まばゆい朝日の中、れんすけはシーナと一緒に駆けている。

 ラブホテルから逃げ出した直後のことだ。

 屋上から屋上へ飛び移っていくのは、映画のアクションシーンの中に入り込んでしまったようだ。大それたことをしているという高揚感が気恥ずかしくもあり、しかしそれ以上に、疾駆のほうとして与えられる高みの風が、きらきらと世界に光を散らせる朝日が、すぐ前を行くダークエルフの背中が、涙が出そうなほど心地ここちかった。

 そう──追っ手たちに周りを囲まれていても。懸命に足を動かして逃げている最中でも。

 唯一の逆転の一手、失敗すれば全てが終わる特攻を仕掛けると決めた状況であっても。

 その時間は、心地ここちく、楽しく、心が沸き立つものだったのだ。

 きらきら輝く髪を散らし、ビルとビルの隙間を楽しそうに跳び越えながら、シーナは言う。

「なあなあれんすけ! 新しい世界ってどんなんかな?」

「それを決めれるってことなんじゃないのか? 知らんけど」

「だよなー? そっかそっかー」

「つまり、シーナはどういう世界がいいんだ、って俺から聞こう」

「そりゃまあ……まずは気持ちいい森がいるよな。風がふぁーって吹いてきて、匂いがいいんだ。言うまでもなく一番高い木はあたしのもんだぞ。れいな川ももちろんいるな。魚がわんさかれる」

「こないだキャンプした川にはちっこいやつしかいなかったからな。シーナの魚りテクニックを見せてもらわないと」

「任せとけって。普通に寝転がって気持ちいい草原とかもいるし……それから、そう、コメの生える畑も欲しいな。あれはいいモンだ」

「畑じゃなくて田んぼだけどまあ言いたいことはわかる」

「デザートに甘い果物がる木もあって……甘いと言やあ……うん、まあ町もあっていいだろ。なんでかわかるか?」

 ちらりと肩越しに見てきたので、れんすけは苦笑いして、

「タピオカミルクティー屋があるから」

「せいかーい」

 へへー、とシーナは笑う。どこまでも前に広がる光の中。自分たちを進ませる風の中。

 れんすけはその光景をふと想像してみて、

「売ってるのはダークエルフかな」

「かな? だろうな。そのために戦ってるんだから」

 軽く耳を揺らして、

「……そーだな、あっちの世界じゃ見たこともなくて、想像すらしなかった、ダークエルフの町があるんだろうな。いや、国かもしんねー」

 次のビルへ、ぴょーん。その足を止めさせるものは、ここにはない。

「ダークエルフだけしかいないのかどうかは知らねーけどさ。ずっとしいたげられてきたあたしらが、普通に、盗みも殺しもなんもなく、暮らせる町……か」

「それはいいな」

「待てよ。となると?」

 とん、と着地したシーナが足を止め、腰をひねってれんすけのほうを見てきた。ジト目で。

「わかってる。他にダークエルフが何人いてもさ」

 彼女の隣に立って、れんすけは心の底から笑う。

「俺の中では、シーナが一番最高のダークエルフだ。浮気うわきはしないよ」

 照れたようにシーナがぷいと目をらした。そして小さく、

「お前は……あたしのモンだ。身体からだの中身だって好きにさせてやるのは、お前だけだぞ」

「マジ光栄だ」

 立ち止まったから、隣に立ったから、手を握る。そうするのが自然だと思った。

 一息。

 渡り歩いてきたビルの群れも今いるところが最後で、眼前は大きく開けている。

 空があった。

 高く、広く、明るく、果てなき世界。

 それを見つめながら、短く言葉を交わす。

「楽しみだな」

「ああ」

「勝つぜ、れんすけ

「当然だろ」

 先に見るのが、夢物語のようなものでも。

 ただ暇潰しに語り合う将来の夢のような、現実味のない希望品でも。

 確かなものは何もなくても。

 暗闇の向こうから忍び寄るような予感の息遣いが、意識の奥底に隠れていても。

 それでも──

 欲しいもののために手を伸ばすのが、ダークエルフだ。

 だから、行こう。

 そうしてれんすけとシーナは、戦場に戻るべく、一日の始まる世界に向かって足を踏み出す。


 二人でいれば、負けるわけがないと。

 そう思っていた。

 ──心の底から。



 ふらつきながら立ちはだかったカリンが、再びリボルヴの一撃で吹き飛ばされた。ぐったりとして動かない。

 スライムを食べたという、つまりは委員長を食べたという、

 信じられない。信じたくない。だがそれで説明はつくと理解してしまう。

 セイレーンの食べ残しにしては強力すぎる活力。それをどこで補給したかの答え。

 最終局面であると聞かされ、距離を取った彼女。最後に話した言葉は何だったろうか。何かを言うべきだったのか。自分は何を言いたかったのか。わからない。ただ、もう二度と彼女に言葉をかけられないと考えるのは、ひどく──体内の奥底から、力が抜けることだった。取り返しのつかない何かが自分の中から抜け出てしまったような、そんな気分だった。

