三章『天狗と猪坊主、諏訪へ行く』
──温泉奉行の川村新六は、内藤新宿に江戸城から日参して仕事に励んでいた。
現在、新宿に温泉奉行の役宅が造り始められたが、完成はまだ先だからである。
目立つ巨体と、武士らしからぬ奇妙な僧侶の格好──将軍により認められているためこれが正装──をしている彼は、近頃では新宿でも有名であり親しまれた男であった。
なにせ庶民からすれば役職の偉さなどよくわからないが、仮にも名目はお奉行さま。だというのに町人相手でも腰も低く丁寧に対応し、困ったことがあれば一緒に悩んで解決してくれる、非常に頼りになる役人なのだ。
通りを歩けば誰となく呼び止められ茶や酒を奢られることも珍しくなかった。
そうしているうちに新六も新宿近辺に詳しくなった。少なくとも毎日歩くため、江戸城から新宿、そして新宿から小石川養生所までは彼の勤務範囲である。(本来の仕事は御庭番であり、江戸城に宿直しているのだ)
小石川にも温泉の湯を運び、病人の療養に使っているのでそちらにも寄ることが多かった。ついでに新宿から小石川に行く途中の神楽坂に鳥山石燕の屋敷があるため、時々石燕や子興を送り迎えさせられた。なんだかんだで頼られる男であった。
さて──。
新六はこの月に入るとよく、町を歩きながら時折立ち止まり、興味深そうに虚空を眺める姿が見られた。
彼の姿だけは世間によく知られているので、何事かと訝しむ町人も居た。温泉奉行として臨時の家来が同行していることもあって、その者から訊かれた。
「どうされたのです、新六殿」
「ああ、いや。今月になったらやけに幽霊が多く見えるな~って思って。亡霊って感じじゃないんだけど。半精霊化しているのかな」
「ゆ、幽霊……? 精霊……?」