
†
シーナ・グレイヴ・ゾァインメリはすべきことをする。
欲しいものを手に入れるために。盗みたいものを盗むために。
ダークエルフとしての、強欲の、発露。
それをしながら、そう言えば口に出して言ったことなかったな、とふと思い出した。
だから、少し気恥ずかしかったが、言ってみる。
誰も聞いていなくて、聞いているとしたら彼だけだろうから、ちょうどよかった。
「……
月の光が静かに降り注ぐ。周囲の森は
「あたしのことを真顔で好きって言えるくらいアホなところが好きだ。アホなこと言ってるのにまっすぐ目を見てくるところが好きだ。落ち着く声が好きだ。いいカンジに筋肉のついた腕が好きだ。バランスがいい体つきが好きだ。料理が
だから、いなくちゃいけない。
お前はここにいなくちゃいけない。
他人にはまったく意味のない
それを盗み取るのがあたしだ。
欲しいものを手に入れるのが。誰かに嫌われるほど自由なのが。
ダークエルフだ。
「やれやれ。そういうのは
声と足音が聞こえた。
シーナはゆっくりと顔をそちらに向ける。
自分が生み出した基本装備の矢を手に握って、自らの首筋にゆっくりとその鏃を突き入れていくという動きは止めないまま。
ぬるりとした血が、首から下を不快に
自分は多分、賭けに勝ったのだ。これを笑わずにいられようか。
「やっぱ、な。近くで、見てるはずだと、思ったぜ。神様、よぉ」
「どうせ勝者の前には姿を現すつもりだったよ」
「話でも、してぇんだろ? 最近、聞こえた声からして──何かを観察して、確かめてえ、みたいなニュアンスがあると、思ったぜ。だから、ああ、だから……」
「そろそろその手を放さないと、死ぬよ? きみ」
「だからだよ。あたしに死なれたくなかったら、あたしの眷属を蘇らせろ。今、ここでだ」
現れた人影は、肩を
「──しょうがないなあ。まあ、奇跡ってほどじゃない。君にも余剰魔力が腐るほどあれば可能な物事を、少し肩代わりするだけか。彼の存在情報が詰まってる木片もまだ残っているしね。勝者への副賞ということにしようか」
裸の彼が、寝ていた。
(ああ)
手から力が抜け、矢が落ちる。もはや神を脅す必要もなくなった。
シーナは彼の首筋に鼻を埋めた。彼の匂いだ。彼の温度だ。
小さな
「……シー、ナ……?」
こみ上げてくる何かを必死に堪えながら。
シーナは、へへー、と犬歯を出して、
「勝手にいなくなるなんて、許さねぇっつーの。お前は、あたしのモンなんだからな」
いつも通りに決めたはずだったが、彼の様子がおかしい。
「……ひょっとして、聞いてたか?」
「何か、夢の中みたいな感じで、アレだったけど。いや、多分……うん。一つ言えるのは」
彼の手が動いて、こちらの髪を触った。
「俺のほうが、シーナを好きな理由、たくさん言える自信があるぜってこと。勝負するか」
「……ばーか」
気恥ずかしかったが、どうでもよかった。
求めていた温度が、今、自分に触れているのだから。
「副賞を喜んでくれたようで何よりだ。意味があるのかどうかは疑問だけれど」
声だ。結局は、その声と向き合わざるを得ない。
そちらをもう一度見やる。
立っていたのは──金髪で、白衣を着た女。
同じく白衣を着て目を閉じている黒髪の女性を、胸の前で抱きかかえている。
天覧橋アルマだったものの中にいる存在は、ああ、と思い出したように、
「このままだと落ち着いて話ができないかな? 一応、見た目だけは治しておこうか」
†
そこにある表情は、死体の無表情のままだ。目を見開き、
静かに立っているだけだが、異様な存在感があった。
「……いつからそこにいやがった?」
「最初からとも言えるし、つい先程からとも言える。意味はない。この彼女を選んだのも偶然で、特に理由はない。彼女の人格、これまでの行為にも私は関与していない。私はただ見ていただけだ。基本的にはね」
そこで
「これか。私がこうして
アルマの顔をしたものは、彼女と同じ声で、しかし彼女とはまったく異なる語調で言い、抱えていた
「さて。改めて言おう──」
死体の顔で、超越的な存在は、あっさりと言った。
「私は神だ。少なくとも、君たちがそう考える存在に近い」
「……ま、
シーナが
「私は勝者を祝福するために来た。おめでとう、ダークエルフ。君が今回の戦争の勝者だ」
「祝福、ねぇ。そんなんいいから今すぐ
シーナはあくまでもシーナだった。
神は軽く
「わかっている。だが私は、こうした戦争が終わった際、一応の説明をするようにしているんだ。勝者への
「こういう戦争は……初めてじゃない、ってことか?」
ひどく
「その通りだ。それも説明の一部となる。私には──目的がある。この戦争はそのために行っている実験的なものだ」
