土砂が雨のようにぱらぱらと舞っている。

 胸に撃ち込まれた血の弾丸の爆発で、リボルヴの上半身はそのほとんどが吹き飛んでいた。センサーの集まる頭部はない。剣を握る両腕もない。肩もない。リボルヴが膝を折って地面にくずおれるのと同時、胴体席ボデイスペースを守る前面装甲が音を立てて地面に落ちた。

 その向こうに見えたのは、大きく穴の開いた土の繭のようなもの。繭の奥から、ずるりと小さな人影が滑り出てくる。

 エルフ。セリアメア・ピナイステリ。

 身体からだの各所から血を流し、破れた衣服をまとい、額からの出血で片目を閉じ、息を不規則に荒げ、片腕はだらんと下げ、しかし──もう片方の手に、細い石の剣を握っている。

「……」

 EFの補充機構は背中から外してしまった。片腕はなく、至近距離の爆発の余波で他にも無数の機能不全が発生。騎士が役目を終えたのは、こちらもだ。

 れんすけは自らであるせいれいじよう胴体席ボデイスペースに生やした。それを握り、シーナもリボルヴを降りる。

 シーナも五体満足とは言えない。今までのダメージ。ついさっきのダメージ。比較作業が、これから始まる。そして終わるだろう。

「ふん。せいれいけん、みたいなカンジか?」

「精霊と交信する儀式のために使われる、力ある土壌より生まれた輝石の剣──らしい。この状態の僕を使えば、彼女の魔術にかせはない」

「自慢げに言うんじゃねぇよ。あたしだってそうだし……そもそもなんか体調悪そうじゃん? まるでスゲェ近い場所で大爆発があって、そのダメージをまともにくらったみてぇだ。大変そうだなー、傷でも診てやろうか? ラクにしてやんぜ」

 ぎらりとセリアメアの目がシーナをく。

「……ダークエルフ。いらたしい。どうして、そのように、不真面目なのですか」

「あーん?」

「これは、戦争。種族の未来をかけた、戦争。私はエルフ族全ての希望を、願いを、背負っている。だから、負けられない、負けたく、ないっ……!

 体内にも何かダメージがあるのか、言葉は途切れ途切れだった。

「私は、覚えています。故郷の優しく穏やかな森を。厳しく正しかった両親を。共に育った妹を。木の実を集めるのが上手だったイルフィア、楽器が好きだったトラメッリおじさん、葉の隙間から絵画じみて美しくこぼれる日の光、てのひらから餌をついばむ小鳥たちの声、雨上がりの土の匂い。私たちが、取り戻すべき、もの……」

 言葉と一緒に、セリアメアの口から血もこぼれた。

 眼光はらんらんと。鬼気迫るような目で、眼前の敵をにらみ続ける。

「諦めない。諦めるくらいなら、最初から戦ってなどいない。私は、私以外の全てのエルフのために──ダークエルフ! 貴方あなたを、倒す!」

「僕が求めるのは世界の解放だ。この美しい世界を、人間という間違った種族の支配から解放したい。その後に託されるのは正しく美しい種族でなくてはならない……このエルフのような。理由はいろいろあるが、結論は彼女と同じだ。理から外れたダークエルフには、次なる世界を任す気にはなれない」

 シーナも苦痛に満ちた吐息を漏らした。そして、いよいよ我慢ならなくなったというように、犬歯をしにしてにらみ返す。

「はっ。うっせえな。確かにあたしらはテメエらが考える《正しい世界》とやらには外れてるんだろうよ。でもよ──」

 ああ、そうだ。

 シーナも。自分も。外れている。

 それではいけないと、普通になれと、正しくあれと、呪われてきた。

 それでも。

「そいつが幸せになっちゃいけねえって誰が決めた? 勝手に決めてんじゃねえ──あたしは強欲なダークエルフだ。諦めてなんかやらねえぞ。身勝手にわがままに幸せになってやる」

 自分たちの望みは、ただそんなものだ。

 単純で、愚かで、それゆえに誰にも否定などさせない──

 願いだ。

「種族としてのダークエルフをどうこうとか、テキトーにしか考えたことねぇ。たくさんいたら生きるのがラクかもとか楽しいかもとか、そんなもんだ。全部あたし中心で、あたし視点だ。つまりな──」

 手の中でくるりと精霊杖練介を一回転。そして、

「あたしはあたしの願いのために戦う。それだけなんだよ、クソエルフ!」

 シーナは走った。もはや駆け引きも何も必要ない。

 これは戦闘ですらないのかもしれなかった。ただ、決着を、つけるだけ。

(だから、直接、だよな)

