第四章 新婚旅行のはずだったのに


 そうして、ナバラル王国での日々は始まった。

 すっかり出鼻はくじかれたものの、フィオナたちは早速ナバラル王国を堪能することにした。気持ちを入れ替えて、中心街を訪れたのである。

 中心街は別荘街から馬車を三十分ほど走らせた場所にある。どこかゆったりとした雰囲気の別荘街とは違って、モダンな建物が建ち並ぶ先進的なエリアだった。

 ナバラル王国の伝統建築と言えば白い建物で、昔の建物が神話をモチーフとした装飾がたっぷり入っている。しかし、この中心街を彩る建造物は全然違う。幾何学模様が彫り込まれ、デザイン自体はシンプルながらも色彩でメリハリをつけた印象的な建築物が多かった。どれもこれも見たことのない形の建築物ばかりで、ついきょろきょろしてしまう。

「すごいですね、セドリックさま」

「ああ、これほどとは」

 リンディスタ王国の中心街とはまるで雰囲気が異なっている。集う人種も様々なようで、顔立ちも、肌や髪、瞳の色など、多様な人々が行き交っている。

 ただ、この中心街には観光客や貴族が多いのか、皆、どこか身なりがよく落ち着いた雰囲気だ。フィオナたちもリンディスタ王国風の衣装に身を包んでいるが、浮いている様子はなかった。

 周りの店は、服飾や宝飾、レストランなどが多い。他国の富裕層を相手にしているからか、店の入り口に立っている従業員もよく訓練されている。

 もともとはこのエリアもかなり素朴な、伝統的な街並みが残る観光地だったが、すっかり様変わりしたのだという。モダンな建物ばかりで、つい珍しいものを見る目できょろきょろしてしまう。セドリックも様変わりした街を見るのは初めてのようで、興味深そうに歩いていく。

「ほら、フィオナ。おいで――」

 そうして連れていかれたのは、宝飾品店だった。

 普段からセドリックはすぐにフィオナに高価な贈り物をしたがるけれど、早速とは――と恐縮しつつも、店の中を見てハッとする。

 ルビーやエメラルド、ダイヤモンドといった定番の宝石を使ったものの他に、店の目立つところにずらりと、優しい色彩の宝飾品が並んでいたからだ。

「綺麗……」

 カメオである。母が愛したシェルカメオを中心に、赤い色彩を帯びたサンゴカメオ、メノウやトルマリンに彫り込まれたストーンカメオまでそろっている。

 フラフラと吸い寄せられるように商品棚の前まで歩くと、セドリックがすぐ隣で満足そうに笑っているのがわかった。

「君の好みに合いそうか?」

「はい。もちろん。……かわいい……!」

 こくこくと頷きながらも、フィオナはすっかり目の前のカメオの数々に夢中になっている。

(こんなにたくさんの種類があるのね。あ――これ、お母さまが持っていたものに似ている)

 懐かしい気持ちになり、フィオナは口もとを緩めた。

 母はカメオを収集するのが好きで、特にブローチにしたものを数多く所有していた。いつもその胸に優しい輝きを宿していた母の姿を思い出し、フィオナは相好を崩す。

『いつか、あなたが似合うようになったら、とびっきり素敵なブローチを贈るわね』

 ついぞその約束が果たされることはなかったけれども、今も心の中で大切な思い出として輝いている。

 いつかカメオの似合う女性になりたい。幼いながらも、そんな将来を夢見て、フィオナはこれまでを生きてきた。少しはその夢に近付けていたらいいと思うが、どうだろうか。

 フィオナは優しい表情を浮かべ、目の前に並んだカメオを見回す。

「どれも素敵ですね、目移りしてしまいます」

 リンディスタ王国でも取り扱いはあるが、その比ではないほどに様々な絵柄が彫り込まれている。定番の神話を模したものや乙女の横顔の他、などのごうしゃな花やどうや木の実等の素朴な自然を感じる絵柄、それからウサギや鹿などの森の動物まで様々だ。

 カメオと言えば、てっきり女性の絵柄というイメージがあったけれども、実際はとても自由で想像力豊かなものばかりだ。フィオナが刺繍を刺すのと同じ感覚で、それぞれ職人が頭を悩ませて絵柄を彫り込んでいるのだろう。ひとつひとつの作品に歴史と想いがこもっている気がしてとても親しみ深くなる。

