タダ飯、タダ酒が振る舞われるとなれば嫌がる者はいない。とはいえ、前回に参加したものの大怪我をした同心の美樹本みきもとぜんは自宅療養中で、見舞いの品を持っていったが。

 客の前には漆塗りの膳が用意され、カツオのタタキ、アユの塩焼き、焼き茄子、ウニ入り卵焼き、素麺などの料理が並べられている。集まった者たちは良くて下級武士の同心、多くは貧乏独り身長屋暮らしの忍び連中なので正月でも食べられないような品揃えに夢見心地であった。

「えー、今回の目玉料理はなんと熊肉! 晃之介が獲ってきてくれたものだ。ありがとうな、晃之介や」

「美味い料理にしてくれるなら構わない。それより千駄ヶ谷の皆は、熊が里近くまで降りてきているかもしれないから気をつけてくれ」

 紹介された録山晃之介ろくやまこうのすけが爽やかな笑みでそう呼びかけた。それを見て集った忍び連中が拳を握って悔しがる。

「くっ……顔も男前なのに狩りも得意で九子姐さんの好感度を稼ぐとは……!」

「モテる男は敵……!」

ひがんでるんじゃあねえぞ! それより道場の先生よ、その熊はそこらに居たのか?」

「ああ。本郷あたりから来たようだ」

 東京に熊、というと意外かもしれないが当時は江戸の外れの千駄ヶ谷村、晃之介の道場がある戸塚村などは完全に田舎の農村だった。

 ぎりぎりで江戸の区分に入っているが、都会らしさは皆無だ。

 現代でも奥多摩のあたりはツキノワグマが出没するが、この時代では熊の行動範囲は広く、山近くで生活する農民への獣害も多かった。

「マジかよ……鹿や猪ならともかく、熊なら猟銃でも出しとかねえと……」

「む? 甚八丸や。猟銃を持っておるのか?」

「おう。村に十丁ぐれえな」

「ふーん、農民が持てるものなのだのう」

 入り鉄砲に出女、などと言われて江戸近郊では火縄銃が規制されていたことは有名だがそれは武士に限りで、農民らは害獣対策に猟銃を持つことが許され、天領では幕府より貸し与えられた。勿論もちろん、それらは一揆などで使うことは農民らも自粛していた。

 当然ながら領主や代官などは猟銃の管理を行う義務があったのだがそれはおざなりで、村の誰が所持して合計何丁あると報告さえしていればいちいち検分に来ることはなかった。厳しく規制するより畑が荒らされ税が減ることの方が問題だからだ。