 血の刃がつえをなぞるように、その先端に生まれた。

 一方、セリアメアが持ち上げるの周囲には、威力を高めるためか防御を強めるためか、浮石のせんが取り巻く。

 ──それら二者の武器は、それほど複雑な過程は描かない。

 わかりきっていた結論だけを、肉の貫く音と共に、生んだ。


 エルフの胸が赤く染まっていく。

「な、ぜ……貴方あなたのような、ものに。なぜ、私、が……こんなにも、正しく、おもっている、のに。みんなの、ためにっ……」

「はん。そりゃまあ、トーゼンだろ。みんなのためっつーが、結局戦うのはお前だけで……お前に賭けたやつは誰一人ここにいねーじゃん」

 シーナは手をさらに進ませる。肉を割り裂く感触を、れんすけは全身で感じていた。

「あたしは、あたしのために戦うあたし自身がここにいるんだぜ」

「ついでに言えば俺もな」

「そーそー。あたしの勝ちに、好きだからって理由で全部を賭けてるアホもな。そんなあたしらをマジで倒したけりゃ、せめてガチの当事者になってから来な」

 力なくうなれる石の儀礼剣が、ぽつりとつぶやくように言った。

「僕もセリアメアに全てを賭けていた。そこに違いはないはずだったが」

「バッカ、大違いじゃん。お前は正しけりゃエルフじゃなくてもよかったんだろ?」

 シーナが当然のように言い、は言葉を飲み込む気配。同意かはんばくかはわからなかった。ただ嘆息のようなものを、セリアメアと二人同時に漏らした気がした。

 手から抜け落ちた剣が、地面の上でいくつかの石片に散らばり。エルフがまばたきを止めてようやく、シーナは練介をその身体からだから引き抜いた。

 ぷあー、とうめいて、お尻から地面にへたり込む。さすがに疲労が大きいようだ。

「お疲れ、シーナ」

「はー。正直、マジで疲れたぜ。ちっと息を整えさせてくれ」

 シーナがそうしているように、れんすけも意識の目を動かし、夜空を見上げた。解放感と達成感のある、今この瞬間だけに許された、虚脱。


 頭の上には、青白い光を降り注がせる月が、大きく出ていた。



 頭の上には、

       青白い光を降り注がせる月が、

                     大きく出ていた。


 いつかと同じに。

 だから彼女は、いつもと同じように、内面より湧き上がるその声を聞く。

(──らえ)

(──らえ)

(──それが、自分。なぜなら、自分は──)

 埋められた地面の中。懸命にいていて、眼球の前にかろうじて開いた隙間から見える、はるか遠くの──温かくも冷たい、月の光。

 それが、自らの血に向けて、ささやいてくる。

 匂いがするだろうと。

 そこにあるだろうと。

 だから彼女は今ここで、最初に口にすべき言葉を思い出した。


「《》」



 月の光が僅かに陰ったと思えた瞬間。

 何か巨大なものが眼前に飛び込んできて、その質量が着地した余波でシーナを転がした。セリアメアを倒し、気を抜いていた一瞬。まさにその一瞬に訪れた、予想外の事象。

 それは巨大なおおかみの姿をしたじゆうだった。土を跳ね上げながら地面の下から飛び出してきた巨体。セリアメアの土塊による攻撃で、完全に地中に埋没していたが……彼女は圧殺も埋葬もされてはいなかったのだ。

 オーガという。カリンという少女は。

「な、にっ……」

 うめくシーナの眼前、おおかみじゆうのカリンは、その鼻先を下に向けて。

 鋭い牙を血に染めて。ぺちゃぺちゃと、ぐちゃぐちゃと。

 動かなくなったセリアメアの心臓を、食べていた。

「生きてやがったか。おいカリン、テメェっ……

 ぴくりと耳が揺れ、しやくが止まる。

 三角形の鼻先を絵画のように上向けて、月に突き上げて──獣は高くいた。その音は高く遠く長く、しかし次第に薄くなっていき、

ォォォ……ァァ、ぁぁ、ああああ……」

 空間にその獣性がみこんでいったかのように、その声は人間のうめき声に、その姿は人間に近しいものに変じていく。セリアメアの死体の上でうなれる少女の姿に。

「カリン。抜け駆けしやがってクソが。エルフの根源魔力を……ったな?」

「……ああ、シーナ様……根源……? さあ……私は、ただ、心臓を……ああ、食べちゃいましたか。それは、仕方ないですよ、ごめんなさい、私は、私だから。つい」

 少女の目がシーナに向く。折れた片角。血にれた口元。瞳には、うつろながら確かな意志のようなものが浮かんでいた。

 れんすけは感覚で理解する。これが本当のカリンだ。シーナを敬愛する少女の正気と、暴走する鬼の狂気を併せ持った、彼女という存在の根本。

「オーガは、心臓を食べるものなんです。だから食べるんです。オーガの《心喰魔術パワーマジツク》は、そういうものだから」

心喰魔術パワーマジツク、な。相変わらず知らねー魔術だ」

「それは、そうでしょうね」

 カリンは薄く笑った。

「この魔術は私から始まったって言われてますから」

「……!」

「私は特別だったから、みんながやってたこの行為を発展させることができたんです。力が集まってる、その人の全ての象徴である心臓を食べて──魔力に溶かして、その力を取り込む。必要に応じて思い出して、私とつながってる角おのにも力を流す……こんなふうに……ええと……《大地を慈しむセリアメアアースロツクパワー》、かな」