「お気に召すものはございますか? 当店では職人と直にお取引をさせていただいており、オーダーメイドのお品もご用意できますよ」

「さすがナバラル王国ですね……!」

 フィオナは目をキラキラと輝かせながら、職人の技を堪能する。

 ナバラル王国と言えばシェルカメオの素材となるコーネリアンシェルがとれることも有名だが、それをそのまま国内で細工する技術も持っている。世界中に出回っているシェルカメオのほとんどがこの国で生産されていることはフィオナも知っていたが、実際目の当たりにすると、想像力溢れる作品の数々に圧倒された。

(この作品、女性の髪飾りの細やかさがすごいわ。単色でも、立体に段を重ねることで上品に、華やかに見えるのね。この技術、刺繍でも活かせないかしら――)

 完全に、自分の趣味に繋げてああでもない、こうでもないと想像を膨らませる。自然と手が縫うような仕草をしてしまい、横でセドリックがくっくっと笑い声を漏らした。

「っ!? すみません、セドリックさま! わたしったら、つい」

「いや、いいんだ。君が嬉しそうでなにより。好きなだけ堪能するといい」

 セドリックは心底楽しそうに口もとを押さえている。

 今日もやってしまった。この国にやってきてからずっとだ。初めて見るものや景色についはしゃいでしまう。

 朱に染まった頬に手を当てて目を逸らすも、セドリックにも店員にもとても温かいものを見る目を向けられている。

 今度こそお淑やかに商品を見ようと深呼吸するが、やはり素晴らしい意匠の数々を見るだけで、すぐに意識を奪われてしまったのだった。

 ――その結果。

「……お恥ずかしい限りです」

 店を出るなり、フィオナはがっくりと肩を落とした。

 このようなことは初めてだった。普段は遠慮がちで、自分からものをねだることもないフィオナが、勧められるままに次から次へと購入を決めてしまっていただなんて。

 いや、店員だけでなくて明らかにセドリックも加担していた。フィオナが気になる意匠について語るたびに『では、これも包んでもらおうか』と購入を決めていたのである。肝心のフィオナは、目の前の商品に夢中でセドリックの声すら届いていなかったのだ。

 完全にやってしまったと思うのに、隣を歩くセドリックはずっと笑っている。

「フィオナは欲がないと思っていたが、なかなかに愛らしい一面が見られたな」

 なんだかとても上機嫌だ。

「欲がないわけではないのですよ」

 ただ、物欲という方向にはなかなか頭が働かないだけだ。口を尖らせてそう告げると、セドリックはますます嬉しそうに何度も頷く。

「わかっている。――でも、君が喜んでくれるのなら私も贈りがいがある。どうか、素直に受け取ってくれないか?」

「すみません」

「私が欲しいのは謝罪ではない。――わかってくれるな?」

 ニマリと口の端を上げるセドリックを見上げながら、フィオナはこくりと頷いた。彼の意を正しくんだフィオナは、彼と組んでいる腕にキュッと力を入れる。そうしてぴったりとくっついて、呟いた。

「ありがとうございます。大切にします」

「ああ」

 セドリックは表情をくしゃくしゃにして、余っている方の手でフィオナの髪の束をすくい取る。そこに恭しく口づけを落とすと、フィオナだけでなく道行く人までが彼の姿に見とれていた。

(誰から見ても、本当に美しい人だから……)

 国が違えど、セドリックの持つ魅力はそのまま伝わるらしい。まるで彫刻のように整った顔立ちに、太陽の光を受けて艶々と輝く黒い髪。吸い込まれるように深い菫色の瞳――どこを見ても完璧な旦那さま。こんな人に愛されているだなんて、今でも不思議でならない。

 つい、ぽーっと見とれてしまうと、セドリックは少し照れるように笑った。

 中心街をふたりで歩く。宝飾品店を皮切りに、小物や食器、家具店なども見て回り、モダンな商品と異国情緒溢れる伝統的なものが入り交じる街を楽しんだ。

 どこもかしもが刺激的で、フィオナの創作意欲もどんどん膨らむ。一度別荘に帰って、今日見たものをスケッチするのもいいかもしれない。これからの新しい刺繍のアイデアがたくさん生まれそうだ。そんなことを考えながら街のあちこちを目にしている中で、あることに気が付いてしまった。

