ただの人間の集団の包囲であれば、逃げることも隠れ通すことも難しくない。ゆいが後者を選んだのは、ひとえに諦めのためであった。

 おそらくもう無駄だ。直接的なテロの関係者とみなされていなくても、あさくられんすけの関係者として、なんだかんだ彼らは自分も拘束する気だろう。少なくともエルフはそのように事態を動かそうとしているだろう。

 だからしばらく森の中で息を潜めていた。岩をまるみすれば岩になれる。動かなければばれるはずもない。化け物スライムの真骨頂。ぜいたくは言っていられないので、岩ではないことに気付かず近寄ってきた昆虫や小動物を食べてカロリーと武器のレパートリーを増やした。

 最大のねんはエルフ自体が根源魔力の感知範囲内に近付いてくることだった。しかしそれも今の自分の中にあるものは『薄い』。その意味で言えば感知はしにくいだろうし、こちらもダークエルフを練習台に、他者の根源魔力を探るという感覚に慣れる訓練はしていた。何かがあればすぐに間合いを開けるのみだ。

 森から人気がまったくなくなっても、さらに慎重に時間が過ぎるのを待つ。

 待ってどうするかなど──考えてはいなかったが。

 その考えをまとめるためにも、一人でいたかった。

 これからどうすべきか。どう動くべきなのか。

 どう動きたいのか……

──っ!

 唐突に、感覚の目を見開く。肌で感じた。

 根源魔力だ。

 距離的には……おそらく感じ取れる範囲ぎりぎり。どうする? こちらは気付かれているか? 息を殺して様子をうかがう。動くなら逃げねばならない。

 だが、根源魔力の気配に動きはない。その手応えの薄さに、なんとなく悟る──これはおそらくエルフではない。ダークエルフでもない。

…………

 さらにしばらく、岩のふりを続けた。けれど唐突に馬鹿らしくなって、いきと共に擬態を解いて、人間の姿に戻った。

 ゆっくりと歩き出す。逃げるほうではない、近付くほうに。

 茂みをけながら声が届くほどの距離にまで接近すると、そこには予想通り──セーラー服を着た少女が膝を抱えて座り込んでいた。気配の薄さも納得だ。彼女も状況的にはおそらくセイレーンの食べ残しで、フルの根源魔力を持ってはいない。

 彼女は不意に、自分の膝に埋めていた顔を勢いよく上げた。だがゆいの姿を認めると、はぁ、といきをついてまたさっきまでの姿勢に戻る。

「なんだ……シーナ様じゃないじゃん……」

「……ダークエルフじゃなくて悪かったわね」

 どうして会話なんかしているのだろう、とごとのように思う。今はセーラー服の中学生のように見えていても、彼女はオーガだ。今にもおのを生み出して襲いかかってくるかもしれない。そうすれば今度こそ死ぬかもしれない。

 でも。

 自分はもう、死んでいるものだから、それを気にするのもおかしいのか。

「ここで何をしてるの」

「わかりません。私、何も、わかんなくなっちゃいました。わけわかんなくなっちゃいました。昨日何があったのかも覚えてません。……ううん、ぼんやりとは、覚えてるんですけど。私、シーナ様に……何か、とんでもないことをしちゃいました……? だから、いないの……?」