 次に彼女が何事か口の中でつぶやくと、再びその姿に微妙な変化が生じた。髪の色が変わり、耳がとがり、無骨な石で補強された斧が現れる。確かにそこには、その足下で胸を割り開かれているエルフの女と似たような印象があった。

「ね?」

「ふん……今までお前が心臓を食べたやつの力を使ってたってことか」

「待てよ。なら、さっきのおおかみみたいなじゆうの姿は何だ。その心臓も……核も食べたのか?」

 時間を稼げ。それが一番だ。今やシーナの中には何もない。逃げることも動くことも、魔術を使うようなこともできない。息を整えて回復するだけの時間が要る──

「ええ、ええ、食べましたよ。この心臓は特別。とっても力があって、とっても《私の体質》と相性がよかった」

 また、彼女の姿が変じていく。さっきと同じ狼輝獣の姿に。セイレーンと戦っていた中に見た、巨大な獣のたい。おそらく今の彼女にとっては、姿が変わることなどそう大きな問題ではないのだろう。服を着替えるようなもの。得物を持ち替えるようなもの。

 それにしても──おかしい、とれんすけは思った。理屈に合わない気がする。この少女は、それほどまでに特別なのか? なぜ?

じゆうの核にはすさまじいパワーがある。それはわかってる。俺たちはそれを加工してEFとして使ってるし、前は……スライムがそれをって、取り込みきれずに暴走した。あの大食漢でさえもだ。なのに、なんでお前は無事でいられる?」

 おおかみの口から言葉が返ってくる。太く低く、途切れ途切れなものではあったが、それは以前よりもりゆうちようなものだった。

「それが、体質です。大人になって、魔術が使えるようになって、初めて、わかったこと……こっちのほうには、誰かに教えてもらってたんですけど、名前がついていましたよ。転身魔術ガルーマジツクっていう。私には、元々、別の姿になれるっていう性質が、あったみたいなんです」

「んだとぉ……?

 シーナが瞳を揺らし、それから荒い息の中に舌打ちした。

「くそ、そうか。そういうことかよ。片角からハーフオーガだってのはわかってたが……その先だ。もう片方の血が何なのかなんて、気にしちゃいなかったぜ」

「はい。私の半分は──」

 かぱ、と巨大な口を開けて、おおかみは頭を上に傾けた。

 そこには。

 冷たく青白い、狂気をはらむという──

 月の光が、ある。

人狼ライカンスロープ、だったんです。人をらう鬼と、姿を変えて人をらうおおかみ。きっと、両親の相性は、ぴったりだったんでしょうね?」

 その直後。

 唐突に、カリンはその足を前に進めてきた。

 シーナは振り絞るように血のやりを組み上げて放つが、眼前でカリンはそれをくだいた。そうしてシーナの拒絶を振り払い、その巨大な四肢で、彼女の身体からだを地面に押さえつける。身動きが取れない。精霊杖練介を持ち上げることすら、できない。

「重い、ん、だよ。退けっ……」

 血のしたたる口が、かぱりと開いた。

人狼ライカンスロープとオーガ、二つの種族の血が合わさって初めて生まれたのが、私のいだした魔術。私一人しか使えない、オーガという種族の、唯一の魔術……ねえ、シーナ様。私がいつそれを使えるようになったか知っていますか?」

「知る、かよ。あたしと一緒にいたあと、だろ……」

「そうですね。そうなんです。でも、根本は、その衝動の根っこは、知っているはずです。私は──力が欲しかった。力を持っている人に、強い人に憧れて、ただただ、憧れて──その人になりたかった」

 笑っている。彼女は笑っている。間違いなく。

「……そう。私は、あなたになりたかったんです。シーナ様。だからあのとき私はあなたの心臓を食べたんですよ

 れんすけは悟る。

 それが。かつてカリンが、向こうの世界でシーナを殺した理由なのか。

 いや、待て。だとすると──

「今までに見たでしょう、シーナ様? 私の心喰魔術パワーマジツク。昔に食べたものの記憶も、持ち越せているみたいです。だから──私も、今、思い出しました。私はもう、なれる

