いちいち欲しい物の聞き取りをするのも面倒だし、一括で現金にして渡すのも味気ないと思って余興に作ったものだった。

 投げるのは専用の羽つきダーツを九子が自作して持ってきていた。棒手裏剣でもよかったのだが、そうすると忍び連中が有利になりそうだったから変えたのである。

 九子の提案にどよめいた一同だったが、忍びの一人が手を上げて質問した。

「はい! そ、その『願いを叶える権』……ってなんですか姐さん!」

「うむ。まあ、己れが現実的に叶えられる範囲でなにかしら願いを叶えてやろうと思うがのう。死人を生き返らせろとかは無理だぞ。自分の家にも温泉を掘って欲しいとか、商売を始めるので店を用意して欲しいとか、地球にやってくる悪い宇宙人を倒してくれとかそれぐらいなら」

 考えるように言う九子の言葉に対して、一同のざわめきは言葉にならなかった。謎のうめきに近い声があちこちから漏れる。

 なんでも。

 叶えてくれる。

 真っ先に彼らの脳裏に浮かぶのが助平な願いだったのは男として仕方ないことだろう。

 同時に数人の真面目くんたちは、

(いかん……他のやつらに変な願いをされる前に、俺がその権利を取らねば!)

 という謎の使命感を持つこととなった。後方保護者面である。

 とはいえ、九子とて考えなしにそれを書いたわけではない。

 そもそもの問題としてこの一等の枠は非常に小さい。ほぼ線みたいな領域だ。試しに投擲術の達人である晴海に狙わせたが、的中したのは十回に一回のみだった。

 おまけにこの場の男たちは全員酔っている。九子が濃い酒を飲ませたせいだ。

 酔っ払いが、使い慣れない道具で練習もなしに一発で一等を当てる可能性などほぼゼロに等しい。

 更に思惑として、この場にいる男たちはたとえ当たったとしてもそうそう直接的に助平な要求なんてできないだろうことを予想していた。 

 忍び連中はピュアピュアな童貞ばかりなのだ。

 更には浅右衛門や晃之介も純朴であり、甚八丸に至っては恐妻家の既婚者だ。

 権利を手にしてもそれを行使する勇気が持てない。

 もし手に入れても精々が手を繋いで欲しいだとか、胸を揉みたいだとかその程度で終わる可能性が非常に高い。

 万が一の強運で的中してその程度の願いならば九子とて笑いながら叶えてやるだろう。

 影兵衛は怪しいところだが、彼の場合は助平よりも果たし合いを申し込んでくるに違いない。その時は透明化して降参するまで空から吹雪でも食らわせようと思った。

「さあ、全員参加で始めるぞ。順番は誰からだ?」

「うおおおおお!」

 男たちは今日一番の盛り上がりを見せるのであった。


 さて、忍び連中は基本的に手裏剣術をある程度修めている。

 使い慣れないダーツであろうとも狙って投げることができるのだが……

「うううう、目、目が回る……」

 的は常にゆっくりと回転している上に、酒で体も直立できずにふらついている。

 それでも的には夢があるのだ。もし一等を当てたら……

「デュフフフ! とあー!」

 くじ引きで勝って一番に投げた忍びの一投は──『一分金』であった。

「うああああ……! せめて肩揉み券が良かったぁああああ……!」

 崩れ落ちる男。嘲笑する周囲。とはいえ、二万五千円ぐらいの価値がある褒美が最低ラインなので損はさせていない。

 次々に男たちは意地を見せて挑戦していく。

 だが、やはり酒の影響で狙いは覚束おぼつかないため、ほとんどランダムのような結果に誰もが一喜一憂をする。確率の問題で多くは一分金か肩揉み券で終わる。

 九子は的の近くで当たった褒美を判定しながら発表する役目だった。

「山田浅右衛門、褒美は『肩揉み券』……残念だったのう」

「や。凄く嬉しい」

 なにも後悔がないような微笑みを見せて浅右衛門は肩揉み券を受け取った。

 穢れ仕事の首切り役人、誰もの鼻つまみ者で嫁も見つからない。心優しくもそんな世評を受けている浅右衛門からすれば、意中の女から肩を揉んで貰えるなど夢にも見ない幸せであったのだ。