「くそっ、たれがっ……」

 シーナは地面の上で身じろぎし、ぎらぎらした視線をたちに向けることしかできない。

 ゆいのことばかりを考えていられる状態でもなかった。意識的に思考を止め、シーナの再生に協力する。止められるものではなかったが、無理矢理に、そうした。

「下品ですね、ダークエルフ。いえ、元からわかっていました。貴方あなたたちは正しくない。卑劣で、きようで、誇りなく、欲望塗れで、情けない。そんな種族が勝てるわけがないでしょう」

「言うじゃねえか、クソエルフ。なら、お前らがどんだけ正しいっていうんだ……?」

「比較するまでもありません。それはひとという優れたけんぞくが従ってくれていることからも明らかでしょう」

 リボルヴの中から届いていた声が切り替わり、

「そうだ。僕はエルフという種族の正しさを信じている。その正しさに願いをかけている。僕の願いは純粋だ。世界に正しく在ってほしい。そのためには──正しい種族にその運営を任せるべきなのだ」

 ぴくっと視界の端でカリンの身体からだが動いたのが見えた。それに反応したセリアメアが土弾の魔術を放ち、カリンの小さな身体からだが完全に土の塊の下に消える。押し潰されたかどうかは、わからない。

 は一点の曇りもないような、朗朗とした声で言った。

「だから僕はこの戦争に勝利し、エルフという種族が支配する世界に全てを作り替えてもらう。人間などではない、エルフに、新世界を支配してもらう。それが目的だ」

 れんすけつえの状態で舌打ちする。唾も吐きたいところだ。

「あんたはエリートだろ。さんざんしい思いをしてきたくせに、人間の社会を売るのか」

「エリート? たまたま他人よりテストの点が上で、たまたま身体からだと機械の操縦が他人より上手だったというだけだ。君にだってわかるだろう。そこに、人間として──いや、生物として上か下か。正しいか間違っているかなどの評価軸は、入っていない」

「……」

「自らの自尊心のために友をおとしめる者。無意味な気晴らしで他人を害する者。うそをついて総体の幸福を失わせる者。明らかな正答を、気に食わないという理由だけで誤答と強いる者……人間という種族は、総じて、愚かだ。愚かになりすぎている」

 このひとという男が、その人生において何を見たのか。何を感じたのか。そんなものはわかりはしない。けれど、少なくとも。

 彼がというものに絶望しているのは、確かなようだった。

 ああ。自分だってそうだったのかもしれない。人間によって形作られる社会。正しいことしか認められなくて、それが正しいとはどうしても思えなくて、間違ったものが一つもないという間違った形にしか思えなくて──それを見限った、あさくられんすけにも。

 理解できる部分もある。けれど、そんなものは大事ではない。

 相手はマイナスを消し去りたいからこうしているだけだ。自分たちは欲しいものがあるからこうしているだけだ。そこには絶対的な違いがある。

「エルフが支配する世界とか、マジでクソつまんなそーじゃん。絶対ムリだぜ……!」

 つえが持ち上げられようとする気配。いけるか、シーナ。

 だが次の瞬間、土のほそぐいのようなものでその手は地面に縫い止められていた。もはやいつ撃たれたのかもわからなかった。あるいは下から生えたのか? れんすけの知覚もノイズがひどい。

 リボルヴが、一歩。

 シーナがみしてうめく。動けない。ゆいはいない。それを食べたというカリンは憎く土の下。無意味だ。ああ、このいらちも不快も、全て、無意味なのか。


 ──ここで──終わりなのか?


 時が引き延ばされたように流れる。

 致命の一撃は。終わりは。いつ。何が。シーナ。嫌だ。シーナ。シーナ……


      ォ

         ォォ

                   ォォォオ


────

 緩い時の中。

 意識の隅に、何かがある。

 ただ一点の、遠い遠い変化。


 音だ。


 ──────ォォォォォオオオオオオオッ!


