉にも『悪人でも聖句は読める』って」
「お釈迦さん⁉ お釈迦様をさん付けしてる人初めて見た!」
特に新六の場合、幽霊と対話することが可能なので彼の言葉と読経は霊体にもよく聞こえて効果は抜群だ。経自体に除霊する意味合いがなくとも、未練を残した幽霊は自分を供養する新六の声に聞き入り悟りを得て浄化されていく。
ちなみに彼は少なくとも見た目は虚無僧の格好をしているのだから、という理由で幾つかの経典を暗記させられていた。文字の勉強も兼ねてのことだったが、多少は僧侶らしいこともできる。いつかは魔女の呪いを四天王や帝釈天なる神々に直接交渉して解いてもらいたいとも思っていた。
それはさておき、お盆は無害な霊がやってくる季節だと知れば特に新六としても思うことはない。単なる景色として認識し、気にしないようにした。
さて、新六がお盆の季節に一人で歩いていたときだ。
普段は部下も居るのだが数が少ないため、仕事を頼むと彼一人になることも多い。元々御庭番の仕事では従者も居なかったので気にしなかった。
その日は牛込近辺を通っていた。このあたりは寺も多く、盆で帰ってくる霊たちも寺に集まることが多いようで新六はゆっくりとあたりを見物しながら歩いていた。他人と連れ立っていると、見えないものを見て立ち止まっている彼に戸惑われてしまうが一人ならば気楽だ。
(前の世界じゃ見られない光景だなあ。死人の魂は告死妖精が連れて行ってすぐ転生するから)
新六が前に住んでいた異世界ペナルカンドでは、人間の魂は実在を確認されており、世界の輪廻転生を司る死神によって死者は生まれ変わっていた。
とはいえ、魂が存在しているということは周知され、それを観測したり、干渉したりする手段もある。魂を現世に留めることで死を免れる者や、他人の魂を不正使用する魔法使いもいた。
そうされないために死後の魂を即座に死神の下へと送る『告死妖精』と呼ばれる妖精が小さな町でも一体は居た。ただし、殆どの告死妖精は姿を消していて見られなかった。霊視能力のある新六でも実際に見たことはない。
魂が迷わぬように導く役目なのだが、告死妖精が死を与えるという誤解や迷信から嫌われることが多いため、多くの告死妖精は姿を隠していて知覚しにくい。その存在は空気みたいに儚く、見たとしても記憶に残ることは稀だ。
(死霊術師とか不死者とか少ないからこんなイベントがあっても問題ないのかなあ。あの世も西方浄土とか東方浄瑠璃世界とか色々あるらしいし、面白いなあ)
ペナルカンドでは天国も地獄もなく死者の魂は死んだのが人間だろうが動物だろうが神だろうが転生させられるので、こうして死後の魂が戻ってくることはほぼないため新鮮であった。
そうして新六が歩いていると、やけにはっきりとした幽霊が頭を抱えて座り込んでいるのを見つけた。
霊にしてはやたらとその人間臭い仕草が目に止まりやすかったのかもしれない。
幽霊は老翁のようだった。彼は白小袖姿で北の空を眺めながら頭を抱え、
『どうすれば……どうすれば……ああ……
と、呟いていた。
新六が周りを見回しても誰一人その老人に気をかける者も居なく、僅かに透けて見える姿から幽霊だとわかる。
場所は
そんな立派な寺の前で嘆いている老人の霊は、いかにも哀れに見えた。盆で帰ってきている他の祖霊はどれも喜んでいるように感じるのだが、彼には痛恨の念と嘆きの未練が強い。
新六は立ち止まってやや悩み、老人の隣に座ってからゆっくりと話しかけた。
「あの。大丈夫ですか? なんなら般若心経聞きます?」
『……⁉ ご、
「はあ。まあ一応……」
新六が編笠の上から頭を掻きつつ答える。随分話の通じる幽霊のようだった。中には嘆くばかりで呼びかけに応えてくれない者もいるのだが。その場合は般若心経で供養してやっていた。
自分の姿を相手が認識していると確かめた老人の霊は縋るが如く、新六の前で土下座を始めた。
『どうか、どうかお頼みしたいことが……!』
「ま、ままま、待ってください落ち着いてください、頭下げなくていいですから……」
慌てて新六は老人の霊を制止し、ひとまず話を聞くことにしたのであった。
門前から案内されて寺院内の墓所へと新六は赴き、そこで改めて白小袖の老人と向き直った。
『儂の生前の名は