「何もしてないとは言えないと思うし、彼女がここにいない理由の一つではあるでしょうね」

「嫌われた、かな……」

「さあね」

 嘆息する。本当に、どうしてこんな話をしているのだろう。

「今のあなたの目的は、なに?」

「目的……?」

 小さく首が揺れたように見えたが、顔は上がらなかった。抱えた膝に向けて、

「私は、シーナ様に会いたい、だけです。私にとって、あの人だけが全てだから。また会えた幸せを、今度こそ、手放したくないから」

「オーガという種族を復活させたいのが一番ではないの?」

 ややあって、

「……さあ。わかりません。前は、そんなことも、考えてたかもしれないけど。シーナ様がいるんなら、別に、どうでもいいです。シーナ様のほうが、大事……」

 そういうこともあるのだろうか。彼から話を聞いた限りでは、どうやらセイレーンも純粋に自種族の復活を望んで戦っていたわけでもなかったという。

 カリンはぽつりと続けた。

「私、幸せになりたいだけなのになあ。くいかないなあ……」

「本当に、そうね」

 同意の言葉が口から漏れてしまったことに、自分でも驚いた。

 現在。未来。すべきこと。やらねばならないこと。

 そんなの全部どうでもよくて、全部ひっくるめて。

 結局は、自分の望みだって、そうなのだ。

 幸せになりたい。その形が……どんなものかは、わかっていないかもしれないけれど。

 ふと気付くと、まじまじとカリンが自分を見上げていた。

「なに?」

「あなたは……今は、痛くしません? してくるんだったら殺そうって準備してましたけど」

 そうは見えなかったが、やはりあのおのをいつでも生み出せるような状態にはなっていたらしい。実のところそんな気はしていた。今の状態が既に致死圏内であるような。

 ゆいは嘆息する。

 これからどうしたいのかも、自分の幸せの形も、まだ何もわかっていないのに。

 今から眼前の相手と死力を尽くして戦うつもりには、どうしてもなれなかった。

 嫌だとかそれ以前に、どうしようもなくおつくうで──言い換えれば。

 どうでもよかったのだ。

「あなたが襲ってこないのなら、何もしないわ。さっきので懲りたもの」

「痛く、しないんだ。そうなんだ……」

 カリンは自分に言い聞かせるように、めるようにつぶやいて。

「珍しいですね。二人目、かも?」

 そうして、どこかほっとしたように、頰を緩めた。

 それで心がつながったなどと思えるほど、精神と記憶に異常を持っているような者とのコミュニケーションに確かな意味を求めようとするほど、ゆいは楽天的ではない。

 けれど、少なくとも、現状のどうでもよさを維持する理由には足りた。

「あなたは、シーナ様の仲間……なの?」

「さあね。だけど少なくとも、今は一緒にはいないわ。また会うかもしれないし、もう会わないかもしれない。……あなたと同じ状況かもね」

 負け損ねた同類としても。ちゆうはんな化け物としても。

 言外に込めたゆいの皮肉には気付かず、カリンは願うようにつぶやいた。

「会いに、来てくれるかな」

「……そうね。可能性は高いでしょう」

 そこでカリンはいいことを思いついたというように、

「あ。だったら、あなたと私、一緒にいたらその可能性は倍になるってことですよね? 計算は得意じゃないけど、きっとそう。だから……一緒に待ちます?」

 それにどう返すかは決まっていた。

そうね

 何がどうなるか、何をどうするかわからないから。

 選択肢の保留を維持することが、決まっていたのだ。

 離れて一人になっても、することもしたいこともわからないのだから、とりあえずこの子と一緒にいても同じだろうという消去法。そして、どこにいても危険があるのなら、一つの危険を甘受することでその他の危険をカバーできれば問題の総数は減るだろうという打算。

 すなわち、今のところ一つだけ存在している、彼女の明確な使い道は。

 エルフに。

 あるいはダークエルフに襲われたとき──盾として戦わせる役だ。


 そのとき、そうまでして自分がそこに居続けたいと思っているかどうかはともかく。



 コレクションの中にあるロードムービーを思い出していた。つまらない理由で人を殺す殺人鬼カップルたちの逃避行だ。最後の結末は、さて、どうなるのだったか。どうあれ彼らの道中は楽しそうだった。

 だからきっと、自分たちがそうなのも、当然のことなのだろう。

 バスの終点。ふふんとドヤ顔で降車ボタンを押したシーナとバスを降りた。しんじんようと比べると8割ほどの文明度の街だ。あの街と同じような部分もあり、違う部分もある。具体的には街の中央を我が物顔で貫いている、架線が引かれた枕木たちの連なりがある。

「さっきのボタンの押しっぷりは見事だった。バスにも慣れたし、自動車にも乗った。シーナはもはや乗り物マスターと言っても過言ではない最高のダークエルフとお見受けするが……」