 それは、きらびやかな街に馴染まない、この国のもうひとつの面とでもいえばよいのだろうか。

 楽しそうに散策を続けるフィオナとセドリック。あるいは他国から来た観光客を、まるで物色するかのごとくに見回す男たちがいる。どこかくたびれた服に身を包んだ人間が、まるでこちらを見定めるかのような目で見つめてくるのだ。

 煌びやかな街と路地裏の対比が目に焼きついて、ふと、足を止めてしまいそうになる。しかし、セドリックが強く引っ張ってくれて、フィオナはハッとした。

「――どこの国も、抱えている問題は同じだな。いや、ここは急激に発展した分、闇が深いのかもしれないが」

 セドリックがぼそりと呟いた。

 街を行き交う人々は様々だ。ただ、フィオナたちは身なりがよいだけでなく、周囲に誰も供を連れておらず、彼らにとっては格好の餌食なのかもしれない。

 大勢行き交う街の人々の中で、おそらく狙いやすい対象として見られたのだろう。こそこそと後をつけられているような気配があり、一気に緊張感が高まる。

「せっかくのデートが台なしだな。さっさとケリをつけるか」

「セドリックさま?」

 顔を上げると、セドリックは大きく息をついた。

「すまない、フィオナ。絶対に君に危害を加えさせないと約束するから、少し付き合ってくれ」

 そう肩を竦めてみせてから、わざと人通りが少ない細い道に入る。建物の影のせいか周囲がかなり薄暗く感じ、緊張でフィオナの体が強張った。

 セドリックの狙い通りなのか、後ろから近付いてくる足音が聞こえる。ひとつではなく複数だ。人通りの少ない石畳の道で、それらの足音が妙に大きく響いた。

 ある程度大通りから離れたところで、セドリックは足を止めた。それからくるりと振り向き、フィオナを護るように一歩前へ出る。

「まったく、私の妻を怖がらせないでほしいのだが?」

 眉をり上げ、低い声でそう宣言する。瞬間、たいする男たちから野卑な笑い声が細い通りに響いた。

「随分格好つけているじゃねえか」

「他国のお貴族様が偉そうに」

 こちらに歩いてくる男の人数は四人。皆、フィオナたちとは明らかに人種が異なる男たちだ。どこかエキゾチックな印象で、その姿が誰かに重なった気がした。ただ、その誰かがすぐに思い出せなくて、フィオナは眉根を寄せる。

 いや、今は深く考えている余裕はない。人数では圧倒的にこちらが不利だ。それに、荒事という場面ではフィオナはお荷物でしかない。

(どうしよう。――でも、ここに誘導したってことは、セドリックさまにも考えがあるのよね)