 ふ、と吐息を挟んで。


「《愛しき闇色のシーナマイデイアレストパワー》」


 ああ。おおかみから変化したその姿は。

 とがった耳。褐色の肌。

 カリンでありながら、変化した造作の端々に、たいの端々に、余韻が残されている。彼女がかつて食べた、れんすけが愛しているダークエルフの気配が残されている。

 おぞましいまでに。

 その彼女の姿の中には、確かに、シーナがいた。

 最も大事なものが、知らず奪われてしまっていたようなかん

 シーナのような顔で、カリンは笑う。

「さっきより軽くなったから、もういいですよね。私はシーナ様になれたけど、まだ足りないって思います。まだシーナ様はこんなものじゃない。シーナ様の強さは、可愛かわいさは、れいさは、素敵さは、こんなものじゃないッ!」

「カリン、てめぇ……!

「でも、でもでも、よかった! この世界に来てよかった! ここには二個目がある。二個目を食べたらもっと近付けるはず! 私はまた、シーナ様を食べてシーナ様になれるんだ!」

 シーナに馬乗りになっていたカリンの手にあったのは。

 闇に溶け込むような色に変じた、漆黒のおの

 シーナに似たカリンはどこかこうこつとした表情で、身動きの取れないシーナに向けてそれを振り下ろし。

 心臓へと至る道筋を塞ぐ肉を、深々と、切り裂いた。



 何か理由があったのかもしれないし、ただのまぐれだったのかもしれないが。

 一度だけ、彼女が肌を触れ合わせてくれたことがあった。

 そしてそれが、別れの日だった。


 今までとは全然違った。

 確かに手つきに遠慮とかはなかったけれど、それでもかつて自分を玩具にしていた男たちとは全然違っていた。

 ──幸せだと、思った。

 裸で寝息を立てる彼女をベッドの上に見て、ふわふわした心持ちで、ベッドを降りた。夢のようだったから、夢でないことを確認したかったのかもしれない。安宿の床のきしみだけでは足りなくて、窓に寄って、空を見上げた。開けると寒くて彼女を起こしてしまうだろうから、隙間から外を見た。

 世界が変わったような、新鮮な空に見えた。

 今までにないほどにくっきりとした月が、見えていた。

 その瞬間、自分の中で、何かが脈打った気がした。自分の奥底。今まで深い部分で眠っていた、自分の成長に従って徐々に徐々に浮き上がってきていた──もう一つの、血の衝動。

 世界が変わるほどに幸福な気持ちだったから。

 シーナ様に一生をささげようと決めてしまう体験をして、好きだと自覚してしまったから。

 奥底の衝動に促されるように、混ざり合っていたもう一つの血の衝動も躍り始める。

 好きなものを、食べたいなと。

 月に導かれた血の衝動も、ささやき始める。

 本当の姿に、なるがいいと。

 好きなもの。本当の姿。自分。好きなもの。彼女。本当の姿──ああ、ああ、ああ。

 自分が彼女になれば本当にずっと一緒にいられるんだ

 本当の姿は、それ。そう望む。だって彼女が好きだから。彼女のようになりたいと思ったから。それが幸福で、一緒にいることが何よりも幸せだから。

 衝動に、欲望に、抵抗することはできなかった。

 抵抗しようという考えすら浮かばなかった──


 彼女はあまりにも、今までの人生において、幸福がなさすぎた。

 その概念がどのようにして得られるものなのかを知らなすぎた

 だからそれは自らの奥底、根源的すぎる欲求として、直接に結びついてしまったのだ。

 水を初めて飲んだ者が、水を飲み過ぎれば死ぬということを知らないように。

 彼女は躊躇ためらわず、幸せになろうとした。

 理由は、ただ、それだけだった。


 もう一度、床板をきしませた。

 のぞむ。血が求めてくるものは、彼女の胸の中。

 とがったものが必要だったけれど、道具はなかった。だから自分自身を使うことにした。

 額に手をやって。

 そこに生えていた角を、静かに折って。

 痛みとこうこつの中、その自分自身を彼女の肉の中に深々と突き入れて、そして──


 ……何か理由があったのかもしれないし、ただのまぐれだったのかもしれないが。

 一度だけ、彼女が肌を触れ合わせてくれたことがあった。

 そしてそれが。

 自分が彼女になった日だった。



 選択肢は、なかったのだ。

 そのとき精霊杖練介は身動きの取れないシーナの手で横の地面に突き立てられていた。

 れんすけは高速で精霊樹化し、力あるじゆを茂らせる。触手のように伸ばして振るい、カリンのおのがシーナの心臓に到達する一瞬前に、なんとかその身体からだを巻き込むようにしてシーナの上から退かした。しかし冷たい目のカリンが、枝に引き寄せられている最中におのを振るう。精霊樹の幹が両断される──の上部が鈍い音を立てて倒れた。