「そうだろそうだろ」

「この世界には電車というものがある。バスより自動車より速い乗り物だ」

「マジかよ。なら乗ろうぜ」

 駅の自動改札を体験し、構内の売店でタピオカミルクティーを補充し、ホームを物珍しそうに見渡す。いざ乗り込んで座席に座ったら、案の定というかシートに膝を乗せて窓に顔をくっつける定番のおのぼりさんムーブをしてくれた。もちろん止めない。あれは何だこれは何だと聞いてくるシーナに逐一説明を返してやり、あっちの世界でいうところのアレみたいなもんかという話題から派生する武勇伝に耳を傾ける。他の乗客の視線など気にもならなかった。

 気が済むまで電車の旅を楽しんで、適当に大きな街で降りた。まだ検問されていたり顔写真が出回っていたりするほどではないにしろ、人の数が多いほうがやはり危険は少ないだろうと考えたのだ。それに──この街には、他にもシーナが興味を持ちそうなものがあった。

 正確には、れんすけが、そこでのシーナを見てみたいと純粋に思ったのだ。

「おいれんすけ。何かデカいのが回ってるぞ」

 もく通り、彼女がそれに気付いて空を指さす。

 さて。

 ダークエルフは、遊園地の観覧車というものが気に入るだろうか。



 深い眠りから目覚めた。いつもの仮眠室のはずなのに、いつもとはどこか違う気もする。窓に薄くひびが入っている理由は何だったか。その隙間から焦げかすのような臭いが漂ってくるのは。まなこで服を着替えながら、習慣のようにスマホでニュースをチェックして──目が覚めていく。そうだ。そうだった。

 そして記事の中に、自分のよく知る家族の関与を臭わせる一文をがくぜんと見て取って。

 あさくらのぞは身だしなみを整えるのもそこそこに、格納庫ハンガーの仮眠室を飛び出していった。


「どういうことですか? これはれんくんのことですよね。どうしてれんくんが?」

 格納庫ハンガーにはそこに出入りする人員の全てがそろっていた。てんらんばしアルマ博士。騎士団長。秘書セリアメア。アルマと共にリボルヴの調整を行っていたは、のぞが差し出したスマホの画面に目をり、小さくうなずく。

「──これか。僕も把握している」

 それから彼はわざわざ作業の手を止め、のぞに正面から真摯に向き直った。

 あるいは、そう見えるように、向き直った。

「彼がこの現場にいたのは確かだからな。目撃者もいたはずだ。だからどこかで情報の行き違いがあったのだろう……なに、誤解はすぐに解ける。心配せずに待っていたまえ」

 その言葉を聞いても、のぞは眉根を寄せたままだった。

さんは、世界を善くしたいと言っていましたね。だから、元々敵の立場であっても、れんくんを仲間にして一緒に戦う……と」

「そうだ」

「私はそれに賛同したから、信じられない話を聞いても、さんたちを、れんくんたちを手伝おうと思っていたんです。なのに、どうして、こんな」

 は小さく息を吐いた。感情を乗せない言葉で、

「この件で動いているのは環境省や騎士団関係者だけではない。公安警察だ。だから僕が今すぐ言ってどうこうなるというものでもない」

 のぞの目を見つめて言う。

「──つまり、れんくんを積極的に守る気はないんですね」

 否定も肯定も返ってこない。

 何かを確かめるように、聞いてきた。

「彼と僕がそもそもの立場上、手を差し伸べられない状況に陥るかもしれないということは知っていたはずだが」

 その通りだった。

 の視線は揺るがない。のぞはそれに静かにけられるように、顔を伏せた。

「今までは……正直に言って、実感が、なかったんです。異世界とか、魔術とか、信じられないことばかりで。私は、わかったふりをして、物わかりがいいふりをして……ただ、久しぶりに弟に会えることに喜んでいただけでした。本当は、わかってなんかいなかったのに」

