第三章 もしかしたら天敵かもしれない


 別荘の一階、開放的な居間にてゆっくり朝食を楽しみ、今日からなにをしようかとセドリックと話し合う。

 昼間に浜辺を歩くのも楽しそうだし、華やかだと噂の中心街に出るのも魅力的だ。さすが観光業が盛んな都市だけあって、買い物も食事も、それから遊戯や観劇など遊ぶ場所もあまたあるらしい。どこもかしこも興味がある場所だらけで目移りしそうだ。

 ただ、どうもセドリックが寝不足な様子で、ちょっとだけ心配だ。フィオナがベッドを占領してしまったいせいで、寝づらかったのだろう。

 事情があったとはいえ、もともと寝つきの悪い人だという認識がある。そんな彼にもっとぐっすり眠ってもらえるように、刺繍入りのシーツも持ってきてもらった方がよかったかもしれない。

 なんて、フィオナがあれこれ考え込んでいることもお見通しらしい。セドリックは肩を竦めながら、大丈夫だと笑った。――空元気のような気もするけれど。

 気を取り直して、今日からの予定を立てる。ふたりして観光用のリストを見ながら目を輝かせていたところに、誰かがやってきたのか、人を呼ぶためのベルが鳴り響いた。

「――こんな時間から? いったいどなたでしょう?」

 そばに控えていたロビンが首を傾げる。

 使用人のひとりが確認し、戻ってきた。セドリックの耳元でなにかを告げると、彼は驚いたように目を見張った。

 セドリックの纏う空気が急にピンと張り詰め、まるで仕事をしている時のように表情が厳しくなる。なにか思い詰めるような様子に、フィオナは小首を傾げた。

「どうなさったのですか?」

「いや、昨日フィオナが助けた男の従者が礼を言いにやってきたらしくてな」

 そう言われるなり、昨日の男性の姿を思い出す。彼がその後大丈夫だったのか、気になっていたのだ。

「まあ、そうなのですね! あの方はご無事だったのでしょうか。随分と顔色が悪くて」

「そうだな。話を聞こうと思うが、フィオナは」

「もちろん同席いたします」

 客人への対応は、セドリックの奥方としてしっかりできるようになりたい。それが今のフィオナの目標だ。

 セドリックの性格上、ウォルフォード公爵家のタウンハウスには社交目的での訪問者が少ない。だから対応経験が圧倒的に少ないのだ。

(オドオドしないで、背筋をピンと伸ばして、優雅に)

 大丈夫、自分ならできると言い聞かせる。

 サウロとかいう件の従者には、オロオロしている姿をすでに見られてしまっている。でも、あれは非常事態だっただけだ。今度こそきちんと対応してみせようと、気持ちを引きしめた。

 そうしてサウロを客間に招き入れ、向かい合う。サウロはあくまで使いであるためか、ソファーに座ることを固辞した。

 少し浅黒い肌に焦げ茶色の髪を持つ彼は、なんともエキゾチックな印象だ。不思議な気持ちで見つめていると、彼もなぜか興味深そうな目をこちらに向けてくる。――こちらというか、なぜかフィオナを。

 つり目の三白眼で見つめられると、少し責められているような気持ちになる。多少戸惑いつつも、ここは笑顔で対応するべきだ。

 セドリックと顔を見合わせて頷き合う。そうして、こちらから軽く自己紹介をしたところで、「あなたは?」と話を切り出した。

「改めてご挨拶をさせていただきます。私はかの主の下僕、サウロと申します」

 下僕という言葉をなんの躊躇もなく使用することに戸惑いつつも、フィオナたちは頷く。

「昨日は助けていただいたにもかかわらず、主の危機ゆえ、満足に礼もできず失礼いたしました」

「いや、君の主人の体調が思わしくなかったことは理解しているが――」

 セドリックがげんな顔つきをした。

 それも仕方がないことだろう。結局、彼の主が誰だったのか、彼は言っていない。それは名乗っていないことと同義だ。

「主の身分を明かさないことはお許しください。我が主はここ何年も体調が思わしくなく、こちらの街にて療養をなさっておりまして」

「つまり、体調不良を隠さなければならない身分ということか」

「左様にございます」

 それはかなり尊い身分か、あるいは資産家などではないだろうか。

 確かに、身なりこそシンプルではあったけれども、彼の主は独特の空気感を纏っていた。優雅でいて独尊とでも言おうか。世界が彼を中心に時を刻んでいるかのようなマイペースさ。