 精霊樹は動けないというのが一番の弱点だ。

 残った根元付近から、人間の身体からだを再構成したれんすけはめきめきとじゆにくけて立ち上がる。普段シーナが出迎えてくれるのとは違う、息苦しく寒々しい、強引な人間体の目覚め。

 かろうじてカリンは引き離せた。だが。

「ご、ふっ……れん、すけ……」

 シーナの胸の傷は深い。今の一瞬で心臓をえぐされなかったのは奇跡的だ。

 血を吐く彼女の口から、それ以上の言葉はこぼれない。ただ目で何かを伝えてきた。れんすけはそれを見ないことにして、カリンに向き直った。

 このあさくられんすけには何もない。裸だ。魔術なんてものも使えない。

 それでも、そこを動くことはできなかった。

 このハーフオーガの怪物に、もう一度、シーナをわせるわけにはいかなかった。絶対に。

「土の中でぼんやりしながら、聞いてましたよ。エルフとの戦い」

「……」

「シーナ様が勝つのは当たり前です。ええ、種族がどうとか正しさがどうとか、そんな理由で戦って、エルフなんかが勝てるわけないじゃないですか。シーナ様みたいな、身勝手で、問答無用で個人的な、好き放題な意志の強さ……それこそが本当の強さです」

 ダークエルフに似た、しかし決してダークエルフではないにせものが。

 シーナとは似ても似つかぬゆがんだ笑みで、足を踏み出す。

「私にはわかっています。だって私はシーナ様が好きで、好きすぎて、私自身がシーナ様なんですから。そんな私との勝負は、当然、個人的なわがままの比べ合いですよ。エルフみたいな味のない前菜とは違います。本当に個人的な、ダークエルフ式の戦い──」

 そこでカリンはすっと表情を消した。

「つまり。どっちがシーナ様を好きか勝負で、あなたごときが私に勝てると思ってます?」

「そう言い換えてくれるならありがたいな」

 れんすけは拳を握る。

 それしかもう頼るものはなかった。

「その勝負には、どう考えても負ける気がしない」


 けれど。

 おもいでは負けていなくとも。

 現実は、そんな例え話だけで、結末を変えはしない。


 夜を征くシーナのように素早く、敵を殴るシーナのように容赦のないおのは、立ち塞がるれんすけ身体からだをいとも容易たやすく分解した。先程のせいれいじゆよりも、はるかに念入りに。

 ぼんやりと思考する頭部につながっているのは、もはや胸から上と、右腕だけ。他の部分はどこかに行った。左腕は近くに落ちているかもしれないが、下半身は特に念入りに壊されていた。地面に散らばる木片しか残っていない。

 燃料はとうの昔にガス欠。シーナから伝わってくる魔力もそうだし、水分もそうだ。からびている。潤いはない。力が入らない。この身体からだは以前と同じ感覚ではないがそれでも痛みがないわけではなく、意識を持ったまま全身を分解されるのは痛くて痛くてこころがこわれそうになっていてふざけるなおれはまだ大丈夫だシーナをシーナがシーナにシーナだけは

「ああ……お待たせしました……」

 こうこつとした吐息を吐くカリンは、既にれんすけという残骸を踏み越えている。

 巨大な闇色のおのを引きずるように、一歩一歩、歩を進めている。

 だめだ    だめだ     だめだ駄目だダメだ!

 動け、あさくられんすけ。今すぐ動け! それができなければ──

 全てが。ここで。

「ッ、が、あッ……ぉ……!

 こんしんの力をあつめても、指先しか動かない。呼吸もまばたきも要らない。それでもまだ足りない。そもそも足がないのだから進めない。知るか。指が動くなら指でえ。とにかく行け。彼女のところに行って、まもれ──!