 彼方かなたの空から降ってきたその音は、

「なにっ……!?

 身をよじることすら許さず、土と鋼の巨人に激突した。

 空気全体が震える衝撃、爆発じみたごうおん

 それは攻撃ではなく、ただの落下か。リボルヴはじばした巨大質量は、自身も反作用で大地に突っ込んだ。シーナの髪を風圧で巻き上げるような距離感で土にめり込みながら滑り、止まる。

 それは夜空から降ってきた白の星。

 真新しい、の騎体と同じような、白銀のRV

 ややあって、横倒しになった騎体前面の搭乗口が開く。

 そこから身体からだを引きずるようにてきたのは──

 眼鏡をかけた、白衣の女。


 あさくらのぞという名の、れんすけにとっては、家族だったかもしれない女性だった。



 事情や状況については、よく知らなかった。

 考えようともしなかった、が正しい。考える資格があるのかどうかもわからなかったから。

 だからただ言われるがまま、《仕事》をしていた。

 騎士団の技術者として。騎士団長直属の特殊な立場として。

 そこで出会った素敵な、知的好奇心が旺盛な、それでも子供っぽいところのある、そこが可愛かわいい天才の恋人と一緒に──流されて、流されて、事情の中に家族がいることの《意味》を深く考えようとはしなくて、そのうちに再会して、ただ言葉を交わせたことだけがうれしくて、そこでまた思考を止めて。

 それがきっといけなかったのだろう。

 傷つけたのかもしれない。

 面と向かって拒絶されて、かなしかったけれど、納得もした。

 確かに自分はひどい姉だ。いや──ちゃんとした姉に、なれなかった。

 テロ事件の直後、目覚めてに食ってかかったことに、自分でもびっくりした。少なくとも彼がテロと関係のあるような扱いを受けることは不当で、許されないと思った。たとえ拒絶されたとしても、自分はまだ彼のことを弟だと思っているのだと、思いたいのだと、そこでようやくわかった。

 それからはアルマと一緒に片付けに奔走した。忙しくてあまり何かを考える暇はなかったが、恋人がふと何かを考え込むような顔をすることに気付いていた。面白い理論や研究対象を思いついたのではないことだけは確かだった。

 すうじつって、騎士団全体も第一特務用格納庫ハンガーまわりもまだまだ片付かなかったが、ふ、と仕事の隙間風のような空白が訪れて──そこでようやく、考える余裕ができた。

 嵐が過ぎ去ったから、台風の目のように、いだ意識でようやく実感したのだ。

 あさくられんすけひとは共に死人で。敵対していて。

 将来的にはどちらかしか残らないのだということを。

 聞かされていたその《設定》が《現実》なのだと実感して、初めて、ひとという人間を疑った。彼は正義の人間で、異世界の戦争に巻き込まれて、社会秩序を守るために仕方なくバトルロイヤルに参加して──それで?

 結局、最後の一人になろうとしているのだろうか?

 その道のりの途中にある、あさくられんすけという少年の存在を消し去るという過程を、どう思っているのだろうか?

 彼は上司で恩人ではあったが、奥底の人間性を理解しているとは言いがたかった。いつも冷静で頼りになる男性。全て完璧だったから、それが逆に、そのとき初めてうそ臭く思えた。

 だから確かめてみようと思ったのだ。

 アルマの姿は最近格納庫ハンガーから離れていた。から何か特別な仕事を頼まれていたことを知っていた。だから──悪いとは思ったが、彼女のパソコンにアクセスして、情報を盗み見た。

 彼女がいろいろなことでに協力しているのは以前からわかっていた。その行為が、彼が社会秩序を守ることに通じるというから、自分も手伝っていたのだ。けれど。

 公安警察の捜査誘導。あさくられんすけという少年の情報、その作成と展開。人間を動かし彼を捕獲するためのありとあらゆる行為。ひとにとって不適切な情報の削除と修正。リボルヴの秘密裏なる調整。特殊作戦用リボルヴ搬送トレーラーの準備とどう──

 のぞは目を閉じて、息を吐くしかなかった。

 駄目。それは駄目だよ。アルマ。

 これは、正義を守るためなんかじゃなくて。

 ただ……さんがれんくんを殺すのを、手伝ってるだけじゃない。


 でも、だからと言って、自分はどうするのだろう。

 何かをする資格があるとでもいうのだろうか。

 ざわりで、もう二度と会いたくないと。姉だと思ったことすらないのだと、はっきり言われてしまった自分に。

 少し前に、あの死にかけた自販機ゾーンの残骸から、ぼろぼろになった自分のノートを回収していた。それを膝の上に広げて、そっとでる。もう二度とでられないであろう家族の代わりに。

