短めに纏めた髪と活発そうな顔立ちから少年にも見えるお八だが、れっきとした大店のお嬢さまである。ただし生来の元気さと孫ほども離れた末娘が可愛いく親も甘やかすため、おしとやかでない性格も矯正されず自由奔放に育っている。
お八は九子によく懐いており、彼女が珍しくこの店に来たので慌てて降りてきたようだった。
目を輝かせて訪問の目的を尋ねる。
「九子姉今日はどうしたんだぜ⁉ その胸が馬鹿みたいに出た着物をちゃんとしたのに替えるのか⁉」
「普通の着こなしをしたら息苦しいからそれは遠慮しておくがのう」
元々は男であった感覚からすると胸が大きいだけでも邪魔くさく感じているというのに、それを着衣の中に収めようとぎゅうぎゅうに締め付けるともはや耐え難い苦痛であったので谷間を出している。
するとお八はようやく、九子の隣に座っている雨次に気づいて話しかけた。
「ん? 誰だぜ? 九子姉の弟か?」
「違うが……そんなに弟に見えるかのう?」
九子が首を傾げる。どことなく雨次も迷惑そうに顔を歪めている。昨日会ったばかりなのだ。姉弟扱いされるほど親しくもない。
お八が腕を組んで考え、難しげに告げた。
「うーん、なんか九子姉から年下に対する慈愛的な雰囲気がするからよ」
「まあ……昔は弟の世話もしておったから似た対応をしておったかのう?」
九子が生まれ育ったのは二十一世紀の現代日本で、一般家庭であった。その頃には年の一回り離れた弟が居て、兄弟仲も良好だった。
基本的に九子は若者相手に弟分のように接しているため『姐さん』と呼ばれることも多いのだが、それが雨次ぐらいの少年だと本当の弟みたいに感じられるのかもしれない。
「こやつは雨次。千駄ヶ谷の子供だ。小唄の友達だったかのう」
「小唄ちゃんの? じゃあアタシとも友達だぜ!」
小唄が助屋の手伝いに来た際に打ち解けあったお八は明朗快活にそう言う。細かいことは気にしない方であるし、男女問わずにお八は友人が多い。
だが雨次は眉根を寄せて口元に手を当てながら暗い顔でブツブツと口に出した。
「友達……と小唄の方はそういうけど実際のところ本当に僕らは友と呼べるのか微妙なところがあって。そもそも友人とは互いに良い影響を与えあう対等な関係で、恵まれ人格も優れている小唄からすれば僕みたいなのは付き合うべきでない気が。孔子曰く便辟を友とし、善柔を友とし、便佞を友とするのは、損なりという──」
「めっちゃ早口で呟くじゃん」
「白石の爺さんを卑屈にした感じだのう」
ちなみに、小唄の方から「友達になろう!」と言われたことでなんとなくそれ以来の関係なのであった。村で雨次に関わろうとするのはお遊と小唄ぐらいしかいない。
新井白石の屋敷で行う手習いに小唄が誘ってくれたことには雨次は感謝しているのだが、どうもああいった恵まれた少女とは住む世界が違うと思えて、友達という関係に違和感を覚えている。
「ま、どうでもいいや。難しく考えんなって。そういえば九子姉、小唄ちゃんは店に今日はいるのか?」
「うむ。晴海は村で仕事だが、小唄の方は手伝いに来ておるぞ」
「よっしゃ。じゃあちょっくらアタシも冷やかしに行ってくるぜ! あとで雨次も九子姉の店に連れて来いよな!」
「そうだのう」
お八はおもむろに、目付きの悪い雨次と額を合わせるぐらいに顔を寄せて言う。どうもさっきからこの少年は、しかめっ面をしているのが気になる。
「美味い飯食えばしけ面も笑顔になるってもんだぜ!」
「……男の子?」
「誰が男だ、誰が!」
お八が近づいたことで彼女の少年にも見える顔がややはっきりと見えた雨次は不思議そうに訊いたが、男扱いされた彼女に頬をつねられてしまった。
九子が失笑しながら教える。
「はっはっは。いや雨次は目が悪くてのう。玉菊も女だと勘違いしたぐらいだ」
「そりゃあ、
「全裸状態で勘違いしておった」
「タマのタマが見えてるじゃん……って見えてねえのか」
「服を買ってから眼鏡を買いに行こうと思ってのう」
「そりゃいい。このお八ちゃんの美少女っぷりをくっきり見て惚れるなよ!」
そう言ってケラケラと笑い、先に助屋へ行くべく外へと向かっていった。
それを見送る九子もお八の気っ風の良さにはいつもながら好感を持つのであった。
「……金持ちの子供ってやっぱり余裕と元気がありますよね……はあ……なんか話すだけで疲れた」
