一章『天狗と男たちの飲み会



 ──時は江戸時代、八代将軍徳川吉宗が治める享保の頃。

季節は文月(旧暦七月)のことであった。


 享保の時代といえば将軍である吉宗が様々な改革を実施し、その影響で世はやや騒然としていた。お上の出した法令によって物価や貨幣価値は大きく上下し、幕府も底をついた財政を取り戻すため強引ともいえる政策を行っていたのだ。

 また、町人の奢侈(贅沢)も規制されて少々不景気な雰囲気が江戸を漂っていた。派手な着物を纏うことを許されず、下着まで贅沢な生地を使っていないか監視せよ、というお触れまで出された。


 だがつい先日、江戸の街では町人武士問わずに喜ばしい空前の吉事が訪れた。

 場所は新宿近く千駄ヶ谷村の外れにて、温泉が湧き出たのである。

 温泉は火山活動にて地下水が熱され地上に出てきたものであり、普通は火山近くにあるものだ。

江戸近郊だと、箱根・伊豆東部(熱海)・那須・八ヶ岳火山群などいずれも温泉地と火山は重なっている。

 一方で江戸は火山のない関東平野に造られた都市である。おまけに市中は河川と海に侵食されていた土地を埋め立てた範囲が広く、温泉どころか井戸を掘っても塩水が出てくる始末であった。

 それ故に温泉など湧くはずもなく、江戸の住民が温泉を楽しむには箱根か熱海あたりまで足を伸ばす必要があったのだ。

 一般に、江戸の住民は風呂好きだと言われている。いわんや温泉をや、である。だが、旅行というのは現代と比べても金と時間と苦労が掛かる時代であった。湯治など特に、必要な者は体が悪いのに温泉までは遠く歩かねばならないので、行きたくても行けない人が多かったであろう。

 そこに、江戸で温泉が湧いたのだ。都市部に暮らしながら毎日でも入りに行けるとなれば、町人のみならず武士も坊主も猫も杓子も大喜びであった。

 幕府は直ちに源泉を御用地として利権を得た。予め温泉が出るという情報があっての素早い対応である。

新宿の宿場町に湯を引かせ宿や湯屋で入れるようにし、そことは別に窮民用の無料湯場を造った。怪我や病の湯治客用には小石川の養生所に湯を運ばせて、更には温泉の湯を桶ごとに売りに出した。

 温泉の湯を幕府や武士が独占するのではなく、有料ではあるものの大盤振る舞いといえるほどに民衆へと分けたのだから大いに江戸の街は沸いた。温泉の湯を売ることで庶民から大名まで買い付けに来たため幕府も非常に儲かった。

 それらの施設で混雑の解消やルールの整備などを担当していたのは温泉奉行として抜擢された大巨漢の御庭番、川村かわむらしんろくである。彼は昼夜問わずに働き回り、関係各所へと頭を下げて江戸の新たな名所となった温泉を整えた。

 ひたむきな努力もあって吉宗の覚えもめでたい新六の評判は幕府内、大名家などに大きく広まったが、彼を民間の立場から支えた者たちも居た。

 その一人、江戸の女天狗と呼ばれる九子きゅうこは千駄ヶ谷から出た温泉の湯を自らの別荘に引くことを許され、身内が使う温泉宿を建てた。

 再開発が進む新宿の宿場町から大きく外れ、千駄ヶ谷の廃寺があった雑木林の中に彼女の宿──『九郎助屋くろすけや』がある。



 その日、九子は温泉宿に友人たちを呼んで宴会を開いていた。

 少し前に宿の完成記念で盛大にやったばかりなのだが、その時はアクシデントとしてゾンビのようになっていたゴロツキ集団に襲撃されたため、どうも楽しんだというより厄介事だった印象が強かった。

 だから改めて、集まれる者を集めて再び楽しむことにしたのだ。主に、襲撃へ立ち向かった男たちをねぎらうつもりで呼んだ。

 九郎助屋は廃寺を大幅に改築して造られた二階建ての宿であり、並の旅籠よりはかなり広く屋敷といってもよい造りになっている。かつて講堂か本堂であった広間は宴会場へと造り直され、皆が集まっていた。

「それでは改めまして……かんぱーい!」

「おおー!」

「酒だ酒ェ!」

「食いだめしないとな……!」

上様うえさまは来てねえだろうな……」

 九子が乾杯を呼びかけると呼ばれた者たちも温泉にご馳走に酒、更には元遊女の美人な仲居たちと九子がいるため大喜びで酒盃を掲げた。じん八丸ぱちまるだけは、お忍びで将軍が来ていないか疑っていた。