カリストは笑みを深めた。中性的な彼の出で立ちは、本当に様になる。王子様然として微笑みながら、彼はゆっくりと片膝をつく。

 周囲からわっと期待の声が響いた。だって、こんなの他国の招待客に接する態度などではない。手を取りながら片膝をつく仕草の意味は、リンディスタ王国と共通だ。

「もう、この想いを我慢することなどできない。どうか――改めて、僕を選んでもらうことはできないだろうか」

 熱っぽい目を向けられている。

 この国の王族特有の夕日が沈む海の瞳は、相変わらず吸い込まれそうなほどに美しい。まるで恋した相手を見つめるような微笑みだが、その瞳はちっとも笑っていないように感じた。

(って、いきなりプロポーズですか!? 嘘でしょう!?

 なにか仕掛けてくるとは思っていたけれど、ここまでするとは思わなかった。

 一気に勝負を決めに来た。フィオナは心臓が止まりそうになりながらも、落ち着くために深く呼吸する。

「……選ぶとは、どういうことでしょう?」

 そうして、声が震えないように注意して問い直した。

「はっきり言うよ。――フィオナ、君を縛っている男から解放されて、改めて僕と結婚してくれないだろうか」

 会場は一気に沸き立った。



 セドリックは、カリストに手を引かれてホールに歩いていくフィオナの背中をずっと見ていた。

 いつの間にか、握りしめる拳に力が入りすぎていたらしい。一度だけ振り返ったフィオナの顔を見て、冷静さを取り戻す。そして気持ちを落ち着かせるために、わざと大きく息を吐いた。

(大丈夫だ、これは作戦通り。――そうだろう?)

 敵はずっと、セドリックとフィオナを引き剥がすことに躍起になっていた。

 四日間、客室に押し込められた時もそうだ。フィオナは、件のはぐれ魔法使いの天敵だ。彼女がいることによって、たちまち精神に影響を与える魔法が無効化される。

 以前、ひとりでクラウディオの屋敷に行った際、相手も確証を得たはずだ。フィオナさえそばにいなければ、短時間でもセドリックの精神を支配できるのだと。

 あれは恐ろしい魔法だった。判断力が著しく低下し、自棄になる。不安が膨らみ、制御できなくなる。あんなものに支配されたら、まさに相手の操り人形になってしまう自覚はある。

 おそらく相手は、セドリックの精神支配をした上で、フィオナとの離縁を迫るつもりなのだろう。あるいはオズワルドを支配して、あちらに離縁を認めさせるかのどちらかだ。公衆の面前で宣言させ、逃げられないようにする。

(そうはさせてなるものか)

 しかし、今、相手を捕らえるためには、その特殊な魔法の証拠が必要だ。魔法省のような魔法を取り締まる組織がないこの国で、魔法の証明は難しい。だから現場を取り押さえるしかない。

(今の私にはお守りがない)

 唯一の刺繍はオズワルドに託した。いくら護衛がいるとはいえ、最も尊きあの人になにかあってはならない。となると、セドリックがおとりになるしかない。

(どうも私に対する不都合な噂もあるみたいだしな)

 耳をそば立てているとよくわかる。

 フィオナがカリストに連れていかれてから、噂話にはますます花が咲いているようだ。セドリックがそばにいることもお構いなしに吹聴する。

「ずっと奥さまに暴力を振るっていたそうよ」

「身分を笠に着て、自由を奪っていたとか」

「冷酷だって噂だけれど、それ以上なのね」

 そんなわけないだろう、と全力で叫びたい。けれども、こちらがなんの反応も示さないことで気が大きくなっているのか、周囲の噂話はますますエスカレートしていく。

「だからカリスト殿下も、見るに見かねてあの方を保護なさったそうよ」

「え!? どこかの不審者に狙われているわけではなく、もしかして――」

「そう、あの方自身から奥さまを?」

 さすがにあからさまに言いすぎたと思ったのか、ひそひそ声が小さくなっていく。

 予測通りと言えばそうだ。セドリックたちを監禁している間に悪い噂を流し、フィオナの離縁、さらにカリストとの再婚を歓迎させるような雰囲気に持ち込む。

 煌びやかな音楽が流れ出し、くるくると踊るふたりの姿を見て、誰もが息を呑んでいる。大方、カリストがフィオナの優しさに打たれて懸想した――などという噂も一緒に流されているのだろう。周囲を巻き込み、フィオナをこの国に取り込もうとしているわけだ。

(あの野郎、フィオナにくっつきすぎだ。離れろ、今すぐ!)

 なんと腹立たしいことだろう。ナバラル王国の王子たちは、揃いも揃ってフィオナに馴れ馴れしすぎるのだ。

 カリストの場合は全部打算なところも気に食わない。フィオナを単なる道具としてしか見ていない。今だって、いかにも恋をしているような表情を浮かべているが、白々しい。あんな男にフィオナが触れることなど許しがたい。

(まったく、いつになったらやってくるんだ、あの男は!)