 そこには一枚の紙が挟まっていた。

 テロ事件の直前。彼らがキャンプをしていたとき、自分が伝言と鍵を届けにいったときのものだ。自分の電話番号を書いたこの紙を渡そうとして、けれど受け取ってもらえず、突き返されて──

「……ざわり、だもんね」

 つぶやいて、そこで目を細める。

 紙を裏返した。そこには表とは違う、けれど同じような11桁の番号が書かれている。

 ──どうして、これを書いてくれたのだろう?

 純粋に、そう思った。電話番号を交換したくないならそれでよかったと思う。紙だけを突っ返されても仕方がなかった。でも、どうして、この番号を書いてくれたのだろう。

(自分から電話することはないけど。こちらから電話するのはいいってぐらいには、仲良く、なってくれてたのかな? あそこまではまだよくて、あれから本当に嫌われるような何かをしちゃったのかな?)

 だけど……妄想、してもいいのなら。

(のぞみんはちょっと悲観主義だなー。ワタシみたいにもっと楽観的になっていいのだゾ? 自分都合で、こうだったらいいなー、ってことから考える! んでそっから調べてく! 研究と一緒、それでOK! 違ってたら違ってるってわかるからOK! 勝手に思い込むのが一番ダメダメさー!)

 昔に言われたアルマの言葉も、信じて。

 彼だって、自分と同じに、本当は話をしたかったとは考えられないだろうか。

 11桁の番号なんて見れば覚えられるから。それよりも、自分の番号を教えて、いつか電話がかかってきて、通じ合える可能性だけは残しておこうと思って──

 わからない。わからない。ただの妄想。

 でも。

「……もう、嫌われても、底はないよね」

 自分の携帯を取り出して、ノートに挟んだ紙を見もせず、番号を打ち込んだ。自分だってこんなもの、一目見ただけで覚えられるのだ。大事な弟の番号くらい。

 どれだけ鳴らしても、出なかった。電源が入っていないか、電波の届かない──

 また妄想した。

 彼は電源も入れられないような、それか電話を壊してしまうような。

 そんな状況なのではないか。困っているのではないか。

 困らせているのは、誰?

────

 彼のことを知りたいならば、彼を困らせている人間から辿たどれる。つまりはてんらんばしアルマとひとから。今は格納庫ハンガーにはただ一人だ。誰にも遠慮することはない。自分にだって、アルマが使っていた機材やツールをただ乗りするくらいならばできる。

 もう一段階、リアルタイムに自分の上司たちの動向に情報の手を伸ばした。携帯からの位置情報。二人はほど近い位置にいる。トレーラーも動いている。おそらく騎体を乗せている。

 じゆうを倒すためでなく。

 他の何かを殺すために。


 それがわかってしまったら、立ち上がって動くしかなかった。

 格納庫ハンガーに残っていた唯一のリボルヴの元に向かう。細かいセッティングは不可能だが、一時的に、扱いやすさを重視した初心者用のパラメータに調整。そうすることが必要だった。

 このリボルヴを運ぶ手段は──きっと。

 誰かが直接乗っていくしかないのだろうから。



「なん、で……?」

 胴体席ボデイスペース内でどこかにぶつけたか、額から薄く血をこぼしている。片腕をだらんと下げている。

 そんな姿ではあったが、そこにいたのは確かに、見覚えのある女だった。

 あさくらのぞ

 問いかけではなくただ漏れただけの練介つぶやきが、彼女にも届いてしまったらしい。

 気後れしたような、あの控えめな笑み。

リボルヴの技術者もね。やっぱり、乗って動かさないと、わからないこともあるから……大学で、免許だけは、取らされるの。ほとんどペーパードライバーだけど、なんとか──」