 のぞは首を横に振る。

「そう……何もわかっていませんでした。彼が何を考えているかも。何を望んでいるかも。どんな状況にいるのかも。本当に、死んでいる、なんてことも……!」

 次第に語気も強まっていく。それは眼前のにぶつけているというよりは、自分の言葉に自分自身が興奮している様子であった。

「私に何ができるんでしょうか。私は、今まで何もしてこなかった私は、れんくんに……!」

「のぞみん」

 リボルヴ整備の手を止めて近付いてきたのはてんらんばしアルマだ。いつもの金髪に白衣、ラフな格好。いつも剽軽ひようきんにへらへらしている彼女だが、今ばかりはその顔に笑みはなかった。

 のぞの肩を横から抱くようにして、その耳元で、

「忘れちゃいけない。ワタシたちは、チサヒトやセリちゃんたちの事情に関しては部外者なのだ。当事者じゃないのだ。だから……本質的には、何もできない。必要以上に干渉しようとするべきじゃない」

「そんな……アルマ……」

「踏み込みすぎないほうがいいと、ワタシは思う。きっとあいつだってそんなの望んでない。あんなにひどいことを言って、のぞみんを切り捨てたんだから……そうでなくちゃつじつまが合わないだろ。距離を取りたいと思われてるなら、そうしないと傷つくばかりだ。なのでワタシは言うしかないんだ。……もう忘れたほうがいい。考えないほうがいい」

 ぽんぽんと、赤子をあやすように、優しく恋人の頭をたたいて。

「好きな人が泣いてるのを見るのは、つらいよ」

…………

 声もなく、ただうつむいたまま、のぞは涙をこぼし続けていた。

 それが弟の未来をおもってのことなのか。姉としての無力さをはかなんでのことなのか。

 その理由を知る者は、彼女本人も含めて、この場にはいなかった。


 アルマが肩をさすり続けることしばらく──ひとまず落ち着いたのぞは、ぐしゃぐしゃになった顔を立て直すべく仮眠室かトイレに戻っていった。

 彼女は愚かではない。いつまでも泣いていてはいられないのだと知っている。の戦いがどうあれ、現在の滅茶苦茶めちやくちやになった騎士団の態勢を一刻も早く立て直さねばならなかった。騎士団長である、そして彼のリボルヴが健在であることはその象徴だ。つまりこの格納庫ハンガーでの仕事は、無関係な人間たちをさらなるじゆう被害から守ることにつながっている。

 こんな状況でも、その建前を忘れずにはいられないほど、彼女は理性的で──優しい。

 アルマは彼女のいない空間で、ぽつりとつぶやいた。

うそつきだね、ワタシたちは」

「かもしれない」

「少なくとも、何かに誠実であろうとしている結果のうそでしょう。褒められることでなくとも、責められる類のものでもない気がします」

 とセリアメアがそれぞれ答えた。

「HA。どうあれうそうそだよ」

 アルマは格納庫ハンガーの高い天井を見上げる。

「……まったく。ワタシ自身、こんなことになるなんて思っていなかった。下手に手なんか出さず、観測だけしておくべきなんだ、本当は」

 彼女は数秒、そのままぼんやりと動きを止めていたが。ふと思い出したように視線を戻し、とセリアメアに向けて肩をすくめるようにしながら言った。

「──研究者というのはそういうものだろう?」



「ただ遊ぶためだけの場か。すげえな。こっちの人間、どんだけ余裕あんだよ」

「言われてみると、社会全体に金と土地と心の余裕がないと発生しない娯楽かもな。命の危険のなさっていうか」

「悲鳴上げて振り回されてるアレにゃ命の危険があるように見えるんだけど。拷問?」

「はは。あとで乗ってみよう」

 ダークエルフと遊園地を巡る。そんな日が来るとは考えもしなかった。

 物珍しそうに園内を見回して歩くシーナ。変装用の活動的なスタジャンと野球帽姿が、の功名ながら状況にとてもよく合っていた。

 色々なアトラクションを体験する。金に糸目などつけなくていい。ジェットコースター、コーヒーカップ、バイキング船……シーナは魔術で飛ぶこともできるのでスリル的にはどうかと思ったが、自分の意思とは関係なく揺さぶられたり振り回されたりすることを客が喜んでいるということ自体が新鮮だったらしく、

