エピローグ


「え? それって全然ハネムーンになってないんじゃ」

 呆れるような呟きが、ウォルフォード家のタウンハウスに響く。

 リンディスタ王国の王都に帰ってきた頃には、すっかりと秋も終わりを告げ、凍える冬の足音が聞こえる時期だった。

 この家もすっかりと冬支度が整っている。居間の暖炉の薪が爆ぜる音を聞きながら、素直な言葉を口にしたのは、兄に対して相変わらず容赦のない弟のライナスだ。

 少し見ない間にまた身長を伸ばした彼は、すっかり長くなった脚を組みながら大袈裟に肩を竦めてみせる。

「一カ月もこの国を空けておいて、その大半がお国騒動に巻き込まれていたってなにさ。通常業務より大変なことになってない?」

「それを言うな、ライナス――」

 セドリックも薄々自覚はあったのだろう。ほとほとくたびれ果てたと言わんばかりに肩を落とす。

 リンディスタ王国に帰国してから一週間。向こうで足止めされていたことを、ライナスもさすがに心配してくれていたらしい。学校が休みになるなり早々に、このタウンハウスまで様子を見に来てくれたわけだ。一応、今回の新婚旅行を提案した人間として、責任のようなものを感じていたらしい。

 ただし、話を聞いたところで、ライナスも一周回って呆れてしまったようだ。

「まったく――どこへ行っても、面倒な政治に巻き込まれるの、最高に兄さんらしいよね」

「望んで巻き込まれたわけじゃない」

「あー……まあ、向こうとはなんだかんだいい関係築けそうだし、結果オーライなのかなあ?」

 ライナスはうーんと考え込んでいる。

 ナバラル王国は今も騒動の最中だ。ただ、まもなく収束するというのがセドリックの見解だ。

 別れの挨拶に行った際にクラウディオに聞いた話だが、第二王子カリストは王位継承権を剥奪されることになるだろうと言っていた。

 王族という立場でありながら、隣国の重鎮の悪評をばらまき、陥れ、その妻を奪おうとしたのはあまりに外聞が悪い。それだけでなく、大事な友好国との関係性に罅をいれようとした。これは重罪だ。

 そのような男に国を継がせるわけにはいかない。――というよりも、クラウディオの体調が回復し、その気になったことも大きかったようだ。カリストの出る幕などなくなってしまった。

 つまりクラウディオが王太子に選ばれることは、ほぼ確定している。カリストを処罰しても問題ないと判断したらしい。

「でも、義姉さんももったいないことしたよね。王太子妃だよ、王太子妃! しかも、キレ者と名高いあのクラウディオ殿下の!」

 などと、ライナスは興奮しはじめる。クラウディオ本人と面識のないライナスにとっては、物語の中の登場人物のような感覚らしい。目をキラキラと輝かせながら、フィオナに訊ねてくる。

「本当にいいの? こんな無愛想な兄さんで――って、怖い怖い! 穏やかじゃないね!? 兄さん!?

 ずっとクラウディオと張り合っていたせいか、このところセドリックの沸点が低くなっている気がする。というよりも、フィオナに他の男をあてがおうとする類いの冗談を絶対に許さないのだ。目を吊り上げてライナスを睨みつけている。

 ただでさえ表情が冷たいと評判の人物なのに、怒った表情をすると背筋がゾッとする。その怒りがフィオナに向けられることはないものの、できるだけセドリックを怒らせる事態は避けようと、フィオナは思うようになった。

「でも、そのクラウディオ殿下も大変だったんだね。国を変えるって、やっぱりなあ――」

 ライナスがしみじみと呟いた。

 クラウディオ、そしてサウロのことを思い出すと、ちょっとだけ胸が痛む。

 結局サウロは、王族に危害を加えた罪で投獄されることとなった。二年もクラウディオの精神を縛る魔法をかけ続けたのだ。しかも、それはクラウディオの命を奪ってしまいかねない危険なものだった。魔法の制御が未熟だったのは言い訳にならない。

 本来ならば極刑でもおかしくなかったところを、クラウディオ本人の恩情で免れたのだ。

 事件の後、アラン立ち会いのもとでサウロはクラウディオにかけていた魔法を解いた。その際、彼の魔法が本来、人の精神を縛るだけのものでないことを、アランはきちんと教えていた。

 気持ちを前向きにさせたり、楽しい気分にさせたり、そういったいい方向に心を動かすこともできることを知り、サウロは再び泣き崩れていた。あの様子であれば、もう自身の魔法を悪用することがないと信じたい。

 そもそも、サウロが犯行に至ったのは、西望の民に対するナバラル人たちの差別意識から来るものだった。

 サウロは生涯クラウディオに仕えることを望んでいたのに、彼が王太子になるとどうあっても引き剥がされる。サウロだけでなく、クラウディオを慕う使用人たちも皆、今の関係性が保てなくなることを憂うだろうと、サウロの独断でクラウディオの立太子を妨害しようとしたらしい。

 つまり、クラウディオを慕っているからこその犯行だった。

(正直、それほどまでに慕っている人の精神を落とす魔法をかけようだなんて、考えつきもしないけれど)

 フィオナであれば、たとえ離れることになったとしても、主の出世を祈るだろう。

(でも、きっとそれは、西望の民にしかわからない感覚なのかもしれない)