「そんなこと言ってるんじゃない!」

 思わず語気が荒くなった。

 彼女は視線をらさなかった。微笑ほほえんでいる──けれど、目だけは違う。

 意志ある目。決して曲がらない何かを、たたえた瞳。

れんくんに、死んでほしくないから」

 はっきりとした言葉だった。

 その明瞭さに、逆にれんすけのほうの口がよどむ。

「なんだよ、それ……俺は、もう、死んでるってのに。馬鹿か。見ればわかるだろ。人間の姿すら、してない」

「でも、私の中では、死んでないから」

 軽く背筋を伸ばすようにして、ふ、と息を吐いて。

 もう一段階、全てを諦めたかのように、笑った。

「嫌われても、会いたくないって言われても──おせっかいをするのが、お姉ちゃんってものでしょう。それを思い出したから、勝手に来ちゃった。それだけだよ」

────

 なんだそれは。そんなものは求めていなかった。想像もしていなかった。

 だって、自分は。

 あのとき完全に、このあさくらのぞという女を、切り捨てたというのに。

 少し離れた場所で、リボルヴが身を起こそうとしていた。魔術と科学が合一した巨人であっても、ほとんど落下じみた勢いで体当たりしてきたリボルヴの衝撃は殺しきれなかったらしい。

「君にこのような行動力があったとはな、あさくら研究員。君はもっと内向的な性格をした女性だと思っていた」

 のぞはそちらに軽く目をって、頭をかすかに横に揺らした。

「家族の前では違う、ということもありますよ」

「そうか。僕にはわからない部分だ」

 吹き飛ばされはしたものの、リボルヴに目立ったダメージは見られない。

 のぞの視線はすぐにこちらに戻った。

「乗って、れんくん。私はすぐどこかに行くから、気にしないで」

 彼女がこうした理由については謎だらけだったが、今は必要なかった。選択肢は存在しない。

「シーナ! もう少しだけ踏ん張ってくれ!」

「はん、めんな。あそこに入るくらい楽勝、だぜ……」

 まんしんそうのシーナが、身体からだを引きずるようにしながらのぞの乗ってきたリボルヴに向かう。開きっぱなしだった搭乗口から胴体席ボデイスペースの中に転がり込んで、適当にコンソールの隙間に精霊杖練介を突き入れる。

「相変わらず狭ぇなー。れんすけっていうのうろの中にいるカンジで、落ち着くっちゃ落ち着くんだが……ケツが痛いのだけはなんとかしてほしいぞ」

「善処はする!」

 れんすけは杖からせいれいじゆの根を伸ばしていく。機械の巨人とつながるのも何度目になるか。この状態からでも可能だという不思議な確信があった。

 リボルヴの機械と電気の回路に沿うように、根を全身に張り巡らせ、同時に地面の下にまで潜らせる。そこからの力を吸い上げ、根を通してリボルヴの各部に行き渡らせていく。落下の衝撃で壊れていた部位を補強。これからの戦いに必要な部分を追加。