「ちなみに晃之介は火縄銃で倒したのかえ?」

「いや? 熊が威嚇して立ち上がったところを狙って心臓を槍で突き刺してやった」

「身も蓋もないのう」

「上手く毛皮を切る中央部を狙うと毛皮の値段が下がらずに済むんだ」

 貧乏性の晃之介は道場収入があまりないので(道場破りを返り討ちにして懐を漁ることが主な稼ぎである)熊を倒して解体するのにも気を使ったようだ。

 普通ならば猟銃や罠で仕留める猛獣の熊や猪も、このやたらと強い道場主にかかれば鍛錬相手で臨時収入になってしまう。

 酒を飲みながら晃之介の話を聞いていた男、山田浅右衛門やまだあさえもんがふと尋ねた。

「あれ? 録山うじが熊を解体もした……ってことなら、熊のも取ったかな」

「家で干しているところだ。あれもいい値段になったはずだが……江戸の薬種問屋は買い取りもやっているのだろうか」

 熊の胆嚢である熊の胆は漢方の生薬であり、江戸期に大きく広まりその需要を高め、価値も上がっていた。

「や。じゃあそれがしが買い取ろうかな」

「山田殿が?」

 浅右衛門の提案に晃之介が聞き返す。

「ん。うちは薬も作ってるから」

 首切り役人である山田浅右衛門の主な収入は、首切りではなくてその後の胴体を使った試し切りと、死体を素材にした薬作りだ。

 それ故に薬屋とは深い繋がりがあり、生薬を持ち込むこともできる。

 浅右衛門の提案に妙な危機感を覚えたのは九子である。

「まあまあ! それよりも宴だ! 熊肉を葱味噌で焼いてみたから食ってくれ!」

「おおー」

 九子が手を叩いて皆を促してから小声で浅右衛門に訊く。

「ときに浅右衛門や。熊の胆を幾らぐらいで買おうとしたのかえ?」

「や。相場だと……一匁(三.七五グラム)で一両(十万円)ぐらいだから……大きさにもよるけれど、十両かな?」

「いかん。いかんぞ……若い男にそんなあぶく銭の大金を渡しては堕落してしまうかもしれぬ。下手をすれば吉原などで散財する危険性もある」

「そ、そうかな」

「よし、ここは己れが晃之介に十両払っておき、己れから浅右衛門に売ることにする」

「……? なんの意味が?」

「同じ十両でも女から貰った金だと遊びにくいものだ」

 逆に、晃之介が九子から渡された金で女遊びをしたとしても生暖かい目で見てやれば反省するだろう。

 というか九子の提案は単に、どうせ大金を渡すのならば彼女の手から渡した方が晃之介の反応が面白いと思うので横入りしただけである。

 下手に浅右衛門から十両渡され、これまでの借りを返すなどと言われて九子に小判を戻されても困る。 

 晃之介のような男に小遣いをやると妙に楽しい九子であった。そういう趣味だ。

「おっ! なんだこの熊肉、すげェうめェな九子!」

 中山なかやま影兵衛かげべえが料理に舌鼓を打って、九子は頷いた。

「葱味噌に漬け込んだのだがのう。熊の臭みも消えるし、肉も柔らかくなる」

「ほーん。熊公の肉は滅多に『ももんじ屋』にも並ばねェからな。この旨さだと、誰かお偉いさんに献上されてるから庶民に回らねェんじゃないか?」

「隠れて肉を食っておるのかもしれんのう。大名なども」

 実際、仙台藩の名物である牛肉の味噌漬けは大名、将軍にも人気の贈り物で、ごく一部の武士などは伝手で手に入れては珍重していた。『忠臣蔵』の大石内蔵助も討ち入り前に食べた、という伝説も残っている。

 肉食は忌避されることが多かったが、隠れた愛好家は結構いたようだ。

 なおこの宴に集まっているのは『ももんじ屋』の常連の影兵衛に、修行のため野外生活に長けた晃之介。それに食べられるなら害獣でも食べる農民出身な甚八丸や忍び連中なので、浅右衛門以外は普通に肉を食べる。

 家業として人の首を切り、胴体を何度も輪切りにして、内臓を取り出して薬にする仕事をしている浅右衛門はどうも血肉の見た目や臭いが苦手になり、肉や魚を食べることがあまりないのだ。

「お! 山田浅右衛門大先生はなに食ってんだァ?」

 影兵衛が卑しくも他人の膳を覗き込んで舌舐めずりをしている。

「豆腐。おいし」

 浅右衛門の膳だけは魚や肉を除き、豆腐と煮豆などが追加されていた。

「浅右衛門のそれは豆腐の味噌漬けだな。これが塩っぱくてこってりしておって酒のつまみにピッタリでのう」

 木綿豆腐を水抜きして美濃紙みのしで包み、味噌を煮切り酒と混ぜ合わせてゆるくしたものの中に一晩ほど漬け込んだものだ。中の水分が更に抜けて味噌と酒の合わさった旨味たっぷりの成分が染み込み、チーズのようなねっとりとした食感と濃厚な大豆の味、味噌の塩気が合わさって非常に酒に合う。

「なんだ美味そうじゃねェか! 拙者にもくれ!」

「手間だからあんまり用意しておらんのだ。浅右衛門と己れの分ぐらいで」

「ええーずりィぞー」

「子供みたいに駄々をこねるでない。オッサンなのに」

「オッサンじゃねェ!」

 口を尖らせて文句を言う影兵衛に九子はやれやれと肩をすくめる。

「仕方ない。この前は宿のために頑張ったのだから一口だけやろう。ほれ、あーん」

「ほあっ⁉」

 九子が自分の膳に乗っている味噌漬け豆腐を箸でつまんで差し出すと影兵衛は一瞬、大いに怯んだ。

 同時に、ざわ……と宴の空気が静まり返り、動揺と殺気混じりの視線が集まるのだが、九子はまるで気づいていない。

 おおよそ、その場に集まった男どもの間で慕われている女が直々のあーんである。ずるいと思う者、あいつマジかと思う者、妙な焦燥感に駆られる者様々であった。

 九子の態度はまるで子供にしてあげているみたいだが、されている影兵衛はいい年したオッサンであり、誇り高き武士である。衆人の中でそのような行為をするだろうか。

「カッハハー、いやァ悪ィな! あーん」

 やるのである! このオッサンは!