「やっぱ拷問じゃねーか。あたしが嵐の暗霊とかでこいつら滅茶苦茶めちやくちやにしてやったらかねもうけできるってことか?」

 などと笑っていた。

 メリーゴーランドでは馬の乗り方のレクチャーをれんすけに行い、子供と一緒にボールプールに飛び込み、鏡の館では鏡という高級アイテムの物量に盗賊としての目を光らせる。軽食を買う際、少し目を離した瞬間にシーナがナンパされるという事件も起こったが、ノータイムで彼女はその男たちをたたきのめしていた。目立ちたくない状況なのは確かですぐにその場を離れることになったものの、気分的には相当スカッとした。

 端から端までほとんど全てのアトラクションを制覇する勢いで楽しんで、最後に本命の観覧車に乗った。ゴンドラがかすかに揺れながら上昇していく。

「へー、魔術も使わないのに結構高くまで上るんだな。こりゃ楽だ……窓は開かねえの?」

「さすがに危ないから開けられないと思うぞ」

「わかってねえなー。高えところは風がだいなのによ」

 出会ったときも木の上で風を感じていたらしいダークエルフが言うのだから、きっとそうなのだろう。けれどさして不満そうでもなく、シーナは透明なガラスの向こうに広がる街並みを眺めていた。それは憧憬でもせんぼうでもなく、遠くに見えるお宝を品定めしているような、そんな視線だった。

 れんすけもその視線を追う。彼女と同じものを見ていたかったから。

 日が沈みかけの、見知らぬ街。背の高いビル、低いビル、行き交う自動車たち、人の群れ、興味もない広告の数々。真新しさや無機質さはしんじんようのほうが上でも、においは同じだった。

 森ならぬ、コンクリートの木々が立ち並ぶ灰色の街。温度のない街。

 前までだったらきっと吐き気を催していただろう。けれど今、どこかごとのようにそれを眺めていられるのは、この高度のせいか、彼女と一緒だからか。

 かつては自分というものが飲み込まれていた領域だった。一生逃げられないと諦めていたろうごくだった。しかし今は、自分たちが属するものではない、と感じる。

 ──では、属しているのは誰だ? 街にいるのは。社会からの刺客は。そこから訪れようとしているものは。

 無意識のうちに、怪しいものがいないか目を凝らしてしまっていた。白いリボルヴとがり耳のエルフ。情緒不安定なハーフオーガ。サングラスのメン・イン・ブラックたち──

 苦笑する。今まで精一杯考えないようにしていたのに、やはりシーナとは器の大きさが違う。この穏やかなだいだいいろの小空間のせいで、等身大のあさくられんすけに戻ってしまった。

「なに笑ってんだよ?」

「いや……」

 少し迷ったが、自分の小市民らしさを取り繕うことにも意味はないなと思って、

「これは逃避してんのかなあ、みたいなちっさい物事が今更気になっちゃってさ」

「ばーか。楽しいからいいんだよ。最初から言ってんだろ? あたしは楽しいのが好きだ。お前と一緒にどっか行くのは楽しくて、だからここに来たのも楽しかった。以上だ」

「でも、俺はどうしても考えちゃうな。これからどうしよう、みたいなことを」

「先のことを考えるな、なんて言ってねーぞ。あたしだって考えてる。これから何をすれば楽しいかなってのが基本だけどさ」

「んじゃ、次はどんな楽しいことをする?」

「そうだなあ。やっぱ……」

 答えようとして、そこでシーナは猫のようなおお欠伸あくびを漏らした。へへーと笑って、

「ま、今日は朝からずっと動いてたからさすがに疲れてんじゃん? 楽しくメシ食って、楽しく風呂ふろ入って、楽しく寝ようぜ」

 それが彼女の希望なら、もちろん断る理由はなかった。


 身分証などうるさく言われず気軽に入れ、誰かと対面する機会もなく、部屋で食事も取れ、ベッドが大きくてゆっくり眠れる……となれば、やはりラブホテルだった。知らない街だったので探すのに多少は手間取ったが、見つけてしまえば入るのは慣れたもの。部屋に入り、水分と栄養を補給して──