(なんて、別にお話をしたわけでもないのだから、はっきりとはわからないけれど)

 あくまで見た目の雰囲気から見た勝手なイメージだ。ただ、サウロのような従者を持つことからも、彼の主がただ者でないことはよくわかる。

 サウロはよく訓練されたいい従者なのだろう。所作も綺麗だし、なによりも主に対する忠誠心をひしひしと感じる。

「しかし、我らの別荘がここだとよくわかったな」

「調べましたので」

 あっさりと言い放つあたり、サウロにとっては難しくなかったのだろう。

 浜辺でのほんのわずかのかいこうだ。フィオナたちは特に名乗ったわけでもなく、そもそもこの別荘にたどり着いたのが昨日という他国の人間だ。それを少ないヒントからたった一夜で割り出すというのは、本当に優秀な人間なのだろう。

 そして、そんなサウロを雇っているという主とやらの身分も、相当なものだと考えられる。

「ご厚意に甘えてばかりで心苦しくはあるのですが、このたび、あなたさま方に――いえ、奥さまにひとつお願いがございます」

「え?」

 まさかの名指しに、フィオナはぱちぱちと瞬いた。隣に座るセドリックと目を合わせ、困惑した表情を見せる。セドリックが難しい顔をしながらも、フィオナの代わりに話を聞いてくれた。

「フィオナに? いったいなんだ」

「はい。実は主が、昨日奥さまに看病をしていただいた後、屋敷にて、体調がとてもよくなったと大層お喜びになりまして」

「それはよかった。――それで?」

「もしよろしければ、これからも奥さまに治療をお願いしたいと」

「…………なに?」

 セドリックの眼光が鋭くなる。

 思いがけないお願いに、フィオナ自身も戸惑い、息を呑んだ。

「看病もなにも、フィオナは彼に声をかけただけだ。我らは医者ではない。知識もなく、あの場でただ呼びかけることしかできなかった。そんな我らにこれ以上なにができると言うのだ?」

 セドリックの声がだんだん低くなっていくのがわかった。

 彼の纏う空気が冷たい。冷酷な次期公爵さまと呼ばれることもあると聞いていたが、なるほど、この空気感がその噂の源だったのかもしれない。そのようなことを、今さらながら実感する。

 それはそれとして、フィオナも平常心ではいられなかった。

 セドリックも隠そうとしてくれているが、サウロの主人の体調が本当によくなったのだとすれば、それはおそらくフィオナの魔法による効果だ。

(元気になってよかったわ。でも――)

 それはそれ、これはこれである。フィオナは、自分が女魔法使いであることがバレてはいけないのだ。

(安易に魔法を使ってしまったせいね。ごめんなさい、セドリックさま)

 だからこそ、このような面倒な依頼を引き起こしてしまっている。もちろん、表向きにはフィオナにはなんの力もないことになっているから、断れば済む話だが。

「我が主は、長らくの療養で心が弱っておいでです。そこをあなたさまに介抱されて、とても心が癒やされ、体調に影響を与えた――と私は認識しております。しかし主は、そうではない。気の持ちようなどではなく、確実に体調がよくなっていると主張されており」