 周りから殺気を向けられてもどこ吹く風、文句があるなら殺し合いの勝負も望むところというのが厄介な戦闘狂であった。

 悪ィな、は九子のみではなく周囲の男たちへの挑発ですらあった。忍び連中は影兵衛の酒に放り込む鼠の糞や朝顔の種を用意し始めた。暗殺狙いだ。

 ──と、その時。

「どうぞ」

 すっと滑らかな動きで九子に先んじて、浅右衛門が自分の味噌漬け豆腐を間抜けにも開けていた影兵衛の口へと箸で丸ごと放り込んだ。

「ぐえっほ⁉」

 急に豆腐の塊を口内へ投げ入れられた影兵衛は咳き込みながら胸を叩き、むせた。浅右衛門の素早い動きに周りで見ていた忍び連中は、

「浅右衛門さん、お見事!」

「あんた男だよ!」

 と褒め称える。影兵衛の魔の手は一人の勇敢な首切り役人によって防がれたのだ。

 同時に宙を彷徨っていた九子の豆腐を摘んでいる箸は、

「わっちがいただきんす~!」

 と、酌に回っていたたまぎくが飛び込みながら食べた。

 呆気に取られた九子だが、「仕方ないのう」と子供の悪戯を微笑ましく思うのであった。

 見ていた忍び連中も激しく頷いて、

「美少女同士ならよし!」

「あれ……? 玉菊ちゃんって男の娘じゃなかった?」

「それがなにか問題でも?」

「……よし!」

 なにかをそう納得する。オッサンが年甲斐もなく出し抜こうとするのは毒殺に値するのだが、見た目が可愛い玉菊ならば許されるようだ。なんなら間に入りたいのが彼らの思いでもあった。

「浅右衛門には己れの豆腐をやろう」

「え。でも」

「遠慮するでない。己れの分はまたいつでも作って食えるしのう。豆腐料理は用意しておるから助屋にも来るのだぞ」

「うん」

 影兵衛の口に放り込んだせいで自らの豆腐を失った浅右衛門の膳に、九子は自分の膳から味噌漬け豆腐の皿を移してやり、酒も注いだ。

「よしよし、今日こそは無礼講だ。上様もおらんしのう。皆も酒をお酌してやるから飲むのだぞ。ほれ、影兵衛も。晃之介も」

 九子が一旦立ち上がって、空になった酒盃に一人ずつ酒を注ぎに回った。忍び連中も中には酒に弱い者も居たのだが、憧れの姐さんからお酌されるのでぐいっと飲み干す者ばかりだ。

 甚八丸が訝しげな顔で注がれた酒を眺める。

「なぁんか妙~に辛い気がするぜ……この酒よう」

「うむ。原酒が樽ごと手に入ってのう。割っておらぬから強いぞ」

 普通、日本酒というものはもろみを搾ったあとに水で割り、飲みやすいアルコール度数にして販売される。現代では十五度前後だが江戸ではそれよりも低く、ビール並の五度前後から、更に薄めて一~二度になっているところもあった。なにせ店の裁量で薄めるのだから、水で嵩増しして売上を増やせるのでどこでもやっている。

 そんな割る前の原酒は度数が二十度ほどで、このまま飲んで濃厚な味で悪くはないが──普段から酒を飲み慣れている者であっても酔いが回りやすいほどに、江戸の人々にとっては濃い酒であるだろう。

 理性を保っている晃之介や浅右衛門はちびちびと舐めるように抑えて飲んでいるが、タダ酒だからと調子良く飲んでいる他の者は絶対に酔っ払うと甚八丸は確信した。

「変に絡まれるんじゃねえぞ。面倒事になんだからよ」

「はっはっは。すっかり責任者が板についておるのう。安心せよ、無礼講だ無礼講」

「キェー! やりたくて大人の対応してるわけじゃねっつの! なんだったら俺様も張り切っちゃうもんね! お座敷奥義『助平すけべいうし突撃とつげき』! もおお!」

 甚八丸が勢いに乗って、頭の両こめかみへ人差し指を立てた手を当て、牛の角に見立てて九子の胸部へ突撃した! 遊女屋などで行われる助平技の一つで、角代わりの指で胸へ触れる技である!