 もうひとつ、セドリックは苛立っていることがあった。

 いまだにクラウディオが姿を現さない。今宵は彼の存在が必要不可欠だ。散々焚きつけてやったというのに、これで来なかったとしたらどうしてやろうか。

(あそこまで忠告してやって、はぐれ魔法使いとやらの魔法に絡め取られて動けない――などと寝言をほざいてみろ。お前のことを一生許さんぞ)

 イライラとした気持ちを抱えたまま、それでもセドリックはフィオナたちから目を離さなかった。

 正直、フィオナがあんな王子と踊っているところを見なければいけないのは拷問以外の何物でもない。だが、今は我慢だ。

 セドリックに対する悪い噂と、カリストとフィオナの関係を応援する声。ふたつの声が会場に満ちていくのを感じながら、とても長い時間が経ったように思える。やがて音楽が終息しようとした時、後ろから声をかけられた。

「本当に残念なことですね。フィオナさまは、あなたにはもったいない」

 呪いの声だった。

(やはり後ろから来た……!)

 クラウディオの屋敷で魔法をかけられた時と同じだ。セドリックは待っていたのだ、この男が仕掛けてくるのを。

 浅黒い肌が視界の端に映る。自然と隣に並ぶその姿を目に焼きつけ――やはりと思った。

 サウロだ。

 目が合う。黒目が小さく、まるで睨みつけるようなつり目の男と。焦げ茶色の髪は短く切り揃えられ、生真面目そうな男が正装を身につけてそこに立っている。

 今日ですべてを終わらせる。それは向こうも同じつもりなのだろう。もうその正体を隠す必要もないとばかりに堂々と横に立つ。

 同時に、彼から強い魔力が放たれるのを感じた。瞬間、以前と同じように自分の中の魔力がかき混ぜられそうになる。

(――そうはさせるか!)

 しかし、セドリックは踏ん張った。以前アランが別荘にやってきた時、口頭で聞いていたのだ。もし、この魔法に絡め取られそうになったら――、と。

『相手の魔力に支配されなきゃいいから、こう、体内の魔力を固定化させて、相手の魔力が廻るのを抑えたり?』

 要は相手の魔力が全身に廻らないようにすればいいと、アランは教えてくれた。言葉だけだと理解することは難しかったが、この四日間、あり余った時間で訓練していた。自分の内面に意識を向けて、魔力を固定化させることに。

(次こそは!)

 クラウディオの屋敷で襲われた時は、不意をつかれて反応できなかった。けれども、心の準備ができていた今なら負けはしない。

「ウォルフォードさま、あなたは、フィオナさまに相応しくない」

 サウロの魔力とともに、その言葉がセドリックの中に浸透していく。

 距離を詰められると効果は絶大で、体内の魔力がかき混ぜられそうになった。心の準備をしていても、やはり実戦は難しい。体内に浸透していくサウロの魔力に心が支配されそうになる。

 周囲に悲鳴があがった。

 セドリックが手にしていたワイングラスが落下したからだ。ガシャン!と音を立てて、赤い液体と硝子の破片が床に飛び散る。同時にセドリック自身も膝から崩れ落ち、額に手を当てた。

「ああ――ほら、皆さま、あの方たちをご覧ください」

 そんなセドリックの異変など気にも留めず、サウロはダンスホールの中央へと視線を投げかける。彼に誘導されるように、周囲の貴族たちもまたホールの中心に目を向けた。

 いつしか音楽は終わっていた。

 ホールの中央には向かい合う男女がひと組。カリストとフィオナだ。年回りの合うふたりはまるで恋人同士のようにお似合いに見えるだろう。

 どくん、と心臓が嫌な音を立てた。

『あなたは、フィオナさまに相応しくない』

 言い聞かせるかのようなあの口調が脳に反芻している。

 わかっている。これがカリストたちの作戦だ。ここでセドリックの意識が底に落ちれば、まさに敵の思うつぼだ。

(だめだ! しっかりしろ!)

 唇を噛む。今は、フィオナの魔力を感じられるものなど近くにない。となると、あとは自分の気力と精神力だけがものを言う。これ以上サウロの魔力が浸透しないように、セドリックは必死で抗おうとした。

 生憎、会場の片隅で起きた小さな事件に、カリストは気付いていないようだ。彼の意識はフィオナだけにある。そして、ホールの中心で、いよいよカリストが膝をついた。

(あとは、私が……っ!)

 カリストがやらかすまで正気を保てたらセドリックの勝ちだ。

 だからセドリックは覚悟を決めた。床に散らばるワイングラスのかけ。それをこっそり右掌に掴み、立ち上がろうとする。

「すまない、少し立ちくらみをしてしまってな。――サウロ、肩を貸してくれないか」

 セドリックの言葉にサウロは目を見張った。彼にとって意外な反応だったのだろう。三白眼でジッとこちらを睨みつけ、口を閉ざす。

「――どうぞ」

 訝しむ様子を見せつつも、彼は確実にセドリックを支配する選択をしたようだ。セドリックの体を支え起こしながらも、その魔力を直接流し込んでくる。

 体への負荷がさらに大きくなった。セドリックはそれに支配されぬよう、必死で抗った。

 ワイングラスの破片を握り込む右手に力を入れた。白い手袋を貫通して、硝子の欠片がセドリックの肌を貫く。激しい痛みとともに、じわりと血が滲んだ。しかし今は正気を保つためにも、この痛みが必要だ。