「うーん、申し訳ないですけど聞き覚えはないと思いますが……有名な方なんですか? あのう僕、最近江戸に来た田舎者なので失礼かもしれませんけれど」
『……いえ、知らないならば知らないで良いのです』
老人──吉良義央は複雑そうな顔で頷いた。彼の背後には四つの墓石(供養塔)が建てられており、吉良家四代が祀られていた。
吉良上野介義央。異世界から来た余所者の新六は知らなかったが、言わずと知れた『忠臣蔵』の人である。当時の江戸でもまさについ最近の事件だったので有名人だ。
義央の霊は、きっとこの僧は厳しい修行を積んで霊とも会話する能力を得たに違いなく、それ故に俗世のことには詳しくないのだと勝手に納得して掻い摘んだ説明をした。
『今より二十年ぐらい昔でしょうか、赤穂藩の藩主
「ははあ、それでお亡くなりに……お悔やみ申し上げます」
そのことが未練で今も嘆いているのかと思った新六が神妙に告げる。だが、義央は首を振った。
『討ち入りに関して思うこともなくはないのですが……儂悪くないだろとか腹を切らせた幕府に討ち入れよとか……そのあとも幕府が手のひらを返して儂が悪くて赤穂浪士が正義みたいな論調になったのもやや納得できないこともありますが……儂が無実だと裁判したの幕府だろうと……最近なんか毎日の如く、死んだ日に目覚めて一日を過ごす夢を見るぐらいで……』
「色々あるんですねえ……でもほら、執着や怒りは断ち切った方がいいですよ」
死後の義央は彼岸にやってきた知人などの霊に話を聞いて、赤穂事件の顛末や世間の評判も把握していた。
本人としては生前「最近雰囲気が悪いなあ」と思っていたところ、深夜に襲撃されて慌てて逃げ隠れしたあとに斬られるという、動転した死に様だったがようやく冷静になって考え直すこともできた。しかしやはり不満も多いようだ。
『御坊の言う通り、そこはもはや諦めるとして……』
「あ、いいんだ」
『儂のたった一つの気がかり、悩みを聞いてくだされ。我が孫、義周が供養されておらぬのです』
「お孫さん?」
義央の孫である
少々体が弱いものの素直であり、純粋に義央を慕っている大事な後継ぎだった。しかし赤穂浪士襲撃の際に義周は槍を手に迎え撃ったものの、敗北して気絶している最中に義央を討ち取られた。
その後、義央を討ち取られたのは義周が守りきれなかったのが悪い、父がやられているのに呑気に気絶しているなど武士の風上にも置けないという評定になってしまい、彼は諏訪の高島藩にて罪人の如く軟禁されて死亡した。
『これも死ぬほど思うところがあるのですが……死んでいるけれど……せめて孫の遺骨ぐらい菩提寺に持ってきてくれてもいいだろ幕府の連中……!』
「た、大変なんですね……」
幕府にとって義央は『忠義の士によって討たれた不義の男』であり、その後継ぎである義周にも厳しい沙汰があった。足利にも連なる名家だというのに、義周は葬儀をあげることすら許されなかったのだから徹底したものがあった。
そこらの吉良へ厳しくしたことも、政治の失敗などからくる大衆の不平不満を逸らすため、民衆が熱狂した娯楽的な義士伝説に併合したことも理由の一つかもしれない。
『その事情も飲み込んで、彼岸では義周に会えたから良かったのですが……』
「あの世で会えたのは幸いでしたね」
『ところが昨今、義周の気が鬱いでいるのです。事情を尋ねると、諏訪の地に造られた己の墓を荒らした者がいて、遺骨を打ち捨てられたのだと……』
「そういうの、わかるんだ……」
『あれだけ不幸な目にあって若くして死んだ孫が供養までされずに打ち捨てられていると思うと、居ても立ってもいられず盆に乗じてこの世に迷いでたところでして……』
「なるほど……おつらいでしょう」
新六は沁み沁みと頷いた。彼に子や孫はいないが、義央の気持ちは理解できた。死後の安寧まで脅かされてしまうなど、人が人に与える罰を超えている。
確かに、吉良義央に討ち入りをされるだけの理由があったのかもしれない。
赤穂浪士にも正義があったのかもしれない。
迎え撃ち、力及ばず、腰抜け呼ばわりされて改易を受けて病死した義周も思うこともあっただろう。
だが当事者以外が、今更になって死者を辱めることは許されることではない。
新六は決意を込めて義央に告げた。
「わかりました」
『おおっ!』