「それで、フィオナにまた会いたいと?」

「左様でございます。できることならば、これからも定期的に治療を、と」

 そこまで聞いて、セドリックは大きくため息をついた。

 自分の感覚を信じすぎているというか、彼の主というのは中々に頑なな人物のようだ。気の持ちようなどという言葉では流されてくれないときた。

 フィオナは途方に暮れた。誰かの役に立てることは純粋に喜ばしい。でも、ここまで食い下がられるとは思わなくて、どうしたものかと目を伏せる。

「定期的などと。我らはリンディスタ王国の人間だ。しばらくしたら自国へ帰る。そもそも、この国には余暇を楽しみに来ただけだ。貴殿らの要望に応える義理もない」

「それも承知しております。もちろん、ご厚意に甘えるだけのつもりはございません。それ相応の礼はすると」

「相応の礼と言われてもな」

 ソファーにもたれかかり、セドリックは息を吐く。

 サウロの主は間違いなく、それなりに資産も権力もある人物だ。だが、曖昧な誘いをセドリックが受けるはずがない。

 優柔不断なフィオナとは違って、セドリックはそのあたりの線引きがはっきりしている。そもそもセドリックは、個人の資産も権力も十二分に持ち合わせているのだ。だから相応の礼などという言葉を魅力に感じるはずもない。