「実験だあ? 神様は何でも思う通り、とかじゃねーのかよ」
「私は世界の様々な事象に干渉できるが、全てを思い通りにできるわけではないよ。全知全能を神と呼ぶなら、私は神ではない可能性もある。先程言った通り、その概念に限りなく近いのは事実だろうけどね」
「呼び方とかはどーでもいいんだけどよ。で、目的って?」
一呼吸の間。眼前の存在が呼吸をしているとは思えなかったが。
「『世界を任せられる種』を見定めることだ。これは戦争の勝者に与えられる権利とも密接に関係している」
「捕足しよう。私は主に二つの世界を運営している。一つは単一種族が繁栄する性質を持つ世界。もう一つは多種の種族が同時に繁栄する性質を持つ世界。君たちに理解しやすいように言えば、『科学が発展するこちらの世界』と『魔術が発展するあちらの世界』ということになるかな。世界は宇宙と言い換えても構わないが」
「まあ、お前があたしらをあっちからこっちに引っ張ってきたんだからな。お前はどっちの神でもあるってコトか」
「問題は、その世界がどちらも最終的には滅ぶことにある」
「……!」
向こうの世界が滅んだのは、前提だ。シーナたちがこちらの世界に来て、自らの種族を復権させようとした理由。だが──こちらの世界も、いずれ滅ぶと?
そう言われればそうかもしれない、と不思議に
「こちらの世界では人間という種が滅ぶ。あちらの世界では主に
おそらくは神のスケールでの『幾度となく』だろう。人間が想像できるような回数や時間の概念にこの存在が
「何度世界のパラメータを変えて繰り返そうが、結末は同じだった。滅びの回避は不可能だった。だから私は新たな手段に出ることにした。二つの世界の要素を組み合わせることだ。魔術世界の種族たちの代表をこちらの世界において競い合わせ、最も適合した一種族のみを選び出す……というね」
「はん。それがこの戦争ってわけかよ」
「そうだ。想定外のパラメータ変動を観測するためにはそれが必要だと考えた。こちらの世界の言葉で言えば、荒療治というものが近いかな。戦争の勝者が持つ、他の全ての種に
「だが、それでも
「その通り。
この世界は実験場だったというわけか。今回も駄目だと、滅びが避けられないのが見えたから、次の実験体を決めようと、
「なら、この世界は前の戦争で勝った
「そのように見えているだけだよ。前回の勝者は人間とほとんど変わらぬ姿を持つ
「はあ? わざわざ不自由になったっていうのかよ。なんでだ?」
「その理由は私が関与するものじゃないね。勝利種族の選択に私が殊更に干渉するのも、求めるパラメータの揺らぎには有害だ。ただ、戦争の最中における、他
「その結果が、今のこの世界の始まりだっていうのか」
「そう。
神は軽く視線を空に動かして、続けた。
「滅びを回避することはできなかったが、この世界では想定外の現象も生まれた。君たちの概念で言えば、バグだ」
「なに?」
「前回の種族が魔術を捨てた結果として、今を生きる人間に近い原生種からは別のものが少しずつ流れ出るようになっていたのさ。原初的な感情、欲望に起因する力だ。魔術世界で言うところの、限りなく魔力に近い概念因子。それが少しずつ抜け出ていった結果として、現行種は
よくわからないが、今の人間たちが
「そしてさらに、その形のない欲望の力は長い時間をかけて集まり……一つの存在を形作った。生命に似た何か。分離する前の人間を本能として追い求め、同化しようとする何か。それが君たちが
「…………!」
「現行の人間がその源の力を集め、利用するようになり──私は世界の滅亡がさらに加速したと悟った。
そこで一旦、神は口を
ややあって、
「以上が背景だね。この説明により、君たちが勝者の権利というものを正しく理解してくれると考える。
改めて、その生気のない、しかし超然とした瞳をシーナに向けてくる。
「さあ、君は──ダークエルフが、どのような世界で新しく生きることを望む?」
「いや待て。ちょーっと待て。一方的に話しやがって。世界を作り直すときの……初期パラメータだぁ? んなでっかいのか細けぇのかもわかんねーことは抜きにして、質問だ」
シーナは気丈にその超存在を
「その次の世界を作るとき、今ここにいるあたしや眷属はどうなる?」
神は平然と言った。
「引き継がない。そうする理由がない。
「っ──」
シーナの
絞り出すように、シーナが言う。
「ふざけんな。話が違う」
「そちらが勝手に想像していただけじゃないかい」
「最初に言わないてめーも悪いだろうが。とにかく駄目だ。あたしは認めねー。よーし、そんなら今からでもそこのカリンの死体に根源魔力戻してやっかな。んでずーっと決勝戦を続けてやる」