 そう信じて、セドリックの背中をジッと見つめる。

 絶対に彼の邪魔になりたくない。だからフィオナは、セドリックの一挙手一投足を見逃すまいと、身構えた。

「デートの邪魔をして悪かったな。だが、慈悲深いお貴族様に相談があるんだ」

「ちょーっとお恵みをもらえればいいだけだ。アンタたちにとって、そんなものははした金だろう?」

「なんなら奥さまのつけている宝石でいいぜ」

 男たちはニタニタと笑いながらこちらと距離を詰めてきた。皆、懐からナイフを取り出す。その刃がギラリと光って、フィオナは息を呑んだ。

 まさか刃物まで持ち出すとは。自然と体が震え、背中に冷たい汗が流れる。

「大丈夫だ、フィオナ」

 しかし、セドリックの声は力強かった。厳しい表情をしたまま、手を横に伸ばしてフィオナを護ってくれる。そうして彼は冷ややかな目で男たちをにらみつけた。

「生憎、お前たちのような男にやるようなものはなにひとつ持ってなくてな」

「なに?」

「働きもせず他者から奪うことしかできない能なしどもに、くれてやるものはないと言っている」

 セドリックの言葉に男たちの顔つきが変わった。四人がこちらを取り囲むために広がり、フィオナたちも一歩二歩と後ずさる。

「フィオナ、下がっていろ」

 そうセドリックが言ったところで、四人の男たちが一斉に跳びかかってくる。問答無用で襲いかかられるとは思わなくて、フィオナは心臓が縮み上がる。

 ギュッと体が強張り、考える前に叫んでいた。

「セドリックさま!」

「任せろ!」

 セドリックは揺るぎなかった。一切振り返ることなく、男たちの動きに集中する。

 ナイフをかざしたまま男が突っ込んでくる。それだけで呼吸すらできなくなり、フィオナは震える腕を抱きしめた。

 悪い予感だけが膨らんでいく。とっに目を閉じたくなるのを我慢して、セドリックを見つめた。

 しかし、心配する必要などどこにもなかったらしい。

「甘い!」

 セドリックはひらりと身を翻し、あっさりと男のナイフを避けた。そのまま男の右腕を引っ掴み、ぐるりと反転。背負い投げるようにして、男の体を地面に叩きつけた。

「ぐあっ!」

 カエルのような鳴き声が響きわたり、他の男たちが顔色を変える。

「こいつ、できるぞっ!」

 身ひとつで軽く相手をいなしたセドリックに対して、ようやく警戒心を持ったらしい。

「このっ、お貴族さまのクセに!」

 そう言いながら突撃してきたふたり目もひらりと避け、肘関節に一撃を入れる。衝撃で体勢を崩した男のみぞおちに、追い打ちとばかりに回し蹴りを食らわせた。長い脚で描く軌道があまりに見事で、フィオナは口をぽかんと開ける。

 そうしてセドリックは薄く笑いながら、他のふたりに目を向けた。

 ふたりは後ずさるも、ちょうど騒ぎに気付いた街の人々が細い路地を覗き込む。

「強盗だ! 警備兵を呼んできてくれ!」

 そんな人々に向かってセドリックが叫ぶと、道行く者たちが顔色を変えた。向こうで人々が慌ただしく騒ぎはじめる。

「この野郎! 黙りやがれ!」

 いよいよ逃げ場がなくなって、顔を真っ赤にしたふたりが、タイミングを合わせて一斉に飛びかかってくる。頭に血が上っているのか目がらんらんと輝き、もはや本気でセドリックを刺しにきていた。

 いくらセドリックが強くとも、ふたり相手は――と、フィオナは震えた。胸の前で手を強く握りしめる。

 だが、セドリックは余裕の表情だった。口の端を上げながら、左腕を前にかざす。瞬間、ごうおんが鳴り響くとともに、爆風のようなものが湧き起こった。気が付けば男たちはふたりして宙を舞い、そのまま地面に落下していく。

 なにが起きているのかわからなかった。

 まるでなにかが爆発したような音がしたが、地面も建物もどこも崩れていない。砂埃が舞い散る路地で、四人の男は倒れたまま動かない。

「――ふむ、少しやりすぎたか。まあ、デートの邪魔をしてくれたんだ。これくらいはな」

 そう冷たく言い捨て、セドリックはパンパンと手を払っている。

「まさか」

 オロオロしつつ声をかけると、彼はニマリと微笑みながら振り返った。

「君に負けていられないからな。私だってそれなりに訓練を積んでいる」

 その言葉でようやく納得した。

 魔法だ。セドリックの魔力本来の性質をそのまま活かした攻撃魔法。

 フィオナの魔力は白。相手の魔力を整えて癒やす力があるとすれば、セドリックの魔力は紫だ。ものを攻撃して破壊する力があると聞いている。

(勝手に炎や雷が出たり爆発したりするイメージを持っていたけど、ちょっと違うみたい)

 目の前の光景を見つめながら、フィオナはぼんやり考える。

 フィオナとは別に、彼もアランに師事しているとは聞いていたが、かなり自在に魔力を操ることができるみたいだ。可視化しにくいフィオナの力と異なり、セドリックの魔法はなかなかに派手だ。

 魔法省に所属しているわけではないから、セドリックも魔法使いとして術式を覚えているわけではない。この魔法も純粋にセドリックの魔力の性質を利用したものにすぎない。それで、ここまでの威力を発揮するのだから驚きだ。

 いくら中心街でも、リンディスタ王国と比べると治安がよくないと聞いていた。そんな中、セドリックが護衛不要だと言った意味がわかった。

 セドリックは文官だという認識が強かったが、かなり荒事に対する適性があるらしい。フィオナの想像以上に戦い慣れていた。

「驚かせてしまったか? すまない、昔の血が騒いでな。学生時代は、オズワルド殿下に手を出そうとするやからを追い払うのも私の役目だったんだ」

 なんて、セドリックは少しいたずらっぽい笑みを浮かべている。

 いったいどんな学生時代を送っていたというのだろうか。初めて知る彼の一面にあっに取られるも、同時に安堵したらしい。急に膝に力が入らなくなって崩れ落ちそうになったところを、セドリックに抱きとめられた。

「おっと! ――怖がらせてしまったな。すまない」