「くっ……」

 痛みにあえぎながらよろける。それでもセドリックは意識をどうにか保ち、しっかりと地面を踏みしめた。

「ああ、随分と顔色が悪いようだ」

 サウロは心配そうにしているが、その裏で退出させまいという強い意志を感じる。向こうの断罪シナリオに、セドリックの存在が必要不可欠だからだろう。

(むしろ、好都合だ)

 サウロに体を預けるようにして、セドリックは彼のことをしっかりと掴んだ。

(私を掴まえているつもりのようだがな、捕まっているのはお前だ、サウロ!)

 この茶番を全部ここで終わらせる。そう自分に言い聞かせ、奮い立たせる。

 その時、会場にひときわ大きな歓声があがった。

 カリストが、よりにもよってセドリックの大切なフィオナに公開プロポーズをしたのだ。



「はっきり言うよ。――フィオナ、君を縛っている男から解放されて、改めて僕と結婚してくれないだろうか」

 カリストが甘い笑顔でそう告げた瞬間、会場は一気に沸き立った。

 この国の未来を担う王子ふたりは、いまだにどちらも婚約者すらいない独身だ。特に、クラウディオが表舞台に出てこなくなってもう二年。王太子の座は、今やカリストの方が本命だ。そんな彼が、衆目の中プロポーズしたのである。

 フィオナが既婚者であることなど皆知っているはずなのに、色よい返事をすることを期待しているかのような眼差しだ。

「わたしには、夫が――」

「君たちは離縁する予定なんだろう? 君がそう言ったんじゃないか」

「え?」

 カリストはなにを言っているのだろう。ありもしない事実をねつぞうされ、硬直する。

 とんでもないでっちあげだ。こんな主張が通るなどと、どこからその自信がやってくるのだろうか。カリストの感覚が理解できなくて、頭の中がはてなでいっぱいになる。

「心配しなくていいよ。もう大丈夫だ。――誰にも言えなくてつらかっただろう? これからは僕が、あの男から君を護ると誓おう」

「護る?」

「ひどい仕打ちを受けていた。そうだろう? 優しい君をまるで奴隷のように扱って――僕が黙って見ているとでも?」

 カリストがそう言いきった瞬間、会場に拍手が沸き起こる。

 まさにカリストはこの大夜会の主役だった。セドリックという凶悪な男から、フィオナを護ろうとする勇敢な男。そのようなシナリオで順調に進んでいる。

「奴隷だなんて! セドリックさまはとてもお優しい方です! そのようなこと、絶対になさいません!」

「そう言わないと、後で仕置きをされる。――違うかい?」

 カリストは堂々としたものだった。

 なにを思ったのか、彼は立ち上がり、くるりとフィオナに背を向けてしまう。

「オズワルド・アシュヴィントン・リンディスタ殿下」

 そしてカリストは交渉相手を変えた。フィオナではなく、セドリックの主にあたるオズワルドへと。フィオナに話しかけるのとはまた違う、王子らしい柔らかな物腰で主張しはじめた。

「いかがでしょう? まもなくおふたりは離縁されるとのこと。であるならば、正式に彼女をこの国にお迎えしても問題ないはず。僕は彼女を愛しています。そして、あなたの国ともよりよい関係性を構築していきたい。彼女の存在が二国の架け橋となれる。そう思われませんか?」

 オズワルドが黙っているのをいいことに、カリストはどんどんと饒舌になっていく。

「僕はいずれ、この国の王太子、ひいては国王として立つつもりでおります。そうなれば彼女はその妃、やがて王妃となるでしょう。彼女の故郷をどうしてないがしろにできるでしょうか。我々は今後、よりよい関係を結んでいきたい。ああ、そうですね――」

 ふうむと考え込むようにして、カリストは例をあげつらっていく。

 塩の取引と関税について、海産物の取引条件や、二国を繋ぐ道の整備の確約、それから珊瑚やカメオといった宝飾品や、織物の取引について。ざっと並べただけでもすぐに飛びつきたくなるような条件を積み上げていく。

 ナバラル貴族たちは、その条件にカリストの本気を見たらしい。中には、カリストの独断による提案に訝しげな顔を見せる者もいるが、そういった手合いは黙殺される。会場はほぼ一体となって、カリストとフィオナは結ばれるべきという空気が満ちていく。

 しかし、それに流されるオズワルドではなかった。

「――ふむ。わからないな。貴国の申し出は魅力的だが、どうしてそうもフィオナにこだわる? 彼女はウォルフォードの大切な妻だ。彼女を本当に愛していると言うのなら、どうして彼女の幸せを横から奪おうとできる」