 あの国での西望の民に対する根強い差別意識をこの目で見た。もしフィオナが、差別された当事者であったら、サウロのような選択をしたのかもしれない。

(わからない、でも――)

 クラウディオの言葉を思い出す。彼はどこか吹っ切れたような顔をしていた。

『あの不器用な男のためだ。アレが牢から出てくるまでに、アレが私の補佐官になれるような環境を作っておくさ。私の隣には、アレが必要だからな』

 そう言いながら、少し困ったように笑っていた。

 フィオナは知っている。いつも気怠げで、なにに対してもやる気を見せようとしないクラウディオだが、自分の身内だと認めた相手にはとことん面倒見がいいのだ。

 クラウディオの屋敷に西望の民の使用人が多かったのもそのためだろう。自分を慕い、救いを求める人々を放っておけなかった。

 若い時には、うまくいかなくて諦めたことかもしれない。けれど、クラウディオはこれからもっと成熟する。未来の彼なら、本当に成し遂げてしまうかもしれない。西望の民をはじめとした、様々な人種が自由に生きられる国作りを。

「――私も負けていられないな」

 ふと、セドリックが呟いた。

「ああそうだ。あの男には絶対に負けられん」

 繰り返すあたり、よほど決意が固いのだろう。

 フィオナは肩を竦めた。まったく、セドリックの対抗意識にも困ったものだ。

 別れの間際でも、クラウディオはやっぱりフィオナを口説こうとした。もはやセドリックの反応を見て楽しんでいるだけだと思うのだが、セドリック本人は絶対そんな生温いものではないと言い切っている。

 もちろん、フィオナにとっての大切な人はセドリックただひとりだ。クラウディオがなんと言ってこようとそこは揺らぐことはないけれども――。

(案外、心配性なのよね)

 フィオナは笑った。だから、ぽすっと彼の腕にもたれかかってみる。

「――っ、フィオナ?」

「ふふ」

 蜜月と呼ぶには、大変なことが多すぎた。でも、あの地へ行って、本当によかったと思う。

 多分、フィオナはなにかが変わった。もちろん、セドリックも。

 互いのことをより深く知り合えたし、歩み寄ることもできた。

「そんなに不安がらないでいいですよ、セドリックさま」

「不安、などと――」

 セドリックが戸惑うような声をあげる。でも、この反応はきっと図星だ。フィオナはクスクスと笑いながら、彼の腕に縋りつく。ぎゅうぎゅうと力を入れてみると、セドリックは耳まで真っ赤にしながら黙ってしまった。

「あーあ。やっぱり心配して損した。やってらんないよ、新婚夫婦の相手なんて」

 ライナスがわざとらしくため息をつき、おもむろに立ち上がる。

「やっぱこんなところに住めないや。寮生活でよかったよ、ほんと」

 大袈裟に肩を竦めてみせながら、居間の出入り口へ向かって歩いていく。

「ま、ふたりとも。束の間のふたりの時間をゆっくり過ごすといいんじゃない? なんか、放っておいても事件に巻き込まれそうだから、今のうちにさ!」

「おい、ライナス! 不吉なことを言うな!」

「あはははは! ま、家で幸せな分、せいぜい仕事で苦労すれば?」

 ヒラヒラと手を振りながら、ライナスは立ち去ってしまう。随分と好き勝手なもの言いではあるものの、セドリックは苦笑いを浮かべるだけ。

「まったく、あいつは」

 などと悪態をつきながらも、楽しそうだ。その横顔を見ているだけで、胸がいっぱいになる。

(この人と、ずっと一緒にいたい。これからもずっと――)

 大きすぎる問題を前にして、少し足が竦んでいた。でも、フィオナたちはもっと、欲望に忠実でいい。その方がきっと未来は明るい。

「大丈夫ですよ、セドリックさま」

「フィオナ」

「どんな時も、ぴったりとくっついていますから」

 今思い返せば、ナバラル王宮での監禁生活はなかなかに充実していたかもしれない。四六時中彼とずーっとくっついていられる機会なんて、さすがにもうないだろうから。

 気付くのが少し遅かった。ああいう修羅場でも心の平穏を保てるくらい大きな女になろうと、フィオナはこっそり新しい目標を立てる。

 ふんすふんすと鼻息荒く決意すると、セドリックがふっと噴き出した。どうやら意気込みがすっかり顔に出てしまっていたらしい。

「そうだな、私も、君といつだってくっついていたい」

 そう言いながら、彼は口づけを落としてくる。額に、頬に、そして唇に。

 やがて額をこつんとくっつけ合いながら、熱っぽい視線を向けられた。

(っ、セドリックさまのその目)

 見つめられるだけでゾクゾクしてしまいそうな、色気に溢れた目。まだ昼間だというのに、夜の気配が濃くなったような気がする。

「少なくとも、夜はもう、ずっと一緒にいられるだろう?」

 耳元で囁かれると、一気に体温が上昇した。

 実は、王都に帰ってきてから、フィオナたちはようやく寝室をともにするようになった。だから以前と比べると、そばにいられる時間がぐっと増えたのだ。

 ゆっくりではあるけれど、変化していく関係に胸を高鳴らせ、フィオナは目を閉じる。

 ドキドキするけれど、この変化が心地いい。

 彼と歩む未来に夢膨らませながら、フィオナは彼の温もりを感じていた。


fin.