「じゃあ般若心経読みますから成仏してくださいね。ええと、『観自在菩薩が深遠なる知慧の完成を実践していたとき、もろもろの存在の五つの構成要素は、皆、固有の本性・実体を持たない「空」であると見極め──』」
『ぐああああ⁉ ちょっ! ちょっと待った! 待ってください御坊!』
新六が般若心経(翻訳能力が発動して音訳と口語訳が同時に聞こえてくる)を唱え始めるとその真言の尊き有り難さに義央の霊は大悟して成仏しかけた。
この萬昌院、即ち吉良家の菩提寺は曹洞宗であり般若心経を大事にしているのもクリティカルであった。
大きく息を(死んでいるが)整えて、義央は脂汗を浮かべながら新六に訊く。
『……ええと、話の流れ的に、こう頼みを聞いて未練を晴らしてくれる感じでは……?』
「え? いや、そういうのってほら、執着っていうやつであんまり良くないってお経でも解説していますし……」
戸惑った様子で新六が言う。彼はにわか坊主でもあるため、経典や教義を聞いて「なるほどなあ」とそのまま納得していた。
彼の居た異世界では多数の神々がいて、信仰の数も多かったので多様性を素直に受け入れている。
彼は仏教のことを『執着や怒りを断ち切って安らかに生きて死ぬライフハック』みたいなものだと勝手に解釈していた。
サクッと義央も成仏した方がいいかと思っての善意だったのだが……
『ど、どうかお願い申します! 諏訪にある義周の遺骨を供養してくだされ! そうでなくてはこの吉良上野介、未練にて世を去ることができませぬ!』
「うーん……叶えてあげたいところですけど……ちょっと上様に相談してからでいいでしょうか。僕も幕府の仕事があるので江戸から離れられるかどうか……土地勘もないし」
『う、上様に直接相談……⁉ この御坊、ひょっとしてかなり位の高い……い、いえ! お頼みいたします! どうか、どうか!』
「わ、わかりました! わかりましたから土下座やめてください!」
押しに弱い新六はとにかく下手に出て拝み倒す彼の願いを聞くことになるのであった。
義央とて必死だ。幽霊となった自分を見えて、会話ができる者など今後現れるかわからない。少なくとも萬昌院の住職は全然駄目だった。親戚でもあるというのに!
一縷の望みに縋った彼が新六の了承に泣きそうな顔でお礼を告げているときであった。
『吉ぃぃぃ良ぁぁぁぁ……』
地獄の釜から響くような、それでいてやけに耳に残る通りの良い声が聞こえてきた。
『ひっ!』
「ど、どうしたんです?」
『来た……毎日やってくるあいつが……地獄から儂を追いかけてくる!』
怯えて挙動不審になった義央があたりをキョロキョロと見回している。歯の根が合わないほど震え、今にも腰を抜かしそうだった。
新六も警戒をするのだが、次の瞬間には全てが終わっていた。
『吉良ァァァァァ‼ お前を地獄に連行する‼ このッ馬鹿野郎ッッッ‼』
『ぎゃあああ⁉
萬昌院の屋根から飛び降りてきた討ち入り姿の赤穂浪士、真っ赤に燃えるような色をした武林唯七の幽鬼が義央へと向かって持っていた槍を叩きつけ振り下ろした!
「吉良さん⁉」
武林唯七はかつて討ち入りの際に吉良義央を斬り殺したとも言われる武闘派の赤穂浪士であり、切腹して泉岳寺に他の者と同様に弔われている。
だがその生来の荒々しい気質からか、霊になっても仇を殺しに来たようだった。
霊体の槍を叩きつけられた義央は体が煙めいて散っていく。
『御坊……どうか、どうか義周を……』
もう既に死んでいるがまるで今際の際みたいな言葉を残して消えていった。新六が手を伸ばしたものの、掴めずに煙めいて散っていく。
そしてその場に立ち尽くす武林唯七の幽霊であったが、新六には興味を示さずに、
『俺たちは迷いながら辿り着く場所を探し続け……辿り着く場所さえもわからないが届くと信じて……』
などと意味がありそうな、なさそうなことを呟いていた。
「あの……般若心経要ります?」
『俺にもわからないさ! なにが正しいかなんて! 武林唯七、帰還する!』
新六が話しかけたのだが無視され、彼は掛け声と共にどこかへ飛んで行ってしまった。
取り残された新六だったが、
「……どうしよう。とりあえず上様に相談かなあ……行けなかったら九子さんに頼もう」
下っ端役人の彼としては上司に報告するしかないのであった。
******