 唐突に正論を返されて、カリストは眉を吊り上げた。

「は? なにを――」

 ここまで好条件を並べたのだ。オズワルドがすぐに食いつくと思っていたのだろう。

「彼女はウォルフォード殿にひどく虐げられていると聞き及んでおります」

「私からはとてもではないが、そう見えないがな?」

 わざと不思議そうに呟くオズワルドを見て、カリストは顔色を変えた。オズワルドが反論するなんて、微塵も思っていなかったらしい。

(そっか。カリスト殿下は、オズワルド殿下とセドリックさまの関係性を甘く見ているのだわ)

 ようやくフィオナは理解した。

 どうしてカリストが、こうも無茶な交渉を自信ありげに続けてきたのか。

 彼は根本的に勘違いをしているのだ。

 カリストにとって臣下とは、すぐにでも切り捨てられるものだ。だから、国同士の取引の方が圧倒的に優先されると考えたに違いない。

(殿下が、セドリックさまを切り捨てて取引をするだなんて、ありえないのに)

 キッと眉を吊り上げてカリストを見るも、彼はもうフィオナのことになど気にも留めていなかった。どうやらオズワルドと交渉をすることに必死らしい。

(わたしもセドリックさまも、リンディスタ王国だって、あなたの思い通りに動く駒なんかじゃないわ)

 そんな当たり前のことが欠如している。でも寂しいことに、それがカリストにとっての常識なのだろう。

「セドリックさまがわたしを虐げることなどありません。わたしも、セドリックさまと離縁するだなんてありえません!」

「君は脅されているだけだ!」

 すっかり雲行きが怪しくなっているのに、カリストは諦めない。というよりも、もう引き返せないところに来ているのだろう。

「君の夫がどれだけ冷たい男かなど、見ればわかるじゃないか!」

 カリストは芝居がかった様子で指をさした。その指の先には、セドリックの姿がある。ギュッと拳を握りしめた彼は、ずっと苦しそうに息を吐いている。そしてその後ろ。サウロが彼を支えているのが目に入った。

 フィオナたちの予想通りだった。おそらく、サウロこそがはぐれ魔法使いで、クラウディオを長年苦しめ続けてきた裏切り者なのだろう。

 かかった。サウロがその姿を現し、公衆の面前で魔法を行使した。事はフィオナたちの予定通りに運んでいる。

(でも、セドリックさまが――)

 顔色が悪い。今度こそサウロの魔法に抗ってみせると宣言していたけれど、難しかったのかもしれない。どうにか意識を保っているようだが、いつまで抵抗できるだろうか。

 今の状態は苦しかろう。完全にサウロに支配される前に癒やしてあげなければと、フィオナは駆け寄ろうとする。

「待て!」

 しかし、カリストに腕を掴まれ、離れられない。

「やめてください!」

「君が手を取るべきは僕だろう? 目の前で君が求婚されているにもかかわらず、あの男はただただ傍観していた。君のことなんてどうでもいいと思っている証拠じゃないか!?

 会場のざわめきが大きくなる。

 それはそうだと納得しはじめる者もいて、セドリックに向けられる目が厳しくなる。

「僕は君を救いたいんだ!」

 カリストの主張に頷き、皆、一斉にフィオナに目を向けた。カリストの手を取れという無言の圧力を感じる。

 しかし、今のフィオナには周囲の反応を気にしている余裕などなかった。

「セドリックさま!」

 フィオナの必死の呼びかけに、セドリックはハッとする。両方の拳を握りしめて、ブルブルブルと大きく震えた。そうして、なにかを決意したようにゆらりと顔を上げる。

 彼の菫色の瞳が真っ直ぐにフィオナたちを捉えていた。顔色こそ悪いが、その瞳には生気が宿っている。

 フィオナは息を呑んだ。あの目は大丈夫だ。彼はまだ折れていない。

「私が傍観しているだけだと仰るか? ――カリスト殿下」

 一歩、二歩とセドリックが前に出る。これに焦ったのはサウロだった。セドリックを支える体で手を添え、絶対に彼を放そうとしない。セドリックが振り払えないことをいいことに、彼を魔法で縛ろうとしているのだろう。

 苦しいだろうに、セドリックは己を保ったまま、煮えたぎるような激情を瞳に宿していた。私、などと改まった言葉を使っているものの、その内に宿る静かな怒りが滲み出ている。

「大切な妻と引き離され、ありもしない噂を吹聴され、それでも、あなたとあなたの国になにかあってはならないと我慢をし続けていたわけですが、この我慢ももう必要ないと仰るか」

 セドリックがはっきりと意志を示していることに、カリストは顔色を変えた。

「どういうことだ、サウロ!?