「家宝にしよう」

「いや使えよ」

 九子が突っ込みを入れた。

「はあ!」

 裂帛の気合と共にダーツを打ち込んだ晃之介が手に入れたのは、

「晃之介、『米一俵と味噌一樽』! 実用的なのを当てたのう」

「……ああ! そうだな!」

 なにか一瞬、彼は凄く悩んだ顔をした。晃之介からすれば暫く食事に困らないことはとても大事だ。振り切って喜ぶことにした。

 晃之介も投擲術に関しては一流の武芸者で、動体視力も非常に優れているのだが、酔いによって狙いは外れたようだ。

 次も気合の入った投擲であった。

「いけよォ! そらァァァ!」

「全力さが逆にキモいよな……」

 密かに九子がぼやいたが、影兵衛の投げたダーツが深々と的に突き刺さる。

「影兵衛は……はい残念『一分金』~」

「くああああ……ちょ、ちょっと待て九子ォ……拙者、持参の小柄を投げていいか? 手元が狂っちまってよ」

「駄~目♥」

「くそァ! あんなことやこんなことさせようとしたのに……!」

 がっくりと肩を落とす影兵衛であった。

「よいしょ」

 軽い声で投げた新六は『助屋一ヶ月無料手形』を手に入れた。

「ううっ……仕事が忙しくてあんまり通えないかも……」

「そうなのかえ? よし、それなら三十日分ということにしておいてやろう。いつ来ても三十日分は無料だぞ」

「九子姐さん、新六さんにやけに優しい気がする……!」

 他の忍びたちに若干妬まれる新六であった。

 一方で甚八丸が手に入れたのは、

「なんでェ『たわし』って」

「売っとらんから己れが自作した掃除道具だが……聞いたことないのか?」

「知らねえ……」

 九子が渡した亀の子束子は明治以降に発明されたものであり、元々は足ふきマットの一部を手に持って使ったものだ。

 一方で完成形を既に知っている九子は、棕櫚しゅろ(ヤシ科植物)を使って(江戸では観賞用植物か箒の材料として使われていた)束ね、亀の子束子みたいな形で作ったのである。

 単に本人としては、こういったルーレットではたわしが必要だと思っただけなのだが。パジェロも用意したかったが無理だった。

 甚八丸が訝しんで手に持つのを九子が身振りで示す。

「こうして鍋とかを洗ってだな。よく汚れが落ちて便利なのだぞ」

「……なんか俺様、これを量産しないといけない? もしかして」

「頑張れよ。石鹸とも相性の良い新商品だ」

「ぐえーっ! 仕事が増えやがった……!」

 たわしを手に入れたのは甚八丸だけだったのだが、いかにも便利で流行りそうな道具を出されて、他所に真似されるよりは先に作らねばという義務感から彼は頭を抱えた。

 この天狗と付き合い始めて以来、畑の作物や鶏の育成から新商品開発まで、とにかく口出しされて忙しくなった。

 どれもが利益を上げていて、家族や手下を養うことを考えるとやらねばならないのだ。

 そうして概ね、全員がチャレンジし終わった。

 ほとんどは肩揉み券か一分金で、それ以外が少数。十両や温泉宿の宿泊手形は誰も手に入らないという、大当たりのない結果ではあったが、実質のところ褒美はタダ酒タダ飯で還元されているのでプラスアルファのおまけでは不満も出ない。 

 むしろ忍び連中からすれば肩揉み券でも小判に値する大事な代物だ。美少女に合法的に接触する機会など他にはないのだから。

「えーと、これで終わりかのう?」

「最後にこの利悟さんが残っていますー」

「なんだ、まだ生きておったか」

 酔っ払ってフラフラの利悟が忍びに肩を貸されて連れてこられ、ルールすら理解していなそうな眼差しで、今にも眠りそうなほどにカックンカックンと頭を項垂れながら的の前に立った。