 けれど、この時ばかりは、思っていた反応と違う答えが飛び出した。

「…………少し考えさせてくれ」

 あまりに意外な反応に、フィオナはパッと彼の顔を見た。普段ならば、あっさり切り捨てておかしくないところを、考えるとはこれいかに。

「あくまで、我らはここへ観光に来ただけの他国の人間だ。貴殿らの事情に巻き込まれるのはごめんだからな。だから今は、検討するとしか言えない。それでも構わないか?」

「もちろんでございます」

「ならば、後で君の主の屋敷とやらに使いを出そう」

 サウロは胸の前で両手を合わせ、深々と礼をした。なるほど、これがナバラル式の礼の仕方らしい。そして何度も感謝の意を伝えながら、部屋を出ていく。

 別荘からサウロの気配が消えるなり、セドリックがはぁーっと深いため息をついた。

 セドリックがフィオナの前でため息をつくのは珍しい。自分のせいで、面倒事に巻き込んでしまい、申し訳なくてならない。

「すみません、セドリックさま。昨日、私が考えなしだったせいで」

「え? いや。そうではない」

 だが、セドリックは別のことを考えているようだ。

「優しい君が、倒れている人を放っておけるわけがない。それが君の長所だし、普通は君に治療してもらったところで、相手も察知できるものでもない」

「つまり、あの方の主と仰る方が普通ではないと?」

「そうだな。……まあ、普通の男とは言えないな」

 眉間にギュッと皺を寄せ、セドリックはもう一度大きく息を吐いた。そうして、なにかを決めたように大きく頷き、フィオナに向き直る。

「クラウディオ・シェロ・エメ・ナバラル」

「へ?」

「昨日、君が助けた男の名だ」

「……ナバラル?」

 とても聞き覚えのある響きだ。というよりも、新婚旅行にやってきたこの国の、国名ではないだろうか。

 嫌な予感がむくむくと膨らむ。だって、名前に国名を持つ人間など限られているのだから。

「まさか、ナバラル王家の方なのですか……?」

 偶然の出会いで、とんでもない大物を引き当ててしまったようだ。相手が誰かも気が付かず、ほいほいと治療の魔法を施してしまった自分のかつさに頭を抱えたくなる。

 ヒクヒクと頬を引きつらせていると、セドリックが沈痛な面持ちで頷いた。

「そうだ、彼の身分はこの国の第一王子。――あまり広く知られてはいないのだが、この国では今、水面下で王位継承争いが激化していてな」

「あ。だから――」

「療養中というのがバレるとまずい」

「なるほど」

 体調面に心配がある人を、次期国王に推すことは確かに難しいだろう。それは他に漏らすわけにいかない秘密であることも理解できる。

「だからあの方は、曖昧な言い方をなさっていたのですね」

 相応の礼、という表現も気になっていた。謝礼の規模から、身分を特定されるのを避けるためだろう。

「ナバラル王家の人間に、わざわざ君のことを紹介する必要性を感じない。だから、本来ならば断るところなのだが」

 セドリックが言葉に詰まる。相手は他国とはいえ王家の人間だ。安易に突っぱね、摩擦が起きるのを避けたいのだろう。

「…………フィオナ、実はな」

 けれど、セドリックが悩んでいるのは、また別のことだったらしい。

「今回の新婚旅行にあたって、オズワルド殿下からひとつの任務を引き受けていたんだ」

「え? 任務ですか?」

 思いがけない単語が飛び出してきて、フィオナはぱちぱちと瞬いた。

「あっ! いや! 君との時間に仕事を持ち込むことなど本来はあってはならない! それもわかっていたのだが、三週間という餌を目の前にぶら下げられて、だな」

「あ……」

 セドリックにしてはあり得ないほど長い休暇だなとは思っていたのだ。

 彼は本当に忙しい人で、三週間も王城から姿を消すとなると、困る人間も多いだろう。セドリック自身それをわかっているからこそ、あまり長期休暇は取らないようにしていたこともフィオナは知っている。

(とても周りの人思いで、優しい方だもの)

 冷酷な次期公爵だのなんだのと好き勝手言われているが、彼が誰よりも気配りのできる人間であることをフィオナはよく知っている。あまり仕事を休まないのも、周囲の人たちが働きやすくするための配慮だ。そんな彼が、フィオナとゆっくり過ごす時間を取りたいと願ってくれた。そのことがなによりも嬉しい。

(三週間という餌に飛びついてくださったのですね)

 ぽわんぽわんと、ぶらさがった餌に飛びつく菫色のおおかみをイメージして、頬を綻ばせる。普段のクールなセドリックとはまた違った一面が見られて、その微笑ましさにまなじりを下げた。

「大丈夫ですよ、セドリックさま。――それで、任務の内容をわたしがうかがっても?」

 問題ないのだろうか。小首を傾げると、セドリックは真剣な表情でこくりと頷いた。

「観光ついでにナバラル王国の様子を見てきてくれ、ということでな。実は、この国の王位継承権争いは我が国でもかなり注目している。正直、クラウディオ殿下に立ってもらわねば困るんだ」

 そうして、セドリックは順番に説明してくれた。

 この国にはふたりの王子がいる。

 ひとりがクラウディオで、彼はもともと優秀な王子だと他国からも評判が高かったそうだ。貿易や外交の手腕に優れており、油断をすると彼に搾り取られる一方になるが、対等な関係を築けたら互いに利益を上げられるよい取引をしてくれる。

 新しいもの好きで、たとえばこの別荘街の別荘を、他国の貴族や大商人に貸し出すことをはじめたのもクラウディオの提案らしい。そうすることで、他国の有力者をナバラル王国に呼び、自然と交渉の機会を増やせるだろうから、と。

 同様に、中心街の発展にも、彼は大きく貢献しているのだとか。もともとは観光業で細々とやってきたこのナバラル王国が、急激に成長しはじめたのは、クラウディオの功績とも言える。

 リンディスタ王国としては、ナバラル王国の発展は願ってもない状況だ。今後もよりよい取引ができるように、関係性を築いていきたい。そのためにも、クラウディオの立太子を心待ちにしているらしい。

 しかし、そんなクラウディオが、二年ほど前からあまり表に姿を現さなくなった。いったいなにがあったのだろうかと、オズワルドをはじめとしたリンディスタ王国首脳陣も気にしていたようだ。

 ちなみに、対立している第二王子カリスト・イサーク・エメ・ナバラルは、クラウディオと比べるとかなり保守的な考え方をする王子らしい。ゆえに、カリストが王太子に選ばれてしまうと、ナバラル王国が元の形に戻ってしまうのではと危惧している。

 彼のバックについている保守派の貴族たちも、ここ数年での急激なナバラル王国の変化に思うところがあるのだとか。

 彼らはずっと、塩の関税引き上げをうたっており、対外的にも厳しい対応をしていくだろう。これはリンディスタ王国にとっても深刻な問題で、一方的に関税を引き上げられてはたまらないと考えている。