 動揺を隠しきれなかったのか、セドリックの隣に立つサウロに話を振る。しかし、間髪を容れずにセドリックが語り出した。

「殿下、まだ私は答えを聞いておりません。――あなたさまは私を、とんでもなくひどい男と勘違いなさっているようだが、そのような事実はございません。私がフィオナを虐げている? そんなこと、あり得なさすぎて冗談にもなりません」

 話しはじめて調子が出てきたのか、口が回ってきた。ギュッギュと拳を握りしめながら、こちらに向かって歩いてくる。

「あと、そうだ。すぐに動けなかったのは――そうですね、私を陥れたいどなたかが、ご丁寧に毒を盛ってくれたようで、さすがの私も体が思うように動かず不覚を取りましたが――」

 彼がニマリと口の端を上げる。瞬間、カリストがヒッと声をあげた。

 カリストの気持ちは痛いくらいよくわかる。今のセドリックの表情は、冷酷な次期公爵なんて生易しいものを越えている。

 魔王だ。大魔王が降臨した。笑顔の裏に煮えたぎる怒りを隠し、ずんずんと前へと歩いてくる。

(って、セドリックさま! それ、逆効果っ! 逆効果ですっ!!

 どちらかというと、この場で必要なのは悪い噂の払拭だ。しかし、彼のこの表情は、余計に周囲を恐怖に陥れかねない。

 なまじ顔が整っているばかりに、その笑顔が恐ろしい。背筋が凍るとはまさにこのことで、カリストの隣に立っているフィオナまでも身震いした。

「な、なんだ。やめろ――私に近付くな」

 カリストが後ずさる。

 だって、彼がやっていることは言わば横恋慕だ。大衆を味方につけて美談にしようとしていたが、セドリックが見逃すはずがない。

「いくら他国の王子殿下であろうとも、我が愛する妻に手を出そうなど、許せるはずもありません」

 カリストの頬は引きつり、肌は青ざめている。瞼をぴくぴくと動かしながら、少しでもセドリックと距離を取ろうとする。その時だった。

「っ、痛っ!」

 乱暴に手を引かれた。フィオナの細い手首がミシリと音を立て、ひどく痛んだ。とてもではないが、女性に対する扱いなどではない。

 今のフィオナは、誰から見ても人質のようだった。会場にざわめきが広がるが、カリストにそれを気にする余裕などないようだ。

「サウロ! サウロなにをしている! その男を止めないか!」

 カリストの呼びかけにサウロが飛びかかる。しかし、セドリックに触れた瞬間、バチッとなにかの力に弾かれた。

 魔法だ。きっと無意識に、セドリックの魔法がサウロという存在をはね除けている。それが少なからず、サウロの精神阻害自体も弾いているのだろう。

(サウロの魔法を弾いた!? セドリックさま、よかった! これで――!)

 勝利を確信しようとした瞬間、フィオナは気付いてしまった。

 ザッと背筋が凍るような心地がした。

 赤だ。

 ぽとりぽとりと、ほんのわずかだが、赤が落ちている。

 セドリックの右手。綺麗なはずの白い手袋に、なぜか血が滲んでいるのだ。それが手袋の布程度では吸いきれず、床にしたたり落ちはじめている。

 いったいどれほどの出血をしているのだろうと、フィオナは顔面蒼白になった。

(どうして!? いつ、怪我を……!?

 よく見ると彼の手は震えていた。まるで激しい痛みに耐えるかのように。

(嫌だ、セドリックさま、やめて!)

 もしかして、サウロの魔法に負けぬようにするためだろうか。彼自身が意識を保つために、己の体を犠牲にしている。

「セドリックさま!」

 今すぐ彼に近寄りたくて、叫び声をあげる。カリストの手を振り払おうとするも、男性の力には勝てない。必死で抵抗するが、フィオナはずるずると引きずられてしまう。

「私のフィオナになにをする……!」

 いよいよ取り繕う余裕もなくなったらしく、セドリックの言葉遣いが荒くなった。今にも飛びかからんとする彼に、カリストは必死で呼びかける。

「僕に手を出そうとでも!? 馬鹿め! ――衛兵!」

 いよいよ交戦になるかと思われたその時だった。

「あーあ。我が弟ながら、見苦しい。お兄ちゃんの教育が足りなかったかな」

 よく通る声が、入り口の方から響いてきた。

 その声を、この会場の人々はよく知っているのだろう。まさか――という声がそこここであがる。

 開かれた大扉の向こうには、人影がふたつ。ひとりは、フィオナたちもよく見知った顔だ。いつの間にか姿を消していたアランが、ある人物を支えるようにして会場の中へと歩いてくる。

 そんなアランに支えられたもうひとりの姿を見て、誰もが驚きの声をあげた。

「クラウディオ殿下!?

「殿下が、まさか――!」

 長く公の場に姿を現さなかった第一王子。そんな彼が満を持して現れたことに、戸惑いと喜びの声が広がっていく。それだけで、彼がこの国の貴族たちからどれほど支持されていたのかがよくわかった。

 いつもはだらんと伸ばしっぱなしになっていたセミロングの髪は、繊細な飾りの髪留めでひとつにまとめて肩にかけている。それだけで随分とキリリとした印象だ。詰め襟のコートも着崩すようなこともなくカッチリと整え、皆の前ではアランの支えは不要とばかりに、その場に凜とした様子で立つ。

 夕日が沈む海の色をした瞳がフィオナとカリストを――それから、セドリックとサウロをそれぞれ捉える。一部始終を見ていたようで、彼はほんのわずかに悲しそうに眉尻を下げるも、すぐにいつもの底の見えない笑みを浮かべた。