「ほれ、誰か投げさせてやれ」

 九子が言わせて周りのものが利悟にダーツを持たせると、ふにゃふにゃと寝言を言いつつ彼は適当にぶん投げる。

 酔っ払いの雑に投げたダーツはまず天井にあたり、跳ね返って奇跡的に的へと突き刺さった。

 当たった場所は……

「……おっ。『願いを叶える権』に当たりおった」

 九子が驚嘆の声音でそう言った。

 ギリギリの境界線上だとか、そういう主張ができないぐらいにしっかりと一等へ突き刺さっている。

 狙ったわけでもなく、まともに投げられたわけでもない。

 まさに奇跡的な確率の偶然である。

「ええええ!」

 忍び連中が一斉に叫んだ。自分たちが狙いに狙った場所を最後に棚からぼた餅とばかりに当てたのだから。

 当の利悟はまだ酩酊の世界にいるようで、「はれ?」などと呟き首を傾げている。

 だが、当たったのは当たったから仕方がない。

 九子が近づき、利悟に言った。

「利悟や。願いがあるならできる範囲で聞いてやるが、どうだ?」

「うにゅ……お九ちゃん、膝枕して……」

「男がうにゅとか言うなキショい……まあよかろう」

 願い消費完了である。寝かけた利悟を抱えて、九子はその場で彼に膝枕をしてやった。

 九子の膝枕はちょっとした問題がある。

 胸がデカいのだ。

 正座して膝に頭を乗せると、その上に胸がどっしりと伸し掛かってまるでサンドイッチ伯爵の末路みたいになる。(何代目かのサンドイッチ伯爵は女性の胸と太ももに挟まれて死亡したという説を作者は目にしたことがある)

 皆が見守る中、願いを叶えることは誓約なので九子は半分ぐらい泥酔しかけている利悟の頭を膝に乗せて、胸で挟むがままにしてやった。

 本人が性欲丸出しで覚醒していれば気色悪いことこの上ないが、意識を半ば失っている状況ならばこれぐらいお安い御用、九子としても大金を払うよりは良い。

 だが利悟は少女の肉体にそぐわない巨乳を嫌う人種である。

「うーんうーん……胸が邪魔」

 などと口にして周囲で唖然と見守る皆から睨まれていた。

 今すぐ場所を代われ、という念を浴びながらも前後不覚に酔っ払っている利悟はモゾモゾと膝枕にもぐりこむように頭を動かしていた。

 殺そう。影兵衛と他数名が刃物を取り出しかけたときである。

 九子がびくっと身を震わせて妙な声を出した。

「うおひゃあ⁉ ふ、太ももを舐めなかったか⁉ よだれか⁉」

「むにゃむにゃ……」

 寝ぼけた利悟の狼藉に男たちは動いた。それはもう。まるで戦のような勢いで。


 そのあと、利悟は意識が朦朧としたままどこかに連れて行かれ、流れで宴会も解散となった。紳士協定によって誰も宿に泊まることはなかったが、九子だけは湯にも浸かりたいので残った。

ぬしさまの舐め汚された太もも……わっちが舐め直して浄化するでありんす!」

「やらんでいいから。温泉入るし」

「じゃあ特に関係ないけど舐めさせてくれればいいでありんす!」

「開き直るでない」

 抱きつこうと迫ってくる玉菊をグイグイと押しのけて九子は言った。もし玉菊が願いを叶える権利を手に入れたらなにを要求されるかわかったものではなかった。

 諦めて一旦離れた玉菊がどこか艶のある、からかうような表情で九子を見た。

「それにしても……主さま、モテモテでありんすなあ! 逆大奥みたいでござんした!」

「モテモテのう。男友達と楽しくバカをする飲み会のノリだったのだが、そうなってしまうのは半分寂しいところがあるのう」

 ため息と同時に苦笑して九子は言う。

 元々彼女は男だった。何年も女のままなので少々意識も女性面に引っ張られているところはあるが、それでも男同士の気楽な付き合いと飲み会の楽しさは今も覚えている。

 若い頃はよくこうして男らで集まって、仕事だの趣味の釣りやゴルフだの、喧嘩もときにしながら酒を楽しんだものだが。

 見た目はすっかり美少女になってしまっている九子では、そういった集まりに混ざろうとしてもどこか一線引かれてしまうようであった。いや、まあ一線越えられてもそれはそれで困る事態かもしれないが。

 もし、彼女が九子ではなく男の九郎であったならば単に盛り上がって終わるだけの飲み会なのだったろうが、微妙に皆の感情をくすぐる結果になった。

 しかし、もはや仕方のないことだ。元の体に戻る算段もないのだから。

「まあ、半分残念だがもう半分はからかって面白かったと思うことにしよう」

「そうでござんす! わっちも女装して男の人をたぶらかすの結構好きでありんした!」

「はっはっは。本気にされてストーカーみたいになったら困るがのう。そのうちあやつらの嫁になりそうな者も見つけてやって、見合いでもさせねばな」

 男をもてあそぶ邪悪なる女天狗は気楽にそう笑って、酒の徳利を抱えて温泉へと向かうことにした。酌をして回ったので本人は飲み足りないようであった。



 これは、異世界から帰ったら江戸なのであった、とある女の物語。

 美味い飯を食い、好きな酒を飲み、温泉にのんびり入り、友人を作って楽しむ。

 そんな平々凡々とした日常を送る、女天狗の話である。