 みしみしみし、と全身にとしての意識が巡っていく。

 れんすけの自我が、鋼樹の騎士としてのリボルヴに移っていく。

 シーナが小さく息を吐いたのがわかった。

「ふぃー。お前ん中、あったけえや。あれだな、これ、あれだ」

「?」

「昨日、お前がさんざん言ってた感想と一緒」

「……!」

 にしし、と意地悪げに笑うシーナ。

 れんすけは苦労してスルースキルを発動する。顔があれば赤面しているところだ。代わりに別のことを言って誤魔化した。

「シートに柔らかいつたわせてみましたが、どうですかお客様」

「お。ケツいいじゃん、ちっと前よりマシっぽいぞ」

「なら──」

「ああ。いけるぜ。ケツだけが唯一の問題だったからな」

 関節をきしませて立ち上がる。少し離れた場所でリボルヴも体勢を立て直していた。

 たいする、鋼樹の騎士と、鋼土の騎士。

 こちらの様子を見やって、安心したように遠ざかろうとしているのぞの姿が、センサー視界に映った。

 きっとこれが最後の機会だろうとわかった。口が動いたのは、そのためだ。

「……の家の裏手に行ったか?」

「ううん? それが?」

「──いや、なんでもない」

 違う。こんなことではない。自分に言う資格があるのかないのか、彼女に知らせるべきかどうかもわからない物事についてではない。

…………

 セイレーンを倒す武器を、あの格納庫ハンガーで彼女の中に作り出したときと、意味は同じだ。

 別れるために。

 一番ではない大切なものとして、心残りなく、捨てていくために。

 必要な言葉があったというだけ。その方向性は真逆でも。

絵は描かなかったけど、これは使わせてもらう。ありがとう──助かった」

 これで届くだろうか。

 過去と現在に向けた、最初で最後の、無意味な感謝。

 のぞは一瞬、はっと目を見開いたようで──

 その後、ゆるゆると、目元をらした微笑になって、うなずいた。

「……うん」

 姉弟の会話は、それで終わり。

 のぞは振り返らずに、背後の森の中に消えていった。

 さあ。あとは──あいつを倒すだけだ。


 カリンは土の中。ゆいは彼女に殺されて。のぞは自分の世界に帰って。

 残るは自分たちだけ。

 他にはもう、誰もいない。決着の時だ。

 リボルヴが二騎、向かい合う。洗練された設計構造に異を唱えるような、アナログで好き勝手な異形と化した騎士たち。土と石で形作られた巨腕は、大地の重みをもって鋼鉄を砕くだろう。じゆにくで補強された関節部はいかなる衝撃にも負けぬしなりをそなえ、筋肉以上の柔軟さで自在な動きを見せるだろう。

「ふむ。お互い、おかしな姿になったものだな」

「俺たちはもう人間じゃないんだ。不思議はない。どうせお前も、その中でまともな人間の姿はしてないんだろ」

「そうだな。だが姿になど意味はない。意味があるのは、正しいこころざしだけだ」

「へっ。ご立派だねぇ」

 胴体席ボデイスペースのシーナが嘲るように言った。

 それに答えたのはセリアメアだ。

「実際、立派でしょう。私はひとほどまっすぐな心根の者を知りません。ひとは世の正しさを知っていた。だから求めた。けれど彼は優れていたから、わかってしまった──自分一人だけが正しくとも、世界は、他の人々は決して正しくはならず、自分の手でそれを正しくもできないことに。世界が間違い続けるのをわかっていて、それをただ見ているしかないことに。だからひとは──絶望したのです」

 小さな息を吐いて、続ける。

自らの命を絶つしかないと思うほどに

「……!」

 まさか。がエルフのけんぞくになったのは、事故なんかではなく。

 自分と同じ──?

「真の意味で、心の底から絶望できるほど、ひとは正しさを信じていた。その愚かにも純粋すぎる善性を、貴方あなたは笑えるのですか、ダークエルフ?」

「うはははは! マジ笑える!」

 シーナはしゆんじゆんなく一笑した。

「なんでみんな自分みたいにまともになれねぇんだろうって? そいつはスゲー悩みだ。勝手に失望してるだけじゃねーか。どんだけエライんだよ。そりゃエルフとは気が合いそうだ」

 胴体席ボデイスペースの中、手近な機械の肌をぽんぽんと手慰みのようにたたきながら、

「まともなみんなに合わせるのがつらすぎるって悩みのほうが、まーだあたしにゃ理解できるかな。優しくて気弱すぎて、おひとしすぎるそいつは……馬鹿だなーとは思うけど、ムカつきはしねーからな」

「シーナ……」

 てのひらから伝わる、ぬくもり。お互いがお互いのぬくもりを感じている。

こころざしを理解してもらえるとも思っていない。だから僕たちはこうしてたいしているのだろう」

「理解する気もないしな」

 すり足のように、徐々に間合いが近付いていく。純粋なリボルヴでは難しい動きでも、自分自身と同化した今の騎士はもはや第二の身体からだ。肉体そのもののように自在な動作が可能となる。

 それは向こうも同じだろう。

 ここから先の優劣は素の操縦技術だけではない。だからこそおびえはない。

 魔力が巨大な騎士の全身に行き渡っているのを感じる。エネルギー流体EFと合一するかのように、力ある血液のように、躍動を期待して渦巻いている。

 緊張感が高まる中、がぽつりと言った。

「改めて思えば、不思議だ」

「何がだ?」

「この世界は、今の我々とも相性が良すぎる。EF。それによって動くリボルヴじゆう。人間。魔力……まったく違うはずなのに、か、合う。何かあつらえられたかのようだ」

 れんすけは鼻を鳴らした。どうでもいい。

「世界の仕組みが知りたいなら、神様に聞けばわかるだろ。全部が終わったあとでな」

「──違いない」

 そして二騎は示し合わせたように、その手を開いて。

「《血の精霊に命ずる/血塗られた形骸の長を崇めよブラツドスピリツト・マサカーキヤスト》」

「《土の精霊よ/鋭き輝石の連なる奇跡にアースエレメンタル・シヤープネスマーヴエル》」

 れんすけが握るのは固化した鮮血で形作られた大剣。

 が握るのは光る鉱石で組み立てられた大剣。

 決闘は。

 白の騎士たちが、互いの願いを込めた剣を撃ち合わせることで始まった。