「アラン殿、ここまで連れてきてくれて感謝する。――もう大丈夫だ」

「はーい、お安いご用ですよ」

 いつの間に懇意になったのか、すっかり打ち解けた様子である。アランが一歩横に引くと、クラウディオは赤い絨毯の上を真っ直ぐ歩きはじめた。

 やはり、かなり無理を押してやってきたのだろう。少し足もとが覚束ない様子だが、それでも彼はどうにかこちらに向かってくる。皆が彼のために道を空け、やがてフィオナたちの前までたどり着いた。

「あ、あ、あ、兄上! どうして――!」

「どうしてもこうしても、建国を祝う日の大夜会に第一王子が出席することに、なんの疑問がある?」

「体調を崩していらっしゃると」

「ああ、そうだな。誰かさんの毒?のおかげでな――」

 クラウディオは、サウロをいちべつした。サウロがぶるりと震え、後ずさる。ただ、逃げるようなことをするつもりはないらしく、ギュッと拳を握りしめている。

 しかし、今のクラウディオの意識はカリストの方へと向けられているようだ。すぐに視線をもとに戻し、フィオナの手を強く掴んだままの彼に、呆れたように言い捨てる。

「それが懸想している相手に取る態度か? 男の風上にもおけないな」

「なっ――!」

「フィオナ。――そうも強く掴まれては、痛むだろう?」

 さすがにクラウディオを無視するわけにはいかず、カリストはしぶしぶフィオナの腕を放した。

「っ、ありがとうございます、殿下っ」

 どうにか感謝を伝えるも、フィオナはすぐに彼に背を向けた。だって、今はセドリックだ。一秒でも早く彼のもとへ駆けつけたい。

「セドリックさま!」

 随分と顔色が悪い。

 フィオナがカリストを振り払えなかったせいで、長く無理をさせてしまった。

 彼を支えるように強く抱きしめてから、ふたりで膝から崩れ落ちる。不格好に床に膝をつきながらも、フィオナは彼のことをぎゅうぎゅうに抱きしめた。

「――ここまで見せつけられて、どうしてこのふたりが愛し合っていないと言えるんだ、お前は?」

 背後から呆れたようなクラウディオの声が聞こえてくる。でも、今のフィオナの意識はセドリックのもとにある。血が滴る彼の右手に手を伸ばし、表情をくしゃくしゃにした。

 セドリックも、少し気まずさがあるのだろう。見られるのははばかられるのか、彼はその手を後ろに引くような素振りを見せる。けれども、逃がしてあげない。パシリと彼の手を掴まえ、ゆっくりと開かせる。

「こんな――ここまでして」

 泣きそうになった。そこには大きな硝子の破片がひとつ握り込まれていたからだ。

 手袋は無残に穴だらけになっていて、あちこちにひどい創傷がある。深く肌がえぐれているところがあって、その痛々しさに息を呑んだ。

 心臓が縮み上がりそうなほどの恐怖だ。どれほどセドリックに無理をさせていたのかと、考えるだけで苦しくなる。

「セドリックさまの馬鹿! お馬鹿!」

「意識を保つために必死だったんだ。名誉の負傷ということにしてくれないか」

「しません。許しません、こんな」

 セドリックはひどい人だ。今度こそ、相手の魔法を弾いてみせると豪語していた。

 いつもの澄ました顔で余裕を見せておきながら、実はこんなにも無茶をしていたなんて。

「あのままアイツに縛られて、フィオナを手放すことになることだけは看過できなかったんだ」

「それでも、許しません」

 ほろほろほろと、涙が溢れていく。

 あまりに痛々しい手に、フィオナは己の手を重ねた。

 少しでも、痛みが治まればいいのに。そう願いながら、祈りながら、愛しい彼の手を己の頬に当てる。

「――フィオナ、君が汚れる」

「ちっとも気にしません」

 その光景を、誰もが無言で見ていた。

「――このふたりを前にして、今出回っている荒唐無稽な噂とやらを信じる阿呆はいるか?」

 肩を竦めながら、クラウディオが訴える。

「まったく。この国の貴族の目は節穴か? よく、こうも暑苦しいくらい相思相愛のふたりの仲を疑えるな」

 小馬鹿にしたようなもの言いだが、クラウディオらしい。皮肉めいた言い回しで、周囲の貴族たちを黙らせる。

「カリスト。己の欲望のために、よくも他国の大事な客人に手を出したな」

「違う! 私にはフィオナが――!」

 必要だ。そう言おうとして、できなかったらしい。

 だって、カリストがフィオナを愛していなかったことなど、すでに明白だ。そうなると、表向きにはカリストがフィオナを娶る理由がなくなってしまうのだ。

 今はまだフィオナが女魔法使いであることを公表できる状態ではない。だって、ここにはオズワルドが目を光らせている。女魔法使いだから強引にセドリックとの離縁を迫ったなどとなれば、絶対に国際問題になる。

 いや、なんならすでに問題は勃発していると言ってもいい。

 カリストはオズワルドの大事な右腕であるセドリックを陥れようとしたのだ。その理由がなんであれ、見過ごされるものではない。

「それに、なんだ? あの雑な取引は。いつの間にお前が、関税に関する全権を任されるようになった?」

「それは――」

「見苦しい。これ以上王家の顔に泥を塗らないでくれ。――お前たち、カリストを退室させろ」

「まっ! おい、お前たち、なにをする――!?