 ナバラル王国はあと一年程度で王太子を決定すると宣言している。

 だからこそ、あと一年の間にクラウディオを推したい。そういうことらしい。

「もしクラウディオ殿下の様子がわかるようなら調べてきてくれと。ついでに、彼の立太子に向けての後押しができれば――」

「なるほど」

「しかし、あくまで新婚旅行のついでのようなものだったからな。殿下も、まさか私がクラウディオ殿下と遭遇するだなんて思っていなかっただろう。あくまで、私に気兼ねなく三週間の休暇を与えるためだけの理由付けのようなものと思っていたが」

 こんな出会いがあるだなんてと、セドリックは深々とため息をついている。

「フィオナ、君は本当に私の幸運の女神だ」

 いつになくセドリックの表情が重い。ゆえに、ちっとも褒められた気にならなかった。

「えーっと。この場合、幸運かどうかは怪しいところですけれど」

 いっそこのような出会いがなかった方が、平穏な蜜月を過ごせたはずだ。とはいっても、出会ってしまったものは仕方がない。

 セドリックはほとほと弱っているようで、フィオナをギュッと抱きしめ、肩口に顔を埋めた。それから、はああと、腹の底からのため息をついている。

「――あのクラウディオが、よりにもよって君に興味を持つなんてな」

 セドリックの心配はもっともだ。

 話を聞くだけで、さとい王子であることがわかった。もしかしたら、フィオナが魔法使いである可能性に気付いたからこその今回の打診なのかもしれない。

 もちろん、女魔法使いだなんてそんな稀少な存在、可能性を見出すことすら馬鹿らしい。だから、単純に直接お礼を言いたいだけという線もある。あるいは、あくまでフィオナをダシにして、セドリックと繋がりを持ちたいという可能性もなくはない。

(むしろ、それが一番ありえそうではないかしら?)

 セドリックが相手をクラウディオと見抜いたのだから、相手もセドリックの正体を見抜くのは不思議ではない。だからこそサウロもここの別荘を割り出し、わざわざ挨拶に来ているのだ。

(セドリックさまは次期公爵となられる身分で、オズワルド殿下の腹心だもの)

 クラウディオが他国の貴族と交流を大事にする男であれば、セドリックとの繋がりを欲するのは十二分にありえる。

(それに、今回の申し出をお請けすることで、セドリックさまの役にも立てるかもしれない)

 クラウディオの様子を調べるのなら、本人と直接話すのに越したことはない。むしろ、セドリックにとってそれが一番都合がいいからこそ、フィオナを引き合わせることとてんびんにかけて悩んでいるのだろう。

(直接魔法をかけることを避けたら大丈夫かしら? 刺繍にちょっと触れてもらうとか、それくらいなら)

 元来、フィオナの力はあまりに慎ましいものだ。セドリックと出会うまで、フィオナが女魔法使いであることなんて、誰も気付きはしなかった。フィオナ自身も無自覚だったくらいなのだから、本当にたいしたことがない、ちっぽけなものなのだ。

 今まで通り普通にしていたらバレることもないはず。だから、フィオナは決めた。

「セドリックさま。わたしは魔法の力なんてないものだと堂々としています。だから、せめてお見舞いと称して訪問してみませんか? そこで交流を深められてはどうでしょう」

「だが――」

 フィオナの提案に、セドリックは顔を上げる。

 菫色の瞳が不安そうに揺れた。フィオナのことになると、この人はたちまち臆病になってしまうのだ。

 そんな彼の優しさにいつも救われている。心配してくれているからこその彼の態度が愛しくて、フィオナはそっと彼の背中に腕を回した。

「わたしは、魔法以外でセドリックさまのお役に立てることがほとんどありません」

「そんなことはない!」

「いいえ。――でも、これからだって思っているんです」

 フィオナは微笑んだ。

 正直、公爵家の嫁としては、まだ及第点にも達していないだろう。

 社交も、流行も、マナーも、知識も、なにもかもが拙い。もちろんそのままでいるつもりはなくて、毎日の勉強は欠かしていない。

 ただ、レリング家で虐げられていた日々の中で、失った時間があまりに大きい。普通の令嬢ならば当たり前に理解している常識が、フィオナにはすっぽりと欠けていることも自覚している。さらに実家の後ろ盾もなく、貴族の結婚相手としては満足な役割を果たせていない。