 だが、力が、ない。

 エルフとの死闘で。これまでのカリンへの対処で。全てのリソースを使い切った。

 それはわかっている。だが必要なのだ。

 だからもはや、願うしかなかった。自分ではない誰かに、うしかなかった。

 頼む。頼む。お願いだ。お願いですから、誰か。

 たすけて──


「助けてほしい?」


 幻聴かと疑うほどの、小さな声。

 焦点を懸命に合わせてそれを見たら、さらに幻覚ではないかと自らの感覚を疑った。

 すぐ眼前の、地面の上に。


 人形のようなサイズになったたにゆいが、立っていた。



 返り討ちに遭って、死にかけていたのは確かだった。

 粘体のほとんどをおので斬り飛ばされ、完全に地面に押しつけられている状況。次の瞬間に自分というモノの核は捉えられ、そして全てが終わるだろうと確信した。

 忍び寄るのは、あの路地裏と同じ──ひとりぼっちで自分が終わるのだという、恐怖。

 嫌だった。まだそんな欲があることに自分でも驚いたが、自分はまだ──

 幸せに、なりたかった。

 それを諦めてはいなかった。

 だから無駄と知りつつも本能的にいてしまって、

「ああ、心臓……心臓……食べなきゃ……」

 それが偶然、功を奏した。カリンは身動きの取れなくなったゆいの胸に手を突っ込み、その心臓をえぐし、がつがつと食べ始めたのだ。

 スライムの肉体は変幻自在。当然、心臓がそのまま核というわけではない。ゆいは最後のきとして、スライム種族の根源魔力である核だけを分離させようとしていた。もし相手が根源魔力を狙ってそれを奪おうとする種族であれば、それはまったく意味がない行為であったが──オーガは《心臓》を求めていた。心臓を食べることが彼女の勝利条件であって、分離して地中に潜らせて逃がした根源魔力の一部分を回収しきることではなかった。

 だからたにゆいという存在は、かろうじて自分を残すことができたのだ。

 けれどそれはあくまでも根源魔力のひと欠片かけらのみ。《スライムとしての力》は今までと比べてもごく僅か。最後に一回だけ姿形を整える程度がせいぜいで、もはや普通の食物を魔力に変換して身体からだを作り出すこともできないくらいの、としてはほとんど終わったと言うしかない状態。

…………

 カリンがふらふらとどこかへ立ち去ったあと、ゆいが選んだのは──

 いつもの着慣れた制服の姿。身体からだのサイズはどうしようもない。でも背中に翼を生やした。工事現場で初めて化け物として彼と出会ったときのように。これなら移動しやすいだろう。

 どこに行く? こんな姿で。何も力を持たない状態で。

 からっぽに近い今の状況だから、笑えた。

 臨死体験で人は変わると聞くが、これもそうかもしれない。

 一番嫌なのは、ひとりぼっちで終わること。誰とも一緒になれず、孤独のまま、あの路地裏での悪夢のように終わること。

 それ以外だったら──まあいいか、と思えるようになってしまった。

 だから。せめて。


「……委員長、どうして……」

 今、眼前には、砕けた彼がいる。

の自宅くらいは私でも事前に調べられたわ。そこから痕跡を追ってきただけ。こんなサイズだと飛ぶのも楽なものよ」

 きっと、彼が求めていたのはそんな答えではなかった。わかっている。

 もし、最悪の結末の一歩手前。一人だけでなく、誰かと一緒の終わりであったなら。

 誰かと一緒だと思える、終わりであったなら──

 それでもいいかと、妥協することにしただけだ。

 その相手? 知らないオーガなんて御免だ。自分は正しいなんて目しかしないエルフも最悪だ。だったら消去法で、自分と同じようにくだらなく、頭が悪く、場当たり的な生き方しかできないダークエルフしか存在しない。

 あのダークエルフ、シーナに自分という存在が、魂のようなものが丸みされたら。

 それは、この彼と一緒の状態になった、と言えるのかもしれない。

 今のたにゆいには──心の底から、それならそれでいいか、と思えた。

「そう思えるってことは、もう仕方ないわ。認めるしかない。気付いてしまったのよ」

「……?」

 自覚はした。理由も意味もなく、自分は、そうだったのだ。

 いつから? それを考えることにも意味はない。クラスで最初に話したときからだったのかもしれないし、テストで初めて負けたときからかもしれないし、死体同士としての契約を交わすようになったときからかもしれない。

 わかるのは、ただ、この答えが今までの自分と矛盾してはいないということだけだった。

 だから意外と、気分はいい。

「あのね。私はずっと、《普通》になりたかった。突出しない、特別じゃない、普通……みんなと同じようになりたかった。それでね、ようやくわかったのよ。体形以外にも、みんなが当たり前のようにする《普通》も見ていなくちゃ駄目だったんだって」

 げんさのにじむ彼の目を見て、唇を曲げる。

 彼自身が証明だ。

 世界から一人だけ外れていると感じているようなふて腐れた雰囲気を上手に隠し続けてきたうそつきで、朴念仁で、人間失格。

 そんな彼でさえ、そうだったのだから。

 ──きっと、一生、恋をしない人なんていない。

「それが普通のことだったのね。《普通》って、誰かのことを《特別だ》って思って、誰かの《特別》になることだった。誰かの特別になるってことこそが、普通のことだった。だから突出しないように押さえつける必要なんかなかったのかもしれない。それが手に入れるべきものだったのよ。みんなそうしてきたんだから。みんな、そうして──生まれてきたんだから」