 完全にセクハラなのだが、甚八丸としても近頃は立場というものがあって保守的になっていたところがあり、若さゆえの衝動を取り戻しパッションみなぎるにはこの馬鹿げた悪戯をせねばならないと決心したのだ。

(まあこれぐらいの悪戯なら)

 胸に軽く触られる程度は不意打ちでなければ問題ないと、九子が甘んじて受けようとしていたが……

「甚八丸さんの不埒者ォァーッ!」

「努力と友情の二人技ァー!」

 瞬時に甚八丸の前後に現れた忍び連中──佐助と才蔵が彼の股下へ角材を差し込み、二人で駕籠かきめいて一気に担ぎ上げた!

「アヒィーッ⁉ 俺様の股間のご珍体が男根崇拝の信仰を得たーっ⁉」

 当然ながら角材は甚八丸の股間を強打。悶えたまま神輿に乗せられたようになる甚八丸である。彼らの親分といえども、憧れの姐さんへのセクハラは許されないのだ。

「イヒィ~……衝撃でタマタマが二つになったぁ~全部集めて願いを叶えてもらわないとお婿にいけないぃひぃ~」

「もとからだろう」

 ばったりと倒れて悶える甚八丸に九子が笑いかける。 

 だが彼を止めた二人の忍びたちは据わった目をして追撃を仕掛けた。

「この助平な既婚男め! あんな美人の嫁さん貰っておいて!」

「これで浮気するなんて体に悪霊が取り憑いているんですよ! 祓いますからお神酒!」

「ウヘェ~⁉」

 甚八丸の口を開かせて酒の徳利を一本飲ませる。

「肉!」

「お神酒!」

「肉!」

「お神酒!」

「やめっ、おめえら、やめろぉ~!」

 どうやら二人は既に酔っ払っているようで、勢いのまま甚八丸の口に肉と酒を交互に流し込んだ。古来より心の病や憑き物を治す方法として、嫌というほど肉と酒を与える民間療法やまじないが存在しているが、それをうろ覚えでやっているようだ。現代でも焼肉とビールが鬱に効果がある、と俗に言われるのはこれが伝わっているからだろう。

 体が大きく、多少は毒物への耐性も鍛えている甚八丸なのだが次々に飲まされる酒でさすがに意識が朦朧として来るのであった。

「はっはっは。まあ程々にのう」

 部下と上司の飲みニケーションだと思うことにして九子は場を離れる。そして次に酌に向かったのは、

「おや、利悟や。箸が進んでおらぬではないか」

「むむむーむむーむむむ!」

「猿ぐつわをとって欲しいとな? 仕方ないのう」

 そこに座らせられていた同心の菅山すがやまとしは目隠しをされ、口を塞がれ、両手両足を拘束されて置物のようであった。

 勿論九子も把握していたのではあるが。

 まず目隠しと猿ぐつわを外してやると大きく息を吐き出した。

「ひ、酷いじゃないかお九ちゅわん! 拙者を呼んでくれたのは嬉しいけれどこの待遇はあんまりだ! 泣くよ⁉」

「うちで働く女中たちから、お主の目つきが嫌らしいとか、頭の匂いを嗅がれたとか、ねちょねちょした手で握られたとか苦情が出ておってのう。きもいぞ」

「それは──仕方なくない?」

「開き直るな!」

 本気で疑問に思っている様子で首を傾げる利悟の頭を小突く。

 彼は年若いというか幼いぐらいの少女ばかりに興味を示す性的嗜好の持ち主で、同僚知人からの評判は限りなく悪い。幾ら江戸時代が早婚とはいえ、年齢一桁代の子供へガチで迫る男は気味が悪かった。

「っていうか拙者だけ乾杯もしてないし! あんなに頑張ったのに! たぶん一番頑張ってたよ拙者! この宿襲われてたとき!」

「まあ……確かに一理はあるが」

 性根は異常者なのだが腕前はかなりのもので、自分の趣味を棚上げした正義感も持ち合わせている利悟は一応活躍していた。

 多くの暴漢を引き付け、更には先に倒された先輩同心の善治を庇って戦っていた。

 だから呼んだのだが、つい気持ち悪くて縛り上げてしまった。

「しょうがないのう。解いてやるか」

「それよりお九ちゃんがお酒飲ませてくれたら拙者嬉しいなあ!」

「ふむ」

 九子は少々考え、にんまりと笑みを浮かべた。

「よし、では飲ませてやろう。一本飲み干せ。こぼすでないぞ」

「え」

 利悟の眼前に一合徳利を見せて、それを口元に傾けた。

 慌てて飲もうとする利悟だが飲んだことがないほど強い酒に口内と喉の粘膜が痛み、鼻からアルコールの臭気が抜けていくぐらいにキツイ。しかも他人に注がれているので加減されずに飲み込まねば窒息しそうだ。