 衛兵たちに引っ張られる形で、カリストが会場の外へと連れていかれる。騒然とする会場内で、クラウディオが次に目を向けたのはサウロだった。

 彼がこの場に姿を現した瞬間から、サウロも覚悟を決めていたのかもしれない。一切申し開きをすることもなく、頭を垂れ、その場に膝を折る。

 クラウディオはそんな彼を見下ろしながら、そっと息を吐く。

「――残念だ」

 低いその声は、どこか諦めたようでもあった。

 やはり、クラウディオにとってサウロは大切な臣下だったのだろう。

 クラウディオを欺き続けた男だ。クラウディオ自身も、サウロの裏切りには気付いていたはずだ。それでも、そばに置きたいと思うほど、彼のことを信頼し、頼りにしていたのだろう。それを、このような形で断罪するのは苦しかろう。

 それでも、クラウディオは決別を選んだ。

「私が諦めたせいだ。至らない主で、本当にすまない」

 なにを、とは教えてはくれなかった。しかし、サウロには十分以上に伝わったのだろう。

「――――っ、申し訳、ありま、せ」

 ずっと無表情だったサウロが、表情を崩す。涙をこらえることすらできなくて、人目を憚らずどうこくした。

「この男は、この国の第一王子である私と、リンディスタ王国の友人セドリック・ウォルフォード殿に攻撃魔法を仕掛けたはぐれ魔法使いだ。――連れていけ」


 王子たちによる大立ち回りのおかげで、すべて片付いた。

 もちろん会場内は騒然としていたが、時間が経つにつれ平穏を取り戻しつつあるらしい。ホール裏にあるこの控え室にまで、優美な音楽が聞こえてくる。皆を落ちつけるようにと、今は少しゆったりとしたリズムの曲が流れているようだ。

「もう、セドリックさまの馬鹿! お馬鹿!」

 そんな音楽を背景に、フィオナは頬を膨らませながら奥の椅子に腰かけているセドリックの手を取っていた。

「くくっ」

「どうしてそんなに嬉しそうなんですかっ! わたしは怒っているのですよ!?

 事前に、サウロは引き受けたと言っていたけれど、こんな無茶をするだなんて思わなかった。

「ああ、わかっている。反省しているとも」

「全然わかっていませんよっ」

 普段だと折れるのはフィオナの方だが、彼が無茶をするというのなら話は別だ。ぷりぷりと怒ってみせるも、セドリックはますます笑みを深くするばかり。

「――なんだか、一生分馬鹿と言われた気分だと思ってな」

「これからセドリックさまが無茶をされるたびに、言って差し上げますっ」

「それは楽しみだ」

「もう! だから無茶をなさらないでくださいってことです!」

 なんてわからず屋なのだろう。こちらは真剣だというのに、セドリックは随分と上機嫌だ。

 すべてが解決して安堵しているのはわかる。それにしても、もう少し身を入れて聞いてくれたらいいのにと思う。

「殿下殿下ぁ、セドさんって、実は奥さんに怒られたら喜んじゃうマゾだったの、知ってました?」

「いや、知らなかったな。尻に敷かれて随分嬉しそうに見えるな」

「セドさんの部下が見たらどんな顔するかな」

 ニマニマとこちらの様子を見下ろしているのはオズワルドとアランだった。彼らもまたセドリックを心配して、ついてきてくれたのだ。

 そしてもうひとり。最後の最後ですべてをまとめてくれた、この国の第一王子クラウディオも。

「まったく、フィオナはおとなしいようでいて、なかなかに容赦がないからな」

 からかうような口調でそう言いながら、笑っている。

「お前にフィオナのなにがわかるっていうんだ」

「わかるさ。――というか、相変わらずの態度だな、お前は」

 かと思えば、セドリックとぽんぽんと言い争いを始めてしまった。

 そういえば、セドリックたちはいつの間にここまで砕けた間柄になっていたのだろう。フィオナがパチパチと瞬いていると、クラウディオが苦笑いを浮かべながら、肩を竦める。

「フィオナは本当に容赦がない。私みたいな存在を見捨てず、自分の正体がバレる心配を押して、どうにか助けようとしてくれるくらいにはな」

 それはつまり、頑固者と言いたいのだろうか。まるで褒められた気持ちにはならないが、クラウディオはどこか曖昧な笑みを見せた。それからすぐにフィオナの右手を取り、恭しくキスを落とす。

「――君は貴重な存在なのだろう? この手にどれだけ救われたか」

「クラウディオ」

「あー、はいはい。また馬鹿のひとつ覚えみたいに口説くなって言うのだろう? ガミガミ怒ってばかりだと、そのうち愛想を尽かされるぞ」

「な!?