「──そんなことを。許すとでも。思っているのかな?」
語調にも態度にも、一切の変化はなかった。
それでも刹那にして、気絶しそうなほどの圧が周囲に満ちた。吐き気がする。脂汗が止まらない。これは……駄目だ。いくらなんでも、本当の、神には。
ダークエルフの
「……待て、よ、クソ。わかった。なら、別案で、いかせろよ。話を聞いた限りじゃ、とにかくお前は、次の世界を任せられる種族を決めたいんだよな。あたしたちダークエルフが、そういう世界を任せられる種族になりさえすりゃあ問題ないんだよな」
「まあ、そうだね」
「でも今までに何度も繰り返してるんだろ、そのやり方は。だったら次も失敗するかもな」
「────」
ああ、と
シーナは、神と交渉しようとしているのか。なんという恐れ知らずなダークエルフ。
でも、それでこそ。
「なら今回は別の手でやってみようぜ? そしたら意外と
「別の手、とは?」
「それは──ええと……」
神は小さく頭を振る。
「答えのない提案はしないことだね。時間稼ぎでしかないというのはわかってしまうよ。種族を復活させるという意義は最初に伝えていた。論理的に考えれば、世界を最初から作り替えるのが最も早いと予測できるはずだ。それ以外にどうやって種族の復活が果たせると思っていたんだい?」
その問いは神の
シーナは視線を
「そ、そんなのは……決まってんだろ。世界がどうこうとか考えてもみなかったんだからよ。もっと当たり前の──その、つまり」
また何かを思い出したように逃げて。
「……普通に子供作って、とか、だよ」
神はまたも
「
「だったら」
「だったら、向こうの世界で試してみればいいじゃないか。その普通の方法を、新しくな」
「…………」
少しの間が空いた。
次に
はは。ははは。と──神は、死体の無表情のまま。
笑い始めたのだ。
「ははは。なるほど。一人の赤子から? 始めようと? それは愚かだ、愚かで邪悪だ! 生態系を普通に一から破壊し尽くそうとするのに等しい!」
ぴたりと笑い声だけを止めて、静かに言葉を続ける。
「だが、発想としては新しい。愚かすぎて新しい。私にはやろうとも思えなかったことだ。あちらの世界では単一支配種はどうあっても生まれないものだと思っていたが、外部因子を入れれば変化が生まれる可能性はある、か。本当にそれが可能で、何らかの結果をもたらすのであれば……意味はあるかもしれない」
シーナは大きく深呼吸したようだった。ここが勝負所だ。
「任せとけよ。自信、あるぜ」
にやりと、いつものように自信満々に笑って言った。
神の言葉が返ってくるまで、無限とも思える時間が流れて──
「できるものならやってみてもらおう。何世代かかろうが、絶滅するまでは見守ってあげようじゃないか。なに……神にとっては、時間など気にすることじゃない」
シーナの
自分たちが、自分たちのまま──
ひとまずは、《この先》を手に入れられたことを。
神に最後に与えられた猶予時間。
すべきことなどそう多くはなかった。
目を閉じて眠る、自分と似ているような、似ていないような姉の顔。
何を言うべきか。言う必要があるか。
──いや、今更そんな義務感などどうでもいい。
最後なのだから、素直に。
何を言いたいか、だった。
「俺は幸せになるよ。後悔なんてしてない」
これから色々大変だとは思うけど。
世界が滅ぶまで、こっちはこのまま続くって言うし。
「だから、まあ……姉さんも、幸せになりなよ」
そう
立ち上がると、神がシーナに最後の確認を取っていた。
「今この状態の君たちでいいんだね?」
「そうじゃなきゃ駄目だっつったろ」
「……まあ、いいか。そうするに足る理由もある。既に仕込まれているなら手間が省けるしね。すぐに死んではつまらないから、戦う力は持っていかせてあげよう。今ここにあるもの、君たちが身に着けている基本装備ぐらいかな」
「まあいいか、それで……いや、待て」
不意に何かを思いついた様子で、シーナが
いきなり口を吸ってきた。舌も入れて、手加減なく。
「ど、どうした……?」
別に嫌ではないけどそんな状況だろうか、何の意味が、と
「何でもねーよ。一応だよ一応。恩に着せられるのはムカつくからな」
「?」
シーナはちらりと神を見て、
「もう一度言うけどよ、この状態のあたしら、だ。中も外も変えたりすんなよ?」
「……ふ。サービスしておこう」
どうしてか、神はまた、微妙な笑いの感情を漏らしたように思えた。
「さて、それでは始めよう。私が普段行うのとは逆の、この現代からの転生を。そうして始まる、君たちだけが知る戦争を──」
その言葉が最後。
心構えする暇もなかった。
神が手を持ち上げると、そこから