 だから、恥じることはないのだ。

 この自分の気持ちは。

 胸を張って、自分の中でだけ、認めよう。

「何を……言って……?」

「いいのよ、別に。これは私の話」

 私は、最後に、普通になれた。

 ただそれだけの話。

 ゆいは小さな足を動かして、さらにれんすけの顔に近付いた。

 彼はダークエルフ以外はどうでもいい馬鹿だから、悟れと言っても無理だろう。だからわかりやすく態度で示すしかない。

「そんな目をしなくても助けてあげるわよ、あさくらくん。私に残った力をあげる。でもその代わりに新しい契約を結んでもらうわ。あなたには私の願いをかなえてもらう」

「どん、な……?」

 人形のように小さくなってしまった手を伸ばす。ひび割れた彼の唇に向けて。

「私は孤立したくない。一人で孤独に死にたくない。解決策は、つまり、そういうこと」

 ゆいはさらに自らの顔を寄せて、サイズがまったく違う唇同士を触れ合わせた。


 ──好きよ、あさくらくん。

 ──だから一緒に死なせてね。



 唇に小さな、柔らかい感触が生まれたのと同時、小さなゆいの姿がほどけるように溶けた。一塊の粘体。スライム種族の根幹の力、その最後のひと欠片かけら

 それはれんすけの唇の隙間から、滑るようにしてその体内に入っていった。

 量としては少ない、しかし確かな魔力の味が全身にわたっていく。

「ああ……ああ、あ……!」

 口からうめきが漏れる。理解。彼女そのものが。たにゆいという人格を最後に構成していたものが、今、自分の中に入っていった。

 委員長。委員長。たにゆいという、女の子。

 その行為から何かに気付けないほど、れんすけは鈍くはなかった。どうして。どうして。

 けれど──今は──

 唾を飲み込む。める。

 託されたほんの少しの力で自分がこうすることは、彼女にもわかっていただろう。そういう計算は、自分も彼女も得意だった。

 さいさいな、たにゆいという少女が大事に抱いてきた、彼女自身という資源で、れんすけは自分の下半身を再生させる。それはほとんど殻と皮だけの、脚の形をした木製の模造品。中に肉なんて詰まっていない。

 それでも、ここからシーナまでの距離を走るには、足りた。

「シーナ様……! ああ、これでようやく、私は本当にシーナ様になれます。いただきます!」

 れんすけは十数メートル走って、飛び込むように、その声の下に身を投げ出して。

 シーナにおおかぶさり、彼女の代わりに、致命的なおのの一撃をその背で受け止める。

 自分の力でカリンを倒せないのはわかっていた。ゆいが託してくれたのは、この距離を走れるようになるぐらいの最後の意地で、大逆転が可能な奇跡の力なんかではなかった。

 だからせめて、こうする。

(ふ、ぅ……)

 受け取った力を、最後にもう一度、こうしてシーナの顔を見るためだけに使ったのだと言ったら──怒られるだろうか。

 そんなのわかってたわよ。馬鹿じゃないの。と肩をすくめながら言う彼女の声は。

 どこからも、聞こえてこなかった。

 れんすけはすぐ真下にあるシーナの顔を見つめる。

 血の気のせた、それでもれいな、彼女の顔。

「お前、バカじゃねーの。この状況で、ンなことしてかばっても、状況、よくなんねーぞ」

「知ってた。でも、最後に話しとかなきゃいけないことがあったからさ」

「ちょいちょおい! 邪魔です! 邪魔ですってばクソ男! シーナ様は! 私の!」

 自分の身体からだを割ったおのが引き抜かれて、さらに乱雑にたたきつけられるのがわかる。自分の身体からだがまた砕けていく。しつように。容赦なく。それでももう離れない。れんすけは腕でシーナの頭を抱きかかえるようにした。これでもう離れられないだろう。

「最後とか言うな。あたしのけんぞくのくせに情けない。殺すぞ」

「ああ。本当に、情けなくて……涙が出てきたな」

 それは自分に残った最後の水分だ。

 今まで二人ともが見て見ぬふりをしていた事柄を。頭の片隅に隠していた予感を。

 今この瞬間だからこそ触れられる疑問を口に出すために必要な、潤滑油。

 本当に、気付かなければよかった。

 想像しないほど楽天的であればよかった。愚かであればよかった。

 温かい水分をぽとりとシーナの頰に落として、

新しい世界に……眷属はいるのかな?」

 シーナは即答する。欺きと誤魔化しが得意なダークエルフだから。

「いるに決まってんだろ」

「だよな」

 けれど、一呼吸あって、言葉は付け加えられた。

 それがどれほど難しいうそであるかの証拠だった。

「──いなきゃ、神をぶっ殺すだけだ」

「はは。頼むよ」

 カリンのおのは止まらない。自分の身体からだがなくなっていくのがわかる。クッションの役目は刻一刻と果たせなくなってきていて、シーナの肉にも達し始めているようで、彼女の顔がゆがむ頻度が多くなって、時間は残り少ないと悟る。

「いい加減に退け、れんすけ。それ以上削られたら……」

「ずっと、シーナといたかったけど。君がいなくなるくらいなら、俺は自分がいなくなったほうがいい」

れんすけ! アホ言ってんじゃ、ねえ……! お前、お前も、いなくなったら駄目だ。マジで、絶対に……許さねえ、からなっ……!