 クラウディオの意識はいつしかセドリックをからかうことに向いており、先ほどまでの表情はどこかに消えてしまった。今はまた、底の見えない笑みを浮かべている。

 そうしてフィオナに向かってパチンとウインクをして、宣言した。

「セドリックに飽きたらいつでも私のもとへ来るといい。正妃の座は空けておく」

「クラウディオ!」

 顔を真っ赤にしたセドリックの怒声に、クラウディオだけでなく、居合わせたオズワルドやアランまでどっと笑ったのだった。

 一件落着。皆の中ではそんな結論にたどり着いたのだろう。

 でもまだだ。フィオナは真剣な面持ちで、傷だらけのセドリックの右手に目を向ける。

「ちょっと待ってください。そんなことより、セドリックさま」

 雑談に花を咲かせたい気持ちはわかるが、今は治療と説教が先だ。唇を尖らせながら、フィオナはセドリックの手袋を外していく。

「そんなことより、ときたか……」

 クラウディオの呆れたような声は右から左だ。フィオナは真剣な面持ちでセドリックの手をしっかり見る。

 消毒や包帯は用意してもらっているが、まずは硝子の破片が残っていないか確認することが最優先だ。痛々しい傷を直視するのは、正直怖い。でも覚悟を決めて、セドリックの右手と向き合った。

「え?」

 だが、想像していた状態とは、随分かけ離れていた。

 彼の掌は無残に切り裂かれ、肉がえぐれるような深い傷もあったはずだ。なのに、血が止まっているばかりか、すでに薄ピンク色をした肉がこんもりと盛り上がっている。驚くほどの速さで、肉体が再生しはじめているのである。

「セドリックさま? あの、これは……」

「ああ。実はな、フィオナ。もう君が心配するほど痛んではいないんだ」

 セドリックが少し言いにくそうに笑っている。

「君のおかげだな」

「え?」

「会場で、君が私の手を心配して握りしめてくれただろう? 無意識に、魔力を流していたようでな。その後からだ、傷があまり痛まなくなったのは」

「でも、わたし――」

 フィオナは困惑した。

 確かに、フィオナには癒やしの魔力が備わっている。

 しかしそれは、アラン曰く『人の魔力の流れを正しく整えたり、浄化したりする能力』だ。体調や気分を整える効果はあっても、傷の治りが早くなるなど思わなかった。

(わたし、怪我を治すこともできるの……?)

 ここにきて新たな可能性を見つけてしまい、当の本人すらぽかんとしてしまう。

「――――これは大変なことだな」

 クラウディオがうめいた。フィオナから奪うようにしてセドリックの右手を掴み、治りかけの傷を凝視する。

「フィオナのこの力を知ったら、彼女を手に入れようとする輩が後を絶たないぞ? ――おい、セドリック、わかっているだろうな」

「ああ」

 セドリックの表情が一気に引きしまる。だが、クラウディオに手を掴まれたままなのは不本意なようで、さっと手を振り払っていた。その手を、今度はアランやオズワルドが覗き込み、難しい顔をしてみせる。

「確かに、こんな力は普通の術式に存在しないからね。癒やしの力――うーん、回復魔法と言うべきかな。いやいや、まいったな、これ」

 まさかあのアランまでもが考え込んでいる。

 そこまで稀少な力を持っているとは思わなくて、フィオナはきょとんとした。それから後になって、じわじわと不安が押し寄せてくる。

 女魔法使いというだけで、ナバラル王家の王位継承権争いに巻き込まれたのだ。フィオナの力にさらなる付加価値が宿ったとなれば、今度はなにに巻き込まれるのか。想像するだけで不安になり、俯き、すっかり黙り込んでしまう。

 そんなフィオナの頭に、ぽんと大きな手が置かれた。顔を上げると、そこには優しい微笑みを湛えるセドリックがいる。菫色の瞳が細められ、なんだか誇らしげに笑っていた。

「大丈夫だ」

「セドリックさま」

「大丈夫。私たちは、きっと」

 不思議な気持ちだった。セドリックがこうもはっきりと言い切ってくれるだけで、心の奥の不安が解けていくみたいだ。

「だから今は、ちゃんと君を護りきれた私を褒めてくれないか」

 そんなことを言われたら、叶えないわけにはいかない。

 フィオナは立ち上がり、椅子に座ったままの彼の胸に飛び込んだ。待っていたとばかりに、彼の熱い抱擁が返ってくる。

「やれやれ」

「まったくお熱い夫婦だな」

 アランやオズワルドが肩を竦めながら、視線を外してくれるのがわかった。

「最後に君たちを助けたのは私なのだがな。――まあ、いい。これまでのフィオナの恩義に免じて、引いてやるか」

 そう言いながら、クラウディオまでもが目を逸らす。

 この距離でセドリックとふたり向き合って、我慢することなどできない。はにかみながら、そして微笑みながら目を閉じる。

 互いの吐息を感じるほどの距離が、さらに縮まっていく。

 唇に触れる優しい体温を感じながら、フィオナは願った。

 どうか。

 どうかこの人と、いつまでも一緒にいられますように――と。