「ぬぐっうぐううう⁉」

「ほーれイッキ♥ イッキ♥」

「利悟さんのええとこ見てみたいでありんす~♥」

 玉菊まで揃って囃し立てるので男は吐き出すことすらできない。

 一気飲みは現代だとご法度だが江戸時代では一気飲み文化最盛期と言ってもよい。

『文化秘筆』という記録によれば大酒飲みの大会で一斗九升五合(約三十六リットル)の酒を飲んだ者もいる。真偽は不明だが。下手をすれば水中毒になりそうだ。

 しかしながら当然、そういった者が大量に飲む酒も薄めに薄めたものだっただろう。

 現代人でも二十度ぐらいの酒を一合一気飲みはキツイと感じる人もいるが、まったく慣れていない利悟からすると毒を飲まされているような気分であった。

「ぐへぇー!」

 どうにか飲み切って酒臭い息を吐き、ふらふらと頭を揺らして酩酊し始める。

「ふにゃあ……」

 利悟とてまだ二十前後の若者であり、酒も飲み慣れていない。一発で酔いが回って意識が混濁している様子だ。こういう飲ませ方はダメ絶対である。

「よしよし、縄は解いてやるから、大人しくつまみでも食っておれ」

 利悟を無力化した九子は優しい声で彼を解放してやり、次へと向かった。見ていた忍び連中も「あーんはともかく、あの飲まされ方はつらい……」とやや引いていた。

 次々に通りかかる忍び連中にも酒を飲ませて進むと、一際ひときわ巨漢の客が先に手の平を向けて制止してきた。

「いや、九子さん。僕はちょっと本当にお酒弱いもので」

「なんだ。その図体なのに控えめだのう」

 ひっそりと下座に座っていたのは温泉奉行の川村新六。身の丈八尺で相撲取り体型をした大男である。

 飲み会だというのに相変わらず編笠を被ったまま、器用に笠の下から飲み食いしていた。まあ、他の忍び連中も皆が覆面をつけたままどうやってか飲み食いしているのであったが。忍者とかの技術なのかもしれない。

 仮にもお奉行と名のついた幕府の役人だというのに、本人が気弱なもので邪魔にならない隅っこを好んでいた。

「見た目はほれ、一升二升ぐらい入りそうなドデカイ大盃で一気飲みしそうだが」

「本当、酔って寝ちゃうんですよ。毒物とかは割りと平気なんだけどなあ。それに僕、明日も早くから仕事があって二日酔いになると困りますから……」

「真面目だのう。あの同心連中は明日のことなど考えずに飲んでおるのに」

「片方は九子さんが無理やり飲ましていたような……」

 新六は現在でも内藤新宿の温泉街開発で東奔西走、ひたすら現場の調整や嘆願の受理、発生した問題の解決に励んでいて非常に忙しい。

 夜は夜で毎日のように老中と将軍に報告を上げて、報告書も作成しているためこの飲み会が終わったら江戸城まで帰らねばならない忙しい身であった。

 なので、無理に飲ませるわけにもいかない。

「せめて美味い物を食っていくのだぞ」

「熊肉かあ……上様が羨ましがって獲りに行くって言い出したらどうしよう」

「献上品でよければ次に捕れたときに用意するとでも伝えておけ」

「……もしまたお忍びで宿に来て食べたいって言ったらその時はよろしくお願いします」

 微妙に嫌そうな顔をする九子だ。将軍がお忍びだろうと宿に泊まることは大変な名誉で箔がつくものの、対応が面倒ではある。客の絶えない有名店を目指しているわけでもないのだ。

 ともあれ九子はそうやって、宿に来ていた客たちに酒を振る舞った。

 程々に酔っ払った皆はまた宴会芸も始めて盛り上がりを見せる。

「一番、佐助! 火を吹きます! ……危ないから外で!」

 庭に出て口元からバチバチと火花を伴った派手な炎を吹いて見せる佐助。見ている皆は歓声を上げた。口元に当てている手から独特の配合をした花火のような火薬を散らし、こっそりと火縄で火をつけているのだ。

「二番才蔵! 煙を吹きます! ぽわわ!」

 才蔵の方は口から煙を吐き出して、その形を輪っかにしたり螺旋状にしたりと器用に変化させる芸を見せた。これも盛り上がった。

「三番、みみすけ作三さくぞうの二人で……合体忍法、『初音はつね耳作みみさく』!」

 覆面の二人がポーズを決めたと思ったら煙に包まれた。白い目隠しの煙幕が散るとその場には一人の少女が現れた!