「よーし。んじゃ楽しくれんすけに魔力も補給してやるか」

 そんなことを言いながら、れんすけの入っていたに全裸のシーナが突入してきたとき、れんすけは、慣れたラブホテルでも今日は何かが違うとようやく気付いたのだった。

「なる……ほど?」

 そんなことをつぶやいて、とりあえず湯船の中で身を縮めるしかなかった。何がなるほどだ。

 ちゃぽんぬるりとシーナが背中側に入ってくる。褐色のふとももが左右から自分を挟むように突き出て、背中に二つの柔らかなものが当たるのがわかる。首の横から、頰を擦り合わせるように、彼女の顔がにゅっと出てきた。

 いたずらっぽく、笑っている。

「楽しく入って、楽しく寝ようぜって言ったよな」

「言ってた……な」

「何回かこんな状況になったけどよ。さすがに、そろそろ特別な楽しさが欲しいって話だ」

「──なんで、今?」

 ふ、とに吹きかけられる、吐息。近すぎてよく見えなかったが、きっと、あの観覧車の中と同じような目をしているのだろうと思った。

「んー。そうだな。昨日とか今日とかで──わかっちゃったんだ。あたしらは一緒にいる。多分、最後まで一緒だ。それが自然なんだ」

 最後まで。

 その言葉を通してじんわりと胸ににじんだのは、何だったのか。歓喜か、寂しさか、それ以外の何かか。ただ一つ言えるのは、その中にあんが含まれていたということだ。

 疑いようもなく。確固たる事実として。独りよがりな妄想ではなく。

 彼女も、自分と共に在ろうと、してくれている。

「最後まで一緒にいるのに、一緒じゃない部分があるのって……知らない部分があるのって、なんかヘンじゃね? って思ったんだよ、さっきな。いやもうお前のことは中身までだいぶ知ってるけど、とかつえのときに知ったのも多いし、逆に『人間の身体からだでのお前』ってのを見過ごしてる気がしてさ」

 てなわけで、と彼女は続けた。

「あたしに全部見せろよ。あたしに、お前の全部を人間の身体からだでも好きにさせろよ。それはマジに新鮮で楽しそうじゃん。あたしは楽しそうなことをガマンはしないぞ」

 言葉通りに、楽しそうなことを少しずつ彼女は始めた。吐息だけでなく、舌でれんすけの耳をめてきた。れんすけ身体からだの前に回してきた細い指を、胸板にわせてきた。

「う……あ……」

 背筋が震える。温かい湯の中に自分というものが溶け込んでいく。それからも彼女は自分の様々な場所に触れてきた。とても優しい、優しい、ダークエルフの悪事。

 しばらく続けた彼女はくすりと喉を鳴らして、

「もー我慢すんなって。代わりに、お前にもあたしを好きにさせてやるから。あたしの大事なところも、全部……好きにさせてやるから。な? だからさ、れんすけ

 ざぶり、と湯が持ち上がった。背中側に座っていた彼女が湯船を立ち上がり、れんすけ身体からだをまたぐように前に行って、くるりと振り向いて、形のいお尻が見えなくなって、そのまま再び、れんすけふとももに乗るように湯の中にざぶりと座り込んで──

「諦めて、つながろうぜ?」

 言いたいことはいくつもあった。真正面、滑らかに、彼女の身体からだ。揺れる、近く。肩に張り付く髪、なまめかしく、舌。何を言う?

「いつも、戦うときは、つながってる気がする、けど」

「そーそー。その通り。だから別に怖いことなんてないぞ。それが気持ちいいことだってのは──もう、知ってるだろ?」

 ああ、違う。今、一番言いたいのは、シーナ。

 いたずらなダークエルフの、自分勝手な、有無を言わせぬ、悪さ。

 見なくてもわかる、恐ろしいほど幸福な下半身の違和感。


「これってさ。もう、入ってる、よな?」