「そしてこやつは卑屈すぎる」
暗い顔でぼやく雨次に九子は困ったように首を振った。
雨次の要望も聞いて洗いやすく汚れの目立ちにくい柄の着物を三着購入し、雨次に一つ着せて残りは持ち帰ることにした。
「お主の母親の分は家に反物を置いておいたが……裁縫とかできるのかのう?」
「見たことないですね……ちょくちょく違う着物を纏って仕事に行っているみたいですけど、追い剥ぎで奪ってきている物じゃなければいいなあって思っています」
「大丈夫なのかお主の家庭……」
雨次の母親は夜鷹ということになっているが、当然ながら仕事現場を息子の雨次が見たことなどない。ついでに村の男で母と寝た者も一人も居なかった。
時々、返り血を浴びて帰ってくることもあり、喧嘩をしたようなのだが本人は怪我らしい怪我をしていなかった。雨次は半ば、人を襲っているのではないかと疑っているぐらいだった。怖いから訊いたことはないが。
ちゃんとした服を着ることで多少は視線が気にならなくなった雨次は九子と並んで目的の店へと向かった。
様々な商品の並ぶ日本橋界隈だが、看板にはその店が扱う品を書いていることが多いので一見してわかる。
二人が立ち止まった店の看板には、
『
と、書かれていた。
雨次が目を細めて読もうとするが、高いところに掛けられた看板の文字では『鹿屋』ぐらいしか読み取れなかった。
「ここですか? 眼鏡屋は」
「石燕が言うにはのう。眼鏡屋というより、舶来品を取り扱っておるとか。あやつの話では国産の眼鏡は形が野暮ったいから、南蛮渡来の方が良いのだと」
眼鏡を日本に持ち込んだ人物で有名なのはフランシスコ・ザビエルであり、眼鏡を掛けていた日本人で有名なのが徳川家康である。江戸時代初期には眼鏡は日本へと渡ってきていた。
三代将軍家光の頃には六万個もの眼鏡を輸入していた記録が残っている。その後も眼鏡の輸入は継続されていて、大都市である長崎、京都、大阪、江戸では舶来品の眼鏡屋があったようだ。
江戸も中期頃になると日本の職人が
そんな創意工夫が行われている国産眼鏡だが、デザインが当時からして女子受けしなかった。例えるなら野比のび太の眼鏡を太い黒縁にしたような感じだろうか。勘定仕事をしている中年男性であだ名が狸親父になりそうな人物ならば似合いそうではある。
「僕は見えれば形はどうでもいいんですけれど……」
「まあまあ。ともかく己れの友達のお勧めな店だからのう。他に良い店を知らんし」
他にも舶来品として珍しい品々を並べているらしい。
石燕が言うには、薩摩訛りのお
邪推かもしれないが、合法的に購入した長崎の舶来品を堂々と並べて売っている──ことを隠れ蓑に、薩摩藩が取り扱う抜け荷(密輸品)を捌いている店なのではないかと彼女は指摘していた。
抜け荷は幕府が独占している海外貿易での利益を犯すものであり、更には管理外で富の蓄えと海外の兵器を入手する危険性もあるため度々厳罰のお触れが出されている違法行為である。
だが、それだけ抜け荷は儲かる手段なので数多くの者、或いは藩主導で江戸時代を通して行われ続けていた。取り締まっても取り締まってもキリがないほどに。
「悩んでいても仕方あるまい。入るぞ」
九子が暖簾をくぐって行くのに雨次は付き従った。
店内は広々としていて先程の藍屋に比べればかなり活気はないように思えたが、生活必需品である呉服屋と趣味の世界に近いここでは客数も違うのだろう。
ずらりと陶器が並べられた棚や、鼈甲細工、象牙細工などの美術品が置かれている。
別の棚には南蛮だけではなく琉球風の柄をした反物も広げられて並べられていた。
珍しいものでは硝子製の猪口や徳利なども置かれている。形がやや洗練されていないのは国産品だからだろう。少々歪んでいるところもあれば、白く濁った半透明なものもあってバラバラな品質だ。
日本には弥生時代から硝子を作る竈があったとされるが、鎌倉から室町時代には製造が衰退し、江戸時代になって西洋のガラス製品を模倣し再び作り始められた。享保頃の和硝子は強度が低く割れやすい品であったようだ。
九子らが来店したのに気づいたらしい、店の主人が座敷の奥から揉み手でやってきた。背はやや低いが恰幅の良い男で、愛想の良い笑みを浮かべている。
店の主、