 彼女の力の入らない手が、肩が、自分を退かそうとする。けれどれんすけは彼女の頭を抱きかかえる姿勢は崩さず、それを許さない。

「シーナは、大丈夫だろ。知ってる。ずっと見てたから。シーナは、最強で、格好良くて、れいで、強欲な──ダークエルフ、なんだ。だからさ」

 本当に最後の水分を目からこぼしつつ、れんすけは、笑った。

「とりあえず、さよならだ」

 今までありがとう。

 好きだよ、シーナ。


 そこで──カリンのおのが、この肉体を樹人ツリーマンという存在としてつなめていた最後の一点、自分の奥底のけいりゆう部に到達する。

 どこか小気味良い音を立てて。

 あさくられんすけというモノを構成していた全てが、小さな木片に砕けきったのがわかった。



(ああ)

 散っていく。

 目前で、れんすけだった笑顔が、ばらばらに散っていく。

(ああ、あ……)

 れんすけれんすけれんすけ

 つい一瞬前まで身体からだの上にあった重みが、ない。空々しい空白。その向こうに見えるカリン。そんなのどうでもいい。虚無にも等しい軽さが嫌だ。手に入れたと思った宝物が目の前で消えてなくなってしまったような、喪失感が嫌だ。

 けれど。それでも。

 のこされた熱が、あった。

 頰の上に。彼の体温をたたえた、涙のしずく

 そして自分の手の中には──本当に一握りできるだけの、くさびめいた木片。

 これは彼がずっと求めていたのと同種の熱だ。で、とんで、あの家で。

 今なら認めてやろう。気恥ずかしいが、もう彼がいないのなら構うまい。

 それは自分が求めてきた熱でもある。

(あたしだって、温かけりゃ、温かいって思うんだぜ)

 崩れようとする精神と表情を、砕けるほどに奥歯をんで、屈服させる。

 彼に託されたものがある。それを忘れない。

 自分が、彼の大好きなダークエルフであることを、忘れない。

 そうだ。彼が信じた、強欲で抜け目ないダークエルフであることを──

 うそにするわけには、いかなかった。

 だから最後に残った全ての力をあつめ、身を起こしながら腕を動かす。

 頭に振り下ろされていたおのが髪をかすめて、地面を穿うがったのと同時に。

 手中のとがった木片を、カリンの腹に深々と埋め込んだ。

 返ってきたのは、あわれみの目だ。

「シーナ様。ちょっとは痛いですけど、そんなもので止まるわけ、ないですよ」

「アホか。これで終わりって誰が言った。クソエルフにできることがあたしらにできないわけがねぇ。けんぞく身体からだ欠片かけらさえあれば……なんとかしてみせるさ」

 カリンが目を見開き、顔色を変えた。

 シーナは既に呼びかけを始めている。

 ここには暗い精霊がいる。

 ひどくかなしく、絶望的で、別れに満ちて、重く、はかなく、限りのない──

 彼が最後にのこした、武器がある。

(……れんすけ。何度も言うぞ。何度だって言うぞ。お前は、あたしのモンだ。だから……砕けた程度で、逃げられると思うな)

 お前は、もう、あたしの森だ。

 枯れても折れてもまた生えて、永遠に循環して、その全部をあたしにささげるものだ。

 だから今も使ってやる。お前がささげた全てを。

 いいだろ?

 その代わり──あたしも。

 何度だって、生え替わったお前を、あたしの全部を使って抱きしめてやるからさ。


「私、私……シーナ様のこと。あんな男に負けないくらい、本当に、好き、なのに……」

「アホか。比べるまでもねぇ。お前はれんすけとは違う」

 シーナは鼻を鳴らして、はっきりと拒絶する。

「お前はあたしに依存してるだけだ。生き方がわかんなかったからしょーがねぇのかもしんねーけどよ……あたしはお前の母親にゃなれねーぞ。だから、諦めな」

「嫌。いや……シーナ様……」

 最後の吐息。

 彼らが呼びかけに応える。


「《涙の精霊に命ずる/満つる泉に溶けてなお光れテイアースピリツト・ノーエンドスプリング》」


 カリンの体内に潜り込んだの中から、爆発的にあふれた泉水が。

 いかなる抵抗も許さず、彼女の身体からだを内側から破裂させた。