「ミミサクダヨー! ヨロシクネー!」

 高くて独特の抑揚をした女声で挨拶をして手を振る。

「うおおおお!」

「美少女が召喚された! どうやったんだ⁉」

「いや待て、あいつらの特技は……」

「確か『女装』と『声変え』……!」

 二人で一つの完成形を見た変身。一人は美少女に化け、もう一人は隠れて女声を発することで見事に化けて見せたのである。元々もともと女装が得意だった耳助は声がやたら重低音なことが欠点であったのが解消された形になる。

 長い髪を左右に分けて結んでいる変わった髪型をしたほっそりとした美少女が、振袖姿で左右に揺れながら「らーらーるー」と歌声を出している。

 九子も感心して手を叩いて褒める。

「おお、見事だのう。これ、見世物小屋で金が取れるレベルだぞ」

「わっちも化粧の手ほどきをしたでありんす」

 得意げに頷いている女装の達人玉菊であった。元が自分たちと変わらない男とはいえ、見た目だけでも美少女に化けた友人に忍び連中は大盛りあがりであった。

 ──後に自信をつけた初音耳作は実際に見世物小屋に出演。江戸でも評判を集めることになる。ただ声を腹話術のように遠隔で出している(作三の技術である)ため、口から声を出さず耳から出す、などと言われる芸扱いとされた。なお、初音耳作は実際に江戸時代存在していた史実の人物であり、その正体が忍者であったことは歴史に隠された秘密である。


 宴会芸大会も終わってそろそろお開きという頃合いになった。

 かなり酒は回っているが、意識を失っている者は居ない。

 実は男たちの協定でどれだけ酔い潰れようが今日はこの宿に泊まることを許さず、連れて帰ることを決めていた。抜け駆けは許されないのだ。影兵衛ですらフラフラの利悟を担いで帰る予定であった。

「それでは宴もたけなわになりましたが……最後に一つ」

 九子が音頭を取って皆に呼びかける。じっと皆の顔を見回してから彼女は言った。

「己れの温泉宿だが、ここにいる皆のお陰でついこの前は随分と助けられた。その礼をしておきたい」

「礼だなんて……」

「ご馳走とお酒だけで十分ですよ姐さん!」

「こっちがお礼したいぐらいで!」

 皆が恐縮した様子で騒ぐが、九子としては宿の者に怪我人も出さずに事件を終わらせたことは代えがたい恩でもあった。

 なにせ押し込みに来たのは三十名近くの大人数。

 九子一人でも術を使えば対処できたかもしれないが、それだけの大人数では宿ごと吹き飛ばすような大規模破壊になるだろうし、取りこぼした者が宿の従業員に危害を加えた可能性もある。相手は全員、興奮系の薬物でラリっていたのだ。なにが起こっても不思議ではなかった。

 勿論、礼としてこうやって宴会を開いて旨い酒と料理を振る舞ったのであるが……

「それだけでは気が済まんからのう。そこで! お主ら一人一人に褒美を渡そう」

「褒美……!」

 遠慮はしたものの、褒美と言われて喜ばない者はいない。なにが貰えるのだろうか。

皆が注視していると、九子は大きな丸い円盤のついた立て札めいた道具を取り出した。

「……?」

 その円盤は円グラフのように放射状に線が入っている。線で区切られた範囲は様々だが、文字が書かれていた。

 一番大きい面積のところに『肩揉み券』次に大きなところに『一分金』。

 狭いところに『米一俵、味噌一樽』『上酒一斗』『一両』『助屋一ヶ月無料手形』

 更に凄く狭いところに『十両』『九郎助屋永続無料手形』

 一番細いところには文字すら書けず、円の外に張り紙で『願いを叶える権』とある。その左右は『たわし』で囲まれていた。

 九子は面白そうな笑みを浮かべて説明した。

「ハズレ無しの褒美まと当て遊戯~! この丸板を回すから、遠くから投げて当てた物が手に入る遊びだ。一人一人、褒美を選ぼうかと思ったが差に文句が出るかもしれんからのう。自分の手で褒美を取るのだ」