 勉強をすればするほど、自分の至らなさに落ち込むことも増えていたのだ。

 もちろん、くよくよしている性格でないため、それでも努力しようと頑張っている。でもフィオナとしては、愛されていることや魔法使いであること以外にも、彼の隣に胸を張って立てるようななにかが欲しかった。

「だからセドリックさま。そんなわたしにプレゼントをください。魔法以外でもあなたのお役に立てるのだと、実感できる理由を」

「そういう謙虚なところが、君の素晴らしいところなのだがな」

「ふふ」

 本当にセドリックはフィオナに甘い。いつも欲しい言葉をくれて、それがフィオナの力になっている。だからフィオナは、はっきりと告げた。

「クラウディオ殿下に会いに行きませんか?」

「フィオナ」

「時間はたっぷりあるのです。ですから、最初にほんの少しだけ。それであなたの心を晴らして、あとは気兼ねなく旅を楽しみましょう? ――色々終わったら、わたし、セドリックさまのお時間を独占してもいいのですよね?」

 なんて少しだけいたずらっぽく笑ってみせると、ようやくセドリックも肩の力が抜けたらしい。表情が和らぎ、こくりと頷く。

「ああ、そうだな。君の貴重な時間をクラウディオ殿下にくれてやるのは惜しいが、まあ、国への義務だけは果たさせてもらうさ」

「はい」

「ありがとう、フィオナ」

 そう言って彼は、感謝にしては甘すぎるキスをくれた。

 たちまち頬に熱が集まり、フィオナは両手でそっと押さえる。

「ただ――その、ひとつだけ注意してくれ、フィオナ」

「なんでしょう?」

 話はまとまったはずなのに、セドリックはとても言いにくそうにもごもご言い淀む。どうやらまだ心配事があるらしい。いったいなんだろうと思って、こてんと首を傾げる。

「件の殿下なのだが――なかなかに、交友関係が派手だと有名でな」

「交友関係が豊かなのはよいことでは?」

「そうじゃなくて」

 セドリックは深々とため息をつき、言い切った。

「女性関係のことだ」

 ぱちり、と、フィオナは大きく瞬く。

「気を付けてくれ」

「え」

「――いいか? 絶対に、気を付けてくれ」

 いや、自分はなかなかに地味な女で、そんな華やかな方に相手にされるとは思わないけれど、セドリックの目は真剣だ。

「えっと。……わかりました」

 大丈夫だなんて軽々しく言えそうな空気でもなくて、フィオナはこくこくと頷いたのだった。


 サウロへ使いを出して、翌日には早速クラウディオの見舞いに行くことになった。

 フィオナはモスグリーンのデイドレスにしっかりと手袋をはめて、クラウディオの滞在する屋敷へと向かった。

 セドリックもこの日はチャコールグレーのコートに、少し浅い色のトラウザーズを合わせている。華美ではないが、きちっとした印象でまとめているのは、相手が誰だかわかっているからだろう。

(早いうちに、互いの正体は明かしておきたいと仰っていたもの)

 あなたがこの国の第一王子であることはわかっている。だから、腹を割って話そう――そんな方針でいるらしい。

 緊張しながらも、サウロに迎えられ、その屋敷に足を踏み入れた。

 屋敷といっても、フィオナたちが滞在している別荘よりやや大きい程度だ。この国の王子が住んでいると聞くと、誰もが驚くであろう素朴さである。